烈風の会⑥~打算という名の~
2023.2/6 更新分 2/2
・今回は2話同時更新です。読み飛ばしのないようにご注意ください。
いくぶん硬くなってしまった空気を尾にひきつつ、俺たちは次なる卓を目指すことになった。
そちらにも、レイナ=ルウの宴料理が並べられている。そしてそこにはレイナ=ルウ本人を筆頭とするルウ家の面々と、サトゥラス伯爵家の面々も居揃っていたのだった。
「わーい、やっと会えたねー! アイ=ファたちは、もうこっちの料理を食べたかなー?」
リミ=ルウの元気いっぱいの声が、硬い空気の残滓を粉々に打ち砕いてくれた。
アイ=ファは優しげな眼差しになりながら、こちらに駆け寄ってきたリミ=ルウの頭を撫でる。
「こちらの料理は、これから口にするところだ。どのような料理が準備されているのか、楽しみなところだな」
「そっかー! リミが手伝ったのはお菓子だけだけど、こっちの料理もおいしーよー!」
「そりゃあそうさ! 何せ、レイナ=ルウの取り仕切りで作りあげられた宴料理なんだからな!」
と、リーハイムが快活なる口調で言葉を投げかけてくる。授賞式で見せていた緊張もほぐれて、普段以上に朗らかな面持ちだ。
「さあさあ、まだ食ってないなら、たらふく食うといいぜ! ぼんやりしてたら、他の連中に食い尽くされちまうだろうからな!」
「あはは。こーんなにいっぱいあったら、まだまだなくならないよー! アイ=ファたちも、いーっぱい食べてねー!」
そうして俺たちも、そちらの料理と向かい合うことになった。
しかしその前に、まずはお祝いだ。俺やアイ=ファがリーハイムと相対するのは、本日これが初めてなのである。
「リーハイム、遅ればせながら、優勝おめでとうございます。どの勝負でも、リーハイムの強さが際立っていましたね」
「そりゃあ俺はこの日のために、ひまを見つけてはトトスにまたがってたんだからな! シュミラル=リリンに打ち勝つには、それだけの努力が必要ってこった!」
そのシュミラル=リリンも、ルウ家の面々と一緒にたたずんでいる。そして、誰よりも穏やかな眼差しでリーハイムの笑顔を見守っていた。
「ただ、最後の勝負は危なかったな! ドーンのやつが馬鹿みたいに先んじてなかったら、何がどうなってたかもわからねえよ! あいつのおかげで、俺が勝ちを拾えたようなもんさ!」
「いえ。リーハイム、勝負の見極め、見事でした。あなた、勝つべくして、勝ったのです」
「お世辞でも、そんな風に言ってもらえるのは光栄だね! まあ、次の勝負は、また来年だ!」
リーハイムは、心から上機嫌なようである。もとより直情的なお人柄であるが、こうまで喜びのたけをあらわにするのは、まぎれもなく初めてのはずであった。
ただし、ジザ=ルウは相変わらずの落ち着きであるし、レイナ=ルウはひたすらにこやかな面持ちであったため、きっと失礼を働くことはなかったのだろう。むしろ、同席していたサトゥラス伯爵家の若き貴婦人のほうが、いくぶん呆れ気味の面持ちになっていた。
「いくら今日の主役でも、羽目を外しすぎですわね。どうぞ森辺の方々は、レイナ=ルウ様の仕上げた宴料理をご堪能ください。いずれも素晴らしい出来栄えですわよ」
「はい。ありがとうございます」
そちらで準備されていたのは、『クリスピー・ロースト・ギバ』や『ギバ・カツサンド』、それに『アール仕立てのクリームシチュー』といったラインナップである。新旧の食材を分け隔てなく盛り込んだ、力強い顔ぞろえであった。
「あっちの卓の料理も合わせると、すごい品数だね。10人がかりでも、かなり大変だったろう?」
「いえ。昨日の内に下ごしらえを進めていましたので、無理なく仕上げることがかないました。とはいえ、血族の女衆があれだけ腕を上げていなかったら、これだけの料理を準備することはできなかったでしょう。それに、食材の分量の計算にはツヴァイ=ルティムの力が、屋台の下ごしらえと同時に仕事を進めるにはララの力が必要でした。ですからこれはわたしひとりの手腕ではなく、ルウの血族が手を携えた結果となります」
そんな風に語りながら、レイナ=ルウの瞳は力強く輝いている。復活祭のさなかにこれだけの仕事を果たしたのだから、どれだけ誇ってもバチは当たらないだろう。俺も心から、レイナ=ルウたちに祝福を捧げたかった。
「今回は、俺が無理を通したようなもんだからな! レイナ=ルウには、本当に感謝してるよ! トトスの駆け比べで優勝して、その祝賀会でレイナ=ルウの宴料理を口にできるんだから、もう最高の気分さ!」
そんな風にがなりたててから、リーハイムはやおら表情をあらためた。
「それでな、実は……レイナ=ルウに聞いてほしい話があるんだけど……」
「はい。何でしょうか?」
「お、俺は来年からも、レイナ=ルウの世話になりてえんだ。そのためには、すべて包み隠さずに打ち明けるべきだろうから……どうか、驚かずに聞いてもらえるかい?」
何だか、風向きが変わってきたようである。
レイナ=ルウはいくぶん心配げな面持ちになっており、ジザ=ルウは表情を変えないまま、ただじっと両名のやりとりを見守っている。
そんな中、リーハイムは横合いに向かって手招きをした。それに応じてやってきたのは――これまでに何度か顔をあわせたことのある、若き貴婦人である。それは遥かなる昔日、シン=ルウの凛々しさに熱い気持ちを抱くことになった貴婦人の片割れであった。
「こ、こいつはマーデル子爵家のセランジュってもんだ。以前に森辺の民がらみでちょいと話題にあがってたはずだから、名前ぐらいは知ってるんじゃねえかな」
「セランジュですか。ええ、何度かお顔を拝見した覚えはあるように思いますが……そのセランジュが、何か?」
「……俺たちはたぶん、来年中に婚儀を挙げることになると思う」
そのように語るなり、リーハイムは酒気に染まった顔をいっそう赤くしてしまった。
レイナ=ルウは驚きに目を見開き、リミ=ルウは「へー!」と大きな声をあげる。
「リーハイムも婚儀を挙げるんだねー! おめでとー!」
「い、いや、まだ日取りも決まっちゃいねえんだけどな。貴族の婚儀ってのはあれこれ面倒な下準備もあるから、いつになるかわからねえし……ただ、俺が見放されない限り、この婚儀が流れることにはならないはずだ」
「であれば、心配には及びませんね」
若き貴婦人セランジュが、朗らかな調子で声をあげる。ただその面もわずかに赤らんで、内心の羞恥をあらわにしていた。
「わたくしはかつてシン=ルウ様によからぬ思いを抱いてしまい、皆様に多大なご心配をかけることになってしまいました。そしてこちらのリーハイム殿も、同じようなお立場であられたため……祝宴や晩餐会などの折に、何かと心情を打ち明け合う機会が多かったのです」
「ああ。言ってみれば俺たちは、同じような過ちで大恥をさらしたようなもんだからな。こんな馬鹿な悩みを抱える人間は他にそうそういねえから、思うさま本音をさらけだすことになっちまったんだよ」
「それで……恋情が育まれることになったというわけですか」
そのように応じつつ、レイナ=ルウはその顔に理解と喜びの色を広げていった。
「おめでとうございます、リーハイムにセランジュ。まだ祝福には早いのでしょうけれど、どうか祝いの言葉をお伝えさせてください」
「あ、ああ。いきなりこんな話を持ち出しちまって、申し訳なかったな。レイナ=ルウも、面食らっちまっただろう?」
「ええ。もちろんそれよりも、喜びの気持ちがまさっていますけれど……でも、どうしてわたしにそのようなお話を打ち明けてくださったのですか?」
「そりゃあもちろん、これまでのいきさつを踏まえてのことだよ。俺がレイナ=ルウに対して馬鹿な真似をしちまったことは、城下町でも語り草だったんだからな」
そんな風に語りながら、リーハイムはにわかに真剣な眼差しになった。
「それに、俺はいまだにレイナ=ルウに未練があるから、あれこれ大きな仕事を申しつけてるんじゃねえかって風聞が出回ってる。そいつが根も葉もねえ下衆の勘繰りだってことを、ようやく証明できる機会が巡ってきたから……一刻も早く、レイナ=ルウに伝えておきたかったんだよ」
「そうなのですか。わたしはそのような風聞など耳にしたことはありませんでしたし、それに……リーハイムの真情を疑ったこともありませんでした」
そう言って、レイナ=ルウはいっそう明るく微笑んだ。レイナ=ルウならではの、屈託がなくて力強い笑顔である。
「ですが、リーハイムのご配慮を心から嬉しく思います。もしかなうことでしたら、おふたりの婚儀の祝宴ではひと品だけでも宴料理を捧げさせてください」
「本当かい? ひと品どころか、俺たちはレイナ=ルウにまるごと厨を預けたいぐらいなんだけど……」
「そのようなお話をいただけるのでしたら、心より光栄に思います」
すると、ジザ=ルウが音もなく妹のかたわらにまで進み出た。
「すべてを決するのは族長らとなるので、そういった話は婚儀の日取りが決まってからにするべきであろう。しかし、妹レイナへの配慮には、俺からも感謝の言葉を伝えさせてもらいたく思う」
「ああ。何せ俺たちは、他の貴族や森辺の民の見本にならなきゃならねえ間柄だからな」
それはかつて、ジザ=ルウが何度か口にしていた言葉である。
ジザ=ルウは口もとをほころばせながら、「うむ」と首肯した。
その後は、リミ=ルウやルド=ルウもまじえて大変な騒ぎである。それに森辺の民ばかりでなく、たまたまその場に居合わせた貴公子や貴婦人がたも両名に祝福の言葉を捧げていた。
俺もそちらに参加してから、他の人々に場所を譲るべく身を引くと――視界の隅に、フェルメスが座している姿が見えた。いつの間にか、フェルメスはテーブルのそばに準備された円卓の座席に身を移していたのだ。俺は小首を傾げつつ、アイ=ファだけをともなってそちらに向かうことにした。
「どうしました、フェルメス? お加減でも悪いのですか?」
「いえ。しばらく僕の出番はなさそうであったので、少し身を休めていただけのことです。……僕はすみやかに、気持ちをなだめなければなりませんからね」
それは先刻の、ドッドにまつわる一件であろうか。
俺は少なからず心配になったので、フェルメスの隣に腰を下ろすことにした。フェルメスの背後にはジェムドが控えており、アイ=ファはそれを真似るように俺の背後に立ちはだかる。
「フェルメスは、まだ気持ちが落ち着かないのでしょうか? ドッドに対して、それほどの怒りを持たれていたのですか?」
「怒り……ではないかと思います。ただやはり、僕が出会う前のアスタを害そうとした人間というものには……何か、ひとかたならぬ感情をかきたてられてしまうようです」
そのように語りながら、フェルメスはふっと微笑をもらした。どこか寂しげにも見える表情だ。
「ただこれは、アスタ個人ではなく『星無き民』に対しての気持ちであるのでしょう。言ってみれば、大事な書物を燃やされそうになった気持ちに近いのです。ですから、アスタが気になさる必要はいっさいありません」
「はあ……それでも俺にまつわる話ではあるのですから、やっぱり他人事として切り捨てることはできないように思います」
「でもこれは、『星無き民』に向ける執着から生まれた感情であるのですよ? アスタにしてみれば、忌々しい限りでしょう?」
フェルメスのそんな物言いに、俺はつい笑ってしまった。
「何だか今のフェルメスは、すねた子供のようにも見えてしまうようですよ。どうかあまり思い詰めずにいただきたく思います」
「でも僕は、去年のこの日にもアスタの信頼を失いかけてしまいましたからね。どうしても、苦い記憶がよみがえってしまうのです」
フェルメスはあらぬ方向に顔をそむけつつ、横目で俺の顔色をうかがってくる。そんな仕草も、どこか幼子めいていた。
「僕は今日という日をすこやかに過ごすことで、そんな記憶を払拭しようと決めていました。しかし、自らの執着によって、それを台無しにしてしまったのです。本当に、僕は何かが足りていない人間であるのでしょう」
「台無しなんて、大げさですよ。この後もしっかり祝宴を楽しめば、楽しい思い出で上書きできるでしょう? ……まさか今日は、『星無き民』にまつわる演劇なんて準備していませんよね?」
「……アスタはそれほどに、僕のことを信用なさっていないのですか?」
「あはは。ただの軽口なのですから、そんな目をしないでください。フェルメスがそんな風に思い悩んでくれるだけで、俺は嬉しく思っていますよ」
俺は精一杯の気持ちを込めて、フェルメスに笑いかけてみせた。
「それに、解決策は目に見えているじゃないですか。ドッドに対しておかしな気持ちを抱いてしまったのなら、あらためて絆を結びなおせばいいだけのことです。ドッドがあの頃のことを心から後悔していると実感できれば、フェルメスも気持ちをなだめられるのではないでしょうか?」
「……そのような打算で近づかれても、ドッドの迷惑になるばかりでしょう」
「それを打算と考えてしまうのが、フェルメスならではの思考なのでしょうね。人はみんなそうやって、自分と他者の気持ちを重ね合わせようと苦心しているのだと思いますよ」
フェルメスは、傀儡使いの劇を見るように人の世界を眺めているようだ――かつてガズラン=ルティムは、フェルメスのことをそのように評していた。カミュア=ヨシュも似たようなタイプであるが、しかし彼は人の世を俯瞰しつつ、自分自身もその世界の住人であることをわきまえて、めいっぱいに暴れているのだ、と。
基本の部分で、俺もガズラン=ルティムの言葉に異存はない。だから俺は、フェルメスが人の世という舞台に下りてくれることを願っているのかもしれなかった。
「そういえば、去年は太陽神の滅落と再生を一緒に見届けましたよね。実はあの場にも、ドッドやディガ=ドムはいたのですよ」
「……それが何か?」
「今回はフェルメスも、城下町を抜け出すことは難しいのでしょう? でしたら今日の内に心を静めておかないと、また一年の終わりに不穏な気持ちを抱え込んでしまうかもしれませんよ。よければこれから、一緒にドッドのもとまで向かいませんか? そうしてドッドと絆を結びなおせば、きっと心安らかに新しい年を迎えられるはずです」
フェルメスは、迷うように俺を見つめている。そんな挙動も、フェルメスには珍しいことであった。
やっぱり彼は、一個人として他者と交流を深めることが苦手であるのだ。彼は外交官として誰とでも堂々と渡り合える知識や胆力を備え持っていたが、その裏にはこのように繊細な一面を隠し持っていたのだった。
「さあ、行きましょう。ドッドはああ見えて柔和な気性をしていますので、きっとフェルメスも仲良くなれるはずですよ」
「……今日のアスタは、常よりもずいぶん強引であるように感じられます」
「それは、打算ゆえでしょうかね。フェルメスに和やかな気持ちで新年を迎えてほしいという、俺の打算です」
俺はフェルメスをうながすために、さっさと腰を上げてみせた。
フェルメスはしばし逡巡してから、いかにも渋々といった様子で立ち上がる。そして俺よりも10センチぐらい低い位置から、すねているような甘えているような眼差しを向けてきた。
きっとフェルメスは、新しい思い出で苦い記憶を上書きすることができるだろう。そしてそれは、俺にとっても必要な行いであるのだ。俺とフェルメスは去年の今日という日に絆が切れかけて、それを一年がかりで修復してきたわけだが――きっと今日の思い出も、確かな一助になるはずであった。
(年の終わりは明後日だけど、年内でフェルメスと会えるのは今日が最後なんだからな。今年の問題は今年の内に片付けておくべきだろう)
そんな思いを噛みしめながら、俺はフェルメスとともにドッドのもとを目指すことにした。
テーブルのそばでは、まだリーハイムたちを中心にして大いに盛り上がっており――そして大広間そのものも、まだまだ熱気の渦中である。西方神の慈愛あふるる眼差しに見守られながら、誰もが祝賀会と復活祭の喜びにわきたっているようであった。




