烈風の会③~いざ城下町~
2023.2/4 更新分 1/1
闘技場を出た後は、街道が大渋滞を起こしていた。
まあ、2千名にも及ぼうかという人間がいっせいに帰路を辿ろうとしているのだから、それが当然の話であろう。この状況を想定していた俺たちは焦ることなく、顔馴染みの面々と談笑しながら渋滞が解消されるのをのんびり待ち受けることになった。
ただひとり、ジェノス城の厨に向かうリミ=ルウだけは貴族の乗るトトス車にお招きされて、ひと足早く出立することが許された。『烈風の会』の熱戦に頬を火照らせたリミ=ルウは護衛役の狩人を引き連れて、ぶんぶんと手を振りながら立派なトトス車に乗り込んでいった。
「そういえば、今回もララ=ルウは居残りなんだね」
「うん。明日の下ごしらえに関してはレイナ姉が指示を出していってくれたけど、誰かがきちんと確認しておかないといけないからね。アスタだって、そのためにいったん森辺に戻るんでしょ?」
「うん。でも俺はその後、祝宴に参じさせていただくからね。ララ=ルウも集落の様子を見届けた後なら、動きが取れたんじゃないかな?」
「祝宴にはレイナ姉やリミも出るんだから、あたしが無理に出向く必要はないだろうって思ったのさ。貴族たちの相手は、ジザ兄たちがしっかり務めてくれるだろうしね」
そのように語るララ=ルウは、べつだん残念がっている様子もない。ここ最近の彼女は貴族相手の外交にも力を入れているように思えたが、決してそれだけを重んじているわけではないのだろう。そうして冷静に取捨選択できていることが、むしろ彼女の思慮深さを表しているように思えてならなかった。
ともあれ、街道の混雑がひと段落したところで、俺たちも森辺に帰還である。
ようようファの家まで到着すると、そちらはバードゥ=フォウの伴侶の取り仕切りで順調に下ごしらえが進められている。それを見届けたならば、俺もすぐさま出発の時間を迎えることになてしまった。
「まったく、慌ただしい限りだな。それでは申し訳ないが、引き続き家人の面倒をお願いする」
「ええ。アイ=ファたちは、祝宴を楽しんで」
サリス・ラン=フォウやアイム=フォウの温かい笑顔に見送られて、俺たちは出立した。トゥール=ディンとゼイ=ディンも合流して、行き道はこの4名だ。
トゥール=ディンがしみじみと幸せそうな面持ちをしているのは、ドッドが入賞したためなのか、あるいはひさびさにオディフィアと会えるためなのか――おそらくは、その両方なのだろう。そんなトゥール=ディンと同じ荷台で揺られているだけで、俺も幸せな心地であった。
時刻はすでに夕暮れ時に差し掛かっているが、宿場町の主街道は大変な賑わいである。闘技場から戻った人々が、あちらの熱気を持ち帰ってきたのだ。そしてそこには、終わりの近い復活祭を余すところなく楽しんでやろうという意気込みも感じられてならなかった。
そうして城門に到着すると――そちらで待ち受けていたのは、顔馴染みである初老の武官であった。
「どうも、おひさしぶりです。ガーデルは、まだ復職されていないのですか?」
「ええ。ずいぶん容態は安定してきたようですが、まだ御者の役目が務まるほどではないようですな。これは大切なお客人の身柄を預かる、大事な役目ですので」
初老の武官は穏やかな面持ちであったが、俺は小さからぬ懸念を覚えてしまった。
そちらで準備されていたトトス車に乗り換えると、アイ=ファがさっそく声をかけてくる。
「ガーデルは、ずいぶん長引いてしまっているようだな。しかし、生命に関わるような話ではないのだろうから、お前もあまり気にするのではないぞ」
「うん……だけど、半年経ってもまだ容態が安定しないなんて、やっぱり心配になっちゃうよな」
「心配をするのはかまわん。しかし、責任を感じる必要はないと言っているのだ」
そもそもガーデルが飛蝗の騒ぎに見舞われたのは、護民兵団の動きから変事を察して俺のもとまで駆けつけた結果であったのだ。あの日の彼は、虚偽の申告をしてまで御者の仕事を休み――そうして飛蝗が到来した際には、別人のように狂乱して飛蝗の退治にいそしみ、それで肩の古傷を悪化させてしまったのだった。
さらに、ティカトラスがジェノスにやってきた折は、俺が王都に連れ去られてしまうのではないかと心配して、療養中の身でありながらまた屋台にまで押しかけてしまった。それで発熱して意識を失い、巡回の衛兵に身柄を預けられることになったのである。
斯様にして、ガーデルは俺に尋常ならぬ執着を抱いているようであるのだ。
その理由がいまひとつはっきりしないため、俺はこのように落ち着かない心地になってしまうのかもしれなかった。
(ガーデルと知り合って、もう1年以上が経つんだもんな。それでも顔をあわせる機会なんてそうそうないから、まだおたがいのことを何にもわかってないんだろうけど……だからこそ、あそこまで俺に執着する理由もわからないんだよな)
俺がそんな思いを噛みしめている間に、トトス車はジェノス城に到着した。
こちらに参じるのは、ちょっとひさびさのことだ。バナーム城とは似て異なる、四角い城郭と円塔で形成された重厚なるたたずまいである。今さらながら、このように立派なお城に招待されるというのは恐れ多いばかりであった。
幅の広い石段を20段ばかりものぼったならば、巨大な両開きの扉が待ち受けている。刀を預けて扉の内に足を踏み入れると、記憶の通りに葡萄酒色の絨毯が敷き詰められた回廊がのびていた。
小姓や侍女の案内で、まずは浴堂へと導かれる。ゼイ=ディンとふたりきりで身を清めるというのは、なかなか新鮮な心持ちだ。しかし俺が今さら気詰まりになることはなかった。
「復活祭で慌ただしくしていたせいか、本当にひさびさに感じられますね。でも、トゥール=ディンがあんなに嬉しそうにしていると、ゼイ=ディンも嬉しいでしょう?」
「うむ。それに加えて俺自身、オディフィアたちとはひとかたならぬ縁を紡いだつもりであるからな。この場に招かれたことを、心から喜ばしく思っている」
ゼイ=ディンは沈着な気性で、こういう際にもあまり表情を動かさないが、目もとには柔和な微笑みがたたえられている。その眼差しの優しさは、トゥール=ディンにもしっかりと受け継がれているのだ。トゥール=ディンを大切に思う俺は、自然にゼイ=ディンのことも好ましく思えるわけであった。
そんなゼイ=ディンとともに浴堂を出ると、本日も立派な宴衣装が準備されている。昨年の祝賀会では朱色のマントを羽織るだけで許されていたのだが、今年の闘技会を契機にして、こういった祝賀会でもお召し替えを願われるようになってしまったのだ。そして、朱色のマントの代わりには、青い腕章が準備されている。これもまた、石塀の外からの客人であることを示す証であるのだった。
ちなみに俺に準備されていたのは袖なしの胴衣にバルーンパンツと短いマント、ゼイ=ディンのほうはゆったりとした長衣に袖なしで丈の長い上衣となる。俺はリッティアから贈られたジェノスのスタンダードな宴衣装、ゼイ=ディンはセルヴァ伝統の古式ゆかしい宴衣装であった。
「これはまた、女衆のほうに合わせた様式なのであろうな」
「ええ。ふたりがどんな姿なのか、楽しみですね」
とりわけアイ=ファのほうはティカトラスのおかげで宴衣装のレパートリーが飛躍的に増大していたため、俺は胸を弾ませるばかりであった。
そうしてお召し替えが完了したならば、控えの間へと案内される。そちらでは、本日の貴賓と入賞者が勢ぞろいしていた。
「おお! また男連中の到着か! まったくもって、焦らしてくれることだな!」
そのような声を張り上げたのは、《赤き牙》のドーンだ。本日の彼は紅白ボーダーの装束で、フリルの襟巻きは炎のような真紅であった。同じく真っ赤な頭に乗せているのは海賊のような帽子であり、そちらは白地に赤い羽根の飾りがどっさりつけられた徹底っぷりである。
さらに、準礼装ぐらいのつつましい装束を纏ったダンロが、「よう」と笑いかけてくる。本日、貴族ならぬ身で入賞した町の人間は、この両名のみであった。
「どうも、お疲れ様です。ダンロもドーンも、入賞おめでとうございます」
「俺なんかは、運に恵まれただけだけどな。貴族様にやっかまれるんじゃないかって、気が気じゃねえよ」
「うわははは! ジェノスの貴族は、そうまで狭量ではあるまい! そもそも貴族の入賞者が少ないのは、森辺の狩人が奮闘した結果であるのだからな!」
それはドーンの言う通りであろう。しかし昨年と比べても、貴族の入賞者はレイリスひとりが減じただけであるのだから、そうまで大きな差ではないはずだ。あとは南の民たるムラトスが敗退し、そちらの両名の代わりにドッドとヴェラの家長が入賞したわけであった。
とりあえずダンロたちへの挨拶を済ませた俺たちは、同胞のもとへと歩を進める。そちらには、入賞者たるルド=ルウ、シュミラル=リリン、ドッド、ヴェラの家長、貴賓であるジザ=ルウ、ゲオル=ザザ、スフィラ=ザザ、ダリ=サウティ、サウティ分家の末妹という面々が居並んでいたのだった。
「みなさん、おめでとうございます。入賞者の半数が森辺の同胞だなんて、誇らしい限りですね」
「うむ。しかし次回からは、闘技会のように人数を控えるべきであろう。森辺の民ばかりが勲章を授かるというのは、ジェノスにとって決して望ましい結果ではないはずだ」
ジザ=ルウが真っ先にそのような声をあげると、ダリ=サウティがゆったりとその後を引き継いだ。
「とはいえ、今日の結果が誇らしいことに変わりはない。ジェノスの民、ひいては王国の民として、誇らしく思うべきなのであろうしな」
「あー。俺たちは本気で勝負に挑んだんだから、きっちり誇らしく思ってるよ」
長椅子にふんぞりかえったルド=ルウは、陽気に笑いながらそう言った。
俺は、そのかたわらに座すシュミラル=リリンへと視線を移す。
「シュミラル=リリンも、お疲れ様でした。今回はリーハイムに優勝を譲ることになってしまいましたが、それでも立派な結果だと思います」
「はい。誇り、抱いています」
シュミラル=リリンもまた、いつも通りの静かな笑顔だ。
ヴェラの家長はしかつめらしい面持ちで、ドッドははにかむように笑っている。誰もが平常な心持ちで、本日の結果を受け止めているようだ。これは森辺の民にとって余興に過ぎないが、かといって勝ち負けなどどうでもいいという態度は主催者たるジェノスの支配層に失礼であるのだろう。ダリ=サウティのさきほどの言葉には、そんな含蓄が込められているはずであった。
「それにしても、森辺の狩人ばかりが続々とやってきて、実に殺伐としたものだな! アスタよ、おぬしの美しき相方はまだ召し替えに時間を食っておるのか?」
と、会話の隙間にまたドーンが蛮声を投げかけてくる。
「あ、はい。そろそろ来る頃かと思いますが……あの、森辺の習わしは覚えておいでですよね?」
「だから、姿の見えぬ内に思いのたけを口にしておるのだ! もはやそちらの両名を褒めそやすことはかなわんのだからな!」
こちらの末席に控えたスフィラ=ザザは冷たい面持ちでそっぽを向いており、サウティ分家の末妹は困ったように微笑んでいる。彼女たちは、ドーンとも初対面であるのだ。そして、スフィラ=ザザはセルヴァ伝統の宴衣装、サウティ分家の末妹はティカトラスから贈られた黄色の豪奢な宴衣装に身を包んでいたのだった。
ちなみに男衆のほうは、貴賓のみが宴衣装で、入賞者は森辺の装束である。この辺りも、闘技会の祝宴を踏まえた措置が取られていた。本日の主役たちが平服というのは本末転倒のような気がしなくもないが、その反面、森辺の民らしい雄々しさを示すには普段の格好が一番なのだろうと思われた。
(去年はダンロも普通の格好だったけど、今回は自前で立派な装束を準備したってことか。まあ、貴族が立派な格好をしてるから、こっちだけ普段着ってのは気が引けちゃうもんな)
しかしルド=ルウたちは何を気にする風でもなく、思い思いにくつろいでいる。森辺の男衆は、着るものに頓着したりしないのだ。そこで少しでも頓着する様子を見せるのは、ジョウ=ランやラヴィッツの長兄といった変わり種のみであったのだった。
「さっきまで、ドーンに戦の様子を聞いてたんだぜー。うわさ通り、ずいぶんでかい戦だったみたいだなー」
ルド=ルウがふいにそのようなことを言いだしたので、「うわさ通り?」と俺は小首を傾げることになった。
「ほら、王都の連中はマヒュドラとゼラドってのを同時に相手取ってたって話だったろ。それでオーグは、ジェノスに戻るのが遅れたって話だったじゃねーか」
「ああ、その話か……ドーンもその戦に参じていたということですか?」
「うむ! このたびは、実に熾烈な戦であったな! この俺も、大事な仲間をふたりも失ってしまったのだ! まあ、ふたりの被害しか出さなかった部隊など、他にはなかろうがな!」
いきなり物騒な話題になってしまい、俺は思わず口ごもってしまう。とうてい「お疲れ様です」などと気軽な言葉を吐ける場面ではなかった。
「そうですか……ちなみにドーンは、マヒュドラとゼラドのどちらを相手取っていたのですか?」
「俺は、ゼラドの専門だ! マヒュドラとやりあうには、めっぽう寒さの厳しい地にまで出向かなくてはならんからな! そういう場所は古傷が疼くし、何より俺は雪や氷というものを忌み嫌っておるのだ!」
そんな風に言いながら、ドーンは呵々大笑した。
「最近は、マヒュドラと懇意にしているゲルドの連中もジェノスを訪れているそうだな! 心配せずとも、俺もこの10年はマヒュドラの蛮族どもを相手取ったことはない! 祝賀会にゲルドの人間がまぎれ込んでいようとも、不興を買うことはなかろうさ!」
「うむ。ただし、ゼラド大公国というのはジャガルと懇意にしているそうだな。まあそれでも、貴方がジャガルの人間に遠慮をするいわれはないのだろうが」
ジザ=ルウがそのように口をはさむと、ドーンは「当然だな!」と言い放った。
「そもそもジャガルの連中は、ゼラドともジェノスとも西の王都アルグラッドとも懇意にしているではないか! 南の民というのは心のおもむくままに生きる気性であるから、近場の人間とはすぐさま絆を深めてしまうものなのであろう! そんな話をいちいち気にしておったら、ジャガルとも戦をする羽目になってしまうわ!」
「うむ。そのような事態は、何としてでも避けるべきであろう」
「心配せずとも、セルヴァとジャガルはもう何百年もそうして親密に過ごしておるのだ! そもそも恥ずべきは、ゼラドなどという独立国家の存在を許してしまったセルヴァのほうであろうよ! ジャガルの連中にしてみれば、西の民に他ならないゼラドの人間と懇意にしているだけなのだからな! 話をややこしくしているのは、ジャガルではなくセルヴァのほうであるのだ!」
そんな風に言いたててから、ドーンはぐりんと俺のほうに向きなおってきた。
「そういえば、アスタよ! おぬしは以前、ゼラドの間諜ではないかという疑いをかけられたそうだな!」
「ええ? そ、そんな話を、どこで耳にされたのですか?」
「傭兵とは、国の情勢に耳をそばだてているものであるのだ! そうでなくては、うかうかと負け戦に身を投じてしまおうからな!」
「ですが、その疑い、晴れています」
シュミラル=リリンがすかさず声をあげると、ドーンはまたダン=ルティムさながらの笑い声を響かせた。
「俺はべつだん、アスタがゼラドの間諜でもかまわんぞ! 俺が相手取るのは、契約した場所における敵方の兵士だけだからな! そういった場で刀を向けられん限り、ゼラドの民だろうがマヒュドラの民だろうが斬り捨てる理由はない!」
「だったらどーして、いきなりそんな話を持ち出したんだよ?」
ルド=ルウがうろんげに反問すると、ドーンは古傷だらけの顔で笑った。
「アスタがずいぶん心配げな面持ちであったので、安心させてやろうと思ったまでだ! もしやアスタは、本当にゼラドの間諜であったのか?」
「い、いえ。ただ俺は、荒事が苦手なもので……そういう戦などの話を聞いていると、不安な心地になってしまうのですよね」
「ふむ? おぬしはそれほど、気概のない人間には見えぬがな」
ドーンは一瞬だけ鋭い眼光になってから、すぐにまた笑み崩れた。
「しかし何にせよ、おぬしは安全なジェノスで暮らしておるのだし、そもそも料理人であるのだから、そのような話で不安がることはない! 荒事は俺たちに任せて、お前は美味い料理を作りあげればいいのだ! 人間には、それぞれ役割というものがあるのだからな!」
「……はい。俺は荒事が苦手ですが、王国の平和を担ってくださっている方々に、もっと感謝しなければならないのでしょうね」
「俺は銅貨のために働いているだけなのだから、感謝など不要だぞ! そうして俺は稼いだ銅貨で、美味い料理を喰らう! そうして世界は回っておるのだ!」
やはり歴戦の傭兵というものは、独特の感性や価値観というものを有しているのだろう。戦争などというものに馴染みのない俺としては、それをどのような心持ちで受け止めればいいのかも判然としなかったが――ただ、ドーン個人に対する思い入れというものは深まったように感じられた。
そうしてドーンがようやく口を閉ざしたとき、それを待ちかまえていたようなタイミングで扉がノックされる。そこで現れたアイ=ファとトゥール=ディンの姿に「おお!」と声を張り上げたのは、やはりドーンであった。
「ようやく来おったな! 今日はまた格段に――ああ、いやいや! これは口をつぐんでおらんと、すぐさまおぬしらの習わしを踏みにじってしまいそうだ!」
アイ=ファは凛然とした眼差しで、ドーンを見返している。そのしなやかな肢体に纏っているのは――ティカトラスに最初に贈られた、真紅の宴衣装に他ならなかった。
かつて肖像画で描かれることになった、あの見事な宴衣装である。アイ=ファはその後、瞳の色にあわせた青色の宴衣装と髪の色にあわせた黄色の宴衣装も授かっていたが、やはりこの真紅の色合いの鮮烈さは格別であった。
様式は、サウティ分家の末妹と同様である。上半身はフィットしていて、下半身は大輪のようにふくらんだ、ジャガルの流行を取り入れているという華やかなドレスだ。それに、アイ=ファの宴衣装は大きく襟ぐりが開かれているため、尋常ならざる艶やかさであったのだった。
もちろんこめかみには透明な花の髪飾りが、胸もとには銀のオプションパーツで彩られた青い石の首飾りが輝いている。腰まで流れる金褐色の髪も綺麗にくしけずられて、それ自体が宴衣装のような美しさであった。
「うわあ、その色の宴衣装はひさびさですね! やっぱり、目を奪われるほどの美しさです!」
そのように声をあげたのは、サウティ分家の末妹だ。この場で遠慮なくアイ=ファの美しさを褒めそやすことがかなうのは、彼女とスフィラ=ザザのみなのである。
アイ=ファは何も語らぬまま、しずしずと俺のほうに近づいてくる。城下町で習い覚えたそういう作法が、アイ=ファをいっそう美しく見せるのだ。そして、ふわりとした長衣の宴衣装を纏ったトゥール=ディンはアイ=ファの陰に隠れながら、首尾よく父親のもとまで辿り着いた。
「これで、かまど仕事を果たしている人間以外はそろったな。アイ=ファよ、屋台の商売も問題なく終えられたのであろうか?」
ジザ=ルウがそのように問いかけると、アイ=ファは「うむ」と首肯した。
「商売もその後も問題は生じず、全員が無事に森辺へと戻った。……しかしどうして、アスタではなく私に問うのだ?」
「これまでは別の話が取り沙汰されており、なかなか屋台の様子まで聞くいとまがなかったのだ。……どのような話に興じていたかは、のちのちアスタに確かめるがいい」
アイ=ファはうろんげに眉をひそめつつ、俺をねめつけてくる。もちろん俺は隠し立てをするつもりもなかったが、これはドーンのいない場で語らうべきであろうと思い、ただ笑顔だけを返すことにした。
「そ、それにしても、アイ=ファはすげえ格好だな。アイ=ファはいつも城下町で、そんな格好をさせられてたのか?」
そのように発言したのは、ドッドである。アイ=ファは口がとがるのをこらえながら、「うむ」と応じた。
「あの王都の貴族ティカトラスが、このような宴衣装をいくつも贈りつけてきたのだ。森辺の装束で過ごすことを許されるお前たちを、心から羨ましく思うぞ」
「はは。俺がゲオル=ザザたちみたいな格好をさせられても、みっともなくなるだけだろうな。アイ=ファなんて、立派なもんじゃねえか。ディガ=ドムが見たら、ひっくり返ってたかもしれねえぞ」
「…………」
「でも俺は、狩人らしいアイ=ファのほうが好ましく思うよ。アイ=ファにそんな格好をされると、落ち着かなくていけねえや」
ドッドは狛犬のような顔に屈託のない笑みを浮かべ、アイ=ファは深々と吐息をついた。
「私にそのような言葉をかけてくれたのは、お前が初めてかもしれんな。お前の誠実なる心に感謝の念を捧げたく思う」
「大仰だな! 誰だってそんな姿を見せられたら、まずは褒めそやしたくなるだろうぜ」
「せっかく感謝の念を捧げたのだから、それを取り下げたくなるような発言は控えるがいい」
アイ=ファはそのように語っていたが、その眼差しは優しかった。きっと、ドッドの言葉が心から嬉しかったのだ。アイ=ファは今でも容姿を賞賛されるより、狩人らしいと称されることを得難く思っているのだった。
(でも俺は、その両方を重んじてるつもりだからな。どうか勘弁してくれよ、アイ=ファ)
俺がそのように考えたとき、またもや扉がノックされた。
次に現れたのは、レイナ=ルウとリミ=ルウだ。ようやく宴料理の準備が整ったらしく、両名ともに宴衣装の姿であった。
「おお、次から次へと大盤振る舞いだな! ……いやいや、俺は何も語らんぞ!」
いちいち大声をあげてしまうドーンであるが、それでもデヴィアスよりは抑制がきいている様子である。まあ、レイナ=ルウもティカトラスから授かった朱色の宴衣装を纏っていたため、これはドーンの自制心を褒めるべきであろう。何かの果実を思わせる色合いをしたその宴衣装もまた、もともと容姿秀麗なレイナ=ルウの美しさをいっそう際立たせていたのだった。
いっぽうリミ=ルウは、トゥール=ディンやスフィラ=ザザと同じくセルヴァ伝統の宴衣装である。どうやらティカトラスから宴衣装を贈られた女衆とそうでない女衆で、二分されているようだ。もちろんリミ=ルウも、何かの妖精を思わせる抜群の可愛らしさであった。
「わーい! アイ=ファはその宴衣装だったんだねー! きれいきれーい! 青いのも黄色いのも好きだけど、その赤いのもリミは大好きだよー!」
リミ=ルウは誰よりも無邪気にそんな言葉を発しながら、元気な子犬のようにアイ=ファのもとまで駆け寄った。相手がリミ=ルウでは素っ気なくあしらうこともできず、アイ=ファは微笑みをこらえているような面持ちで旧友の赤茶けた髪にぽんと手を置く。そういえば、リミ=ルウもじわじわと髪がのびてきているため、それでいっそう華やかさが増しているのかもしれなかった。
ともあれ、祝宴に臨む森辺の同胞も、これでようやく勢ぞろいである。
俺たちは、満を持して祝宴の場に向かうことに相成ったのだった。




