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異世界料理道  作者: EDA
第七十六章 太陽神の復活祭(下)
1312/1695

烈風の会①~闘技場~

2023.2/2 更新分 1/1

『中天の日』を終えたのちも、日々は慌ただしく過ぎていき――あっという間にトトスの早駆け大会が開催されることに相成った。

 トトスの早駆け大会、またの名を『烈風の会』である。昨年、フェルメスの提案によって開催されたこの会も正式名称がつけられて、無事にジェノスの恒例行事と認められたようであった。


 この日は宿場町の賑わいが闘技場のほうに移行されるので、俺たちもそちらで屋台を開くことになる。開会のスケジュールに合わせて営業時間は早まるし、移動時間は長いしで、それなり以上に手間がかかることは否めなかったが、そんな慌ただしさも復活祭の楽しさとして受け止めるべきであるのだろう。実際問題、普段とは異なる場所に出張しての商売というのは、なかなかに刺激的であったのだった。


「では、ラムたち家人をよろしく頼む」


 留守番をお願いしたサリス・ラン=フォウたちフォウの面々に挨拶をして、アイ=ファは荷車を出発させた。アイ=ファが日中から森辺の外に出向くのは、実にひさびさのことである。あれはたしかザザの血族の収穫祭の当日あたりであったから、もう10日以上は経過しているはずであった。


 また、普段よりもずいぶん早い出立であるため、それだけで俺は心持ちが違っている。なんだかんだで合計すると、こちらは二刻ばかりも作業を前倒ししているのだ。ただし、祝日のように夜間の商売を控えているわけではないので、昼の仕事は明日のための下ごしらえのみとなる。なおかつこれから行おうとしている闘技場での商売も営業時間は普段の半分ほどであったので、朝方の下ごしらえも相応に作業量は減じていたのだった。


「でもアスタは、夜の祝宴に招かれてしまっていますものね。宴料理の準備を担うレイナ=ルウほどではないのでしょうが……やっぱり大変な苦労であるように感じられます」


 同じ荷台で揺られていたユン=スドラがそのように言いだしたため、俺は「いやいや」と笑ってみせた。


「少しばかりは気を張る部分もあるけれど、それでも祝宴を楽しむだけの立場だからね。レイナ=ルウとは、比べものにならないさ。ユン=スドラも屋台の商売を終えた後は、ひさびさにゆっくり身を休めておくれよ」


 俺たちは『烈風の会』を最後まで見物していく予定であるし、帰り道は混雑して時間も読みにくいため、明日の下ごしらえに関してはバードゥ=フォウの伴侶をリーダーとするいつもの面々にお願いしているのだ。屋台の当番の人間にとっては、珍しく半日まるまるが骨休みとなるわけであった。


 太陽神の復活祭も、ついに今日を含めて残りは3日間である。折り返しである『中天の日』を過ぎてからは、本当に瞬く間に日が過ぎていった印象であった。明後日にはもう『滅落の日』で、明日はその準備に忙殺されるのだから、今日の時点でフィナーレの横断幕がちらちらと垣間見えているような心地であった。


 しかしそれでも油断なく、しっかりとこの3日間を乗り越えなければならない。

 荷車に同乗したユン=スドラたちも、そういった思いで意欲をみなぎらせているようであった。


「よー、お疲れさん。今日もたいそうな人数だなー」


 ルウの集落に到着すると、ルド=ルウが笑顔で出迎えてくれた。

 そちらにも山ほどの荷車が準備されているが、それとは別にルド=ルウとシュミラル=リリン、ドッドとヴェラの家長がトトスの手綱を握っている。本日の彼らは護衛役ではなく、『烈風の会』の出場者であるのだ。


「俺たちは約束の刻限に遅れねーように、先に出向くことになったよ。アスタたちも、せいぜいしっかりなー」


「うん。ルド=ルウたちも、入賞めざして頑張ってね」


「ま、そいつはトトスと母なる森しだいだなー」


 ルド=ルウを筆頭に、誰も気負った顔はしていない。森辺の民にとってトトスの駆け比べというのは、余興以外の何物でもないのだ。ただしルド=ルウに関しては、この余興を心から楽しんでいる様子であった。


 この4名は、昨年も『烈風の会』に出場した顔ぶれとなる。昨年も本年も主催者の側から、イベントの賑やかし要員として出場を願われていたのだ。森辺の民というのはこの近隣でそれなりに名を馳せているはずなので、ただ出場するだけで評判を呼ぶことができるのだろう。なおかつ昨年にはシュミラル=リリンとルド=ルウが立派な成績を残しているのだから、いっそう注目は高まっているはずであった。


 ちなみにザザとサウティにおいては無条件で昨年と同じ顔ぶれが選ばれていたが、ルウにおいてはまた血族の内部で独自に予選が行われたらしい。ラウ=レイやダン=ルティムなど、トトスに乗ることを好む面々が居揃っているがゆえであろう。そうして希望者の全員で予選を行った上で、また昨年と同じふたりが勝ち残ったという次第であった。


「シュミラル=リリンが出場できて、リーハイムもさぞかしお喜びでしょうね。どうか事故などのないように、お気をつけください」


「はい。安全、配慮しつつ、力、尽くします」


 シュミラル=リリンも、穏やかな表情だ。昨年は伴侶のヴィナ・ルウ=リリンが祝宴の招待客であったため、シュミラル=リリンも同席できるようにと俺もめいっぱいの気持ちで応援していたものであるが、本年にはそういった裏事情も存在しない。俺も平穏なる気持ちでシュミラル=リリンたちの活躍を見守る所存であった。


(とか言いながら、いざそのときになったら手に汗握っちゃうんだろうけどな)


 俺がそんな感慨を噛みしめていると、ひときわ大柄な人影が近づいてきた。本日の護衛隊の取り仕切り役を担う、ディック=ドムである。


「これで全員、そろったのだな。では、力比べに参ずる4名は出立するがいい。こちらが先に出立しては、道をふさぐことになってしまおうからな」


 本日は族長筋の面々も貴賓として招待されているため、ディック=ドムがひさびさに取り仕切り役を担うことになったのだ。

 貴賓のほうはゲオル=ザザとスフィラ=ザザ、ダリ=サウティとサウティ分家の末妹、それにジザ=ルウという顔ぶれで、レイナ=ルウやリミ=ルウは祝宴の宴料理を仕上げたのちに合流する。それとは別に特別枠として、俺とアイ=ファ、トゥール=ディンとゼイ=ディンが、夕刻になってから城下町に出向く手はずになっていた。


 言うまでもなく、俺を招待したのは外交官のフェルメス、トゥール=ディンを招待したのはオディフィアの要望を聞き入れたエウリフィアである。復活祭のさなかにはなかなか城下町の人々とお目見えする機会もないので、俺もトゥール=ディンもこの招待を心からありがたく思っていた。


「じゃ、また後でなー。うちの女衆もよろしく頼むぜー」


「うん。他のみなさんも、どうぞお気をつけて」


 そうして4名の騎手たちに先を譲ってから、俺たちもあらためて出発することになった。

 宿場町に下りたのちは、そのまま主街道を北上する。目指すべき闘技場は、城下町やトゥランの横合いを通り過ぎて、さらに半刻ばかりも行った先に存在するのだ。本日も、10メートルばかりの道幅を持つ主街道は荷車と徒歩で進む人々で長蛇の列ができていた。


「けっきょく今回も、レビたちは宿場町に居残るのですよね?」


 ユン=スドラがそのように問うてきたので、俺は「うん」と応じてみせた。


「さすがにラーメンは、下ごしらえが間に合わないだろうからね。ただ、宿場町に居残る屋台は限られてるから、十分商売になるみたいだよ」


 復活祭を余さず楽しもうとする層は、のきなみ闘技場へと向かうことになる。しかしそれでも闘技場の収容人数はせいぜい2千名ていどであるので、宿場町の領民や滞在客のすべてが足を運ぶわけではないのだ。そうして宿場町に居残る人々を相手に、《キミュスの尻尾亭》やいくつかの宿屋の屋台が商売にいそしむわけであった。


「そっちはそっちで、なかなか楽しそうな雰囲気だよね。慌ただしい復活祭の中休みっていう感じなのかな」


「そうですね。身体がふたつあったならば、どちらも味わってみたく思います。でも、どちらか片方しか味わえないというのなら……やっぱりわたしは、賑やかなほうを選んでしまいますね」


 ユン=スドラはとても誠実で礼儀正しい娘さんであるが、それでもやっぱり熱き血を持つ森辺の民であるのだ。今も穏やかに微笑みながら、仕事の開始をうずうずしながら待ちかまえている様子であった。


 そうして半刻ばかりが経過すると、荷車のスピードが遅くなっていく。闘技場の手前では、衛兵たちによって検問と交通整理がされているのだ。俺も御者台の脇から覗いてみたが、残念ながら顔馴染みの衛兵は見当たらなかった。


(そういえば、ガーデルは具合がよくなったのかな。今日あたり、元気な姿を見られるといいんだけど)


 飛蝗の騒ぎで古傷が悪化したガーデルは、ずっと療養で御者の仕事を休んでいるのだ。それから俺は、ひとたびだけ彼と顔をあわせることになったが――その際も、彼はずいぶん容態が悪化していたようであったのだった。


(ティカトラスが俺を王都に連れ去るんじゃないかって心配して、屋台にまで押しかけてきたんだっけ。なんとかガーデルとも交流を深めて、そういう心配はいらないっていうことをわかってもらいたいよな)


 俺がそんな風に思案している間に、アイ=ファが受付を済ませてギルルの首を巡らせた。街道から、横手の荒野へと踏み入ったのだ。

 そちらの荒野の真っ只中に、巨大な闘技場が鎮座ましましている。そしてその手前は地面が平たくならされて、広大なる広場に仕立てあげられているのだ。

 その広場には、もう尋常でない数の人々がひしめいている。それに、屋台の料理の芳しい香りが風に運ばれてきていた。


 しばらく進むと、俺たちの仕事場が見えてくる。横一列に並べられた、かまど内臓の作業台である。そちらでも、すでに少なからぬ人々が商売を開始していた。

 時刻はいまだ上りの四の刻を少し過ぎたぐらいであるので、昼の食事をするには早いことだろう。しかし、上りの五の刻にはもう予選が始められてしまうため、今の内に小腹を満たしておこうというお客も少なくはないのだ。その後は中天から一刻ほどランチタイムが設定されているが、そのときこそ鉄火場のごとき賑わいが待ちかまえているはずであった。


 俺たちは作業台の裏手に回り込み、粛々と前進していく。顔馴染みである宿屋の人々は、その行き道で挨拶をしてくれた。《キミュスの尻尾亭》や《南の大樹亭》は居残り組であるが、《アロウのつぼみ亭》や《ラムリアのとぐろ亭》、《タントの恵み亭》や《ランドルの長耳亭》、それに《ゼリアのつるぎ亭》など、主だった宿屋の過半数はこちらに出向いてきているようだ。

 さらに進むと働く人間の姿が途絶えて、その先には無人の作業台がずらりと続いていく。その最果てに、ぽつんとひと組だけ料理の支度をしている人影があった。


「あれだな」とつぶやきつつ、アイ=ファはさらに歩を進めていく。闘技場での商売ももう4度目であるはずなので、アイ=ファも手慣れたものであった。


「あー、来た来た! みんな、お疲れさん!」


 そちらで働いていたユーミが、笑顔で手を振ってくる。その手伝いをしているのはビアで、当然のようにジョウ=ランも控えていた。

 ユーミが陣取っているのは西の端から9番目の作業台であり、その向こう側はやはり無人だ。俺たちは青空食堂の存在しないこの場においても木皿を使う料理を売りに出しているため、食器の回収の都合でいつも端のスペースで店を開いているのだった。


「あたしらがアスタたちのそばで屋台を開くのは、こういう日だけになっちゃったもんね! ビアも、嬉しいでしょー?」


「は、はい。嬉しいというよりは、光栄な気持ちですが……何にせよ、失礼のないように取り計らいますので、どうぞよろしくお願いいたします」


 あまり気丈でないビアがぺこぺこと頭を下げると、別の荷車から降り立ったランの女衆がにこやかに笑いかけた。


「今日はビアたちが隣であるのですね! こちらこそ、よろしくお願いいたします! 最後まで無事に仕事をやりとげられるように、おたがい頑張りましょう!」


 ユーミがランの家に滞在している間は、このランの末妹たる女衆がビアとともに《西風亭》の屋台で働いていたのだ。当時はビアが屋台の売り上げをかすめとり、その疑いがランの末妹にかけられるという不幸な事件も起きていたわけであるが――その悪縁を乗り越えることのできたビアは、はにかみながらランの末妹に一礼していた。


 そんなわけで、俺たちも商売の準備である。

 荷台から下ろした鉄鍋や鉄板を作業台に設置して、かまどの内に火を灯す。こちらの作業台は煉瓦造りで造作もしっかりしているので、何も不都合なことはない。そうして俺が料理の準備にいそしんでいると、隣の作業台で働いていたクルア=スンがしみじみとしたつぶやきをもらした。


「闘技会という催しは銀の月の終わりでしたから、もう1年近くが経っているわけですね。ずいぶんひさびさであるような、あっという間のことであったような……とても奇妙な心地です」


「ああ、クルア=スンは屋台で働き始めてからすぐ、ここでの商売も体験することになったんだよね。あれから1年近くも経ってるなんて、確かに驚きだ」


「ええ。あの頃は右も左もわからなくて、ただ戸惑うばかりでした。もちろん今も、戸惑いの気持ちはあるのですけれど……」


 と、クルア=スンは透き通った微笑みをたたえる。邪神教団を討伐するためのジャガル遠征にまで同行した彼女は、あの頃と比較にならないほどの人生経験を積み重ねているはずであった。


 そうして俺たちが準備を進めていると、匂いを嗅ぎつけた人々がわらわらと寄ってくる。これもまた、見慣れた光景だ。しかしほとんど1年ぶりのことであるので、感慨深いことに変わりはなかった。


「やあやあ、お疲れ様。アスタたちも早くからご苦労なことだねぇ」


 と、聞き覚えのある声とともに、細長い顔がにゅっと突き出されてくる。それはカミュア=ヨシュであり、アラウトとサイとザッシュマと、それに本日はひさびさのレイトも連れだっていた。


「これはこれは。みなさんこそ、早いお着きでしたね」


「うん。アラウト殿が、こちらの催しに興味をお持ちだったからね。かくいう俺たちも、トトスの駆け比べは嫌いじゃないからさ」


「ええ。僕はドッド殿らのご活躍を見届けなければなりませんので」


 本日も、アラウトは純真なる笑みをたたえていた。

 ちなみにアラウトも夜の祝賀会に招待されていたが、そちらはつつしんで辞退したらしい。宿場町の領民などが入賞して祝賀会に招かれると、アラウトの正体が露見する恐れが生じるためである。彼はそうまでして、石塀の外における自由な行動を重んじていたのだった。


「レイトも、ひさしぶり。《キミュスの尻尾亭》でときどき姿は見かけていたけど、なかなか言葉を交わす機会はなかったよね」


「ええ。宿の仕事が忙しかったもので。近年のジェノスは年を重ねるごとに、飛躍的に賑わいが増していっているようですね」


 ジェノスに滞在している間は、レイトも古巣である《キミュスの尻尾亭》の仕事を手伝っているのだ。そして昨年も、彼はカミュア=ヨシュによってこの場に引きずり出されていたのだった。


「せっかくだから、俺たちはここで料理の完成を待たせていただこうかな。中天になってからはひどい混雑で、思うように食事を楽しむこともできなくなってしまうからねぇ」


「そうですね。トトスの早駆け大会もジェノスに根付いたようで、何よりです」


「うんうん。復活祭の盛り上がりに、うまく便乗した格好だね。さすが外交官殿は、慧眼だ」


 そう言って、カミュア=ヨシュはチェシャ猫のように微笑んだ。

 その間にも、準備は着々と進められていく。本日の日替わり献立は回鍋肉であったが、木皿は使わずにポイタンの生地にくるむ軽食スタイルだ。とにかくこの場では食器の回収が手間であるため、ひと品だけでも簡略化した次第であった。


 その他は、ユン=スドラが『ギバのケル焼き』、マルフィラ=ナハムが『ギバの玉焼き』、レイ=マトゥアが『ギバ・カレー』というラインナップになる。そうしてカレーが温まるといっそうの芳香が広まって、誘蛾灯のように多くの人々を寄せ集めることになった。


「アスター! こっちもトゥール=ディンも準備できたよー!」


 ルウの担当の作業台から、リミ=ルウがぶんぶんと手を振ってくる。レイナ=ルウは朝からジェノス城の厨に出向いていたが、リミ=ルウだけはこちらの商売と闘技場の試合観戦を終えてから合流する手はずになっていたのだ。


 そうして営業を開始すると、最初はなだらかであった客足が、すみやかに激しいうねりへと変じていく。早々に料理を買いつけたカミュア=ヨシュたちの姿もあっという間に見えなくなり、気づけば俺たちも復活祭らしい賑わいに身をひたすことに相成った。


 回鍋肉は作り置きであるので、ひたすら生地にくるんでは手渡していく。焼き物のように調理のインターバルがないため、なかなかの慌ただしさだ。これは木皿に煮物や汁物をよそうよりもいくぶん手際のよさと沈着さが求められるので、俺の相方は熟練であるラッツの女衆にお願いしていた。

 ただし、この時間帯に料理の作製を受け持つのは、俺の役割だ。俺は押し寄せるお客の圧力に屈することなく、可能な限り手早く見栄えよく料理を仕上げてみせた。途中で見知った人々が訪れてくれても、なかなかしっかりと言葉を交わすいとまもなかった。


 そんな感じに半刻ばかりの時間が過ぎ去って、鉄鍋の回鍋肉が尽きてきた頃――闘技場から太鼓の音色が響きわたり、予選大会の開始が告げられた。

 その場に居残っていたお客たちは大慌てで料理を口に詰め込み、闘技場のほうに駆けだしていく。そうして広大なる広場が無人になり果てていくさまは、何度見ても清々しかった。


「わずか半刻でお客が途絶えるというのは、やっぱり不思議な心地ですね。その短い時間に普段通りの賑わいが詰め込まれているのですから、なおさらです」


 ラッツの女衆は落ち着いた笑顔で、そのように述べたてていた。

 鉄鍋には2、3人前の料理が残されていたので、それは2杯目の鍋に移してしまう。本日は、3杯の鍋が俺たちのノルマであった。


「それじゃあ、俺たちも食事にしましょうか。よかったら、ユーミたちもどうぞ」


「やったー! 実は最初っから、期待してたんだけどさ! 自分らの料理は、すっかり食べ飽きちゃってるからねー!」


 ここから中天までの二刻ばかりは、俺たちも休憩時間なのである。なんなら予選の模様を観戦することもできるのだが、本年もそれを望む人間はいなかった。中天からは今以上の戦いが待ち受けているので、誰もが万全の態勢で臨もうという意気込みであるのだろう。

 そんなわけで、みんなで仲良くランチタイムである。森辺の民も日中はそれほどしっかり食事をする習慣はなかったので、特製のタレに漬け込んでおいた具材を鉄板で焼きあげて、焼きポイタンにくるんで食するのが本日のまかないであった。


 かまど番も護衛役の狩人たちも分けへだてなく、食事を楽しむ。街道から新たに駆けつけた人々もそのまま闘技場に向かってしまうので、こちらには商売の関係者や巡回の衛兵しか居残っていない。これならば、護衛役の面々もひと息つけるはずであった。


「アスタたちも、商売の後は見物していくんでしょ? 森辺のお人らが、みんな勝ち残ってるといいね!」


「そうだね。去年はたしか……4名中の3名が予選を突破できたんだよね」


 予選で落ちてしまったのは、ヴェラの若き家長である。昨年の出場者は100名以上にも及び、その内の半数弱が予選でふるい落とされたのだという話であった。


「去年なんかは予選に勝ち抜くだけで銅貨をもらえたみたいだけど、今回は本選で1回でも勝たないといけないんだってさ。ま、ジェノスだってようやくダレイムが復活したところだし、そうまで蓄えにゆとりはないんだろうねー」


「ふうん。さすがユーミは、くわしいね。そういう情報は、どこから集めてくるのかな?」


「やっぱ、宿のお客連中かなー。この催しも賭博がからんでるから、うちの宿に来るような連中は夢中になるやつが多いんだよ。森辺のお人らは今年も出場するのかって、あたしもさんざん聞かれたなー」


 そんな風に言ってから、ユーミは横合いに視線を転じた。そちらには、ディック=ドムを筆頭とするドム家の面々が集っていたのだ。


「あのドッドってお人が勝ち抜けるといいね! ディガ=ドムなんて、そわそわしちゃうんじゃない?」


「いや。こいつはべつだん、狩人としての力量には関わりのない力比べだからな。ドッドもそうまで、意気込んじゃいなかったよ」


 そう言って、ディガ=ドムは大らかに笑った。


「ただ、最後の8人まで勝ち抜けば、城の祝宴に出向けるからさ。それでまたリフレイアたちに会えたら嬉しいってぐらいの気持ちなんじゃねえのかな」


「うんうん! ドッドが勝ち残れるように、あたしも祈ってるよ!」


 何だかディガ=ドムもすっかりユーミと気安い関係になれたようで、俺としても喜ばしい限りであった。

 そんな具合に、二刻ばかりの時間はゆったりと過ぎ去っていき――俺たちが商売に備えて鉄鍋や鉄板を火にかけたぐらいのタイミングで、立派なトトス車が闘技場の裏手から近づいてきた。


「失礼いたします。そちらの料理を買わせていただけますでしょうか?」


 闘技場で観戦している貴族たちのために、食事の調達をする一団である。これもすっかり定例になっていたので、俺たちもそれに合わせて準備を進めていたのだった。

 今回も、それなり以上の数量を注文される。貴族たちのそばには族長筋の面々も招待されているので、彼らもこれらの料理を食することになるのだ。


 そうしてその一団が退いていくと、今度は闘技場の扉が大きく開かれる。中天に至り、昼休憩の刻限となったのだ。俺たちにとっては、ここからが商売の本選であった。

 朝方とは比較にならない勢いで、お客が押し寄せてくる。昼休憩は一刻しかないし、それに駆け比べの観戦によって授かった熱気が上乗せされているのだろう。また、この場には女性や幼子や老人の姿が少なかったため、それがいっそう荒々しい空気を生み出しているようであった。


 最初の鍋ではラッツの女衆に料理の作製を任せて、俺は銅貨の受け取りを担当する。しかしそれでも、ゆっくり語らう時間が取れないことに変わりはない。建築屋の面々も、アラウトたちの一行も、ベンやカーゴといった友人たちも、二言三言の挨拶を交わすのが精一杯であった。


「デルスはやっぱり、銅貨を賭けたくてうずうずしちまうみたいだなあ。最近は羽振りがいいんだから、ちっとぐらいは遊んでもかまわねえだろうによお」


 そんな風に語っていたのは、ミソの行商人デルスの相棒たるワッズだ。かつて賭け事で身を持ち崩したというデルスは「やかましいわ」と仏頂面で答えつつ、人混みの向こうに消えていった。


 やがて最初の鍋の料理が尽きたならば、2杯目の鍋を火にかける。朝から通算すればこれが3杯目で、最後の鍋だ。ここで初めて、5分ていどのインターバルが生じた。

 そのわずかな時間を使って他の作業場を見回ってみたが、どこにも問題は生じていない。煮物や汁物の料理はほとんど同じタイミングで料理が尽きていたので、焼き物の行列が長くのびるばかりであった。


 そうして鍋が温められたならば、早くもラストスパートだ。

 ここからは、また俺が料理の仕上げを担当する。客足の勢いは増すいっぽうで、これは夜間の商売をも上回る慌ただしさであった。


 やはり営業時間が短ければ短いほど、客足の密度が増すものであるのだろう。それでもこちらの作業スピードには、おのずと限界があるわけであるが――光栄なことに、本日も真っ先に料理を売り尽くしたのは俺たちの作業場であった。


 それからさほど待つこともなく、ルウ家の煮込み料理やモツ鍋や、こちらのカレーも売り切れていく。さらには、ルウ家の香味焼きとこちらのケル焼きも売り切れて、残るはトゥール=ディンの簡易クレープとマルフィラ=ナハムの玉焼きのみとなった頃合いで、太鼓の音色が響きわたった。


 いまだ広場に居残っていた人々は、大慌てで闘技場に向かっていく。

 そして、こちらの作業場にもお客が殺到した。最初の勝負を見逃してでも、腹を満たそうと考えたのだろう。それで簡易クレープが売り切れると、最後のお客もお行儀悪く口を動かしながら闘技場へと駆け出していった。


 何というか、台風一過とでも言いたくなるような様相である。

 おおよそのかまど番たちは、競技を終えたマラソンランナーのごとき面持ちで息をついていた。


「ア、ア、アスタ。2名分だけ、玉焼きが売れ残ってしまいました。ち、力が及ばず、申し訳ありません」


「いやいや。焼き物に関しては、余る見込みで準備していたからね。これは単に、玉焼きが一番急ぎにくい料理だってことなんだと思うよ」


 頭から外したタオルで顔の汗をぬぐいつつ、俺はマルフィラ=ナハムに笑いかけてみせた。


「2名分だけ持ち帰ってもしかたないから、それはこの場で荷車を見張ってくれる方々に食べていただこうか。悪いけど、それを仕上げてくれるかい?」


「は、は、はい。しょ、承知いたしました」


 残るメンバーは、器材の撤収と皿洗いである。しかし、料理が売り切れた段階でそちらの作業は進めていたので、後にはそれほどの仕事も残されていなかった。


「アスタたちは、昨年もこのような騒ぎに身をひたしていたのだな。その尽力に、敬意を表したく思う」


 そのように声をかけてくれたのは、ディック=ドムである。

 そちらに向かって、俺は「いえいえ」と笑顔を送った。


「営業時間は普段の半分なのですから、どうということはありません。この後には、駆け比べの見物というお楽しみもありますからね。もちろんディック=ドムも、見物に出向くのでしょう?」


「うむ。あくまで俺たちは、護衛役だが……血族たるドッドの行いを見届けなければな」


「そういえば、前回はディック=ドムがドッドに付き添っていましたよね」


「うむ。かつて無法者であったドッドをひとりで町に下ろすのははばかられたし、あやつ自身も不安そうにしていたので、俺が付き添うことになった。……このたびは、どちらの面でも心配はなかったからな」


 ディック=ドムはあくまで彫像のごとき無表情であったが、その眼差しは穏やかであった。


 そうして本日の仕事をやりとげた俺たちは、一丸となって闘技場へと向かうことに相成ったのだった。

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