狭間の日々
2023.1/30 更新分 1/1
・今回は全8話の予定です。
『暁の日』を無事に乗り越えた俺たちは、いよいよ本格的に復活祭の渦中に身を投じることに相成った。
『暁の日』の4日後には『中天の日』、その3日後にはトトスの早駆け大会たる『烈風の会』、そしてその2日後には復活祭の締めくくりとなる『滅落の日』――残る9日間で、それだけのイベントが待ちかまえているのだ。
なおかつ、そういう大々的なイベントが存在しない日も、まぎれもなく復活祭の期間内である。『暁の日』の翌日から昼間の屋台を再開させた俺たちは、自らの身でもってその事実を思い知ることになった。
復活祭というものは、『暁の日』を契機としていっそうの盛り上がりを見せるものである。とりわけジェノスというのはこの近隣で類を見ないほど豊かな地であるため、あちこちの領地からもこぞって人が押し寄せるのだ。『暁の日』の夜の屋台が盛況であったならば、翌日からの昼の屋台でもその賑わいが継続されるのが通例となっていた。
なおかつ、これはこちらの事情であるが、森辺の民は夜よりも昼の屋台のほうが長く営業時間を取っている。森辺の民は就寝が早いため、夜の商売はひかえめにしておこうと最初の年に取り決めたのだ。それで、三刻の営業時間である昼の商売に対して、夜の商売の営業時間は二刻とされて、1・5倍もの差が生じるわけであり――それはすなわち、昼の商売では夜と比べて1・5倍の料理が必要になるという事実を示していた。
結果的に俺たちが『暁の日』の翌日に準備したのは、普段よりも13割増しの料理となる。もとより復活祭では普段の倍ほども客足がのびるとされていたが、それよりもさらに3割増しの料理を準備したわけであった。
そして俺たちは『暁の日』を迎えて、その量でもまだ足りないようだという事実を思い知らされることになった。この夜の賑わいが昼にも持ち越されるならば、16割増していどの料理が必要であるという結果に落ち着いてしまったのだ。
その計算が間違っていなかったことは、翌日すぐに判明することになった。13割増しの分量で屋台の商売に臨んだところ、半刻を大きく上回る時間を残して、半数の屋台が品切れとなってしまったのだ。
焼き物および《キミュスの尻尾亭》のラーメンはどうしても合間に調理の時間をはさむため、おおよそ予定通りの刻限まで商売を続けることができた。しかし煮物や汁物のほうは次から次へとお客が押し寄せて、そんなにも早々に売り切れてしまったわけであった。
『暁の日』のミーティングでも語らった通り、これは屋台に携わるかまど番たちのスキルアップが要因となっているのだろう。料理の盛りつけと銅貨のやりとりがスムーズであればあるほど、売り切れの時間が早まるわけである。屋台が混雑するとお客たちも怒涛の勢いで押し寄せてくるため、その勢いがかまど番一同の潜在能力を最大限に引き出してしまった感があった。
実際問題、昼の商売でも客足の勢いというのは恐ろしいものであった。普段のラッシュ時の勢いが開店から閉店まで続くのは当然として、その勢いそのものも平時を大きく上回っているのである。これで大きな失敗もなく、お客と同じ勢いで商売に励めるかまど番一同の底力というやつは賞賛に値するはずであった。
ともあれ、こうまで売れ行きが上昇したならば、こちらも料理の数を増やすしかない。定刻より半刻以上も早い時間に半分の屋台が店じまいするというのは、由々しき事態であるのだ。そうすると、焼き物の屋台に残りのお客が殺到してしまい、長々と並んだあげくに品切れを起こすという危険性も生じてしまうわけであった。
その危険を回避するために、俺は料理の残数とお客の購入予定数を照らし合わせるという作戦を講じて、『暁の日』を乗り越えたわけであるが――そこで異を唱えたのは、ルウの屋台の重鎮たるツヴァイ=ルティムに他ならなかった。
「それで並んでるお客らがこっちに告げるよりも多くの料理を買っちまったら計算が狂って、けっきょく買い逃す人間が出てくるかもしれないじゃないのサ。そんなことになったら、それこそ大変な騒ぎになっちまうんじゃないの?」
彼女は屋台の運営に欠かせぬ存在であったが、屋台の当番そのものは隔日ていどのシフトとなっている。彼女の本領は収支計算であったので、無理に毎日出勤する必要はないのだ。それで『暁の日』も当番から外れていたわけであった。
「でも、何もしないでいたらどんどん行列がのびて、確実に買い逃すお客が出てきちゃうでしょ? だからあたしたちも、何とか対処しなきゃって考えたんだよ」
ララ=ルウがそのように反論すると、ツヴァイ=ルティムは「フン!」と盛大に鼻を鳴らしたものであった。
「こっちが何もしなけりゃあ、料理を買い逃すのはお客の責任サ。でも、こっちがあれこれ世話を焼いて、行列のここまでは料理を買えますヨなんて約束しちまったら、こっちの責任になっちまうじゃないのサ。アンタたちは、余計な責任を背負うために仕事を増やしたようなもんだヨ」
「だったら、何もしないでほっとけっていうの? それでもきっと料理を買い逃したら、文句を言う人間も出てくると思うよ。そうしたら、森辺の民が悪く言われることになるんじゃない?」
「だったら、もっと簡単な方法で料理の残り数を教えてやりゃあいいじゃないのサ」
そこでツヴァイ=ルティムが提案したのは、料理の残数を看板で表示するという作戦であった。10や20や30という切りのいい数字を記した看板をあらかじめ準備して、料理の残数に応じてそれを屋台の屋根に掲げるというアイディアである。
「それでも行列に並んで料理を買い損なったら、そいつはお客の責任でショ? アタシらが、余計な責任を負うことはないんだヨ」
俺は、ララ=ルウと一緒に感心することになった。ツヴァイ=ルティムの立案した方法のほうが労力もリスクも少ないということは、誰の目にも明らかであったのである。
そんなわけで、『暁の日』の翌日から、さっそくその作戦が実施されることに相成った。その日はとりわけ料理の数が足りていなかったため、何らかの対処が必須であったのだ。
結果、その日は何の苦情をいただくこともなく、無事に商売を終えることができた。駄目はもともとの精神で行列に並んだ一部のお客は目の前で料理が売り切れるという憂き目にあって悲嘆の声をあげることになったものの、それは自己責任として俺たちに怒りが向けられることにはならなかったのだ。
ただ、不満の声が一切ないわけではなかった。三刻ばかりは商売を続けられた焼き物およびラーメンの屋台はまだしも、煮物や汁物は品切れが早すぎるという意見をいただくことになったのだ。それを解消するためにも、俺たちは翌日から16割増しの料理を準備する他なかった。
ちなみに早くから品切れを起こすのは、ファもルウも2台ずつの屋台となる。《キミュスの尻尾亭》は三刻めいっぱい商売ができるぐらいのラーメンを準備できるようになっていたし、トゥール=ディンも作り置きの菓子はすみやかに売り切れてしまうものの、現地で仕上げる簡易クレープは焼き物の料理と同じ条件であったのだ。
であれば、ファやルウでもすべての献立を焼き物や麺類にしてしまえば、終業時間を統一させるのと同時に、料理の数を抑えて下ごしらえの労力を軽減させることができる。
あるいは逆に、すべてを煮物や汁物にしてしまえば、これまで以上の売り上げを叩き出すことができる。そうしたら、16割増しどころか20割増しの量が必要になってしまうかもしれないが、下ごしらえの人員さえ確保できれば不可能ではないはずであった。
しかしこれはほとんど協議の必要もなく、却下とされていた。
俺たちの一番の目的は、ギバ料理の素晴らしさを世に広めることであるのだ。煮物や汁物や焼き物の料理を混在させて、彩り豊かな献立を提供するのも、その一環なのである。それを売り上げや労力の軽減のためにくつがえすことなど、俺たちの選択肢には存在しなかったのだった。
もちろん労力に関しては、無尽蔵に消費していいものではない。女衆にも家の仕事というものがあるのだから、それを二の次にして屋台の商売に尽力するわけにはいかないのだ。
しかしまた、森辺のかまど番たちはこの近年でめきめきと力量を上げている。そうだからこそ、家の仕事を二の次にしないまま、16割増しの料理を準備することも可能であろうという段取りを組むことがかなったのだ。仕事の手際がよくなったのは、屋台の当番ばかりではなかったのだった。
そうして『暁の日』の翌日たる紫の月の23日には、屋台の商売の後に16割増しの料理の下ごしらえを済ませるという仕事に挑むことになった。
トゥール=ディンのほうもザザの血族の力を借りて、作り置きの菓子の分量を可能な限り増量しようという意気込みである。また、トゥール=ディンは復活祭の期間内も、3日に1度は城下町のオディフィアに菓子を届けるという大事な役割を継続していた。
そうして迎えた、紫の月の24日――16割増しの料理で屋台の商売に臨んだ俺たちは、何とかかんとか希望通りの結果を残すことができた。その日は献立の内容に関わらず、おおよそ三刻いっぱいは品切れを起こさずに済んだのである。もちろん多少の誤差はあったものの、それもせいぜい5分ていどのものでしかなかった。
なおかつ恐るべきことに、それでも屋台に集まるすべての人々に料理を行き渡らせることはできなかったのだ。さすがに長蛇の列ができることはなかったものの、品切れで料理を買えなかったと残念がる人々が多少ながら存在した。よって、料理の残数を看板で掲示するという作戦は、復活祭が終了するまで継続するしかないようであった。
しかし俺たちも、これ以上の料理を準備して営業時間を延長することは難しい。それこそ、家の仕事を二の次にしない限り、これ以上の労力を割くことは難しかっただろう。残念がるお客たちには、宿屋の屋台村で無念を晴らしてもらう他なかった。
それにしても、こちらが呆れ返りそうになるほどの盛況っぷりである。
俺はその盛況を象徴するようなお客を、ふた組ほど迎えていた。その片方は、かつてバナームにまで遠征する際にお世話になった、ムドナという領地の領主ご一行である。
「このたびは、昨年以上の賑わいでありますな! これもひとえに、森辺の方々がもたらしたギバ料理の恩恵でありましょう!」
ひさびさに再会したムドナの領主は子供のように頬を火照らせながら、そのように言いたてていた。彼は『暁の日』を家族と過ごし、その翌朝にムドナを出立して、昨日の夜をジェノスの宿場町で明かしたとのことである。ご一緒しているのは長旅に耐え得る若めの親族と護衛役の一団で、彼の娘さんなどはアイ=ファが不在であることをたいそう残念がっていたものであった。
そしてもうひと組は、ミソの行商人たるデルスとワッズである。
彼らは『暁の日』にも姿が見えなかったので、本年は地元のコルネリアで復活祭を過ごすつもりなのかと思いきや、このような日取りでジェノスに来訪したわけであった。
「あの王都の貴族からでかい仕事を受け持ってしまったもんで、すっかり出発が遅れてしまったのだ。おかげで『暁の日』は、ひなびた宿場町で迎えることになってしまったぞ」
デルスはにやにやと笑いながら、そんな風に言いたてていた。そういった行状を不満に思っているのか喜んでいるのか、いまひとつ内心は不明である。何にせよ、王都の貴族ティカトラスから受け持った仕事というのは、彼に大きな利益をもたらしたはずであった。
ともあれ――こういった人々が苦労を惜しまずにやってくるからこそ、ジェノスはこのように賑わっているのである。ムドナの領主というのはバナーム城の婚儀に招待されるほどの名士であるので、その親族ご一行が丸一日をかけてジェノスにまでやってくるというのは大層な話であるし、道中で『暁の日』を迎えたというデルスたちもまた然りであった。
斯様にして、祝日ならぬ平日でも、俺たちは多忙な日々を過ごしている。
さらにルウ家の人々は、俺よりも大きな仕事を担っていた。『暁の日』の2日後には、レイナ=ルウがサトゥラス伯爵家の晩餐会で厨を預かるという仕事を請け負っていたのだ。
「まあ、下ごしらえの人手は足りてるけど、それに細かい指示を出すのはレイナ姉の役割だからね。マイムやミケルがいなかったら、さすがに厳しかったかもしれないよ」
ララ=ルウは苦笑しながら、そんな風に言っていた。レイナ=ルウは屋台の商売をこなした後、リミ=ルウを含む5名のかまど番を引き連れて、城下町へと向かったのだ。後に残されるララ=ルウたちも大変であろうが、もちろん一番大きな苦労を背負っているのはレイナ=ルウ当人であるはずであった。
「それにまだ、トトスの早駆け大会の祝賀会ってやつも残されてるからさ。そっちなんかは10人のかまど番で、もっと大がかりだし……よくもまあ、こんな苦労を喜んで背負い込むもんだよ」
「あはは。レイナ=ルウは、そういう依頼を自信にかえてるんだろうからね。これでまた、かまど番として大きく成長するんじゃないのかな」
「アスタも似たような苦労をさんざん背負ってきたから、涼しい顔だね。あたしなんかには、想像もつかない苦労だよ」
「いやいや。レイナ=ルウの留守を預かるララ=ルウだって、大変なはずだよ。他の人たちは、ララ=ルウの真似だってできないと思ってるはずさ」
何にせよ、俺としてはレイナ=ルウの躍進を祝福しつつ、その苦労が正しい形で報われるように願うばかりである。
そうしてさらに翌日の、紫の月の25日――『中天の日』の前日となるその日には、俺もちょっとしたイベントを控えていた。昨年に引き続き、バランのおやっさんのご一家とアルダスをファの家にお迎えすることになったのだ。
まあ、日中は大変な慌ただしさであるものの、日没の一刻前にはすべての仕事が完了する。であれば、どれほど仕事がかさもうとも、この楽しいイベントを取りやめる理由はなかった。幸いなことに、ラムも子犬たちもこの頃にはずいぶん安定した姿を見せていたので、アイ=ファも快くおやっさんたちを迎え入れてくれたわけであった。
◇
「わーっ! これが、犬の子? 可愛い可愛い!」
ファの家の母屋に足を踏み込むなり、そんな風に言いたてたのは、もちろんバラン家の末妹であった。ころんと丸っこい体格をしており、おしゃまで強気な性格であるが、笑うとモルン・ルティム=ドムのように魅力的な娘さんである。子犬のたちの愛くるしさにはしゃぐ際には、その魅力が思うさま発露されていた。
「申し訳ないが、なるべく大きな声は差し控えてもらいたい。今は母たるラムも落ち着いているが、やはりまだまだ騒がしい場では気を立てやすいようであるのだ」
アイ=ファが穏やかな声でたしなめると、末妹は「ごめんなさい」と素直に頭を下げた。しかしその間も瞳をきらきらと輝かせながら、3頭の子犬たちを見つめている。
彼女がそれほど夢中になるのもしかたないぐらい、子犬たちは可愛らしく成長していた。この頃にはまだ生後6日という齢で、目も開いておらず、体毛も実に頼りなげな風情であったが、それでも着実にひとつの生命としての力を育み、もぞもぞと動くだけでたまらない可愛さであったのだった。
「どのような生き物でも、赤子の頃は可愛らしいものだ。そうでなくては、親に見捨てられる恐れもあろうからな」
そんなシビアな感想を申し立てながら、バランのおやっさんも目だけは子犬たちに奪われてしまっている。おやっさんの伴侶や長男の伴侶も末妹に負けないぐらい満面の笑みで、長男と次男はどちらかというと驚嘆の面持ちになっていた。
「しかし、こんなちっこいやつらがいずれ立派な猟犬になるなんて、まったく想像がつかないな。……まあ、それは人間の赤子でも同じことか」
そのように言いたてたのは、アルダスだ。おやっさんは、横目でその大らかな笑顔をにらみつけた。
「お前さんもそろそろ身を固めて、親としての苦労を味わうべきであろうよ。それぐらいの器量は持ち合わせているだろうが?」
「おっと、そいつは言いっこなしだ。所帯なんて、相手がいなけりゃ考えることもできないんだからな」
アルダスは悪戯を見つけられた幼子のような面持ちで、俺のほうに引っ込んできた。こちらでは、すでに晩餐の皿を並べ始めていたのだ。
「おお、こいつは美味そうだ。さ、子犬の見物はそろそろ切り上げて、アスタたちの心尽くしを味わわさせていただこうぜ」
「ふん。せっかくの料理を冷ますわけにはいかんな」
おやっさんもきびすを返すと、末妹たちも名残惜しそうにしながらそれに続いた。
時刻はすでに、日没が近い。おやっさんたちは本日も仕事であったので、このような時間の来訪となったのだ。そして今頃は、さまざまな氏族でも同じように建築屋のご一行を迎えて、楽しいひとときを過ごしていることだろう。今日はネルウィアからやってきた7組のご家族ばかりでなく、西の王国を拠点にしている十数名のメンバーもひとり残らず、どこかしらの氏族の晩餐に招待されているのだった。
「それでは、どうぞお座りください。窮屈だったら、申し訳ありません」
「ふん。押しかけたのはこちらなのだから、文句をつけることはできまいよ」
本日は建築屋の関係者が7名に、森辺の同胞を3名迎えている。晩餐の準備を手伝ってもらったユン=スドラとイーア・フォウ=スドラに、送迎役であるチム=スドラという顔ぶれだ。昨年の復活祭ではディアルやラービスもお招きしていたが、残念ながら本年はスケジュールが合わなかったのだった。
「私も『暁の日』には屋台の裏に控えていたのだが、バランたちに挨拶をするいとまもなかったな。誰もが息災なようで、得難く思っている」
上座のアイ=ファがしかつめらしく挨拶の声をあげると、同じような面持ちをしたおやっさんがそれに応じた。
「この年は、アイ=ファも祝日の夜にしか宿場町に下りていないそうだな。犬の赤子が産まれてせわしない折に押しかけてしまい、申し訳なく思っている」
「いや。赤子たちは健やかに育っているようなので、心配には及ばない。バランたちをファの家に招くことができて、私も嬉しく思っている」
厳粛な表情はそのままに、アイ=ファはやわらかな眼差しで心情をあらわにした。
「ともあれ、晩餐を始めさせていただこう。客人たちは、それぞれの作法に従ってもらいたい」
こちらではアイ=ファが食前の文言を唱え、俺とスドラの面々がそれを復唱した。あがりかまちに控えたブレイブとドゥルムアとジルベは、ひさびさの客人たちを物珍しそうに見守っている。ただ、サチやギルルは普段通りの呑気さですでに丸くなっていた。
そんな中、いざ晩餐の開始である。
明日のための下ごしらえに忙殺された俺たちは、一刻という準備時間でかなう限りの心尽くしを準備していた。
「今日はなるべく屋台では出さないような料理を取りそろえました。お口に合えば幸いです」
「うんうん。こいつなんかは、森辺でしか出されない料理だよな。屋台でも似たような料理はあるけど、俺はこいつの味が忘れられなくってさ」
にこにこと笑うアルダスが取り上げたのは、『ギバ・カツ』である。屋台で出している『ギバの揚げ焼き』はこちらの簡易版として開発したものであるので、やはり食べごたえはずいぶん異なっているはずであった。
そちらと双璧をなす主菜は、ギバ・タンのミソ炒めである。タンも収獲量に限りがあるため、なかなか屋台では扱う機会がないのだ。そちらは長ネギのごときユラル・パやモヤシのごときオンダやパプリカのごときマ・プラと一緒にミソを主体にしたタレで炒めて、森辺の狩人もジャガルの男性陣も満足できるようなボリュームを目指していた。
それらの主菜がどっしりとしているため、主食は白米ならぬプレーンのシャスカである。チャーハンやピラフも人気であるが、やはり日本生まれの俺としてはプレーンのシャスカの魅力も忘れ難かったのだった。
汁物は、トマトのごときタラパを主体にしたモツ鍋だ。屋台で売られるルウ家のモツ鍋はタウ油とミソの2種であったため、そちらとは趣が異なるように洋風の仕上がりであった。
あとは、カブのごときドーラのそぼろあんかけや、レンコンのごときネルッサの煮つけなど、副菜も各種取りそろえている。このあたりは、まだまだ馴染みの薄いメライアの食材を主体にしていた。
「たった1年で、また新しい食材がどっさり増えてるんだもんな! こいつなんかは、あのアラウトっていう坊ちゃんが運んできた食材なんだろう?」
料理だけではなく持参した果実酒もがぶがぶ飲みながら、長男が陽気に言いたてた。『暁の日』の日中に、彼らもアラウトとご縁を結ぶことになったのだ。
「ええ。バナームよりもさらに北方に位置するという、メライアという領地の食材ですね。そちらにも、バナームを通じてジャガルの食材が流通し始めたようですよ」
「それならおたがい、いいこと尽くしだな! あとは、ジャガルの王子様なんてのもやってきたってんだろう? 親父たちまで城下町の祝宴に招かれたとか聞いて、俺たちはすっかりたまげたもんだよ!」
「そうそう。やっぱり父さんたちばっかり、ずるいよねー」
と、ほくほく顔で料理を食していた末妹も、可愛らしく頬をふくらませる。元気な子供たちのおかげで、その場にはすみやかに団欒の気配があふれかえった。
「何がずるいだ。俺たちは仕事でジェノスに出向いていたのに、なんべんも呼び出されることになったのだぞ。それがどれほどの苦労であるか、少しは想像してみるがいい」
「でも、行った先では森辺のお人らの立派な料理を食べられたんでしょ? だったら、嬉しい気持ちが勝つに決まってるじゃん」
「本当だぜ。それに、貴族様が口にするようなお城の料理なんかも味わえたってんだろ? 普通はそんなもん、一生口にする機会もないだろうさ」
「……そんな料理が俺たちの口に合うとは限らんぞ。実際に、突拍子もないものもさんざん食わされていたしな」
「そんな話も、自慢話にしか聞こえねえよ。いいかげん、俺も遠征の面子に組み込んでほしいもんだぜ」
「お前たちは、兄弟でようやく一人前という腕だろうが。まずはどちらかひとりでも安心して留守を任せられるだけの腕を身につけるがいい」
そんな風に応じてから、おやっさんはアルダスをにらみつけた。
「おい。俺にばかり相手をさせるな。お前さんだって、同じ目にあった立場だろうが?」
「家族の騒ぎに巻き込まないでくれよ。俺は食べるのに忙しいんだからさ」
アルダスは朗らかに笑いながら、スドラ家の面々を指し示した。
「それに、せっかくだったら森辺のお人らと語らったらどうだい? 宿場町では、そうそう腰を据えて語らう機会もないんだからさ」
「うむ……」と、おやっさんはチム=スドラに向きなおった。
「……お前さんとは、たびたび顔をあわせているはずだな。なかなか腰を据えて語らう機会はなかったが……しかし、ずいぶんな昔から顔を見ていたように思うぞ」
「うむ。そちらが初めてアスタと縁を結んだ年にも、俺たちは屋台のかまど番を警護する役目を担っていた。スン家の大罪人が行方をくらました際などだ」
「ああ、あの中のひとりであったのか。お前さんは、もともとずいぶん落ち着いていたように見えたものだが……見るたびに、貫禄を増していくようだな」
「俺は若年だが、分家の家長となったのだ。多少なりとも成長できたのなら、得難く思う」
すると、ユン=スドラが笑顔で言葉を添えた。
「分家の家長になったというのは、伴侶を娶って家を分けられたということです。こちらのイーア・フォウが、チムの伴侶であるのですよ」
「へえ、そうだったのか! ずいぶん別嬪な娘さんを――あ、いや、なんでもねえよ!」
長男が、慌てた様子で口をつぐむ。それが森辺の習わしを重んじてのことであるのか、あるいは隣でにっこりと笑っている伴侶の目を気にしてのことであるのかは、いまひとつ判然としなかった。
「でもそれも、ずいぶん昔の話ですね。バランたちが2度目にやってきた頃には、チムたちももう婚儀を挙げていたはずです」
「そうなのか。あちこちで顔をあわせているはずなのに、なかなか頭に入りきらんな。祝いの言葉もかけられずに、申し訳ないことだ」
「いや。俺もイーア・フォウも、そうまで同胞ならぬ相手と縁が深いわけではない。そちらは数多くの相手と縁を深めているのだろうから、覚えきれないのが当然であろう」
チム=スドラは、あくまで沈着だ。すると、おやっさんが感じ入ったように息をついた。
「お前さんは、アスタより若いぐらいの齢なのだろう? そうとは思えぬほどの落ち着きだ。……こちらの坊主の片方にも、どうにか見習ってもらいたいものだな」
「おいおい、坊主よばわりは勘弁してくれよ! 俺だって、立派な伴侶を娶った身なんだからさ!」
「それでどうしてこのように子供じみているのか、まったく腑に落ちんところだな」
そのとき、末妹が「きゃっ」と可愛らしい声をあげた。何事かと思ったら、ジルベが彼女のすぐそばにまで身を寄せて、横から顔を見上げていたのだ。もとよりジルベたちも広間に上げられていたため、これほど客人が多いとどうしても距離が近くなってしまうのだった。
「ごめんね、ジルベはちょっと甘えん坊だからさ。決して悪さはしないから、心配しないでね」
「う、うん。ちょっとびっくりしただけだよ。……大勢で押しかけちゃってごめんね、ジルベ。あんたも早く、伴侶をもらえるといいね」
末妹がおずおずと笑いながら頭を撫でると、ジルベは嬉しそうにふさふさの尻尾を振りたてた。それらの姿に、おやっさんは「ふん」と鼻を鳴らす。
「子犬が育つのを待つまでもなく、すでに手狭であるようだな。これは早急に、家を広げるべきだろう」
「ああ、その話もアスタまかせになっていたな。手数をかけるが、どうかよろしく願いたい」
「銅貨で仕事を依頼しようというのなら、頭を下げる必要はなかろう。ただ……玄関口を広げるなどという不細工な真似はせんぞ。それよりも、横手に犬やトトスのための小屋を建てるべきだろう」
「小屋を? しかしそれは――」
「わかっている。犬やトトスと離れ離れで過ごすのはまかりならんというのだろう? だったらこの家にぴったりと横づけする形で建てて、そこの壁に両開きの扉でもつけてしまえばいいのだ」
そんな風に言いながら、おやっさんは親指で壁の一面を指した。
「後から扉を付け足すなどというのは馬鹿らしい手間だが、小屋の床は地面が剥き出しでかまわんのだろう? それなら、2日やそこらで仕上げられるだろうさ」
「ふむ。その扉さえ開いておけば、同じ家で過ごしているのと変わらぬということだな? ……相分かった。どうか次の緑の月には、よろしく願いたい」
「年も明けてないのに、もう来年の仕事の話か。おやっさんもアイ=ファも、つくづく堅苦しい気性をしてるんだな」
そんな風に揶揄しながら、アルダスは楽しげな笑顔であった。
「まあ、そのときには俺だってめいっぱい働かせてもらうけどさ。今は、復活祭を楽しもうぜ」
「うむ。私はこれでも復活祭の賑わいに身をひたしているつもりであるので、心配には及ばない」
「そうなのかい? アイ=ファは祝日の夜しか宿場町に下りていないんだろう?」
「うむ。きっとファの家に集う者たちが、町の熱気を運んでいるのであろうな。それに何より、私はアスタから復活祭の熱気を感じ取っている」
そのように語りながら、アイ=ファはちらりと俺のほうを見た。
その一瞬に、アイ=ファの真情が込められていたようである。アイ=ファはすでに客人たちのほうに向きなおっていたが、俺は笑顔にならずにはいられなかった。
そうしてその夜は、賑やかながらも平穏に過ぎ去って――俺たちは第二の祝日たる『中天の日』を迎えることになったわけであった。




