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異世界料理道  作者: EDA
第七十五章 太陽神の復活祭(上)
1308/1695

暁の日⑦~黄昏の王の物語~

2023.1/15 更新分 1/1

・今回の更新はここまでです。更新再開まで少々お待ちください。

 宿屋の屋台村で遅めの晩餐を終えた俺たちは、料理をおすそ分けしてくれたルウ家の人々にお礼を申し述べてから、ともに《ギャムレイの一座》の天幕を目指すことに相成った。


 ジバ婆さんの車椅子はルド=ルウが押しており、前側と左右にはジザ=ルウ、シン=ルウ、ディグド=ルウが配置されている。あとはリミ=ルウがターラと手をつないでおり、ドーラ家の長男と次男もジザ=ルウと並んで歩き――さらには、ミダ=ルウとラウ=レイとヤミル=レイも加わっていた。それでこちらの10名まで追従しているのだから、実に長々とした行列になってしまっている。


 ただし、街道にはまだまだたくさんの森辺の民が行き交っていたため、俺たちばかりが目を引くことにはならなかった。黒の月の鎮魂祭においても多数の森辺の民が足を運んでいたものだが、今回はそれ以上の人数であるようだ。それがまた、宿場町に例年以上の熱気をもたらしているのだろうと思われた。


「森辺のみなさん、お疲れ様です」


 と、ふいに横合いから澄んだ声で呼びかけられる。それは傀儡使いのリコであり、仏頂面のベルトンもかたわらに控えていた。


「やあ。そっちも休憩時間かな?」


「はい。《ギャムレイの一座》で目新しい見世物をお披露目するとのことで、ピノにお誘いを受けていたのです。そろそろ頃合いかなと思って、ヴァン=デイロに留守を預かっていただきました」


「目新しい見世物? いったい何だろう?」


「それはわかりません。ただ、わたしに感想をもらいたいという話であったのです」


 そんな風に言いながら、リコは懐から小さな赤い造花を取り出した。これは《ギャムレイの一座》が来訪時にばらまいていたもので、無料の招待券であるのだ。


「何にせよ、あの方々は素晴らしい芸をお持ちですからね。わたしも楽しみでなりません」


 そのように語るリコは、心から楽しそうに笑っている。彼女もすでに何度となく傀儡の劇を公演した後であろうから、そちらの熱気や達成感も上乗せされているのだろう。その分、ベルトンのほうはいつも以上の仏頂面をさらしていた。


 そうして《ギャムレイの一座》の天幕まで辿り着いてみると――そこには、想像を超えるぐらいの行列ができていた。100名ではきかないほどの人垣である。


「うわ、これはけっこうな行列だね。目新しい芸というのは、普段より時間のかかる内容なのかな」


「どうなのでしょう。そのように時間をかけると、実入りが減ってしまうはずなのですが」


 すると、アイ=ファが「いや」と声をあげた。


「入り口の幕は閉ざされて、そこにチルたちが立っている姿が見えた。今は客を入れるのを控えているのではないだろうか?」


「え、チルが? でも、チルの担当はライラノスの手伝いだよな?」


「そちらの小さな天幕も、入り口はふさがれているようであったぞ。何かしらの事情があるのだろうな」


 ともあれ、ここまで来たからには手ぶらで帰ることもできない。俺たちはこちらの見物を『暁の日』の締めくくりとして、森辺に帰る手はずであったのだ。

 そうして俺たちが行列の最後尾につくと、前のほうから伝言が回されてきた。それを俺たちに伝えてくれたのは、アラウトたちと語らっていたヤミル=レイである。


「よくわからないけれど、旅芸人の連中はいっぺんに100人ぐらいの人間を入れながら、時間のかかる芸を見せているそうよ。それでこのような行列になっているということらしいわね」


「へえ。それじゃあ本当に、普段とはまったく違う趣向であるようですね。ますます楽しみになってきました」


「なんでもいいけど、こちらが待ちくたびれる前に始めてほしいものだわ」


 そんな言葉を交わしている間に、やおら列が動き始めた。天幕の入り口が開かれて、お客を入れ始めたのだ。

 後ろを振り返ると、出口のほうからは同じだけの人数が吐き出されてくる。それらの人々はたいそう熱っぽく語らっており、芸の内容に満足しきっている様子であった。


 そうして俺は期待をつのらせながら歩を進めたが、途中で入り口を閉められてしまった。それで行列の先頭になったのは、ジバ婆さんを取り囲んだルウ家の一行である。しばらくすると、その中からリミ=ルウがぶんぶんと手を振ってきた。


「アイ=ファにアスター! ディアたちがおしゃべりしたいってよー!」


 俺たちの前には森辺の同胞しかいないので、横入りと叱られることもないだろう。俺とアイ=ファは他の面々にひと言告げてから、行列の最先端まで歩を進めることになった。

 ぴったりと閉ざされた幕の前で、チル=リムとディアが立ち尽くしている。もちろんどちらも、入念に人相を隠した姿だ。言っては悪いが、あやしげな雰囲気を売りにしている《ギャムレイの一座》には相応しい姿であった。


「アイ=ファにアスタも、ご苦労だったな。四半刻ていどで中に入れるはずなので、それまで待ってもらいたい」


「うん。ディアも仕事を手伝ってるんだね」


「これだけの客が集まったら、ひとり赤銅貨1枚でもとてつもない稼ぎになってしまうからな。無法者に、備えているのだ」


「あはは。そんな赤銅貨の山を持って逃げるのはひと苦労だろうけどね」


 すると、チル=リムも楽しげな声をあげた。


「今日の見世物は、素晴らしいですよ。わたしはずっと、稽古のさまを見物させてもらっていたのですけれど……きっと誰もが心をつかまれるのではないかと思います」


「へえ、それは楽しみだ。見物の後に投げる銅貨も準備しておこう」


 そんな具合に、俺は待ち時間も楽しく過ごすことができた。

 そうして四半刻ていどが経過すると、ついに入り口の幕が開かれる。ずっと歓談にいそしんでいた俺とアイ=ファは、ルウ家の面々と一緒に暗い天幕の内へと足を踏み入れることになった。


「おやおや、見覚えのある顔がそろってるねェ。どうぞ最後まで楽しんでいっておくんなさいなァ」


 天幕に入るなり、軽妙な声に出迎えられる。燭台に照らされるその小さな姿に、俺は思わず目を丸くすることになった。


「ど、どうもお疲れ様です。そちらは、新しい芸の衣装でしょうか?」


「嫌だねェ。そんな野暮は言いっこなしだよォ。さあさァ、ずずいとお進みなさいなァ」


 そのように語るのは、まぎれもなくピノである。しかし彼女は真っ赤に染め上げたフードつきマントで全身を覆い隠し、ただ白い面だけをわずかに覗かせていたのだった。


 そんな常ならぬ姿をしたピノの案内で、俺たちは歩を進めていく。まずは普段通りに内幕で通路が作られていたが――その突き当たりで右手に折れると、その先には広大な空間が待ち受けていた。

 ただし、その場のほとんどは深淵のごとき闇に閉ざされてしまっている。ぽつりぽつりと間遠に燭台が置かれているだけで、奥のほうはどこまでが天幕の内であるのかも判然としないぐらいであった。


「さあさァ、お足もとに気をつけて、端のほうから詰めていっておくんなさいなァ」


 そのまま歩を進めると、腰の高さで張られた縄に行く手をふさがれた。そしてその手前には、縄に沿って敷物が敷かれている。前列の人間はそこに座り、後列の人間は立って見物するというシステムであるようだ。

 先頭であった俺たちは、敷物の端に着席する。車椅子のジバ婆さんは後列となるので、その前側は邪魔にならないようにリミ=ルウとターラがちょこんと座した。


 ピノはひとりで縄の向こう側に身を移し、続々と入場してきた人々に同じ説明を施している。どうやらこの縄は大きな半円の形に張られており、その内側が何らかの舞台になるようであった。

 その縄に沿って50名ぐらいの人間が座し、さらに同数の人間がその背後に立ち並ぶのだ。《ギャムレイの一座》は巨大な天幕の内幕をおおかた取っ払い、このように広大な舞台を作りあげたわけであった。


「本日は、ようこそおいでくださったねェ。これから四半刻ばかり、皆々様にはこの世ならぬあやかしの世界を味わっていただくよォ」


 ピノはそのように語りながら、暗い舞台の中央へと下がっていく。

 その姿が、ふっとかき消えた。それはまるで、夜の闇がピノを呑み込んだかのような唐突さであり――それだけで、見物人の数多くがどよめきをあげることになった。


 そうして世界は、闇と静寂に閉ざされる。

 人々は、ひそめた声で困惑のざわめきをあげ――そこでふいに、流麗なる楽器の音色が響きわたった。

 ちょうど俺たちの正面にあたる舞台の端に、ぼうっと朱色の明かりが灯される。それにぼんやりと照らし出されたのは、ギターのような楽器を爪弾く吟遊詩人ニーヤの姿であった。


「誰の記憶からも消え去った、遠き昔日の物語……この世の果ての、また果てに……暴虐なる王の支配する、黄昏の国が存在いたしました……これなるは、世にも数奇な運命を辿ることに相成った、黄昏の王の物語にてございます……」


 楽器の旋律にのせて、ニーヤの声が響きわたる。メロディがあるようなないような、歌いながら語っているような、吟遊詩人の美しい歌声である。

 そして、舞台の中央に新たな人影が浮かびあがった。玉座と思しき巨大な椅子に座した、子供のように矮躯の人物だ。頭にはぎらぎらと銀色に輝く王冠をかぶって、小さな身体にはずんべんだらりとした長衣を纏い、そしてその顔は――漆黒の闇に塗り潰されている。《ギャムレイの一座》でこのような体格をしているのは、仮面の小男ザンのみであるはずであった。


「人の心を持たない王は、領民を虐げて、すべての富を奪い去り……この世のあらゆる悦楽をむさぼりました……領民は、王の滅びを天に祈りましたが……それを聞き届けたのは、神ならぬ魔性の存在でございました……」


 玉座の背後に、ぼうっと明かりが灯された。

 そこで蠢く異形の影に、俺は思わず背筋を震わせてしまう。うねうねと踊る骸骨のような影に、獣の四肢を持つケンタウロスのような影、優美な曲線を描く女の影、巨大なゴリラのような影――それらが、あまりに不気味であったのだ。見物人の何人かは、こらえかねたように驚愕の声をあげてしまっていた。


「魔物たちは、王のたったひとりの娘である美しき王女をかどわかしました……人の心を持たない王にとって、その王女こそが唯一の愛すべき存在であったのです……」


 ニーヤとは反対側の端に、その王女の姿が浮かびあがる。

 白銀の長い髪で、真っ白な肌をした、月の精霊のようにはかなげで美しい姿だ。髪の長さや色は異なっていたが、それは双子のアルンかアミンのどちらかに違いなかった。

 そしてすぐさま、巨大な人影がそちらに覆いかぶさって王女の姿を消し去ってしまう。その演出にも、悲鳴まじりの声があげられた。


(すごいな……去年の復活祭で見せられた演劇よりも、迫力があるみたいだ)


 俺は昨年、城下町で『聖アレシュの苦難』という演劇を見せつけられたのだ。あれもまた、素晴らしい完成度であったように思うが――こちらの《ギャムレイの一座》の演劇は、暗闇という舞台装置によってそれ以上の迫力や臨場感といったものが加えられているようであった。


 それにやっぱり、ニーヤの歌声が素晴らしい。普段はへらへらしている彼であるが、吟遊詩人としての才覚は並々ならぬものであるのだ。その歌声は女性のように優美でありながら、このように広大な舞台でも力強く響きわたり、見物客の心をつかんで離さなかったのだった。


 そうして、物語は進行していく。

 悲嘆に暮れた王は愛する娘を取り戻すべく、腕に覚えのある人間を領地から募ろうとする。しかし、王を憎む領民たちは聞く耳を持とうとしない。すると王は思いあまって、王女を救った人間に玉座を受け渡すと布告した。

 それで名乗りをあげたのは、余所の地から流れてきた流浪の剣士である。総身に甲冑を纏ったその剣士を演じるのは、もちろん剣王たるロロであった。


 ただし剣士は、ひとつの条件をつけた。魔物を討伐して王女を救い出す旅に、王も同行せよと言い出したのだ。王は激しく拒絶したが、最後には王女を案ずる気持ちがまさって、剣士とふたりきりで黄昏の王国を出立することになってしまった。


 王女は、魔物の巣食う山にとらわれている。王と剣士がそちらに乗り込むと、最初に現れたのは壺の精霊――壺男のディロであった。


「わたくしも、魔物の端くれでございますが……魔王の暴虐には、ほとほと愛想が尽きたのです。同じ暴虐なる王であれば、まだしも人間のほうが救いもありましょう……」


 そんな台詞も、ディロ本人ではなくニーヤの歌声で語られた。

 ちなみにディロは、小さな壺におさまった姿である。さかさまの壺から10本の指だけが生えのびて、虫のようにわさわさと移動するのだ。《ギャムレイの一座》の天幕に1度でも足を運んでいれば、ディロの芸も先刻承知のはずであったが――やっぱり一部の見物客たちは、その不気味さに悲鳴まじりの声をあげていた。


 壺の精霊を案内人とした一行は、あらためて魔物の山に足を踏み入れる。

 次に登場したのは、ヴァムダの黒猿である。こちらもまた《ギャムレイの一座》ではお馴染みの存在であったが、彼はそのゴリラのごとき巨躯に兜や胸あてや篭手などを纏い、巨大な戦斧を振り回していた。そうしてパントマイムの名手たるロロとはちゃめちゃなバトルを繰り広げたものだから、人々はこぞって喝采をあげることになった。


 それを何とか討ち倒したならば、次なる敵は半人半獣の怪物だ。獣の四肢と胴体に、不気味な仮面をかぶった人間の上半身が生えているという、全身毛皮のケンタウロスめいた姿である。おそらくは、灰褐色の毛皮を纏った何者かが銀獅子ヒューイの背中にまたがり、その装束の裾でヒューイの顔を隠しているのだろう。そんな想像は簡単につくのだが、何せ明かりの乏しい舞台であるため、遠目には本物の怪物が暴れているかのようであった。


(これは、誰だろう。もしかしたら、獣使いのシャントゥ本人なのかな。だとしたら、ご老体なのに大変な労力だ)


 怪物の姿は不気味であるし、その暴れっぷりも恐ろしいばかりであったが、それと戦う剣士のほうがコミカルな動きであるために、見物人たちも存分にはやし立てている。それに、その戦いから逃げ惑う王や壺の精霊の姿もユーモラスで、大いに笑いをさそっていた。


 それで次に現れたのは、笛の音で2頭の砂蜥蜴を操る魔女である。

 その配役は、もちろんナチャラだ。横笛を構えた彼女は普段以上に露出の多い衣装で、こちらは男性陣から歓声や口笛を浴びていた。

 ただし、砂蜥蜴との殺陣は見事なものである。彼らは恐るべき敏捷さで地を這い、時には跳躍し、2頭がかりで剣士を苦しめた。おそらくは笛の音にまぎれてシャントゥが合図を送っているのだろうが、本当にナチャラの命令で動いているかのようだ。俺としては、コモドオオトカゲのごとき爬虫類をも自在に操るシャントゥの手腕に拍手を送りたいところであった。


 砂蜥蜴の1頭が壺をくわえて持ち去ろうとすると、壺の精霊が指先だけで大慌てのジェスチャーをして、また人々を笑わせる。見物客には幼子も少なくはないので、不気味さと痛快さの調和を目指しているのだろう。このあたりの展開は、どちらかといえば喜劇めいていた。


 そうして砂蜥蜴の猛攻をかいくぐった剣士が魔女を切り捨てると、今度は舞台の高い位置に照明が灯された。

 そちらに目をやった俺は、何度目かの息を呑む。3メートルはあろうかという高みの暗がりで、白装束の王女が黒い妖しい存在に纏わりつかれていたのだ。


 その存在こそが、ピノであった。

 ただし、あらわになっているのは、その白い面だけである。彼女は膝まで届く長い髪をざんばらに垂らしており、首から下も黒装束で隠しているらしく――まるで、闇から顔だけが生えているような様相であった。


 その黒髪が、触手のように王女の身を拘束している。ピノはただにんまりと微笑んでいるだけであるのだが、もとより彼女は日本人形を思わせる妖艶な美貌であるため、これまでに登場したどのキャストよりも本物の怪物じみていた。純朴なる幼子などは悪夢でうなされはしないかと心配になるほどである。


「我こそは、魔なる存在を支配する闇の王なり……」と、ニーヤの歌声がそのように伝える。

 そして、4体もの怪物が剣士たちに躍りかかった。人面を模した仮面をかぶったガージェの豹サラと、その子たるドルイ、および巨大なるギバ――そして、小さな猿のごとき毛皮の塊である。


 それらの4体も、闇の王に負けない不気味さであった。とにかくその仮面が精巧すぎて、本物の人間の顔がひっついているような有り様であったのだ。ギバなどはその突き出た鼻づらの上に仮面をかぶせられているだけであるのだが、その不気味さはサラやドルイをも凌駕していた。


 それに、最後の1体である、黒い毛むくじゃらの存在だ。

 これは、人獣の子という異名を持つゼッタに違いない。普段はフードつきマントでその身を隠すか、あるいは暗がりにひそんでいる彼が、黒い毛皮に包まれた肉体をあらわにしており――そして顔には、のっぺりとしたデスマスクのようなものをかぶっているのである。彼はまぎれもなく人間であるはずなのに、その身が獣毛に覆われていて、そして現在は人の仮面をかぶせられているという、その錯綜したシチュエーションが俺をおののかせてやまなかった。


 ともあれ、舞台上は大変な騒ぎである。4体の怪物は縦横無尽に暴れ回り、剣士はへっぴり腰でそれを迎え撃ち、矮躯の王と壺の精霊はなすすべもなく逃げ惑う。戦いの迫力は猛烈であるし、頭上のピノは悪夢のように不気味であるし、それでいてユーモラスな演出も忘れられていないし――とにかくもう、見ている人間の情緒をしっちゃかめっちゃかにしてやろうという狂乱の極みであった。


 獣の爪でなぎ倒され、蹴り飛ばされ、体当たりで吹っ飛ばされながら、それでも剣士は1体ずつ魔物を仕留めていく。どう考えても、この演劇でもっとも大きくカロリーを消費しているのはロロだろう。明日彼女が屋台にやってきたら、俺はこっそり料理をおごってあげたいぐらいであった。


 そうして最後にギバの魔物をも斬り伏せた剣士は、暗い天空へと駆けあがり、王女にからみついた闇の王の白い面に刃を走らせる。

 とたんに、ドロドロドロ……という太鼓の音が鳴らされて、白い面は闇の向こうに消え去った。ニーヤの歌声と楽器の他に、初めて音声が鳴らされたのだ。それは魔物の王の最期に相応しい演出であるように思われた。


 がくりとくずおれそうになる王女の身を抱きかかえ、剣士はひょこひょこと地上に舞い戻る。

 そうして王女が地面に横たえられると、王は歓喜してその身に取りすがったが――とたんに、王女の白い手が王の咽喉もとにのばされた。

 矮躯をのけぞらせた王は、折れ曲がった指先で虚空をかきむしる。王女は人形のような無表情で、王の首を絞め続けた。


「魔物は虚言で、人をたぶらかします……先刻の魔物は闇の王にあらず、ちっぽけな使い魔にすぎなかったのです……」


 ニーヤの歌声に従って、また新たな場所に照明が灯された。

 そこに現れたのは、ふたつの人影――不気味な仮面をかぶった隻腕の男と、白装束の王女である。そちらの王女もぼんやりと夢見るような眼差しで、自分と同じ姿をした存在が父たる王の首を絞めているさまを他人事のように眺めていた。


 剣士は慌てふためいて、偽物の王女の背中に長剣を突き立てた。

 すると、仮面の男が隻腕を旋回し――その動きに従って、真紅の炎が渦巻いた。

 炎は竜のように飛来して、剣士の周囲をぐるりと一周してから、消え失せる。このいきなりの演出に、見物客たちはまぎれもなく悲鳴をあげることに相成った。


 炎の攻撃をくらった剣士は、棒のように倒れ込む。

 瀕死の王がその肩を揺さぶっても、壺の精霊が胸の上に乗っかっても、剣士が再び立ち上がることはなかった。


「あなたが、魔王を討ち倒すのです……そのように言い残して、剣士は魂を返しました……」


 惑乱する王のもとに、炎の攻撃が仕掛けられる。青い炎に、緑の炎――それらの炎が渦を巻き、時には翼を広げる蝶や鳥の形を取って、王に死のダンスを踊らせた。


 王は決死の覚悟を固めて、地面に投げ出されていた長剣をつかみ取る。

 そこに炎の濁流が襲いかかると、王は別人のように鋭い挙動でそれを斬り伏せた。その見事な手際に、見物人たちが歓声をほとばしらせる。


 ザンの本職は刀子投げであるし、そのひらひらとした装束の下には丸太のごとき両腕が隠されているのだ。そうして彼はさきほどのゼッタにも負けない勢いで疾駆すると、炎の壁を斬撃で退け、隻腕の魔物を一刀のもとに斬り伏せてみせた。


「今度こそ、魔王を討ち倒した……それに、玉座を譲ると約束した剣士は、あのざまだ……我々は、再び愚かな領民どもを支配してやるのだ……王は、そのように告げました……」


 長剣を掲げた矮躯の王が、愛する娘の肩を抱こうとする。

 しかし王女はぼんやりとした無表情のまま、するりとその腕から逃げた。


「いいえ、わたくしは魔王の伴侶となるのです……王女は、そのように応じました……」


 巨大な人影が、王女のかたわらに進み出る。

 黒猿よりも巨大な、筋骨隆々の大男である。そしてその顔は、巨大な角を生やしたギャマのそれであった。

 王は長剣を取り落とし、地面にへたり込む。ギャマの顔をした魔王はそれを一顧だにせず、逞しい腕で王女の小さな身を肩の上に担ぎあげた。


「お父様は、どうされますか……? 人の世に帰るも、魔なる世界におもむくも、すべてはお父様しだいです……王女は、そのように告げました……」


 魔王が地面に手を差し伸べると、壺の精霊が10本の指を使って逆側の肩まで這いのぼった。


「人の王よ、あなたはどうされますか……? 壺の精霊は、そのように告げました……」


 すると、横たわっていた剣士がぴょこりと半身を起こした。


「人の王よ、あなたはどうされますか……? 剣士の姿をした亡霊は、そのように告げました……」


 矮躯の王は、へたり込んだまま頭を抱え込む。

 すると暗がりの向こうから、これまでに討ち倒してきた魔物たちがぞろぞろと姿を現した。

 甲冑姿の黒猿――半人半獣の怪物――2頭の砂蜥蜴と、笛吹きの魔女――闇に浮かぶ白い面――4体の、人の顔をした怪物たち――王女とそっくりの姿をしたドッペルゲンガー――炎をあやつる、隻腕の魔物――それらが王を揶揄するように、輪を作って踊り始めた。


「さあさあ、魔王の婚儀です……娘の嫁入りを祝福したいなら、あなたのすべてをお捧げなさい……それが嫌なら、人の世にお帰りなさい……すべては、あなたしだいです……」


 隻腕の魔物が、花びらのように火の粉を撒き散らす。

 それに妖しく照らされながら、魔物の一行は魔王と花嫁を先頭にして練り歩き始めた。

 それらの姿が、ひとつずつ闇に消えていく。

 その間に、王女が再び父へと語りかけた。


「お父様……あなたは人の世において、もっとも暴虐な存在です……ですが魔物の世においては、もっともちっぽけな存在です……もっとも暴虐な存在として君臨するか、もっともちっぽけな存在として地を這いずるか……すべては、お父様しだいです……」


 そんな言葉を最後に、魔王と花嫁の姿も消え去ろうとすると――王はほとんど四つん這いで、獣のようにそれを追いかけた。


 すべての存在が消え失せて、ただニーヤの歌声だけが響きわたる。


「王と王女は闇に消え、黄昏の王国は深い深い夜を迎えました……次にはどのような朝を迎えるのか……それを知るのは、この夜を乗り越えた人間ばかりでございます……」


 そうしてニーヤの姿と歌声までもが、闇の中に溶け込もうとした瞬間――四方八方から、火の手があげられた。

 驚嘆の声をあげる見物人たちの前に、魔物たちの饗宴のさまがさらされる。小男の王と大男の魔王は太鼓を叩き、王女とそのドッペルゲンガーは金属の鳴り物を鳴らしながら優美な舞を見せ、2体の妖艶なる魔女は横笛を吹き鳴らした。兜をかぶった黒猿と剣士を背中に乗せたギバはその周囲をぐるぐると走り回り、壺の精霊は10本の指ではしゃぐように飛び跳ねていた。


 そしてこちらには、仮面やかぶりものを外した3頭の獣たち――ヒューイとサラとドルイが草籠をくわえてのそのそと近づいてくる。リミ=ルウやターラは歓声をあげながら、そちらに銅貨を投じた。


「今宵は斯様な場にお越しいただき、まことにありがとうございました。座員一同、またのお越しをお待ちしております」


 奇怪な仮面をかぶったギャムレイが芝居がかった口上を述べながら、さらに新たな火花を咲かせる。ニーヤは笑顔で、ギターのような楽器をかき鳴らしていた。


 見物客たちは歓声をあげながら、次から次へと銅貨を投じる。もちろん俺も、準備していた銅貨でそれにならうことにした。


 なんだか俺は、長い夢でも見ていたような心地である。

 そして今は、夢とうつつのはざまに立たされているような心地だ。ギャムレイのおかげでこれまでよりは明々と世界が照らし出されており、魔物の扮装もそれほど精巧なつくりでないことがあらわにされていたのだが――それでも何となく、ザンとドガが並んで太鼓を叩き、アルンとアミンが優美な舞を見せている姿などが、胸に迫ってならなかったのだった。


「すごい芸でしたね! 筋書きなんかは、あちこちの御伽噺をつなぎあわせたような感じでしたけれど……みなさんの素晴らしい芸が、物語に血肉を与えていたように思います!」


 リコなどは、満面の笑みでそのように言いたてていた。アラウトやサイは感心しきった面持ちで手を打ち鳴らしているし、カミュア=ヨシュやザッシュマは笑顔で声援を送っている。身体が大きいので敷物に座らされたミダ=ルウも、車椅子に座したジバ婆さんも、みんな満足げな面持ちであり――もちろん俺も、同様の心地である。

 しかし俺のかたわらでは、アイ=ファが苦笑をこらえているような面持ちになっていた。


「アイ=ファはあんまり、お気に召さなかったのかな?」


「うむ? いや……決してそういうわけではないのだが……おそらく森辺の狩人たちは、のきなみ私と同じような心地であろうな」


 そう言って、アイ=ファは軽く前髪をかきあげた。


「実のところ、あのていどの明かりがあれば、我々には闇の向こうが見えてしまうのだ。だから、まあ……あやつらが隠したいと願っている姿も、おおよそ見通せてしまえるわけだな」


「そうなのか。それじゃあ、ちょっと……さすがに、興ざめなんだろうな」


「うむ。しかし、愉快でないことはなかったぞ」


 そんな風に言いながら、アイ=ファはくすりと笑い声をこぼした。


「何にせよ、ギャムレイたちはこのように多くの者たちの心を満たしてみせたのだ。復活祭のさなかで仕事に励み、人々に喜びの気持ちをもたらそうとするその行いは、屋台の商売に励むかまど番たちと同じように得難いものであろうと思う」


「うん。俺たちもギャムレイに負けないぐらい、復活祭を盛り上げたいと願っているよ」


 俺がそのように答えると、アイ=ファは人目をはばかることも忘れたように優しく微笑んだ。

 ともあれ――《ギャムレイの一座》の見事な芸を見届けたことで、俺はいっそう復活祭がやってきたという実感を得られたようである。あとはこの喜びを噛みしめながら、残る日々を駆け抜ける所存であった。


 本日は、紫の月の22日。太陽神の復活祭は、まだまだ9日間も残されているのだ。

 明日からは、どれほどの昂揚と騒乱が待ち受けているのか。それを想像しただけで、俺の心はギャムレイのもたらす火花のように豪奢な輝きで満たされるのだった。

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― 新着の感想 ―
[一言] そりゃ狩人達は夜目が効くわなぁ そうじゃなきゃ、命がいくらあっても足りない…
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