暁の日④~夜の到来~
2023.1/12 更新分 1/1
それから俺たちは、予定よりもずいぶん早い時間に下ごしらえを終えることになった。
もともと予定していた作業の終了時間は、下りの四の刻の半となる。それよりも四半刻以上のゆとりを残して、出発の準備が整ってしまったわけであった。
かまど小屋ではまだ大勢の女衆が働いているが、それは明日のための下ごしらえを受け持つ面々だ。そちらの作業の終了時間は下りの五の刻を予定していたが、こちらが早く終了したのと同じだけ、前倒しで終えることになるだろう。もちろんそれでも手伝い賃に変更はないので、大いに励んでもらいたいところだが――ともあれ、こうまで早々に支度を終えられるというのは想定外の事態であった。
これはいったいどうしたものかと思案していると、2台の荷車が広場に踏み入ってくる。ザザの血族が手綱を握る、ディンの荷車だ。そちらから顔を出したトゥール=ディンが、おずおずと笑いかけてきた。
「こちらは準備が整いましたので、アスタの様子をうかがいに来たのですが……どうやらそちらも、同じ状況であったようですね」
「うん。それじゃあ、とりあえずルウの集落まで出向こうか。あちらの準備がまだだったら、そこで待たせていただこう」
そんな風に語りながら、俺はかたわらの人々を振り返った。サリス・ラン=フォウとアイム=フォウ、年配の男女と3名の幼子たち――これからファの家の留守を預かってくれる、フォウの人々である。さすがにサリス・ラン=フォウとアイム=フォウだけでは物寂しいので、もともと家に居残る予定であった人々がファの家に集ったのだ。俺とアイ=ファの帰りは遅いので、彼らはそのままファの家の広間で夜を明かす手はずになっていた。
「ちょっと予定よりも早いのですが、このまま出立させてもらってもかまわないでしょうか?」
「ええ、もちろんです。どうか仕事に励みつつ、復活祭を楽しんできてください」
笑顔のサリス・ラン=フォウらに見送られて、俺たちは荷車に乗り込んだ。手綱を預かるのは、ひさびさのアイ=ファである。
そうして俺たちが、ルウの集落まで出向いてみると――そちらでも、すでに3台の荷車がスタンバイしていた。
「あれ? アスタたちも、もう準備できたの? こっちもちょうど今、荷物を積み終えたところだよ!」
ララ=ルウが、力強い面持ちで笑いかけてくる。そのかたわらでは、レイナ=ルウもきりりとした面持ちでたたずんでいた。
「アスタ、お疲れ様です。やはり誰もが、ゆとりをもって仕事を終えられるように手配していたようですね」
「うん。それで本当にゆとりをもって終えられるというのは、大したもんだね」
「これだったら、次の祝日にはもっとたくさんの料理を準備できるかもね! まあ、それが必要かどうかは、今日の客足しだいだけどさ!」
何にせよ、すべての準備が整ったのなら、森辺に留まっている甲斐はない。俺たちは予定よりも四半刻ほど早く、宿場町を目指すことになった。
「あら、お疲れ様です。もう約束の刻限になってしまったでしょうか?」
《キミュスの尻尾亭》に到着すると、テリア=マスがびっくりまなこで出迎えてくれた。まだ日没までには一刻半ぐらいの時間を残していたが、こちらの食堂もすでに大盛況であるようだ。
「予定よりも早く準備が済んだので、とりあえず町に下りることにしました。レビたちは、やっぱりまだ支度の最中でしょうか?」
「そうですね。今日はこれまで以上の量を準備していましたので……ちょっと様子をうかがってきますので、少々お待ちくださいね」
厨に踏み入ったテリア=マスは、わずかな時間で舞い戻ってきた。
「もう四半刻もしない内に、下ごしらえは終わるそうです。よければ先に準備を進めてほしいとのことでした」
「そうですか。でもそうすると、レビたちが到着する頃にはこちらの準備が整ってしまいそうですね」
「それでかまわないと、レビは言っています。アスタたちが商売を始める頃合いにレビたちの姿さえ見せておけば、らーめんの屋台を期待するお客様が文句をつけることもないだろう、と」
そういうことならば、レビたちの判断に甘えることにした。
俺たちは6台の屋台をレンタルして、露店区域を目指す。残りの2台は、《南の大樹亭》で調達だ。薄暮に包まれた往来は、すでに祝祭の夜を楽しもうという人々であふれかえっていた。
そしてその中には、すでに森辺の民も入り混じっている。屋台の商売とは関係なく、祝祭の見物におもむいてきた人々である。こんな光景が当たり前になったのも、この近年になってからのことであった。
露店区域に差し掛かると、宿屋の屋台村もすでにいくつかが商売を始めている。宵の口と深夜のどちらに照準を絞るかは、宿屋それぞれで方針が異なっているのだろう。ただユーミいわく、森辺の民の屋台は比較的早めに店じまいをするので、それ以降の時間帯を狙う宿屋が過半数であるとのことであった。
さらに歩を進めると、今度はリコたちが傀儡の劇をお披露目しているさまがうかがえる。彼女たちも数日前から露店区域の場所を借りて、定期的に公演を行っていたのだ。今はどういった演目を見せているのか、大層な人数が舞台の前にひしめいていた。
そんな賑わいの中をくぐりぬけて、ようやく露店区域の北の端に到着だ。
青空食堂はずっと開放していたので、そちらに集っていた人々が歓声や口笛で出迎えてくれる。それがひとまず静まるのを待ってから、ララ=ルウが声を張り上げた。
「みんなも、お疲れ様! それじゃあ商売を開始する前に掃除をするから、いったん外に出てね! 忘れ物をしないように、気をつけて!」
おおよその人々は屋台の料理を待ち受けていたのだろうから、文句を言うこともなく腰を上げる。果実酒の飲みすぎで寝入ってしまっていた人々なども、こちらの手をわずらわせる前に周囲の人々が荒っぽく起こしてくれたようだった。
「それじゃあ、座席と敷物の掃除に取り掛かるよ! もし忘れ物とかがあったら、こっちの草籠にね!」
ララ=ルウの指示で、青空食堂の当番とザザの血族の女衆が清掃作業を開始する。祝日の夜はララ=ルウとレイナ=ルウの両方が出張っているが、やはり料理にまつわる案件以外はララ=ルウが中心となって取り仕切られるようであった。
それを頼もしく思いながら、俺も屋台の準備を進めていく。俺の本日の相方は、もっとも新参であるフォウの女衆であった。
「あの、本当にわたしなどがアスタの手伝いでよろしいのでしょうか?」
「もちろんさ。復活祭は尻上がりに客足が増えていくものだから、むしろ初日に屋台の賑わいを体験してもらおうと思ったんだよ」
笑いながら、俺はそのように説明してみせた。
「お客の数は多いけど、作業の内容に変わりはないからさ。営業時間だって、昼より短いぐらいなんだからね。いざとなったら食堂の当番と交代することもできるから、思い詰めずに頑張っておくれよ」
「わかりました。どうかよろしくお願いします」
フォウの女衆はいくぶん緊張しながらも、力のある眼差しをしている。それと普段の働きぶりもあわせて、俺は彼女の力量に信頼を置いていたのだった。
本日、俺たちが担当するのは、具だくさんの煮込み料理だ。タウ油や魚醤、花蜜やニャッタの蒸留酒などを使った和風の味付けで、山椒のごときココリでアクセントをつけている。ギバは脂のゆたかなバラ肉で、他の具材はタマネギのごときアリア、ピーマンのごときプラ、ニンジンのごときネェノン、サトイモのごときマ・ギーゴ、レンコンのごときネルッサ、そしてシイタケモドキというラインナップだ。それらの土台を支えているのは、トビウオのごときアネイラの出汁であった。
なお、ユン=スドラには『ギバ骨ラーメン』、レイ=マトゥアには『ギバの玉焼き』、マルフィラ=ナハムには『海鮮ギバカレー』の屋台を担当してもらっている。協議の末、手間のかかる『ギバ骨ラーメン』はファの家が受け持つことになったのだ。それをあえて《キミュスの尻尾亭》の屋台の隣に配置したのは、去年と同じようにラーメンの食べ比べをしてもらいたいという思惑があってのことであった。
そうしてこちらの準備が着々と進んで、ついに営業開始かというタイミングで、ようやくレビたちが姿を現す。すでに大汗をかいているレビは、気合のこもった面持ちで笑いかけてきた。
「待たせちまって、すまないな。こっちもすぐに準備を整えるから、遠慮なく始めちまってくれ」
ユン=スドラの屋台ごしに、俺は「了解」と答えてみせる。
そしてレイナ=ルウのほうからも、スタンバイOKの合図が送られてきた。
時刻はいまだ、下りの五の刻の四半刻前ぐらいだろう。もともと俺たちは、日没である下りの六の刻の前後一刻ずつを営業時間と定めていたのだった。
ただし本日は、半刻ぐらい終業時間が遅れる覚悟で大量の料理を準備してきている。客足が悪ければ、さらに終業時間は遅くずれこむ可能性もあったが――往来の賑わいを見る限り、その心配はないようであった。
まだまだ日没までには時間があるため、街道には照明の準備もされていない。しかし往来には大勢の人々がわきかえり、期待に瞳を輝かせている。そちらに向かって「営業を開始します」という言葉を届けると、人波がうなりをあげて押し寄せてきた。
今回は鎮魂祭を間にはさんでいるためか、それほど懐かしいという感じはしない。ただ、これだけの圧力というのは祝祭ならではであったので、俺も昂揚と無縁ではなかった。
人々の数多くは昼間から果実酒を楽しんでいるし、ついに復活祭が始められたのだという悦楽にひたっている。それで普段よりもさらに上をいく熱気と活力が生まれるのだ。俺たちはそのわきかえった空気感を大いに楽しみつつ、仕事に集中しなければならなかった。
(でも、やっぱり……アイ=ファに背中を守ってもらえるってのは、落ち着くもんだな)
アイ=ファが宿場町に下りるのは、おそらく5日ぶりだろう。商売の間はアイ=ファもじっと息をひそめて有事に備えるばかりだが、俺はその眼差しを背中にひしひしと感じてやまなかった。
俺の担当は煮込み料理であったため、間に調理の時間をはさむことなく、ひたすら料理を受け渡していく。銅貨の受け取り係を担ったフォウの女衆も、懸命に自制しながら仕事に励んでくれていた。こういう際に重要であるのはただひとつ、お客の勢いに呑まれて慌てないことであるのだ。
しばらくするとレビたちの準備も完了し、商売の開始が告げられる。するとそちらにも、すぐに長蛇の列ができた。いちどきに6食分ずつしか仕上げられないラーメンは、もう料理が売り切れるまでこの行列が消えることもないはずであった。
それと同じだけの行列を迎え撃っているユン=スドラも、慌てず騒がず『ギバ骨ラーメン』を仕上げてくれている。夜間の営業でのみ出されるこの特別献立に喜びの感想を伝えているお客の声が、隣の屋台で働く俺の耳にまで届いてきた。
「アスタ、お疲れ様です。さっそく寄らせてもらいました」
こちらでそんな風に呼びかけてきたのは、日中にもご挨拶をさせていただいたドーラ家の長男であった。その手を握っているのは、にこにこと笑うターラだ。祝日の夜は親族のお祝いがあるため、主人である親父さんはなかなか身動きが取れず、おおよそは若い家人だけで宿場町に出向いてくるのが通例であった。
「どうも、お疲れ様です。今日はお早いお着きでしたね」
「ええ。親族連中の目を盗んで、早々に抜け出してきました。ターラの辛抱がもたなかったもので」
ターラも今日は昼下がりまでリミ=ルウたちとご一緒していたわけであるが、それで余計に我慢がきかなくなってしまったのだろうか。ターラはいくぶん気恥ずかしそうなお顔をしたが、それでもなお喜びの気持ちのほうが存分に上回っているようであった。
「みなさんの商売が終わるまでは、裏で手空きの方々と語らせていただきます。大変な騒ぎですが、アスタも頑張ってください」
「ありがとうございます。そちらは、どうぞごゆっくり。ターラも、また後でね」
「うん! アスタおにいちゃん、頑張って!」
ターラと長男は、次男の分まで料理を購入して立ち去っていく。次男は次男で、別の屋台に並んでいるのだろう。そんな彼らの姿も、すぐに人混みにまぎれて見えなくなってしまった。
そしてその次にやってきたのは、これまた昼下がりに分かれたばかりのチル=リムとディアである。彼女たちは、小ぶりの鉄鍋を掲げていた。
「いらっしゃいませ。仕事の前に、腹ごしらえだね。何人前をご所望かな?」
「はい。こちらに、10人前をお願いいたします」
《ギャムレイの一座》は新参のチル=リムと客分のディアを合わせて、15名という大所帯であるのだ。そしておおよそは人並み以上の食欲を携えているため、食事の調達もひと苦労であるのだった。
「天幕の見世物は、日没からだよね? チルもライラノスのお手伝いを頑張ってね」
「はい。わたしなどは、微々たる力にしかなれませんが……それでも懸命に務めたく思います」
玉虫色のヴェールの向こう側で、チル=リムはにこりと目を細める。チル=リムが《ギャムレイの一座》の一員として元気に働いているだけで、俺はむやみにしんみりとした気持ちになってしまった。
しかし周囲の状況は、しんみりどころの話ではない。祝日の夜の営業というのは、朝方のラッシュが最後まで続くような有り様であるのだ。そうして半刻ていどが過ぎると、最初の鍋もあっという間に空になってしまったのだった。
新しい鍋を設置したならば、数分ばかりは温めなおす時間が必要となる。俺があえてこの料理の担当になったのは、こういった時間に周囲を見回ることができるためであった。
「ユン=スドラ、お疲れ様。何も問題はないみたいだね」
「はい。こちらは急ぎようもない献立ですので」
ユン=スドラは、いつも通りの朗らかな笑顔を返してくる。ただその頬をちょっぴり赤らめることで、彼女は内心の昂揚をわずかばかりあらわにしていた。
急ぎようのない献立でも、ぶっ続けで調理に取り組むのは大変な労苦であろう。それでもユン=スドラであれば、安心して任せることができる。そしてそれを支えるのは、日中に続いて重役を担うフェイ=ベイムであった。
最初の復活祭から参加しているフェイ=ベイムはいまや古株の一員であるし、気合の面では誰にも負けていない。ラーメンというのはかまど番の片方が麺の茹であげに専念し、もう片方のかまど番が銅貨のやりとりと盛りつけを同時にこなすことになるので、どちらにもそれなり以上の技量が要求されるのだ。それで俺は、ユン=スドラとフェイ=ベイムにその大役を担ってもらうことに決めたのだった。
屋台の裏ではディガ=ドムばかりでなく、モラ=ナハムもうっそりと控えている。彼は祝祭の見物人であったが、しばしフェイ=ベイムの働きぶりを見守ることにしたのだろう。商売の後は、少しでもふたりで復活祭を楽しんでもらいたいところであった。
そうして俺は、反対側の屋台にも足を向ける。そちらで仕事を果たしているのは、レイ=マトゥアとガズの女衆だ。今ではどちらも、『ギバの玉焼き』をつつがなく仕上げられるようになっていた。
たこ焼きを模したこちらの料理も、相変わらずの人気である。ディアルの鉄具屋が作りあげた玉炊焼き器もすっかり宿場町に行き渡り、現在は他の屋台や食堂でもさまざまな玉焼きが売られているはずであったが、それでもこちらの人気が落ちることはなかった。むしろ、店それぞれで少しずつ内容が違っているため、ラーメンと同じように食べ比べの気風が持ち上がっているように感じられた。
「レイ=マトゥア、お疲れ様。こっちもすごい行列だね」
「はい! うすたーそーすを使うようになってから、いっそう喜ばれているようですね!」
アリアやタラパが自由に買えるようになったので、こちらの玉焼きでもウスターソースを加えることになったのだ。マヨネーズと七味チットのみで仕上げていた時分にも申し分のない人気を博していた『ギバの玉焼き』であるが、タコならぬギバ・ベーコンおよびギャマの乾酪という具材にも、ウスターソースは調和するはずであった。
こちらの鍋が温まる前に、俺は次の屋台へと移動する。そちらで働くのはマルフィラ=ナハムとランの女衆で、献立は『海鮮ギバカレー』だ。しかし、俺が近づくのと同時にそちらも最初の鍋が終わって、一時休業のタイミングになってしまった。
「ア、ア、アスタ、お疲れ様です。こ、こちらも最初の鍋が終わってしまいました」
「うん。この調子だと、二刻きっかりで売り切れちゃいそうだね。もともとの予定より、かなり増量したはずなのになぁ」
「は、は、はい。じ、事前に温めなおすことができたら、さらに早く売り切れてしまうのでしょうね」
往来では、屋台に設置した火鉢でしか火を焚いてはならないという取り決めになっている。それでどうしても、煮物や汁物の料理にはこういうロスタイムが生じてしまうのだった。
しかしまあ、それでもこれだけ莫大な量の料理を売り切ることができているのだから、文句をつける筋合いはないだろう。俺たちは、自らで定めた営業時間で売れる限りの料理を売ろうという方針のもとに力を尽くすばかりであった。
「君のほうも、問題はないかな? 何かあったら、すぐに伝えてね」
「はい! マルフィラ=ナハムのおかげで、何の問題もありません!」
ランの女衆はきらきらと目を輝かせながら、そんな風に応じてきた。フォウの女衆と同様に一番の新参であるが、かつて《西風亭》に滞在して仕事を手伝うという貴重な体験をした少女だ。それに彼女は社交的かつ物怖じしない気性であるため、マルフィラ=ナハムのパートナーに相応しいかなと判じた次第であった。
俺はすみやかに、隣の屋台へと移動する。ファの屋台は終了で、お隣はトゥール=ディンの菓子の屋台である。本日の献立は、現場で仕上げる簡易クレープと、作り置きのアール饅頭であった。
アール饅頭はつぶあんの中に栗のごときアールを封入するタイプではなく、アールそのものを甘い餡に仕上げている。スイート・ノ・ギーゴにブレンドさせていた具材の応用で、カロン乳や乳脂や生クリームでとろけるような甘さと食感に仕上げられた、トゥール=ディンの自信作であった。
「やあ。こっちも順調みたいだね」
「はい、おかげさまで」
クレープの生地を焼きあげながら、トゥール=ディンは可愛らしい笑顔を返してくる。どれだけ屋台が混雑しようとも、もはやトゥール=ディンが慌てふためくことはないのだ。彼女は謙虚でつつましい人柄はそのままに、調理や商売の場では誰にも負けない頼もしさを身につけていたのだった。
時間が差し迫っているはずであるので、俺はそのまま進軍する。
ルウ家の屋台も、順調であるようだ。香味焼きはレイナ=ルウ、メレス仕立てのクリームシチューはリミ=ルウ、マイム考案の煮込み料理はマイム自身が担当を務めている。ララ=ルウは、当然のように青空食堂を取り仕切っているようであった。
「あー、料理が終わっちゃった! 新しいのを温めなおすから、ちょっと待っててねー!」
リミ=ルウがそのように宣言しながら、グリギの棒で引っ掛けた鉄鍋を台座から取り除く。すると、後ろで待機していたルティムの女衆が新しい鍋をそちらにのせた。このあたりの段取りは、こちらと同様である。そうして空の鉄鍋を荷車に運ぼうとしたリミ=ルウが、こちらに気づいて笑顔になった。
「わーい、アイ=ファとアスタだー! そっちも料理がなくなっちゃったの?」
俺の背後には、ずっと影のようにアイ=ファが付き従っていたのである。正式な護衛役はザザの血族であるため、本来的にはアイ=ファも自由の身であったのだった。
「うん。鉄鍋の大きさが一緒だから、みんな同じ頃合いで売り切れるみたいだね」
「そーだね! マイムのほうが、ちょっぴり早かったけど!」
ということは、マイムはすでにふたつ目の鍋であるのだろう。相変わらず、マイムの料理は大人気であった。
「それに、日時計を使ってないからわかんないけど、まだ半刻も経ってないんじゃないのかなー? これだとまた、二刻が経つ前に売り切れちゃうんじゃない?」
「どうだろう。もうちょっと時間が経てば、他の料理の残り具合と比べて見当をつけられるんじゃないかな。この量を二刻足らずで売りさばけたら、大したものだけどね」
「うん! またレイナ姉の眉が、きゅーって上がっちゃうね!」
それは気合の表れなので、存分に吊り上げてもらうしかないだろう。
俺がそのように考えていると、アイ=ファが「アスタよ」と呼びかけてきた。
「フォウの女衆が、手を挙げている。そろそろ料理が仕上がるのではないか?」
「うん、了解。リミ=ルウ、また後でね」
「はーい! アスタたちも、頑張ってねー!」
リミ=ルウの無垢なる笑顔で活力を補充して、俺は自分の持ち場に舞い戻った。
「アスタ。そろそろ頃合いかと思うのですが、如何でしょうか?」
真剣な面持ちをしたフォウの女衆からレードルを受け取り、小皿にすくった煮汁で温度を確かめてから、俺は「うん」と返事をした。
「ちょうどいい感じだね。どうもありがとう。……それでは、商売を再開します」
いちいち宣言をせずとも、こちらの屋台にも行列ができていた。カレーもシチューも温め中であるし、他の屋台も行列がすごいので、こちらにお客が流れてきたのだろう。煮物と汁物が同時に売り切れるこのタイミングが、ある意味では第二のラッシュなのかもしれなかった。
そうして商売を再開すると、すぐさま好ましい面々がやってくる。バランのおやっさんと、アルダスだ。
「あちこちの屋台で客足が引いてたから、もう売り切れになったのかと焦っちまったぜ。ただ料理を温めなおしてるだけだったんだな」
大らかに笑うアルダスに、俺も「ええ」と笑顔を返してみせる。アルダスも日中からしこたま果実酒を楽しんでいるはずであったが、彼はもともとの陽気さに多少の上乗せがされるぐらいで、ほとんど顔に出ないのだ。
「まだ商売を始めてから、半刻ていどしか経ってないはずですからね。それでも、予定よりは早く売り切れてしまうかもしれません」
「今回は、昨年以上の賑わいだもんな。それじゃあ俺たちは、8人前をお願いするよ」
フォウの女衆が銅貨を受け取り、俺が料理を大皿に注いでいく。その間に、今度はバランのおやっさんが発言した。
「行き道でも、他の屋台が大層な客を集めておったぞ。森辺の民の屋台に負けないほど客を集められるというのは、見上げたものだな」
「ええ。宿屋の方々も、腕は確かですからね。ダカルマス殿下の試食会が、それを証明する結果になったんだと思います」
「ああ、あれも馬鹿げた騒ぎだったな。おかげでこちらの宿には毎晩あちこちから人間が集まって、うかうかしているとギバ料理を食いっぱぐれそうなほどだぞ」
「あはは。ナウディスこそ、宿場町で一番の料理人と認められたようなものですからね」
《南の大樹亭》は宿場町の部門で第2位の結果であったが、その後の総合部門では俺とヴァルカスに続く第3位の結果であったのだ。宿場町の部門で第1位であった《キミュスの尻尾亭》と同率2位であった《玄翁亭》が総合部門の場で最下位とブービーであったことを考えあわせると、宿場町の宿屋でもっとも高い評価を受けたのは《南の大樹亭》であると判じられるはずであった。
「ナウディスは、レイナ=ルウやマルフィラ=ナハムより上の順位だったんだもんな。今さらながら、恐ろしい結果だよ。まあ確かに、あの宿の料理は森辺の屋台に負けないぐらいの出来栄えだけどさ」
「ふん。それでも品数の多さは、こちらの屋台が圧倒的にまさっているがな」
おやっさんがぶすっとした顔でそのように応じると、アルダスは大笑いしながらその背中を引っぱたいた。
そこで料理を注ぎ終えたので、楽しい歓談もそれまでである。なんとも名残惜しいことであった。
「今日はもうお会いできないかもしれませんけど、明日も屋台を開くのでよろしくお願いします」
「ああ。俺たちも明日は仕事だからさ。屋台の料理だけが昼間の楽しみだよ」
大皿を抱えたアルダスとおやっさんは、連れだって立ち去っていく。その後には、酔いどれた西のお客が押し寄せてきた。
森辺の同胞は宿屋の屋台村に出向くほうが多かったので、こちらではあまり姿が見られない。森辺の民にとっては、銅貨を出して俺たちの料理を食するよりも、町の人間が作りあげるギバ料理を食するほうが、より正しい姿であるのだろう。俺たちの料理に食べなれている人間ほど、そういう考えに至るはずであった。
ただし、森辺の同胞がまったく近づいてこないわけではない。営業開始から一刻ていどが経過して、こちらが3ターン目の鍋に差し掛かった頃合いでやってきたのは、シュミラル=リリンとギラン=リリンと6歳の長兄であった。
「いらっしゃいませ。ギラン=リリンもいらしたのですね」
「うむ。朝から晩まででは力が尽きてしまおうから、夜のみ参ずることにしたのだ」
それはもちろん、幼い子供の身を慮ってのことだろう。6歳の長兄はめいっぱい頬を火照らせながら、周囲の賑わいを見回していた。
「シュミラル=リリンは、昼からずっと居残っていたのですよね。《西風亭》は、いかがでしたか?」
「はい。有意義であった、思います。あちら、同じ気持ちならば、いいのですが」
「あはは。シュミラル=リリンなら、大丈夫ですよ。きっとサムスやシルも、ユーミを嫁入りさせる覚悟を固められたんじゃないでしょうか」
サムスやシルはつい先日にも、ランの集落に招かれているのだ。俺としては、ユーミの嫁入り話もそろそろ最終段階に突入しているのではないかと期待していた。
「では、アスタたちも頑張ってな。アスタたちの尽力を、心から得難く思っているぞ」
そんなありがたい言葉を残して、ギラン=リリンたちは立ち去っていった。
あたりはすっかり日が落ちて、街道には火鉢でかがり火が焚かれている。そうして闇と炎がせめぎあうことで、いっそうの熱気が生み出されるかのようだ。
俺はその後も続々と押し寄せるお客の相手をしながら、1年ぶりの熱狂を心の奥深い部分で噛みしめることになったのだった。




