幕間(下)~輝ける行く末~
2023.1/1 更新分 1/1
明けましておめでとうございます。
本年もどうぞよろしくお願いいたします。
ファの家に、新たな家人が3名も生誕した。
翌朝になって、きちんと確認してみたところ――それはいずれも玉のようにころころとした、愛くるしくてならない赤子たちであった。
1頭は、ブレイブのようにくっきりとした赤褐色の毛並みをしている。
もう1頭は、ラムのように淡い褐色をしている。
そして最後の1頭は、その中間といった色合いだ。ぶちの柄になっている赤子はおらず、誰もが単色の色合いであるようだった。
産まれたばかりの赤子にはあまり手を触れないほうがいいというお達しであったため、俺とアイ=ファは帳の外から眺めるばかりである。
しかしそれでも、俺たちは幸福でたまらなかった。大事な家人であるブレイブとラムの間に、3頭もの赤子が誕生したのである。そしてそれがこのように可愛らしい姿をしていれば、幸福な心地にならないわけがなかった。
「見ろよ、あの顔。まだ目もあいてないけど、人間の赤ちゃんに負けない可愛らしさだな」
「うむ。小さな足や尻尾などは、まるで作り物のようだな」
「あの3頭は、雄なのかなぁ。雌なのかなぁ。まあ、元気に育ってくれれば、どっちでもいいんだけどさ」
「うむ。我々も力を尽くして、あの赤子たちを育てあげるのだ」
そうしてアイ=ファは、一緒に帳の内側を覗き込んでいたブレイブの首をひしと抱きすくめた。
「めでたきことだな、ブレイブよ。お前はラムとともに、親として赤子の規範となるのだぞ。私も家長として、力を尽くしてみせるからな」
むやみに鳴かないようにしつけられているブレイブは、ただ嬉しそうに尻尾を振っている。
すると、ドゥルムアは横からアイ=ファの腕に鼻をすりつけ、こちらではジルベが俺の足に鼻をすりつけてきた。赤子たちばかりに情愛を注ぐわけにはいかなかったので、俺はジルベの立派なたてがみを思うさま撫でてあげた。
その後、水場で洗い物の仕事を果たしたのちには、噂を聞きつけたフォウやランの女衆がファの家に集結し、俺やアイ=ファに負けないぐらいはしゃいだ声をあげることになった。初めて目にする犬の赤子というのは、それほどに見る者の心をつかんでやまなかったのだ。
「本当に、予想以上の可愛らしさですね。フォウでも赤子を迎える日が待ち遠しくてなりません」
「あのように小さな赤子が、いずれは立派な猟犬に育つのですね。何だか、想像がつきません」
「それで、いったん赤子が産まれたのちは、人間が力を添える余地もないという話だったけれど……ファの家は家人が少ないから、やっぱり心配よね?」
最後にそのような声をあげたのは、アイ=ファの幼馴染であるサリス・ラン=フォウだ。その愛息たるアイム=フォウは、まだ目をまん丸にして帳の内を覗き込んでいた。
「よければ今日も予定通り、中天から留守を預かろうかと思うけれど、どうかしら?」
「うむ……いらぬ役目を負わせることは、申し訳なくてならないのだが……もしも許しをもらえるならば、サリス・ラン=フォウを頼らせてもらいたく思う」
アイ=ファが珍しくも恐縮しきった様子でそのように応じると、サリス・ラン=フォウは「もちろんよ」と微笑んだ。
「留守を預かりながらでも、毛皮をなめしたり草籠を編んだりすることはできるからね。何も気に病む必要はないわ」
「うむ。サリス・ラン=フォウの心づかいに、感謝する」
「いいのよ。ファの家の力になれたら、わたしも嬉しいわ。ね、アイム?」
アイム=フォウは夢から覚めたように、「うん」とうなずいた。
そしてアイ=ファのほうを振り返り、おずおずと口もとをほころばせる。
「いぬのあかちゃん、かわいいね」
「うむ。アイム=フォウも少し前までは同じほどに可愛らしかったが、今では立派に育ったな」
アイ=ファが優しい面持ちで頭を撫でると、アイム=フォウは嬉しそうに目を細めた。
そうして朝方の仕事を片付けたのちは、下ごしらえの作業が始められたわけであるが――その場でも、話題を独占するのは犬の赤子たちであった。
「えっ! ファの家では、もう犬の赤子が産まれたのですか?」
「早かったですね! ぜひのちほど、赤子の姿を拝見させてください!」
「こちらの犬はいっこうに腹も大きくならないので、次の機会を待たなくてはならないのでしょうね。残念です」
本日、下ごしらえに参加した氏族――ガズとラッツとベイムでは、まだ赤子も産まれていないとのことである。なおかつその中で雌犬の腹が大きくなっているのは、ラッツのみであるようであった。
たとえ発情期に情を交わそうとも、必ずしも懐妊するわけではないのだ。俺が知る限り、今回の発情期で懐妊に至ったのは、ファ、ルウ、サウティ、フォウ、ラッツ、ラヴィッツの家で育てられる6頭の雌犬のみであった。
まあ、発情期というのは毎年やってくるものであるし、犬の出産適齢期は5歳ぐらいまでと聞いている。そして、生涯で2度ほど出産するのが平均であるという話なので、何も慌てる必要はないのだろう。まずは、懐妊した犬たちがみんな無事に出産できるか――そして、産まれた赤子たちが無事に育つかであった。
「へー。そっちでは、もう産まれたのかー。こっちはまだ、強い兆候とかいうやつも出てねーんだよなー」
ルウの集落まで出向いたのちには、ルド=ルウとそんな言葉を交わすことになった。
「発情期は半月もあったから、それと同じだけの時間差が生じるんだろうね。まあそれ以前に、発情期の時期もまちまちだったわけだしさ」
「そうだなー。ま、こっちは見守る人間もうじゃうじゃいるから、何の心配もねーけどよ。できればさっさと、赤子の顔を拝ませてもらいてーもんだぜ」
俺たちがそんな風に語らっていると、リミ=ルウが弾丸のごとき勢いで駆けつけてきた。
「ファの家では、犬の赤ちゃんが産まれたのー? リミも見たーい!」
「つっても、今日は屋台の商売が終わったら、そのままドーラの家だろー?」
「あー、そうだったー! うー、ターラにも会いたいけど、赤ちゃんも見たいよー!」
「今日はお泊まり会で、明日は『暁の日』だもんね。どこかで時間ができたら、ゆっくり見にきなよ。なんなら、ジバ=ルウも一緒にさ」
そうしてリミ=ルウをなだめつつ、俺は宿場町を目指した。
そちらでは、ドーラの親父さんに報告である。あるていどの事情は報告済であったので、親父さんも「そうか」と笑顔で祝福してくれた。
「無事に産まれたんなら、何よりだったね。でもやっぱり、しばらく家を空けるのは難しくなっちまうのかな?」
「うーん、そこが難しいところなのですよね。もう人間がつきっきりになっても、ほとんど役には立たないんですが……かといって、あまり放ってもおけませんし……」
「いいさいいさ。心配ごとを抱えてたら、何をしてても楽しめないからな。べつだん復活祭じゃなくったって、アスタたちを家にお招きすることはできるんだからさ。今は赤子のことを一番に考えてやりなよ」
森辺の民がどれだけ犬やトトスを大事にしているかは、親父さんもわきまえてくれているのだ。大らかに笑う親父さんに、俺は心からお礼の言葉を伝えることになった。
そして、親父さんの次は、おやっさんである。
建築屋の面々は昨年と同じように、1日置きぐらいの目安で仕事をしている。今回も、トゥランやダレイムで新しく建て替えた家屋の検分という依頼が舞い込んでいたため、仕事には困っていないようだ。そして祝日の前日たる本日も仕事の日であったので、おやっさんたちはご家族と別行動で、中天を大きく過ぎてから屋台に参ずることになった。
「いらっしゃいませ。実はちょっと、家のことでご相談があるのですが……明日の昼間にでも、少しお時間をいただくことはできますか?」
「うむ? いったい、何事だ? まさか、2年も経たない内に家がほころんだわけではあるまいな?」
「はい。家のほうは、申し分ありません。ただちょっと、手を加えていただきたい部分がありまして……くわしくは、明日ゆっくりご説明させてください」
「……そんな話を聞かされたら、こっちは明日まで落ち着かんな」
と、おやっさんもその場では料理を受け取ってすぐに引っ込んでいったが、やがて護衛役の狩人に案内をされて屋台の裏手にまで参じてくれたのだった。
「わざわざ申し訳ありません。ご相談というのは、家の増築についてなのですよね」
「増築? ……ついにお前さんがたも、婚儀を挙げることになったのか? しかし増築なんぞは、もっと子供が増えてからでも――」
「いえいえいえ! そうではなく、犬に3頭もの赤子が産まれてしまったのですよ。やがてその子たちが大きくなったら、土間でくつろぐことも難しくなってしまいますので……」
おやっさんは、そこそこ呆れた面持ちで溜息をこぼすことになった。
「そうか。何にせよ、めでたい話であるのだろうが……しかし、お前さんたちの婚儀などを想像してしまった分、肩透かしの感が否めんな」
「そ、それは失礼いたしました。それで、いかがなものでしょう? こちらとしては、玄関に繋げる格好で犬やトトスの居住空間を増設できればと考えているのですが」
「うむ? どうしてそのように不格好な造りにしなければならんのだ? それなら、小屋でも建てればいいだけのことではないか。犬のことはよくわからんが、トトスなどは本来そうして小屋で育てるものであろう?」
「はい。だけどファの家では、犬もトトスも同列の家人として扱っていますので……寝起きするのが別の建物というのは、ちょっと物寂しいのですよね」
なおかつアイ=ファに限っては物寂しいなどというレベルには収まらず、そのように非情な真似は想像したくもないというスタンスであるのだ。
おやっさんは、再び溜息をつくことになった。
「まあ、お前さんがたの流儀に文句をつける気はないが……しかし、また俺たちに銅貨を支払って、仕事を依頼しようという心づもりであるのか?」
「はい。森辺には、増築のノウハウというものがないのですよ。それで下手に手をつけて母屋を台無しにしてしまったら、一大事ですからね。ここはきちんと、本職の方々に依頼させていただこうという話に落ち着きました。もちろん着工は、来年いらした際でかまいません」
「ふん。いきなり工事などを始めたら、産まれたての犬たちが目を回してしまうだろうからな。……わかった。復活祭が終わるまでに、見積もりを出してやろう」
「ありがとうございます。復活祭のさなかにお手間をかけて、申し訳ありません」
「ふふん。仕事を依頼する客の側が、そうまでへりくだる必要はあるまいよ」
と、おやっさんも最後には不敵な笑顔を覗かせて立ち去ることになった。
あとは平穏――と言っていいのだろうか。『暁の日』を明日に控えて、往来は大変な賑わいである。《ギャムレイの一座》もあちこちで余興を見せていたため、宿場町には大変な熱気と活力が渦巻いていたのだった。
◇
そして、夜である。
昼間の騒擾が嘘のように、ファの家ではしめやかに晩餐が開始された。
留守番をお願いしたサリス・ラン=フォウたちも夕刻には帰宅して、今はファの家人のみだ。産後もしばらくは安静にしなければならないため、ラムと3頭の赤子たちはまだ帳の内でくつろいでいた。
「でも、ラムもたっぷり肉を食べてたからな。思っていたより元気そうだし、俺もほっとしたよ」
「うむ。まだまだ油断はできなかろうが、赤子たちも健やかに過ごしているように見える。このまま無事に育つことを祈るばかりだな」
出産から1日が経過して、俺やアイ=ファも落ち着きを取り戻している。今はじんわりと幸せな心地を噛みしめている段階だ。広間には、とても優しくて温かい空気が満ちているように思えてならなかった。
「家の増設に関しても、バランのおやっさんが引き受けてくれたからな。ただ……建築屋のみなさんが次に来るのは5ヶ月後だから、その頃にはもう赤子たちもずいぶん大きくなってるかもしれないな」
「かまわん。広間に上げてしまえば、5頭でも10頭でも寝る場所には困らんだろうからな」
そう言って、アイ=ファはしみじみと息をついた。
「今のは、もののたとえであったのだが……しかしラムはこの数年のうちに、もうひとたび赤子を授かるかもしれんし……ゆくゆくは、ドゥルムアやジルベにも伴侶を与えなければならんのだ」
「うん。それで数年も経ったら、今度は今の赤子が新しい赤子を産むことになるわけだ。もちろんその頃には、何頭かを嫁入りやら婿入りやらさせてるかもしれないけど……逆にこっちも、嫁や婿を取ることになるんだろうしな」
「うむ。そんなさまを想像しただけで、胸が詰まってしまいそうだな」
と、アイ=ファは自分の胸もとに手を置いた。
やはり犬やトトスに関しては、俺よりもアイ=ファのほうが強い思い入れを抱いているのだ。
「また繰り言になってしまうが……私はお前と出会うまで、ひとりで森に魂を返す覚悟であったのだ。それが、このような幸福を授かることになり……正直に言って、いささかならず心を乱してしまっている」
「うん。今だったら、ファの家も他の家に負けない賑わいだもんな」
「……しかしそれも、氏を守る人間の家人があってのことだ」
と、アイ=ファがふいに真正面から俺の顔を見つめてきた。
「いずれ私たちが魂を返してしまったら、人間ならぬ家人たちは他の家に引き取られることになる。たとえそれが数十年後の話であろうとも、ブレイブらの血脈はしかと受け継がれていくのであろうからな」
「うん。それはもちろん、そうなんだろうな」
「しかし私は、そのような行く末をブレイブらの血族に与えたくはない。ブレイブらの子や孫やその末裔たちには、いつまでもファの家人として生きていってもらいたいのだ」
そのように語るアイ=ファの瞳に、さまざまな感情が渦巻いた。
「だから、アスタよ。もう少しだけ……あともう少しだけ、待っていてもらいたく思う」
「それは、何度も言ってるだろう? 俺は、いつまでも待ってるよ」
アイ=ファは頬を染めることもなく、ただ幸福そうに微笑んだ。
ブレイブたちの子や孫が楽しそうに駆け回る未来図の中に、人の子や孫が入り混じっている姿を想像したのだろうか。
まだ20歳にもなっていない俺に、そのような図をうまく想像することは難しかったが――しかし俺も、アイ=ファと同じぐらい幸福な心地であることに疑いはなかった。
そうして俺たちは賑やかな復活祭の真っ只中にさまざまな感情を授かりながら、ついに『暁の日』を迎えることに相成ったのだった。




