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異世界料理道  作者: EDA
第一章 異世界の見習い料理人
13/1675

③調理

2014.10/29 文章を修正。ストーリー上に変更はありません。

 目を覚ますと、あたりは真っ暗になってしまっていた。

 かまどに火を炊いていたアイ=ファが、ちらりと鋭い視線を突きつけてくる。


「ようやく起きたか。まだ目覚めぬようなら水でもかけてやろうかと思っていたところだぞ」


「ひでえこと言うなあ。……俺は何時間ぐらい眠ってたんだ?」


 アイ=ファは無言で首をひねりつつ、かまどに新たな薪を投入する。

 やはりこの森辺においては、時間を人間の尺度で区切る習慣などないのかもしれない。日が昇れば起き、日が落ちれば眠りの準備をする。自然界においては、それが絶対の不文律なのだろう。


「ギバの残骸は谷に捨てて、戸板は適当に洗っておいた。……いい加減に腹が空いたぞ、私は」


「了解。それじゃあ今度は、俺が働く番だな」


 なかなか良好な分業制度じゃないかとちょっと愉快な気持ちになりながら、俺は食糧庫へと向かった。


 タマネギモドキを6玉。

 ジャガイモモドキを4玉。

 そして、ゴムノキみたいな葉に乗せて、ギバの後ろ肢を一本。


 もちろんギバ肉は、もともとの備蓄ではなく、さきほどさばいたばかりのやつである。

 本来は古い肉から片付けなければならないのだが。俺としては一刻も早くアイ=ファに食事の喜びと調理の素晴らしさを体感していただきたかったので、是非にと頼みこんだのだ。


「さて。野菜はこの数がノルマなんだよな?」


「ノルマ」の意味が伝わっているのかどうか。アイ=ファはただ「肉ばかり食っていては死ぬぞ」とだけ返してきた。

 もちろん人間とは、バランスよく栄養を摂取しないと健康には生きていけない生物である。

 しかし、俺はまだこの野菜どもの処理法までは解析できていない状態だった。


(まあいい。今やれることをやれるだけだ)


 俺は、鍋の蓋であるところの大きな木板を水で洗い、その上にギバ肉を鎮座させた。


 そして――『榊屋』の三徳包丁をつかみ取る。

 親父の魂である、『榊屋』の三徳包丁。


 黒檀の柄を握り、朴の白鞘から抜き放つと、鋼の刀身があらわになる。

 刃渡りは21センチ。

 もう20年以上も使いこまれているはずなのに、まったく歪みのない研ぎすまされた刃。

 刻印された『榊屋』の2文字。


(親父。使わせてもらうぜ)


 ギバの肉に、そっと刃先を押しあてる。

 熟成された豚肉に比べればずいぶんと固いその肉に、三徳包丁の刃先が――するりと抵抗なく潜りこんだ。

 その切れ味に高揚しつつ、手もとだけは冷静に、まずは骨から肉を切りだしていく。


 表面は白い脂に覆われているが、中身はずっしりと身の詰まった赤身のモモ肉だ。

 骨に刃先を当ててしまわぬよう、ゆとりをもってざっくりと切り出したら、今度はそいつを可能な限り薄めにスライスしていく。

 固い肉と言っても、しょせんは生肉である。そうそう薄く切れるものではないので、俺の腕前では7、8ミリが限界だったが、鍋物としては妥当な厚さだろう。

 500グラムぐらいをスライスしたら、残りはブロックのまま、保存室へと逆戻り。あとはこの立派な大腿骨に残ったぶんを削ぎ落とせば、2名分の夕食には十分なはずだ。


「そうだ。肝心なことを聞いてなかったぜ。なあ、アイ=ファ。この家には他に食材とか調味料ってもんは存在しないのか?」


 俺の挙動を静かに観察していたアイ=ファが、いぶかしそうに面をあげる。


「ギバとアリアとポイタンを食していれば、さしあたって病にかかる心配はない」


「うん。だけどお前って、それ以外の匂いもプンプンさせてるじゃないか? 花だか果実だか香草だかわかんないけど、まだ何かしら取り扱ってるものがあるんだろ?」


 俺が言うと、アイ=ファの顔に何やら赤みがさしてきた。


「アスタ。昨日から言おう言おうと思っていたが。私の匂いがどうとか、おかしな言葉を口にするのは、やめろ」


「いいじゃん、別に。いい匂いがするっていう褒め言葉なんだからさ」


「……それで食われそうになるのでは身がもたんわ!」


 首筋の左側に手をあてつつ、アイ=ファが勢いよく立ち上がる。

 あの歯型はまだ消え去ってはいないのだろうか。俺もちょっと気恥ずかしくなってしまう。


 で。アイファはズカズカと乱暴な足取りで食糧庫へと消えていき、やがて奇妙な代物を携えて戻ってきた。


 口が長くて胴体の丸い土瓶と、球状に丸められたゴムノキモドキの葉だ。

 土瓶は1リットルぐらいの容量がありそうで、葉っぱの包みは人間の拳ていどの大きさだった。


「果実酒と、塩だ」


「塩っ!」


 思わずあげてしまった俺の大声に、アイ=ファは不快そうな顔をする。


「塩は干し肉を作るのに使う。これだけの量と交換するのにギバの角一本分の銅貨が必要となる」


 頭の中でファンファーレを鳴らしながら包みを解いてみると、青みがかった美しい結晶の塊が現出した。

 たぶん、岩塩だ。

 俺の知る岩塩はピンクやイエローだったが、青い岩塩が存在するってのは小耳にはさんだことがある。

 爪の先でちょちょいと削って、その粉末をなめてみると、鮮烈な塩の味が局地的に爆発した。

 美味い。日中汗だくになって塩分を放出させてしまったせいか、死ぬほど美味い。


「……塩は貴重だ。無駄には使うな」


「もちろんでございます! で、こっちは果実酒だって?」


 コルクのような木の栓を抜いてみると、その中からは酸味の強いワインのような香りがした。


「よこせ」とアイ=ファが俺の手から乱暴に土瓶を強奪し、ぐびりと一口あおってから、また突き返してくる。


「えーと。そういえばアイ=ファって年齢はいくつなんだ?」


「17」と言い捨てて、口の端をぺろりと舐める。

 ワイルドだし、セクシーですね。


「そうか。俺も17だよ。同い年だったんだな。……この果実酒も貴重品なのか?」


「それは必要なものを買った余りで交換しただけだ。銅貨など集落に持ち帰る気にはなれんからな。……塩や食糧に比べれば、貴重というほどのものでもない」


「そうか。これものちのち大活躍しそうだなあ。……だけど、どっちもお前の匂いとは関係なさそうだな?」


「知るか! 後は毒虫除けの実か、干し肉を作る時に使う香草ぐらいにしか、私は触れていない!」


 何もそんなに怒ることはないじゃないですか。

 まあ、さしあたっては、これで十分だ。「塩」の登場は、果てしなくありがたい。


「アイ=ファ。もう一回、刀を貸してもらえるか?」


 仏頂面の娘さんから小刀を受け取って、骨に残った肉を削ぎ落とす。

 これで準備は整った。


 ギバのモモ肉が、およそ500グラム。

 骨から削った切れ端の山が、およそ400グラム。

 タマネギモドキが、6玉。

 ジャガイモモドキが、4玉。

 黒胡椒の風味を持つ、乾燥したピコの葉をひとつまみ。

 そして、岩塩。


 これが本日の食材である。


 まずはアイ=ファの手ほどきで岩塩を粉末にして、大さじ一杯分だけ沸騰する鍋に投入させていただいた。

 今日のところは、これで満足しておこう。塩が入っているかどうかで、味の引き締まり具合は全然違うだろうからな。


 お湯の量は、昨晩と同じく、鍋の半分ほどである。

 もっと少量でもいい気はするが、このあたりは試行錯誤していく他ない。


 そして、合計900グラムぐらいのギバ肉を投入。

 紅白の肉が、ゆらゆらと踊る。


「あ、アイ=ファ。薪はまだ追加しないでいいよ」


 かまどの前に移動しようとしていたアイ=ファが、怪訝そうに振り返る。


「ギバの肉は入念に煮立てなければ、とても食えたものではないぞ?」


「うん。だから弱火でじっくり煮込む予定なんだ」


 アイ=ファは昨晩、ガンガンに火を炊いていた。たぶん強火で20分、といったところだろう。

 それでも噛みちぎれるぐらいには柔らかくなっていたが、基本的にはゴムのような食感だった。

 イノシシは、煮込めば煮込むほど柔らかくなる肉質なのだ。

 それが養殖の豚との、一番の違いだと思う。


「うわ。出た出た」


 肉を投入して数十秒で、ものの見事に灰汁(あく)が出てきた。

 あらかじめ用意しておいた木製のお玉と器で、灰汁とあぶくをきっちり除去する。

 しっかり脂のついた身であるせいか、昨日よりも勢いが凄まじいようだ。


 そう、いま思えば、昨晩のモモ肉はほとんど脂身のない赤身の塊だったのである。

 イノシシもギバも、モモには肉と皮との間ぐらいにしか脂がないから、表面を削ぎ落としていくアイ=ファの調理法では、最初の一回でほとんど脂身を消失してしまうのだ。

 脂身の少ないシシ肉は(たぶんギバ肉も)鍋には適さない。だから昨晩の肉はあんなゴムのような食感になってしまったのだと思われる。だったら昨晩の残りは焼肉にでもしてしまおうかなと、灰汁取りに励みながらも構想は広がるばかりだった。


「さて。問題はこいつらなんだよなあ」


 あらかた灰汁を除去できたら、蓋をしめてしばらく放置。

 かまどの火が確認できる位置に腰を落ち着けて、俺はジャガイモとタマネギの類似品たちと相対する。


「タマネギモドキ、いや、アリアだっけ。こいつはタマネギそっくりだから、まだどうにでもなりそうなんだよ。問題は、こいつ――なあ、このポイタンってのは、何なんだろうな?」


「……ポイタンはポイタンだ」


 アイ=ファもまた壁にもたれて座りこみ、仏頂面で頬杖をついている。


「ポイタンを2個と、アリアを3個。ピコの葉にまぶしたギバの肉とともにそれらを食していれば、一日分の活力を得ることができる。それは80年間に及ぶ森辺の生活で得た、私たちの知恵だ」


「ふむ。……ちなみに、森辺の民の平均寿命ってのは、どれぐらいのものなんだ?」


「へいきんじゅみょう? どれぐらいの長さを生きるのかという問いであるならば、そんなものはまちまちだ。森辺の民の多くは、病や老いではなく、ギバやその他の獣に襲われて生命を落とすものなのだからな」


 アイ=ファの目が、すっと伏せられる。

 もしかしたら、父親のことでも思い出してしまったのかもしれない。


「しかし、そうだな……飢えもせず、森に屍をさらすこともなければ、60の齢を前にして生命を落とす者はいない気がする。森辺の最長老たるルウ家のジバ=ルウなどは、すでに80を越える齢を重ねているはずだ」


「ふむ。俺の世界と比べても、そこまで短命なわけじゃなさそうだな」


 言いながら、俺は四つ足でアイ=ファのもとににじり寄った。

 嫌そうな顔をする娘さんにはかまわず、その左の二の腕あたりをじっと検分する。

 オレンジ色の火に照らされて、褐色の肌がつやつやと輝いている。

 ところどころに白い傷跡が走ってはいるが、とてもなめらかな肌質だ。


「うーむ」とうなって、ふにふにと触感を確かめる。

 とたんに脳天に拳を落とされた。


「ごめんごめん。張りがあって柔らかい、とても上質な筋肉だ。アスリートとしては最高級の出来だと思う」


 しんみりとしかけた空気を打破するために、あえておちゃらけた行動を取ったつもりなのだが、どうやら方向性を間違えたらしい。アイ=ファの顔は毛皮を逆立てた山猫みたいに物騒な表情に成り果てていた。


「いや、森辺の民の健康状態を確認したかったんだよ。少なくとも、アイ=ファの食生活に大きな間違いはないみたいだな」


 ということは、やはりあれらの野菜を毎日のノルマとしてきっちり調理しなくてはならない、ということだ。


「うーん、こいつは宿題だな! 明日からはポイタンの攻略法を研究することにしよう。今日のところは、ギバ肉の攻略で手一杯だからな」


 まだアイ=ファが険悪な目つきをしているので、俺はそそくさとかまどのほうに退散した。

 新たに浮きあがってきた灰汁をすくい、火が弱くなりすぎないように薪を調節する。しばらくは、この繰り返しだ。


「……腹が減ったぞ。いつになったら食えるのだ?」


「んー? 目安としては、60分から90分……昨日の3倍から4倍ぐらいの時間を予定してるけど」


 アイ=ファはとても驚いた顔になり、とても落胆した様子で溜息をついた。


「ごめんな。俺も腹ぺこなんだけどさ。……これだったら、解体作業の後、すぐに調理を始めちまっても良かったかもな」


「……お前に休めと言ったのは私だし、お前に食事の準備をまかせると言ったのも私だ。お前が責任を感じる必要はない」


 などと公正明大なお言葉を吐きながら、アイ=ファの顔はとても切なそうだった。

 そんなに腹が減っていたのかと、俺は少し可笑しな気持ちになってしまう。


 空腹は最高の調味料だ。

 これでアイ=ファが満足できなかったら、それはひたすら俺の腕が悪いということになるのだろう。

 勝つか負けるか。勝負の刻まで、あと1時間少々だ。

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