紫の月の十七日~最初の再会~
2022.12/23 更新分 1/1
ルウの集落で行われた親睦の祝宴から、2日後――紫の月の17日である。
心情的には、俺たちにとってその日が復活祭の幕開けであった。
太陽神の復活祭というものは、紫の月の22日の『暁の日』が正式な始まりとされている。しかしまた、ジェノスの宿場町においてはその数日前から多数の人々が押し寄せて、普段以上の賑わいを見せるものなのである。なおかつその賑わいは年を重ねるごとに勢いを増して、本年も昨年以上の騒擾を見せていたのだった。
街道のあちこちには太陽神を象徴する赤い旗が掲げられ、老若男女の人々が熱気に頬を火照らせつつ行き交っている。その賑わいは、すでに普段の5割増しであろう。ジェノス近在の領民や行商人ばかりでなく、宿場町に在住する人々も祝祭の到来が待ちきれなくて、もっとも賑やかな主街道に繰り出しているのだ。そちらの露店区域で商売をする俺たちとしては、この賑わいがそのまま屋台の売り上げに直結しているのだった。
この前日を休業日とした俺たちは、これから年の終わりまで休まずに屋台の商売を敢行する手はずになっている。日取りとしては、きっかり15連勤だ。なおかつ、準備する料理の量は格段に増量させることになるし、祝日には夜間の営業となるし、トトスの早駆け大会では闘技場の前まで出張しなければならないし――屋台の当番を受け持つ人間も下ごしらえを担当する人間も、等しく多忙な日々を送ることになるわけであった。
「ただ、昨年はそれらの労苦をずっと間近に見守ることができたからな。その役目を負うことになるザザの血族の狩人らを、羨ましく思うぞ」
そのように語っていたのは、本日の護衛役を担ってくれた狩人のひとり、チム=スドラであった。ザザの血族は本日が収穫祭であり、明後日から護衛役を担っていただく予定であったため、今日と明日は近在の氏族から6名の狩人をお借りすることになったのだ。
「それに、ザザの血族は家が遠いからな。護衛役を担う人間は、ディンやリッドで夜を明かすことになるのであろう? そのような手間をかけるぐらいであれば、俺たちが交代で役目を果たすべきではないだろうか? ルウやガズやラッツなどとも力を合わせれば、どうにかできるのではないかと思うぞ」
と、フォウの若い男衆もそのように言いたててくる。
すると、商売に励む俺の代わりに、アイ=ファが答えてくれた。当然のように、本日はアイ=ファも同行してくれていたのだ。
「ザザの血族の休息の期間がずれこむようであったなら、そのように取り計らうしかなかっただろう。しかし、そのようにさまざまな氏族が入り乱れて護衛役の当番を務めるというのは、なかなかの手間であるからな。ここはありがたく、ザザの血族を頼るべきであるのだろう」
「いや、しかし……」
「それに、族長たるグラフ=ザザもこの一件には乗り気であるのだと聞き及んでいる。もとよりあちらは復活祭の折でも宿場町に下りるのがなかなかの手間であるため、仕事としてでもその機会が増えるのは喜ばしいことであるのだろう。また、ディンやリッドの家で夜を明かせばそちらとの絆も深めることがかなうのだから、なおさらにな」
「うむ……まあ、あちらにしてみれば、そういう心情であるのやもしれんな」
「うむ。そして私は、お前たちがそうまで護衛の役目を負いたいと願ってくれることも、得難く思っている。またいずれ機会の生じた際には、存分に頼らせてもらいたい」
きっとアイ=ファは誰よりも凛々しい面持ちで、誰よりも優しい眼差しになっているのだろう。そんなアイ=ファの姿を想像するだけで、俺は満ち足りた心地であった。
そんなやりとりを背中に聞きながら、屋台のほうは大盛況である。
ここ数日の賑わいを鑑みて、本日は5割増しの料理を準備してきたのだが、定刻を前に売り切ってしまいそうな勢いである。昨年よりも屋台が1台増設されていることを考えると、驚くべき客足であった。
「宿屋の方々の屋台だって、客足は増えるいっぽうだという話でしたものね。『暁の日』がやってきたらどれほどの賑わいになるのか、とても楽しみです」
隣の屋台で働くユン=スドラは、朗らかに笑いながらそのように言っていた。
また、ユン=スドラほどのキャリアを持たない面々は、普段以上の緊張や昂揚をあらわにしている。もっとも新参であるフォウやランの女衆はその傾向が顕著であり、ルウの屋台のほうでもダイやレェンの女衆が同様の姿を見せているのではないかと思われた。
ただし、復活祭の期間に当番を受け持つのが初めてであるという人間は、ごく限られている。フォウとラン、ダイとレェンを除くと、あとは――こちらであればクルア=スン、ルウのほうでは眷族の女衆が数名といったところだろう。俺たちはちょうど昨年の復活祭を目前にしたあたりで現在のシフトをほぼ完成させていたので、それ以降はそのていどの増員しかされていなかったのだった。
それに本年は、ザザの血族からも屋台の商売を手伝いたいという申し出を受けている。もちろんいきなり屋台の当番を任せることはできないので、青空食堂のほうを手伝ってもらう予定になっているのだ。食器の回収や洗浄の作業というのも決しておろそかにできない要項であるため、俺たちとしてはありがたい限りであった。
「こっちもアスタたちを見習って、5割増しの量を準備するべきだったな。まあ、こっちはあんまり欲張ると、終わりの時間がのびるばっかりなんだけどよ」
そのように語っていたのは、俺たちのすぐ隣でラーメンの屋台を開いているレビだ。そちらは営業の開始と同時に長蛇の列ができて、延々と麺を茹で続けていた。
「もっと簡単な料理にすれば、もっと稼ぐこともできるんだろうけど……お客連中は、うちのらーめんを楽しみにしてくれてるんだもんな。時間内にめいっぱいの量を売れるように、力を尽くすしかねえか」
「わかってるなら、黙って働きな。そら、もうすぐ仕上がるぞ」
父親のラーズはゆったりと微笑みながら、鉄鍋の麺を木串で攪拌している。彼らも復活祭で屋台を出すのは2度目のことであったので、すっかり手馴れたものであった。
そこで背後から、アイ=ファの「うむ?」という声が聞こえてくる。
いったい何事かと思っていると、すぐさまその理由が告げられてきた。
「アスタよ。リコたちがやってきたようだ。トトスと荷車を置かせてもらいたいと申し出ているそうだが、如何様に取り計らうべきであろうか?」
「ああ、もちろんオッケーだよ。まだまだスペースは空いてるはずだから、いくらでも置いてもらってくれ」
「おっけー……すぺーす……」
「ああ、ごめんごめん。忙しくて、つい気が回らなかったよ」
俺が鉄板の料理を木皿に盛りつけ終えたタイミングで、アイ=ファは背後から頭を小突いてきた。
それからしばらくして、傀儡使いの一行が屋台の表側に回ってくる。アイ=ファたちの案内で、無事にトトスと荷車を片付けることがかなったのだろう。レビたちも含めれば9台もの屋台を出しているため、裏手の駐車スペースにはゆとりがあるのだ。
「アスタ、おひさしぶりです! お元気そうで、何よりです!」
「いらっしゃい。リコたちは一番乗りだったね」
「はい! 《ギャムレイの一座》の方々は、まだいらっしゃらないようですね!」
くりくりの巻き毛をしたリコは、にこにこと朗らかに笑っている。仏頂面のベルトンも、静謐な面持ちをしたヴァン=デイロも、まったく変わりはないようであった。
彼らはティカトラスの要望でジェノスを訪れていたが、それもすでにひと月以上も前のことだ。そのままジェノスに居座るのは長丁場に過ぎるということで、送別の祝宴の数日前に旅立っていたのだった。
「今年もリコたちと復活祭をともにすることができて、嬉しいよ。年の終わりまで、どうぞよろしくね」
「はい! こちらこそ、どうぞよろしくお願いいたします!」
まだまだ屋台は賑わっているため、そうそう立ち話はしていられない。リコたちはさまざまな料理を買い求めて、青空食堂に向かっていった。
リコたちを一番乗りと称したのは、これからまだまだ見知った人々がジェノスにやってくる予定であるためだ。《ギャムレイの一座》に、カミュア=ヨシュとレイト、ザッシュマ――それに、ジャガルの建築屋の面々である。涙が出るほど嬉しいことに、本年もバランのおやっさんたちは家族を連れてジェノスにやってくるということが、すでに《南の大樹亭》に伝えられていたのだった。
(去年なんかはそこに《銀の壺》まで加えられてたけど、さすがに毎年は無理だもんな。ラダジッドたちは、ひさびさに家族と復活祭を迎えることになるわけだ)
去年はジェノス、一昨年は西の王都アルグラッドに滞在していたはずであるので、2年以上ぶりであることは確実である。シュミラル=リリンの大切な同胞らが故郷で幸福な時間を過ごしていることを、俺はひそかに願うばかりであった。
そうしてまったく勢いを減じないまま、粛々と時間は過ぎていき――ついに終業時間である下りの二の刻である。
おおよその屋台はその四半刻ほど前に料理を売り切って、客足の増加を如実に物語っていた。
「いやぁ、初日から大層な賑わいだったね。まだまだ本番はこれからだけど、おふたりはどうだったかな?」
俺がそのように呼びかけた相手は、新参のフォウとランの女衆である。最後の皿洗いに勤しみながら、まずはランの女衆が「はいっ!」と元気に応じてきた。
「なんだかもう、あっという間に時間が過ぎ去ってしまったような心地です! 仕事の内容に変わりがなくても、こんなに慌ただしくなるものなのですね!」
彼女はラン本家の末妹であり、かつては《西風亭》に滞在して仕事を手伝っていた。それでずいぶん他の人間にはない経験を積めたはずであるが、やはり本日の混雑っぷりには驚嘆を隠せないようであった。
「わ、わたしも失敗をしでかさないようにと、ひどく気を張ることになってしまいました。でも……一緒に働いていたユン=スドラのおかげで、何とか乗り越えることができたように思います」
「うん。君なんかは、まだ屋台で働き始めてからひと月半だからね。戸惑うことは多いだろうけど、とにかく慌てないことを心がけておくれよ。どんなに忙しくても落ち着いてさえいれば、おかしな失敗は起きないはずだからね」
そうしてこちらがちょっとしたミーティングを行っている間に、食堂のお客もすべてはけたようであった。
そこでこちらに近づいてきたのは、ルウの取り仕切り役であるララ=ルウだ。
「アスタ、ちょっと相談があるんだけど。明日からもう、客席を広げてみない?」
「え、もうかい? いちおう今日も、客席が足りなくなることはなかったって聞いてるけど」
「うん。だけど、始まりから終わりまでほとんど満席だったみたいだからさ。あんまり客席がぎっしりだと、皿を集めるのに余計な手間がかかるみたいなんだよね。それなら客席を広げてゆとりを持たせたほうが、こっちも楽に働けるんじゃないかなぁ?」
ララ=ルウは真剣な面持ちで、そのように言いつのった。
「もちろん客席を広げたら、そのぶん場所代がかかっちゃうけどさ。敷物を広げれば、東のお客はみんなそっちに座るだろうから……そうしたら、南のお客と同席になって、周りをやきもきさせることも少なくなるだろうと思うんだよね」
「なるほど。混雑すると、お客さんも気が立ってくるからね。わかった、俺も賛同するよ」
「それじゃあ、あとはディンの家とレビたちだね。トゥール=ディンはザザの収穫祭に出向いちゃってるから、とりあえず今日の当番だった女衆に話を通しておくしかないか。……じゃ、また後でね」
ララ=ルウは力強い足取りで、レビたちのもとに向かっていく。ディンや《キミュスの尻尾亭》も青空食堂の人手を出せない代わりに場所代は支払っているので、事前に了承が必要となるのだ。
それにしても、ララ=ルウは頼もしいことである。料理にまつわる案件はレイナ=ルウに一任している代わりに、それ以外の部分では誰よりも目が行き届いているように思えてならなかった。
そうしてもろもろの作業を終えたならば、いざ帰還である。
まずは屋台を返却するために街道を南下していくと、傀儡使いの一行もそれに追従してきた。リコたちはいつも森辺で夜を明かすため、ジェノスを来訪した際にはルウ家への挨拶が必須となるのだ。
「何だか今年は、去年以上の賑わいであるようですね。まだ『暁の日』までは5日もあるのに、復活祭の真っ只中であるかのようです」
「うん。2年前の復活祭と比べたら、それも大げさな表現ではないと思うよ」
2年前――つまりは、俺が初めて体験した復活祭において、屋台は5台しか出していなかった。ファが3台、ルウが2台という配分で、まだトゥール=ディンは独立していなかったのだ。あとは《キミュスの尻尾亭》も参戦していなかった代わりに、マイムと《西風亭》が隣のスペースで屋台を出しているばかりであった。
それが現在では、ファが4台、ルウが3台、ディンが1台で、《キミュスの尻尾亭》を除外しても8台という規模になっている。まあ、ルウはマイムの屋台をそのまま吸収した格好であるものの、俺たちはすでに2年前の復活祭のピーク時よりも遥かに膨大な量の料理を供しているはずであった。
さらに別の区域では、宿屋の屋台村が同じだけの繁忙を見せている。そこまで考えあわせると、宿場町の賑わいというのは2年前から倍増ではきかないほどの規模に達しているのではないかと思われた。
この2年間、事あるごとにジェノスを来訪する人間の数は増えている。
まずはトゥラン伯爵家とスン家にまつわる騒動が落着し、ジェノスの治安が向上したと周知されることになった。それまでは、蛮族たる森辺の民が悪行を働きつつ、貴族たちのお目こぼしをもらっているという悪評が蔓延していたのだ。
そんな悪評が鎮火していくのと同時進行で、ギバ料理というものが少しずつ評判を呼び始めた。森辺の民やギバの悪評が、好ましい評判に移行していったのである。
さらに同時期、ジェノスは他の領地との通商を拡大することになった。サイクレウスらの失脚とともに、あらゆる食材が城下町の外にまで流通することになったため、そちらの行商人の来訪も増大することになったのだ。
そんな環境に身を置きつつ、俺たちはじっくりと地道に実績を積んできたつもりであるが――ここ最近では、ダカルマス殿下の存在が拍車をかけてくれている。南の王都で美食家と名高いダカルマス殿下が試食会というものを開催して、ジェノスおよび森辺の料理人の手腕にお墨付きを与えてくれたのだ。
ダカルマス殿下がジェノスにやってきたのは黄の月の半ばであり、試食会の締めくくりともいうべき礼賛の祝宴が開かれたのは緑の月の終わりとなる。それから半年ばかりの月日が過ぎて、ジェノスはいよいよ活性化したような印象であった。
かつてポルアースは、ジェノスを美食の町に仕立てあげたいと豪語していたものであるが――もはやその遠大なる計画も、実現したと称してはばかりはないのではないだろうか。
少なくとも、宿場町を訪れる人間はこの2年で倍以上も増えているように感じられる。そしてその根幹には、美味なる料理というものが関与しているはずであるのだ。
また、5ヶ月ほど前には邪神教団の陰謀によってとんでもない騒乱が巻き起こったわけであるが、そちらの悪い影響は完全に払拭されたと言っていいだろう。今もなお、街道にはたくさんの人々があふれかえっており――かつて飛蝗に襲撃されたことなど、悪い夢だとしか思えないほどであった。
ダレイム南方の畑も完全に復旧して、現在はいかなる食材も自由に買いつけられるようになっている。
そうして俺たちは、万全の態勢で太陽神の復活祭を迎えようとしているのだ。
ここまで至るのに、さまざまな人々が苦難を排してくれたことに感謝しながら、俺も惜しみなく力を尽くす所存であった。
◇
屋台を返却した俺たちは、リコたちをともなってルウの集落に帰還した。
ただし、俺がそちらに立ち寄ったのは、同乗させていたルウの血族の女衆を降ろすためである。復活祭の期間は、ひとまず勉強会もお休みする予定になっているのだ。仕事にゆとりができたときは、ファもルウも各自の判断でそれぞれ取り組みましょうという手はずであった。
「おや、リコにベルトンにヴァン=デイロ、ルウの家にようこそ。さっそくジェノスに来てくれたんだねぇ」
俺たちが本家の母屋に近づいていくと、ちょうどミーア・レイ母さんが玄関を出てくるところであった。それと一緒に姿を現したコタ=ルウが、瞳を輝かせながら俺のほうにとてとてと近づいてくる。
「アスタ、ルウのいえにようこそ。おしごと、たいへんだった?」
「お客の数は、ずいぶん増えたね。でも、みんなのおかげで無事に終わったよ」
俺は地面にしゃがみこみ、小さなコタ=ルウと目線を合わせながら、そのように答えてみせた。
コタ=ルウはあどけなく笑いながら、俺のTシャツの袖をきゅっとつかんでくる。二代先の族長候補にこうまで懐かれることになって、俺も光栄の限りである。
「リコたちは、今日から森辺で夜を明かすってことだね。それじゃあ今日は、ルウ家でどうだい?」
ミーア・レイ母さんがそのように呼びかけると、リコは嬉しそうな笑顔で「ありがとうございます!」と応じた。
「でも、族長ドンダ=ルウはまだお帰りでないようですが、よろしいのですか?」
「ドンダだって、文句を言いやしないよ。あんたたちの劇は、どの氏族だって心待ちにしてるんだからね」
リコたちは森辺で夜を明かす際、ひとつの劇を代価として晩餐をいただいているのだ。ミーア・レイ母さんの物言いは、決して誇張ではないはずであった。
「リコたちはルウの集落でお世話になるみたいだよ。傀儡の劇を見ることができて、よかったね」
俺がそのように呼びかけると、コタ=ルウはもじもじとしながら「うん」とうなずいた。
「くぐつのげき、たのしみ。……でも、アスタはかえっちゃう?」
「うん。俺は仕事があるからね。紫の月が終わるまでは、勉強会もお休みだけど……でも、仕事の後は、こうしてルウの集落に寄らせてもらうつもりだよ」
コタ=ルウは俺の袖を握ったまま、もういっぺん「うん」とうなずいた。
ミーア・レイ母さんはそんなコタ=ルウの小さな頭を撫でてから、またリコのほうに向きなおる。
「そういえば、ダルムとシーラ=ルウの子が無事に産まれたんだよ。あたしらもこれから顔を見にいくところだったんで、リコたちも一緒にどうだい?」
「あっ、無事にお産まれになったんですね! おめでとうございます! ご迷惑でなかったら、ぜひご挨拶をさせてください!」
元気に声をあげるリコのかたわらで、俺はコタ=ルウに笑いかけてみせた。
「それじゃあ、俺もご挨拶をさせてもらおうかな。いいかな、コタ=ルウ?」
コタ=ルウはいっそう瞳を輝かせながら、今まで以上の勢いで「うん!」とうなずいた。
僭越ながら、そんなコタ=ルウを俺が抱きあげて、ともにダルム=ルウの家へと向かう。もちろんアイ=ファも、俺の影のようにひっそりと後をついてきた。
「失礼するよ。シーラ=ルウは、起きてるかい?」
ミーア・レイ母さんがひかえめな声で呼びかけると、やがて戸板の向こうからリャダ=ルウが現れた。その精悍な姿に、ミーア・レイ母さんが「おや」と笑う。
「タリ=ルウじゃなく、リャダ=ルウだったかい。傀儡使いのお人らが挨拶に来たんで、案内してきたよ」
「タリはジーダの家で、かまど仕事を手伝っている。明日の商売の下ごしらえだそうだ」
そんな風に応じてから、リャダ=ルウは俺たちの姿を見回してきた。
「シーラもドンティも、起きている。赤子を抱きたいと願う者は、そちらで手を清めてから上がってもらいたい」
「それじゃあ、お邪魔するよ。ああ、客人の鋼はリャダ=ルウがよろしくね」
すると、仏頂面のベルトンが「へん」と声をあげた。彼はぶかぶかの装束のそこかしこに、たくさんの刀子を隠し持っているのだ。
「わざわざ挨拶のために装備を外すのは面倒だから、俺はここで待ってるよ。ヴァン=デイロ、その跳ねっかえりは頼んだぜ」
「もう、無精者なんだから」
リコは呆れたように笑い、ヴァン=デイロは無言のまま長剣と短剣を差し出した。俺もかつてアルヴァッハたちからいただいたゲルドの短剣をさげていたので、それをリャダ=ルウに受け渡す。
そうしてベルトンを除く顔ぶれで入室すると、シーラ=ルウは広間の奥に座していた。草籠では、ドンティ=ルウがあぶあぶ言いながら宙に小さな手を突き出している。
「ああ、リコにヴァン=デイロ、おひさしぶりです。アスタにアイ=ファも、ようこそ」
「おひさしぶりです、シーラ=ルウ。お子の生誕、おめでとうございます」
リコは深々と頭を下げてから、草籠の前に膝を折った。
ドンティ=ルウは、青い瞳で恐れげもなく俺たちを見回している。今のところ、俺は彼が生誕したその夜にしか泣き声を聞いていなかった。
俺の手を離れたコタ=ルウも、黒みがかった青い瞳でドンティ=ルウの姿をじっと覗き込む。あらためて、ジザ=ルウの子とダルム=ルウの子がこうして対面しているさまが、感慨深くてならなかった。
「わあ、可愛い……こんなに小さいのに、とても力のある眼差しですね。こちらは、男の子でしょうか?」
「ええ。父に負けない、意固地な気性であるようです」
シーラ=ルウはゆったりと微笑みながら、草籠をそっと揺らした。その指先に、またとない愛情が込められているようである。
「こんなに小さいと、ちょっと触れるのが怖くなってしまいますね……何だか自分が、ものすごく粗暴な存在に変じてしまったような気分です」
リコがそのようなつぶやきをもらすと、寡黙なるヴァン=デイロが珍しくも口を開いた。
「儂から見れば、おぬしも赤子もさほど大きな差はないのだがな。しかし、これほど無垢なる存在を前にすると、人は畏敬にも似た思いを覚えるものであるのかもしれん」
「はい。町ではこのように赤子を間近にすることもないので、とてもありがたく思います」
旅芸人というものは、なかなか民家の敷居をまたぐことも許されないという話であったのだ。ドンティ=ルウを見つめるリコの瞳には、とても透き通った輝きがたたえられていた。
「もし赤子の傀儡を手掛ける機会が生じても、これほどの可愛らしさを体現することは難しいかもしれません。でもそのときは、何とか力を尽くしたく思います」
「自分の子じゃなく、傀儡の子かい。やっぱりあんたも、変わり者だね」
ミーア・レイ母さんが愉快げに笑うと、リコも微笑みながらわずかに頬を赤らめた。
そしてシーラ=ルウは、俺のほうに穏やかな眼差しを向けてきた。
「アスタにアイ=ファも、お疲れ様です。宿場町は、もうけっこうな賑わいなのでしょう?」
「そうですね。昨年よりも、さらに賑わっている印象です。まだまだ本番はこれからのはずなのですけどね」
「わたしはお力になれないので、みなさんには申し訳ない気持ちでいっぱいです。でも……いつか大きく育ったドンティとともに、復活祭の賑わいを味わうことができたら……またとなく幸福な心地であることでしょう」
そんな風に言ってから、シーラ=ルウはコタ=ルウに微笑みかけた。
「そのときは、コタ=ルウも一緒にね。今は、そのときを待ちましょう」
「うん。……あとどれぐらい?」
「ルウでは、5歳になってからでしょうね。復活祭は普段よりも見慣れない人間が多いから、そのように決められているの」
「じゃあ……つぎのつぎのふっかつさい」
そう言って、コタ=ルウは俺を見つめてきた。
「……そのときは、アスタもいっしょ?」
「うん。ドンダ=ルウやジザ=ルウのお許しをもらえたら、一緒に復活祭を見物しようね」
俺がそのように答えると、コタ=ルウは喜びと待ち遠しさの入り混じった面持ちで「うん」とうなずいた。
コタ=ルウはとても賢い幼子であるので、2年の長さも実感できているのだろうか。3歳の幼子が5歳になるのを待つというのがどのような感覚であるものか、俺には想像もつかなかった。
しかし、そのように果てしない行く末の約束をできるというのは、なんと幸福なことだろう。
そんな思いを噛みしめながら、俺は憩いのひとときを過ごすことになったわけであった。




