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異世界料理道  作者: EDA
第七十五章 太陽神の復活祭(上)
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復活祭の前祝い④~交流~

2022.12/22 更新分 1/1

 俺たちは菓子で満腹になってしまわない内に、また移動することになった。

 フェルメスはリフレイアたちと合流しなければならないということで、いったんお別れである。本日はアマ・ミン=ルティムやゼディアス=ルティムも参じていなかったので、ガズラン=ルティムも心置きなくフェルメスの案内役を務めてくれているようであった。


「確かにあのフェルメスという貴族は、祝宴を楽しむばかりでなく何らかの仕事を負っているようだな。族長らとメルフリードらの語らいを見届けるのも、リフレイアやアラウトらの動向をうかがうのも、フェルメスにとっては仕事ということか」


「ええ。王都の外交官というのは、なかなか大変な職務であるようですね」


 フェルメスは、今日の祝宴についても調書にまとめなければならないのだろう。ジェノスの貴族や森辺の民は西の王国に叛意を抱くことなく、心正しく過ごしているかどうか――それをつぶさに見届けて、王都の国王に報告するのが、外交官の職務であったのだった。


「以前に大きな問題を起こしたトゥラン伯爵家や、そちらの騒動に巻き込まれたバナーム侯爵家の動向というのも、王都にとっては重要な観察対象なんでしょうね。フェルメスがああいうお人柄でなかったら、もっと物々しい雰囲気になっていたのかもしれません」


「うむ。きっと俺たちは、もっとフェルメスという貴族に感謝するべきなのであろうな」


 ギラン=リリンは朗らかに笑い、アイ=ファは口をへの字にした。

 そんなタイミングで、次なるかまどに到着である。そちらにも、見知った顔が多数存在した。サトゥラス伯爵家の面々に、ザザの姉弟にジザ=ルウとレイナ=ルウという豪華メンバーだ。


「どうも、みなさんおそろいで。リーハイムも、すっかりおくつろぎのご様子ですね」


「ああ。ちっとばっかり酒の力を頼らせてもらったが、無礼は働いてないつもりだぜ?」


 そのように語るリーハイムは、とても上機嫌であるように見えた。若き貴婦人のほうも気後れの色が消えて、昂揚に頬を火照らせている。もっとも穏やかで落ち着いて見えるのは、やはり人格者のレイリスであった。


 ここ最近はレイナ=ルウもサトゥラス伯爵家と親密な間柄であるし、スフィラ=ザザもレイリスとの関係を再構築して、行動をともにすることが多い。しかしそれが森辺の祝宴となると、やっぱり新鮮な光景であった。


「森辺の祝宴の賑やかさってのは、風聞以上だったよ。いや、これは賑やかなんて言葉じゃ収まらない騒ぎだよな」


「ええ、本当に。わたくしは、それこそ御伽噺の中に放り込まれたような心地です」


 リーハイムや貴婦人が熱っぽく声をあげると、レイリスもどこか遠い目で「そうですね」と賛同した。


「わたしは、聖域の夜を思い出していました。野獣のごとき生命力に満ちあふれた聖域の民に囲まれて、わたしはずっと夢の中をさまよっているような心地であったのですが……今日の祝宴は、あの夜にも負けない熱気であるかと思います」


「へへん。聖域の民はともかく、森辺の民を野獣あつかいってのは、ずいぶん無礼な言い草なんじゃねえか?」


「わたしは野獣という言葉に、悪しき意味を重ねたつもりはありません。聖域の民についても、決して悪く言うつもりはありませんでしたので……どうかご容赦をいただけますか?」


 と、レイリスは真摯な眼差しを俺とアイ=ファに向けてきた。

 俺とアイ=ファがどれだけティアに思い入れを抱いていたかは、彼もその目で見届けているのだ。アイ=ファはレイリスと同じぐらい真剣な眼差しで、「うむ」と首肯した。


「私も力ある狩人に対して、まるでギバのようだという思いを抱くことはある。しかし、そこに悪しき意味を持たせたことはない。それに……聖域においては、実際に野獣も同席していたわけであるしな」


「ああ、ヴァルブの狼にマダラマの大蛇ですね。彼らが人のようにくつろいでいる姿こそ、神話や御伽噺そのままの様相であったと思います」


 アイ=ファとレイリスは深い理解を示しつつ、おたがいの姿を見つめている。その姿に、スフィラ=ザザが小さく息をついた。


「きっとレイリスには、アイ=ファやディック=ドムのように沈着で思慮深い狩人が相応しいのでしょう。ゲオルは騒がしくするばかりですので、申し訳なく思います」


「なんだ、それは。文句があるなら、俺はオディフィアたちのもとに参ずるぞ」


 ゲオル=ザザがかぶりもの陰でむくれた顔をすると、レイリスは穏やかに微笑みつつそちらを振り返った。


「ゲオル=ザザ殿とスフィラ=ザザのおかげで、わたしたちは何の不足もなく森辺の祝宴を楽しむことができています。祝宴の場に不相応な話を持ち出してしまい、こちらこそ申し訳ありません」


「レイリスが詫びるいわれはありません。わたしも客人の身でありますが、祝宴をお楽しみいだけているなら心より嬉しく思います」


 スフィラ=ザザはいつも通りクールな面持ちであるが、その眼差しはやわらかい。悲恋の思い出を乗り越えて、レイリスと確かな絆を結びなおすことができたのだ。俺としても、何だか心の温かくなるやりとりであった。


 それに――もともと俺はレイリスがウェルハイドに似ているという印象を抱いていたし、アラウトもまたウェルハイドによく似ているのだ。彼らに共通しているのは、誠実さと熱情的な気性と、貴公子らしい立派なたたずまいであった。それが俺には、こよなく好ましく思えるのである。


「おっ! そこにいるのは、シュミラル=リリンじゃねえか! お前と勝負できる日を、心待ちにしてるからな!」


 リーハイムがいきなり声を張り上げると、シュミラル=リリンはやわらかい微笑をたたえつつそちらを見返した。


「はい。再戦、トトスの早駆け大会ですね?」


「俺とお前で勝負といったら、それしかないだろうよ! 今年の復活祭でも、また紫の月の29日に開かれることになったからな! 今回こそ、俺がお前を負かして優勝してやるぞ!」


 昨年の大会において、シュミラル=リリンは優勝、リーハイムは準優勝という立場であったのだ。そういえば、その大会の祝賀会の場においても、リーハイムはシュミラル=リリンを相手に威勢よく啖呵を切っていたのだった。


「私も、大会、楽しみにしています。……ただし、出場、確定していませんので、ご了承ください」


「な、なに? 出場が確定してないって、どういう意味だよ! お前は族長の許しさえあれば、また出場すると言っていたはずだぞ! まさか、族長の誰かに文句でもつけられちまったのか?」


「いえ。本年も、森辺の民、大会、挑むこと、決められました。……ただし、希望者、すべてでは、人数、多すぎるため、森辺の内、予選のようなもの、行うのです。そちら、勝たない限り、大会、出場できません」


「なんだ、そういう話かよ」


 リーハイムは安堵の息をこぼしてから、にやりと不敵な笑みをたたえた。


「だったら、心配いらねえさ。予選だろうが何だろうが、お前が負けるわけないからな。闘技場で、お前が自慢のトトスと一緒にやってくるのを待ってるよ」


 シュミラル=リリンが笑顔で「恐縮です」と一礼すると、頬を染めた貴婦人もリーハイムのかたわらに進み出た。


「わたくしも昨年の大会は、闘技場で拝見しましたわ。本年も、シュミラル=リリン様の優勝するお姿を楽しみにしています」


「だから! 優勝するのは俺だって言ってるだろうがよ!」


 リーハイムは子供のようにわめきたて、貴婦人はころころと笑う。それと相対するシュミラル=リリンとギラン=リリンが楽しそうな笑顔であったため、これもまた微笑ましい構図であった。


「トトスの早駆け大会か。……レイナよ。やはり先刻の一件は、アスタにも話を通しておくべきであろう」


 ジザ=ルウがやおらそのように言いだすと、レイナ=ルウはきりりとした面持ちで「はい」と進み出た。


「アスタ。ファの家には決してご迷惑をおかけしないとお約束しますが……わたしは復活祭の期間、何度か城下町で仕事を果たすことになるかもしれません」


「え? そうなのかい? いったい、どういう仕事だろう?」


「サトゥラス伯爵家が主催する晩餐会や、トトスの早駆け大会の祝宴で、厨を預かる仕事となります」


 そのように語りながら、レイナ=ルウはますます真剣な面持ちになっていった。


「リーハイムはすでに先刻、ドンダ父さんにもそのご依頼を伝えているそうです。それでドンダ父さんは、屋台の商売に無理が生じないようであれば、わたしやララの判断に任せる、と……そのように言ってくれたようであるのです」


「へえ、それはすごい話だね。屋台の商売を休まず続けながら、晩餐会や祝宴の仕事を受け持つっていうのは、かなり大変そうだけど……本当に大丈夫なのかな?」


「はい。ララともしっかり相談しなければなりませんが、わたしはきっとやりとげられるはずだと考えています」


 レイナ=ルウがそのように決断したのなら、俺が口を出すいわれはない。俺は万感の思いを込めて、「そっか」と笑いかけてみせた。


「それなら俺は、陰ながら応援しているよ。何かあったら、遠慮なく相談してね」


「ありがとうございます。でも、決してご迷惑はかけませんので」


 すると、こちらのやりとりに気づいたリーハイムが、いくぶん申し訳なさそうに声をかけてきた。


「なんか、大仰な話になっちまったみたいだな。やっぱり俺は、レイナ=ルウに迷惑をかけちまったかい?」


「いえ、とんでもありません。リーハイムのお誘いは、いつも心からありがたく思っています」


 レイナ=ルウは眉の角度に凛々しさを残しつつ、可能な限りやわらかく微笑んだ。


「正式なお返事を差し上げるのはララと話し合ってからになりますが、わたしは何とかやりとげたく思っています。もしもお話がまとまったあかつきには、どうかよろしくお願いいたします」


「うん。実現したら、俺も嬉しいよ。でも、毎回わがままを聞いてもらうばっかりで、やっぱり申し訳ねえよな。……今日の祝宴だって、貴族をこんなに呼ぶ羽目になっちまったのは、やっぱり俺の責任なんだろうしよ」


 確かに、リーハイムは森辺で祝宴を開いてほしいと申し出ていた筆頭のひとりであったのだ。もとよりこちらは復活祭が始まる前に親睦の祝宴を開こうかと企画していたのだが、そこにリーハイムからの要望も重ねられて、これほどの規模に拡大されたという背景があったのだった。


「それは責任というよりも、むしろ功績と称するべきではないだろうか? 貴方が森辺の祝宴に参じたいと強く願ったからこそ、我々はこれほど大きな祝宴を開く結果となったのだ」


 と、いつでも微笑んでいるような面持ちで、ジザ=ルウはそう言った。


「我々は、外界の民と正しく絆を深められるように励んでいる。この祝宴も、その大きな一助となることだろう。なおかつ以前にも語った通り、森辺の族長筋たるルウ家と宿場町の領主たるサトゥラス伯爵家は、余人の手本となるべき立場であるのだからな」


「うん。俺が手本だなんて、恐れ多いばかりだけどよ。まあ、伯爵家の嫡子として、そんな気弱なことは言ってられねえよな」


 リーハイムは持ち前の不敵さを取り戻して、にっと白い歯をこぼした。

 そこに、新たな一団が近づいてくる。バナーム侯爵家とトゥラン伯爵家の一行で、案内役はララ=ルウとシン=ルウだ。


「うわ、こっちはすごい人だかりだね。あたしたちにも、料理をもらえる?」


「ああ。俺たちは、すでに食べ終えている。場所を譲るので、心ゆくまで味わってもらいたい」


 ジザ=ルウにうながされて、その場の面々が移動し始めた。その際に、レイナ=ルウがララ=ルウに素早く囁きかける。


「ララ、祝宴が終わったら話したいことがあるから、少し時間を作ってね」


「ええ? なんだか、やな予感がするなぁ。復活祭が目前なんだから、あんまりややこしい話は言い出さないでよ?」


 ララ=ルウは苦笑しながら、レイナ=ルウの肩を小突いた。もはやララ=ルウのほうが10センチばかりも長身になっているし、今は発奮するレイナ=ルウをなだめるような面持ちであるので、どちらが姉であるかもわからなくなってしまいそうだ。ひと昔前には、なかなか想像もつかないような図であった。


 そうしてレイナ=ルウもリーハイムたちを追いかけて、空いたスペースにリフレイアたちが居並ぶ。その中から、アラウトが俺に笑いかけてきた。


「ようやくお会いできましたね、アスタ殿。やはりこれだけの賑わいですと、すべての方々にご挨拶をするのも難しいようです」


「そうですね。でも、アラウトも祝宴を楽しんでおられるようで、何よりです」


「はい。先刻までは、またミダ=ルウ殿やヤミル=レイのお手をわずらわせることになってしまいました」


 そういった人々も、10日ぶりにアラウトと再会することになったのだ。俺となかなか出会えなくとも、交流を紡ぐお相手に不足することはないはずであった。


「レイリスが、名残惜しそうにシン=ルウのことを見てたね。なんなら、あっちにつきあってあげれば?」


 ララ=ルウがそんな言葉を投げかけると、シン=ルウは落ち着いた面持ちで「いや」と応じた。


「まだまだ時間はあるはずなので、急ぐ必要はなかろう。レイリスとは、またのちほどゆっくり語らせてもらおうと思う」


「そっか。こっちはあたしだけでも心配ないから、シン=ルウも好きなように動いてね」


 ララ=ルウが力強く笑いかけると、シン=ルウもゆったりと微笑んだ。何だかもう、長年つれそった伴侶であるかのような信頼の空気が感じられる。ジザ=ルウとレイナ=ルウのペアにも負けない心強さであった。


「あれ? アスタたちは、こっちに居残ってていいの?」


「うん。俺たちも話に夢中になって、まだこっちの料理をいただいてなかったんだよ。それに、ギラン=リリンをアラウトたちに紹介したかったしさ」


 俺の言葉を受けて、ギラン=リリンが笑顔で進み出た。


「俺はルウの眷族リリンの家長で、ギラン=リリンと申す者だ。城下町の祝宴などで、家人のシュミラル=リリンが世話になったそうだな」


「ああ、あなたがシュミラル=リリン殿を家人に迎えたというリリンの家長殿ですか。初めまして。バナーム侯爵家のアラウトと申します」


 アラウトとギラン=リリンであれば、おかしな不和が生じる恐れは微塵もない。俺は安心してそのさまを見届けることができた。

 いっぽうアイ=ファは、うろんげな眼差しで周囲の人々を見回している。


「ララ=ルウよ、フェルメスとはまだ顔をあわせていないのであろうか? あやつらは、アラウトやリフレイアを探し求めていたようであったのだが」


「あー、フェルメスたちなら、向こうでそれなりに語らったよ。でも、こっちもこの通りの人数だから、すぐに別れることになっちゃった。今はユーミたちと語らってるんじゃないかな」


 フェルメスとユーミも、すでに顔馴染みである。なおかつユーミは森辺に嫁入りを考えている立場であったため、フェルメスにとってもそれなりに重要な存在であるのかもしれなかった。


「とりあえず、料理をいただこうか。話し込んでると、ついつい食べるのを忘れちゃうもんね」


 そんなララ=ルウの導きによって、俺たちも宴料理をいただくことになった。

 こちらの簡易かまどで配られていたのは、蜜漬け肉の揚げ焼きだ。その場で揚げたてをいただけるので、お味のほうは文句のつけようもなかった。


「リフレイアも、お疲れ様です。……今日も早くからいらしていたので、ちょっとお疲れではないですか?」


 俺がそのように声をかけたのは、リフレイアがいくぶん力なく見えたためであった。

 しかしそうすると、リフレイアは毅然とした面持ちになって胸を張る。


「疲れるなんて、とんでもない。まだ祝宴が始まって、一刻かそこらでしょう? わたしはそんなに軟弱ではないつもりよ」


「それは失礼いたしました。お気を悪くさせたなら、お詫びします」


「お詫びには及ばないわ。……きっとわたしは、内心の鬱憤がこぼれてしまっていたのでしょうからね」


 リフレイアが小声でそのように付け加えたので、俺はたちまち心配になってしまった。


「鬱憤とは、どういうことです? フェルメスあたりに、何か言われたのですか?」


「いいえ。余所のお人などは、無関係よ。ただひたすら、自分自身が不甲斐ないの。まあ、わたしが至らない人間であることは、最初から歴然としているのだけれどね」


 そんな風に言ってから、リフレイア少しすねたような目で俺を見やってきた。


「ところで、密談のさなかに丁寧な言葉をつかう理由はないのじゃないかしらね」


「いや、密談してるつもりはなかったんだけど……わかったよ。言葉をあらためるから、何で元気をなくしているのか聞かせてもらえるかな?」


「だから、自分が不甲斐ないのよ。それで周りの方々を不快な心地にさせてしまっているのが、居たたまれないの」


 と、リフレイアは張っていた肩を落として、小さく息をついた。

 遠からぬ場所からは、シフォン=チェルやサンジュラやムスルが心配そうに主人の様子をうかがっている。そんな彼らのためにも、俺は言葉を重ねてみせた。


「リフレイアが周りの人を不快にしてるなんて、そんなことはないと思うよ。いったい何があったんだい?」


「ジーダやバルシャ、マイムやミケルといった方々のことよ。わたしがわざわざ忌まわしい話を蒸し返してしまったものだから、あの方々を不快な心地にさせてしまったの」


 そうして語っていく内に、リフレイアはますます悄然としてしまう。ここ最近ではなかなか見せることのなかった、気弱げな姿だ。


「でも、それが当たり前の話よね。わたしはこれまでだって、いくらでも詫びる機会があったのに……2年以上も経ってから、思い出したようにそんな話を蒸し返されたって、不快なだけでしょう。どうせ自分が楽になるために詫びているのだと思われても、しかたないわ」


「ミケルたちは、決してそんな風に思ったりはしないはずだよ。何か文句を言われたわけではないんだろう?」


「何も口に出さなくったって、態度でわかるわよ。わたしやアラウト殿が近づこうとすると、あのお人らはあからさまに嫌そうな顔をしていたもの。わたしの巻き添えでアラウト殿まで疎まれることになってしまって、もう誰にも顔向けできない気分だわ」


 これはずいぶん、根の深い落ち込みようである。

 俺は腰を据えて、リフレイアを励ますことにした。


「俺にも状況は理解できたように思うよ。でもね、ミケルたちはそんな気持ちで渋い顔をしていたんじゃないさ。ただ、もう過去の悪縁は忘れて、未来に目を向けてほしいと思ってるだけなんじゃないのかな」


「でも……ミケルは本当に、不快そうなお顔をしていたわ」


「それはもう、ミケルのもともとの性分なんだよ。俺だって、ミケルにはしょっちゅう渋い顔をされてるからさ」


 おどけた笑顔も交えつつ、俺はそのように言いつのった。


「それに、ミケルたちはことさら丁寧に扱われるのが苦手な性分であるはずだからね。あまり真正面から謝られると、反応に困っちゃうんだと思うよ。ミケルたちに謝るのは今日限りにして、これから正しい関係を結べるように心がければ、問題なく仲良くなれるはずさ」


「でも……」


「それにね、悪さをしたのはサイクレウスやシルエルであって、リフレイアに罪のある話じゃない。みんなそれがわかっているからこそ、リフレイアに謝られると困惑しちゃうんだよ。だから逆に、リフレイアが気の毒で居たたまれないっていう気持ちも生まれちゃうんじゃないかな」


 俺は、そのように考えていた。ミケルやマイム、バルシャやジーダというのは、それぐらい情の深い人間であるはずなのだ。


「リフレイアはしっかり家族の罪と向き合ったんだから、今日の謝罪でもう十分だよ。あとは心置きなく、ミケルたちと交流を深めてほしいな。きっとミケルはいつまでたってもぶっきらぼうだろうけど、それはもともとの性分だからね。めげずにおつきあいしていけば、ミケルがどれだけ魅力的なお人であるかも理解できるはずだよ。マイムはもちろん、ジーダやバルシャも同様にね」


「……そんな風に諭されていると、わたしは幼子に戻ってしまったような心地だわ」


 そう言って、リフレイアは淡く微笑んだ。

 目もとにうっすらと光るものがあったが、年齢相応のあどけない微笑みだ。


「心配をかけて、ごめんなさい。それに、ありがとう。こんな話は、周囲の誰にもできなかったから……どうしていいか、わからなかったの」


「リフレイアなら、大丈夫だよ。リフレイアは北の民だったシフォン=チェルや、ジーダたちと同じ立場だったアラウトとも心を通わせることができたじゃないか。それだって、そんな簡単な話ではないはずだよ」


「わたしなんて、ちっぽけな存在よ。だからこそ、落ち込んでるひまなんてないのよね」


 リフレイアは再び胸を張って、俺に笑いかけてきた。


「感謝しているわ、アスタ。どうかこれからも、わたしがあがく姿を見守っていてね」


「うん。頑張ってね」


 リフレイアは芝居がかった仕草で貴婦人の礼をして、ララ=ルウやアラウトのほうに戻っていった。そちらでは、ギラン=リリンたちも交えて歓談していたのだ。

 シフォン=チェルらも俺に目礼をしてから、それを追っていく。そして、影のように控えていたアイ=ファが、俺の耳もとにそっと唇を寄せてきた。


「リフレイアは、いまだ若年であるからな。時には、惑うこともあろう。むしろ、あれほどの若年でずいぶん力を尽くしているように思うぞ」


「うん。俺もそう思ってるよ」


 俺が笑顔を返すと、アイ=ファもやわらかく微笑んだ。

 そこに、また新たな一団が近づいてくる。プラティカとニコラの料理人コンビに占星師のアリシュナを加えた、ちょっと風変わりな組み合わせだ。


「アスタ、アイ=ファ、ようやく、お会いできました。ご挨拶、遅れてしまい、恐縮です」


 そのように声をあげたのは、アリシュナのほうだ。俺は「いえいえ」と笑顔を返してみせた。


「おたがい客人の身でありますが、やっぱりご挨拶を申しあげるのはこちらの側でしょう。アリシュナは、プラティカたちとご一緒だったのですね」


「はい。先刻まで、敷物にて、身を休めていましたが、プラティカ、通りかかったので、同行、願いました」


 アリシュナは試食会の場においても、プラティカやククルエルと行動をともにすることが多かったのだ。そこはやはり東の民同士、相通ずるものがあるのだろう。


「アリシュナは体力の面に不安があるというお話だったので、俺もちょっと心配していたのですよ。問題なく過ごせていますか?」


「はい。ですから、身を休めていたのです。そちらでも、有意義な語らいの場、持つこと、かないました」


「へえ。ちなみに、どういった方々と語らっていたのです?」


「名前、覚えきれていませんが……場の中心、傀儡の劇、登場していた、ダン=ルティムです」


 あの豪放なるダン=ルティムのもとでアリシュナがくつろいでいたのかと想像すると、俺は何だか愉快な心地であった。


「とりあえず、こちらの宴料理もいただきましょう。かまどの前は混雑しているようですので、わたしが人数分を確保してまいります」


 と、ニコラがいくぶん焦れた面持ちで、賑わいの場に突入していく。するとプラティカは、いくぶん慌てた様子で俺たちを見回してきた。


「ひとりで三人前、確保する、難しい、思います。アリシュナ、こちら、お待ちいただけますか?」


「はい。お手数、おかけします」


 アリシュナが恭しげに一礼すると、プラティカも小走りでニコラを追いかけた。日を重ねるごとに、彼女たちは交流が深まっているようだ。


「……私、世慣れていないため、ご迷惑、かけるばかりです。無念の思い、つのります」


「あはは。アリシュナは初めて森辺の祝宴に参席されたのだから、お気にすることはありませんよ。森辺の祝宴は、楽しめていますか?」


「はい。きわめて、有意義です」


 と、アリシュナは夜の湖を思わせる神秘的な瞳で、広場の賑わいを見回した。


「森辺の民、誰もが強靭です。そして、強靭な人間、強い星、有しています。この場、流星群のごとき輝き、あふれています」


「ああ……アリシュナにも、この場はそのように見えるのですか」


 ドムの祝宴において星の輝きに圧倒されてしまっていたクルア=スンの姿を思い出しながら、俺はそのように反問した。

 アリシュナは何を恐れる様子もなく視線を巡らせつつ、「はい」と首肯する。


「それに、運命の星、大きく動くとき、光の軌跡、残されます。この場、アスタ、ゆかりの深い人間、集っているため、その傾向、顕著であるのです。ゆえに、流星群、さながらです。城下町の貴族、宿場町の民、例外ではありません。アスタ、関わった人間、誰もが、運命、大きく動いているのです」


「……そういった話を、あまり軽々しく語るべきではなかろう」


 アイ=ファが鋭い面持ちで進言すると、アリシュナは優美な仕草でそちらを振り返った。


「アイ=ファの星、とりわけ輝かしい、思います。その美しき外見、負けぬほどです」


「……私の話を聞いているのか?」


「はい。ですが、他者の運命、読み解いていませんので、問題、ないかと思われます」


 アイ=ファの苛烈な眼光とアリシュナの沈静した眼差しが、真正面からぶつかりあう。ひさびさの、山猫とシャム猫の対峙めいた様相だ。


「私はフェルメスの参じている場で、あやつの関心をかきたてそうな話を口にするなと言いたてているのだ。お前とて、あやつのことを警戒していたのであろうが?」


「はい。ですが、このていどの話であれば、フェルメス、承知しているでしょう。私、アスタにとって、不利な振る舞い、決してしません。信用、願います」


「信用されたいなら、それに相応しい振る舞いを身につけるがいい」


 アイ=ファがぶっきらぼうに応じたところで、プラティカとニコラが戻ってきた。そしてプラティカが、紫色の目をうろんげにすがめる。


「何か、諍いですか? 空気、強張っています」


「いや。諍いというほどのことではない。……誰もがお前のように好ましい人柄をしていれば、私が気を立てることにもならないのだがな」


「い、意味、はかりかねます」


 プラティカは黒い頬に血の気をのぼらせつつ、アイ=ファのことをにらみつけた。アイ=ファは目だけで笑いながら、「すまんな」と詫びる。


 そうしてプラティカたちが蜜漬け肉の揚げ焼きを食している間は、ララ=ルウたちも交えて歓談することになった。

 どのような組み合わせになっても、和やかな空気に変わるところはない。そうして存分に歓談を楽しんで、そろそろ次の場に移ろうかという空気になりかけたとき――「アイ=ファー!」という元気な声が投げかけられてきた。ターラとルド=ルウを引き連れた、リミ=ルウだ。


「やっとお仕事が終わったよー! もうすぐ舞の刻限だっていうから、いっしょにおどろー!」


「いや、私は舞というのはあまり……」


「いいじゃねーか。伴侶を求める舞ではねーんだからよ。……お、シン=ルウ。お前も横笛の準備をしてくれよ」


 リミ=ルウたちの登場で、その場はいっそう賑やかになっていく。

 溜息をついているアイ=ファに、俺はもういっぺん笑いかけてみせた。


「まあ、みんなで踊る舞なら、いいんじゃないかな。みんなの後をついて回るだけで、十分に楽しいしさ」


「……私は外から眺めているほうが、楽しい心地であるのだがな」


 そう言って、アイ=ファは苦笑した。


「まあ、あまり頑なに拒むのも、無粋な話か。きっとユーミなどは、このあとに歌を所望されるのだろうしな」


「そうそう。復活祭の前祝いと思って、楽しくやろうよ」


 思えば、森辺でこういった舞が披露されるようになったのも、2年前の復活祭がきっかけであったのだ。

 あの時期に、森辺の民は外来の客人を晩餐や祝宴に招くようになり、自らも積極的に宿場町やダレイムに向かい――そうして、現在に至る。わずか2年で、俺たちはさまざまな変転を迎えていたのだった。


 本年の復活祭には、いったいどのような喜びや驚きが待ち受けているだろうか。

 そんな期待に胸を弾ませながら、俺はアイ=ファとともに儀式の火を目指して足を踏み出すことになったのだった。

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― 新着の感想 ―
[一言] 同じ繰り返しかもだけど、ユーミの歌の反応が読みたかったなぁ。
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