復活祭の前祝い③~心尽くし~
2022.12/21 更新分 1/1
「あ、アスタにアイ=ファ、こっちだよー!」
俺たちが広場を進んでいくと、行く手から元気な声が投げかけられてきた。
こういう場でこういう声をあげてくるのは、おおよそユーミである。しばらくすると、簡易かまどの前で人の輪を作っているユーミの姿が見えてきた。
「あ、リリンのおふたりも一緒だったんだね! アイ=ファの姿がきらびやかすぎて、うっかり見逃しちゃってたよ!」
「……そういう軽口は、控えるがいいぞ」
アイ=ファがぶすっとした面持ちで応じると、ユーミは悪びれた様子もなく白い歯をこぼす。彼女も祝宴が始まる前に、豪奢な宴衣装に着替えていた。
一緒にいるのはユン=スドラとジョウ=ラン、ベンとカーゴ、ディアルとラービスの6名である。そして、簡易かまどで宴料理を取り分けている年配の女衆も交えて、歓談に励んでいた様子であった。
「ここの料理も、美味しいよー! ま、森辺の祝宴で美味しくない料理なんて、お目にかかったことはないんだけどさ!」
「それじゃあ俺たちも、さっそくいただこうかな」
そちらで配られていたのは、カレー風味の焼きうどんであった。大量に作り置きしたものを鉄板で温めなおしつつ、木皿に取り分けているのだ。
なかなか面倒な作業であるが、当番である年配の女衆らは手馴れた様子で役目を果たしている。あまり面識はないが、おそらくはミンあたりの女衆であろう。屋台の商売に関わっていない女衆でも、今はこれだけ腕をあげていたのだった。
「ベンやカーゴも、お疲れ様です。ひさびさの祝宴を楽しめていますか?」
「もちろんさ! さっきまで、あのサトゥラスの貴族様とも語らってたしな!」
「ありゃあ本当に、気さくな貴族様だな。お姫さんのほうも、だいぶん心がほぐれてきたみたいだしよ」
お姫さんというのは、サトゥラス伯爵家の若き貴婦人のことであろう。いかにも貴婦人らしい気性をした彼女もこの場に順応できていれば、何よりであった。
「リーハイム殿なんて、一時期は森辺の民を目の敵にしてたのにねー! まさか一緒に森辺まで出向く日がやってくるなんて、あの頃は夢にも思ってなかったよ!」
ディアルもにこにこと笑いながら、そんな風に言っていた。彼女は昔日の晩餐会などで、リーハイムが俺たちの料理に毒づく姿などを見届けていたのだ。そういえば、アラウトの兄たるウェルハイドを歓迎する晩餐会でも、リーハイムはそういった姿を見せていたはずであった。
「ギラン=リリンにシュミラル=リリン、この前はありがとうね。ヴィナ・ルウ=リリンと赤ちゃんは、元気にやってる?」
と、ユーミはリリンのふたりに笑いかけている。フォウとヴェラの婚儀で思うところのあったユーミは、ジョウ=ランともどもリリンの家を訪れることになったのだ。それは、今のふたりが見習うべきはシュミラル=リリンとヴィナ・ルウ=リリンの両名であると判じての行いであった。
「はい。ユーミ、ひさびさ、再会できて、ヴィナ・ルウ、とても喜んでいました。かなうなら、また来訪、お願いします」
「ほんとにー? 復活祭が始まると身動きが取りづらいから、その前にもういっぺんお邪魔しちゃおうかなー」
「はい。ヴィナ・ルウ、喜びます。私もまた、同様です」
「えへへ。そう言ってもらえると、嬉しいな」
ユーミは古きの時代から、ヴィナ・ルウ=リリンと仲良くしていた身であったのだ。婚儀の心構えを学ぶといった名目がなくとも、ヴィナ・ルウ=リリンやその子に会えるだけで楽しいのだろう。
「できることなら、うちの親父たちもシュミラル=リリンに挨拶をさせたいんだけどさー。ついこの間もランの家にお邪魔するのに家族総出で宿を抜けちゃったから、なかなか都合がつかなくってね。……シュミラル=リリンは、しばらく宿場町に下りる予定はないの?」
「はい。なるべく、家族で過ごしたい、願っています。……それでも、復活祭、始まったならば、宿場町の様子、多少はうかがいたい、考えています」
「それじゃあ、もし都合の合いそうな日があったら、声をかけてもらえない? あたしも何とか屋台の人手を工面して、手を空けるから!」
「はい。承知しました」
ユーミの積極性とシュミラル=リリンの優しさが、いい具合に調和しているように感じられる。
そしてその間に、ベンやカーゴはジョウ=ランにからんでいた。
「何だかすっかり、ユーミに手綱を握られっぱなしだなー。うかうかしてると、夫婦になった後も尻に敷かれちまうぜ?」
「そうそう。こういう話は、最初が肝心なんだからな」
「聞こえてるよ、あんたたち! 人をからかってるひまがあったら、あんたたちも伴侶のひとりぐらいつかまえてみな!」
ユーミは赤い顔をしながら、ベンの尻を蹴っ飛ばすふりをする。それでもジョウ=ランはにこにこと笑っているばかりで、頼もしいのかそうでないのか、俺には今ひとつ判然としなかった。
さらに、そういった賑わいを一歩離れた場所から見守っている人物がいる。宴衣装の、ユン=スドラである。名目上、ジョウ=ランはユン=スドラの付添人であるのだった。
「……ユン=スドラも、祝宴を楽しめているかな?」
俺がこっそりそのように問いかけると、ユン=スドラはきょとんとした顔で振り返ってきた。宴衣装のきらびやかさばかりでなく、灰褐色の髪を背中に垂らしているのが、とても新鮮だ。
「ええ、もちろんです。わたしは何か、アスタを心配させてしまいましたか?」
「いや。こういう場だと、何だかユン=スドラがジョウ=ランのお守りをしてるように見えちゃってさ」
俺の言葉に、ユン=スドラは「まあ」と微笑んだ。
「確かにジョウ=ランは幼子めいたところがありますけれど、そうまでわたしが世話を焼いているわけではありません。その役目は、ユーミが果たしてくれていますからね」
「うん。でもやっぱり、ユン=スドラも不自由な思いをしてるんじゃないかな? ジョウ=ランと別行動ってわけにもいかないんだろうしね」
ユン=スドラとジョウ=ランは、この場でふたりきりの血族であるのだ。なおかつ、ずいぶん交流が深まってきたとはいえ、これは族長筋たるルウの祝宴なのである。小さき氏族の人間にとっては、そうまで自由気ままに振る舞える環境ではないはずであった。
(だからこうやって、ルウの血族じゃないかまど番には付添人の同伴が認められてるわけだけど……ユン=スドラは、むしろジョウ=ランに付き添ってあげてるみたいな立ち位置になっちゃってるもんな)
俺がそのように思案していると、ユン=スドラは微笑みを絶やさないまま「大丈夫です」と言葉を重ねた。
「わたし自身、ユーミたちとご一緒できるのはありがたいお話ですし、行く先々ではさまざまな相手と交流を深めることができています。わたしも心から今日の祝宴を楽しんでいますので、どうかご心配なさらないでください」
「そっか。……ユン=スドラは、本当に立派だね」
「そ、そんなしみじみと仰らないでください」
と、ユン=スドラはわずかに頬を染める。宴衣装であるために、そんな姿も普段以上の可愛らしさであった。
「じゃ、そろそろ移動しよっか! アスタたちは、また後でねー!」
しばらくして、ユーミたちとはお別れすることになった。なんなら合流してもよかったのだが、俺たちは逆回りで簡易かまどを巡っていたのである。ならば、ひと回りしたのちに機会を待ちたいところであった。
そんなわけで、またファとリリンの4名で進軍だ。ギラン=リリンと祝宴をともにするのはひさびさであったので、俺にとっては十分に新鮮で心の弾む組み合わせであった。
「今さらですけど、ウル・レイ=リリンは本日いらっしゃらないのですか?」
「うむ。リリンには幼子が多いので、ウル・レイにも家を守ってもらうことにした。……俺の息子もエヴァを守るのだと言って、はりきっておったぞ」
ギラン=リリンのご子息は、いまだ6歳の幼子である。そのさまを想像しただけで、俺は涙が出そうなぐらい微笑ましい心地であった。
「あとは俺の弟と、ともに暮らす男女の若衆だけが参じている。赤子や幼子を抱えていないのは、その者たちだけであったのでな」
「なるほど。リリンからは、5名だけですか。まあ、今日は全血族の7割ていどの人数ですもんね」
「うむ。家に残した家人の分まで、外来の客人らと絆を深めなければな」
そのように語っている間に、次なるかまどに到着した。
おあつらえむきに、そちらは《銀星堂》の面々に割り振られたかまどである。ギラン=リリンにも、存分に絆を深めていただきたいところであった。
「ロイにシリィ=ロウ、お疲れ様です。調子はいかがですか?」
「よう、アスタ。今のところ、森辺のお人らを落胆させてはいないようだぜ」
気さくに笑うロイのかたわらで、シリィ=ロウは真剣そのものの面持ちだ。そしてその目が俺の姿をとらえるなり、いっそう鋭い光をたたえた。
「アスタの料理は、さきほどボズルが運んでくださいました。決して目新しい内容ではないようでしたが……ネルッサの食感が、巧みに活かされていたように思います。味付けも、素朴なれども見事な仕上がりでした」
「ありがとうございます。おふたりの料理も、楽しみにしていましたよ」
ロイたちは早い時間からルウの集落にお邪魔して、今回もひとりひと品ずつ準備していたのだ。そしてボズルが取り分けの必要がない料理を準備して自由に広場を行き交っているというのも、以前と同じ様相であった。
「今日の俺は、舌休めの料理を準備したつもりだからな。シリィ=ロウとボズルの料理の合間に食べることをおすすめするぜ」
「そうですか。では、シリィ=ロウの料理をお願いします」
シリィ=ロウは無言のまま、鉄鍋の料理を取り分けてくれた。いかにも辛そうな香りのする、煮込み料理である。ただ、木皿に取り分けられたそちらの料理は、ほとんど汁気が感じられなかった。
「こちらは煮物と焼き物の間を取った調理法となります。そちらのフワノと一緒にお召し上がりください」
台の手前に、平たいフワノの生地が山積みにされている。そちらも淡いグリーンをしており、何らかの食材が練り込まれているようであった。
いっぽう木皿の料理は、ひと口サイズの肉に赤茶けたソースがまぶされている。見た目としては、生姜焼きを汁気がなくなるまで炒めたような質感だ。それで細かく刻まれた何らかの具材が、ソースの粘性で肉の表面にびっしりとひっついている格好であった。
「ほう、こちらはギバ肉であったのだな。これはありがたい」
「はい。きわめて美味、思います」
リリンのふたりは、そのように評していた。
それに続いて、俺がそちらの料理を頬張ってみると――さまざまな香りと味わいが、口の中に広がっていった。
思っていたほど、辛くはない。甘みや塩気や香ばしさの裏側に、辛みがひっそりと控えている格好である。ミソやタウ油を基調にしつつ、豊潤な香りを演出するために数多くの香草が調合されているようであった。
「これは、不思議な味わいですね。香味焼きとミソ煮込みを足して二で割ったような……このほのかな辛みは、マロマロのチット漬けですか?」
「はい。それ以外にも、香草で辛みを重ねています。甘みはミンミとラマムと花蜜で、食感と風味のためにアールも使用しています」
細かく刻まれていたのは、香草と栗のごときアールであったのだ。全体の味が濃厚であるのでアールの風味までは感じられなかったが、きっとこの香ばしさを支えている一因であるのだろう。さまざまな具材を掛け合わせて新たな味わいを生み出すというのが、ヴァルカスの基本の作法であるのだ。焼きフワノのほうにも清涼なる香草の風味が感じられて、木皿の料理とともに食せば美味しさも倍増であった。
「アールに花蜜と、ふたつも目新しい食材を使っているのですね。料理の味わいそのものも目新しいですし、とても美味しいと思います」
「……ギバの料理で森辺の方々を失望させなかったのなら、幸いです」
いっそう真剣な面持ちになりながら、シリィ=ロウはそう言った。
そちらに微笑みかけたのは、シュミラル=リリンである。
「こちら、香草の使い方、不可思議です。不可思議ですが、とても好ましい、思います。東の民、喜ばれる、思います」
「ありがとうございます。東のお生まれの御方にそう言っていただければ、心強い限りです」
「それじゃあ次は、俺の料理で舌を休めてくれよ」
別の木皿に、ロイが自らの料理を取り分けてくれた。
それを受け取った俺は、思わず「ああ」と微笑をこぼす。
「こちらは、ドーラですね。とても見覚えがあるように思います」
「ああ。お前の考案した扱い方を、さっそく参考にさせていただいたよ」
俺はかつて城下町でドーラのそぼろあんかけという料理を供してみせた。カブに似たドーラはきわめて汁気を吸い込みやすいという特性があったため、それを活用してみせたのだ。
そしてのちに行われた城下町の吟味の会において、俺はドーラの特性を解説してみせた。ロイはそれを応用したということであった。
四つに割られたドーラは淡い緑色のスープにひたりながら、くったりとしている。きっとその内側に、このスープを存分に吸収していることだろう。あとは、このスープがいかなる味を備えているかであった。
期待を込めて、俺は木匙ですくったドーラを口に運ぶ。
すると、期待以上の味わいが口の中に広がった。
基本の味は、甘辛い。それに、塩気と香草もきいている。そして何より、出汁の存在が力強かった。
これは間違いなく、ギバ肉の出汁である。
ギバ肉は具材として使われていないのに、その風味や脂がしっかりとスープに溶け込んでいたのだ。それを土台にして、さまざまな調味料と香草がふくよかな味を織り成していたのだった。
「出汁を取ったギバ肉は捨てたりせずに、ボズルの料理で使ってもらってるからな。どうか安心して味わってくれよ」
「これは素晴らしい味わいですね。森辺でも、喜ぶ人は多いと思います」
「ふふん。他の具材との折り合いがついてないんで、今のところは前菜や副菜どまりだけどな。ここ最近の料理では、こいつが一番森辺のお人らに喜ばれるかなと思ったんだよ」
すると、アイ=ファが厳粛な面持ちで穏やかな眼差しをたたえながら進み出た。
「貴族の客人を多数迎えた祝宴において、お前はあくまで森辺の民のために宴料理を準備したということだな。その心情を、得難く思う」
「そんな大仰な話じゃねえよ。そりゃあ城下町の晩餐会だったら貴き方々のために腕を振るうが、ここは森辺の集落なんだからな」
ロイは屈託なく白い歯をこぼし、アイ=ファもいっそう穏やかな眼差しとなった。そんなさまを、ギラン=リリンも温かい目で見守っている。
そうして最後は、ボズルの料理だ。そちらはフワノの生地の上に具材をのせた、城下町の祝宴でよく見る軽食の形式であった。
そちらで使われているギバのミンチこそが、ロイの使用したギバ肉を再利用したものであるのだろう。煮込んだ後のギバ肉を細かく挽いて、調味液とともにまた煮込んだものであるらしい。そしてそれは味付けのペーストとして使われており、主役は薄切りにされたギバ肉のローストとギャマの乾酪であったのだった。
蒸し焼きにされたギバ肉は、ぷちぷちとした弾けるような食感である。これは、蜜漬けにされた肉の食感だ。ペーストのほうはミソを主体にした外連味のない味わいで、乾酪の風味とも調和している。そして、ギバ肉が多重に使われているため、ひとつまみだけでもどっしりとした食べごたえであった。
「こちらはいかにもボズルらしい、力強い味わいですね。これはとりわけ男衆に好まれそうですけど……ギラン=リリンは、いかがです?」
「うむ、好ましい。うちの女衆にも、作り方を手ほどきしてもらいたいぐらいだな」
「……わたしの料理は、やはり森辺の方々に不相応ということでしょうか?」
すかさずシリィ=ロウが声をあげると、ギラン=リリンは「いやいや」と微笑んだ。
「こちらの料理は、普段の晩餐でも口にしたくなるような味わいであるということだ。シリィ=ロウの料理は華やかで、目新しく、宴料理に相応しい出来栄えであるように思うぞ」
「……わたしの名前を、ご存じであられたのですね」
「客人らは祝宴に招かれるたびに、名乗りをあげているではないか。こちらのほうが先に見覚えるのも当然であろう」
そう言って、ギラン=リリンはいっそうにこやかに笑い皺を深めた。
「俺はリリンの家長、ギラン=リリンという者だ。ルウの血族は数が多いので名前を覚えるのもひと苦労であろうが、このシュミラル=リリンが暮らすリリンの家長と覚えてもらえれば幸いなところだな」
「はい。なるべく名前まで覚えられるように努めます。本日は貴重なご意見をありがとうございました」
シリィ=ロウが厳しい面持ちで頭を垂れると、ギラン=リリンは愉快げに笑う。
「シリィ=ロウは、いつも力比べに臨む狩人のごとき気迫だな。そちらはそれだけ真剣にかまど仕事を果たしているということなのであろうが……それとは別に、祝宴を楽しむゆとりも持ってほしく思うぞ」
「俺も毎回、そう言ってるんだがね。ま、料理が尽きれば気もゆるむだろうから、そうしたらいくらでも可愛らしい姿を見せてくれるだろうさ」
「あ、兄弟子に向かって可愛らしいとは、なんという言い草ですか!」
シリィ=ロウは、たちまち真っ赤になってしまう。そういう姿が可愛らしいのだが、本人に自覚はないのだろう。
そこで新たな一団が近づいてきたので、俺たちは場所を譲ることにした。そちらでまた新たな交流が広がれば、幸いな話である。
そうして広場を進んでいくと、向かう先から歓声があげられた。
どうやら、菓子がお披露目されたらしい。数多くの女衆や幼子が群がっており、そこには貴き客人たちの姿もうかがえた。
「俺たちが準備した菓子も、同じ場所に出される手はずになっているんです。シュミラル=リリンたちも、よかったらどうぞ」
そんな風に語りながら、俺たちもそちらの賑わいに接近した。
貴き客人たちというのは、もちろんエウリフィアとオディフィアである。そしてさらにはフェルメスとジェムドの姿もあったため、アイ=ファはいくぶん表情を引き締めることになった。
「ああ、アスタ。そちらはリリンの方々とご一緒だったのですね」
そのように微笑みかけてきたのは、ガズラン=ルティムである。どうやら本日も、ガズラン=ルティムがフェルメスの案内をしてくれていたようであった。
「みなさん、お疲れ様です。フェルメスも、敷物を離れたのですね」
「ええ。この後はリフレイア姫やアラウト殿のご様子もうかがわなければならないため、その前に菓子で滋養をつけさせていただこうかと考えました」
フェルメスは着飾る立場ではないため、装飾の少ない灰色の長衣を纏っただけの姿である。しかしフェルメスはどれだけ地味な格好をしていても、宴衣装の女衆に負けない存在感と優美さであった。
とりあえず挨拶はそこまでとして、俺たちも菓子をいただくことにする。
大きな台の上に色とりどりの菓子が並べられて、かつての麗風の会を思い出させる華やかさだ。獣肉を食せないフェルメスは、屈託のない喜びの表情をたたえていた。
「見ているだけで、胸が躍りますね。アスタたちが準備した菓子は、どれなのでしょう?」
「取り仕切り役は、もちろんトゥール=ディンですけどね。俺たちが準備したのは、右端のふた品です」
「なるほど。もんぶらんけーきではないのですね」
「はい。フェルメスや貴婦人がたは、つい10日ほど前にも口にされていますからね。今日は別の菓子を準備しました」
オディフィアとエウリフィアは、すでにそれらの菓子を口にしている。そのかたわらにたたずむのは、もちろんトゥール=ディンとゼイ=ディンだ。ディンのふたりは最初から、オディフィアたちの案内役を担っていたのだった。
オディフィアは、本日も幸せいっぱいのオーラを漂わせながらトゥール=ディンの菓子を頬張っている。森辺の主要のかまど番はすでに研究段階で試食をさせてもらっていたが、城下町の人々にはいずれも初のお披露目であったのだ。それらの菓子は、モンブランケーキにも負けない出来栄えであるはずであった。
その片方はトゥール=ディンの意欲作、アールを添加したスイート・ノ・ギーゴである。
ノ・ギーゴというのはサツマイモに似た食材であり、トゥール=ディンはそちらでスイートポテトのごとき菓子を作りあげた。そこに今回、栗に似たアールも同じように加工して、それをブレンドさせたのである。
きっとアール単体でも、スイートポテトに似た菓子を作ることは可能なのだろう。もともとトゥール=ディンは、カボチャに似たトライプでもスイートポテトに似た菓子を作りあげていたのだ。
それと同じ要領でアールを加工したトゥール=ディンは、それをノ・ギーゴとブレンドするアイディアを考案した。これは完全に、トゥール=ディン独自のアイディアである。それでこのように素晴らしい菓子が完成されたわけであった。
栗に似たアールとサツモイモに似たノ・ギーゴが、絶妙なバランスでブレンドされている。それぞれ単体でも美味しいアールとノ・ギーゴが掛け合わされて、また異なる味わいを生み出しているのだ。もしかしたら、そこにはヴァルカスの作法の影響というものも存在するのかもしれなかった。
しかしその味わいは、きわめて純朴に美味であると言えるだろう。乳脂や生クリームや卵黄といった食材も使われつつ、そちらの菓子には食材本来の美味しさがあふれかえっていたのだ。それに、砂糖や花蜜を使わずして、とろけるような甘さであったのだった。
そしてもうひと品は、ガトーショコラとガトーラマンパの合わせ技である。ガトーラマンパというのはピーナッツに似たラマンパを使ってガトーショコラのごとき濃厚な味わいと食感を目指した焼き菓子であったわけだが、それを本家本元のガトーショコラと合体させるという、これまたトゥール=ディン独自のアイディアであった。
これはもう、発想の勝利というしかないだろう。もともと完成していた2種の菓子を、重ねて切り分けただけの話であるのだ。しかしそのような安直なる手管によって、これまでになかった味わいが完成されたのである。
「最初はがとーしょこらにラマンパのクリームを加えてみたり、がとーラマンパにちょこのくりーむを加えてみたりしたのですが、うまくいかなくて……それでふたつの菓子を同時に食べてみたら、それがもっとも美味であるように感じられたのです」
この菓子を考案した当初、トゥール=ディンはいくぶん気恥ずかしそうな面持ちでそのように語っていた。
まあ、どれだけ安易な発想であろうとも、重要なのは結果である。きわめて濃厚なるチョコとラマンパが競演するこちらの菓子は、暴力的なまでに美味しかったのだった。
「これは……きわめて繊細な手腕によって、とてつもなく豪放な味わいが作りあげられているかのようですね。トゥール=ディンの新たな一面を垣間見たような印象です」
フェルメスは珍しく、子供のようにはしゃいでいるように見えた。
その姿に、アイ=ファが「ふむ」と声をあげる。
「フェルメスも、存分に祝宴を楽しんでいるようで何よりだ。アスタばかりに執着しないというのも、得難きことだな」
「それはまあ、ここまではガズラン=ルティムがぴったりと寄り添ってくれましたしね」
フェルメスはくすくすと笑い、ガズラン=ルティムは鷹揚なる笑顔であった。
「ただ……僕がこの年で森辺にお邪魔するのは、これが最後となるでしょう。さすがにこのたびは、年の終わりにジェノス城を抜け出すこともできませんし……ここはどうにか、アスタを城下町にお招きできないでしょうか?」
「うーん。復活祭の期間は、さすがに難しいかもしれませんね。俺たちも、明後日からは休みなしで屋台を開く予定ですので」
「では……烈風の会の、祝賀会はいかがでしょう?」
その言葉に、アイ=ファがぴくりと反応した。
「烈風の会とは、トトスの早駆け大会のことだな? ジェノスの貴族らは、またその祝宴にアスタを招こうという心づもりであるのか?」
「いえ。いまだ決定はされていません。多忙なアスタたちを招待するのはかえって迷惑ではないかという声も、一部であげられているそうです」
そんな風に語りながら、フェルメスはどこか甘えるような眼差しで俺とアイ=ファを見比べてきた。
「僕は昨年の祝賀会で、アスタとアイ=ファの信頼を損なってしまいました。ですからアイ=ファも、そのように警戒してしまうのでしょうが……そのように悪い印象を払拭するためにも、アスタたちを招待させていただけないでしょうか?」
「……あなたのそういった眼差しは、きわめて落ち着かない心地にさせられる。まずは、ジェノスの貴族と族長らに話を通すべきではないだろうか?」
「はい。それでもしも順調に話が進められたなら、前向きに検討をお願いできますでしょうか?」
アイ=ファは溜息をこらえつつ、「承知した」と応じた。
「しかし……そうまでアスタとの交流を求めていたのなら、このように復活祭が迫る前に何らかの手段を講じるべきだったのではないだろうか? 昨年もちょうどこれぐらいの時期に、あなたから晩餐会に誘われたように記憶しているぞ」
「ええ。それも考えなくはなかったのですが、僕のほうもいささか多忙であったのです。以前に体調を崩してしまった影響で、ここ最近の調書をまとめるのに時間がかかってしまっているのですよ」
「そんなさなかに、祝宴に参じたということか。まあ、あなたにとってはこれも公務というやつなのであろうがな」
「はい。それと同時に、森辺の方々と絆を深める希少な機会でもありますので」
そう言って、フェルメスはどこかあどけなくも見える顔で微笑んだ。
それはまったく邪気のない、幼子のごとき笑顔であったのだが――けっきょくアイ=ファは、落ち着かない心地であるようであった。




