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異世界料理道  作者: EDA
第七十五章 太陽神の復活祭(上)
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復活祭の前祝い①~客人たち~

2022.12/19 更新分 1/1

・今回は全7話です。

 紫の月の15日――太陽神の復活祭を目前にしたその日、ルウの集落において大々的な祝宴が開かれることになった。

 かねてより話題にあげられていた、町の人々を招いての親睦の祝宴である。復活祭が始まって多忙になる前に開催しようと話し合われながら、なかなか実現に至らなかったイベントであった。


 そのように話が難航したのは、やはりそれ以外のイベントがあれこれ立て込んでいたためであろう。前月の半ばまでは王都の貴族ティカトラスを始めとする貴き身分の客人たちが多数ジェノスに滞在しており、彼らが出立したのちも、色々と後始末をしなければならなかったし――そうこうする間に、城下町では麗風の会なる大規模な茶会が企画されたり、森辺ではフォウとヴェラの婚儀が決行されることになったり、果てにはドムの集落でディガ=ドムが氏を授かることになったりと、なかなかに息をつく間もなかったのだ。


 そして決定的であったのは、それらのイベントが進められる間に紫の月が目前に迫ってしまったことであった。

 飛蝗の騒ぎに見舞われたダレイム南方の畑も紫の月には完全に復旧し、これまで通りに食材を出荷できるようになるという見込みが立てられていた。そうすればアリアやポイタンも自由に買いつけることができるのだから、祝宴の開催はその日を待つべきではないか――と、森辺ではそのような声があげられることになったのだ。


 とりわけ重要視されたのは、ポイタンの存在である。

 現在の森辺の民は宿場町の貧しき人々のためにポイタンの購入を自粛して、代わりにフワノを食している。しかしフワノというのは、ポイタンの5割増しの値であるのだ。よって、祝宴においてフワノを使うかポイタンを使うかで、必要経費というものにそれなりの差異が生じるため――それならば、ポイタンが自由に買えるようになる日を待つべきではないかという声があげられたわけであった。


 もちろん現在の森辺の民は貧しさにあえいでいるわけではないので、そのていどの差額で生活が脅かされるわけではない。また、フワノよりも遥かに高額な食材でも遠慮なく買いつけているのだから、そのていどの差額でどうして二の足を踏むのかと首を傾げる人間もいることだろう。


 しかし、森辺の民が食材に銅貨をかけるのは、美味なる料理がさらなる力や喜びをもたらすと信じてのことであるのだ。数日待てば節約できる銅貨を顧みずに祝宴を開くというのは、決して森辺の流儀ではない。それが自分たちの思惑ひとつで日時を設定できる親睦の祝宴であるならば、なおさらのことであった。


 町の人々も、森辺の民のそういった気質を軽んじることなく、ともにこの日を待ち受けて――そうしてついに食材の出荷日の目処が立ち、それにあわせて祝宴の日取りが決定されたわけであった。


                   ◇


 そうしてやってきた、紫の月の15日――

 その日も俺は、宿場町で屋台の商売に励んでいた。


 協議の結果、この日の祝宴はルウ家が取り仕切ることになったのだ。それでルウ家は屋台の商売を休むため、ファの屋台がそれを補うだけの料理を準備して、普段の倍ほども働くことになったわけであった。


 ただしドンダ=ルウのはからいで、俺やアイ=ファも祝宴に招待されている。また、今回もいくばくかの宴料理を準備するように願われて、それを手伝うかまど番と付き添いの男衆も参席することが許されたのだった。


「こんなにたくさんの客人が招かれる祝宴は、すごくひさびさですものね! アスタの仕事を手伝えることを、心から光栄に思います!」


 そのように語っていたのは、隣の屋台で働いていたレイ=マトゥアである。若年である彼女はそういった喜びの感情がもっとも表に出やすいので、俺としても微笑ましい限りであった。


「森辺の外から招く客人の規模でいうと、もしかしたら過去最大かもしれないからね。俺自身、招いてもらうことができて嬉しく思っているよ」


「あはは! それだけの祝宴でアスタが招かれなかったら、むしろ不思議なぐらいですからね! とにかく、楽しみでなりません!」


 このふた月ばかりは城下町に招かれるほうが多かったし、フォウとヴェラの婚儀やドムの祝宴などは招待客もごく限られていたので、レイ=マトゥアとしても気分が浮き立ってならないのだろう。もちろん俺も、ひさびさにレイ=マトゥアたちと森辺の祝宴をともにできることを心から嬉しく思っていた。


 それに本日は、城下町や宿場町やダレイムの区別なく、さまざまな客人が招かれているのだ。ティカトラスやデルシェア姫などが滞在していた時代にはどうしても遠慮する面があったため、その意趣返しとばかりにこれほどの祝宴が企画されたわけであった。


 そうして屋台の商売の終業時間たる、下りの二の刻――片付けを開始した俺たちの眼前を、多数のトトス車と騎兵たちが通りすぎていった。祝宴に参席する、ジェノスの貴族の一行である。祝宴の開始は日没からであったが、おおよその人々はこの刻限から集まって、親睦を深める手はずになっていた。


 それを追いかけるようにして、俺たちも宿場町の主街道を南下していく。

 やがて《キミュスの尻尾亭》に到着すると、そちらにも本日の参席者たちが集結していた。


「お待たせしました。屋台を返却したらすぐに出発しますので、少々お待ちくださいね」


「何をかしこまってんのさ! ここには気を張る相手もいないでしょ?」


 と、元気な笑顔を返してきたのは、ユーミである。そのかたわらでは、テリア=マスもにこやかに微笑んでいた。


「レビ、お疲れ様です。ラーズ、明日までどうか、宿をお願いいたします」


「ええ。こちらこそ、うちのボンクラをよろしくお願いしやすよ」


 ラーズは温かい笑顔で応じ、ボンクラ扱いされたレビは「ちぇっ」と苦笑する。このたびは、レビもテリア=マスともども招待されることになったのだ。


 復活祭の正式な始まりは7日後に迫った『暁の日』となるが、宿場町はもうこれぐらいの時期から客の数が増え始めている。ユーミやレビたちにしてみても、祝宴に参加できるぎりぎりのタイミングであったことだろう。また、森辺の屋台も明日を最後の休業日として、それ以降は年の終わりまでノンストップで営業を続ける予定であるのだ。楽しい代わりに多忙きわまりない復活祭を迎える前に、俺たちは思うさま本日の祝宴を楽しませていただく心づもりであった。


「森辺に招いてもらうのは、アスタたちの収穫祭以来だもんな。ってことは……もうふた月ぐらいは経ってんのかな?」


「いやいや、余裕でふた月半は過ぎてるだろ。鎮魂祭だの何だのあったんで、そんなに日が過ぎてるってのはびっくりだけどな」


 そんな風にはしゃいでいたのは、レビたちの悪友ベンとカーゴである。

 そしてダレイムからのただひとりの参席者となるターラは、誰よりも期待に瞳を輝かせていた。


「ターラも、お待たせ。明日の朝まで、よろしくね」


 ターラは元気いっぱいに、「うん!」といっそう嬉しそうな顔をする。ひさびさにリミ=ルウと祝宴をともにすることができるので、嬉しくてならないのだろう。


 ドーラの親父さんたちは仕事が立て込んでいるために、今回は参席を見送ることになった。その代わり、年が明けたら一家総出で祝宴にお招きする予定になっている。そしてその際はファの近在の6氏族が主催者となり、俺もかまど仕事の責任者に任命されていたのだった。


「あれ? そういえば、ユーミは宴衣装じゃないんだね。べつに宴衣装を纏うのは強制じゃないけど……ジョウ=ランが残念がるんじゃないのかな?」


「あいつは関係ないでしょ」と、ユーミは顔を赤くしながら詰め寄ってきた。


「まったく今さらの話だけど、あたしも森辺のお人らと同じ時間に着替えようかなって考えたんだよ。あっちが頑張って働いてる中、ひとりで浮かれた格好をしてるのは気が引けるしさ」


 それは確かに、今さらの話である。しかしユーミも森辺への嫁入りを真剣に考えているからこそ、そういう心境の変化が生じるのかもしれなかった。


 ちなみにこの半月ばかりで、ユーミは両親ともどもランの家にお邪魔している。自分の家族とジョウ=ランの家族および血族との相互理解を願ってのことである。なんなら今日もサムスやシルに参席してもらってはどうかと持ち掛けたのであるが、今日の取り仕切りはルウ家であり、ランの血族はジョウ=ランとユン=スドラの2名しか参席しないため、それならば年明けの祝宴を待つべきであろうという話に落ち着いたのだ。《西風亭》の屋台を手伝うことでランとの関わりを持った少女ビアもまた然りである。


「それじゃあ、出発しようか。城下町の人たちは、そろそろ到着してる頃だろうしね」


 そうして俺たちは一路、ルウの集落を目指すことになった。

 本日、俺の仕事を手伝ってくれるのは、いつも通りと言えばいつも通りのメンバー――トゥール=ディン、ユン=スドラ、マルフィラ=ナハム、レイ=マトゥア、フェイ=ベイムという顔ぶれである。それ以外の面々は、年明けの祝宴で力を尽くしていただく手はずになっていた。


 ルウの集落の手前には、トトス車や荷車がずらりと並べられている。そして広場の入り口には、数名の兵士とリャダ=ルウおよびジーダが立ち並んでいた。


「みなさん、お疲れ様です。宿場町とダレイムからの客人もお連れしました」


「うむ。遅れて参じる人間などは出なかっただろうか?」


「はい。俺の手伝いをしてくれる女衆が5名で、町からは6名。全員、集合しています」


「相分かった。では、俺たちの役目もここまでだな。これで森辺の外からの客人は全員そろったので、そのように取り計らってもらいたい」


 リャダ=ルウがそのように告げると、兵士のひとりが「承知しました」と敬礼する。それで俺たちは、リャダ=ルウとジーダに案内される格好でルウの集落に踏み込むことになった。


「何か仰々しい出迎えになってしまったな。すでに貴族らが参じていたため、町からの客人を招き入れるのにこういった手間がかけられることになったのだ」


「ええ。それだけ身分の高い方々が参じているわけですからね。何も不思議はないと思います」


 本日は、貴族とその関係者から17名もの客人が招待されている。

 ジェノス侯爵家からはメルフリード、エウリフィア、オディフィア。ダレイム伯爵家からは、ポルアース、メリム。トゥラン伯爵家からは、リフレイア。および侍女のシフォン=チェル、従者のサンジュラ、武官のムスル。サトゥラス伯爵家からは、リーハイム、レイリス、そして麗風の会で主催者のひとりであった若き貴婦人。王都の外交官フェルメス、従者のジェムド。バナーム侯爵家のアラウト、武官のサイ、料理番のカルス――という、実に錚々たる顔ぶれである。そして言うまでもなく、従者という身分であってもこちらにとっては対等の客人という扱いになっていた。


 ふた月半ほど前に開かれた6氏族の収穫祭においても、これに負けないぐらいの顔ぶれが招かれている。あのときと異なるのは、ティカトラスの一行やデルシェア姫の姿がなく、その代わりにバナーム侯爵家とサトゥラス伯爵家の面々が追加されたことであろう。人数としては微増といったぐらいであろうが、おそらくこれは過去最大の規模であるはずであった。


 さらにそれとは別枠で、料理人の面々も招待されている。《銀星堂》からはロイ、シリィ=ロウ、ボズル。それに、ニコラにプラティカというのも、前回と同じ顔ぶれだ。《銀星堂》の面々は中天の前から宴料理の調理に取りかかっており、それと一緒に来訪したニコラやプラティカはアラウトたちとともにかまど仕事の見物を開始しているはずであった。


 そしてさらに、ディアルとラービスがどさくさまぎれのように参席するのも前回と同様であったが、今回はそれに加えて占星師のアリシュナも招待されていた。彼女も森辺の祝宴に参席することを熱望しながら、なかなか機会の訪れなかったひとりであったのだ。これまで我慢をしてきた分、彼女にも楽しんでいただきたいところであった。


「うわぁ。やっぱりこれだけの方々が集まると、壮観ですね!」


 広場の中央では、貴族の人々とドンダ=ルウらが語らっている。そちらに向かって歩を進めながら、レイ=マトゥアはまた昂揚に頬を火照らせていた。レイ=マトゥアやフェイ=ベイムやマルフィラ=ナハムは6氏族の収穫祭にも参加していないため、これほどの貴族たちが森辺に集結するさまを目にするのも初めてのことであるのだ。そしてもちろん俺やユン=スドラやトゥール=ディンも、緊張や昂揚と無縁なわけではなかった。


「族長ドンダ=ルウ。アスタ率いるかまど番らと、町からの客人らを案内した」


 ジーダがそのように報告すると、ドンダ=ルウは厳粛なる面持ちで「うむ」と応じた。その左右に並ぶのは、ジザ=ルウやルド=ルウやダルム=ルウ、そしてシン=ルウやディグド=ルウといったルウの狩人の主要メンバーである。彼らは数多くの客人を迎えるために、狩人の仕事を半休で切り上げていたのだった。


「おおよその人間は、ファの家を含む6氏族の収穫祭で顔をあわせているものと聞き及んでいる。例外は……サトゥラス伯爵家の面々であったか」


「ああ。だけど試食会で招かれていた連中なんかは、挨拶をさせてもらってるぜ。あと、俺は宿場町の吟味の会ってやつにも顔を出してるからな」


 不敵な笑みをたたえつつ、リーハイムがそのように応じた。念願であった森辺の祝宴に参ずることができて、とても上機嫌であるようだ。ただ、いくぶん気を張っているように見えなくもないのは――おそらく、森の威容におののいているのだろう。そのかたわらにたたずむ若き貴婦人などは、懸命にたおやかな顔を作りつつ、目だけであちこちを見回していた。


「ええと、たしか《西風亭》のユーミに……そっちのふたりは、《キミュスの尻尾亭》の人間だよな。見覚えがないのは、そっちのふたりと小さな娘さんぐらいか」


「このちっこいのはダレイムのターラで、こっちのふたりは宿場町のベンとカーゴだよ。俺たちにとっては、もうそれなりに古いつきあいの相手だなー」


 ルド=ルウがターラのかたわらまで移動しつつ、そんな風に紹介してくれた。

 ターラは緊張の面持ちでぺこりと頭を下げ、ベンとカーゴもそれに続く。それに対して、リーハイムは「なるほどな」とうなずいた。


「うちの領地の人間が、5人も招かれてるわけだ。なんだか、誇らしい気分だよ。……俺はサトゥラス伯爵家の第一子息で、リーハイムってもんだ。人様の庭先で威張りくさるつもりはねえから、そっちも適当にやってくれ」


「まあ。あなたのくだけた物言いも、こういう場にあっては有用かもしれないわね」


 ころころと笑いながら、エウリフィアが口をはさんだ。その足もとでは、オディフィアがきらきらと瞳を輝かせながらトゥール=ディンを見つめている。


「リーハイムの仰る通り、わたくしたちもあなたがたも、森辺の方々にとっては対等の客人よ。おたがいに礼節を忘れることなく、祝宴を楽しませていただきましょう。……以前の収穫祭や試食会などと同じように振る舞っていれば、何も悶着は起きないでしょうからね」


「うむ。最後まで、心安らかに祝宴を楽しんでもらいたく思う」


 ドンダ=ルウも重々しく取りなして、ひとまずその場での挨拶は終了した。


「では、かまど番たちは仕事に取りかかってもらいたい。客人の何名かはかまど仕事の見物を希望しているので、そちらには案内役をつけさせていただこう」


 見物を希望しているのは、エウリフィアとオディフィア、ディアルとラービス、そしてトゥラン伯爵家の4名である。その中で、まずはエウリフィアとオディフィアがリャダ=ルウの案内で俺たちと同行することに相成った。


「エウリフィアもオディフィアも、お疲れ様です。まだあの麗風の会という催しから、10日ていどしか経っていませんが……おふたりを森辺にお招きすることができて、心から嬉しく思っています」


 トゥール=ディンがそのように呼びかけると、エウリフィアは「ええ」とたおやかに微笑んだ。


「なんとか復活祭の前にお招きしてもらうことができて、わたくしたちこそ嬉しく思っているわ。先日のドム家でのお祝いについては、メルフリードから聞き及んでいるけれど……オディフィアも、とても羨ましそうにしていたものね」


「うん」とうなずいてから、オディフィアは輝ける瞳でトゥール=ディンを見つめた。


「トゥール=ディン、すごくうれしそうだったって、とうさまがいってたの。オディフィアも、いつかディガ=ドムにおいわいしたい」


 オディフィアたちも6氏族の収穫祭やザザの収穫祭には招待されているので、いちおうディガ=ドムとは面識があるのだ。トゥール=ディンは心から幸福そうな面持ちで、「ありがとうございます」と微笑んだ。


「ディガ=ドムも氏を授かったので、いずれ城下町にうかがう機会があるかもしれません。そのときは、わたしがあらためてご紹介しますね」


「ああ。あと、シーラ=ルウやヴィナ・ルウ=リリンもお子を授かったというお話なのよね。あとでシーラ=ルウにご挨拶をさせていただけるかしら?」


 エウリフィアの言葉に、リャダ=ルウは穏やかな眼差しで「うむ」と応じた。


「その際は、ダルム=ルウに案内をしてもらおう。森辺の習わしにより、赤子はまだ家の外に連れ出せないのでな」


「あのおふたりのお子であったら、輝くような可愛らしさでしょうね。やっぱりヴィナ・ルウ=リリンとそのお子は、こちらに来られないのかしら?」


「うむ。あちらもこちらと同じ日に産まれたのでな。また、荷車に乗せるには首が据わるのを待つ必要があろう」


「いずれ対面させていただく日が楽しみね。トゥール=ディンは、もうそのお子たちを拝見しているの?」


「あ、はい。シーラ=ルウの子はしょっちゅうお顔を拝見していますし、リリンの赤子も1度だけ……どちらも、たまらない可愛らしさでした」


 赤子たちの話題で、いっそう空気が和やかになったようである。

 そうしてシン=ルウ家のかまど小屋に到着すると、そちらではタリ=ルウと4名ばかりの女衆が立ち働いていた。


「ああ、アスタ。それに貴族の客人らも……ルウの家にようこそ」


 作業の場は限られているため、俺たちはこちらを間借りすることになったのだ。今頃はロイたちも、別の場所で仕事に励んでいるはずであった。


「お邪魔をしないように取り計らうので、しばらく失礼させていただくわね。……ああ、とても芳しい香りだわ」


 ふたつの収穫祭を体験して、エウリフィアもすっかり森辺の集落に慣れてきた様子である。いっぽうオディフィアはトゥール=ディンのそばにさえいられれば、それで至福といった様相であった。


 そうして和やかな空気の中、俺たちも作業を開始する。今日は無理せず、ひとつの料理と2種の菓子を準備する手はずになっていた。せっかくオディフィアも参じるのだからと、トゥール=ディンの菓子に重点を置くことにしたのだ。


 それから半刻ほどが経つと、ユーミにベンにカーゴ、ディアルにラービスという5名連れがこちらにやってきた。エウリフィアとオディフィアはそちらの面々と挨拶をしてから、席を譲るために退室していく。オディフィアとしてはいつまでも居座っていたい心境であろうが、やはり彼女もジェノス侯爵家の人間としてさまざまな相手と交流を深めなければならないのだ。トゥール=ディンとは、夜の祝宴でぞんぶんに睦まじく過ごしてもらうしかなかった。


「いやー、最初は仰々しく感じたけど、咽喉もと過ぎたらすっかりくつろいだ気分だね! これはやっぱり、王都やらジャガルやらのお偉いさんがいないからなのかなー!」


「王都の貴族なら、フェルメスもいるけどね。それに、デルシェア姫やティカトラスなんかは、堅苦しさとも無縁だったんじゃないかな?」


「うん。あたしもべつだん、あのお人らが気詰まりだったわけじゃないよ。でも、ジェノスの貴族のお人らなんかは、けっこう気を使ってたじゃん? それでちょっぴり、空気が強張ってたんじゃないかなー」


「ああ、確かにな。ああいう元気なお人らは、むしろ他の貴族なんかがいない場のほうが仲良くなれそうだぜ。実際、宿場町ではそんな感じだったしよ」


 そんな風に応じたのは、ベンである。彼も宿場町ではしょっちゅうティカトラスに遭遇していたのだろう。そしてティカトラスは宿場町において、けっこうな人望をつちかっていたようなのである。


「その代わり、今日はバナームとかいう聞き慣れない領地の貴族様がいたけどな。でも、気を張る必要はなさそうで何よりだったぜ。それにあれって、アスタたちの屋台にちょいちょい顔を見せてたお人だろ?」


「ああ、もうアラウトにもご挨拶をしたのですか?」


「おう。さっき、別のかまど小屋でな。で、あのお人らはこれからも宿場町にお邪魔する予定なんで、そこで出くわしても貴族という身分はどうぞご内密に、だってさ」


 アラウトは貴族という身分を隠しつつ、宿場町を身軽に行き交っていたのだ。そのような口止めがされたということは、今後もそういう行いに及ぶ心づもりであるようであった。


「僕もアラウト殿とは、すっかり気安い関係になれたからね! 今日はやっぱり、くつろいだ気分かなー! 森辺にお邪魔するのも、ずいぶんひさびさだしねー!」


 と、ディアルもご満悦の様子である。ユーミとテリア=マスを除く面々は、おおよそふた月半ぶりの来訪であるはずであった。

 そうして四半刻ぐらいが経過すると、今度はリフレイアの一行がやってくる。3名の従者にアラウトとサイとカルスを加えた顔ぶれだ。早い再会となったユーミたちは、実に気安い態度でアラウトたちに笑いかけていた。


「じゃ、あたしたちはいったん失礼しようか。まだまだ挨拶をしてないお人らが、たくさんいるしねー」


 ユーミたちはそんな言葉を残して退室していき、また見物人の顔ぶれが入れ替わる。俺としては、武官のムスルがひさびさの対面であった。


「ムスルは、送別の祝宴以来でしょうかね。お元気そうで、何よりです」


「はい。麗風の会においては、陰よりお見守りしていました」


 髭面で厳つい骨ばった面立ちのムスルは、どこかあどけなくも見える顔で笑う。かつての粗暴さや陰鬱さが綺麗さっぱり消え去ったという意味においては、ドッドにも通ずるもののある印象だ。以前に敵対していたからこそ、彼の笑顔は俺の心を温かくしてやまなかった。


「わたしやサンジュラはドムの祝宴にお邪魔したから、せいぜい10日ぶりぐらいなのよね。でも、あちらではまったく心持ちが異なっていたから……今日は遠慮なく、祝宴を楽しませていただくわね」


 リフレイアは大人びた微笑みをたたえつつ、そんな風に言っていた。

 今日はムスルやシフォン=チェルも同行させることがかなったため、とても嬉しそうだ。もちろんシフォン=チェルたちも、それは同様であった。

 そうしてリフレイアたちの挨拶が終了すると、今度はアラウトが実直そうな笑顔で発言する。


「これはジェノスと森辺の方々の親睦を深めるための祝宴であるのに、外様の僕まで招待していただくことがかない、心より嬉しく思っています。決してみなさんのお邪魔にならないように身をつつしみますので、どうぞご容赦ください」


「あはは。アラウトがどのように振る舞っても、お邪魔と思うような人はいないと思いますよ」


 俺もすっかり気安い気持ちで、そのように応じることができた。

 ただし、俺がアラウトたちと顔をあわせるのは、ドムの祝宴以来である。アラウトはドムの祝宴の2日後にはバナームへと帰還して、昨日になってまたジェノスにやってきた身であったのだ。


 アラウトはもともと、復活祭の直前ぐらいまでジェノスに滞在する予定であった。その予定を急遽変更し、取り急ぎバナームへと帰還して――そして今度はジェノスで復活祭を過ごすために、あらためて来訪してきたのだった。


「僕はもっともっとジェノスや森辺の方々と絆を深めさせていただきたく思います。そのために、復活祭の期間をジェノスで過ごそうかと思います」


 ドムの祝宴に参席したアラウトは、そんな想念に至ったのである。

 本来、復活祭というのは家族と過ごすべきであるとされているのだから、それはきっと一大決心であったのだろう。それで故郷の家族たちに決意を表明するために、一時帰還したわけであった。


 そうしてアラウトは約束通り、ジェノスに戻ってきた。これから年明けまでの半月、アラウトはジェノスで過ごすのだ。それならば、復活祭の前祝いとも言うべき本日の祝宴も、思うぞんぶん楽しんでいただきたいところであった。


「本日は、ディック=ドム殿やザザのおふたりもいらっしゃるそうですね。例の収穫祭というものについては、どうなったのでしょうか?」


「はい。予定では、明後日に開かれるそうです。ぎりぎり復活祭には間に合いましたので、俺もほっとしています」


 明後日の17日、ザザの血族の収穫祭が開かれる。そうして休息の期間を迎えたザザの血族の狩人が、屋台の護衛役を担ってくれることになったのだ。もしもそちらの時期がうまく重ならないようであれば、ルウや小さき氏族の狩人たちが交代でその役目を負ってくれる手はずになっていたのだが、そうするとスケジュールの管理がなかなかややこしいことになってしまうため、俺としても胸を撫でおろしていたのだった。


「では、復活祭の期間はディガ=ドム殿やドッド殿らも宿場町に下りる機会が増えるということですね。僕も喜ばしく思います」


「あ、やっぱりアラウトも、復活祭は宿場町で過ごされるのですか?」


「ええ。もちろん出ずっぱりというわけにはいかないでしょうが、なるべく森辺や宿場町で長きの時間を過ごしたいと思っています。森辺の方々と絆を深めさせていただくには、それが最善でありましょうからね」


 アラウトは純真なる微笑をたたえつつ、そう言った。


「もしも許されるのでしたら、ディガ=ドム殿らと晩餐をご一緒させていただきたいところですし……そういった際には、また《キミュスの尻尾亭》で夜を明かすことになるでしょう。僕はマス家の方々とも絆を深めさせていただきたいと願っています」


「身軽に宿場町へと参じられるアラウト殿が、お羨ましい限りですわ。どうかわたしの分まで、森辺や宿場町の方々と交流をお深めください」


 リフレイアはそんな風に語りながら、少しだけ――本当に、ほんの少しだけ、甘えるような眼差しになった。


「ただ……どうか太陽神の滅落と再生だけは、城下町でお見届けくださいね。同じジェノスにいながらにして、その刻限まで離ればなれで過ごすというのは……あまりに物寂しく思います」


「え、ええ、もちろんです」


 と、アラウトも実にひさかたぶりに、頬を染めることになった。以前はリフレイアを相手にするとき、けっこうこのような姿をさらしていたものであるのだ。そして俺にとっては、それもまた好ましく思える姿であったのだった。

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