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異世界料理道  作者: EDA
第七十四章 輝ける縁成
1292/1695

贖罪の儀⑤~輝ける行く末~

2022.12/8 更新分 1/1

・今回の更新はここまでです。更新再開まで少々お待ちください。

「それじゃあそろそろ、俺たちも血族のみなさんに席を譲りますね」


 俺がそのように告げたのは、敷物で半刻ばかりも過ごしたのちのことであった。

 するとディガ=ドムは、とても名残惜しそうな眼差しを向けてくる。


「もう行っちまうのかい? 遠慮しないで、いつまでも居座ってりゃいいじゃねえか」


「ありがとうございます。でも、血族の方々もディガ=ドムとじっくり語らいたくて、うずうずしているでしょうしね」


 すでに血族の立場である人間は、全員が挨拶に出向いているだろう。しかし敷物が満席であると立ち話しかできないため、みんなすぐさま立ち去っていくことになっていたのだ。それで気をきかせたスン家の3名などは、四半刻ばかりで席を譲っていたのだった。


 そうして空いた場所には、ドッドとツヴァイ=ルティムとオウラ=ルティムが座している。ヤミル=レイやミダ=ルウもまだ居残っていたので、そこにはひさびさにかつての家族たちの団欒が形成されて――俺はもう、それだけで胸がいっぱいになっていたのだった。


「それじゃあ、また後で語らせてくれよな。まだまだアイ=ファともアスタとも語り足りねえからさ」


「ありがとうございます。また、必ず」


 そうして俺たちはドンダ=ルウや貴族の面々にも挨拶をして、敷物を離れることになった。

 広場の賑わいに足を踏み出しつつ、アイ=ファはふっと息をつく。


「さすがにフェルメスも追ってはこないようだな。外交官としての公務とやらを失念していないようで、幸いだ」


「あはは。アイ=ファはずいぶん、フェルメスのことを気に病んでるみたいだな」


「決して気に病んでいるつもりではないのだが……あやつが元気になればなるほど、私は気が抜けなくなってしまうのだ」


 そんな風に言ってから、アイ=ファは猟犬が鼻を寄せるように顔を寄せてきた。


「……もしやお前は、私の疲れ具合を慮って、席を立とうと思いたったのか?」


「いや、まあ、フェルメスばかりが原因じゃないけどな。いつまでも腰を据えているのは、アイ=ファの流儀じゃないだろうと思ってさ」


 これでリミ=ルウやジバ婆さんなどが同席していたならば、アイ=ファも気疲れすることはないのだろう。しかし、そういう古きからの友人がいない場だと、アイ=ファは気をつかって寡黙になってしまうのだ。


「でも、今日は俺たちも招いてもらえて、本当によかったな。涙がこぼれないのが不思議なぐらいだよ」


「うむ。我々にとって、ディガ=ドムというのはきわめてゆかりの深い相手であったからな。まあ、それはのきなみ悪縁であったわけだが……あやつはまさしくリフレイアと同様に、過去の過ちを乗り越えられたのだろうと思う」


「うん。それにアラウトのおかげもあって、色々なことを再確認できたような心地だよ。この2年半で、色々なことがあったけど……やっぱり俺たちにとって、スン家とトゥラン伯爵家にまつわる騒動っていうのは、かなり重要な出来事だったんだろうな」


「それは森辺の民が正しき道に戻るための一歩目であったのだから、当然の話であろう。聖域の民や邪神教団にまつわる騒動も、重要な出来事であることに変わりはないのであろうが……我々は正しき道に戻れたからこそ、それらの騒動を乗り越えることがかなったのであろう」


 アイ=ファは真剣な眼差しで語っていたが、すぐさまやわらかい微笑を取り戻した。


「ともあれ、今日はめでたき日だ。あまり思い詰めず、お前も祝宴を楽しむがいい」


「うん。これでもめいっぱい楽しんでるつもりだよ。でも、そろそろ余興の力比べが始められそうな頃合いだもんな。アイ=ファこそ、うかうかしてると宴料理を食べ逃しちゃうぞ」


 敷物にはさまざまな宴料理が届けられていたが、俺の胃袋はまだ六分目ていどである。アイ=ファであれば、さらにゆとりがあるはずであった。

 そうして俺たちが手近な簡易かまどに向かって歩を進めていくと、いっそう賑やかな声が聞こえてくる。そちらにも、かまどのかたわらに敷物が広げられており――そしてそこに、ルティムの面々やレム=ドムなどが陣取っていたのだった。


「ああ、アイ=ファ。いいところに来てくれた。どうかアイ=ファの力で、こいつを何とかしてもらいたい」


 そんな風に呼びかけてきたのは、レム=ドムの隣に座していたディム=ルティムである。先日の灰の月でついに15歳となった、ルティム分家の若き狩人だ。


「ふむ。レム=ドムが、何か悪さでもしでかしているのであろうかな?」


「あらぁ、わたしは悪さなんてしてないわよぉ? ただ、ルティムの立派な狩人様に飲み比べをしようと持ち掛けているだけよぉ」


 レム=ドムは色気たっぷりに微笑みながら、ディム=ルティムのほうに身を寄せている。森辺の習わしに従って指一本ふれていないようだが、しかし息がかかるほどの超至近距離である。それで辟易したディム=ルティムが、せまい敷物の上で可能な限り身を遠ざけようとしている――という構図であるようであった。


「ふむ。しばらく見ない間に、ずいぶん交流が深まったようだな」


「な、何も交流など深まっていないぞ! こいつはがぶがぶと果実酒ばかり口にして、手ひどく酔っぱらってしまったのだ!」


 ディム=ルティムは、すがるような目でアイ=ファを見上げている。ディム=ルティムも最近ではすっかりアイ=ファの存在に心酔しているようだが――今日は心酔など関係なく、ただ助けを求めているようであった。


「酔ったレム=ドムの厄介さは、私も思い知らされている。まあ、迷惑であることに変わりはないのだが……そうしてそやつが絡んでくるのは、きっとディム=ルティムに心を許しているがゆえなのであろう」


「それも違うぞ! こいつはきっと、俺が狩人の衣を授かったと知って、このように絡んでいるのだ!」


 そう、ザザの血族の収穫祭ではまだ見習いの身であったディム=ルティムも、この数ヶ月でついに一人前の狩人と認められることになったのだ。彼が13歳であった頃から知っている俺としても、それはおめでたく思えてならない出来事であったのだった。


「ふむ。そういえば、かつての収穫祭の場においても、お前たちはおたがいを意識し合っているようであったな。さらにはディガ=ドムも狩人の衣を授かったため、レム=ドムも我慢が切れてしまったということか」


「やあねぇ。わたしはディガ=ドムやディム=ルティムを妬んだりはしていないわよぉ? ただ、一人前の狩人だと認められることがどれだけ大変であるかは、わたしも思い知らされているからねぇ。そのぶん、たっぷりと祝福してあげているのよぉ」


 確かに、ディガ=ドムに祝いの言葉をかけるレム=ドムはいかなる悪念を抱いている様子もなかったし、今もひたすら陽気な様相である。

 ただ――どうにも飲まずにはいられないといった心境であるのだろう。それを責めることができるほど、俺も聖人君子ではないつもりであった。


「お前も懸命に心を律しているようだが……未婚の男衆にそうまで身を寄せるのは、差し控えるべきであろう。それに、そうまで酔いどれてしまったら、余興の力比べもままならぬのではないか?」


「力比べが始まったら、水でも浴びてさっぱりするわよぉ。……でも、わたしなんて町の人間にもかないはしないのでしょうけれどねぇ」


 と、レム=ドムは肉づきのいい唇をとがらせた。180センチはあろうかという長身で、腕にも腹にもくっきりと筋肉の線が浮かんでいるレム=ドムであるが、こういう際の色っぽさは森辺でも指折りであるのだ。それで余計に、ディム=ルティムは辟易してしまうのだろうと思われた。


「……俺とて剣の勝負では、ジェムドにもサンジュラにもかないはしなかったぞ。かつてアイ=ファが語っていた通り、俺とお前に大きな力の差はないのだろうと思う」


「それでもあなたは一人前で、わたしは見習い狩人だわぁ。……けっきょくわたしは見習いのままだから、銀の月の闘技会に出ることも許されるのかしら」


「お前はまだ、闘技会に未練があったのか? 重い甲冑を身につけた勝負では、お前の力も十全には発揮できないはずだぞ」


 どうやらアイ=ファもレム=ドムの心情が心配になったらしく、地面に膝をついてその顔を覗き込んだ。


「なおかつ、お前はドムの集落において、もっとも猟犬を巧みに扱うことができるのであろう? たとえ見習いの身分であっても、お前の力は血族に大きな幸いをもたらしているはずだ。そのように心を乱すことなく、自らの力を誇りに思うべきではなかろうか?」


「でも……アイ=ファは2頭もの猟犬を扱う上に、自らの刀でギバを仕留めることもできるのでしょう? わたしなんかとは、比較にならない立派さよねぇ」


「お前はまだ、森に入って2年足らずの身ではないか。その頃の私は、今のお前よりよほど未熟であったはずだぞ」


 そう言って、アイ=ファは優しさと厳しさの混在する眼差しでレム=ドムを見つめた。


「このディム=ルティムとて、およそ2年ていどで狩人の衣を授かったようであるし……ディガ=ドムなどは19歳を超えてから初めて森に入り、2年以上をかけて今日という日を迎えることになった。人はそれぞれの運命のもとに、異なる道を辿るしかないのだ。他者の運命にとらわれることなく、お前は自らにとってもっとも正しき道を探し、進むべきであろう」


「そんなの、わかってるわよぉ……」


 レム=ドムはしょんぼりとした顔になって、敷物にのの字を描き始めた。

 ディム=ルティムはほっとしたように息をつき、少し離れた場所からはダン=ルティムが高笑いを響かせる。


「レム=ドムはようやく静かになったようだな! さすがアイ=ファは女狩人同士、レム=ドムの扱いに長けているようだ!」


「……ダン=ルティムは何も助けてくれようとはせず、ひどいです」


 と、今度はディム=ルティムが口をとがらせてしまう。

 しかしダン=ルティムは豪快に笑いながら、土瓶の果実酒をあおっていた。


「お前さんも15歳になったことだし、そろそろ女衆の扱いを覚えるべきであろうと思ったのだ! レム=ドムをあしらえるようになれば、どのような女衆にも手こずることはあるまいよ!」


「あらぁ、わたしは自分より小さな男衆に欲情をかきたてられることはないわよぉ?」


「お、俺だって、お前のような女衆は御免こうむる! そもそもお前は、狩人として生きると決めたのだろうが!」


 こんな騒々しさも、ドムとルティムの絆が深まった証拠なのであろうか。

 しかしそういえば、ガズラン=ルティムとモルン・ルティム=ドムの姿が見当たらない。ドムとルティムの良心ともいうべき彼らが不在であるために、これほど騒々しいのかもしれなかった。


「ガズランはアマ・ミンのもとに向かってしまったし、モルンはかまど仕事を取り仕切っているぞ! モルンはまだまだ若年だが、本家の家長の伴侶なのでな!」


「ああ、そうか。ドムの女衆は、モルン・ルティム=ドムが取り仕切らないといけないのですね。それは確かに、大変そうです」


「大事ない! これまで取り仕切り役を担っていた女衆が、しっかりとモルンを支えてくれているからな! だからこれだけ立派な祝宴を開けるのだ!」


 そう言って、ダン=ルティムはまた高笑いを響かせた。

 あらためて、祝宴の熱気を体感させられた心地である。ともあれ、俺たちも宴料理をいただいて、ひとまず失礼することになった。


「なんだ、もう行ってしまうのか? これまでは、ディガ=ドムのもとに留まっていたのであろう?」


「はい。だからしばらくは、広場を巡ってみようかと思いまして……またのちほど、ゆっくり語らせてください」


「うむ! そろそろ余興の力比べが始められそうなところであるしな! アイ=ファよ、剣技ばかりでなく闘技のほうもよろしく頼むぞ!」


 ダン=ルティムに笑顔を返しつつ、俺たちは賑わう広場に舞い戻る。

 そこでまた、アイ=ファがふっと息をついた。


「今日のディガ=ドムは、いささかならず特別な立場であるのであろうが……しかし、いずれの人間であっても狩人の衣が授けられる際は、これほどの喜びでわきかえるものであるのだろうな」


「ああ、ファの家では祝宴の開きようもなかったんだもんな」


「うむ。なおかつ、私がこの手でギバを仕留めたのは、父が魂を返したのちのこととなる。それでようやく、私は15の齢であったのでな」


 俺が思わず言葉を失ってしまうと、アイ=ファがすぐにやわらかい微笑を向けてきた。


「だから私は狩人の衣を授かることもなく、父の形見を身に纏って仕事に励んでいた。それが昨年の生誕の日、サリス・ラン=フォウたちから新たな狩人の衣を授かることがかなったのだから……今日のディガ=ドムと同じぐらい、幸福な心地であったぞ」


「ああ、そうか……サリス・ラン=フォウたちに、感謝だな」


「うむ。そして、フォウやランとの絆を結びなおしてくれた、お前にもな」


「それは、俺だけの手柄じゃないよ」


 そんな風に応じつつ、俺も精一杯の笑顔を返してみせた。

 それで満足そうにうなずいたアイ=ファが、「うむ?」と小首を傾げる。


「あれは……クルア=スンと、トゥール=ディンだな。加減でも悪いのであろうか」


 俺が慌てて視線を巡らせると、かがり火の狭間に存在する薄暗がりに、ふたりの少女の姿が見えた。広場を囲む樹木の1本に背をもたれて座り込み、身を休めている様子である。

 そうして俺たちが小走りで近づいていくと、クルア=スンは深くうつむいたままはかなげな微笑をこぼした。


「アスタにアイ=ファまでいらしてくださったのですね。……何も危ういことはありませんので、どうぞ祝宴をお楽しみください」


「しかし、トゥール=ディンはずいぶん心配そうな顔をしているようであるぞ」


 そのように応じるアイ=ファとともに、俺も膝を折ることになった。クルア=スンに寄り添うトゥール=ディンは、まさしく涙でもこぼしそうな面持ちであったのだ。


「もしや……星見の力の制御が、ままならなくなってしまったのであろうか?」


 アイ=ファが囁くような声音で問い質すと、クルア=スンは「はい」と応じた。


「でも、危ういことはありません。こうして織布で目もとを隠していれば、他者の運命が見えてしまうこともありませんし……ただ、世界があまりに眩しいというだけのことです」


「お前はそれほどに、今日という日を喜んでいるということだな」


 真剣な眼差しを保ちつつ、アイ=ファは優しい声で言った。


「何も気に病む必要はないのだから、ゆるりと身を休めるがいい。……スンの家長らは、行動を別にしていたのか?」


「ええ。家長らは、祝いの場を見届けるのが役割ですので……その邪魔をするわけにはまいりません」


「お前は、立派だな。邪魔でなければ、我々もこの場に――」


 アイ=ファがそのように言いかけたとき、大柄な人影の一団がどやどやと近づいてきた。ザザやジーンやハヴィラやダナなど、さまざまな氏族の入り混じった若い男衆の一団だ。


「ファの家長よ、ここにいたのだな! そろそろ余興の力比べを始めたいので、お前も例の装束を纏ってもらいたく思うぞ!」


 その一団を率いていたダナの家長が、雄々しい声でそのように言いたてた。まだ20歳を超えたていどの若年であるが、収穫祭では的当てと木登りの力比べで勇士となっていた人物だ。


「うむ? そちらの女衆は、どうしたのだ? 何か加減が悪いのなら、ドムの家人に頼んで家で休めるように取り計らうぞ」


「いえ、大事ありません。こちらで身を休めながら、わたしも祝いの場を見届けたく思います」


「そうか。くれぐれも無理はせんようにな。……では、ファの家長は準備を願いたい!」


 アイ=ファは嘆息を噛み殺しつつ、俺の耳もとに口を寄せてきた。


「フェルメスらがいる以上、騒ぎを大きくするべきではなかろうな。お前はこの場で、クルア=スンに付き添ってやるがいい」


「うん、わかった。アイ=ファも気をつけてな」


「余興の力比べで、危険なことはない。レム=ドムも身体を動かせば、多少は心が静まろう」


 そのように言い残して、アイ=ファは男衆の一団とともに立ち去った。

 俺はトゥール=ディンと左右からはさむ格好で、クルア=スンのかたわらに腰を下ろす。クルア=スンはずっと目を伏せていたが、その表情は静謐そのものであった。


「ほ、本当に大丈夫ですか、クルア=スン? アスタも来てくださったので、わたしは水でもお持ちしましょうか?」


「いえ、大丈夫です。トゥール=ディンにまでご心配をかけてしまって、申し訳ありません」


「わたしのことなどは、どうかお気になさらないでください」


 トゥール=ディンは泣き笑いのような表情で、クルア=スンの手をぎゅっと握りしめた。

 彼女たちも、かつては同じスンの分家の人間であったのだ。年齢も3歳しか変わらないので、当時はひそやかに縁をつむいでいたのだという話であった。


「本当に、何か必要なものはないのかな? 遠慮しないで、何でも言っておくれよ」


「大丈夫です。わたしは、その……アスタのおかげで、ずいぶん楽になったようです」


「俺のおかげ?」と小首を傾げかけてから、俺は思わず息を呑むことになった。かつては星見の力を持つチル=リムも、星を持たない俺の存在に安らぎを見出すことになったのだ。


「クルア=スンは、そんなにつらいんだね。こういうことは、しょっちゅうあるのかい?」


「いえ。邪神教団を討伐する旅から戻って以来、これほどの力に見舞われたのは初めてのことです。……それだけ今日という日が、喜ばしかったということなのでしょう」


 暗い地面に視線を落としたまま、クルア=スンは月の下に咲く花のように微笑んだ。


「ディガ=ドムの罪が贖われたことも……誰もがそれを喜んでいることも……そして、アラウトやリフレイアといった方々が駆けつけてくれたことも……わたしは、嬉しくてなりません。そのあまりの嬉しさに、どうしても心が乱れてしまうのです」


「うん。そんな嬉しさでも星見の力が発動してしまうっていうのは、大変だね」


「それでも、喜ばしいことに変わりはありません。星見で人々の行く末を盗み見るまでもなく、わたしたちは正しい道を進んでいるのだと……そのように信ずることができるのです。わたしはそれを、何より嬉しく思います」


「ええ。わたしも、同じ気持ちです」


 そう言って、トゥール=ディンは優しく握りしめたクルア=スンの手をそのまま胸もとにかき抱いた。


「ディガ=ドムが言っていた通り、さまざまな人たちが許しを与えてくれたからこそ、今日の日の喜びがあるのでしょう。わたしもまた、スンの家人であったのですから……同じ喜びを噛みしめながら、今日まで生きてきたつもりです」


「ええ……わたしもアスタのもとに通い、さまざまな相手と交流を結ぶことで、同じ喜びを授かることがかないました。アラウトやリフレイアにも、同じだけの喜びをお返しできていたらいいのですけれど……」


「きっと大丈夫だよ。リフレイアたちは、あれだけ幸せそうにしていたんだからね」


 そんな風に答えながら、俺はクルア=スンに笑いかけてみせた。

 すると――クルア=スンは静謐であった面にいくぶん恥じらう幼子のような表情を浮かべつつ、宴衣装に包まれた身体をもじもじと揺すった。


「あの、アスタ……もしもご迷惑でなかったら、装束の端を握ってもかまわないでしょうか……?」


「うん。それでクルア=スンの心が安らぐなら、いくらでもどうぞ」


「ありがとうございます」と頬まで染めつつ、クルア=スンはおずおずと俺の胴衣の裾をつかんできた。

 かつてはチル=リムも俺の身に取りすがり、決して離そうとしなかったのだ。星の輝きに満ちあふれた世界の中で、俺の周囲だけ真っ暗であるというのは、いったいどのような感覚であるのか――占星師ならぬ身には、想像することも難しかった。


「星を持たないアスタの存在は、わたしにとって大きな安らぎです。……でも、アスタにばかり救いを求めることは許されないと、わたしはアリシュナに習いました」


 そのように告げながら、クルア=スンはすっと面を上げた。

 玉虫色のヴェールの向こう側で、クルア=スンの目は眩しそうに細められている。しかし彼女は決してまぶたを閉ざそうとはせず――そして、そのなめらかな頬に透明の涙を伝わせたのだった。


「わたしはこれらの輝きを、とても美しいと思います。きっとこれらの輝きこそが、明るい行く末を示しているのでしょうから」


「うん。きっとそうなんだろうね」


「それに……星を持たないアスタであっても、その美しさに変わりはありません。星々の狭間に存在する闇もまた、星空の一部であるように……アスタの存在も、まぎれもなくこの輝かしい世界の一部であるのです」


 そんな風に言ってから、クルア=スンはあどけなく微笑んだ。


「……これでは、まるきり占星師ですね。アリシュナに笑われてしまいそうです」


「あはは。アリシュナは東の習わしで笑えないから、そのぶん俺が笑っておこうかな。……そんな風に言ってもらえて嬉しいよ。ありがとう、クルア=スン」


 そのとき、広場のほうから歓声がわきたった。長袖の胴衣と脚衣に身をあらためたアイ=ファが登場したのだ。

 アイ=ファはちらりとこちらを見やり、小さくうなずいてから、勝負の場へと進み出ていく。そこで待ち受けるのは、ダナの若き家長だ。どうやら彼が、最初の挑戦者であるようだった。


 また、別の場所からは袋剣も持ち出されている。猛き北の集落の狩人たちは、ルウの血族に負けないぐらい血気盛んであるのだ。それはこれまでの祝宴でも、さんざん証し立てられていた。


 この楽しく熱気に満ちあふれた夜は、まだまだ終わらない。俺はディガ=ドムやドッドとも、リフレイアやアラウトとも、ダン=ルティムやガズラン=ルティムとも、滅多に会えないハヴィラやダナの人々とも、まだまだ語り足りていなかった。そして今はアイ=ファたちの戦いを見守りながら、クルア=スンやトゥール=ディンと語っていたかった。


 そうしてドムの集落には、これまで以上の熱気がわきかえり――今日というかけがえのない日は、ゆっくりと終わりに近づいていったのだった。

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