贖罪の儀①~ドムの集落~
2022.12/4 更新分 1/1
城下町にて行われた、麗風の会の翌日――紫の月の5日である。
その日も俺たちは、普段通り屋台の商売に取り組んでいた。
菓子の屋台も、ディンとリッドの女衆によって営業されている。トゥール=ディンはそちらの菓子を準備してから、ドムの集落へと出立したのだ。北の集落でもスフィラ=ザザを筆頭に数多くのかまど番が育っているという話であったが、今日のように大きな祝宴の場ではトゥール=ディンの力が頼られることも多いという話であったのだった。
「何せ今日は、スンの長兄であった御方が氏を授かるのですものね! ……まあ、わたしはその御方とほとんど面識がないのですけれど」
隣の屋台で働いていたレイ=マトゥアは、朗らかな笑顔でそんな風に言っていた。
ディガたちが暮らしているドムの集落は遠方であるし、氏なき家人たる彼らはそうそう家を離れる機会もなかったため、他の氏族の人間とは交流が薄いのだ。しかし、大罪を働いたディガがついに氏を授かるという事実の重大さは、誰もがしっかりと理解できているはずであった。
とはいえ、ディガがどれだけの罪を働いてきたのか、俺もそうまでつぶさに把握しているわけではない。俺が知っているのは、いずれもファの家に関わる案件ばかりであった。
まずディガは、4年ほど前にアイ=ファを襲おうとした。アイ=ファが父親を失うなり、ファの家に押し込んで乱暴を働こうとしたというのだ。当時15歳であったアイ=ファはそれを撃退して、ディガをラントの川に突き落としたのだと聞き及んでいた。
その後、俺はモルガの森でアイ=ファと初めて出会った日に、ディガとも顔をあわせている。今にして思えば、ディガというのは俺がこの地で2番目に遭遇した相手であったのだ。ディガはいかにも憎々しげな面相で、アイ=ファを口汚く罵倒していたのだった。
そんなディガと再会したのは、ガズラン=ルティムとアマ・ミン=ルティムの婚儀の祝宴である。その夜、ディガは弟のドッドとミダ=ルウを引き連れて、嫌がらせのために腐ったギバの屍骸などを祝宴の場に持ち込んできたのだ。
そして最後は、家長会議の夜。ヤミル=レイにそそのかされたディガとドッドは、俺とアイ=ファに危害を加えようとした。それで捕縛されたのちにスン家の大罪が暴かれて、ドムの集落に送られることになったのである。
こうして俺が知っている事実を羅列するだけでも、ディガがどれだけの悪党であったかは明白であろう。
ただしディガというのは、どれだけ悪辣であっても小心者であった。何せ、町の人間の目を恐れて、宿場町に下りることもままならなかったというのだから、呆れるばかりだ。父親のギル=ファが亡くなるまでは、アイ=ファにちょっかいを出すこともできなかったようであるし――陰で悪さを働いていたと言っても、それはいずれも小心者に似つかわしいちっぽけなものであったのだろうと思われた。酒の力に頼っていたドッドも、また然りである。
ただし、森辺の厳しい掟に照らしあわせるならば、俺が知っているだけでも数々の大罪を働いたことになる。
さらにスン本家の人間は、分家の家人に間違った掟を強要したという罪に問われている。それで、ディガたちのように明確な悪さをしていないツヴァイ=ルティムやオウラ=ルティムも、血の縁を絶たれるという大きな罰を下されることになったのだ。
そんなディガが、2年以上もの歳月をかけて一人前の狩人と認められ、ついにドムの氏を授かることになった。
スン家の罪は自分たちの罪でもあると考える森辺の民にとって、それは決して小さからぬ出来事であるはずであったのだった。
「……それで、リフレイアやアラウトといった貴族たちも、わたしたちと同じぐらい今回の一件を重く受け止めているということなのですね」
俺と一緒に働いていたラッツの女衆が、穏やかな面持ちでそのように問うてくる。最後の具材を鉄板にぶちまけながら、俺は「ええ」と応じてみせた。
「まあ、俺たちとリフレイアたちではまったく立場も違っているわけですが……真剣な思いに変わりはないのだろうと思います」
「はい。そうでなければ、族長たちが貴族の参席を許すこともなかったでしょうしね」
彼女の言う通り、リフレイアたちは本日の祝いの場に立ちあうことが許されていた。昨日の昼下がりからせわしなく使者が行き来して、そのような了承を取りつけることがかなったのだ。
その一行が姿を現したのは、屋台の終業時間である下りの二の刻が迫ってからのことであった。北の方角から、巨大なトトス車と騎兵の一団が押し寄せてきたのだ。
その一団は、屋台の前を素通りしていく。彼らはそのままルウの集落に向かい、俺もそちらで合流する手はずになっていた。そうして早めの時間から、ドムの集落に向かう約束をしていたのだ。
アラウトは、決してディガたちを恨んでいるわけではない。彼の父親を害したのはサイクレウスやシルエルやザッツ=スンたちであるのだから、その血族に過ぎないディガを恨む筋合いはない。彼はサイクレウスの娘たるリフレイアとも正しく絆を深めているのだから、その心情を疑う理由はないだろう。
ただそれは、たとえ仇敵の血族でも筋違いの恨みを抱いてはいけないという、そんな覚悟を固めた上での決断であるはずであった。父親の仇の娘や孫と正しく絆を結びたいというのは、そんな生易しい話ではないはずであるのだ。
だから俺は、アラウトの覚悟を心から得難いものだと考えていたし――そんなアラウトたちと今日という日をともにできることを、心からありがたく思っていたのだった。
◇
そうして屋台の商売を終えた後、俺たちも森辺を目指すことになった。
ルウの集落の手前には、3台のトトス車が並べられている。その脇を通りすぎて集落の広場に踏み入ると、そちらにはトトスの騎兵に守られた貴族らとルウの人々の姿があった。
「かまど番たちも戻ったようだな。では、我々も出立の準備を整えるとするか」
そのように声をあげたのは、ドンダ=ルウである。本日はジザ=ルウに族長代行を命じることなく、ドンダ=ルウ自らが出向くことになったのだ。
そのかたわらには、ともにドムの集落へと向かう面々――ミダ=ルウ、ヤミル=レイ、ラウ=レイの3名が控えている。それと相対しているのは、4名の貴族とその従者たちであった。メルフリード、リフレイア、アラウト、フェルメスに、サンジュラ、サイ、ジェムドという顔ぶれだ。
「アスタたちも、ご苦労であった。ドムの集落ではすぐさまあちらの家人たちと言葉を交わしたいので、ここで挨拶をさせていただこう」
美々しい白装束を纏ったメルフリードが、そのように呼びかけてくる。このたびは森辺の民との調停官という立場で、彼が同行することになったのだ。
あとは王都の外交官であるフェルメスが立ちあうだけの、少数精鋭である。ただ、これだけの身分の人々が参ずるからには護衛の部隊も必須であるため、このような大所帯になってしまうわけであった。
「アスタ殿、お疲れ様でありました。本日は、どうぞよろしくお願いいたします」
アラウトは、いつも通りの折り目正しさで一礼してくる。
「アラウトも、お疲れ様です。……もうミダ=ルウとも挨拶をされたのですね」
「はい。以前にも遠目にうかがう機会はあったのですが、ご挨拶をさせていただいたのはこれが初めてのこととなります」
かつてアラウトは料理人のカルスをともなって、たびたびルウ家を訪れていたのだ。それで朝方に訪れた折には、ミダ=ルウを見かける機会もあったのだろうと思われた。
「ミダ=ルウも、お疲れ様。今日はおめでたい日だね」
「うん……」と応じつつ、ミダ=ルウは肉にうもれた小さな目でアラウトのほうをうかがっている。それに気づいたアラウトが、彼らしい純真な微笑みをたたえた。
「さきほども申し述べましたが、僕はディガという御方を恨む気持ちを持ち合わせておりません。今日はみなさんとご一緒に、ディガという御方の祝いの場を見届けたく思っています」
アラウトがそのように語っても、ミダ=ルウの眼差しに変化は見られない。
するとアラウトは一考して、このように言葉を重ねた。
「ミダ=ルウ殿は、まだご懸念が晴れないようですが……僕がことさらディガ殿をお恨みする理由はありません。ディガ殿は森辺において悪行を働いていたとのことですが、それは僕にとって関わりのない話であるのですからね。僕にとってはディガ殿もミダ=ルウ殿もヤミル=レイも、すべて等しいお立場であられるのです。……僕があなたやヤミル=レイをお恨みしているように思えますでしょうか?」
「ううん……そうは思わないんだよ……?」
「であれば、心配はご無用です。僕はあなたともヤミル=レイともディガ殿とも、同じように絆を深めたく願っているのですよ」
そうしてアラウトが再び彼らしい微笑みをたたえると、ミダ=ルウもようやく安心したように頬肉を震わせた。
するとドンダ=ルウが硬そうな顎髭をまさぐりながら、「ふん」と鼻を鳴らす。
「こちらの不出来な家人のために心を砕いてもらい、ありがたく思っている。……ミダ=ルウよ、貴様も年少の相手に恥じることのないよう、身をつつしむがいい」
「うむ? ミダ=ルウは、アラウトよりも年長であったかな?」
ラウ=レイが気安く口をはさむと、アラウトがきょとんと目を丸くした。
「僕は15歳という若輩者ですので、もちろんミダ=ルウ殿のほうが年長でありましょう」
「こやつは見てくれよりも、ずいぶん年若いのだ。お前は何歳になったのだ、ミダ=ルウよ?」
「うん……ミダは、16歳になったんだよ……?」
その返答に、アラウトばかりでなくサイも目を見開くことになった。
そのかたわらで、リフレイアはくすくすと笑っている。
「わたしも最初にミダ=ルウの齢をうかがったときは、心から驚かされることになりましたわ。でも、ミダ=ルウはスン本家の第三子息であられたのだから、若年であるのが当然であるのですよね。最年長のヤミル=レイだって、このようなお若さなのですもの」
「そうですね。このようなことで驚く必要のないように、僕もしっかりと交流を深めさせていただきたく思います」
そうしてアラウトが笑顔を取り戻したところで、ついに出発することになった。
まずはドンダ=ルウらを乗せた荷車が先頭を走り、城下町からの一団がそれに続き、俺がギルルの荷車でしんがりを務める。俺は行き道で同乗しているかまど番たちを降ろし、最後にはアイ=ファと合流しなければならないため、邪魔にならないように最後尾を走ることになったのだ。
俺が荷車を停めるたびに、トトス車と騎兵の姿は遠ざかっていく。しかしまあ、最後にはドムの集落で合流するので問題はない。予定通りにすべての女衆をお送りしてファの家に到着すると、そこにはアイ=ファがひとりで凛然と待ち受けていた。
「お待たせ。ブレイブたちは、もうフォウの家に預けてきたのかな?」
「うむ。時間にはゆとりがあったのでな」
本日は俺たちもあちらで夜を明かすため、可能であれば家人総出でお邪魔したいところである。が、いよいよラムの懐妊が確実になってきたため、今回はフォウの家を頼ることになったのだ。ドムの集落までは荷車でも一刻以上の道のりであるので、ラムの身を慮っての判断であった。
アイ=ファの手を借りて荷下ろしをしてから、あらためて森辺の道を北に進む。
ディンやリッドの家長たちはギバ狩りの仕事を終えてから出立する予定であったため、俺たちが同乗させるのはスンの人々のみとなる。そちらでは、現在のスン本家の家長と末妹のクルア=スン、そして分家の長兄が待っていた。
「手間を取らせて、申し訳ない。どうかよろしくお願いする」
柔和で誠実なるスンの家長は礼儀正しく一礼してから、荷台に乗り込んでくる。それに続くクルア=スンはつつましい表情、分家の長兄はいくぶん張り詰めた面持ちであった。
「さきほど貴族の一団が通り過ぎていくのを目にしました。ずいぶん物々しい様相でしたが……本当に、スン家を恨む気持ちは残されていないのでしょうか?」
分家の長兄がそのように問うてきたので、俺は「ええ」と笑顔を返してみせた。
「貴族が森辺で過ごすには、どうしても30名ていどの護衛役が必要になってしまうのです。アラウトは信用の置けるお人ですので、どうかご心配なく」
「うむ。族長らが参席を許したというのなら、何も案ずることはあるまい。ただし我々も、まぎれもなくスンの人間であるのだからな。かつての族長らの罪深さを決して忘れることなく、最大限の礼節をもって相対するべきであろう」
スンの家長がそのように言いたてると、分家の長兄はいっそう表情を引き締めて「はい」と首肯した。
いっぽうクルア=スンは、銀灰色の瞳をそっと伏せている。その姿も憂いげに見えなくもなかったので、俺は声をかけておくことにした。
「クルア=スンも、大丈夫かな? 何も心配はいらないからね」
「はい。わたしはべつだん、貴族の方々のお心を疑っているわけではありません。ただ……強い喜びの気持ちというものも、心を乱す一因になってしまうのです」
そのように語るクルア=スンは、その手に玉虫色のヴェールを握りしめていた。
彼女は心を沈静に保っていないと、他者の星の輝きが目に映されてしまう。それをまぎらわせるためには、こういうきらきらとしたヴェールで目もとを覆うのが有効であるという話であったのだった。
「クルア=スンは、それだけディガの一件を喜んでいるんだね。何か個人的な交流でもあったのかな?」
「いえ。当時のわたしは、まだ幼かったですし……本家の方々とはなるべく関わらないようにと言いつけられていたため、ほとんど口をきいたこともないように思います」
目を伏せたまま、クルア=スンは静かに微笑んだ。
「ただ、ディガやドッドという方々は、ひどく恐ろしげな印象であったので……あの御方が正しき運命を取り戻せたことを、心から喜ばしく思っています」
「うむ。あやつらが暴虐に振る舞っていたのは、歪んだ運命に押し潰されてのことであろうからな。あやつらは自らが正しいのだと信じ込むために、他者を見下すしかなかったのだろう。それで、おそらくは……ミギィ=スンを見習ってしまったのだ」
スンの家長は穏やかな面持ちのまま、ただ眼光だけを鋭くした。
分家の長兄は何か恐ろしい言葉でも聞かされたかのように、ぶるっと身を震わせる。それを横目に、俺もいくぶん厳粛な気持ちで言葉を重ねた。
「ミギィ=スンという名は、俺も時おり聞かされています。ずいぶんと暴虐な人間であったそうですね」
「うむ。スンとルウがどうしようもなく決裂してしまったのも、あやつの暴虐さゆえであったからな。ただ、あやつはザッツ=スンの言い分に、心から賛同しているように見えた。だからディガやドッドたちは、あやつを見習うことになってしまったのだろう。恐怖を与える側に成り代わることで、恐怖を与えられる立場から脱しようとしたのだ」
そんな話は、俺もディガたち自身から聞かされていた。ディガたちは幼い頃、ミギィ=スンという悪辣な人間に虐げられており――のちには自分たちが、ミダ=ルウや分家の家人を虐げるようになったというのだ。それがいかに浅ましい行いであったか、ディガたちは涙ながらに詫びていたのだった。
「本家の人間は暴虐に振る舞い、分家の人間はひたすら心を押し殺した。それはどちらも、自らの罪深さから目を背けるための行いであったのだ。だから俺は、罪の深さに変わりはないと考えている。ただ、立場ある人間にはより大きな責任というものが生じるため、本家の者たちはより重い罰を背負うしかなかったのだろう。……その重い罰を贖ったディガを、心から祝福したいと願っている」
家長がそのように言葉を重ねると、分家の長兄も厳しい面持ちで「はい」とうなずいた。
きっと彼らはスン家の罪が暴かれたあの日から、何度となくこのような問答を交わしているのだ。そうして彼らは自らの罪と正面から向き合うことで、正しい運命を取り戻すことがかなったのだった。
(こんなスン家の人たちの姿を見たら、アラウトたちもきっと心が安らぐはずだ)
そんな思いを胸に秘めながら、俺は荷台で揺られることになった。
それから、短かからぬ時間が過ぎて――ついに、森辺の道の最北端に到着する。俺にとってはディック=ドムたちの婚儀以来、半年ぶりの来訪であった。
「ザ、ザザの集落にようこそ!」
3つの集落の分岐点に待ちかまえていた幼子が、緊張した面持ちでそのように告げてくる。これまでも、こういった幼子に出迎えられた覚えがあった。
「ド、ドムの集落は祝いの準備が進められていますので、トトスと荷車はザザの集落でお預かりいたします! どうぞこちらにお進みください!」
「うむ。案内、感謝する」
御者台から降りたアイ=ファはしかつめらしく応じつつ、幼子に続いてザザの集落に踏み入った。
そちらで待ちかまえていたのも、年端もいかない幼子たちばかりである。男衆は森に入り、女衆は宴料理の準備に勤しんでいるのだろう。ドムとルティムの婚儀においてはザザやジーンの人手を借りることも許されなかったが、このたびは北の集落の家人が総出で取り組んでいるはずであった。
そうしてギルルと荷車を預けた俺たちは、幼子の案内でドムの集落へと足を向ける。
そちらでは、貴族の面々とルウ家の面々、それにドム家の面々が広場の真ん中で相対していた。
「そちらの客人たちも到着したか。案内、ご苦労であったな」
ディック=ドムがそのように告げると、幼子は「はいっ!」と一礼して立ち去っていった。
俺たちは、彼らの対峙を横から見やる格好で立ち並ぶ。貴族やルウの側はさきほどと同じ顔ぶれであり、ディック=ドムのかたわらにはレム=ドムやドッドや分家の家長たちなどが居並んでいた。
「今、集落の周囲に護衛の兵士を配置しているところだ。それが完了したならば、客人らをディガのもとに案内しようと考えている」
「うむ。ディガは足を痛めてしまったそうだな。よほどの深手であったのであろうか?」
「大事ない。昨日と今日は仕事を休ませたので、明日か明後日には森に出ることがかなおう」
そのように応じてから、ディック=ドムは貴族たちに向きなおった。
「俺たちは客人を出迎えるために、仕事を早くに切り上げた。族長グラフ=ザザの挨拶は夕刻になってからで問題なかろうと考えたのだが、礼を失してはいなかっただろうか?」
「なんの問題もあろうはずがない。族長ドンダ=ルウやドムの面々に手間を取らせてしまったことを、申し訳なく思っている」
メルフリードは鉄仮面のごとき面持ちで、そのように応じた。彼もザザの血族の収穫祭には立ちあっていたし、その後も城下町の祝宴で何度かご一緒した間柄であったが――ただ、どちらも鋭い気迫の持ち主であるため、なんとも緊迫した空気が生まれてしまっていた。
「ふむ。メルフリードとディック=ドムが場を取り仕切ると、むやみに堅苦しくなってしまうようだな。アラウトやリフレイアは絆を深めに出向いてきたのだから、そのように肩肘を張る必要もあるまい?」
そのように発言したのは、ラウ=レイである。このような場でもまったく恐れ入らないのは、さすがの心臓であった。
「それにこやつらはディガばかりでなく、かつてスン本家の家人であった人間すべてと絆を深めたいと願っているという話であるのだ。ならば早々に、そちらのドッドと語らせるべきではなかろうかな?」
「やかましいぞ。俺たちは見届け人に過ぎんということを忘れるな」
ドンダ=ルウがそのように掣肘したが、メルフリードは「いや」と応じた。
「それを言うならば、わたしやフェルメス殿も見届け人という立場にある。あとの取り仕切りは、ディック=ドムに一任したい」
「承知した。……ドッドよ、前に」
ドッドは誰よりも緊迫した面持ちで、ディック=ドムのかたわらに進み出た。それほど背は高くないがずっしりと肉厚の体格をした、俺より1歳年長の男衆だ。本日も黒褐色の髪をオールバックにひっつめて、狛犬のように厳つい顔をあらわにしていた。
「こちらがかつてスン本家の次兄であった、ドッドとなる。……リフレイアは、すでにディガやドッドとも顔をあわせているはずだな」
「ええ。ファの家を含む方々の収穫祭という場で、ご挨拶をさせていただいたわ。去年の復活祭には、トトスの早駆け大会で活躍された姿も客席からうかがっているわね」
リフレイアは落ち着いた面持ちで、たおやかに一礼した。
「おひさしぶりね、ドッド。わたしのことを見覚えておられるかしら?」
「も、もちろん忘れるわけがない。ぶ、無事に再会できたことを、得難く思っている」
そんな風に応じながら、ドッドはアラウトのほうをちらちらとうかがっていた。
するとアラウトは、ルウの集落でミダ=ルウに向けていたのと同じ微笑を返す。
「初めてお目にかかります。さきほどご紹介にあずかった、バナーム侯爵家のアラウトと申します。本日は突然の来訪をお許しいただき、心から感謝しています」
「あ、いや……それを許したのは、家長や族長たちだから……」
と、ドッドは頼りなげに口ごもってしまう。これだけ雄々しい容姿をしていながら、まだ他者に対する気後れが抜けないドッドであるのだ。
「すでにお伝えされているかと思いますが、僕はスン本家の家人であった方々と正しく交流を深めたいと願っています。そして今日はみなさんとご一緒に、ディガ殿を祝福させていただきたく思っています。何も悪いたくらみなどは抱いておりませんので、どうか信じていただけますでしょうか?」
「そ、それはもちろん、何も疑ってるわけじゃねえけど……」
アラウトがどれだけ言葉を重ねても、ドッドはなかなか不安をぬぐえないようである。
すると――俺のかたわらにたたずんでいたスンの家長が、進み出た。
「横から口を差しはさんで、申し訳ない。俺もこの場で挨拶をさせてもらってもかまわないだろうか?」
ディック=ドムはギバの頭骨の陰で黒い瞳を光らせつつ、「よかろう」と応じた。
「アラウトにリフレイアよ。これなるは、現在のスン本家の家長となる。かつてのスン本家の家人らが血の縁を絶たれたのちは、分家の家長であったこの者がスンの血族を束ねることになったのだ」
「ああ、そうだったのね。あなたとも、ぜひ交流を深めさせていただきたいわ」
リフレイアは何をいぶかしむ様子もなく、たおやかな微笑を返した。
そちらにひとつうなずきかけてから、スンの家長はアラウトに向きなおる。
「その前に、ひとつ告白させていただきたい。かつてアラウトの父親を害したのは、ザッツ=スンを筆頭とするスン家の人間であったとされているが……その中には、俺の父も含まれているはずだ」
一部の人々が、ぎょっとしたように立ちすくんだ。もちろん俺も、そのひとりである。
しかしアラウトは、真っ直ぐな眼差しでスンの家長を見つめ返した。
「そうなのですか? 悪行を働いたスン家の人間の中で、素性がわかっているのはザッツ=スンにテイ=スンという両名のみであると聞き及んでいるのですが」
「うむ。何も証のある話ではない。しかし、我々にとっては自明のことであるのだ。十数年前、ザッツ=スンと行動をともにしていた人間は、ごく限られているのだからな」
スンの家長は強い眼差しでアラウトを見返しながら、そのように言葉を重ねた。
「あの頃のザッツ=スンは、たびたび数日ばかりもスンの集落から姿を消していた。その際には、いつも同じ顔ぶれの人間が同行していたのだ。その中には、俺の父親も含まれており……そして父は姿を消すたびに、人間らしい心を失っているように感じられた。あれはまぎれもなく、森辺の外で悪行を働いていたのだろうと思う」
「……それらの者たちは、すべて魂を返しているという話だったな?」
メルフリードが冷徹なる声音で問い質すと、スンの家長は「うむ」と応じた。
「ザッツ=スンが病魔に倒れ、ミギィ=スンが魂を返したのち、テイ=スンを除く残りの3名も後を追うように次々と魂を返すことになった。おそらくは、おのれの罪深さに生きる気力を失ってしまったのだろう。……そちらのドッドは大罪人ザッツ=スンの孫にあたるが、俺などは大罪人の子であるということだ」
「なるほど」と、アラウトはまぶたを閉ざした。
その閉ざされたまぶたの間から、ひと筋の涙がこぼれ落ちる。そして彼は、自分の装束の胸もとをわしづかみにした。
「申し訳ありません。つい心を乱してしまいました。……そうしてあなたも家族の罪を贖うべく、スン家を正しく導こうとされているのですね」
「うむ。命令を下したのはザッツ=スンでも、それに従ったのは俺の父たちだ。スンの家人は、誰もが等しく罪を背負っているのだろうと思っている」
「いえ。あなたがたに罪はありません。きっとあなたがたは、父を殺められた僕と同じぐらいの苦悩を背負うことになったのでしょう。あるいは……自分に罪はないと信ずることのできた僕たちよりも、いっそう深い苦悩であったのかもしれません」
そう言って、アラウトはまぶたを開いた。
涙に濡れた目が、再び真っ直ぐスンの家長を見る。その眼差しには、これまでと変わらぬ熱情と誠実さがたたえられていた。
「だから僕は、あなたがたと正しく絆を結びたいと願うことになったのでしょう。いずれ日をあらためて、スンの集落にもご挨拶をさせていただきたく思います」
「ええ。わたしなんて、ずっと前から森辺の方々と親しくさせてもらっていたのに……あなたがたの存在を気にかけることもできなかった。自分の愚かさが呪わしくてたまらないわ」
そのように語るリフレイアも、きつく眉を寄せながらその目に涙をにじませていた。
「あなたがたの運命を狂わせたのは、わたしの父と叔父であったのに……本当にごめんなさい。謝って許されるような話ではないけれど……」
「いや。それを言うならば、俺たちもアラウトに謝罪すべき立場となろう。俺たちとリフレイアは、まったく同じ立場であるのだろうからな」
「はい。そして僕は、謝罪の必要などないということを伝えに参ったのです。親や祖父の罪を子や孫に問う法など、西の王国には存在いたしません。僕たちは恩讐を越えて、新たな絆を結ぶべきであるのです」
アラウトはその頬の涙をぬぐおうともしないまま、ただ純真なる微笑をたたえた。
また、ドッドも目もとを潤ませており、クルア=スンもうつむいたまま目もとをぬぐっている。分家の長兄は思い詰めた面持ちで口もとを引き結んでおり、ミダ=ルウは心配そうにドッドのことを見つめていた。
そして――ただひとりクールな表情を保持していたヤミル=レイが、「いいかしら?」と発言する。
「スン家の運命を狂わせたのはトゥラン伯爵家の悪しき貴族たちであったと、リフレイアはそのように語っていたけれど……一概に、そうとは言いきれないのじゃないかしらね」
「それは、どういう意味かしら? ザッツ=スンを筆頭とするスン家の大罪人たちは、わたしの父や叔父にそそのかされて商団を襲ったりしていたのでしょう?」
「その、そそのかされてという言葉に違和感を覚えるのよ。わたしは1度きりだけれど、あなたの父親や叔父といった者たちと対面しているからね」
ヤミル=レイは決して昂ることなく、ただ切れ長の目を鋭く光らせながら、そう言った。
「まったくもって申し訳ない言い草でしょうけれど、あなたの父親たちにそれほどの器量を感じることはできなかったわ。ザッツ=スンほどの人間が、あのていどの者たちにたぶらかされることはないでしょうね」
「でも……審問では、それが事実であると見なされたはずよ。2年以上も経ってから、審問の結果に異議を唱えようというの?」
「いえ。トゥラン伯爵家とザッツ=スンの間で何らかの密約があったのは事実なのでしょう。でもそれは……ザッツ=スンらの罪を見逃す代わりに、目当ての人間や商団を襲わせたのだとか……そういった類いの密約だったのではないかしらね」
そう言って、ヤミル=レイはわずかに眉をひそめた。
それは何だか、ザッツ=スンの幻影に懸命に立ち向かっているかのようなたたずまいであった。
「ザッツ=スンは富を得るために、森辺の外で悪行を働いていた。それはきっと悪しき貴族にたぶらかされるまでもなく、ザッツ=スン自身の意思で始められた悪行であったはずよ。だからザッツ=スンは、悪しき貴族にたぶらかされたのではなく……おたがいに利用し合うような関係だったのじゃないかしらね」
「うむ。ザッツ=スンらは決してシルエルらの配下であったわけではなく、おたがいの利害のために手を組んでいたということだな。それは我々の下した審問の結果と、なんら矛盾する話ではない」
メルフリードが冷徹な声音でそのように言い添えると、ようやく涙をふいたアラウトがヤミル=レイに微笑みかけた。
「つまり、ザッツ=スンらが罪を犯したことに対して、リフレイア姫が責任を感じる必要はない、と……ヤミル=レイは、それを伝えるためにそのような話をしてくださったのですね」
「わたしは、事実を明らかにしておきたかっただけよ。そうでなければ、正しく罪を贖うこともできはしないでしょう?」
「はい。ヤミル=レイの明哲さとお優しさに、感服いたしました。僕も事実を正しく認識して、みなさんと正しく絆を深めさせていただきたく思います」
アラウトが恭しげに一礼すると、リフレイアもきゅっと表情を引き締めながらそれにならった。
そこで、ずっと接近のタイミングを待っていたらしい武官がメルフリードのもとに駆けつける。
「メルフリード殿。警備の配置が完了いたしました」
「うむ。すっかり話し込んでしまったが、まずは本日の主役に挨拶をさせてもらわなければな。ディック=ドムよ、案内を願いたい」
「承知した」と、ディック=ドムはきびすを返した。
本当に、ディガと顔をあわせる前から何と深刻な一幕であったことだろう。俺などはさまざまな方向から心を揺さぶられて、まったく整理が追いついていなかった。
(でも……やっぱり同行させてもらって、よかったな)
スン家は、数々の罪を犯していた。そして、その内のひとつ――森の恵みを荒らしていたという大罪については、この俺が暴きたてることになったのだ。
だから俺は、決して無関係の傍観者ではない。俺はアラウトやリフレイアたちに負けないぐらい気持ちを引き締めて、今日という日を過ごす所存であった。




