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異世界料理道  作者: EDA
第七十四章 輝ける縁成
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麗風の会④~さらなる交流~

2022.12/2 更新分 1/1

 ポルアースやダイアたちに別れを告げて、俺たちは次なる卓を目指した。

 そちらにも、数多くの貴婦人や貴公子が集っている。そしてそれらは、すでにふたつの大きな輪を作っており――その中心から頭を覗かせているのは、それぞれシン=ルウとラウ=レイである。であればきっと、そのかたわらにはララ=ルウとヤミル=レイも控えているのだろう。


「あっちもすげー騒ぎだなー。気づかれる前に、まずは菓子をいただこーぜ」


 ルド=ルウの提案に従って、俺たちはこっそりと菓子の卓に忍び寄った。

 そこで待ち受けていたのは、目にもあでやかな色彩の数々である。こちらはダイアの菓子の卓であったのだ。


 本日は、丸くて平たいビスケットのような生地の上に、花の形をした具材がのせられている。ゼリーのように半透明の具材で、立体的な花の装飾が施されているのだ。色合いも花の種類もさまざまで、実にダイアらしい手腕であった。


「わー、きれい! きっと色ごとに味が違うんだろうねー! どれから食べるか迷っちゃうなー!」


「大きな声を出すなよ。気づかれちまうぞ」


 俺たちはまるで盗み食いをしているような風情で、それらの菓子を味わうことになった。

 俺が選んだ青い花は、予想通りブルーベリーのごときアマンサの風味を有していたが――ただ、それ以外にもさまざまな味と香りが加えられている。それに、アマンサの酸味は抑えられて、花蜜と思しき甘さが豊かであり、ふくよかなる花の香りがそのまま菓子に変じたかのようだった。


 甘い香りをした花には、甘い味こそが相応しい。きっとそういうコンセプトで、こちらの菓子は考案されたのだろう。ダイアはこれまでにも花をモチーフにした菓子をいくつもお披露目していたが、それにもまったく見劣りすることのない出来栄えであった。


 そして、そちらで準備されていたのは、カロンの乳を加えたチャッチの茶である。

 チャッチの皮から作られる茶というのは若干の渋みと柑橘系のような風味を有しており、カロンの乳とも調和することがここで証明された。そしてそのまろやかな味わいは、こちらのさまざまな味をした菓子のいずれともしっかり調和するようであった。


「おお! そこにいるのは、アスタたちではないか! お前たちも、ようやくこちらに参じたのだな!」


 ラウ=レイがそのような声を張り上げたため、貴婦人の一団に気づかれてしまった。

 まあ俺たちも無言で逃げ去ろうとしていたわけではないので、覚悟を固めてそちらに突入していく。すると、包囲網が崩れた間隙を突いたかのように、シン=ルウとララ=ルウも寄り集まってきた。


「ちょうどよかったよ。ちょっとひと息つかせてね」


 ララ=ルウは、小声でそんな風に言っていた。

 とりあえず俺たちは、4名がかりで押し寄せる貴婦人たちを迎え撃つ。その場には20名以上の貴婦人が群れ集っていたため、そのひとりずつに挨拶をするだけでもなかなかの手間であった。


 しかしまあ、本日は交流を深めるのもひとつの主旨であるのだから、決しておざなりにすることはできない。ただ、最終的にはアイ=ファのもとに数多くの貴婦人が結集し、またさきほどと同じように巨大な人の輪が形成されることになってしまった。


「うむ、助かったぞ。ヤミルの美しさが賞賛されるのは誇らしい限りだが、あれだけの娘たちに囲まれていると息が詰まってしまうのでな」


 さしものラウ=レイも声をひそめつつ、そのように語っていた。


「貴族の娘というのは誰も彼もが花のような香りを纏っているので、なおのこと厄介だ。これが鼻の鋭いダン=ルティムやラー=ルティムであったなら、たまらず逃げ出していたやもしれんぞ」


「はは。あのふたりだったら、娘っ子に囲まれることもなさそうだけどなー」


 そのように語らっているルド=ルウとラウ=レイも、遠い位置から熱い眼差しを受けている立場となる。もちろん凛々しい面立ちをしたシン=ルウも、それは同様だ。ただ、貴族の間では森辺の民に軽はずみな気持ちで色目を使うことが禁じられている。先刻のリーハイムの妹の言葉通り、その反動でいっそうアイ=ファに人気が集中してしまうのかもしれなかった。


「ヤミル=レイも、お疲れ様です。ちょっとこれは、普段の祝宴よりも大変そうな騒ぎですね」


 俺がそのように呼びかけると、誰よりも壮麗なる宴衣装を纏ったヤミル=レイは「そうかしら?」となめらかな肩をすくめた。


「相手が若い娘たちだったら真面目くさった話になることも少ないし、年をくった貴族を相手にするよりは気楽なのじゃないかしらね」


「やっぱりヤミル=レイも、そう思う? でも、思わぬところで血の繋がりがわかったりするから、気が抜けないよね」


 ララ=ルウは真剣な面持ちで、そんな風に言っていた。


「けらけら笑ってる娘がマルスタインの妹の子だったり、ちょっととげとげしい雰囲気の娘がルイドロスの姉の子だったりするんだもん。これを見覚えていくのは、けっこう大変かな」


「へえ。とげとげしい態度の人もいたのかい? みんな友好的な感じだと思ってたけど」


「うーん、とげとげしいってのは言いすぎかもしれないけど……警戒心を持ってそうな人間は少なくなかったよ。ほら、シン=ルウなんかはルイドロスの弟と悪縁を結んじゃったりしたじゃん? だからさっきの娘なんかは、本当にシン=ルウが正しい人間なのか探ってるみたいな感じだったのかな」


 そう言って、ララ=ルウはいっそう表情を引き締めた。


「あたしたちはきっちり和解したつもりでも、そう思ってない人間もいるのかもしれない。だったらそういう相手とは、しっかり絆を結ばないといけないからね。……それが知れただけでも、今日はこの場所に来た甲斐があったよ」


「族長の娘というのは、気苦労が絶えないわね。そんな身分から解放されて、わたしは幸いだったわ」


 ヤミル=レイが皮肉っぽい面持ちで言い捨てると、ララ=ルウは力強い笑顔でそちらを振り返った。


「そんな風に言いながら、ヤミル=レイもしっかり役目を果たしてるみたいだね。ヤミル=レイの存在が心強いっていうジザ兄たちの言葉が、よく理解できたよ」


「なんのことかしら? わたしが何を語ったかなんて、あなたは何ひとつ耳にしていないはずでしょう?」


「そんなことないよ。こっちとそっちを行き来してる人間も多かったもん。そういう人らの口ぶりで、ヤミル=レイの心強さを実感できたんだよ」


 ヤミル=レイは我関せずといった感じで、そっぽを向いてしまう。

 そのとき、俺たちを遠巻きにしていた貴婦人たちがわずかにどよめいた。そして人の輪がふたつに割れて、こちらに近づいてくる一団の姿をあらわにする。


「ああ、ヤミル=レイはこちらにいらしたのね。アスタたちも、ご機嫌よう」


 その先頭を進むのは、黄色い宴衣装のリフレイアである。シフォン=チェル、ディアル、ラービス――それに、アラウトにカルスにサイまで同伴していたので、なかなかの人数だ。さきほどのどよめきは、人目を引くシフォン=チェルに対してのものであったのかもしれなかった。


「歓談のさなかに、ごめんなさいね。アラウト殿がヤミル=レイにご挨拶をしたいそうなので、こちらにご案内をしたのよ」


「うむ? アラウトとは、さきほども挨拶をしたはずだぞ」


 ラウ=レイがそのように反問すると、アラウトは涼やかに微笑みながら「はい」と首肯した。


「ですが、さきほどは本当に挨拶だけで終わってしまったため、心残りであったのです。もしご迷惑でなかったら、しばしレイ家のおふたりとご一緒させてもらえないでしょうか?」


「そうか。まあ、先日の祝宴では大して語らえなかったしな。若い娘どもに囲まれているよりは、俺たちも気楽でいられることだろう」


 ラウ=レイが気さくに応じると、ヤミル=レイは「何が気楽なものですか」と肩をすくめた。

 しかし、どうしてアラウトがことさらヤミル=レイとの語らいを求めているのか、俺にはいまひとつ事情がわからない。すると、すました顔をしたリフレイアが俺のほうに向きなおってきた。


「語らいのお邪魔をしてしまってごめんなさいね、アスタ。送別の祝宴ではティカトラス殿がヤミル=レイのそばにいることが多かったので、アラウト殿も思うように語らえなかったという話であったのよ」


「ああ、なるほど……でも、ヤミル=レイに何か特別なご用事でもあるのでしょうか?」


「はい。僕はヤミル=レイと、確かな絆を結びたく願っているのです」


 と、アラウトがにわかに真剣な眼差しになった。


「あの送別の祝宴が行われた日、日中は貴族と森辺の方々で語らいの場がもたれたでしょう? 僕はその場で、初めてヤミル=レイの出自を知ることになったのです」


「ヤミル=レイの出自というと、つまり――」


「はい。ヤミル=レイは、スン本家の血筋であられたのでしょう? 僕はバナーム侯爵家の人間として、スン本家であられた方々と入念に絆を深めるべきだと思うのです」


 これまで何度も取り沙汰されてきたように、バナーム使節団の初代団長たるアラウトの父親を殺めたのは、ザッツ=スンやテイ=スンたちであったはずなのだ。そしてヤミル=レイたちは、ザッツ=スンの孫にあたる血筋であったのだった。


(そうか。それでラウ=レイも送別の祝宴の日に、ヤミル=レイはアラウトたちとしっかり絆を結びなおすべきだって言ってたんだもんな)


 俺としても、いささかならず背筋ののびる思いであった。

 そうしてこちらの空気がいくぶん張り詰めると、遠巻きに様子をうかがっていた貴婦人たちも散開していく。それで行動の自由を得たアイ=ファたちも、こちらに合流することになった。

 森辺の民が8名で、リフレイアたちが7名という、これだけでなかなかの大人数だ。そうして今度は俺たちに囲まれる格好で、アラウトは毅然と語り始めた。


「もとより僕には、ヤミル=レイをお恨みする理由はありません。ヤミル=レイは森辺で大きな罪を犯したというお話ですが、僕の父の死には一切関与していないのですからね。しかしそれでも、過去のしがらみを軽視すれば、思わぬ場面で関係がこじれてしまうこともありえるでしょう。ですからそのような事態を回避するために、僕はスン本家を出自とする方々と正しく絆を深めさせていただきたいのです」


「まったく、酔狂な話よね。あなたの兄たるウェルハイドは、わたしたちなんかにまったく興味を持っていなかったようであるのに」


 ヤミル=レイがクールな面持ちでそのように言い返すと、アラウトは彼らしい熱情的な微笑をたたえた。


「兄上はジェノスや森辺のすべての方々と絆を結びなおすべく奔走していたため、出自にこだわる理由も見いだせなかったのでしょう。ですが、あれから2年以上の歳月が過ぎ去って、バナームとジェノスは確かな絆を結びなおすことがかないました。今こそが、個々の絆を見つめなおす時期なのではないでしょうか?」


「だからって、ことさら親の仇の血族にすりよる必要などないでしょうに」


「……僕がこのようにご提案するのは、ヤミル=レイにとってご迷惑であったでしょうか?」


 アラウトがいくぶん心配げな面持ちになると、ラウ=レイが陽気に笑いながらヤミル=レイのなよやかな二の腕を小突いた。


「こやつは誰に対してもこういう態度であるので、気にする必要はないぞ! 俺はレイの家長として、アラウトの申し出をありがたく思っているからな!」


「それなら、よかったわ。わたしはヤミル=レイと同じような立場であるでしょうから、ともにアラウト殿と絆を深めさせてもらいたく思っていたのよ」


 リフレイアは大人びた顔で微笑みながら、そう言った。


「それじゃあ、しばらくおふたりとご一緒させてもらってかまわないかしら? こちらもすでに、このような大人数なのだけれど」


「こちらは、まったくかまわんぞ! ファの両名も一緒でかまわんならな!」


 ラウ=レイが元気な声で言いながら、俺の首に腕をひっかけてきた。


「俺たちも? 別に断る理由はないけど……でも、どうしてかな?」


「どうしてとは、なんたる言い草だ! 俺たちがともにあることに、理由など必要なのか?」


 ラウ=レイには、理屈など必要ないのだろう。アイ=ファは諦念の面持ちで息をつき、そして緊迫の表情を解いたララ=ルウが朗らかに声をあげた。


「だったら、これだと大人数すぎるよね。リミとルドは、あたしたちと一緒にいてくれない? 菓子についてあれこれ聞いてくる人間も多いんだけど、あたしひとりだとしっかりした返事もできないからさ」


「えー? リミはアイ=ファと一緒にいたいけど……また後で、アイ=ファと一緒になってもいい?」


「わかったわかった。じゃ、リミたちはこっちで預かるね」


 ということで、ララ=ルウおよびリミ=ルウの組は、そこで離脱することになった。

 それでも総勢11名の大人数だ。しかし、それ以上は引く人間もいないようだった。


「僕たち、まだアスタとトゥール=ディンの菓子を食べてないんだよねー。お楽しみは、最後に取っておこうと思ってさ」


 ライトブルーの宴衣装であるディアルがそのように言いたてると、ラウ=レイも「うむ!」と同意の声をあげた。


「俺たちもまだ、アスタの菓子は口にしていないぞ! ……ただ、いいかげんに口の中が甘ったるくなってしまったな。これなら干し肉でも隠し持っておくべきだったぞ」


「だったら、俺の菓子がちょうどいいかもしれないね」


 俺たちは、11名連れで大移動することになった。

 リフレイアやアラウトといった大物の貴族が加わった恩恵か、貴婦人がたも遠くから会釈をしてくるばかりである。これは俺たちにとっても、ほどよいインターバルであるのかもしれなかった。


 そうして次なる卓に出向いてみると、幸運なことに俺が受け持った菓子の卓である。そちらに群れ集っていた貴婦人がたも、楚々とした足取りで場所を空けてくれた。


「あら、これは……以前に茶会で出された菓子に似ているようね」


 目ざといリフレイアがそのように問うてきたので、俺は「はい」とうなずいてみせた。


「こちらは以前にお出しした、煎餅という菓子です。今回は、いくつかの味をご準備しましたよ」


 それが、俺の準備した菓子だった。

 白米に似たシャスカを細かく挽いて、水で練り上げてから焼きあげる、煎餅である。俺はちょうど1年ぐらい前の茶会でも、こちらを供していたのだった。


 なおかつ今回は、3種の味を準備している。

 梅に似たキキを主体にした甘酸っぱいシロップをまぶして、焼きあげたもの。

 ミソと砂糖を基調とした甘じょっぱいタレに、落花生のごときラマンパのかけらをまぶして焼きあげたもの。

 そして、煎餅を焼きあげた後にカレーのスパイスと塩と砂糖を調合したパウダーをまぶしたものである。


「ふむ。せんべいか。これならヤミルも、時おりレイの家で作りあげていたぞ」


 ラウ=レイはキキ風味の煎餅をつまみあげて、それを口に放り入れた。

 バリバリと小気味よい音を鳴らして、それを噛み砕く。とたんに、ラウ=レイは目を見開いた。


「これはヤミルの作るものと、ずいぶん味が違っているな! また作り方を変えたのか?」


「うん。基本の作り方に変わりはないけど、ミャンっていう香草も加えてみたんだ。あとは、砂糖の代わりに花蜜を使ってるぐらいかな」


 ミャンは大葉に似た風味を持っているので、梅に似たキキと調和するのは自明のことである。それに花蜜を加えて煮込んだシロップに、赤ママリアの酢やラマムの果汁、塩やタウ油などを加えて味を調えている。以前は最後に砂糖をまぶしていたが、花蜜を最初から煮込んでいるのも小さからぬ変化であろう。もともとは梅ザラメをイメージして開発した品であったが、こちらの砂糖でザラメの食感を再現することはできなかったので、ひたすら味や風味の面で最善を目指した結果であった。


「だったらそれは、すぐヤミルにも伝えるべきだろう! これはやたらと、美味く感じるぞ!」


「ああ、同じ味ばかりを食べすぎないようにね。ゆとりをもって準備したつもりだけど、口にできない人が出たら困るからさ」


 俺とラウ=レイのやりとりを横目に、他の人々も煎餅を口にした。

 その中から、カルスが「ああっ!」と声を張り上げる。


「こ、これは美味です! ジャ、ジャガルのミソを甘く仕上げているのですね! ラ、ラマンパの食感も素晴らしいです!」


「うわ、こちらはかれーの味なのですね。辛い菓子というのは、あまりに珍妙に思えますが……でも、美味です」


 アラウトは驚嘆の面持ちで、そのように言っていた。

 リフレイアは「なるほどね」と微笑んでいる。


「このように辛い菓子だけを置いていたら、これを菓子と呼んでいいのかどうかためらうところだけれど……きちんと甘い菓子と一緒に供することで、菓子と認めざるを得ない状況を作りあげたというわけね」


「あはは。まあ、そういったところです。ただ、カレー味の煎餅も辛さはずいぶん抑えていますし、甘みを出すために砂糖も使っているのですよ」


「確かに、甘辛いといった印象ね。でも、このように香草を主体にした菓子なんて、これまで存在しなかったはずよ。それに、かれーを菓子に応用しようだなんて……普通はなかなか思いつかないのじゃないかしら?」


「それは故郷でつちかった知識ですので、俺の手柄ではないですね。でも、菓子に相応しい香草の配合にはそれなりに手間がかかりました」


 そんな風に応じながら、俺はこっそり横目でアイ=ファの反応をうかがった。

 アイ=ファは無表情のまま、とても満足そうな眼差しで3種の煎餅を食している。アイ=ファは甘い菓子に関心が薄いが、煎餅だけは口に合うようであるのだ。それで自然に、俺も煎餅の研究には注力するようになったわけであった。


「うん! どれもこれも美味しいねー! ラービスも、そう思うでしょ?」


「……はい。わたしはこの、ミソを使ったものを好ましく思います」


「うんうん! でも、他のふたつも捨てがたいかなー! なんか、おなかがいっぱいになるまで手が止まらなくなっちゃいそう!」


 ディアルはご満悦の表情であり、ラービスも感情を押し隠しつつ同じペースで煎餅を食している。そういえば、ディアルはアラウトの前でもかしこまった言葉を使おうとしないので、おそらくはリフレイアを介してよほど親交が深まったのだろうと思われた。

 そして、ずっと静かにしていたシフォン=チェルが、とてもやわらかい微笑を俺のほうに向けてくる。


「本当に、いずれも美味なる味わいです……このような場でアスタ様の菓子を口にできるというのは……何にも代えがたい喜びでございます……」


「はい。シフォン=チェルに菓子や料理を食べていただく機会はなかなか少ないので、俺も嬉しく思っています」


「あら。サンジュラに屋台の料理を頼む際は、シフォン=チェルの分もお願いしているのよ。シフォン=チェルが語っているのは、あくまで環境の話なのじゃないかしらね」


 と、リフレイアがいくぶん甘えるような眼差しでシフォン=チェルの長身を見上げた。


「祝宴の宴料理なんかだと、侍女は余り物をつまむことしか許されないものね。もちろんそれで、料理の味が落ちることはないのでしょうけれど……でもやっぱり、料理や菓子を楽しむのに環境というのは大事な要素であるはずよ」


「はい……わたくしも、その喜びを噛みしめておりました……」


 シフォン=チェルもまた、慈愛に満ちた眼差しでリフレイアを見つめ返している。俺としては、そんなふたりの姿にいっそう心を満たされるばかりであった。


(だからリフレイアは、シフォン=チェルをこの会の参席者にしたいと願ったわけか。そんな場で自分の菓子を出すことができて、俺もラッキーだったな)


 俺がしみじみとそんな風に考えていると、リフレイアたちのやりとりを温かく見守っていたアラウトがふっと眉をひそめて手もとの煎餅を見下ろした。


「これらの菓子は、本当に美味です。ただ、なんというか……どうしてこれほどまでに、心が弾んでしまうのでしょう?」


「あら、アラウト殿は何をいぶかしんでおられるのかしら? 美味なるものを口にしたら、心が弾むのも当然でしょう?」


 リフレイアが反問すると、アラウトはますます考え深げな面持ちとなった。


「それはもちろん、その通りなのですが……ただ、リミ=ルウ嬢やダイア殿の菓子とて、素晴らしい出来栄えであったのに……なんだか僕は、心を洗われているような心地であるのです」


 すると、カルスがふくよかな頬を火照らせながら、主人のほうに向きなおった。


「そ、それは、心ではなく舌が洗われたのではないでしょうか?」


「舌が? それは、どういう意味だろう?」


「は、はい。ぼ、僕たちは、ずっと甘い菓子ばかりを口にしていました。そ、それで、アスタ殿の準備されたこちらの菓子も、砂糖や花蜜で十分な甘さを備えているのですが……それと同時に、多くの塩と香草が使われています。あ、甘さに倦んだ舌であれば、それらの塩気や辛みなどが、普段以上に心地好く知覚されるのだろうと思われます」


「はい。まさしくそれが、こちらの菓子の主眼でした」


 俺もそのように言葉を添えてみせた。


「森辺の民には甘い菓子だけで昼の軽食を済ませるという習わしがなかったため、塩気や辛みが喜ばれるかなと考えたわけですね。それに、こういう菓子であれば、他の方々が準備する甘い菓子をいっそう引き立てることができるのではないかと考えた次第です」


「は、はい。き、きっとこの後に甘い菓子を食したならば、そちらもひときわ美味に感じられることでしょう。ア、アスタ殿の菓子は他なる菓子の味を引き立てると同時に、他なる菓子によって味を引き立てられているのです」


「なるほど。甘い菓子を食べた後であるがために、これほどに心が弾むということか。それで納得がいったように思うよ」


 アラウトは純真なる表情を取り戻して、俺のほうに笑いかけてきた。


「アスタ殿、見事な手腕です。僕も甘い菓子だけで昼の軽食を済ませる機会はなくもありませんが、きっと貴婦人がたほどではないでしょう。そんな僕にとっても、こちらの菓子は森辺の方々と同様に得難く感じられるようです」


「うむ! できれば肉も欲しいところだが、俺もずいぶん心を満たされたぞ! やはりアスタは、素晴らしいかまど番だな! ヤミルも、存分に見習うがいい!」


「やかましいわね。わたしはアスタの仕事を手伝うので手一杯よ」


「うむうむ! これを作り上げるのを手伝っていたのは、ヤミルだったな! それだけでも、俺は誇らしく思うぞ!」


 アイ=ファばかりでなく誰もが満足そうな様子であったため、俺もいっそう心を満たされることになった。

 アイ=ファのために開発した菓子が、このように大きな催しでたくさんの人々に喜ばれている。それはかつての試食会や礼賛の祝宴でハンバーグカレーが好評を博したのと、同じ構図であろう。それは俺にとって、アイ=ファ個人に対する情愛がこの世界そのものに対する情愛に広げられたのを象徴するかのような出来事であり――俺にとっては、きわめて喜ばしく思えてならなかったのだった。

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― 新着の感想 ―
[良い点] なんというか、読むだけで幸せになるなぁ
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