麗風の会③~交流~
2022.12/1 更新分 1/1
城下町における、大規模な茶会――その名も麗風の会が開始されて、俺たちも菓子の卓を目指すべく散開することになった。
俺はアイ=ファとともに歩を進め、それに同行してくれたのはルド=ルウとリミ=ルウだ。ルド=ルウは美々しい武官の礼服であっても、いつも通りに頭の後ろで手を組んでてくてくと歩いていた。
「ララが招かれたことにも、きっちり理由があったわけだなー。ま、確かに最近のあいつは、貴族としゃべくることに熱心だったみたいだけどよー」
「うむ。口の重い私などには、とうてい務まらない役目であるな」
「あはは! アイ=ファだったら周りに集まる人たちが勝手にいっぱいしゃべってくれるから、きっと大丈夫だよー!」
俺も、リミ=ルウと同感である。
ただ現在は参席者の方々も菓子のほうに気を取られているらしく、アイ=ファが貴婦人に包囲されることもない。それで無事に、最初の卓に辿り着くことができた。
「アスタ、アイ=ファ。お待ちしていました」
そちらで待ちかまえていたプラティカが、精悍なる面持ちで一礼してくる。隣には、準礼装のニコラも控えていた。
「プラティカとニコラも、お疲れ様です。……そうしていると、貴婦人をお守りする貴公子さながらですね」
「……その言葉、どのような意図でも、気恥ずかしい、思います」
と、プラティカは黒い頬に血をのぼらせてしまう。アイ=ファとそっくりの金褐色の髪をゆったりと束ねて、紫色の瞳を鋭く輝かせるプラティカは、その端麗なる面立ちと相まって、貴公子さながらの凛々しさであるのだ。まあ、プラティカに関しては普段から似たようないでたちであったため、まぎれもなく男装をしているアイ=ファからの連想でそういう印象が強まるのだろうと思われた。
「こちら、カルス、準備した菓子です。私、味見、控えていましたが……期待、たがわぬ、完成度です」
「それでは俺たちも、さっそく味わわさせていただきますね」
そちらの卓に準備されていたのは、暗灰色の生地をした饅頭の山である。やはりカルスは故郷の名産たる黒フワノを使用しているようであった。
「うーん、いい香り! 黒いフワノって、白いフワノやポイタンより香ばしい匂いだよねー!」
リミ=ルウが宴衣装の裾をひるがえしながら、その手につまんだ饅頭を口に放り入れた。10歳のリミ=ルウが無理なくひと口で頬張れるような、ささやかなサイズであるのだ。
俺もアイ=ファもルド=ルウも、それに続いて饅頭を口にする。確かにそれは、期待にたがわぬ完成度であった。
「うん、素晴らしい味わいですね。やっぱりカルスは、菓子に関しても見事な手腕です」
そちらの饅頭には、カロンの乳製品を主体にした具材がたっぷり詰め込まれていた。いくぶん粘性の強いカスタードクリームのような食感で、そこにカロンの乳や乳脂や乾酪の風味があふれかえっており――さらに、花蜜の甘さに白ママリア酢のほのかな酸味が感じられた。
「菓子の酸味には果実を使うのが主流かと思われますが、こちらは白いママリアの酢が過不足なく活かされています。また、黒いフワノの生地の軽い食感とも、きわめて調和しているのでしょう」
プラティカに負けないほど鋭い目つきをしたニコラが、そのように言いたてた。
「そうですね。ママリアの酢もかなり風味が強いはずなのに、乾酪の風味で上手い具合に中和されているように思います。……ニコラたちも、これを作り上げるのに力を添えたわけですね?」
「はい。なおかつ具材に関しては昨日の内に、《銀星堂》の方々のお力を借りて仕上げることになりました。食材の分量の配分に関しては、ヴァルカス様の手腕が如何なく発揮されているかと思われます」
ではこれも以前の菓子と同様に、カルスの理想がヴァルカスの手腕によって具現化されているということだ。ほっとするような味わいでありながら、どこにもつけいる隙を感じさせない雰囲気が漂っているように感じられるのは、ヴァルカスの気配がちらつくためであるのかもしれなかった。
「失礼いたします。お茶をお注ぎいたしましょうか?」
と、白いティーポットを掲げた小姓がしずしずと近づいてくる。そういえば、これはあくまで茶会であったのだった。
「こちらの菓子には、酸味をおさえたアロウの茶を準備しております。砂糖や蜜の準備もございますが、菓子の味わいを十全に楽しむには不要であろうというお言葉をいただいております」
そんな説明とともに、赤みをおびた茶がいれられていく。アロウというのはキイチゴに似た果実であるため、こちらはストロベリーティーのような味わいだ。それは確かに、この饅頭とよく合っているように思われた。
「では、次はこちらです」と、プラティカが卓の前を移動していく。どうやらカルスも俺と同じように、菓子の味を何種かに分けたようである。
そしてそちらの菓子の前には、先客が集っていた。リーハイムとレイリスに2名の若き貴婦人、そしてゲオル=ザザとスフィラ=ザザという顔ぶれだ。
「おお、お前たちも参じたか。これでスフィラの苦労も、いくぶん減じることだろう」
皮肉っぽく笑うゲオル=ザザのかたわらをすりぬけて、2名の貴婦人がこちらに寄ってきた。それに挟撃されたのは、アイ=ファである。
「おひさしぶりです、アイ=ファ様。先日の祝宴でもご挨拶をさせていただいたのですが、わたくしのことを見覚えておいででしょうか?」
「わたくしは、初めてご挨拶をさせていただきます。ああ、なんと凛々しいお姿でしょう」
ルド=ルウやゲオル=ザザだってけっこうな凛々しさであるのに、この始末だ。まあ、アイ=ファの場合は精悍さに端麗さまで上乗せされるので、そのぶん吸引力も増幅するのだろう。さらには、プラティカにまで賞賛の眼差しと言葉が届けられることに相成った。
「こっちは静かで、助かるなー。その間に、菓子をいただくかー」
ルド=ルウとともに、俺もそちらの菓子をつまみあげた。外見はさきほどの饅頭と大差ないが、ただ上側にぽつんと干したアロウの果肉が添えられている。そしてそちらは具材のほうにも、アロウが使われていたのだった。
「へえ。これはママリアの酢がアロウの果汁に置き換えられているようですが……さっきの菓子とは、ずいぶん違った味わいであるようですね」
「はい。他なる食材は同一であるのですが、ただ分量が調整されています。それだけで、このように異なる味わいを生み出すことがかなうのです」
貴婦人にはさまれたプラティカのほうを心配そうに見やりつつ、ニコラがそのように説明してくれた。
確かに基本の食材は、まったく変わっていないようである。カロンの乳と乳脂と乾酪の風味が豊かであり、ねっとりとした質感だ。ただそこに、今回はキイチゴのごときアロウで風味と酸味が加えられていた。
そうしてアロウの茶を口にすると、いっそう口内がアロウの風味に染めあげられていく。ただ菓子が美味というだけでなく、茶との相性も完璧であるのだ。これはいささか、森辺のかまど番が二の次にしてしまいがちな項目であるのかもしれなかった。
「ふん。目の玉がこぼれるような驚きはねえけど、文句のつけようのない味わいだよな。うちの料理長が同席してたら、なんやかんやと講釈を垂れ流しそうなところだぜ」
リーハイムがぶすっとした面持ちで、そのように言いたてた。ここ最近の彼としては、あまりご機嫌がうるわしくないようだ。
「なんか、機嫌が悪そうだなー。レイナ姉が招かれてねーもんだから、物足りねーのか?」
「別に、そういうわけじゃねえけどさ。……なあ、俺たちはいつになったら、森辺の祝宴に招いてもらえるんだ? もうお騒がせな連中はいなくなったんだし、誰にも遠慮する必要はねえはずだろ?」
「あー、そっちの話かー。いちおう復活祭が始まる前に、何らかの祝宴を開こうかって話にはなってるぜー」
ルド=ルウの気安い返答に、リーハイムは「本当かよ?」と口をとがらせた。
「あと半月もしない内に、復活祭の前祝いは始まっちまうんだからな。そうなったら、こっちはなかなか身動きが取れなくなっちまうんだよ。毎晩のように、どこかしらで晩餐会やら祝宴やらが開かれることになっちまうからな」
「そういう話も、聞いてるよ。ただ、もう少ししたらダレイムの野菜やポイタンも好きなだけ買えるようになるんだろ? それまで待つべきかどうかとか、あれこれ意見が割れててさ。ポイタンが使えるかどうかで、必要な銅貨もずいぶん違ってくるからなー」
「そんなていどの差額だったら、俺が何とかしてやるよ。……でもまあ、そういう話にこだわるのも、森辺の民の流儀ってやつなんだろうなぁ」
そうしてリーハイムが溜息をこぼすと、レイリスも笑顔で「そうですね」と言葉を重ねた。
「我々は招待していただく側なのですから、焦らずに森辺の方々のご連絡を待つべきでしょう。森辺の方々がリーハイムとの約束を軽んじるようなことはないはずですよ」
「約束って言っても、ただの口約束だしなぁ。……ああもう、わかったよ。でも、これで来年まで持ち越すような話になったら、俺も黙ってねえからな」
そんな風に語るリーハイムもかつての傲慢さはなく、すねた幼子のような風情である。そうしてリーハイムは油で照り輝く頭を神経質に撫でつけながら、まだ嬌声をあげている貴婦人がたをねめつけた。
「おい。お前らは、いつでも騒いでるつもりだ? そのお人らは、まだこっちの菓子も口にしてないだろうがよ? せめて菓子を食いながら親睦を深めやがれ」
「まあ。そのように粗雑な物言いは麗風の会に相応しくなくってよ、リーハイム兄様」
貴婦人の片方が恐れ入った様子もなく、こまっしゃくれた笑顔を返す。本日初めて対面した彼女は、余所の家に嫁いだリーハイムの実妹であるとのことであった。
そうして貴婦人がたに腕を引っ張られるようにして、アイ=ファとプラティカもこちらにやってくる。アイ=ファにうらめしげな眼差しを向けられてきたので、俺はお詫びの気持ちを込めた笑顔を返してみせた。
「ったく。どんな格好をしてても、アイ=ファは貴婦人の人気者だな。だけどな、どんなに見栄えがよくったって、女は女だろうがよ? こんな立派な殿方連中をほっぽりだして女に夢中になるなんざ、失礼のきわみなんじゃねえのか?」
「だってわたくしは伴侶のある身だし、そうでなくっても森辺の殿方に心をひかれてしまったら、ご迷惑になるばかりでしょう?」
リーハイムの妹君は堂々たる態度でそのように答えていたが、もう片方の貴婦人はいくぶん頬を染めながらルド=ルウやゲオル=ザザのほうを盗み見ている。その様子から鑑みるに、森辺の男衆もしっかり若き貴婦人の心をつかんでいるようであった。
(まあ、それが当然の話だよな)
ルド=ルウは精悍さと無邪気さをあわせ持つ魅力的な少年であるし、ゲオル=ザザも素顔をさらすとそれなりに男前だ。右目の上に古傷の残る、見ようによっては強面であるのだが、18歳という若さがそれをほどよく中和しているように思われた。城下町の貴婦人にとっては、ちょっと危険な香りのする逞しい殿方といった印象なのではないだろうか。
「それでも男女わけへだてなく、交流を深めるべきだと思いますよ。ともあれ、アイ=ファ殿もプラティカ殿も、こちらの菓子をご堪能ください」
レイリスがそのように言葉を添えると、リーハイムの妹もむやみに言い返そうとはしなかった。そういえば、レイリスはいつも若年の貴公子や貴婦人に取り囲まれているので、それなり以上の人望を勝ち得ているのだろう。そんなレイリスの姿を、スフィラ=ザザはどこか誇らしげな眼差しで見守っていた。
そうしてそれからは、混然一体となって交流を深めさせていただく。リミ=ルウが持ち前の無邪気さを発揮させると貴婦人がたもいっそう華やぎ、なんとも和やかな空気が形成された。
「カルス、3種の菓子、準備しています。こちら、ラマム、使われています」
「ああ、本当だ。こちらでは、ラマムの果汁とママリアの酢が使われているのですね。うーん、どれも順番をつけられない美味しさです」
「見た目はいささか華やかさに欠けますけれど、お味のほうは申し分ないですわね。森辺のみなさんの菓子のために、食べすぎないように心がけなければなりませんわ」
「こちらの卓に人が少ないのは、誰もがダイア料理長と森辺の方々の卓に集っているためなのでしょうね。わたくしも、今から胸が弾んでなりません」
「ダイアのお菓子も、楽しみだねー! こんなにお菓子をいっぱい食べられて、しあわせだなー!」
そんな具合にひとしきり騒いだのち、俺たちは卓を移動することにした。
貴婦人がたはこちらに追従したそうな様子であったが、リーハイムにたしなめられて、ひとまずは別行動となる。俺たちは、また気兼ねのない4名で広間を進むことに相成った。
「確かに若い人間が多いと、雰囲気が変わるもんだなー。ララやシン=ルウやラウ=レイたちも、どこかで貴族の娘どもに囲まれてそうだ」
ルド=ルウはてくてくと歩きながら、そんな風に言っていた。
広間には120名もの参席者が集っているため、全体像は把握しきれない。ただやっぱり、普段の祝宴とは明らかに様相が異なっていた。
若い人間が多いというのは最初の印象の通りであるが、それに付け加えて、男性の数がいくぶん少ないようである。ダレイム伯爵家のカーリアのように、母や姉妹といった女性を同伴させている貴婦人も一定数存在するのだろう。こうして見ると、男性の参席者というのは全体の3割ぐらいなのかもしれなかった。
(だからリーハイムの妹みたいに、普段の祝宴ではお会いできないような方々もたくさん参じてるってわけか)
そうして次なる卓に到着すると、そちらはなかなかの人混みであった。若き貴婦人が多いため、巨大な花がどっさりと咲きほこっているかのような有り様だ。アイ=ファなどは、そちらに踏み込む前からくたびれた顔になってしまっていた。
そしてその中から、ぴょこんとふくよかな腕が生えのびる。その下で笑っているのは、ポルアースであった。
「ああ、リミ=ルウ嬢! こちらは、君の菓子の卓であるようだよ! この素晴らしい菓子について、解説を願えるかな?」
色とりどりの花弁にも似た宴衣装の人垣がふわりと左右に広がって、俺たちを迎え入れてくれた。
ポルアースにご指名を受けたリミ=ルウは、先頭を切ってぴょこぴょこと進み出ていく。
「今日のお菓子は、わふーけーきだよー! ……です!」
「わふうけーき? ろーるけーきとは、何が異なっているのかな?」
「よくわかんない! アスタに名前をつけてもらったの! ……です!」
普段はポルアースに対して気安く振る舞うリミ=ルウであるが、不特定多数の目がある場では、なんとか丁寧な言葉を使おうと心がけているようだ。
それはともかくとして、リミ=ルウは城下町で初めてのお披露目となる菓子を準備していた。それが和洋折衷の仕上がりであったため、俺が和風ケーキと命名させていただいたのである。
生地はふわふわのスポンジケーキであるが、キミュスの卵殻を混ぜ込んでどら焼きのような風味を加えている。その生地に、チャッチ餅を練り込んだ生クリームと、栗のごときアールを練り込んだつぶあんがはさまれている格好であった。
生地は三層に分けられており、上段に生クリーム、下段につぶあんがはさまれている。ブレの実のつぶあんは砂糖ではなく干し柿のごときマトラによって強い甘みがつけられており、生クリームの甘さは控えめだ。そしてチャッチ餅は細かくちぎったものが生クリームのほうに練り込まれていたが、おおよそはまとめて口にすることになるので、それがあんこと調和して、和菓子における求肥のような存在になっていた。
生クリームさえ除外すれば、まごうことなき和菓子であろう。
ただリミ=ルウは、ケーキのアレンジとしてあんこやチャッチ餅やアールを使用した。そういう意識で作りあげられたせいか、これは和菓子の材料で作られたケーキである、という印象であったのだ。それで俺は、和風ケーキという珍妙な名称をこしらえたわけであった。
「生くりーむやすぽんじけーきには、花蜜も使ってるんだよー! 最初は砂糖を使ってたんだけど、やっぱりアールを使うお菓子には花蜜が合うみたいなの! ……です!」
「ほうほう。では、こちらの菓子はこれほど甘いのに、砂糖はまったく使われていないということだね。だからこんなにも、口あたりがなめらかであるのかもしれないねぇ」
リミ=ルウと対話するのはおおよそポルアースであったが、左右の貴婦人たちも興味津々で聞き入っている。そしてその何割かは、こちらのアイ=ファやルド=ルウのほうにちらちらと目をやっているようであった。
「どうも解説をありがとう! それではアスタ殿たちも、ぞんぶんに味わってくれたまえ!」
恐縮しながら前進すると、予想通りに左右から貴婦人がたが押し寄せてくる。そしてその際は、俺もまったく他人事ではなかった。俺もアイ=ファもリミ=ルウもルド=ルウも、一切のわけへだてなく嬌声をあびせられることになったのだ。
これはやはり、初めて顔をあわせる相手が多いのと、あとはこの催しの華やかさがもたらす効果であるのだろうか。なおかつ若き貴婦人の割合が高いために、相乗効果で気持ちが浮き立っているようにも感じられる。俺たちは目当ての菓子をつかみとるまでの間に、実にさまざまな相手と挨拶を交わすことになったのだった。
その中でもっとも熱烈な歓迎を受けていたのは、やはりアイ=ファであろう。アイ=ファは礼を失してしまわないように不満の感情を押し殺していたが、そうするとますますクールな面立ちとなって貴婦人の胸をときめかせてしまうようであるのだ。
そうして菓子を食している間にも騒ぎは収まらず、アイ=ファの姿が貴婦人たちの宴衣装に呑み込まれていってしまう。それは何だか、凛々しい騎士が花の妖精に連れ去られてしまうおとぎ話のごとき様相であった。
「いやぁ、アイ=ファ殿の人気はさすがとしか言いようがないねぇ。まあ、色恋の騒ぎに発展する恐れはなかろうから、なんとか穏便に交流を深めていただきたいところだね」
俺の周囲にもまだ何名かの貴婦人がたが居残っていたが、ポルアースも同席してくれたためにずいぶん気持ちは安らいだ。それにこちらの貴婦人がたは、俺を高名なる料理人としてもてはやしている様子であった。
ただその中でも何名かは、まるで貴公子でも見るような眼差しを向けてくる貴婦人がいらっしゃる。俺などがそのような目を向けられる筋合いはないように思うのだが――ポルアースは、異なる見解を持っているようだった。
「アスタ殿も齢を重ねるにつれて、どんどん凛々しくなっているものね。でも君たち、くれぐれも節度を忘れてはいけないよ。森辺の方々というのは男女問わず、厳しい習わしの中で生きておられるのだからね」
「ええ、もちろんですわ。森辺に嫁ぐ覚悟がない限り、決してよこしまな気持ちを抱いてはならないというお達しですもの。……ですからこうして、きちんと自分を律しているのですわ」
どこかの祝宴でご挨拶をしたことのある妙齢の貴婦人が、いくぶん頬を染めながらそのように答えていた。
俺はどのような顔をしていればいいのかもわからないので、ただまごまごするばかりである。このような貴婦人がたが俺などのために頬を染めるという状況が、どうしても理解し難かったのだった。
(でも……城下町の貴婦人にしてみれば、俺だって立派な森辺の民の一員に見えるのかな)
もちろん俺には、森辺の狩人のごとき精悍さは存在しない。が、今ではポルアースよりも背が高いぐらいであるし、それなりに体格もしっかりしてきている。森辺の狩人とは比べるべくもないものの、森辺の女衆に匹敵するぐらいの腕力や体力を獲得できているのだ。城下町の料理人たちの繊細さを思うと、十分に野性的で力強い印象であるのかもしれなかった。
そうして俺たちが足止めをくっていると、新たな一団がやってくる。ダイアとヤンとティマロの料理人トリオだ。それに気づいたポルアースが、「やあやあ」と気安く声をあげた。
「そちらも楽しんでいるかな? こちらはリミ=ルウ嬢の菓子の卓だよ」
「左様でございますか。ちょうどわたくしどもは、トゥール=ディン様とアスタ様の菓子をいただいてきたところでございます」
そんな風に答えながら、ダイアがやわらかい視線を俺のほうに向けてきた。
「どちらも、素晴らしい出来栄えでございましたよ。とりわけ、アスタ様の菓子というのは……まったくもって、お見事な仕上がりでございました」
「え? 自分の菓子がですか? 自分はあくまで、箸休めの役割を担おうかと思案していたのですけれど」
「きっとアスタ様のそういったお気遣いが、わたくしの心を満たしてくださったのでしょう。確かにあれは、花の美しさを引き立てる花瓶のごとき味わいでございましたねぇ」
そう言って、ダイアは初孫を抱く老婆のような風情で微笑んだ。彼女もヤンやティマロと同世代ぐらいのはずであるが、どこか老成した雰囲気を持っているのだ。
「トゥール=ディン様の菓子は申し分ない仕上がりで、アスタ様の菓子はそれを横からそっと支えているかのような様相であったように思います。どちらも今日という日には欠かせない菓子でございましょうねぇ」
「まあ。そのようなお話を聞かされたら、わたくしたちも我慢がきかなくなってしまいますわ。……それではわたくしたちも、さっそくアスタ様やトゥール=ディン様の菓子をいただくことにいたしましょう」
と、俺やルド=ルウの周囲に群がっていた娘さんたちが、いそいそと散開していった。こちらの動きが伝わったのか、アイ=ファを取り囲んだ貴婦人がたも外側からじわじわと包囲網をほどいていく。これは、思わぬ効能であった。
「森辺の方々は、菓子にもお人柄にもそれぞれ豊かな魅力を備えているということですね。今日という日をこれほどに彩ってくださり、心から感謝しておりますわ」
ポルアースのかたわらに控えていたメリムが、屈託のない微笑を浮かべながらそんな風に言ってくれた。とても小柄で童顔であるが、野ウサギのような可愛らしさと生命力を感じさせる貴婦人である。本日も、淡いピンク色の宴衣装がとてもよく似合っていた。
「メリムも主催者のおひとりなのですよね。貴婦人だけでこのような会が企画されるというのは、やはりジェノスでも珍しいことなのでしょうか?」
「そうですね。最初は本当に、茶会の規模を大きくしようというお話に過ぎなかったのですけれど……それに加えて、森辺の方々ともっと懇意にさせていただきたいという声があちこちから聞こえてきたのです。子爵家や男爵家の貴婦人ですと、よほどご当主に近いお血筋でない限り、森辺の方々がお招きされるような祝宴に招かれる機会もありませんし……」
「それにやっぱり、ダカルマス殿下が企画された試食会の影響だろうねぇ。あれでトゥール=ディン嬢やリミ=ルウ嬢の名声が鳴り響いて、その手腕を味わいたいと願う貴婦人が数多く声をあげることになったのだろうと思うよ」
ポルアースも気さくな笑顔で、そのように言葉を重ねた。
「まあ、こういうくだけた催しであれば、ヤンやニコラを参席させることもできるからね。これは我が屋敷の料理番たちにとってもきわめて有意義な催しであろうと思い、僕も存分に後押しさせてもらったわけだよ」
「本当に、得難き機会を賜りまして、心より感謝しております」
ヤンがゆったりと微笑みながら一礼すると、ティマロも真面目くさった面持ちでそれに続いた。
「わたしも、深く感謝しております。ダイア殿の手腕を間近で拝見できたことも、森辺の方々の手際を味わえたことも、わたしにとっては計り知れない糧となりましょう」
「うんうん。次回には、きっと君たちにも出番が巡ってくるだろうからね。今日の菓子に負けない仕上がりを期待しているよ」
ポルアースがそんな風に答えたとき、ようよう包囲網から脱出したアイ=ファとリミ=ルウがこちらにやってきた。リミ=ルウはアイ=ファを援護するべく、ずっとそばにひっついてくれていたのだ。
「あっ、ダイアにヤンにティマロだー! みんな、おつかれさまー!」
「お疲れ様でございます。それではわたくしどもも、リミ=ルウ様の菓子を味わわさせていただきましょう」
そうしてダイアたちは和風ケーキを口にして、それぞれの気性に見合った形で感嘆の思いをあらわにすることになった。
「これもまた、素晴らしい味わいでございますねぇ」
「ええ。わたしどもも、くりーむやあんこといったものの作り方を学んでおりますが……やはり、このような形で応用するにはさらなる研究が必要となりましょう」
「……まったくもって、非の打ちどころのない味わいでありますな」
最後にコメントを述べたティマロが、鋭い眼差しでリミ=ルウをねめつけた。
「ただ、こちらの菓子にはチャッチの茶が準備されているようですな。こちらの菓子には、ナフアやブケラなどといった苦みのある茶のほうが調和するのではないでしょうか?」
「あ、そうなのかなー? リミの家ではゾゾとかチャッチのお茶ぐらいしか飲まないから、あんまりよくわかんないの!」
「それは、惜しい話ですな。茶とは菓子の味を引き立てる存在であるのですから、決して二の次にはできますまい。菓子の味を高めるためにも、茶の研究は必須なのではないでしょうか?」
リミ=ルウが「うーん?」と小首を傾げていたので、俺も言葉を添えることにした。
「俺の故郷でも、お茶を楽しむのはあるていどの年齢になった人が多かったように思うよ。だからリミ=ルウにはピンとこないかもしれないけど、ジバ=ルウとかだったらもっとお茶を楽しむこともできるかもしれないね」
「そうしたら、ジバ婆にもっとお菓子を喜んでもらえるかなぁ?」
リミ=ルウがとたんに瞳を輝かせたので、俺は「うん」と笑顔を返してみせた。
「その可能性は、あると思うよ。お茶にももっと銅貨をつかっていいかどうか、ドンダ=ルウに相談してみたらいいんじゃないかな」
「うん、聞いてみるー! ティマロも、どうもありがとー!」
リミ=ルウは両手をおなかの上に置いて、ぴょこんと頭を下げた。今日は華やかな宴衣装であるので、お人形さんのような可愛らしさだ。ティマロは微笑むのをこらえるように口もとをぴくぴくと震わせながら、丁寧にお辞儀を返していた。




