麗風の会①~下準備とお召し替え~
2022.11/29 更新分 1/1
そして、翌日――紫の月の4日である。
俺とアイ=ファは大規模な茶会というものに参ずるべく、朝から城下町に向かうことになった。
ギルルの荷車に同乗するのはトゥール=ディンとゼイ=ディン、そしてゲオル=ザザとスフィラ=ザザという顔ぶれになる。エウリフィアから招待された10名の他に、ザザの姉弟も加えさせていただくことになったのだ。
さらに荷台には、俺とトゥール=ディンがそれぞれ持ち込んだ木箱がどっさりと山積みにされている。昨日の内に下ごしらえを済ませた、菓子の山である。これを紅鳥宮の厨に持ち込んで、最後の仕上げを施すのだ。その作業時間は二刻半と定めており、そこから逆算した時間に森辺を出立することに相成った。
「それにしても、大層な量だな! このすべてが菓子なのかと想像しただけで、口の中が甘くなってしまいそうだ!」
ゲオル=ザザが陽気に笑うと、トゥール=ディンもはにかむような笑顔で応じる。すっかり交流の深まったザザの姉弟が同行を願い出たことを、トゥール=ディンはひそかに喜んでいるはずであった。
そうしてルウの集落に到着すると、そちらでは6名のメンバーが待ちかまえている。リミ=ルウとルド=ルウ、ララ=ルウとシン=ルウ、ヤミル=レイとラウ=レイという顔ぶれで、それにこちらの6名を加えた12名が、本日の参席者であった。
「おお、待っていたぞ! 誰も彼も、城下町の祝宴以来だな!」
ルウの人々を差し置いて、ラウ=レイが元気いっぱいに挨拶の声を投げかけてくる。そのかたわらで、ヤミル=レイはクールな面持ちだ。そしてこちらからは、御者台の脇から顔を覗かせたゲオル=ザザが応じた。
「レイの家長か。お前たちとは、明日の夜にも顔を突き合わせるはずだな」
「うむ! ディガがドムの氏を授かること、心よりめでたく思っているぞ! ヤミルともども、心からの祝福を捧げさせていただこう!」
やはりラウ=レイは、ヤミル=レイの付添人として同行するようである。ルティムの家人はもともとドムの血族として招待される予定であったため、ヤミル=レイとミダ=ルウに関してはその家の立場ある人間が1名ずつ同行するという手はずになっていたのだった。
「とりあえず、あれこれ語らうのはあっちに着いてからにしよーぜ。かまど番には、仕事があるんだからよ」
ルド=ルウの取り仕切りで、すみやかに荷車が出されることになった。
そうして城下町に向かう間も、ゲオル=ザザはずっと楽しそうな面持ちである。トゥール=ディンに同行する際にはいつも上機嫌な彼であるが、それにしても本日はその度合いが違っているように思われた。
「もしかしたら、ゲオル=ザザはディガの一件で心を浮き立たせているのですか?」
「うむ? それはまあ、俺とてあやつの不甲斐なさに気をもんできたひとりであるからな。これほど感慨深いことは、そうそうあるまいよ」
ゲオル=ザザが陽気に応じると、その姉が「そうなのですか?」と口をはさんだ。
「あなたは立て続けにディンで夜を明かすことになり、それで浮かれているのだと思っていました。それに昨日は、袋剣というものも届けられましたしね」
「それはずいぶんと見くびられたものだ! ……むろん、それらの出来事とて、喜ばしいことに疑いはないがな」
ゲオル=ザザは悪びれた様子もなく、にやりと笑う。彼はフォウとヴェラの婚儀の際にもディンの家に宿泊しており、それから1日置いて昨日もディンに泊まり込むことになったのだ。
「ただ俺は、力比べの場でもディガの力を思い知っていたからな。あやつもドッドも肉体の力は申し分ないのに、それを律する心のほうがなかなかついてこなかった。いつになったら心のほうも育まれるのかと、俺はずっとやきもきさせられていたのだ」
「うむ。何せディガにドッドというのは、スン本家の血筋であったのだからな。あやつらには、ルウの血族で勇者となったミダ=ルウにも劣らぬ力が宿されているはずであろう」
ゼイ=ディンが、穏やかな声でそのように応じた。
「ただ……あやつらはザッツ=スンが病魔に臥しているのをいいことに、狩人の修練すら怠っていたからな。それで森に出たことすらなければ、身も心も育まれるはずがない」
「そういうお前とて、そちらの収穫祭では勇者の座を授かっていたな。ディガやドッドほどは、心を弱めずにいられたということか」
「ザッツ=スンがギバ狩りの仕事を取りやめるように命じたのは、ちょうど俺が15歳となって一人前の狩人と認められた年であったのだ。ひとたびも森に出たことのなかったディガたちとは、おのずと立場が異なるのであろう。……俺は日々の鬱屈から逃げるようにして、ひたすら修練に明け暮れていたしな」
ゼイ=ディンがそのように語ると、トゥール=ディンがいくぶん心配そうな視線を向ける。それに気づいたゼイ=ディンは優しく微笑みながら、愛娘の小さな頭に手を置いた。
「ともあれ、俺もディガもミダ=ルウも、正しく力を取り戻すことがかなった。あとはドッドがそれに続くことを願うばかりだ」
「うむ。あやつもディガと同程度には、力を取り戻しているはずだ。あとはもう、母なる森の思し召しであろうな」
そう言って、ゲオル=ザザはいくぶん大人びた笑みをたたえた。
「まあ、まずはディガを祝福してやるがいい。あやつはまた、涙をこらえることもできなかろうさ」
「あ、もしかしたら、明日はゼイ=ディンたちもドムの集落におもむくのですか?」
俺が口をはさむと、ゼイ=ディンはトゥール=ディンの頭を撫でながら「うむ」とうなずいた。
「ディンの家でそれを見届けるのは俺たちが相応しかろうと、家長から供に選ばれたのだ。まあ、そうでなくともトゥールは祝いの料理の準備に駆り出されていただろうがな」
そのように語るゼイ=ディンも、そちらに頭を撫でられているトゥール=ディンも、ディガの躍進を心から嬉しく思っている様子である。ザザの血族であるトゥール=ディンたちは、俺よりもよほどディガたちと顔をあわせる機会が多いはずであるのだ。
もちろん俺も、そのような場に招かれたことを心からありがたく思っている。ゼイ=ディンやトゥール=ディン、俺やアイ=ファ、ヤミル=レイやミダ=ルウ、ツヴァイ=ルティムやオウラ=ルティム――それにスン家の人々も、それぞれディガやドッドが森辺の民として正しい運命を取り戻すことを心待ちにしていたのだった。
そうして俺が感慨にふけっている間に、荷車は城門に到着する。
そちらで待ち受けていたのは、顔馴染みである初老の武官だ。
「おはようございます。ガーデルは、まだ体調が戻らないのでしょうか?」
「ええ。いくぶん、長引いているようですな。ですが、復活祭がやってくる頃には動けるようになることでしょう」
飛蝗の騒ぎで古傷を痛めてしまったガーデルは、いまだ療養中の身であったのだ。鎮魂祭やバナーム遠征を経て、俺はトゥラン伯爵家にまつわる騒乱について思いを馳せる機会が多くなっていたため、シルエルを討伐した立役者であるガーデルについても案じる機会が増えていた。
(そういえば、俺がガーデルと出会ったのも、去年のこれぐらいの時期だったんだよな)
シルエルを討伐できるぐらいの剣士であるのに、妙におどおどとしていて、そしてやたらと俺の去就に執着する、ガーデル――彼が数ヶ月も床に臥せっていることを思うと、俺は胸が痛んでならなかった。
そうして城下町の立派なトトス車に乗り換えた俺たちは、紅鳥宮へと案内される。今日は大人数である上に大荷物であったため、トトス車も2台準備されていた。
やがて紅鳥宮に到着したならば、荷物の運搬は従者の方々におまかせして、俺たちは浴堂に招かれる。送別の祝宴からまだ半月ていどしか経っていないため、誰もが手慣れた様子であった。
なおかつ、俺と女衆には調理着や侍女のお仕着せが準備されていたが、男衆やアイ=ファのお召し替えはまたのちほどとのことである。まあ、彼らはこれから護衛の役目を果たすため、宴衣装を纏うにはまだ早いのだろう。本日のアイ=ファにはいずれの宴衣装が準備されているのかと、俺は心を浮き立たせてやまなかった。
そうして、厨まで出向いてみると――そこには、ちょっと懐かしの人々が待ち受けていた。バナーム侯爵家のアラウト、料理番のカルス、武官のサイというトリオである。
「森辺の民のみなさん、おひさしぶりです。ご挨拶が遅くなってしまい、申し訳ありませんでした」
アラウトは、かしこまった態度で一礼する。西の民には珍しい黒髪で、情熱的な眼差しをした、見目のいい15歳の少年だ。わずか半月足らずの別離であったため、その好ましい印象には毛ほどの変化も見られなかった。
「おひさしぶりです、アラウト。こちらこそ、リフレイアからの申し出をお断りすることになってしまって、申し訳ありません」
「ああ。リフレイア姫は、晩餐会の厨をアスタ殿にお預けしたいとお考えであったそうですね。僕なんかのために、ありがたい限りです」
そう言って、アラウトは子供のようにはにかんだ。
「それでも今日はこのように立派な会でアスタ殿たちの手腕を堪能できるのですから、それにまさる喜びはありません」
「俺なんかは、トゥール=ディンやリミ=ルウの引き立て役にすぎません。でも、せいいっぱい力を尽くすつもりですので、お楽しみいただけたら幸いです」
そのように応じてから、俺はおどおどと目を泳がせているカルスのほうに視線を転じた。
「カルスも、おひさしぶりです。バナームのほうでも、無事にお役目を果たせましたか?」
「は、はい。み、みなさんから手ほどきしていただいた内容は、すべてお城の料理長らにお伝えしましたので……き、きっと、僕なんかとは比べ物にならないほどの料理が仕上げられることでしょう」
相変わらず、気弱で謙虚なカルスであった。
しかし彼がどれほどの料理人であるかは、俺たちもしっかり体感させられている。実務の手さばきは人並みであれども、こと舌の鋭さに関してはヴァルカスにお墨付きをいただけるほどであるのだ。
「今日はカルスも菓子を手掛けられるのですよね? ヴァルカスたちは、ご一緒ではなかったのですか?」
「は、はい。ヴァルカス殿たちも、本日は仕事が詰まっておられるそうで……で、でも、昨日の下ごしらえではさんざん力をお借りすることになってしまいました」
では、さぞかし立派な菓子が供されることだろう。こちらでは、トゥール=ディンやリミ=ルウが期待に瞳を輝かせていた。
「それではお仕事の邪魔にならないよう、ここで退散させていただきます。また会場でご挨拶をさせてください」
そんな言葉を残して、アラウトの一行は立ち去っていった。
それを見送りながら、ゲオル=ザザは「ふふん」と鼻を鳴らす。
「相変わらず、せわしないやつだな。まあ、ジェノスにもすっかり馴染んだようで、何よりのことだ」
「ええ。それもアラウトの人徳でしょうね」
そうして俺たちも、作業に取りかかることになった。
本日はかまど番の総数も6名であったので、同じ厨で仕事を果たす手はずになっている。俺はヤミル=レイ、トゥール=ディンはスフィラ=ザザ、リミ=ルウはララ=ルウを調理助手として、菓子を完成させるのだ。今日は厨のスペースにもゆとりがあったため、シン=ルウとゼイ=ディンだけが扉の外に居残り、4名の狩人もご一緒することに相成った。
「んー? そーいえば、今日はプラティカやニコラの姿が見当たらねーな?」
「ああ、彼女たちはカルスの仕事を手伝うんだよ。さっき挨拶に来なかったってことは、もう作業の最中なのかもしれないね」
「なるほどなー。デルシェアもいなくなったから、静かなもんだぜ」
ルド=ルウの言う通り、見物人がひとりもいない城下町の厨というのは、ずいぶんひさびさであるように感じられた。
デルシェア姫をお送りするジャガルの使節団は、いまだ帰路を辿っているさなかであろう。ゲルドの使節団も、ティカトラスの一行も、また然りだ。彼らは誰もがひと月もの時間をかけて、ジェノスから故郷に帰還しようとしているのだった。
「ところでさ、どうして今日はあたしまで招かれることになったんだろうね?」
と、隣の作業台からはララ=ルウがそのような言葉を飛ばしてくる。
「アスタとリミとトゥール=ディンは、かまど番としての腕を買われてのことだよね。で、アイ=ファとヤミル=レイは貴族の娘たちに人気があるからで、男衆はその付き添いなんだろうけど……あたしだけ、理由がわかんなくない?」
「んー? お前だって、招かれたことを喜んでたじゃん」
「そりゃあ嬉しいことは嬉しいけど、理由がわかんないのは落ち着かないじゃん」
「だったら、招かれたのはシン=ルウのほうで、お前が付き添いなんじゃねーの? シン=ルウは闘技会で優勝したもんだから、若い貴族に人気みたいだしなー」
ルド=ルウはそのように言いたてていたが、これはあくまで茶会であるのだ。男性のシン=ルウを軸にして参席者が決められるというのは、ちょっとしっくりこないところであった。
「今日の主催者はエウリフィアらしいから、会場で本人に聞いてみればいいんじゃないかな? きっとララ=ルウを招待したい理由があったんだろうと思うよ」
「そうだね。あれこれ考えるより、本人に聞くのが手っ取り早いか」
ララ=ルウがあっさり引っ込んだため、その話題はあえなく終了した。
すると、壁際でうずうずとしていたラウ=レイが、こらえかねたように声をあげる。
「俺などは、さして間も空けずに3度も城下町に招かれることになったからな! これもひとえに、ヤミルの美しさや賢さのおかげであろう!」
「ああ、うん。それはその通りなんだろうけど、ヤミル=レイの手もとが狂いそうな発言は差し控えてもらえるかな?」
「ヤミルはかまど番としても確かな力量を身につけたので、そんな心配も無用だぞ! これほど美しくて賢くてかまど番としても優秀なのだから、俺は誇らしい限りだ!」
ヤミル=レイは何も聞こえていないかのように、粛々と作業を進めている。すると、ゲオル=ザザが苦笑まじりの声をあげた。
「同じ家に住む家人でも、そうまで声高に外見を褒めそやすのは、森辺の習わしにそぐわないと見なされそうなところだな。今日はジザ=ルウもいないのだから、その弟たるお前がたしなめるべきではないのか?」
「ラウ=レイに何を言ったって、聞かねーよ。だったら族長代理のゲオル=ザザがたしなめてもいいんじゃねーか?」
「俺もルウの血族と無用の諍いは起こしたくないのでな。……アイ=ファよ、お前はレイの家長らを家に招いたりもしていたのだから、扱い方をわきまえているのではないか?」
「なんだ、それは。まるで、きかん気の幼子を押しつけ合っているかのようだな」
アイ=ファは苦笑まじりの声音で、そのように答えていた。
「ラウ=レイは無理に頭を押さえつけても、ひたすらあらがうばかりであろう。であれば、別の場に目を向けさせればよかろうよ」
「別の場とは? この場から追い出せということか?」
「お前たちは、何をやいやい語らっておるのだ? 俺は最後まで、ヤミルの働きっぷりを見守る所存だぞ!」
ラウ=レイがそのように応じると、アイ=ファがあらたまった口調で言葉を重ねた。
「お前とヤミル=レイも、明日の祝いに招かれたそうだな。ディガと顔をあわせるのは、ずいぶんひさかたぶりであろう?」
「うむ! そもそもあやつとは、そうそう顔をあわせる機会もないのでな! この2年ほどで、せいぜい数回ていどではないか? しかし! 見るたびに狩人らしい力をつけているように感じていたぞ!」
「私も、そのように感じていた。お前がディガたちと最後に顔をあわせたのは、やはりルウの収穫祭ではなかろうかな? あの夜には、お前もディガたちと余興の力比べに興じていたはずだ」
「ああ、そうだったそうだった! うむ! あれであやつらの力を、しっかり感じることになったのだ! まだまだ気迫は物足りないが、それでも見習い狩人とは思えぬ力量であったな! まあ本来は一人前と呼ばれるべき齢であるのだから、それも当然の話なのかもしれんが……あやつらはあれだけの力を持ちながら、まだまだ成長のさなかであるという気配が感じられてならなかった! あのままいけば、勇者の座を目指せるほどの狩人に育ってもおかしくはあるまい!」
そんな感じで、ラウ=レイはまんまと別の方向に気がそれたようであった。
するとヤミル=レイが、さりげなく俺の耳もとに口を寄せてくる。
「あなたの家長は、大したものね。まるで猟犬をしつけているかのようだわ」
「あはは。アイ=ファは猟犬の扱いが巧みですからね」
そんな調子で、4名の狩人たちはドム家の一件で盛り上がり、6名のかまど番は粛々と作業を進めることになった。
やはりアイ=ファや男衆らは甘い菓子というものに対する関心がやや低めであるために、これから参ずる茶会よりも明日の祝いに心をひかれているようである。まあそれに、これが茶会でなく祝宴や晩餐会であったとしても、ドム家の一件が森辺の重要事項であることに変わりはないのだ。俺とて作業に集中していなければ、すぐにそちらに気持ちを引っ張られてしまいそうなところであった。
「明日はきっと、余興の力比べも行われるだろうからな! アイ=ファもいつもの装束を忘れるのではないぞ!」
「ふむ。しかしこれもまた、血族の祝いであることに違いはなかろうからな。血族ならぬ私は、身をつつしむべきであろう」
「いやいや。お前が参ずると知ったこちらの狩人たちは、誰もが手合わせを期待しているはずだぞ。どうかこちらの期待を裏切らないでほしいものだな」
「明日はザザやジーンの連中も集まるんだろー? 今度こそ、グラフ=ザザに手合わせを願いたいところだなー」
「そこにアイ=ファやダン=ルティムまで加わったら、大変な騒ぎになりそうなところだな。……そうそう、レム=ドムからも聞いていると思うが、明日はそちらにも袋剣というものを持参してもらいたい。北の集落には、2本の準備しかないのでな」
「おお! そちらの勝負も、楽しみなところだな!」
そんな具合に、狩人たちは大変な盛り上がりようであった。
そうしてあっという間に二刻と少しの時間が過ぎ去って、俺たちの作業は完了した。みんなゆとりをもって作業時間を設定していたので、想定よりも四半刻以上は早く仕上げることができたようだ。
であれば、早々に身支度を整えるべきだろう。俺たちは完成した菓子の山を従者たちにお預けしつつ、一丸となってお召し替えの間に向かうことになった。
「ふむ? このたびは、また見慣れぬ装束であるようだな」
そちらで準備されていた本日の衣装を前にして、ラウ=レイがうろんげな声をあげる。それに応じたのは、ルド=ルウであった。
「こいつは、武官のお仕着せってやつだなー。……でも、前に準備されたやつよりも、ちっとばっかり派手みたいだけどよ」
「はい。こちらは、武官の礼服と相成ります。貴き方々のお言葉により、こちらを準備させていただいた次第でございます」
着付けを手伝ってくれる小姓の少年が、恭しげにそう教えてくれた。
これは確かに、デヴィアスやレイリスといった武官の人々が祝宴で纏う礼服と同じ様式であるようだ。俺の知る軍服のようにかっちりとしていて、あちこちに豪奢な飾りが施された、白装束である。
かつてはルド=ルウやシン=ルウも、茶会の席で護衛役を果たす際に武官のお仕着せというものを着用させられていた。それよりもワンランク豪華な作りであり、生地も上等であるようだ。
それで、俺以外の5名の男衆には、全員その武官の礼服が準備されていたわけであるが――その勇壮さというものは、なかなかのものであった。もとより森辺の狩人というのは誰もが特筆すべき精悍さを有しているものであるので、こういった装束がまたとなく似合うのである。
それに本日は、ルド=ルウ、シン=ルウ、ラウ=レイ、ゲオル=ザザ、ゼイ=ディンという顔ぶれであるため、美々しさも雄々しさもひとしおだ。ひとり若年ならぬゼイ=ディンも、口髭の似合う渋めの容姿であるため、それこそ若き騎士たちを束ねる隊長格のような風格であった。
「うーん。これはこれで、貴婦人たちの胸を騒がせそうなところだねぇ。正直に言って、下手な貴公子より貴公子らしく見えると思うよ」
「あー、そういえばシン=ルウが貴族の娘っ子に目をつけられたのも、こういう装束を身につけたときじゃなかったっけか?」
「あれから俺たちは長きの時間をかけて、貴族たちと正しく絆を深めてきたのだから、今さらあのような騒ぎが起きることもあるまい」
「うむ。アイ=ファやヤミル=レイほどの美しさでも貴族らが我を失うことはなかったのだから、俺たちなどが案ずることはあるまいよ」
ゲオル=ザザがそのように言いたてると、ルド=ルウたちが不思議そうにそちらを振り返った。
「なんだ? 本人を前にしていないのだから、女衆をどのように評しても文句を言われる筋合いはないぞ」
「いや。ゲオル=ザザがそんな風に言いたてるのは、ちっとばっかり意外だと思ってさ。お前はアイ=ファたちに色目を使うこともなかったしよ」
「俺はつつましい女衆を好んでいるのでな。どれだけ美しいと思っても、あんな猛々しい女衆どもに心をひかれることはない」
「へー。もともとは、レム=ドムと婚儀を挙げるつもりなんじゃなかったっけ?」
「それは、血族にとってもっとも正しい婚儀と思ってのことだ。……まあ、俺は幼い頃からのつきあいで、あやつがただ猛々しいだけの女衆ではないと知っていたしな」
そう言って、ゲオル=ザザは邪気のない笑みをたたえた。
「ともあれ、あやつも今は見習い狩人だ。婚儀を二の次にする女狩人など、次代の族長たる俺の伴侶には不相応であろうよ。俺は俺で、伴侶に相応しい女衆を探す所存だ」
「ゲオル=ザザは、シン=ルウと同じ齢だったっけか? だったら、慌てることはねーな。シン=ルウは、もう婚儀の相手にも困ってないみたいだけどよー」
「いちいち余計な口を叩くな」と、シン=ルウはいくぶん顔を赤くしながら、ルド=ルウの肩を小突いた。最近のシン=ルウはめっきり大人びていたので、こんなやりとりを目にするのもひさかたぶりのことである。
ともあれ、お召し替えは完了した。
ちなみに俺に準備されたのは、遥かなる昔日にリッティアから贈られた宴衣装だ。胸もとに『森』を意味する紋章が刺繍された袖なしの胴衣に、装飾用の短いマント、バルーンパンツのごとき脚衣という、ジェノスでもごく一般的な宴衣装である。これはダレイム伯爵家の舞踏会にてプレゼントされた品であり、俺にとっては初めて袖を通した宴衣装であった。
そうして着替えを終えた俺たちは、控えの間にて女衆の支度を待つ。
アイ=ファたちがやってきたのは、たっぷり四半刻ぐらいが経過してからのことであった。やはり女衆の宴衣装というものは、着付けに時間がかかるものであるのだ。
「おお! 今日はそちらの宴衣装だったか! まあ、どちらにせよヤミルの美しさに変わりはないがな!」
ラウ=レイが、ご満悦の表情でヤミル=レイを出迎える。
ヤミル=レイが纏っていたのは、最初の祝宴でティカトラスから贈られた宴衣装である。ほとんど黒に近いダークグリーンの色彩で、上半身はぴったりとフィットして、腰から下は大輪のようにふくらんでいる。大きく開いた胸もとには銀の飾り物がきらめき、細かく編みこまれた髪はそのまま高々と結いあげられて、なめらかなうなじや肩の線をあらわにしており――ラウ=レイでなくとも目を見張るぐらい、妖艶で美しかった。
「あれー? お前らは、新しい宴衣装なんだなー」
ルド=ルウの言葉に、リミ=ルウが「うん!」とターンを切った。それでふわふわのスカートが、風にそよぐ花弁のようにひるがえる。それはヤミル=レイと似たような様式でありながら、ただ胸もとは華やかなフリルで彩られた、実に可愛らしい宴衣装であった。
「リッティアが、リミとトゥール=ディンのために準備してくれたんだってー! あとでお礼を言わなくっちゃね!」
リミ=ルウは深みのある赤、トゥール=ディンは森を思わせる緑で、どちらもそれぞれよく似合っている。ゼイ=ディンは無言のままに微笑みを届け、トゥール=ディンは気恥ずかしそうに頬を染めていた。その髪や手首に輝くのは、かつてオディフィアから贈られた銀の飾り物だ。
そしてその後には、ララ=ルウとスフィラ=ザザの両名が続く。そちらはきわめて薄手のワンピースに袖なしのガウンのような上衣というセルヴァ伝統の宴衣装であったが――ただ、これまでよりもいっそう飾り物がきらびやかであるように感じられる。それに、ララ=ルウは真っ赤な髪をしているために、それをほどいて腰まで垂らすだけで、たいそうな鮮烈さであった。
「ヤミル=レイの宴衣装が豪華だからって、あたしたちは飾り物を増やされちゃったよ。そんなの別に、どうでもいいのにねー」
こちらの機先を制するように、ララ=ルウはそのように言いたてた。スフィラ=ザザは長身な上にグラマーであるが、ララ=ルウも齢を重ねるごとに背がのびて、今では160センチを突破していることだろう。それに、しなやかでシャープな肢体には若鹿を思わせる瑞々しい生命力があふれかえっており、その存在感はヤミル=レイにも負けていなかった。
誰もが、素晴らしい宴衣装である。
それで俺は、最後に登場したアイ=ファの姿に、きょとんと目を丸くすることに相成ったわけであった。
「あ、あれ? アイ=ファはどうして、そんな格好なんだろう?」
「そんな格好とは? 貴族らの準備したものに、不服を申し立てるわけにはいくまい。……まあ、こちらで準備した飾り物は、出番がなくなってしまったがな」
アイ=ファは凛然とした面持ちで、そのように言葉を返してくる。
そんなアイ=ファが纏っているのは、ルド=ルウたちと同様の武官の礼服であったのだった。
かつてはアイ=ファも茶会や試食会の護衛役として、武官のお仕着せを纏っていた。こちらの礼服はそれよりも豪奢な作りであったため、アイ=ファの凛々しさや精悍さがこれ以上もなく際立てられていたが――それでも、武官の礼服である。アイ=ファはそれこそ何かの舞台に登場する男装の麗人そのままに、とてつもない格好よさであったのだった。
「ほう。これは確かに、下手な貴族よりも似合っているようだ。女狩人には相応の宴衣装なのではないか?」
ゲオル=ザザが愉快そうな面持ちでそのように言いたてると、アイ=ファは真面目くさった面持ちで「うむ」とうなずいた。
「やたらとひらひらした宴衣装に比べれば、まだしも着心地は悪くないように思える。かなうことなら、今後もこういった姿で城下町の祝宴に参じたいところだな」
そんな風に言いながら、アイ=ファは颯爽たる足取りで俺のほうに近づいてきた。
「なんだ、アスタよ? 何やら、不服そうな顔つきだな」
「いや、不服なわけじゃないけど……いや、やっぱりちょっとだけ残念かな」
俺が小声でそのように応じると、アイ=ファは耳もとに口を寄せてきた。
「私は何がどうでもかまわないのだが……ただ、お前の残念そうな顔は可愛らしく思うぞ」
そう言って、アイ=ファは他の人々に見えない角度で、くすりと微笑んだのだった。




