さらなるお誘い
2022.11/28 更新分 1/1
・今回は、全10話ていどの予定です。
フォウの集落にて開催された婚儀の祝宴から、2日後――紫の月の3日である。
その日、屋台で働く俺たちの前に颯爽と現れたのは、ジャガルの鉄具屋たるディアルであった。
「やあ、アスタ! 例の品ができあがったから、運んできてあげたよー!」
「やあ、ディアル。わざわざありがとう」
と、俺は反射的に言葉を返してしまったが、巨大な木箱を両手に抱えているのは、従者のラービスである。屋台に並んでいた人々は、その木箱の巨大さに目を丸くしてしまっていた。
「うわ、ずいぶんな荷物ですね。どうぞどうぞ、裏のほうに回ってください」
「……大事ありません。宿場町の入り口までは、車で送っていただきましたので」
ラービスはぶすっとした無表情のまま、屋台の裏手に回り込んでくる。南の民というのは中身の詰まった酒樽を簡単に担ぎあげることができるぐらい、腕力に秀でているものであるのだ。彼が現在抱えているものも、それに負けないぐらいの重量を備えているはずであった。
「ほう。ついにあの品が、できあがったのか?」
屋台の裏で待ちかまえていた人物がそんな言葉で出迎えると、ディアルは「あれー?」と目を見開いた。
「あなたは以前に、祝宴でご挨拶をさせてもらったよね! 今日はどうして、宿場町に下りてるの?」
「べつだん、驚くには値しまい。森辺の男衆は用事がなくとも、宿場町を検分するために足しげく通っているはずだぞ」
そのように語りながらにんまりと笑ったのは、淡い色合いの髪を落ち武者のようなざんばら髪にした、ラヴィッツの長兄である。現在、ラヴィッツの血族は休息の期間のさなかであるため、彼もこれまで以上の頻度で宿場町の見物におもむいていたのだった。
「俺もその品の到着を心待ちにしていた、ひとりでな。よければ、その出来栄えを確かめさせてもらえるか?」
「うーん! 僕はジェノス城のお人たちに、これをアスタに届けるようにおおせつかってるからさ! よければ、アスタに判断してほしいかな!」
「もちろん、かまわないよ。よければ、それらの品に不備がないかどうか、検分をお願いできませんか?」
「俺とて、このような品を扱うのは初めてのことだがな」
そのように語りながら、ラヴィッツの長兄はにまにまと笑っている。何かたくらんでいそうな面持ちであるが、実のところはただ嬉しいだけなのだろう。どちらかというと悪人面であるため、何かと誤解を招きやすい御仁であるのだ。
そうしてラービスの手によって木箱の蓋が開かれると、そこには注文通りの品がぎっしりと詰め込まれていた。
金属製の柄と鍔に、革の袋に包まれた刀身――剣技の修練で使用する、袋剣なる器具である。去りし日の合同収穫祭において、ティカトラスの一行によってお披露目された品であった。
この袋剣というやつは、竹のようによくしなる木の板を束ねたもので刀身が作られており、そこに細長い革の袋がすっぽりとかぶせられている。これならば身を打っても大きな負傷には至らないということで、剣技の試合や修練などで使われているという話であったのだ。
森辺の一部の狩人たちが、この袋剣というものに大きく興味をそそられた。それで族長たちからジェノス城の人々に、これを買いつけることはできるだろうかと打診したところ――ジェノスには、袋剣が存在しなかったのである。
ただ、それで袋剣の存在を知ったメルフリードが、こちらと同じように興味を抱いた。それでティカトラスから現物を拝借し、これと同じものを量産できるかどうか、鉄具屋のディアルと木工および革の細工屋に提案を試みたのだそうだ。
「袋剣ならジャガルにも存在するし、僕の家でも何度か注文を受けたことがあるはずだよ! 何十本でも何百本でも準備してみせるさ!」
その当時、ディアルは嬉々としてそのように言い放っていたものであった。
そして、ジェノスの木工屋とダバッグの革細工屋も、ふたつ返事で了承したらしい。森辺の民などはお試しで20本ほど買いつけたいと願ったばかりであるが、メルフリードなどは最終的に数百本も発注しようと考えていたようであるので、これほど大口の商売を逃す手はないと考えたのだろう。俺が懇意にしている木工屋のご主人にも下請けの仕事が回ってきたようで、「こりゃあいい稼ぎになりそうだ」とほくそえんでいたのだった。
それから紆余曲折を経て、ついに袋剣が完成したのだ。
ちなみにディアルの実家たるゼランドの工房から金属製の柄と鍔が届いたのは、つい数日前のこととなる。それから木工屋で刀身が装着され、ダバッグから買いつけた革の袋をかぶせて、こうして完成したわけである。ディアルが受け持ったのは鉄具の作製のみであるので、ここまでの運搬を担ったのは純然たる善意の結果であるはずであった。
「なるほど。軽いことは軽いが、重心は安定している。木剣などよりは、本物の刀に近い使い勝手であるようだ」
ラヴィッツの長兄はご満悦の表情で、袋剣をぶんぶんと振り回す。もちろん十分に安全な距離を取っての行いであるが、ラービスはすかさずディアルの身を背後にかばっていた。
「どーかな? 検品に関してはお城の人たちの責任だから、何か不備があったら明日までに申し出てほしいって話だよ!」
「ふむ。不備か。さしあたっては、内側の木が傷んでいないかと、袋を留める紐の具合を確かめれば十分なようだな」
ラヴィッツの長兄は同じ表情のまま、袋剣を1本ずつ検分し始めた。彼はずいぶん目端がきくようなので、このような役割には適任であったことだろう。
「いやー、ジェノスや森辺のお人らが袋剣を欲しがるなんて、盲点だったよ! こっちから売り込みをかけるべきだったのに、迂闊だったなー!」
「ふうん。でも、発注を受けたのはディアルなんだから、これもディアルの功績になるんだろう?」
「こんなのは、たまたま僕がジェノスに居合わせただけの話だからね! 商売の種を見過ごしていたことを、まず反省しないとさ!」
と、鉄具屋としての利益ばかりでなく、自らの成長に対しても貪欲なディアルであった。
「うむ。さしあたって、不備はないようだぞ。しかし俺は、何の責任を取れる立場でもないからな。まずは森辺に持ち帰り、族長筋の誰かに見定めてもらうべきであろう」
「うん、了解! 明日までだったら無料で交換するっていう話だから、そう伝えておいてね! ……ところで、森辺のお人らは追加注文する可能性はあるのかなぁ?」
「うむ。今のところは、10の氏族が2本ずつ買い求めたのみであるからな。今は雌の犬を買いつけるために、富をたくわえているさなかだが……これは多くの氏族が欲することになりそうな気がするぞ」
「そっか! ジェノス城のお人らも使い勝手を確かめたら、追加注文を検討するって話だからさ! 復活祭が終わってひと息ついたら、よろしくね!」
「ふふん。きっとお前のような人間を、商魂たくましいと称するのであろうな」
そのように語るラヴィッツの長兄こそ、どこか悪徳商人のごとき笑顔である。
と、俺がそのように失礼なことを考えていると、ラヴィッツの長兄が下からすくいあげるような眼差しを飛ばしてきた。彼は逞しい体格をしているが、俺よりも10センチ以上は小柄であるのだ。
「そういえば、ファの家ではこれを買いつけなかったそうだな」
「はい。何せファの家には、狩人がひとりしかいませんからね。ひとりで修練を積むなら、本物の刀を振り回せばいいだけだと言っていましたよ」
「なるほど。まあどうせ、近在の氏族がこいつを携えて、ファの家に押しかけるのだろうしな」
それはきっと、ラヴィッツの長兄の言う通りであろう。それに、ファやスンやダイの人々が買い控えた代わりに、レイやルティムやリッドの人々が購入していたので、さして近在でない人々まで寄り集まってしまいそうなところであった。
「それじゃあ、僕の仕事はこれでおしまいね! 屋台の料理をいただこーっと!」
そんな風に言ってきびすを返しかけたディアルは、「おっとっと」とたたらを踏んだ。
「そうだ! もう一件、言伝を頼まれてたんだっけ! あのねー、あのバナームのアラウトってお人が、ご挨拶は明日にさせていただきます、だってさー!」
「ああ、アラウトも一昨日ジェノスに到着したんだよね。そんな言伝を頼まれたってことは、ディアルはもうご挨拶をしたのかな?」
「うん! 昨日、リフレイアのところでね! 僕も晩餐に招待されたんだよ!」
そのときの楽しさを思い出したかのように、ディアルはにこりと微笑んだ。
「明日はアスタたちも大仕事だろうから、手間をかけさせたくなかったんだってさ! その代わり、明日の茶会を楽しみにしてるってよー!」
「うん。俺も楽しみだよ」
エウリフィアたちの企画した大々的な茶会というものも、明日に迫っていたのだ。そして、アラウトや料理番のカルスもそちらにお招きされることが、すでに俺たちにも伝えられていた。
「僕こそ、楽しみでならないよ! でもまずは、屋台の料理をいただかないとね! 今日は何を食べよっかなー!」
ディアルはてけてけと走り出し、ラービスは子犬を追いかけるように追従する。相変わらず、微笑ましいおふたりであった。
そうしてふたりが屋台の裏手から立ち去ると、ラヴィッツの長兄があらためて「ふふん」と鼻を鳴らす。
「例の、大がかりな茶会というやつか。このたびは、ナハムの三姉にもお呼びはかからなかったようだな」
「はい。色々と話し合った結果、前日の下ごしらえに力を入れて、当日は少数精鋭で挑むことになりました。もちろん下ごしらえのほうでは、マルフィラ=ナハムの力もぞんぶんにお借りしますよ」
「城下町の連中も、すっかり祝宴づいてきたようだな。まあ、名目にとらわれて縮こまっているよりは、よほど正しい姿なのであろうさ」
確かにジェノスの貴族の面々は、長らく贅沢を控えていた。邪神教団にまつわる騒ぎでダレイム南方の畑が甚大な被害を受け、財政的に苦しくなったゆえである。
ただ、実際的な被害のなかった人々にまで、自粛の気風が蔓延していたのだと聞き及んでいる。遊ぶ金があるのなら、ダレイムを援助するべし――といった論調であったのだろうか。それで俺たちも、城下町に呼ばれる機会がずいぶん減っていたのだった。
そこに風穴を空けたのは、やはり王都の貴族ティカトラスであったのだろう。彼がアイ=ファの肖像画のお披露目会やら鎮魂祭やらという大きなイベントを企画することで、城下町の自粛ムードが一掃されたような雰囲気であるのだ。
そうして世間は、間もなく太陽神の復活祭を迎えようとしている。
そして、それまでにはダレイム南方の畑も完全に復旧して、すべての食材が滞りなく流通するはずであるという告知が為されていた。
これで邪神教団の残した爪痕からも、ようやく完全に立ち直ることができるのだろうか。
そのように考えると、俺はいっそう満たされた気持ちで復活祭を迎えられるように思えてならなかったのだった。
◇
そうして屋台の商売を終えたのちは、森辺で明日のための下ごしらえである。
協議の結果、明日の茶会ではファとルウとディンがそれぞれ別なる菓子を準備することになった。よって、下ごしらえも各自で分担することになる。俺はおたがいの健闘を祈りながらトゥール=ディンやリミ=ルウと別れを告げ、頼もしき女衆らとともにファの家へと帰還した。
俺がこのたび下ごしらえの手伝いをお願いしたのは、ユン=スドラ、マルフィラ=ナハム、レイ=マトゥア、フェイ=ベイム、クルア=スンの5名となる。今回はいささか特殊なパターンの仕事であったため、俺は作業に必要なだけの人数を招集したつもりであった。
「言ってみれば、これは城下町で果たすべき仕事を、森辺で果たすようなものだからね。人海戦術で片付けるんじゃなく、少数精鋭で挑んでみようかなと考えたんだよ」
「そこのところが、よくわからないのですよね。10人のかまど番を集めれば、半分の時間で片付けられるのではないですか?」
レイ=マトゥアが無邪気な面持ちで反問してきたので、俺は「そうだね」と笑顔を返してみせた。
「でも今回は祝宴じゃなくて茶会だから、俺に割り振られた仕事も普段よりはささやかなものなんだよ。だからもちろん、受け取る報酬も普段よりささやかな額になる。それを10人で山分けしたら、本当に微々たる額になっちゃうんだよね」
「それで何か、問題があるのでしょうか? わたしたちも最近は苦しい生活を送っているわけでもないので、どれだけ報酬が少なくとも――あ、もしかして、普段ファの家を手伝っている賃金よりも、少なくなってしまうということでしょうか? まあ、それでも家長たちが文句をつけるとは思わないのですが……」
「いやいや。たとえ10人で山分けしても、普段の賃金を下回ることはないよ。ただこれは、貴族の人たちに力量を見込まれて依頼された仕事だからさ。その価値を下げるのはつつしむべきかなと考えたんだ」
「仕事の価値、ですか?」
「うん。もちろん森辺の民っていうのは、報酬の額で力の入れ具合を変えたりはしないと思う。ただやっぱり、こういう種類の依頼っていうのは……報酬の額が、かまど番の誇りに関わってくると思うんだよね」
これはいささかならずデリケートな問題であったし、多分に俺個人の価値観というものも関わってくるので、懇切丁寧に説明するしかなかった。
「たとえば……赤銅貨1枚の報酬で100人分の宴料理を準備してほしいって言われたら、レイ=マトゥアはどう思う?」
「ええ? それはちょっと……もちろん了承するかどうかは、家長の決めることですが……わたしたちにも家の仕事というものがありますので、安請け合いはできないように思います」
「それ以外に、屈辱を感じたりはしないかな?」
「屈辱ですか! うーん! ちょっと難しいですけれど……たくさんの銅貨をいただけたら家人も喜びますので、そのほうが嬉しく思えると思います」
「うん。それに、誇らしく思えるんじゃないのかな。自分は家人に喜んでもらえるだけの仕事を果たせたんだ、ってさ」
「わかるような気がします」と声をあげたのは、レイ=マトゥアではなくユン=スドラであった。
「これはわたしが、アスタのおかげで豊かな暮らしを営めるようになってから思いたったことなのですが……ギバの肉に価値が認められるまで、収獲の代価というのは赤銅貨24枚に過ぎなかったでしょう? 角と牙が2本ずつそろっていて、毛皮もきちんとなめした上で、その額であったのです。男衆が生命をかけて狩ったギバに、それだけの価値しかないのかと……わたしは遅まきながら、口惜しく思うことになったのです」
そのように語るユン=スドラは、とても静かな面持ちで微笑んでいた。
「それが現在では、ギバの肉に大変な価値が認められています。もちろん、狩人の生命を銅貨に置き換えることはできませんが……狩人が生命をかけてギバを狩るからこそこれだけの代価が得られるのだと、わたしは心から誇らしく思えたのです」
「うん、そうだよね。ギバ1頭の価値があまりに安すぎるっていうのは、俺にとっても疑問や不満の出発点であったんだよ。どうして生命をかけて仕事を果たしている森辺の民が、貧しさにあえがないといけないのか――昔の俺は、それが腹立たしくてならなかったからさ」
「森辺の外からやってきたアスタには、そういう理不尽さがわたしたちよりもよく見えたのかもしれませんね。あるいは……ジェノスの貴族と接していたスンの族長らも、それで深い怒りにとらわれてしまったのかもしれません」
「うん。やっぱり仕事っていうものには、それに相応しい報酬が必要なんだと思うよ。その均衡が崩れると、どこかに歪みが出ちゃうように思うんだ」
ユン=スドラのおかげで、俺も自分の思いをより明確にすることができた。
「それでね、今回の依頼でも、俺はエウリフィアから十分な額の報酬を提示されてる。でも、10人でそれを分けると、エウリフィアの誠実さが伝えきれないように思うんだ。それなら作業に倍の時間がかかってでも、5人のかまど番にしっかりと仕事の価値を噛みしめてほしい……っていう感じかな」
「はい。わたしは理解できたように思います。そして、アスタの心づかいを心からありがたく思います」
ユン=スドラが穏やかな微笑みとともに一礼すると、レイ=マトゥアは彼女らしい無邪気な笑みを浮かべた。
「わたしは半分ぐらいしか理解できていないかもしれないので、アスタの言葉をそのまま家長に伝えようと思います! それにきっと、アスタは正しいことを言ってくれているのだろうと思います!」
「は、は、はい。そ、それに、そんな大事な仕事に呼んでもらうことができて、光栄に思います」
マルフィラ=ナハムがふにゃんとした顔でそう言うと、フェイ=ベイムはひとり真剣な面持ちで首肯した。
そして、何故だかクルア=スンはもじもじとしている。
「わ、わたしもアスタのお言葉は理解できたように思うのですが……でも、わたしのような未熟者がまぎれこんでしまって、本当によかったのでしょうか?」
「ああ。クルア=スンにはなかなか城下町の仕事を手伝ってもらう機会が巡ってこなかったから、ここで力を借りようかなと思いたったんだよ。クルア=スンにだって、もうそれだけの技量は備わっているはずだからね」
「と、とんでもありません」と、クルア=スンは頬を赤らめながらうつむいてしまう。彼女はどこか神秘的なたたずまいと年齢相応のあどけなさをあわせ持っているのだが、今日はその片方が露呈しているようであった。
ちなみにクルア=スンは、現在でも星見の力を制御するすべを学ぶために、時おりアリシュナのもとに通っている。そうして城下町に踏み入る機会は多いのに、かまど仕事を受け持つ機会が絶えてひさしかったのだ。彼女とて、屋台の商売に参加したのは来月で丸一年というキャリアであったのだから、相応に腕を上げていたのだった。
「クルア=スンは、試食会や礼賛の祝宴にも参席できなかったですもんね! クルア=スンが城下町の宴衣装を纏ったら、アイ=ファやユン=スドラにも負けない美しさだと思います!」
レイ=マトゥアがそのような声をあげると、クルア=スンと一緒にユン=スドラまで顔を赤くすることになってしまった。
まあ、ユン=スドラがひときわ可愛らしいことは事実であるし、クルア=スンに至ってはヤミル=レイに似た雰囲気と昔のシーラ=ルウのひそやかさを兼ね備えているような少女であるのだから、レイ=マトゥアの感慨も無理からぬところであった。
「それじゃあ、作業を始めようか。この人数で、下りの五の刻に仕上げられる計算だからさ。作業の開始が遅れると、終わりの時間まで遅れちゃうからね」
というわけで、俺たちはようよう下ごしらえを始めることになった。
俺が明日の茶会で披露する菓子の品目はささやかなものであるが、参席者のほうがささやかならぬ人数であったため、作業量はそれなりであるのだ。俺を含めて6名がかりで、作業時間はざっと二刻半。あとは明日の朝、現場の厨で仕上げることになるわけであった。
「かつてダカルマスが開いた菓子の試食会もそうでしたけれど、やっぱり会の始まりが中天からというのは大変ですよね」
「そうだねぇ。でもやっぱり、晩餐を菓子だけで済ませるのは身体によくないだろうからさ。ダカルマス殿下もエウリフィアも、正しい判断をしたと思うよ」
そうして和やかに言葉を交わしつつ、俺たちは作業に取り組んだ。
それから一刻ほどが経過したところで、森に出ていたアイ=ファがギバを担いで帰宅する。なんと今日は3頭ものギバを狩れたので、これから運搬のために2往復しなければならないとのことであった。
「アイ=ファは、相変わらずすごいですね! ひとりで3頭ものギバを狩るなんて、誰にも真似はできないかと思います!」
「うん。サウティの人たちと新しい狩りの作法を確立させてから、ますます絶好調みたいだね」
「こ、こ、こちらの収穫祭がずいぶん間遠になったのも、やはりギバ狩りの新たな作法が大きく関わっているのだろうという話です。りょ、猟犬が増えた時点で、ずいぶん収獲は上がっていたのですけれど……ギ、ギバ狩りの新たな作法が、さらに力を添えてくれたようですね」
「なおかつそちらの新たな作法というのは、狩人がより安全に仕事を果たせるという話ですものね。わたしには、それがもっとも喜ばしく思えます」
「本当ですね! アイ=ファたちには、感謝するばかりです!」
そうしてアイ=ファが姿を見せたことにより、仕事の場はいっそう和やかになっていく。
それからアイ=ファが家と森を往復してすべてのギバを持ち帰り、こちらの作業の終了時間が近づいてきた頃――表でくつろいでいたジルベとラムが、同時にひと声あげた。これは、森辺の誰かが来訪した合図である。
アイ=ファも隣の解体部屋にこもっているはずだが、いちおう俺も仕事の手を止めて戸板の外を覗いてみる。
果たして、姿を現したのは――いくぶん黒みがかったトトスの手綱を引いた、レム=ドムに他ならなかった。
「やあ、レム=ドムだったのか。ちょっとひさしぶりだね。こんな時間に、いったいどうしたのかな?」
「めでたい話を持ってきたので、心配はご無用よ。アイ=ファは……ああ、そこにいたのね」
レム=ドムは俺の鼻先を通り越し、解体部屋のほうに歩を進めていく。そちらでも、アイ=ファが顔を覗かせていたのだ。
そうしてアイ=ファの肩ごしに解体部屋の内側を盗み見たレム=ドムは、たちまち勇ましい面持ちとなって黒い瞳をきらめかせた。
「アイ=ファ。そちらに3頭分の毛皮が吊るされているようだけど……それはすべて、今日の収獲なのかしら?」
「うむ。今は解体した肉をピコの葉に漬けていたところだ」
「ああそう……1頭のギバを仕留めて一人前なら、3頭のギバを仕留めたアイ=ファを何と称すればいいのかしらね」
アイ=ファは小首を傾げつつ、戸板の外まで進み出た。
「どうしたのだ、レム=ドムよ? めでたい話などと言いながら、お前は心を乱しているように見えるぞ」
「そりゃまあね。でも、こういう口惜しさだって、きっとわたしの糧になるはずよ。そうとでも考えなければ、居たたまれないわ」
レム=ドムは黒褐色の髪をかきあげながら、切れ長の黒い目をいっそう鋭く瞬かせた。
「ついさっき、ディガがギバを仕留めたのよ」
「うむ? それはつまり――」
「猟犬が別のギバを追っている間に、風下から飢えたギバが襲いかかってきたの。それを相手取ることになったディガが、見事に刀で仕留めてみせたのよ」
そう言って、レム=ドムはぎゅっと拳を握り込むことになった。
「だからディガは一人前の狩人と認められて、狩人の衣を授かることになるわ。……ね、おめでたい話でしょう?」
「なるほど。それで先を越されたお前は、口惜しさを感じてしまったというわけか」
厳粛なる表情を保ちつつ、アイ=ファは優しげな眼差しでレム=ドムを見つめた。
「しかし、ギバを仕留められるかどうかは、力量のみではなく運というものにも左右される。これも母なる森の思し召しであろうから、邪念なくディガを祝福してやるがいい」
「もちろん、祝福しているわよ。この口惜しさだって力にかえてみせるから、どうか温かく見守ってちょうだい」
そう言って、レム=ドムは自分の頬をぴしゃんと叩いた。
そして、彼女らしい不敵な笑みを浮かべつつ、アイ=ファと俺の姿を見比べてくる。
「それで、ここからが本題なのだけれど……ディガはそのギバを相手取った際に足を痛めてしまったから、明日1日は休息を与えて、明後日の夜に狩人の衣が贈られることになったわ。アイ=ファとアスタも、その姿を見届けてもらえないかしら?」
「うむ? それは、血族の祝いであろう? 何故に私とアスタを招こうというのだ?」
「ディガにはその場で、ドムの氏が与えられるのよ。だったら、あなたやアスタにも――」
レム=ドムがそこまで言いかけたところで、俺のすぐそばから「えっ!」という声があげられた。
俺がびっくりして振り返ると、クルア=スンが驚嘆の表情で立ちすくんでいる。それに気づいたレム=ドムは、うろんげに眉をひそめた。
「あら、クルア=スン。今日はあなたも来ていたのね。……ディガがドムの氏を授かることに、何か文句でもあるのかしら?」
「い、いえ……つ、ついにあの御方がドムの氏を授かるのかと思うと……なんだか、胸が詰まってしまって……」
そんな風に語りながら、クルア=スンは銀灰色の瞳に涙をにじませた。
レム=ドムは「ああそう」と皮肉っぽく笑う。
「まあ、あなただってあいつらが堕落しきった姿を嫌というほど見せつけられていたのでしょうから、感慨もひとしおでしょうね。……で、それはアイ=ファとアスタも同様でしょう? 何せあなたたちは、ディガやドッドに殺められるところであったのだからね」
「だから、あやつがドムの氏を授かる姿を見届けよ、と?」
「あなたたちだけじゃなく、かつて家族であった人間はすべて集めようという話になっているわよ。ミダ=ルウが狩人の衣を授かったときには、そんな騒ぎにもならなかったと思うけれど……ディガとドッドは、大罪人だもの。それが正しく罪を贖って、氏と狩人の衣を授かる姿は、多くの人間に見届けさせるべきだという話であるようね」
そう言って、レム=ドムはくびれた腰に両手を当てた。
「だからわたしは、これからルウ家まで出向かなくてはいけないの。どうせディンの家で一夜を明かすつもりだから、返事は明日でもかまわないけれどね」
「いや。そのような手間をかけることはない。私とアスタも、参ずるとしよう。……それでよいな、アスタよ?」
「うん、もちろん」
すっかり言葉をはさむタイミングを失していたが、俺は最初からクルア=スンと同様の感慨を噛みしめていた。あの、かつては下衆な人間で、のちにはめそめそと情けない姿をさらしていたディガが、ついに一人前の狩人と認められて、ドムの氏を授かるのだ。このような話が、感慨深くないわけはなかった。
「……ちなみにわたしは行きがけで、スンの家にも立ち寄っているわよ。スンの人間こそ、この一件を見届けるべきでしょうからね。もしもあなたが望むなら、家長に供を望むがいいわ」
レム=ドムがそのように呼びかけると、クルア=スンは「はい」と微笑んだ。
涙のせいで、その銀灰色の瞳が星のように輝いている。今も彼女は星見の力を制御しているはずだが、もしもその力を解放したならば――ディガの頭上に、輝ける行く末を見通せるのかもしれなかった。
そうして俺たちは城下町の大きなイベントを明日に控えながら、その翌日にそれほどの祝い事を迎えることに相成ったのだった。




