⑩再生の朝
2014.11/17 更新分 1/1
2014.11/18 誤字を修正
狂騒的な一夜が明けた。
祭祀堂から這いずりだした俺は、朝日のまばゆさに目を細めつつ、「うーん」と、おもいきり両腕を伸ばす。
「……とんでもない一夜であったな」と、続いて出てきたアイ=ファが、しかめ面で俺の隣りに並んだ。
「本当にな。とんでもなさすぎて現実感がないよ。いったいこれから、森辺はどうなるんだろう?」
「さてな。……まあ、これまで以上に悪くはならぬであろうし、また、そうさせぬのが私たちのつとめだ」
すっかりメレメレの効能からも解放されたらしいアイ=ファが、力に満ちた表情で額にかかる金褐色の髪をかきあげる。
そうこうしている間に他の家長たちも出てきたので、俺たちは道を空ける格好でぶらぶらと歩くことにした。
夜を徹して行われた緊急の家長会議が、ひとまず終了したのだ。
議題はもちろん、スン家の処遇の決定である。
◇
家長たちの追及によって、スン家の罪はいっそう克明に暴かれた。
まず、スン家は十数年もの昔から、森辺の恵みに手をつけていたらしい。
ズーロ=スンが族長を襲名したのは10年前であるそうだから、これは先代族長ザッツ=スンの代から行われていた悪行であったのだ。
ギバは肉のためだけに狩り、野菜はすべて森から得ていた。
褒賞金と、牙と角から得た代価は、日用品や果実酒や岩塩――それに、本家の人間の娯楽で散財していたそうだ。
分家の人間は、秘密を守ることを強要されていた。
秘密を漏らせば、自分や家族をふくめたスン家の全員が頭の皮を剥がされることになる。いわば無理矢理共犯者に仕立てあげられて、十数年もの間、森辺の民としての誇りや尊厳を封殺されていたのである。
それゆえなのか、どうなのか、スンの集落には短命な人間が多かった。
他の氏族よりも格段に豊かで安穏とした生活を送っているはずなのに、謎の衰弱死をとげる人間が後を絶たなかったのだ。
「それは、安穏すぎる生活に生きている意義を見いだせなかったからなのかもしれません……」と、オウラ=スンはそのように語っていた。
外から嫁いできた人間は、特にその傾向が強かった、らしい。
家長ズーロのこれまでの嫁は、オウラ=スンを除いて、全員ザザやジーンなどの眷族から嫁いできた身であったのだ。
それ以外でも、この特異な環境に適応できなかった人間は早逝した。
そして――短命な人間が多く、慢性的な人手不足である、ということを理由に、スン家は眷族に嫁や婿を出すことを頑なに拒絶していたらしい。
それはまあ当然のことであろう。スンの集落の内側で生活していれば、同調圧力によって秘密は守れるかもしれないが。この秘密を知ってしまった人間を、集落の外に出せるはずがない。
だが、それはあまりに不自然な話である。
森辺においては、血の縁こそがもっとも重んじられているのだから。十数年もの間、他家に嫁も婿も出そうとしないスン家の有り様に、眷族たちは少なからぬ不満を覚えていた。
それこそが、ヤミル=スンの述べた「これ以上、眷族たちの目をあざむくことはできない」という理由の大なるものだった。
では、どうしてファの人間をスン家に取りこもうとしたのか?
それは、俺たちの稼ぐ銅貨でアリアやポイタンを買い、森辺の恵みを荒らさずとも生きていける環境を作りあげるのが目的だったのである。
そうすれば、忌まわしい秘密を永遠に消し去ることができるから、と。
「何だそれは!? 馬鹿馬鹿しい! だったらきちんとギバを狩ればいいだけのことではないか!」
ダン=ルティムを筆頭に、多くの家長たちがそのように憤慨した。
しかし、堕落の味を知ってしまった本家の人間――というか、家長のズーロ=スンにそのような発想が生まれることはなかった。
それに、たとえギバが狩りたくとも、スンの集落の周辺にはほとんどギバが寄りつかなかったという。
それも当たり前の話だ。ギバの食糧である森の恵みを収穫しまくっていたのだから、そのような不毛の地に、ギバが居着くはずもない。
つまりはそれが、この数年のギバの増加の原因だったのだ。
スン家が狩人としての仕事を怠ったゆえにギバの数が増え、スン家が森を荒らしたゆえに多くのギバが他の区域に流れ――結果として、他の氏族たちがより多くの負担を背負うことになったのだろう。
何にせよ、事態は悪く転がる一方だった。
仮に、分家の誰かが本家の意向を無視してでも狩人としての仕事を果たしてみせよう、と奮起したところで、ギバそのものがいなければお話にならない。
スンの集落においては、むしろ野菜より肉が不足気味になるぐらい、ぎりぎりの数しかギバを狩れていなかったそうだ。
反面、ギバが減ったせいでトカゲや蛇などの小動物は増殖したらしく、それらの肉で飢えをしのぐことも少なくはなかった。
もっとも、本家の人間たちは、キミュスやカロンの肉を買って、飢えをしのいでいたらしいが。
「それにしても、どうしてわざわざ家長会議の日に、ファの人間を襲ったのだ? ……というか、最初から腕ずくでかどわかす心づもりであったのなら、スンの集落に招いたりせずに、ファの家を襲えば済む話ではないか?」
そんな疑念を呈したのは、ダリ=サウティだった。
確かに、メレメレの葉という秘密兵器があったのならば、そんな蛮行も可能であったはずである。俺とアイ=ファを眠らせて、窓の格子をノコギリなどで寸断してしまえば、至極すみやかに目的を遂げることもできたはずなのだから。
その疑問に答えたのは、ヤミル=スンだった。
いわく――祭祀堂のようにもともと半地下の造りで、なおかつ出入口が解放されていれば、メレメレの葉を焚いた燭台をそっと置くだけで済むが。普通の家屋の格子つきの窓から屋内に煙を入れるのは、なかなかに困難であったのだそうだ。
確かにまあ、窓の外でサンマでも焼くみたいに団扇か何かをパタパタさせていたら、アイ=ファに気配を悟られる怖れはあるかもしれない。
「……それでもやはり馬鹿げた所業だとしか思えないな。すべての家長がそろっている家長会議の場でそのような悪行をはたらいて、成功すると思ったのか? まんまと眠りこけていた俺がこのような言を吐くのは面はゆいが、まともな人間の考えることだとは思えん」
「そうね。……ただ、ファの家を直接襲うよりは、ましだと思っただけよ。ファの家長はとても勇猛であるという話だったから、ディガやドッドじゃとうていかなわなかったでしょうし」
淡々と答えるヤミル=スンの姿を、ダリ=サウティは怒りのこもった目で見すえる。
「もう1度確認させてもらおう。ファの人間をスン家に取りこもうと考えついたのはズーロ=スンであり、それに賛同したお前が長兄や次兄らとともにこのたびの策を練ったのだな、長姉よ?」
「ええ、その通りね」
「実際に罪を犯したのは長兄と次兄とテイ=スンなる分家の男衆であるが、お前の罪もそれに劣るものではない」
「今さら念を押されるまでもないわね」
ヤミル=スンの表情は、静かすぎるぐらい静かだった。
「待ってください」と、俺は発言しようとした。
しかし、その腕をアイ=ファにつかまれてしまう。
「やめておけ。私たちが口を出すべき場面ではない」
「いや、だけど……」
スン家のやり口は、あまりにお粗末だった。
それゆえに、俺は思うのだ。ヤミル=スンは、むしろ成功よりも失敗を――スン家の繁栄よりも破滅を望んでいたのではないか、と。
俺たちを家長会議に招こうと言いだしたのは、確かにヤミル=スンだ。
ヤミル=スンが発案し、後から家長ズーロ=スンの許可を得たのである。
何をどう言いつくろったって、家長会議の場でこのような悪行をはたらくのは、デメリットのほうが大きいはずであろう。
それに、最大の禁忌が眠る食糧庫に、いかにかんぬきを掛けていたとはいえ、他家の人間を近づけるなんて正気の沙汰とも思えない。
現に、ヤミル=スンも言っていたではないか。「スン家のかまど番を預かりながら、気づかなかったの?」と。
家族とともに生き永らえたかったという、確かにそういう気持ちもあったのかもしれない。
だけど、それ以上に、ヤミル=スンはスン家の腐り果ててしまった歴史に終止符を打ちたかったのではないだろうか?
「お前の考えていることぐらいは想像がつく。それでもやめておけ。……おそらく、お前が何を話しても長姉の罪が減じられることはない。むしろ、よりいっそうの怒りを買う可能性すらある」
低い声で囁きかけてくるアイ=ファに、俺も同じように「何でだよ?」と囁き返す。
「家族を裏切り、害をなそうとするのは、何よりも重い罪であるからだ。たとえスン家のように腐った家でも、それを許す森辺の民は存在しないだろう」
返す言葉が見当たらなかった。
だから――ヤミル=スンは俺たちやルウ家という外部の力をわざわざ呼びこんだのだろうか。
自分を含めたスン家に断罪の刃を振り下ろさせるために。
そうして俺が煩悶している間に、家長会議は粛々と進められていった。
とにかく、一刻も早く定めなければならない議題があったのだ。
それはもちろん、スン家の処遇である。
「もはやスン家に一族を統べる資格はない!」
ダリ=サウティの言葉に異を唱える者はいなかった。
では、どのような形で罪を贖わせるべきか?
幸いなことに――分家の人間の罪を問おうとする者もまたいなかった。
掟を重んずるザザやジーンでさえ、それは同様であったのだ。
では、誰の罪を問うべきか。
ここで、会議は紛糾した。
本家の人間は全員、掟に従って頭の皮を剥がされるべきだ――
否、それでは分家の人間を許すことに道理が通らない――
ならば、家長のズーロ=スンだけでも――
いやしかし、これは先代家長から受け継がれた悪行であるのだ――
だが、先代家長ザッツ=スンは老齢の上、病魔に犯され、余命いくばくもない――
いや、しかし、だけれども――
「ええい、やかましい! これでは埒があかぬではないか!」
と、爆発したのは、ダン=ルティムだった。
で、そのどんぐりまなこが、ぎょろりと俺をにらみすえたものだ。
「アスタ、お前はどう思うのだ?」
「え? 俺ですか?」
「うむ。スン家の悪行を暴いたのはアスタなのだから、ここはアスタが取り仕切るのが相応であろう?」
無茶苦茶な論理である。
しかし、発言の機会をいただけたのは、ありがたかった。
俺にも少し、思うところがあったのである。
「俺は――1番重要なのは、この先のこと、だと思っています」
「この先のこと?」
「はい。怒りにまかせて本家の人間を罰するのではなく、この先どうすれば森辺の民が正しい方向に進めるか――それに適した処遇を定めるべきなのではないでしょうか?」
「またガズランのように小難しい言葉を並べおって。もうちょっとわかりやすく話すことはできぬのか?」
「失礼しました。具体的に言うとですね、スン家への罰を定めるよりも、族長筋を失った森辺の民が、今後どのような形でジェノスと関わっていくのかを定めるほうが先なのではないかと思うのです」
ダン=ルティムを筆頭に、家長たちはみんな不思議そうな顔をしていた。
ここでジェノスの名が出てくること自体が、意想外であったのだろう。
「やっぱりわからんな。石の都など、どうでもよいではないか? 俺たちは別に褒賞金など欲してはおらん。これを機に城との縁など絶ってしまったほうが清々するぐらいだわ」
「そういうわけにはいかないのではないですか? 『モルガの森の恵みを荒らしてはならない』というのは、ジェノスに定められた掟なのですから。言ってみれば、これはジェノスとの絆や信頼をも踏みにじった行為なのでしょう? ……というか、森辺の民は、森を荒らさないという約定のもとに、森辺に住むことを許されたのではないのですか?」
ざわざわと、家長たちの間にもどよめきが走り始める。
「もちろん、ジェノスにとっても森辺の民はなくてはならない存在です。この80年間で、森辺の民はそれだけの地位を築きあげることができたのです。もしも森辺の民がこの地を去ってしまったら、ジェノスの繁栄も少なからぬ打撃を受けるでしょう。だからこそ、これからはもっと正しい縁をジェノスと結ばなくてはならないと思います」
「ふむ……まあ……言われてみれば、その通りなのかもしれんが……」
それでもダン=ルティムは、まだ今ひとつピンときていなそうな面持ちである。
それぐらい、スン家以外の人間にとっては、ジェノスの城の存在など縁遠いものなのだろう。
俺は、俺の内に存在する懸念を共感してもらうべく、とっておきの爆弾を投下することにしてみた。
「ここからは俺の憶測も混じりますが、もしかしたら――ジェノスの城の人間は、スン家が掟を破っていたことを知っており、それを黙認していた可能性すらありえます」
「何!? それはどういうことだ!?」
「俺とアイ=ファは、ジェノスの領主と縁のある人物と知己を得ているんです。その人物はスン家の堕落を憂いており、領主に何度も進言している、と言っていました。森の恵みについては置いておくとしても、スン家が狩人としての仕事をまっとうせず、怠惰な生活に身をやつしているという事実は、すでにジェノスの領主の耳には入っているはずなのですよ」
ざわめきがさらに広がっていく。
死者に鞭打つような真似ではあるが――それでも俺は、語らなくてはならなかった。
「そしてまた、宿場町においては、スン家の人間が罪を犯してもお目こぼしをされる、という現状が確認できています。さらにはそこから、森辺の民が何をやらかしても罪には問われない、という風聞が流れるぐらいなのです。スン家を堕落させたのは、ただ褒賞金のことばかりでなく、そのように不当な優遇を与えたジェノスの有り様にもあるのではないでしょうか?」
そうして俺は、下座に引き据えられたスン本家の人々のほうに視線を巡らせた。
先代家長ザッツ=スンを除く7名が、そこには顔をそろえている。
もはや屍のように力を失っている、ズーロ=スン。
恐怖のあまり身体を震わせ続けている、ディガ=スン。
ようやく意識を取り戻し、瀕死の野犬みたいにうなだれている、ドッド=スン。
やっぱり何ひとつ理解していないように、うつらうつらとしている、ミダ=スン。
すべての表情を消し去って、足もとに視線を落としている、ヤミル=スン。
真っ直ぐに背筋を伸ばし、潤んだ瞳で虚空を見すえている、オウラ=スン。
ふてくされきった顔つきで母親の腕に取りすがっている、ツヴァイ=スン。
そして、分家ではあるが罪人のひとりであるテイ=スンは、末席で固くまぶたを閉ざしている。
「スン家の人々を庇う気はありません。だけど、彼らを堕落させた原因の大部分は、褒賞金を含めたジェノスの領主との縁だと思います。ジェノスと間違った関わり方をすれば、森辺の民ですら堕落することもある、ということなのでしょう」
「アスタ。それは、森辺の民を侮辱する言葉とも受け取られかねないが」
怒ってはいないが相当に緊迫した声を、ダリ=サウティがあげる。
俺はそちらに向きなおり、「そうでしょうか?」と応じた。
「しかし、スン家だってもともとは一族を統べるに足る強き氏族だったのでしょう? それが、80年という歳月をかけて、少しずつ少しずつ毒がたまるように堕落していったのではないでしょうか? 城の人間との縁を一身に引き受けたがゆえに――それは、町の人間と縁を結び、ありあまる富を手に入れつつある俺には、とうてい他人事とは思えない話です」
「ふむ……」
「ありあまる富は、毒にも薬にもなりえます。それは晩餐のときにも話し合われた通りです。スン家に代わって森辺を統べるのは誰なのか、褒賞金はどのように扱うのか、スン家の処遇と同じぐらい、それは重要な話でありましょう?」
「それはもちろん、その通りだ。しかし、スン家と同じぐらいの力を持つ氏族はルウを置いて他にないが、そのスン家すらこうして堕落し果てたとなると――いったいどうしたものなのかな」
そう言って、ダリ=サウティは探るようにドンダ=ルウを見た。
ドンダ=ルウは、にやりとふてぶてしく笑う。
「こんな夜中に眠りもせずに、いつまでくどくどと喋っているつもりなんだ、貴様たちは? より強い氏族が、森辺を統べる。弱き氏族に森辺を統べる力はない。そんなことは、考えるまでもなくわかりきってることであろうがよ?」
「それではやはり、ルウ家が新たな族長筋としての名乗りをあげる、ということなのだな?」
「ハッ! スン家がいずれ滅びさることは目に見えていた。遅かれ早かれ、俺たちはこういう道を辿る運命だったんだよ」
ドンダ=ルウはゆっくり立ち上がり、その場にいる全員を狩人の眼光でにらみ回していった。
「ルウの家長として、森辺のすべての家長らに言を捧げる。ルウは6つの氏族を眷族とし、民の数は100を数える。これほどの力を有する氏族は、森辺において他にない。……この言葉に異を唱える者は存在するか?」
反論する者は、いない。
ドンダ=ルウは、いっそう不敵に口もとをねじ曲げる。
「一方、スン家は7つの氏族を眷族とし、民の数は同じく100余名。しかし、大罪を犯したスン家を除けば、その数は70ていどとなろう。……この先それを統べるのは、ザザか? ドムか?」
「そのようなことは、この場で決められるものではない。さしあたってはザザとジーンとドムが力を合わせて、眷族を導く他あるまい」
無念の炎を双眸にくすぶらせつつ、ザザの家長が低い声で答えた。
「なるほどな」と、ドンダ=ルウはダリ=サウティのほうに視線を飛ばす。
「それに次ぐ氏族は、サウティだろう。貴様たちは、どれほどの血の縁を得たのだ?」
「サウティは5つの氏族を眷族とし、その数は60ほどだ。ルウ家には遠く及ばない」
「ふん。それでもまあ、スン家を失った北の一族に劣る数ではねえな」
満足そうに言いながら、ドンダ=ルウはいっそう力強く双眸を燃やす。
「ならば、ここに提案する。族長筋を失った森辺の民は、ルウと、サウティと、ザザたち北の一族を長とするべきだろう」
「何だと!?」と声をあげたのは、やはりザザの家長だった。
「ルウと、サウティと、俺たちが長となる? それはどういう意味なのだ、ルウの家長よ!?」
「どういう意味もへったくれもねえ。いくらルウ家が大きな氏族でも、このだだっ広い森辺の両端にまで伸ばせるほどの長い腕は持ってねえんだ。その北と南のそれぞれの端に大きな氏族が居座ってるなら、その力を使わない手はねえだろうがよ?」
「しかし、それは……」
「3つの氏族で、森辺を統べる。ジェノスとの縁も、その褒賞金も、3つの氏族の長で受け持ち、毒とせずに薬となす。これ以上に上等な策があるなら、述べてみろ。ザザやサウティだけじゃねえ。すべての氏族の長たち全員に、俺は問うている」
炯々と光るドンダ=ルウの目が、また家長たちの姿を見回していく。
「いずれルウやサウティに劣らぬ氏族が現れるなら、そいつにも長としての資格を認めよう。何にせよ、森辺を統べる族長は、ひとりじゃ足りねえ。そのひとりが腐っただけで、森辺の行く末は閉ざされる。それはスン家の者どもが身をもって示してくれたことだ」
ズーロ=スンは、反応しなかった。
先代の家長から負の遺産を受け継ぎ、そのまま怠惰な生に身をやつしたかつての森辺の族長は、もはや死人のような面持ちでうなだれるばかりであった。
「俺の言葉に賛同する者は、立ち上がれ! 異のある者は、座して己の言葉を語れ!」
ルウの眷族たちは、すみやかに立ち上がった。
小さな氏族の長たちも、ぽつりぽつりと立ち上がり――俺とアイ=ファも、立ち上がる。
最後まで悩んでいたのは、やはり北と南の一族たちである。
いきなり族長筋としての責を担え、と申し渡された彼らの驚きと困惑はどれほどのものであっただろう。
それでもやがて、ダリ=サウティらは立ち上がり――
最後に、ザザやドムの家長たちも、立ち上がった。
満場一致の、決定だ。
ドンダ=ルウは、厳しい面持ちでうなずいた。
「森辺の民としての誇りを失わず、サウティやザザと手を取り合い、一族に正しき道を示すことを、ルウ家の家長ドンダ=ルウは、ここに誓おう」
「……サウティ家の家長ダリ=サウティも、森辺の一助となることを誓う」
かつてのスンの眷族たちは、しばらく憮然と立ち尽くしていたが、やがてザザの家長が低い声で言った。
「俺たちは、これから眷族の長を決める。誰が長となっても、森辺の民として恥ずるところのない道を歩むことを、ここに誓う」
「何とも締まらねえな。貴様らがまずなすべき仕事は、その眷族の長を定めることだ」
ドンダ=ルウが口もとを歪めて笑い、ザザの家長は「やかましい!」と言い捨てる。
「それでは、サウティと、さしあたってはザザの家長以外は楽にするがいい。……まずはこの夜に定めねばならぬ儀がある」
言われた通りに、俺たちはまた腰を下ろした。
すっかりドンダ=ルウの独壇場だ。
「スン本家の処遇を何とする? まずは俺たちが道を示し、他の家長たちにそれを問うべきであろう」
ドンダ=ルウの言葉に、空気が一気に引き締まる。
「俺は……やはり、この夜に罪を犯した者と、家長のズーロ=スンを処断するべきだと思う」
と、ダリ=サウティがすぐに応じた。
「長兄ディガ=スン、次兄ドッド=スン、長姉ヤミル=スン、そして分家のテイ=スン。家長のズーロ=スンを含めたこの5名の罪は明らかであろうからな」
「ふん。ならばそれは、森の恵みを荒らした罪はズーロ=スンのみに贖わせる、ということだな。……そうすると、刀を抜いたわけでもない長姉にはどのような罰を与える心づもりだ?」
「それは……いささか難しいところだが、しかし長兄らに知恵をつけたのはその長姉であるのだから、同じていどの罰は与えるべきであろうな」
それは、ドッド=スンやテイ=スンとともに右腕を切り落とす、という意なのだろうか?
俺の口に、とてつもなく苦い味が広がっていく。
しかし、それに続くザザの家長の発言はそれ以上に苛烈であった。
「俺は、本家の人間全員に罪を贖わせるべきだと考える。森の恵みを荒らすという大罪を犯し、その罪を分家の人間にまで強いた罪は、重い。全員、頭の皮を剥ぐべきだ」
「ほう。しかし、本家といえども女衆には分家の人間にそこまでのことを強いる力はあるまい? 分家の人間は許し、本家の女衆には生命をもって贖わせるというのは、ちぐはぐじゃねえか?」
「うむ……それはもちろん、考えぬではなかったが……本来であれば、分家の者たちも等しく裁かれるべきであるのだ。本家の人間には、その血をもって分家の人間の分まで罪を購ってもらう他ないだろう」
あんな幼いツヴァイ=スンにまで、死罪を申し渡そうというのか。
それが清廉にして苛烈なる森辺の習わしだとしても、とうてい俺には容認できない。
「……ひとつだけいいかしら」と、そこでヤミル=スンが口を開いた。
殺気をともなった眼光が幾対もそちらに差しむけられる。
「何もわかっていないみたいだから、教えてあげるわ。……スン家を腐らせたのは、先代家長のザッツ=スンよ」
家長たちの間に、殺気の内圧が高まっていく。
しかし、ヤミル=スンは冷たく凍てついた表情のまま、淡々と言葉を紡いでいった。
「ザッツ=スンは、毒の塊みたいな男だったわ。あの男と長い時間をともにした人間ほど、どんどん魂は腐り果てていった。10年ほど前に病魔に倒れるまであの男は家長として君臨して、本家の人間の魂を蝕んでいったのよ」
「ハッ! 何を言い出すかと思えば、立ち上がることもままならぬザッツ=スンにすべての罪をなすりつけようという魂胆か! 見下げ果てた人間だな、貴様は!」
ザザの家長が、憤怒の形相で吠えたてる。
ヤミル=スンは、変わらぬ面持ちでそちらを一瞥した。
「すべての罪があの男にあるとは言わないわ。ただ、あの男の毒に犯されなかった人間もいる、ということが言いたかっただけよ。……12年前に嫁いできたオウラ=スン、その頃に生まれたツヴァイ=スン、そして生まれながらに心の一部分が欠けてしまっているミダ=スン……この3人は、ザッツ=スンに魂を蝕ばまれてもいないし、分家の人間と同じだけの罪しか犯していない」
そして、ヤミル=スンは――座したまま、その額が床に着くぐらい深々と頭を垂れた。
「だから、分家の人間を許すなら、この3人も許してほしい。……魂を腐らせてしまったのは、わたしたちだけなのよ」
「何言ってんだヨ! そんなのおかしいじゃないかッ!」
幼年ゆえに拘束はされていなかったツヴァイ=スンが、ばね仕掛けの人形みたいにぴょこんっと飛び上がる。
監視役として立ちはだかっていたルド=ルウが、慌てた様子でその襟首をひっつかんだ。
「おい馬鹿、動くなよ、ちび」
「うるさいヨ! スンの行く末を1番心配してたのはヤミルじゃないか!そんなヤミルがどうして死ななきゃならないんだヨ!」
「それは、こんな方法でしかスン家を救う道が思いつけないような人間だからよ」
ヤミル=スンは面を上げて、唇の端を少しだけ吊り上げた。
「わたしはディガよりもドッドよりも早く生まれた。だからそのぶん、ザッツ=スンに毒されてしまっているの。わたしの魂は腐り果ててしまっているのよ」
「いつ生まれたとか関係ないヨ! ヤミルだって……家族じゃないか!」
ツヴァイ=スンの大きな目から、ぼろぼろ涙が噴きこぼれる。
そして、ルド=ルウに襟首をつかまれたまま、ツヴァイ=スンは父親や兄たちのほうをにらみつけた。
「ロクでもないことをするのは、いっつもアンタたちだ! アンタたちがそんな腰抜けだから、ヤミルがこんな風になっちまったんじゃないか! あんな寝たきりのじーさまの何がそんなに怖いのサ!? どうしてせっかくの銅貨を、もっとまともなことに費えなかったんだヨ!」
ズーロ=スンたちは、何も答えない。
まだこの破滅的な状況を現実のことと認識できていないかのように、彼らは無言でうなだれるばかりであった。
各氏族の家長たちは、少なからず心を乱された様子で顔を見合わせている。
やがて口を開いたのは、ザザ家の家長だった。
「やはり、罪の大きさによって罰を違えるというのは難しいのではないか? これならいっそのこと、掟の通りに本家の人間も分家の人間もすべて処断してしまったほうが正しいように思えてしまう」
「それはあまりに短絡的だろう。40名もの人間の生命を、そのように軽んじるべきではない。……ドンダ=ルウは、どのように考えているのだ?」
ダリ=サウティに問われて、ドンダ=ルウは少し押し黙った。
それから、スン家の人々を一通り見回し、いくぶん重たげに口を開く。
「……俺は10年の昔から、スン家の罪を問い続けてきた。さらに遡れば、20年の昔から、俺の父はスン家の罪を問い続けてきた。その言を聞き入れず、スン家を守り続けたのは、スンの眷族たるザザやジーンだ。……ザザやジーンが邪魔立てしていなければ、きっと俺の父は20年前にザッツ=スンの首を刎ねていただろう」
ザザの家長は、無念そうに唇を噛む。
「今となっては、返す言葉もない。……しかし、それがどうしたというのだ?」
「スンの人間は救い難い。特に長兄と次兄などは下衆の極みだ。だが、族長筋を腐らせたのは、誰だ? スン家を守ろうとした貴様たちにも、スン家を裁ききれなかった俺たちにも――そして、力がないゆえに何を為すこともできなかった小さな氏族の人間たちにも、少なからぬ責があるのではないか?」
ドンダ=ルウの双眸は、いつになく静かに燃えているように見えた。
「俺は、先代家長のザッツ=スンと、現在の家長であるズーロ=スンを除く全員に、1度きりの機会を与えてもいいと考えている」
「1度きりの機会?」
「ああ。森辺の民として生きて死ぬ、最後の機会をだ。……もちろん、本人たちにそれを受け入れる覚悟があれば、だがな」
◇
祭祀堂を遠くに眺める位置で腰を落ち着けた俺たちは、眠気をこらえながらぽつりぽつりと言葉を交わし合った。
「俺はドンダ=ルウっていう人間を見誤っていたかもしれないな。あの人は、もっとザザとかの家長と同じような、ガチガチの石頭だと思っていたよ」
ドンダ=ルウの出した結論。
それは、ルウやザザなどの有力な氏族が、スン本家の人間たちをそれぞれ家人として受け入れる、というものだった。
むろん、嫁や婿に取る、などという生易しい話ではない。
スンの名を廃し、他の家族との縁を切らせて、もっとも立場の低い存在として家の仕事に従事させるのである。
それで改心したと認められた者には、その家の氏を与えてやればいい。
認められなければ、血を遺す機会も与えられず、朽ちていくだけだ。
きわめて苛烈な――それでいて、森辺には前例のない救済の道であっただろう。
ザザやサウティのみならず、すべての家長たちが惑乱を隠せずにいたが。それでも、最終的にはドンダ=ルウの案が受け入れられることになった。
「ドンダ=ルウは、そこまで掟やしきたりを重んずる人間ではない。どちらかといえば、自分の気持ちや感情をいかにして掟やしきたりと重ねられるかに腐心している人間であろう」
まぶしそうに、あるいは眠たそうに目を細めたアイ=ファが、そんな風に応じてくれた。
「しかしまあ、これだけの騒ぎになって、それでもひとりの人間の血も流されずに済んだのは、確かに驚くべきことかもしれんな」
「ああ。それは本当にほっとしたよ」
まだ全員の行き先が定まったわけではないが、危険人物たるディガ=スンとドッド=スンだけは、ドムの家に入ることが決定していた。
どうやら北の一族の中でも最も蛮勇を誇るらしいドム家の家人となり、狩人としての仕事に従事させられるのだ。
「そんなの、あのぼんくらどもにとっては死罪と変わんねーじゃん」と、こっそりつぶやいていたルド=ルウの言葉に何とも言えない気持ちを味わされたが。それでも、頭の皮を剥がされたり、右腕を叩き斬られるよりは、ずっとましだろう。
昨晩は、殺してやりたいぐらいに激情をかきたてられてしまった相手であるが。アイ=ファが無事であった以上、死んでほしいとまでは思えない。
ただ――2度と顔を合わせたくはない、というのは偽らざる本心だ。
「ミダ=スンとかヤミル=スンはどこの家に入るんだろうな。よっぽどの家じゃないと、扱いきれないと思うけど」
「さてな。それこそルウの家にでも入るのではないか?」
その言葉の不機嫌そうな調子に「うん?」と思って振り返ると、アイ=ファの細めた目がとても冷ややかに俺を見ていた。
「……アスタよ、お前はいったい何人の女衆の裸身を目にすれば気が済むのだ?」
「ええ? そこかよ! あんなおぞましい血まみれの姿で裸身もへったくれもないだろう?」
「血まみれでなければ良かったのに、というわけか」
「そんな意図はない! というか、人聞きが悪いにもほどがあるだろ! 俺が今まで裸身を目にしてしまったのはこの世でただひとりアイ=ファだけなんだぞ!?」
こめかみに、肘を入れられた。
そのタイミングで、大柄な人影が近づいてくる。
「何をやっているのだ? 裸身がどうとか聞こえたようだが」
「あいててて……何でもありません。どうしたのですか、ダリ=サウティ?」
「いや、俺も少し休みたかっただけだ。サウティの集落に帰る前に、片付ける問題が山積みになってしまったからな」
本家の人間たちの行き先の選定。
分家の人間たちの処遇。
食糧庫に蓄えられた森の恵みの処分。
荒らされてしまった森の現状調査。
そして――ザッツ=スンとズーロ=スンの処断、である。
「とりあえず、今すぐに処断、ということにはならなかった。ズーロ=スンにはジェノスとどのようなやりとりをしていたのかを問い質さなくてはならないし、ザッツ=スンは――どの道あと何月も生きられぬ身であるようだからな」
「そうですか……」
スン家は族長筋としての権威を剥奪され、3つの氏族がその座を引き継ぐことになった。
その事実に対して、ジェノスがどのような反応を見せるのか。
スン家とは異なり、森辺の民としての誇りを有する新たな族長たちと、ジェノスの有力者たちは正しい縁を結ぶことができるのか。
そちらでも、新しい試練が始まるのだ。
「例の件だけは、くれぐれもよろしくお願いいたします」
「ああ。城の人間が法をねじ曲げてまで森辺の民を擁護していたなどとは、まったく馬鹿げた話だ。今までそのような目で町の人間たちに見られていたかと思うと、虫唾が走るわ」
ダリ=サウティが、パシンと手の平に拳を打ちつける。
「旅人を襲い、女をかどわかし、作物を奪い去る――スンの人間は、本当にそこまでの罪を犯していたのだろうか?」
「それはわかりません。でも、分家の人間にはそんな悪行をはたらく気力もないようでしたから、本家の人間が行動の自由を失う今日以降にそういう話が出なくなれば、やはりスン家の仕業だったということになるのでしょうね」
「それが真実だとしたら、やはり長兄と次兄に対する処分は甘い気がしてしまうな。……まあ、ドム家に入るという処分がそこまで甘いわけでもないが」
ドム家というのは、そこまで苛烈な一族なのだろうか。
まあ、ザザやジーンよりも寡黙であり、そしてギバの頭骨をかぶっているドムの家長らのたたずまいは、確かに群を抜いて恐ろしげであったが。
「それに、テイ=スンという分家の男衆もな。あれもドム家にあずかるよう、俺は進言するつもりだ」
「え? そうなのですか?」
「ああ。あれは家人が絶えたために、本家でともに暮らしていたらしい。ならば、本家の人間と同じように扱うのが相応だろう。……そして、あの男衆は家長の嫁であったオウラ=スンの父親でもあるそうだ」
俺は、言葉を失ってしまった。
ならばそれは、ズーロ=スンの義理の父であり、ツヴァイ=スンの祖父でもある、ということではないか。
そんな人物が、本家の人間たちのいいように扱われていたというのか。
最後の最後で、とてつもなく深い闇を覗きこんでしまったような心地だ。
「……それでも、人生の最後に狩人としての生をまっとうできるならば、まだしも幸福なのではないかな。生まれたときから狩人としての誇りを持ち得なかった本家の長兄や次兄とは異なり、あのテイ=スンという男衆には狩人として生きていた時代もあったのであろうから」
そうか。すでに50の齢を越えているならば、若かりし頃はきちんとギバ狩りの仕事に励んでいた、ということになるのだ。
その上で、狩人としての誇りを奪われてしまったのなら――無残だ。
いったい彼は、どのような気持ちでディガ=スンたちに従っていたのだろう。あの腐った魚のような瞳になるまでは、どんな人間だったのだろう。
そんなことに思いをはせると、何だかじくじくと胸が痛くなってしまう。
「そこまでを踏まえて、ドンダ=ルウはすべての人間に最後の機会を与えたい、と言い出したのかもしれないな。悔しいが、俺やザザの家長などは、まだドンダ=ルウほど長としての力は持ち得ていないようだ」
そう言って、ダリ=サウティは俺たちに背中を向けた。
「同じ過ちは犯さず、同じ悲劇は繰り返さないように、俺たちは民に正しき道を示さなくてはならないのだろう。……ではまたのちほどな、ファの家のアスタにアイ=ファよ」
「はい。またのちほど」
俺は挨拶を返したが、アイ=ファは無言のままだった。
そういえばさっきからずっと静かだな、と思ってそちらを振り返ろうとしたとき――アイ=ファの頭が、こつんと右肩にぶつかってきた。
何だ、眠ってしまったのか。
まあ、昨晩はたぶん2、3時間しか眠れなかったのだから、しかたがない。あげくにあのような騒ぎであったのだから、誰も彼もが疲れ果てているのである。
(それでも――何とかかんとか、自分たちの仕事は果たせたよな?)
そして明日からは、宿場町でまた商売だ。
今日だって、この後は仕込みの作業が待ちかまえている。
ちょっとぐらいは休ませてもらわないと身がもたない。そんなことを考えながら、俺もアイ=ファのほうに体重をあずけて、重たいまぶたを閉ざさせてもらうことにした。