新たなお誘い
2022.11/11 更新分 3/3
さまざまな騒乱に見舞われた藍の月も、いよいよ終わりの日が間近となり――城下町における送別の祝宴を終えたのちも、日々は慌ただしく過ぎ去っていった。
南の王都の使節団、ゲルドの使節団、そして王都の貴族たるティカトラスの一行という3組を見送る送別の祝宴が行われたのは、藍の月の17日のことである。それらの賑やかな面々が故郷へと帰還することで、ジェノスにも束の間の安息が訪れるのではないかと、俺はそのように考えていたのだが――まったくもって、そんなことはなかったのだった。
まず最初にやってきたのは、新たな赤子の誕生である。
なんと、俺たちが送別の祝宴から戻ってきたその夜に、ルウの家でもリリンの家でも赤子が生誕することになったのだ。
ダルム=ルウとシーラ=ルウの間に産まれたのは男児であり、シュミラル=リリンとヴィナ・ルウ=リリンの間に産まれたのは女児となる。それらの4名は俺にとって指折りで古くからのつきあいがある大切な人々であったため、また俺がとめどもなく涙をこぼしてしまうのも致し方ないことであった。
それに比べれば、のちに続いた出来事など、いずれも些末な話であっただろうか。
しかしまあ、俺たちにとって慌ただしい日々であったことに間違いはない。というよりも、俺たちにとってはこの慌ただしさこそが正しい日常のありようであったのかもしれなかった。
それにまた、俺たちが自ら慌ただしくイベントを企画したという面もある。
これまでは下手にことを起こすとティカトラスが首が突っ込んでくる恐れがあったため、自重している部分があったのだ。彼らが藍の月の半ばにジェノスを出ていくことは事前に告知されていたので、それまでは身をつつしんでおこうという考えであったのだった。
それで真っ先に企画されたのは、ダレイムのドーラ家のお泊まり計画となる。
これはティカトラスの一行がジャガルに旅立っている間にも決行されていたイベントであるが、ターラと仲良しであるリミ=ルウなどはまだまだまったく満足していなかったのだろう。それで送別会が実施される前から予定が立てられて、ティカトラスらがジェノスを出立するなりすぐさま実行に移されたのだった。
そしてそれと同時期に、収穫祭を実施する氏族があった。
ラヴィッツの血族と、ラッツの眷族たるミーム、そしてスンによる合同収穫祭である。これはまったく俺たちの関知するところではなかったのだが、どうやらそれらの氏族の人々はティカトラスらがジェノスからいなくなることを今か今かと待ちかまえていたようであった。
「前回はあれほどの客人を招くことになったのだから、今回こそは然るべき氏族だけで収穫祭を行うのだ。……ましてやあのように騒がしい人間を客人として招くことなど、規律を乱すことにしかならんからな」
デイ=ラヴィッツなどは、陰でそのように言いたてていたらしい。それをこっそり教えてくれたのは、ラヴィッツの血族たるマルフィラ=ナハムである。
まあ、デイ=ラヴィッツはもともと古きからの習わしを重んじる気質であったし、前回は初めての合同収穫祭ということで大勢の見届け人を招くことになったのだから、色々と思うところがあったのだろう。
それに、彼らが前回収穫祭を行ったのは、たしか茶の月の頭であったはずだ。するとこれは、9ヶ月以上ぶりの収穫祭ということになる。収穫祭の開催が間遠になるのはギバの収獲量の増大が原因であるはずなのだから、それはおめでたい話であるのだが――それだけ開催の機会が間遠になるならば、これまで以上に心を尽くして取り組みたいと願うのが当然なのであろうと思われた。
ということで、今回は森辺の内部からも客人が招かれることもなく、ラヴィッツ、ナハム、ヴィン、ミーム、スンの5氏族だけで、合同収穫祭が開かれることになった。狩人の力比べも夜の祝宴もたいそうな盛り上がりようであったとのちのち聞き及び、俺もひそかに喜ばしく思ったものである。
そしてその間に、俺たちはジェノス城から2件の仕事を依頼される事態に至った。
ひとつは、バナームの使節団の送別の晩餐会、もうひとつは、そちらからもたらされた新たな食材の吟味の会である。宿場町においてはすでに新たな食材の扱い方も手ほどきしていたため、今度は城下町の料理人たちと吟味の会を行ってほしいと願われたのだ。
まあ、城下町の料理人たちと親交を深められるのはありがたい限りであったし、彼らがどのような形で新たな食材を扱おうとしているのかも気になるところであったので、俺たちはその依頼を快諾することに相成った。
送別の晩餐会に関しても、また然りである。そちらの責任者代行たるアラウトというのは本当に好ましく思える少年であったため、送別の晩餐会にご一緒できるのであれば喜びの至りであった。
「とはいえ、アラウト殿もそう日を空けずに再来されるという話であるからね! 送別の晩餐会も、30名ていどのつつましいものにさせていただいたよ!」
そんな風に語っていたのは、ダレイム伯爵家の第二子息にして外務官補佐たるポルアースである。このたびは侍女のシェイラに申しつけるのではなく、自らトトス車に乗って宿場町の屋台にまで出向いてきたのだ。
「使節団の方々やティカトラス殿を無事に送り出すことができて、僕もようやく肩の荷を下ろせた気分だからねぇ。ひさびさに羽をのばして、屋台の料理でもいただいてみようかなと思いたったのだよ!」
やはり外務官補佐というのは、なかなかの重責であるのだろう。ポルアースなどは森辺の民との関係性を保つ調停官の補佐役でもあるから、俺たちには外務官その人よりもポルアースの苦労のほうがより身近に感じられてならないのだった。
「でも、年が明けたらまた同じ3組が来訪される可能性が高いのですよね。そこにダカルマス殿下やアルヴァッハたちが加えられたら、今回以上の賑やかさになりそうです」
「来年の苦労については、来年になってから思い悩むことにするよ! アスタ殿にもまた甚大な苦労をかけてしまうかもしれないけど、どうかよろしくね!」
ポルアースは苦労の反動で、ずいぶんハイテンションなようである。そうして従者にさまざまな料理を買いつけさせたのち、意気揚々とトトス車へと戻っていったのだった。
そののちに開催された送別の晩餐会というのは、まあ平穏に終わったと言っていいだろう。アラウト自身も、とても和やかな表情で俺たちをねぎらってくれたものであった。
「ゲルドやジャガルの食材の扱い方を周知させたら、またカルスともどもジェノスにお邪魔いたします。紫の月の頭には来訪できるかと思いますので、その折にはまた色々とよろしくお願いいたします」
「ええ、もちろんです。よかったら、また森辺にもお招きさせてください」
そうしてアラウトたちもまた、故郷たるバナームに帰っていった。
なおかつ、カミュア=ヨシュとレイトもそれにひっついて、ジェノスから出ていってしまったのだった。
「不測の事態が起きない限りは、復活祭までに戻るつもりだからさ。アスタたちも、どうぞ息災にね」
太陽神の復活祭まではもうひと月を切っているぐらいであるのに、慌ただしい話である。カミュア=ヨシュにとっても、そういう慌ただしさが日常であるのかもしれなかった。
その後には、城下町での吟味の会も滞りなく終えることができた。ヴァルカスやその弟子たちやティマロやダイアなど、普段はなかなか顔をあわせる機会のない人々と新たな食材の検分に取り組み、とても有意義な時間を過ごせたように思う。
という感じで――特筆すべきイベントというのは、それぐらいであろうか。
ただ俺たちはそういった行事と並行して屋台の商売を継続していたし、集落に戻ってからはバナームの食材の研究に励んでいたため、体感としてはなかなかの慌ただしさであったのだ。
そうして粛々と日が過ぎ去り、いよいよ藍の月の終わりが目前に迫ったとき――俺たちは、また新たなイベントにお誘いされることに相成ったのだった。
◇
その日、変事の使者としてファの家を訪れたのは、森辺の三族長のひとりたるダリ=サウティである。
日取りとしては、藍の月の27日。送別の祝宴を終えて、ちょうど10日目のことだ。俺たちは屋台の営業日のど真ん中であったため、その日も朝から下ごしらえに励んでおり、その場でダリ=サウティをお迎えすることになったのだった。
「仕事のさなかに、申し訳ないな。それほど長い話にはならないはずなので、どうか容赦を願いたく思う」
「いえいえ、とんでもない。ダリ=サウティでしたら、いつでも大歓迎です」
なおかつ俺は、このいきなりの来訪に驚いていなかった。ここしばらく、ダリ=サウティとヴェラの家長はフォウの集落に逗留して、ある案件に関して協議を重ねていたのだ。今現在も、ダリ=サウティのかたわらにはヴェラの家長とバードゥ=フォウが付き添っていた。
「こうしてダリ=サウティたちがいらっしゃったということは……ついに、例の件が本決まりになったのでしょうか?」
「うむ。フォウの分家の男衆とヴェラ本家の女衆の婚儀を、許すことにしたのだ」
ダリ=サウティとヴェラの家長は、その話を詰めるためにフォウの集落を訪れていたのである。
すべて予期していた通りの話であったが、俺は心から感嘆することになった。ダリ=サウティたちをここまで案内してきたアイ=ファも、どこか満足そうな面持ちでうなずいている。
「ついにその婚儀が実現するのですね。ずいぶん長い時間がかけられたように思いますが……でも、モルン・ルティム=ドムたちは、もっと長い時間をかけていましたもんね」
「うむ。血族ならぬ相手との婚儀というのは、それだけ慎重に取り扱うべきであろうからな」
そのように語りながら、ダリ=サウティは穏やかな表情だ。
バードゥ=フォウもそれは同様であり、ヴェラの家長だけはひとり表情を引き締めている。彼はもともと実直な気性である上に、婚儀を望んだのは彼の妹なのである。
そちらの話が初めて持ち上がったのは、遥かなる昔日――今から1年以上も前の、去年の白の月のこと。氏族間の親睦を深めるために、サウティとフォウで家人を貸し合うことになり、その場で若き男女の恋情というものが発覚したのだった。
ただし、その恋情が芽生えたのは、さらに昔の話となる。青の月の家長会議を終えて、ギバの生鮮肉を町で売ることは正しい行いであると認められ、フォウからサウティにその仕事の引き継ぎが為されたとき、両者は運命の出会いを果たすことになったのだった。
ただ、それからしばらくは進展らしい進展も見られなかった。何せフォウとヴェラというのは遠方の氏族であるし、当時はまだモルン・ルティム=ドムの想いも成就していなかったため、血族ならぬ相手との婚儀はよくよく慎重に取り扱うべきであると周知されていたのだ。
そこに進展が生まれたのは、今からおよそ半年前。本年の雨季を終えた、黄の月のことだろう。フォウとヴェラの両名はディック=ドムとモルン・ルティム=ドムの婚儀を見届けて、自分たちもそれに続きたいという覚悟を固めることになったのだ。
それから現在に至るまで、フォウの男衆はヴェラの集落に、ヴェラの女衆はフォウの集落に逗留している。収穫祭や家族の生誕の日などには里帰りしていたのであろうが、それ以外の日々はのきなみ相手方の家で過ごし、交流を深めていたのである。
俺にとって印象的であったのは、邪神教団による飛蝗の騒ぎが持ち上がった際となる。あの騒ぎではあちこちの狩り場も被害にあい、さまざまな氏族が飛蝗の駆除と狩り場の復旧に尽力させられていたわけであるが――その際にも、彼らは相手方の家に留まって、そちらで仕事を果たしていたのだった。
サウティの血族の狩り場はとりわけ被害が甚大であったため、フォウの男衆はそちらでさまざまな苦労を分かち合うことになったのだろう。家を守る女衆も、それは例外ではない。彼らはそうして有事の際にも相手方の家に留まることで、自らの覚悟を示していたのだった。
「何はともあれ、おめでとうございます。色々とご苦労は尽きないでしょうが、どうかこの場は祝福させてください」
「うむ。俺もヴェラの家長として、しかと責任を負う覚悟だ」
いっそう張り詰めた面持ちになるヴェラの家長に笑いかけてから、ダリ=サウティはまた俺に向きなおってきた。
「それで、その婚儀だが……期日は、紫の月の1日とした」
「紫の月の1日というと、4日後――いや、藍の月は31日まであるので、5日後ですか。けっこう日が近いですね」
「うむ。本来であれば、血族の家を巡って前祝いを行うところだが、これはフォウとヴェラだけで血の縁を結ぼうという行いであるからな。なるべく日を空けずに、きりのいい日を選んだまでのことだ」
そう言って、ダリ=サウティはますます穏やかに微笑んだ。
「ただ、祝宴の当日はフォウの女衆も屋台や下ごしらえの仕事に加われなくなる。それで問題は生じないか、まずはアスタに話をうかがいたかったのだ」
「はい。5日もいただければ、いくらでも調整は可能です。当番から外すのは、祝宴の当日だけで問題ないのですか?」
「うむ。前日と翌日も外してもらえるのなら、女衆らの負担も減るだろうが……そこはアスタと折り合いをつけねばと思ってな」
「こちらはまったく、かまいませんよ。ありがたいことに、どの氏族からももっとこちらの仕事に関わりたいと言ってもらえていますので。出番が増えれば、喜んでもらえるぐらいです」
「では、そのように取り計らってもらいたい。……つい出しゃばってしまったが、ここからはバードゥ=フォウに語ってもらうべきであろうな」
ダリ=サウティの言葉を受けて、バードゥ=フォウは「うむ」とアイ=ファに向きなおった。
「その婚儀には、収穫祭をともにしている氏族の人間も招きたく思っている。ファの家にも、了承をもらえるだろうか?」
「ほう。我々まで招いてもらえるのか?」
「うむ。見届け役として、族長筋の三氏族、ヴェラの血族、フォウの血族、そして収穫祭をともにしているファ、ディン、リッド――さらに、ナハムの長兄とベイムの長姉にも声をかけるべきかと考えている。アイ=ファたちにも、どうか了承してもらいたい」
「相分かった。その日には、心からの祝福を捧げさせていただこう」
アイ=ファが厳粛な面持ちで応じると、バードゥ=フォウは「ありがたい」と微笑んでから、俺のほうに向きなおってきた。
「ああ、それともう1名、ユーミも招くつもりでいる。これはあくまでフォウとヴェラの婚儀だが、ユーミには血族ならぬ者同士の婚儀というものについて、しっかり見届けてもらいたいからな」
「ええ。ユーミは今回以上に難しい婚儀に臨もうとしている立場ですもんね。きっと彼女には、またとない経験になるかと思います」
「俺も、そのように考えている」
そうしてバードゥ=フォウたちは、それぞれの家に戻っていった。
俺が満足の吐息をついていると、アイ=ファが何故だか鋭い眼光を突きつけてくる。
「ところで、アスタよ。私もお前に告げておきたいことがあったのだ。もうしばし仕事の手を休めることはかなうか?」
「え、うん。それは大丈夫だけど……こわい目つきをして、いったどうしたんだよ?」
「いいから、こちらに来い」
アイ=ファに急き立てられて、俺は母屋のほうに向かうことになった。
母屋の前の広場では、ジルベたちが追いかけっこに興じている。雌犬のラムだけは玄関の前で身を休めているが、いつも通りの平和な光景だ。
「今日はラムが、朝から大人しい。お前の目に、ラムの姿はどう映る?」
「どうって? 別に、いつも通りだと思うけど……」
そんな風に言ってから、俺は「ん?」と小首を傾げることになった。
「地面に伏せてるから、ちょっとわかりにくいけど……ラムは少し、お腹が大きくなってるか?」
「やはり、そう思うか?」と、アイ=ファが真剣な面持ちで詰め寄ってくる。アイ=ファの温もりや香りが感じられるほどの至近距離で、俺はつい胸を高鳴らせてしまった。
「いや、でも、はっきりとはわからないな。ただ太っただけかもしれないし……もうちょっと日が過ぎれば、はっきりするんじゃないかなぁ」
アイ=ファが勢い込んでいるのは、もちろんラムの懐妊を考慮しているためであろう。ラムがブレイブと結ばれたのは、ウェルハイドの婚儀が開かれた黒の月の20日であり――懐妊した犬のお腹が大きくなるのは、ちょうどひと月ぐらいが経過してからであると伝え聞いていたのだ。
それ以外にも、食欲の低下や嘔吐といったつわりの症状が出ることもあるそうだが、ラムにそちらの兆候が表れることはなかった。だから俺たちも、ラムが懐妊しているのかどうか、まったく判ずることができなかったのだが――これは、決定的な兆候であるのかもしれなかった。
「まあ何にせよ、犬はふた月ていどで出産するっていう話だからな。遅くても、ひと月後には結果が出るはずだよ」
「うむ……我々は、ラムの無事を祈るばかりだな」
アイ=ファはラムのかたわらに膝を折り、いつもよりも慎重な仕草でその頭を撫でた。
いっぽうラムは、いつも通りの朗らかさで尻尾を振っている。このようにあどけない眼差しをしたラムが母になるかもしれないなんて、俺にはなかなか実感が持てなかった。
「ウェルハイドたちの婚儀からひと月ちょっとで、今度はフォウとヴェラの婚儀で……ルウとリリンで赤子が産まれたと思ったら、今度はラムの出産か。まあ、ラムはまだ確定じゃないとしても、余所の家でも同じ頃合いに出産されるはずだもんな」
「うむ。めでたい話が続くものだな。……我々は、またそれを見守るばかりであるが」
と、アイ=ファが穏やかな眼差しを俺に向けてくる。
俺はやわらかな幸福感に胸を満たされつつ、「そうだな」と笑顔を返してみせた。今は見守るばかりだが、いつかは自分たちも――と、アイ=ファの静かな眼差しには、そんな想いが込められているように思えてならなかったのだ。
◇
その後、下ごしらえの作業を終えてルウの集落まで出向いてみると、そちらでもファの家と同じような騒ぎが巻き起こっていた。ダリ=サウティたちが帰りがけに、婚儀の日取りを伝えていったのだろう。それで騒いでいるのは、おもに本家の姉妹たちであった。
「みんな、おはよう。いったい何を騒いでるのかな?」
「うん! フォウとヴェラの婚儀に連れていってもらえるのは誰だろうねーって話してたの!」
「ここはやっぱり、レイナ姉かなー。アスタたちの収穫祭でも、レイナ姉が選ばれてたもんねー」
「まあ、わたしも今では本家で一番年長の女衆だから、選ばれる可能性は高いと思うけど……最近は、ララの力が頼られることも多いよね」
婚儀の祝宴には、各氏族から3名ずつの家人を招くのだという話であった。きっと森辺の習わしに従って、本家の家長と若い男女という組み合わせになるのだろう。ルウやザザでは家長の代わりに長兄を出すことが多かったが、何にせよ女衆の枠は1名のみであるのだった。
「でも、それを決めるのはドンダ=ルウなんだろう? ここでやいやい騒ぐより、ドンダ=ルウから話を聞くほうが手っ取り早いんじゃないかな?」
「ドンダ父さんは、ジザ兄と相談してるよー! だから、誰が選ばれるか気になっちゃうの!」
リミ=ルウは大好きなアイ=ファとご一緒するため、レイナ=ルウは余所の氏族のかまど番の力量を確かめるため、それぞれ祝宴への参席を願っているのだろう。ただ、ララ=ルウもそれに負けないぐらいの熱意をあらわにしているように思えた。
「ララ=ルウも、何か参席したい理由があるのかな?」
「そりゃまーね! あのふたりがきっちり覚悟を固められるかどうか、あたしはずっと気になってたからさ!」
そういえば、ララ=ルウもドムとルティムの婚儀の場で、フォウとヴェラの両名と遭遇していたのだ。それでたしか、彼らにモルン・ルティム=ドムほどの覚悟があるのかと、厳しい目を向けていたのだった。
「誰が選ばれるか、楽しみだね。それで、今日の当番は……リミ=ルウとレイナ=ルウだったっけ?」
「うん! 準備はもうできてるよ! それじゃあ、宿場町にしゅっぱーつ!」
ということで、俺も自分の荷車に引き返す。その行き道で、レイナ=ルウに声をかけることにした。
「ところで、赤ちゃんのほうは変わりないかな?」
「ええ、とても元気なようです。出発前に、挨拶をされますか?」
「いや、そんな毎日お邪魔してたら、ダルム=ルウににらまれちゃいそうだからさ。また明日か明後日あたりにご挨拶をさせてもらおうと思うよ」
新生児は生誕してからひと月が経過するまで家から出さないという習わしがあったため、こちらから出向かない限り顔をあわせることはかなわないのだ。しかし俺は昨日もご挨拶をさせていただいていたので、ここはぐっとこらえることにした。
ダルム=ルウとシーラ=ルウの子――そして、シュミラル=リリンとヴィナ・ルウ=リリンの子は、今日で生後11日目ということになる。送別の祝宴が開かれた藍の月の17日が、彼らにとっての生誕の日となるのだ。
ダルム=ルウたちの子は、ドンティ=ルウ。シュミラル=リリンたちの子は、エヴァ=リリンと名付けられた。ルウ家からは毎日誰かしらがリリンの家まで出向いているため、あちらの赤子も無事に育っていることが伝えられている。だけどやっぱり俺としては、自らの目で元気な姿を確認したくて、毎日うずうずしてしまっていた。
そうしてレイナ=ルウとも別れて自分の荷車に乗り込もうとしたところで、今度はルド=ルウが近づいてくる。そちらもどこか、熱っぽい眼差しをしているように感じられた。
「なーなー。雌犬の腹が少し大きくなったように思えるんだけど、そっちはどうだ?」
「うん。ちょうどついさっき、アイ=ファとそんな話をしたところだよ。まだはっきりしたことはわからないけど……こんな時期にいきなり太ったと考えるよりは、懐妊したと考えるほうが自然なんだろうね」
「やっぱりなー! あとひと月ばかりで赤子が産まれるなんて、なんか想像つかねーよ!」
そちらの件に関しても、ファとルウは同じ喜びや期待を授かることになったわけであった。
俺は満ち足りた気持ちでギルルの手綱を取り、宿場町へと出発する。
すると、本日の当番であったヤミル=レイが「ねえ」と声をかけてきた。
「ルド=ルウとのやりとりが聞こえていたわよ。どうやら犬が懐妊したようね」
「ええ。まだ確実ではありませんが、可能性は高いと思います」
「それで赤子が産まれたら、またこちらの家長が大騒ぎしそうだわ。どうして親筋の氏族しか雌犬を授かれないのかと、事あるごとに騒ぐのだもの」
今のところ雌犬というものは10頭しか買いつけていないため、スンを除く親筋の氏族に配分されることになったのだ。あとは子犬の生誕を見届けて、それを森辺でしっかりと育てられる算段が立てられたならば、他なる猟犬たちにも伴侶が与えられていく手はずになっていた。
「ラウ=レイは、ずいぶん猟犬に思い入れがあるみたいですもんね。家長会議でも、ずいぶん熱弁していましたよ」
「ふん。いっそ家長も、雌の犬を伴侶にしたらいいのじゃないかしらね」
ここ最近はともに城下町まで出向く機会も増えたというのに、ヤミル=レイは相変わらずラウ=レイに対して辛辣であった。
まあ、愛情表現の形は人それぞれである。今のところ、俺はヤミル=レイがラウ=レイ以外の相手と婚儀を挙げる姿を想像できていなかった。
そうして宿場町に到着したならば、今日も今日とて屋台の商売だ。
客入りは、本日も上々である。そして、日を重ねるごとに客足が微増していっている感が否めない。まだ料理の数を増やすほどの話ではないにせよ、売り切れの刻限がわずかずつ早まっていっている印象であるのだ。
ファの家が屋台を4台に増やしてからもうそれなりの日が過ぎているので、もはや売れ残りを心配する必要もない。そしてこの調子でいくと来月の復活祭にはどれほどの賑わいになるのかと、今から楽しみでならなかった。
そうして中天のピークが過ぎて、いくぶん客足が落ち着いてきた頃――見慣れた面々が、見慣れない組み合わせで登場した。ゲルドの料理番プラティカとダレイム伯爵家の料理番ニコラの仲良しコンビに、トゥラン伯爵家の従者サンジュラという組み合わせである。
「これはこれは、みなさんおそろいで。今日は何か、特別なご用事でも?」
「いえ。道中、行きあったのみです」
サンジュラが柔和な微笑とともにそう答えると、プラティカやニコラも普段通りの無表情と仏頂面でうなずいた。彼らは見知った仲であるが、さして交流は深められていないようであるのだ。
「ただ、私とニコラ、同じ用件、携えています。ルウ家の代表者、およびトゥール=ディン、面談、願います」
「え? それはどういうお話でしょう? ……ああ、いや、まとめて聞いたほうが早いですね。よければ、裏のほうにどうぞ」
そうしてサンジュラたちが屋台の裏側に回ってくる間に、俺はレイナ=ルウとトゥール=ディンを招集することになった。
「実はこのたび、城下町で目新しい催しが企画されています。それに森辺の方々をお招きすると同時に、大きな仕事を依頼したいという話であるのです。のちのちジェノス城から正式な使者が届けられるかと思いますが、その前に三族長の皆様に協議をお願いしたいとのことです」
そのように告げたのは、仏頂面のニコラであった。本日の彼女は、主人たるポルアースのメッセンジャーであったのだ。
「目新しい催しとは、何でしょう? 森辺の民に仕事を依頼したいということは、やはり料理にまつわる催しなのでしょうか?」
「料理ではなく、菓子の催しです。日中の茶会をより大きな規模として、貴婦人のみならず殿方もお招きするという内容で……発案者はジェノス侯爵家のエウリフィアであり、三伯爵家もそれに賛同し、協力する形となります」
ニコラの返答に、トゥール=ディンは瞳を輝かせて、レイナ=ルウはいくぶん残念そうな顔をした。
「でしたら、リミも呼んでおくべきでしたね。……その大規模な茶会というもので、森辺のかまど番に菓子を準備してほしいという依頼なわけですね?」
「はい。なおかつ、茶会の賓客としてもご招待したいとのことです。正式な人数はのちのち取り決めるとして、こちらからご招待を差し上げたい方々の名簿をお預かりしています」
そうしてニコラは、懐から取り出した紙面の名前を読み始めた。
「ご婦人は、トゥール=ディン嬢、ララ=ルウ嬢、リミ=ルウ嬢、ヤミル=レイ嬢、アイ=ファ嬢……殿方は、ゼイ=ディン殿、シン=ルウ殿、ルド=ルウ殿、ラウ=レイ殿、アスタ殿……以上、10名と相成ります」
「え? アイ=ファやヤミル=レイも含まれているのですか?」
「はい。そちらは賓客としてお招きしたいとのことです。多くの貴婦人が、ご両名との交流を望まれているようですね」
俺は「なるほど」と納得することになった。アイ=ファは以前から貴婦人がたの人気者であるし、ヤミル=レイもティカトラスの影響で2度ばかりも祝宴に招待されて、確固たる人気を博してしまったようなのである。
「承知しました。まずはその旨を、族長らにお伝えすればいいのですね? 他に何か、お聞きしておくべきことはありますか?」
「こちらからは、以上です」と、ニコラは横目でサンジュラのほうを見やった。
「リフレイア、森辺の方々の参席、願っています。……そして、もう一件、お願いしたい話、あります。アラウト、来訪のしらせ、あったため、晩餐会の準備、お願いできますでしょうか?」
「ああ、アラウトもまた来訪されるのですね。期日などもはっきりしたのですか?」
「はい。紫の月の1日です」
俺たちは、思わず顔を見合わせることになってしまった。
「申し訳ありません。その日だけは、ちょっと都合が悪いのです」
「はい。屋台の商売、支障、ありますか?」
「いえ、屋台の商売ではなくて……その日は森辺で、婚儀の祝宴なのですよね。まあ、現時点で参席が決定しているのは、俺とアイ=ファだけなのですけれども」
すると、サンジュラが穏やかな表情のまま少しだけ身を乗り出してきた。
「それは、めでたき話です。……リフレイアとアラウト、参席、難しいでしょうか? 以前、貴き方々、リリンとルウの婚儀、参席した、聞いています」
「うーん、それはどうでしょう……あ、今日は婚儀を挙げる御方の血族がいらっしゃるので、そちらから話をうかがってみましょうか」
本日はちょうど、フォウの女衆の出勤日であったのだ。黒の月の終わりから働き始めた彼女も最初の半月ほどで研修期間を終えて、今ではすっかり一人前であった。
「貴族の方々が、参席を願っておられるのですか? それを判ずるのは、フォウとヴェラの家長たちとなりますが……このたびは、いささかならず難しいように思います」
フォウの若い女衆は、申し訳なさそうな面持ちでそう言った。
「このたびは血族ならぬ男女の婚儀ということで、森辺の外から招くのはユーミとその付添人のみと取り決められているのです。これはただでさえ特別な婚儀となりますので、なるべく余計な手は加えないように取り計られるのではないかと……」
「承知しました。無理、通す気持ち、ありません。……また、この申し出、私個人、考えですので、リフレイアとアラウト、無関係である、思し召しください」
「そのおふたりのために、あなたが考えついたということですね? 承知しました。お力になれず、申し訳ありません」
フォウの女衆は穏やかな微笑を返してから、自分の持ち場に帰っていった。
ふっと息をつくサンジュラに、レイナ=ルウが問いかける。
「あの、どうしてサンジュラは、おふたりを森辺の婚儀に参席させてほしいと願い出たのでしょうか?」
「リフレイア、アラウトとともに、森辺の祝宴、参席したい、願っているためです。その思い、知っていたため、つい先走りました」
「ああ、そういうことですか」と、レイナ=ルウも微笑んだ。
「サトゥラス伯爵家のリーハイムも、かねてより森辺の祝宴に参じたいと仰ってくれていました。ここ最近は慌ただしかったもので、なかなか実現の運びとなりませんでしたが……いずれ親睦の祝宴などが開かれる機会はあるはずです。どうかそれまでお待ちいただけるように、リフレイアにお伝え願えますか?」
「承知しました。温情、感謝します」
そのように語るサンジュラは、どこか気恥ずかしそうな面持ちであった。彼にしては珍しい話だが、リフレイアのために逸った姿を見せてしまったことを照れているのだろうか。
ともあれ――どうやらフォウとヴェラの婚儀を見届けたのちにも、俺たちには慌ただしい日々が待ち受けているようであった。




