ひとかけらの想い(下)
2022.10/25 更新分 1/1
・今回の更新はここまでです。更新再開まで少々お待ちください。
そして、その日の夜である。
バルシャとミケルが自分たちの家に戻った後、コタ=ルウたちもそれぞれの寝所で身を休めることになった。
父たちはいまだ城下町から戻らないため、寝所はコタ=ルウと母と妹の3名のみである。祖母が付き添おうかと声をかけていたが、母は「いえ」と答えていた。
「最近はルディに乳をやるときも、コタは目を覚ましたりもしませんので、特に問題はないかと思います」
「それじゃああたしは、ジバに付き添うことにするよ。……こういう日は、やっぱりティト・ミンのいない手薄さを痛感させられちまうね」
祖母が最長老とともに眠るのなら、祖父はひとりで眠ることになる。でもきっと、祖父は立派な大人であるので寂しいこともないのだろう。今のコタ=ルウには、まだまだ真似のできない立派さであった。
そうしてコタ=ルウは、今日も母の温もりを感じながら安らかな眠りに落ち――
それからすぐに、大きな腕で抱えあげられることになったのだった。
「なんだ、起きちまったか。眠っていて、かまわんぞ」
コタ=ルウを抱えあげていたのは、祖父たるドンダ=ルウであった。
コタ=ルウがぼんやり周囲を見回すと、草籠を抱えた母が微笑んでいる。
「ダルムとシーラ=ルウの子が、産まれるようなの。わたしたちもそちらに向かわないといけないから、コタも一緒に来てくれる?」
コタ=ルウは「うん」とうなずいてから、祖父の固い髭に頬ずりをした。
祖父は「何をしてやがる」と苦笑しながら、寝所を出る。寝所の外には、杖を手にした最長老が待っていた。
「なんだ、自分の足で歩くつもりか? すぐに人をよこすから、車椅子とやらに座して待っていればよかろうに」
「杖さえあれば、どうってことないさ……さあ、ダルムたちの子を拝みに行こうじゃないか……」
そうしてルウ本家の一行は、連れだって家を出ることになった。
家の外は真っ暗で、行く手にかがり火が燃えている。そしてその火が、たくさんの人影を浮かびあがらせていた。
「……ばあは?」
「ミーア・レイは、シーラ=ルウのお産を手伝っている。男衆たる俺たちは、赤子が無事に産まれることを祈るのが役割だ」
祖父の落ち着いた声を聞きながら、コタ=ルウはとくとくと胸が高鳴るのを感じた。
ついに、新たな赤子が産まれるのだ。コタ=ルウが2歳の頃に家を出た、ダルム=ルウの子である。コタ=ルウにとっては、父の弟の子であった。
「おお、来たか。まさか、赤子や幼子まで連れてこようとはな。俺はてっきり、ドンダ=ルウが最長老を抱えてくるものと思っていたぞ」
かがり火の近くまで到着すると、古傷だらけの顔で笑いかけてくる者があった。分家の家長、ディグド=ルウである。ドンダ=ルウの弟の子であるという彼も、最近は晩餐の場で語られることが多かったので、コタ=ルウは名前を覚えることができていた。
「さあ、最長老は転んで手傷を負う前に、こちらの敷物で身を休めるがいい。赤子が出てくるまで、まだいくばくかは時間がかかろうからな」
そんな風に言いながら、ディグド=ルウは最長老の手をそっと取って、敷物まで導いた。ディグド=ルウはいつでも火のように猛々しい空気を纏っていたが、血族を思いやる気持ちに変わりはなかった。
コタ=ルウも最長老の隣におろされて、さらに草籠を抱いた母もその隣に膝を折る。かがり火の周りで騒がしくしているのは、おおよそ分家の男衆であった。
祖父はそれらの男衆といくばくかの言葉を交わしたのち、コタ=ルウたちのもとに戻ってくる。ただ敷物に座ろうとはしなかったので、コタ=ルウは祖父の腰巻きの裾を引っ張ることになった。
「じい。ディグド=ルウ、とう、あかちゃんとおんなじ?」
「うん? 何を言ってやがるんだ?」
祖父は身を屈め、コタ=ルウの顔を覗き込んでくる。
コタ=ルウは言葉を探したが、それよりも早く母が説明してくれた。
「これから産まれてくる赤子はジザにとって、家長ドンダにとってのディグド=ルウと同じ立場になるのかと問うているのではないでしょうか? つまり、弟の子という意味においてです」
「それは確かにその通りだろうが……だったら、何だっていうんだ?」
「ジザとディグド=ルウの関係が、自分と新たな赤子の関係と同一である――ということを確認したかったのだと思います」
母に視線を向けられたので、コタ=ルウは「うん」とうなずいてみせた。
祖父は息をつきながら、コタ=ルウの頭を指先でかき回してくる。
「そんなことに気を回す幼子も大概だし、あれだけの言葉でそいつを察する母親も同様だな。やっぱりこいつは、母親似であるのだろうよ」
「余計な話に気を回すのは、わたしの血筋であるのかもしれませんね。でもコタには、余計な話に確かな意味を見出せるジザの明敏さも備わっているように思います」
そう言って、母もコタ=ルウの頭を撫でてくれた。
祖父と母の温もりに包まれて、コタ=ルウは幸福な心地である。そうして心が安らいだせいか、コタ=ルウはいつしか眠りに落ちており――それが、赤子の泣き声によって破られることになったのだった。
「産まれたようね。とても元気な泣き声だわ」
母の手が、コタ=ルウの手をきゅっとつかんでくる。
コタ=ルウが身を起こすと、そこは祖父の膝の上であった。
「ああ、ここにいたのかい。とても元気な男の子だよ。シーラ=ルウも元気そうだから、みんな挨拶をしてあげておくれ」
やがて家から出てきた祖母が、そんな言葉を投げかけてきた。
コタ=ルウは祖父の腕に抱かれ、最長老は祖母に手を取られ、妹の草籠は母の腕に抱かれ――それぞれダルム=ルウの家へと上がり込んでいく。
ダルム=ルウの家には、すでにたくさんの人間がいた。シーラ=ルウの両親とシン=ルウを除くふたりの弟たち、そしてミダ=ルウである。
それらの人々に囲まれて、ダルム=ルウとシーラ=ルウが座しており――そして、シーラ=ルウの腕に新たな赤子が抱かれていた。
赤子は、火がついたように泣いている。
ルディ=ルウが産まれたときよりも、元気な泣き声であるようだ。
そんな泣きわめく赤子を抱きながら、シーラ=ルウはとても幸福そうであった。
「みなさん、お待たせいたしました……多くの血族の助けにより、無事に子を取り上げていただくことがかないました」
赤子の泣き声にかき消されそうな声で、シーラ=ルウがそう言った。
ルディ=ルウを産んだときの母も、これぐらい弱った姿であったのだ。ただし、どれだけ力を失っていようとも、幸福な気持ちが上回るようであった。
寝具の上に座したシーラ=ルウの身を、ダルム=ルウが横からそっと支えている。その眼差しにも、幸福な気持ちがあふれかえっていた。だからコタ=ルウも、同じぐらい幸福な気持ちであった。
「ああ、ものすごい泣き声だねぇ……あんたが産まれた日のことを思い出しちまうよ、ダルム……」
最長老がそのように呼びかけると、ダルム=ルウは「そうか」と静かに応じた。
「こやつは俺と同じような、青い瞳をしているようだ。俺のように気性が荒かったら、それを育てるのも大変な苦労になりそうだな」
「どんな赤子でも苦労はさせられるし……それよりも大きな喜びを得られるんだから、どうってことないさ……本当に、ダルムが赤ん坊の頃にそっくりだねぇ……」
赤子はものすごい声で泣いているが、涙までは流されていない。そういえば、ルディ=ルウが産まれたときも涙はこぼしていなかったようであるのだ。もしかしたら、産まれたての赤子というのはどれだけ泣いても涙をこぼさないものであるのかもしれなかった。
それはともかくとして――ついに、ダルム=ルウの子が産まれたのだ。
コタ=ルウにとっては、父の弟の子である。コタ=ルウが父ぐらい大きくなったときには、この赤子もディグド=ルウぐらい大きくなっているのだ。そんな風に考えると、とても不思議な心地であった。
しかしまた、コタ=ルウはそれ以上に幸福な心地である。
それは、この場に集まった人々が織り成す温かい空気のおかげであった。
ルウの集落には、いつでも温かい空気が満ちている。そして新たな赤子が産まれたときには、それがいっそうの温もりを得るようなのである。
ただその中で、ひとりだけ涙をこぼしている者がいた。
シン=ルウ家の家人、ミダ=ルウである。誰よりも大きな姿をしたミダ=ルウは人々の端に控えながら、ぽろぽろと大粒の涙をこぼしてしまっていた。
「ミダ=ルウ、だいじょうぶ?」
コタ=ルウがそのように呼びかけると、ミダ=ルウは「うん……」と頬肉を震わせた。
するとシーラ=ルウが、赤子を見つめるのと同じぐらい優しい眼差しでミダ=ルウのほうを見る。
「ミダ=ルウも手を清めたのでしょう? よかったら、この子を抱いてあげてください」
「ううん……ミダは、力加減が苦手だから……赤ん坊には、さわりたくないんだよ……?」
「それじゃあもっと近くから、この子の姿を見てあげてください」
リャダ=ルウとタリ=ルウが立ち上がって場所を空け、小さなほうの弟がミダ=ルウの腕を引っ張った。
ミダ=ルウがシン=ルウ家の家人となったのはシーラ=ルウが家を出てからのこととなるが、その前もその後もずっと同じ場で晩餐を取る立場であったのだ。今日の夜だって、ミケルたちが手伝ってこしらえた晩餐をシーラ=ルウたちと同じ場で口にしたはずであった。
そうしてシーラ=ルウのかたわらまで引っ張られたミダ=ルウは、肉にうもれた目で赤子の泣き顔を見下ろし――また大きな涙をこぼしてしまう。その姿に、シーラ=ルウはやわらかく微笑んだ。
「わたしたちの子の生誕にそれほどの思いを寄せてくれて、ありがとうございます。……ミダ=ルウはかつて、妹たるツヴァイ=ルティムの生誕を見届けていたのですよね?」
「うん……でも、ミダは遠くの家にあずけられてたから、あんまり覚えてないんだよ……? それに……あの頃のミダは、食べてるときだけ幸せな気持ちだったから……妹の産まれる嬉しさもわからなかったんだよ……?」
「そうですか。そんなミダ=ルウが血族の増える喜びを抱けるようになったのなら、それは素晴らしいことですね」
ミダ=ルウが「うん……」とまた頬肉を震わせたとき、その姿を横から見守っていた祖父がうろんげに顔を上げた。
「外が騒がしくなってきやがったな。ようやく城下町に出向いていた連中が戻ってきたようだ」
「あらあら。そうしたら、こっちもいっそう騒がしくなっちまうね」
それからほどなくして、コタ=ルウの家族たちが広間に駆け込んできた。
父のジザ=ルウと、その弟妹たち――ルド=ルウ、レイナ=ルウ、ララ=ルウ、リミ=ルウの4名に、そしてシーラ=ルウの弟たるシン=ルウだ。その中で真っ先に喜びの声をあげたのは、ララ=ルウであった。
「わー、おっきな泣き声! リミが産まれたときみたい!」
ミダ=ルウがすぐさま腰を上げると、空いた場所にララ=ルウとシン=ルウが座り込み、一緒に赤子の顔を覗き込んだ。
そしてコタ=ルウのもとには、父が身を寄せてくる。
「コタも来ていたのか。眠かろうに、立派だな」
父の大きくて温かい手が、コタ=ルウの頭を撫でてくれる。コタ=ルウはいっそう幸福な心地になりながら、「うん」とうなずいてみせた。
そうしてララ=ルウたちが騒いでいると、赤子のほうが静かになっていく。まるで騒ぐ役目をララ=ルウたちに譲ったかのように、赤子はすうすうと眠り始めた。
「わー、寝ちゃった。ほんとに可愛いねー。すごくちっちゃいけど、ルディが産まれたときよりは大きそうだねー」
「この子は男の子なんでしょ? だから、ルディより大きいんだよ。コタも最初はこれぐらいだったと思うもん」
リミ=ルウと一緒に騒いでいたララ=ルウが、ふっとかたわらのシン=ルウを振り返る。
「おめでとう、シン=ルウ。シーラ=ルウの子が無事に産まれて、本当によかったね」
「うむ」と応じるシン=ルウも、幸福そうに目を細めている。するとララ=ルウはにこにこと笑いながら、涙をこぼしてしまった。
シン=ルウやシーラ=ルウもドンダ=ルウの弟の子であるのだから、ディグド=ルウと同じ立場であるのだ。そして、父たるジザ=ルウと同じ立場であるララ=ルウは、シン=ルウたちと深く絆を結んでいる。であれば――同じ関係になるコタ=ルウとこの赤子も、同じぐらい深い絆を結ぶ可能性があるということであった。
そうだからこそ、最長老はこの赤子を大切にするようにとコタ=ルウに言いつけていたのであろうか。
あるいは、最長老の言いつけ通りに幼い頃から慈しみ合っていたからこそ、これほど深い絆を結べるのであろうか。
そんな気持ちを抱え込みながら、コタ=ルウはシーラ=ルウの腕で眠る赤子と草籠で眠るルディ=ルウの姿を見比べることになった。
「そーいえば、家の外ではアイ=ファやアスタたちも待ってるんだよー。挨拶は、明日のほうがいいかなー?」
やがてリミ=ルウがそのように問いかけると、シーラ=ルウは「いえ……」と穏やかに応じた。
「今のところ、わたしにも赤子にも問題はないようです。よろしければ、ご挨拶をさせていただきたく思います」
「それじゃあ、呼んでくるね!」とリミ=ルウが玄関のほうに駆け出していくと、ドンダ=ルウもその後を追った。
そうしてリミ=ルウはすぐに戻ってきてダルム=ルウの腕を抱きすくめたが、ドンダ=ルウはそのまま家を出ていってしまう。そしてそれと入れ替わりに、アスタとアイ=ファとシュミラル=リリンが姿を現したのだった。
「シーラ=ルウ、ダルム=ルウ、おめでとうございます。……とても元気そうな赤ちゃんですね」
そのように語るアスタは、声が震えてしまっていた。
そうしてシーラ=ルウたちと語っている内に、アスタはぽろぽろと涙をこぼしてしまう。コタ=ルウは朝からずっとアスタに会いたいと願っていたのでとても嬉しかったのだが、とたんに心配な心地になってしまった。
ミダ=ルウやララ=ルウも涙をこぼしていたが、それはシーラ=ルウやダルム=ルウの家族であるからだ。正確に言うとミダ=ルウはシン=ルウ家の家人であったが、長きにわたってシーラ=ルウたちと晩餐をともにしていたのなら家族同然の絆が結ばれてもおかしくはなかった。
しかしアスタは、家族どころか血族でもない。もちろんアスタはコタ=ルウや母のことも家族と同じぐらい大切にしてくれたので、シーラ=ルウたちのことも同じぐらい大切にしていたのかもしれないが――それにしても、涙を流すほど心を乱すというのは、よほどのことであった。
「……アスタ、だいじょうぶ? ないてるの?」
そうしてコタ=ルウが声をかけてみると、アスタは気恥しそうに微笑みながら涙をぬぐった。
「大丈夫。これは嬉し涙だからね。……コタ=ルウも、こんな遅くにお祝いに来たんだね」
それはいつも通りの、アスタの優しい声と笑顔であった。
だからコタ=ルウもほっとして、「うん」と笑顔を返すことができた。
アイ=ファはとても心配そうに、シュミラル=リリンはとても優しそうに、それぞれアスタの姿を見守っている。そしてアスタ自身は、あらためて赤子の寝顔へと視線を向けていた。
その黒い瞳に宿されているのは、やはり果てしなく優しげな光である。
それはかつて、コタ=ルウに向けられた眼差しと同じものであった。コタ=ルウが祝福の牙を捧げたとき、アスタはこういう眼差しでコタ=ルウのことを見つめ返してくれたのだ。
アスタもコタ=ルウと同じぐらい、新しく産まれた赤子のことを大切に思ってくれている。
だからコタ=ルウは、これまで以上に幸福な気持ちを抱くことができた。
(でも……なんでだろう)
コタ=ルウは、心の中にあぶくのような疑問が浮き上がるのを感じた。
しかし、考えがまとまらない。その場にはとても安らいだ温もりが満ちているためか、コタ=ルウを眠くさせてやまなかったのだった。
そうしてコタ=ルウは、いつしか眠りに落ちてしまい――気づくと、周囲が明るくなっていた。
びっくりして周囲を見回すと、ダルム=ルウの家ではなく自分の家の寝所である。同じ寝具では父が眠っており、母は妹に乳をあげていた。
「あら、コタはもう起きてしまったのね。昨日は遅かったのだから、もっと寝ていてかまわないのよ」
「ううん。コタ、ききたいことがあるの」
「まあ、朝からどうしたの? ……今はジザが眠っているから、お話は広間に移ってからにしましょうね」
「うん。さき、いってる」
コタ=ルウは音をたてないように気をつけながら戸板を開き、ひとりで広間に向かうことにした。
しかしそこには、誰の姿もない。みんな朝の仕事に出かけてしまったのだろうか。
しかたないので、コタ=ルウはひとつずつ寝所を巡ることにする。
ドンダ=ルウとルド=ルウは、それぞれの寝所で眠っていた。
レイナ=ルウたちの寝所には、誰の姿もない。
そして、最長老の寝所では――部屋の主が、敷物の上に座していた。
「おや、コタはひとりかい……? リミはもう、朝の仕事に向かっちまったよ……」
「うん。ジバ、おはなししてくれる?」
「うん……? なんの話をしたいんだい……?」
「あのね。コタ、ふしぎなの」
そんな風に言ってから、コタ=ルウは昨晩眠りに落ちる寸前に思い浮かんだ疑問を、懸命に思い出すことになった。
「えっと……アスタ、ないたのが、うれしかったの。なんでだろう?」
「アスタが、泣いた……? それは、昨日の夜の話かい……? アスタだけじゃなく、ララやミダ=ルウも泣いていたようだけど……」
「うん。でも、アスタのほうがうれしかったの。なんでだろう?」
「ああ……」と、ジバ=ルウはやわらかく微笑んだ。
「それはアスタが、血族ならぬ身であるからじゃないかねぇ……ララやミダ=ルウはダルムやシーラ=ルウと縁の深い血族だけど、アスタは血族じゃないから……それが特別に感じられるのかもしれないねぇ……」
「とくべつ、なんで?」
「あたしたちは、家族や血族を大切にするようにと習っているだろう……? だから、家族や血族のことを大切にするのも、当たり前のことなのさ……もちろん、すべての血族と同じぐらい絆を深められるわけではないけれど……同じ家や同じ集落で過ごしていれば、情は通いやすいものだし……相手が血族であれば、遠慮なく心をゆだねられるだろうから……やっぱり絆は深めやすいと思うんだよねぇ……」
「うん。でも、コタはアスタのこと、かぞくとおなじぐらい、たいせつ」
「そう……そしてそれは、アスタのほうも同様なんだろうねぇ……アスタはルウの人間を、家族や血族のように大切にしてくれるから……こっちも同じぐらい、心をゆだねられたんだと思うよ……」
それはもちろん、間違いのないことである。
よって、コタ=ルウが知りたいのは、その先の話であった。
「それで、アスタが特別に感じられるのは……やっぱり血族でもないのに、それほどの心を寄せてくれるからじゃないかねぇ……森辺の民は血族だけではなく、同胞のすべてを慈しむべきだって、そんな風に言われているけれど……アスタは自らの身で、それを体現してくれているんだよ……」
「たいげん……」
「アスタはそもそも、森辺の民ですらなかった……それなのに、同胞と同じぐらいの強い気持ちで、森辺の民のことを愛してくれている……アスタはルウの血族ばかりじゃなく、すべての森辺の民に心を寄せようとしているんだよ……あたしたちはたまたま古い時代からアスタと知り合うことができたんで、こうして深い絆を結ぶことができたけど……今ではもう、近在の氏族やザザやサウティとも、深い深い絆を結べているはずさ……そうしてさらに、アスタは町の人間たちとも深い絆を結んでいる……それはものすごく大変なことだし、簡単に真似ることはできないはずだよ……」
そこまで言ってから、ジバ=ルウはコタ=ルウの頭を撫でてくれた。
「つまりね……あたしたちは、アスタに選ばれたことが嬉しいんじゃないかねぇ……」
「えらばれた?」
「そう……あたしやコタが血族であるのは、母なる森の御心さ……ジザとサティ・レイの間にコタやルディが産まれて、ダルムとシーラ=ルウの間に赤子が産まれたのも、みんな森の導きだろう……? あたしたちは森の導きによって血族となり、おたがいを慈しんできた……でも、アスタは自分自身の意思で、あたしたちを友に選んでくれたのさ……もちろんそれだって、母なる森や父なる西方神の導きであったんだろうけど……最後に決めたのは、アスタなんだよ……」
そう言って、ジバ=ルウは遠くの何かを見透かすように目を細めた。
「アスタがこの地で初めて出会ったのは、森辺の民であるアイ=ファだった……でもアスタは、ひと月も経たない内に宿場町まで下りたっていう話だから……そこで、真実を知ったはずなんだよ……」
「しんじつ?」
「そう……あの頃の森辺の民は、町の人間に忌み嫌われていた……そして町には、アスタによく似た人間がたくさんいた……アスタはどこかの町で生まれ育ったっていう話だから、森辺の民よりも町の人間に似ているはずなのさ……それでもアスタは宿場町に移り住みたいと願い出ることもなく、森辺の集落に留まってくれた……自分によく似た町の人間じゃなく、自分とは似ても似つかない森辺の民の同胞になりたいと願ってくれたのさ……そうしてアスタは血の縁なんて関係なく、ただあたしたちをひとりの人間として見て、好ましく思ったから、同胞として、友として見なしてくれた……それが、他の血族との違いなんじゃないのかねぇ……」
ジバ=ルウの言葉は難しかったが、それでもコタ=ルウは何とか理解できたような気がした。
確かにアスタが、コタ=ルウを友として選ぶ特別な理由はなかったはずだ。コタ=ルウは3歳の幼子に過ぎず、アスタとそうまで長き時間をともにしているわけでもなかったし――また実際、コタ=ルウも妹が産まれるまではアスタのことを「古くから名前を知っている相手」としか認識していなかった。
そんなコタ=ルウがアスタと絆を深められたのは、アスタの側から寄り添ってくれたためである。母のことで気落ちしていたコタ=ルウに救いの手を差し伸べてくれたからこそ、コタ=ルウはアスタのことを家族と同じぐらい大切な存在と見なすことになったのだった。
そうしてアスタは、ダルム=ルウとシーラ=ルウの子の生誕に、涙を流すほど喜んでくれた。
きっとアスタは、あの赤子にも優しく手を差し伸べてくれるのだろう。
コタ=ルウには、それが特別に嬉しく感じられたのかもしれなかった。
「おや、コタはここにいたのかい。これからダルムたちの様子を見に行こうかと思うんだけど、あんたもどうだい?」
やがてジバ=ルウの寝所にやってきた祖母が、そんな言葉をかけてくれた。
コタ=ルウはもういっぺん赤子の姿を目にしておきたかったので、それに従うことにする。そうしてダルム=ルウの家で赤子の寝顔を見守っていると、ララ=ルウが息せき切って駆けこんできたのだった。
「あー、いたいた! リリンでも赤子が産まれたっていうから、みんなで挨拶に行こうよ! ミーア・レイ母さんもコタも、荷車に乗っちゃって!」
そんな風に言ってから、ララ=ルウはダルム=ルウたちに笑いかけた。
「ダルム兄たちも行きたいだろうけど、そっちの赤子がもう少し落ち着かないとね! まったくもー、同じ夜に赤子が産まれるなんて、ヴィナ姉とダルム兄はほんとに仲良しだね!」
「仲の良さなど関係あるか」とダルム=ルウは苦笑していたが、それはとても穏やかな表情であった。赤子の草籠を揺らすシーラ=ルウも、同じ穏やかさで微笑んでいる。
「ヴィナ・ルウ=リリンも、昨晩に子を産み落とすことになったのですか。……いずれ赤子たちをひきあわせる日を楽しみにしていると、そのようにお伝えください」
「うん、りょーかい! さ、ミーア・レイ母さんたちは、さっさと荷車に乗っちゃってよ! あたしは、後から追いかけるから!」
そうしてコタ=ルウは、ひさびさに荷車に揺られることになった。
なんと、リリンの家に嫁いだヴィナ・ルウ=リリンも同じ夜に子を産むことになったのだ。それもまた、コタ=ルウにとってはダルム=ルウ家の赤子と同じ立場の存在であった。
ジザ=ルウにとってのディグド=ルウのように、ララ=ルウにとってのシン=ルウのように――事と次第によれば、ダルム=ルウにとってのシーラ=ルウのように――コタ=ルウは、それらの赤子たちと絆を深めていくことになるのである。それこそが、母なる森の導きであるのだった。
やがてリリンの家に到着すると、そちらに新たな赤子が待ち受けている。
父たるシュミラル=リリンと同じ髪色をした、とても小さな赤子である。女児であるためか、ダルム=ルウ家の赤子よりもさらに小さいようだ。
それに、コタ=ルウがこれまで目にしてきた赤子たちよりも、肌の色が大人に近いように感じられる。それもまた、他の同胞より肌の色が濃いシュミラル=リリンの血筋なのだろうか。ただし、顔立ちなどはヴィナ・ルウ=リリンの赤子の頃にそっくりだという話であった。
「この子があんたみたいに育ったら、また血族の男衆を惑わしちまうかもしれないねぇ。あんたが断った婚儀の数は、両手の指でも足りないぐらいだもんねぇ」
「やあねぇ……伴侶や子供の前で、おかしなことを言わないでよぉ……」
「問題、ありません。ヴィナ・ルウ、美しい、事実ですので。その美しさ、受け継げれば、幸いでしょう」
ヴィナ・ルウ=リリンらがそんな言葉を交わしていると、リリンの家長が陽気な声をあげた。
「では、うちの長兄も惑わされるひとりになるやもしれんな。……あるいはそちらの長兄も危ういかもしれんぞ」
そちらの長兄とは、どうやらコタ=ルウのことのようである。
なおかつ、大人たちは赤子の行く末について語らっているようだ。コタ=ルウとこちらの赤子が、ダルム=ルウやシーラ=ルウのように婚儀を挙げることになるかもしれない――と、そういう意味であるようだ。
だからコタ=ルウは、「ううん」と首を振ってみせた。
「たぶん、コタじゃない。アスタとアイ=ファのこだとおもう」
コタ=ルウのそんな言葉に、大人たちがどよめいた。
「そ、そいつは何の話だい? アスタやアイ=ファがどうしたって?」
「そのこ、こんぎのはなしでしょ? アスタ、シュミラル=リリンとなかよしだから。こどもたち、こんぎをあげたら、うれしいとおもう」
「コタ、あんた……よくあれだけの言葉で、婚儀の話だなんてわかったもんだねぇ」
祖母が呆れ返った様子で息をつくと、母がくすくすと微笑をこぼした。
「コタはまだまだ言葉が覚束ないですけれど、人の言葉を理解することには長けているようなのです。……でもね、コタ。アスタやアイ=ファの前で、今のような話をしては駄目よ?」
「なんで?」
「余所の氏族の婚儀について、口出しをしてはいけない習わしがあるの。コタだって、アスタたちを困らせたくはないでしょう?」
「うん」と、コタ=ルウはめいっぱいの力でうなずいてみせた。
「コタ、アスタをこまらせたくない。だから、ぜったいいわないよ」
「そう。コタはいい子ね」
母は優しく、コタ=ルウの頭を撫でてくれた。
そして、リリンの家長は金色の頭をした伴侶に腕を引かれている。
「家長。幼子相手の軽口は、内容を選ぶべきでしょう……親筋たるルウ家に、いらぬ世話をかけてしまいました」
「うむ。しかも、族長の座を担う本家の面々にな。どうか容赦を願うぞ、ドンダ=ルウにジザ=ルウよ」
リリンの家長は目もとの笑い皺を深くしながら、祖父や父に頭を下げた。
そうしてしばらく語らっていると、玄関の戸板が外から叩かれる。他の家族やアスタたちが到着したのだ。
戸板をくぐったアスタは、すでに目もとを涙で光らせていた。
やはりアスタはこちらの赤子にも、惜しみなく心を寄せていたのだ。アスタはシュミラル=リリンにもヴィナ・ルウ=リリンにも強く心を寄せていたようなので、それも当然の話であった。
しかしコタ=ルウは、昨晩と同じように嬉しかった。
ジバ=ルウとの語らいで疑問が溶けたためか、いっそう嬉しさがつのるぐらいであった。
「さて。それじゃああたしらは、いったん席を譲ろうか。あんたたち、赤子に触れる前にきちんと手を清めるんだよ」
リリンの家はルウの家ほど広くなかったので、先にやってきた7名はいったん席を譲ることになった。
祖父の腕に抱えられたコタ=ルウはアスタとすれ違いざまに「だいじょうぶ?」と言葉を投げかける。アスタは昨晩と同じように涙をぬぐいながら、「うん」とうなずいた。
「大丈夫だよ。いっぺんにふたりも従兄弟を迎えることになって、コタ=ルウは幸せだね」
コタ=ルウはまぎれもなく幸せであったので、「うん」と笑顔を返すことになった。
ダルム=ルウのもとにもヴィナ・ルウ=リリンのもとにも赤子が産まれて、ルウは2名の新たな血族を得た。そしてそれはコタ=ルウと血が近く、これから長きの時間を過ごす相手であるのだ。その大切さは、ジバ=ルウや他の家族たちからさんざん言い聞かされていた。
そしてアスタの存在が、コタ=ルウをさらに幸福な心地にしてくれる。新たな赤子が産まれたことにより、コタ=ルウはまたアスタの大切さを思い知らされた心地であった。
コタ=ルウが忘れたくないと願ったのは、こういう出来事の数々であったのだ。
祖母やミケルは3歳の頃のことを覚えていないという。だからコタ=ルウも大きくなったら、今日の出来事を忘れてしまうかもしれない。
しかしその気持ちだけは消えずに、自分の心を作っていくのだと、祖母はそんな風に言っていた。
コタ=ルウがいま心に抱いている、アスタへの思い――家族への思いや、新たな赤子たちへの思い――それらが層を織り成して、コタ=ルウという人間を形成してくれるという話なのである。
それなら、コタ=ルウは幸福であった。
たとえ今日の出来事を忘れてしまっても、気持ちが心に残されるのなら――それはまぎれもなく、今のコタ=ルウと同じ存在だ。まったく記憶が残されていない赤子の頃から、いずれ魂を返すその日まで、コタ=ルウはコタ=ルウとして生きられるということであった。
コタ=ルウを抱いてくれている祖父の腕の温もりも、草籠を抱きながらこちらを見つめている母の眼差しも、無言のままにすぐそばを歩いてくれている父の気配も、楽しそうに語らう祖母たちの笑い声も――優しく頬を撫でる風の感触も、温かく降り注ぐ日差しの熱も、リリンの集落に満ちた穏やかな空気も――何もかもが、コタ=ルウを作りあげるための大切なひとかけらであった。
そして――たとえコタ=ルウがこれまでのことをすべて忘れてしまったとしても、すでに大人である者たちは忘れたりしないはずだ。
大切な家族や友たちの中で、幼きコタ=ルウの存在はいつまでも残される。そんな風に考えると、コタ=ルウはいっそう幸福な気持ちになれるのだった。




