ひとかけらの想い(中)
2022.10/24 更新分 1/1
コタ=ルウとアスタが絆を結んだ収穫祭の日から、半年ほどの月日が過ぎ去って――藍の月がやってきた。
コタ=ルウが最長老ジバ=ルウと時間の概念について語らったのは、この藍の月のことである。ジバ=ルウの言葉はあまりに難解に過ぎたが、しかしコタ=ルウはある一点において深い理解と喜びを得ていた。
コタ=ルウが初めて世界をくっきりと認識するきっかけになった、あの不思議な体験――美味なる料理を作りあげたのは、他ならぬアスタであったのだ。
コタ=ルウが1歳と4ヶ月の頃、ルウの家に滞在していたアスタが、晩餐をこしらえた。その煮汁をすすったコタ=ルウは大きな衝撃を受け、それでさまざまな感覚を呼び起こされたようなのである。
それから2年ほどの歳月が過ぎ去って、コタ=ルウはアスタの友になることができた。母のために美味しい料理を準備してくれたアスタに祝福の牙を捧げて、確かな絆を結ぶことがかなったのだ。まだ手の平にすくえるぐらいの思い出しか持っていないコタ=ルウの中で、それらのふたつの出来事はきわめて大きく、そして大切な記憶であったのだった。
それから半年ほどの時間が過ぎて、現在のコタ=ルウは3歳と9ヶ月という齢になる。
あと3ヶ月もすれば、コタ=ルウの4度目となる生誕の日がやってくるのだ。10まで数えることのできるようになったコタ=ルウは、その長さをぼんやりとだが知覚できるようになっていた。
母はすっかり元気になり、妹のルディ=ルウもすくすくと大きくなっている。彼女は収穫祭の前の月に産まれているので、0歳と7ヶ月という齢であるのだ。まだ草籠から出してもじたばたと動くことしかできない彼女であるが、もうしばらくしたらひとりで這いずったり、よちよちと歩くこともできるようになるはずだという話であった。
ただコタ=ルウは、妹の姿を見ていると奇妙な気分になることがある。
0歳と7ヶ月――コタ=ルウには、その頃の記憶というものがないのだ。
では、妹もコタ=ルウぐらいの齢になったとき、この頃のことを覚えていないのだろうか。
コタ=ルウが頬をつっついたり頭を撫でたりすると、妹はとても嬉しそうに笑ってくれるのに――これも、記憶に残されないのだろうか。
だとすると、コタ=ルウもまったく記憶が残されていない赤子の頃、こうして泣いたり笑ったりしていたのだろうか。
自分が何も覚えていない時代から、自分はこの世に存在した。そんな風に考えると、コタ=ルウはものすごく奇妙な気分になってしまうのだった。
そうして奇妙な気分になったとき、コタ=ルウは大人たちと語らうようにしている。そして、語らう機会が多いのは、母か祖母か曾祖母か最長老だ。幼いコタ=ルウのそばにいてくれる時間が長いのは、それらの4名なのである。ただし、曾祖母のティト・ミン=ルウは藍の月になる前ぐらいから、ずっとリリンの家に出向いてしまっていた。
「ヴィナのところにも、もう少しで赤子が産まれるはずだからね。ティト・ミンが戻ってくるまで、もう少しの辛抱だよ」
その日、コタ=ルウのそばにいてくれたのは祖母のミーア・レイ=ルウであった。母は妹に乳をやるため寝所に向かったので、今は広間でコタ=ルウとふたりきりである。
「ばあ。ルディはきょうのこと、わすれちゃうの?」
「うん? 今日のことって、なんの話だい?」
「ぜんぶ。コタ、あかちゃんのころ、おぼえてないから」
コタ=ルウは、まだまだ大人のようにたくさんの言葉を喋ることができない。
しかし祖母はすべてをわきまえた様子で、「ああ」と笑ってくれた。
「前にも言ったけど、あたしなんて3歳の頃のことも覚えちゃいないよ。5歳になって、初めて収穫祭を目にしたときのことなんかは、今でもはっきり覚えてるんだけど……それより前の話となると、何もかもがぼんやりしちまってるんだよねぇ」
「コタも、いっさいのまえ、わかんない。……ううん、いっさいとよんかげつのまえ、わかんない」
「ああ、コタは初めてアスタの料理を食べたときのことを覚えてるって話だったね。それぐらいびっくりすることがあったら、きっと忘れずにいられるんだろうねぇ」
「……じゃあ、ルディはわすれちゃう?」
「うーん、どうだろう。それはルディが大きくなってから、本人に聞くしかないだろうねぇ」
それは、もっともな話である。
しかしコタ=ルウは、そこで新たな不安を抱え込むことになってしまった。
「……コタも、わすれちゃう?」
「うん? 今度は、なんの話だい?」
「ばあ、さんさいのころ、おぼえてない。じゃあ、コタがばあぐらいおっきくなったら、いまのこと、わすれちゃう?」
「ああ、そういうことかい。それもコタが大きくなってみないと、確かめようのないことだけど……」
と、ミーア・レイ=ルウはコタ=ルウの頭を優しく撫でてくれた。
「でもね、たとえ幼い頃の話を忘れてしまっても、そのときの気持ちはしっかり心に残されると思うよ。楽しい気持ちも悲しい気持ちも、コタの中にしっかり残されて……それがコタ=ルウっていう人間を作っていくんだと思うんだよねぇ」
「……よくわかんない」
「あはは、そりゃそうだ。たとえば……ルディが産まれてしばらくは、サティ・レイもつらそうにしていただろう? あのとき、コタはどんな気分だった?」
「すごくかなしかった」
「そうだよね。コタはサティ・レイのことが大切だから、すごく悲しかったんだ。それでもしも、サティ・レイが苦しんでいたことをコタが忘れてしまったとしても……サティ・レイを苦しめちゃいけないっていう気持ちだけは、コタの中にきちんと残されると思うんだよねぇ」
そう言って、ミーア・レイ=ルウはいっそう優しげな微笑みをたたえた。
「きっと人の心っていうのは、そういう気持ちが積み重なって、できあがっていくんだよ。だからコタは何も心配せずに、自分の気持ちを大切にしな。楽しい気持ちも悲しい気持ちも、あんたっていう人間を作りあげるための大切な糧なんだからね」
やはり幼いコタ=ルウには、ミーア・レイ=ルウの言葉を正しく理解することも難しかった。
ただ、「気持ちは残る」という言葉が、コタ=ルウの不安を消してくれる。コタ=ルウが忘れたくないと願ったのは、家族や血族やアスタを大好きだと思う気持ちであったのだ。
コタ=ルウには、大切な相手がたくさんいた。
もちろん家族は、全員が大切な相手である。
分家や眷族の人間は、まだ名前も覚えきれていない相手がほとんどであったが――ダルム=ルウと婚儀を挙げたシーラ=ルウや、シーラ=ルウの弟でララ=ルウと仲良くしているシン=ルウや、まだ名前を覚えていないふたりの弟たちや、ドンダ=ルウの弟であるというリャダ=ルウや、その伴侶であるタリ=ルウや、スンという家から引き取られたというミダ=ルウは、みんなみんな大好きだった。
あとは眷族でも、名前を覚えている相手が何名か存在する。ラウ=レイは昔からしょっちゅうコタ=ルウと遊んでくれたし、他の家族と仲良しであるダン=ルティムもずいぶん昔から顔と名前を覚えることができた。あとは――ゼディアス=ルティムが産まれたときに、ガズラン=ルティムやアマ・ミン=ルティムの名前を覚えることができた。ゼディアス=ルティムはいずれコタ=ルウとともに血族を導いていくことになるのだから仲良くするのだよと、ジバ=ルウからそのように言いつけられていたのだ。
そして――血族ならぬ相手としては、アスタとアイ=ファとターラである。
時間を重ねるごとに、アスタのことはますます大切になっていた。
アイ=ファはアスタほど顔をあわせる機会はないが、それでも家族の次に名前を覚えた特別な存在だ。それに、アスタやジバ=ルウやリミ=ルウがアイ=ファを大切にしているので、コタ=ルウも自然にアイ=ファを大切な存在だと思うようになった。
ターラはリミ=ルウがしょっちゅう名前を出していたので、いつの間にかコタ=ルウも名前を覚えていた。それに、ターラがルウ家を訪れた際にはいつもコタ=ルウと遊んでくれたので、自然に仲良くなることができた。
それ以外にも、コタ=ルウにはたくさんの大切な相手がいる。
コタ=ルウは、それらの人々と過ごした楽しい時間を忘れたくないと願っていたのだった。
◇
それから、数日後――
コタ=ルウが目を覚ますと、家の外が騒がしかった。
いや、家の外が騒がしいために、コタ=ルウは目を覚ましたようであった。
「おや、もう目を覚ましちまったんだねぇ……まだまだ早いから、コタも眠っていていいんだよ……」
そのように呼びかけてきたのは、最長老のジバ=ルウである。
コタ=ルウが目をこすりながら身を起こすと、隣の寝具では母が、草籠の中では妹が眠っていた。母は夜の間も妹に乳をあげているので、コタ=ルウより遅く起きることが多いのだ。
「コタ、もうねむくない。……そと、だれかきたの?」
「今日は城下町で祝宴だって話だったろう……? それに招かれた人間が、いったんルウ家に集まったんだよ……」
確かに昨晩、リミ=ルウたちがそのように話していたことを覚えている。
コタ=ルウは、それでいっそう目が冴えることになった。
「アスタもきてる? コタ、アスタにあいたい」
「そうかい……でも、アスタたちもゆっくりとはしていられないからね……外は人間やトトスでいっぱいだから、婆やコタは家で大人しくしておいたほうがいいと思うよ……」
コタ=ルウは「そっか……」と肩を落とした。
しかし、コタ=ルウはともかくとして、ジバ=ルウはこういう際にも家の外で見送ることが多い。もしかしたら、ジバ=ルウはリリンの家に出向いているティト・ミン=ルウの代わりに、コタ=ルウたちのことを見守ってくれていたのかもしれなかった。
「今日は本家の若い人間が、のきなみ出払っちまうからね……コタも寂しいだろうけど、明日まで我慢しておくれ……」
「うん。かあもジバもいるから、コタ、さびしくないよ」
コタ=ルウは赤子のように寝具の上を這い、草籠で眠る妹の寝顔を覗き込んだ。
妹のルディ=ルウは、すうすうと寝息をたてている。ルディ=ルウはまだまだ小さかったが、それでもこの7ヶ月で驚くほど大きくなっていた。だんだん長くのびてきた髪は、母とそっくりの明るい褐色である。
「……ルディ、とうがいないとさびしいかなぁ?」
「どうだろうねぇ……コタとサティ・レイさえいれば、大丈夫だと思うけど……ルディが寂しそうだったら、コタが慰めてやっておくれ……」
「うん。コタ、ルディのめんどう、みるよ」
コタ=ルウがそのように答えると、ジバ=ルウは優しそうに目を細めた。
「もうすぐダルムやヴィナにも、子が産まれるからね……コタは、婆の話を覚えているかい……?」
「うん。えーと……あかちゃんといっぱいいっしょにいるのはコタだから、あかちゃんをたいせつにするよ」
「そう、コタは賢いね……コタは新しく産まれる赤子たちと、とても長い時間をともに過ごすんだから、大切に面倒を見ておやり……ジザやドンダも幼い頃、そうして赤子の面倒を見ていたのだからね……」
「うん」とうなずいてから、コタ=ルウはひとつの疑問に思いあたった。
「コタ、あかちゃんのめんどうみるよ。……ジバも?」
「うん……? 婆がどうかしたかい……?」
「ジバもちっちゃいとき、あかちゃんのめんどうをみたの?」
ジバ=ルウは、「ああ……」と目を伏せた。
「もちろんあたしも、そのつもりだったけど……5歳ぐらいになる頃には、周りに赤子がいなくなっちまったんだよねぇ……」
「あかちゃん、どこにいったの?」
「みんな、魂を返しちまったのさ……ちょうどその頃、あたしらは黒き森を失って、長い長い旅に出たところだったから……その道中で、あたしより幼い子供はみんな魂を返すことになったんだよ……」
コタ=ルウは大きな驚きに見舞われながら、「ごめんなさい」と頭を下げた。
ジバ=ルウは伏せていた目を上げて、優しそうにコタ=ルウを見つめてくる。
「コタは何を謝っているんだい……? コタはなんにも悪いことなんてしていないじゃないか……」
「でも、ジバ、かなしそうだったから」
「そうかい……コタは、優しいねぇ……」
そう言って、ジバ=ルウはコタ=ルウに手を差し伸べてきた。
木の棒のように細くて、皺だらけで、かさかさに乾いた手だ。しかしコタ=ルウは、ジバ=ルウの温かい手が大好きだった。
そうしてコタ=ルウが近づくと、ジバ=ルウは温かい手で頭を撫でてくる。
「確かにそれは、悲しい思い出だけど……でもあたしは、このモルガの新しい家でたくさんの赤子を育てることができたからねぇ……今だってこうして、コタやルディがそばにいてくれるし……もうすぐダルムやヴィナにも新しい子が産まれるし……きっとあたしほどたくさんの赤子を抱いた人間は、なかなか他にいないだろうから……あたしは誰より幸福だと思ってるよ……」
「ジバ、かなしくないなら、コタ、うれしい」
「うん……コタたちのおかげで、あたしはちっとも悲しくないよ……」
そうしてコタ=ルウとジバ=ルウが語らっている間に、家の外は静かになっていった。
今日は大勢の人間が、城下町に向かったのだ。こういう日は家を守るのが仕事なのだと、コタ=ルウは親たちから教わっていた。
ただしコタ=ルウは幼いため、果たせる仕事もほとんどない。それに、子供が仕事を学ぶのは、5歳になってからだと聞かされていた。森辺の民は5歳になることで、仕事を学んだり祝宴に参加したりするようになるのだ。あと1年と3ヶ月ほどで5歳になれることを考えると、コタ=ルウの心は浮き立ってやまなかった。
よって、今のコタ=ルウが受け持てる仕事は、赤子の面倒のみである。
もちろん妹には母がぴったりと付き添っているし、コタ=ルウでは乳をあげることも草籠を運ぶこともかなわない。だからコタ=ルウは母のそばに控えて、必要なときに他の家族を呼びにいったりするのが大事な仕事であった。
母が家の外に出るときは、もちろんコタ=ルウもそれについていく。母も妹も日の光を浴びるために、1日に何度かは外に出るのだ。そうして分家の家を巡ってそちらの家人と言葉を交わすのは、コタ=ルウにとっても大きな楽しみのひとつであった。
太陽が中天に至ると、男衆は森に入っていき、集落はいっそう人間が少なくなる。残されるのは女衆と、まだ13歳になっていない男衆、怪我をして働けなくなった男衆、それに何名かの老人のみである。
それでもコタ=ルウが物寂しく思うことはない。ルウの集落にはいつも温かい空気が満ちており、それだけでコタ=ルウは幸福な心地でいられた。
そうして、いつしか日は暮れて――広間の燭台に火が灯されたとき、家族ならぬ人間がやってきた。分家の家人、ミケルとバルシャである。
「やあ、すっかり遅くなっちまったね。お待ちかねの、晩餐だよ」
そちらの両名とともに、祖母のミーア・レイ=ルウも鉄鍋を抱えて広間に上がり込んでくる。今日は若い人間が城下町に出向き、曾祖母はリリンの家であったため、この3名でかまど仕事を果たすことになったのだ。
それを広間で待っていたのは、コタ=ルウと母と妹と最長老、そして森から戻ってきた祖父のみである。父とその兄弟たちがいなくなってしまうと、家はこんなにもがらんとしてしまうのだった。
「どうもお疲れ様です、ミケルにバルシャ。いつもいつもお世話になってばかりで、申し訳ありません」
母がそのように声をかけると、バルシャのほうが「いやいや」と笑顔で応じた。
「これっぽっちの人数なら、大した苦労でもなかったよ。それよりも大変なのは、シン=ルウの家さ。あっちには食べ盛りの子供とミダ=ルウが居揃ってるからねぇ」
「ああ、あちらもシン=ルウは城下町に出向いているそうですけれど、シーラ=ルウが身重で動けませんものね」
「そうそう。だからまずは、タリ=ルウのかまど仕事を手伝ってきたのさ。……なんて、あたしなんかはみんなの半分も役に立ってないんだけどさ」
そんな風に言いながら、バルシャはどかりと敷物の上に座り込んだ。
そして、ごつごつと角張った顔でコタ=ルウに笑いかけてくる。
「今日はジーダやマイムもいないんで、あたしらもこっちにお邪魔させてもらうよ。狭苦しくさせちまって、申し訳ないね」
「ううん。コタ、ひといっぱいのほうが、うれしい」
「おやおや、あんたは可愛いねぇ。どうか大きくなっても、そのままでいておくれよ」
そうして普段とは異なる顔ぶれで、晩餐が始められた。
人数は少ないし、祖父やミケルはあまり口を開かないが、そのぶんバルシャが賑やかにしてくれる。コタ=ルウは静かな場も嫌いではなかったが、賑やかな場はもっと好きだった。コタ=ルウはまだ頭がぼんやりしていた赤ん坊の時代から、こうして賑やかな空気に包まれて育ったはずであったのだった。
「今頃は、あっちも楽しくやってる頃かねぇ。まあ、あたしは城下町の祝宴なんて想像もつかないし、出向いてみたいとも思わないけどさ」
「そうですね。でも、皆が城下町の宴衣装を纏った姿というのは、少し見てみたい気がします」
母がそのように応じると、バルシャは愉快そうな笑い声をあげた。
「それでジーダがどれだけの仏頂面をさらしてるかは、確かに見てみたい気がするね! そういえば、ジザ=ルウはたびたび城下町まで出向いてるのに、サティ・レイ=ルウはいっぺんも祝宴に招かれたことがないのかい?」
「ええ。わたしが城下町まで出向いたのは、西方神の洗礼を受けた日のみです」
それは、コタ=ルウも同様であった。2歳になって、しばらく経ってからのことである。
「それじゃあ、他のみんなは? ドンダ=ルウなんかも、祝宴やら晩餐会やらに招かれたことはあるんだろう? 宴衣装を纏ったりしたことはあったのかい?」
「ふん。幸いなことに、俺が出向く際にはそういう面倒な真似をさせられることもなかった」
「ミケルなどは、如何でしょう? 城下町の料理人であったなら、祝宴に立ちあう機会もあったのでしょうか?」
「……俺はちっぽけな料理店で働いていたにすぎん。酔狂な貴族を客に迎える機会もなくはなかったが、祝宴などに駆り出される機会はなかったな」
バルシャの力強い声も、祖父やミケルの落ち着いた声も、母や最長老のやわらかい声も、コタ=ルウを幸福な心地にしてくれる。
そうしてコタ=ルウが楽しい気分で晩餐を食していると、またバルシャがこちらを覗き込んできた。
「それじゃあこの中で面倒な役目を押しつけられそうなのは、あんたと妹ぐらいかもしれないね。大変だろうけど、どうか頑張っておくれよ」
「……コタ、じょうかまちにいくの?」
「ああ。もちろん、もっともっと大きくなってからのことだけどね。ジザ=ルウが今のドンダ=ルウぐらい年を食って、あんたがジザ=ルウぐらい大きくなったら、あんたが城下町まで出向く仕事を受け持つようになるかもしれないよ」
「……ルディも、いっしょ?」
「うん。今日だって、ジザ=ルウの妹たちはみんな招かれてるだろ? あんたの妹が立派なかまど番に育てば、レイナ=ルウたちみたいに招かれることになるんじゃないかねぇ」
それは何だか、とても楽しい想像であるように思えた。
すると、コタ=ルウの心の動きに気づいた母がやわらかく笑いかけてくる。
「コタはずいぶん嬉しそうね。もしかしたら、城下町に興味があったのかしら?」
「ううん。でも、とうとおなじになれるの、うれしい。あと、ルディといっしょなら、うれしい。……アスタもいっしょ?」
「アスタは、どうかしら。コタが大きくなる頃には、アスタもけっこうな齢になっているはずだけど……でもアスタだったら、その齢でも城下町に招かれているかもしれないわね」
「コタ=ルウとアスタってのは、どれぐらい齢が離れてるのかねぇ?」
バルシャがそのように問うてきたので、コタ=ルウが「じゅうとろく」と答えてみせた。
するとバルシャばかりでなく、祖母もきょとんと目を丸くする。
「ええと、アスタはレイナなんかと同い年のはずだから、もう19歳のはずだよね。そうすると、確かにコタとは16歳の差だけど……どうしてコタが、そんなことを知ってるんだい?」
「どうして? ……コタもアスタのとし、しってた」
「でも、あんたは10までしか数えられないんだろう? それに、9から3を引いたら6になるなんてことも、そうそうわかるもんではないはずだよ」
コタ=ルウが小首を傾げていると、母が代わりに答えてくれた。
「確かにコタはまだ10までしか数えられないのですけれど、10がふたつで20、みっつで30ということはわかっているようですし、それに簡単な足し引きぐらいはできるようなのです。屋台の手伝いをする女衆はよく計算の修練をしていますので、それを見て覚えたのかもしれませんね」
「ええ? たった3歳で、そんな真似ができるもんなのかねぇ。……それじゃあ、4と5を足すと、いくつになる?」
コタ=ルウが「きゅう」と答えると、バルシャが笑い声をあげた。
「こいつは大したもんだ! あんたは見かけ通りに、ずいぶん賢いんだねぇ。そういえば、もうあたしやミケルの名前も覚えてくれたってんだろう?」
「うん。バルシャとミケル、ジーダとマイム、おぼえてる」
「すごいねぇ。あたしが3歳の頃なんて、家族でもない人間の名前なんてひとつも覚えちゃいなかったように思うよ。ミケル、あんたはどうだい?」
「さてな。そもそも俺は、3歳の頃の記憶などひとつもないように思う」
「そうだよねぇ。さすがはジザ=ルウとサティ・レイ=ルウの子だ。コタ=ルウがいずれ森辺の族長になるんなら、心強い限りだよ」
コタ=ルウにはよくわからなかったが、父も母も一緒にほめられているようなので、とても嬉しかった。
そこで草籠のルディ=ルウが、ほやあほやあと泣き声をあげる。これは、乳をせがむ泣き方だ。母は「失礼します」と言い残して、ルディ=ルウとともに寝所へと立ち去っていった。
「赤ん坊はところかまわずだから、大変だ。……そういえば、シーラ=ルウももういつ産まれてもおかしくないように見えるね」
「ああ。あっちもタリ=ルウや分家の女衆が交代で泊まり込んでるんで、心配はいらないよ。いざとなったら、あたしだって飛んでいくしさ」
「コタ=ルウとルディ=ルウに続いて、3人目の孫か。その後には、ヴィナ・ルウ=リリンの子も控えてるし……そんな若い身で4人もの孫を持つってのは、どんな気分だい?」
「若いったって、とっくに40は過ぎてるからねぇ。森辺では、べつだん珍しい齢でもないさ。でもまあ……とびきり幸せであることに間違いはないよ」
そう言って、祖母は言葉の通りの表情を浮かべた。
いっぽう祖父は、仏頂面のまま晩餐を食している。ただその青い瞳には、祖母と同じ感情がたたえられていた。
今日もルウ家の広間には、温かい空気が満ちている。
だからコタ=ルウも、幸福な心地で過ごすことができた。
城下町まで出向いた他の家族たちは――そして、アスタやアイ=ファたちは、どんな心地でこの夜を過ごしているのだろうか。
朝方に顔をあわせられなかったためか、コタ=ルウは無性にアスタと会いたかった。




