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異世界料理道  作者: EDA
第七十三章 群像演舞~八ノ巻~
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     東の風と北の銀花(下)

2022.9/30 更新分 1/1

『……以上が、6年前の出来事である』


 アルヴァッハがそのように告げると、ナナクエムは深々と溜息をついた。

 ゲルの屋敷の、アルヴァッハの執務室である。アルヴァッハはひさかたぶりに来訪してくれた朋友に菓子と茶をふるまいつつ、6年前の出来事を――あの、吹雪の中で巡りあった北の民たちとの思い出を語り終えたところであった。


『ずいぶんと懐かしい話を聞かされるものであるな。……それで、どうして貴殿はいきなりそのような思い出話を語り始めたのであろうか?』


『うむ。我は、貴殿の疑問に答えたつもりである』


『我の疑問? 我は、どうして貴殿がそのように美味なる料理に執着するのかと、そのように問うたはずだぞ』


『うむ。我々はあの日、迫り来る死からようよう逃れて、あの山小屋に辿り着いた。そこで味わった美味なる料理の数々が、我の心を大きく震わせて……それが、美味なる料理を追い求める根源になったのではないかと思いたったのだ』


 アルヴァッハがそのように答えると、ナナクエムは何度目かの溜息をついた。


『貴殿はあの日を迎える前から、すでに美味なる料理というものに執着していた。そうだからこそ、あの若き自由開拓民の手腕に大きく感銘を受けていたのだ。……きっと貴殿は、生まれついての変人なのであろうな。そこに理由を求めようとした我のほうが、浅はかであったのだ』


『いや、しかし……我があの日に大きく心を動かされたのは、事実である。美味なる料理というものがどれほど人に大きな喜びや救いをもたらすか、それを心から痛感させられたのだ』


『それで貴殿の変人っぷりに拍車が掛けられたというのなら、すべてあの日の吹雪に原因があるということだな。風神たるシムがどうしてそのような悪戯心を発揮したのか、我は理解に苦しむところである』


 そう言って、ナナクエムはギギの茶で唇を湿した。


『では、雑談はここまでとして、公務に取りかかるとしよう。復活祭がやってくる前に、すべての厄介ごとに始末をつけておかなければならないのであるからな』


 アルヴァッハはいくぶん感傷的な気分になっていたが、それを押し殺して『承知した』と答えてみせた。ナナクエムは思い出話を語らうためにやってきたのではなく、公務を果たすためにやってきたのだ。ちょうど菓子も食べ終えたところであるし、アルヴァッハとしても重要な公務を二の次にすることはできなかった。


 アルヴァッハとナナクエムは書類の束を取り上げて、いざ公務を開始する。そちらの議題の主たるは、捕縛した山賊たちの処遇、および畑の拡張計画についてである。ずいぶん毛色の異なる案件であるが、しかしそれらは合わせてひとつの議題であったのだった。


『これまでに捕縛した山賊の数は、ついに100名を突破した。その内の半数は、強殺の大罪人と見なされたが……そやつらもただ死罪にするのではなく、西の法を見習って、苦役の刑を課すのだという話であるな』


『うむ。監視の兵士を捻出するのは大きな手間となろうが、そやつらにも改心の機会を与えるべきであろう。山賊の大半は、貧しさゆえに道を踏み外したのであろうからな。領民がそうまで飢えに苦しんでいるのは、ひとえに我々の責任であるのだ』


 この1年ほど、ゲルドは山賊の撲滅に注力している。ゲルドの山賊はセルヴァやマヒュドラにまで大きな被害を出していたため、放置することは決して許されなかったのだ。

 そうして判明したのは、山賊に身をやつす人間の多さと、その原因となる辺境の貧しさである。当初から懸念されていた通り、ゲルドの山賊というのは辺境の貧しき民たちによる悪行であったのだ。


 よって、山賊をどれだけ捕縛しても、根本的な解決は望めない。辺境の民が貧しさにあえぐ限り、新たな山賊が次々に誕生してしまうのだ。

 そこでアルヴァッハが提唱したのは、畑の拡張計画であった。

 ゲルドは本年から、正式にジェノスと通商を結ぶことになった。さらに南の王都までもが関わってきたため、想定よりも遥かに大規模な通商となったのだ。


『なおかつ、我々はひと月をかけて、ジェノスまで荷物を運ぶことになる。その道行きでも商売をすれば、さらなる販路を開けるはずだ』


 アルヴァッハは、父たる藩主にそのように主張してみせた。

 ゲルドの近在にある西の領地は、通商を望んでいない。ゲルドがセルヴァの仇敵たるマヒュドラと懇意にしているためである。ゲルドの商売に加担すれば、それは敵国たるマヒュドラをも潤す結果になるのではないかと、そのように危ぶんでいるのだ。


 しかし、南北に連なる主街道を10日ばかりも南に下ると、マヒュドラに対する敵対心というものは大きく減じられる。そもそもセルヴァとマヒュドラの国境には城塞都市アブーフが存在するため、近年ではそれより南側の領地がマヒュドラに侵攻される事態にも至っていなかったのだ。


『そうして販路を拡大したならば、より多くの食材が必要となる。それを獲得するには畑の拡張が必須であり、畑の拡張には人手が必要であるのだ。そこに、山賊として捕縛した罪人たちと、罪人たちの家族たる貧しき民を働かせることができれば、同時にふたつの問題を解決できるのではないだろうか?』


 つまりは、貧しき民たちに仕事を与えて、山賊などに身をやつさずに済む生活を確立させるということである。

 父たる藩主も当初は懐疑的な態度であったが、最終的にはアルヴァッハの意見を取り入れてくれた。ゲルドの山賊を取り締まるというのは昔日よりの重大な案件であったため、藩主も長らく頭を悩ませていたのである。


 そうして発案者たるアルヴァッハもまた、その計画を進めるために力を尽くすことになった。朋友たるナナクエムも、また同様である。彼はただ朋友であるだけではなく、アルヴァッハとともに通商の責任者であったのだ。


 現在は、捕縛した山賊たちから故郷の所在を聞き出して、人員の確保に勤しんでいるさなかである。山賊たちは家族にまで罰が下されるのではないかと疑い、なかなか口を割ろうとしないので、その作業も難航を極めていた。

 しかしアルヴァッハとナナクエムは、忍耐強くそれらの任務に取り組んでいた。時には自らが罪人のもとまでおもむき、情理を尽くして説得をするのだ。それで何とか、罪人の半数ぐらいは故郷の所在を明らかにしてくれたのだった。


『しかし、罪人の尋問はそろそろ取りやめても問題はなかろう。これまでの尋問で、貧しさにあえぐ集落の所在はおおよそ判明したのだ。あとは現地で調査をすれば、すべての集落の所在を突き止めることができよう』


『うむ。それにつけても驚かされるのは、我々の把握できていなかった領民の数であるな。まあそのおおよそは税も納めず、我々の目から隠れるようにして過ごしていたのだから、致し方ないのかもしれないが』


『うむ。そのように杜撰な管理であったからこそ、あの北の民たちもうかうかとゲルドの地に山小屋を築いてしまったのであろうよ』


 ナナクエムがそのように語るのは、もちろん6年前に遭遇したあの一家のことであった。

 彼らはマヒュドラの自由開拓民であったが、もとの集落で悶着を起こしたため、家族だけで新たな住処を探し求めることになったのだ。それで北と東の国境であった峡谷を越え、ゲルドの地に小屋を建ててしまったのである。


 しかしその地がムフルの縄張りであると知った彼らは、吹雪がやむのと同時に北の地へと帰っていった。けっきょく彼らには丸二日間も世話になることになったので、何かお礼をしたいと申し出たのだが、礼などはムフルの肉と毛皮だけで十分だと言い残し、早々に立ち去ってしまったのである。

 アルヴァッハがその日の思い出にひたっていると、ナナクエムが苦笑をこらえているような声で呼びかけてきた。


『我が余計なことを口走ってしまったために、また気がそれてしまったようだな。貴殿はずいぶんと、あの一家に思い入れを抱いているようだ』


『うむ……あれほどの手腕を持つ人間は、ゲルドにもそうそう存在しないのだから、それも当然の話であろう』


『手腕というのは、料理についてであろうか? あれは我々が飢え死にをする寸前であったため、途方もなく美味に感じられただけであろうよ。今にして思えば、祖にして野なる出来栄えであったではないか』


『粗にして野だが、卑にはあらず。そもそも我が感服しているのは、あの若者の舌の鋭さであったのだ。あれだけの舌を持つ料理人が自由に食材を扱うことがかなえば、いったいどれだけの料理を作りあげることになるのか……それを夢想せずにはいられないのである』


『見果てぬ夢想であるな。それよりも、そろそろプラティカを呼び戻すべきではないだろうか? 貴殿もずいぶん我慢がきくようになったようだが、屋敷の料理番たちは相変わらず戦々恐々としていよう』


『否。それを決めるのは、プラティカ自身である。本人が修行に満足したと思える日まで、我は耐え忍ぶ覚悟である』


 アルヴァッハがそのように答えたとき、扉の向こうから従者の声が聞こえてきた。


『アルヴァッハ様。街道の警護部隊が、新たな山賊を捕縛したとのことです。ただ、少々問題が生じてしまったようですが……』


『問題とは? 入室して、説明をせよ』


 従者が入室し、膝をついて敬服の礼をしてから、報告した。


『このたびの山賊は、ゲルドの民ならぬマヒュドラの民であったのです。ただし、逃げ込んだ先がゲルドの地であったため、部隊の者たちも通常通りに捕縛するしかなかったとのことですが……この先はどのように取り扱うべきか、アルヴァッハ様のご判断をうかがいたいと願い出ている次第です』


『ゲルドの地で捕らえたのならば、ゲルドで裁くのが王国の法であろう。ただその前に、その山賊どもはいずれの地で罪を働いたのであろうな』


 そのように応じたのは、アルヴァッハではなくナナクエムである。アルヴァッハはひとつうなずき、「答えよ」と従者をうながす。


『は。その山賊に襲われたのは西の行商人であり、襲われた場所も西の領土の街道と相成ります』


『北の民が西の地で罪を犯し、東の地で捕縛されたというわけか。それはいささか、難儀な話であるな』


 ナナクエムは表情が乱れるのをこらえるように、ぐっと眉間のあたりに力を込めた。


『しかし、戦場ならぬ地で行商人を襲ったというのなら、罪であることに変わりはない。少なくとも、西や東の人間にとってはな。そやつらも、北の地に逃げ込めば罪に問われることはなかったものを……』


『はい。ですがその街道は北の地から遠く離れた、西と東の国境であったようです。つまりその山賊どもはゲルドの地に潜伏して、西や東の旅人を狙っていたのではないかと……そのような疑いが持たれているようです』


『であれば、なおさら容赦することはできん。北の地には一報を入れて、こちらで処断するべきであろう』


 そのように答えてから、ナナクエムはアルヴァッハを見やってきた。


『先刻から、我ばかりが語っているようだ。山賊を捕縛したのはゲルの部隊であるのだから、決断するのは貴殿であるぞ』


『うむ……何か、奇妙な予感がするのだ』


 言いざまに、アルヴァッハは身を起こした。


『その山賊たちは、まず我が尋問する。よければ、ナナクエムにも立ちあいを願いたい』


『それはかまわぬが……貴殿は何を案じているのであろうか?』


『それが、我にも不明であるのだ。占星師というのは、このような心持ちで予感を覚えるのであろうかな』


 そうしてふたりは執務室を出て、罪人のもとを目指すことになった。

 部屋の外には部隊長が控えていたため、道すがらで詳細を問い質す。ただし、従者の報告につけ加えるべき言葉は、そう多くはなかった。


『山賊たちは激しく抵抗したため、13名のうち8名は斬り捨てることに相成りました。そのうちの1名が頭目であったらしく、残りの5名はすぐに抵抗を取りやめたため、無傷で捕縛することがかないました』


『そうか。襲われた西の民たちは、如何なる状況であったのであろうか?』


『多くの人間が深手を負いましたが、いずれも一命は取りとめたようです。現在は、アブーフにて保護されているかと思われます』


 では、今回の件に関しては強殺ではなく強盗の罪のみとなる。ただし相手を傷つけたならば、強盗の中でも重い罪だ。どれだけの罰を下すかは、これからの審問次第であった。


 藩主の屋敷を出て、屋根のついた通路を渡り、罪人を一時収容する建物を目指す。屋根の外には小さく雪が舞い、それがアルヴァッハに一瞬だけ吹雪の記憶を想起させた。


 建物の前には、槍を掲げた守衛たちが並んでいる。

 その手によって開かれた扉をくぐり、薄暗い屋内を突き進んでいくと、やがて冷え冷えとした舎房に辿り着いた。

 今度は長剣をさげた兵士たちが、一礼して扉に手をかける。ゲルには毒よりも剣を得意にする人間が多く、よりマヒュドラに近いため体格に優れた人間が多かった。


 舎房の内は、さらに薄暗い。

 今日は曇天であるために、天井近くに切られた窓からは陽光よりも寒風ばかりが吹き込んでいた。

 そんな寒々とした場所に、後ろ手を縄でくくられた五名の男たちがうずくまっている。金色や赤色の髪をした、北の民たちだ。赤髪というのはマヒュドラでもとりわけ北方の一族に見られる特徴であったが、この数百年で混血が進み、ゲルドにまでその血は入ってきている。アルヴァッハ自身、その場にいる誰よりも鮮烈に赤い髪色をしていた。


「其方たちが、西の民を害した山賊であるな」


 アルヴァッハは、北の言葉でそのように問い質した。西の言葉はまだまだ拙いアルヴァッハであるが、マヒュドラとは親密な関係であるため、この6年でさらに習得が進んだのだ。


「其方たちが北の地に逃げ込んだならば、西の民を害したことも罪には問われず、庇護されていたやもしれん。しかし、其方たちがゲルドの地に逃げ込んだ以上、罪を量るのは我々の裁量となる」


「お……俺たちは、頭目に命令されただけなんだ!」


 と、赤い髪をした男のひとりが、震える声でそのように言いたてた。

 山賊らしい粗末な身なりであるが――それにしても、粗末に過ぎるように思える。なおかつ、北の民らしい頑健なる骨格であるが、顔や手足は無惨にやつれ果てていた。


「そもそも俺たちは、平和に暮らす自由開拓民だった! そこにあの連中がやってきて、俺たちの村落を滅ぼして……そして、俺たちを山賊に引き込んだんだ!」


「そ、そうだ! それに俺たちは荷運びを命じられただけで、人を殺めたりはしていない! そ、そんな恐ろしい真似、俺たちにはできなかったから……だから、奴隷みたいに働かされていただけなんだ!」


 と、金色の髪をした別の男が言葉を重ねる。垢で汚れたその顔も骨と皮ばかりのやつれようであり、そこに透明の涙が流された。

 それを鋭い目で検分するアルヴァッハのもとに、部隊長がそっと耳打ちしてくる。


『我々が斬り捨てた八名は鋼の剣や斧で武装していましたが、こやつらは棍棒しか携えておりませんでした。それで討伐を後回しにしたところ、鋼の武器を持つ八名を斬り捨てたところで、すぐさま降伏してきたのです』


 であれば、男たちの弁明も真実であるのかもしれない。彼らはいずれも哀れなぐらい痩せ細っており、目にも表情にも精気が薄かった。

 さらに検分を進めるべく、アルヴァッハは五名すべての姿を見回していき――最後のひとりで、目を見張ることになった。


 金色の髪をした、まだ若そうな男である。

 ただその痩せこけた顔は、金色の無精髭に覆われている。そしてその紫色の瞳は、誰よりも暗く陰っていた。


『其方は、まさか……あのときの、あの若者であろうか?』


『アルヴァッハよ。東の言葉になっているぞ』


 そのように掣肘するナナクエムも、懸命に感情を抑えているようであった。


『それに、どうして貴殿が山賊の姿などを見知っているのだ? よもや、あの若者というのは――』


 ナナクエムがそのように言いかけたとき、その若者がぼんやりと顔を上げた。


「なんか……あんたたちの声は、懐かしく感じられるような気がするな……」


 東の言葉など解している様子もなく、若者はそのように言いたてた。

 アルヴァッハは、いっそうの混乱に見舞われてしまう。


「ではやはり、其方はあの日のあの若者であるのだな。我は、アルヴァッハ=ゲル=ドルムフタンである」


「アル……? そんな呪文みたいな言葉を聞かされても……」


「6年前、我とナナクエムは其方たちの世話になった。時期外れの猛吹雪の日である。其方たちは我々の救いを求める声に応じ、山中の家に招き、素晴らしい料理を振る舞ってくれたのだ」


 暗く陰った若者の目に、突如として理解の光が閃いた。


「6年前って……それじゃあ、あのときのゲルドのお人たちかい? そういえば、あのときのお人もあんたみたいに真っ赤な髪をしていたし……もう片方は、そっちのあんたみたいに紫の瞳をしていたな……」


「まぎれもなく、本人である。我は、アルヴァッハ=ゲル=ドルムフタン。こちらは、ナナクエム=ド=シュヴァリーヤである」


「そんな長ったらしい名前は、覚えちゃいないよ……でも、そうか……本当に、あのときのあのお人たちなんだな……」


 そう言って、若者は泣き笑いの表情となった。


「それじゃあ、もしかして……本当にあんたたちは、ゲルドの貴族様だったのかい? そんなのは口から出まかせに違いないって、みんな笑い飛ばしてたのに……」


「すべて、真実である。我、ゲルの藩主の第一子息であり、ナナクエム、ドの藩主の第一子息である」


「ああ、そうかい……こいつはどういう巡りあわせなんだろうな……俺にはさっぱり、わけがわからないけど……でもまあ、なんでもかまわないから、好きなように処断してくれ……他の連中はどうだか知らないけど、俺はもうこんな世界には何の未練もないからさ……」


 若者の目が、さらなる絶望に曇っていく。そのさまが、アルヴァッハの胸に引き攣るような痛みをもたらした。


「其方が何故、山賊などに? もしや、其方の家族たちも……」


「ああ……俺もそいつらと同じように、故郷を滅ぼされたんだよ……あんたたちと別れた後、俺たちは伴侶の親父と和解して、なんとか集落に戻ることができたんだけど……今年の青の月、あの連中に襲われて……俺だけが、おめおめと生き残ることになっちまったんだ……」


 彼の両親も、美しき伴侶も、男女の幼子たちも――全員が、山賊の手にかけられてしまったのだ。

 アルヴァッハは、気が遠くなるほどの怒りと悲しみに見舞われることになった。


「だからもう、俺だけが生きてたってしかたねえんだよ……それでも自分で生命を絶つ覚悟は固められなかったから……どうか、あんたたちの手で始末をつけてくれ……きっとそれが、北や東の神々の思し召しなんだろうさ……」


「……確かにこれは、神々の思し召しであろう。我々は、神々のはからいによって再会を果たすことになったのだ」


 アルヴァッハは胸中に渦巻く激情を呑み込んで、そのように語ってみせた。


「其方たちは、ゲルドの法によって裁かれる。その前に、ひとつ確認させてもらうが……この中に、マヒュドラへの帰参を願う者はあろうか?」


「マ、マヒュドラに逃がしてもらえるんで?」


 赤髪の男が身を乗り出しかけたが、その顔もすぐ曇り果てた。


「でも……どうせ俺たちは自由開拓民だし、故郷はとっくに滅ぼされちまってるし……マヒュドラに戻されても、どうやって生きていけばいいんだか……」


「其方たちは、全員が自由開拓民なのであろうか?」


「ええ。死んだ連中はどうだかわかりませんが、俺らはみんな自由開拓民でさあ。この3人が同郷で、俺とそいつはそれぞれ別の集落の出自ってことになりますね」


 そいつとは、アルヴァッハたちと面識のある若者のことである。


「俺はもう、母なる森も燃やされちまったし……お前さんたちは、どうだったんだっけ?」


「俺たちは川を母としていたから、そりゃあ燃やしようもねえだろうけど……」


「ああ。でも、同胞は皆殺しで、家屋も畑も燃やされちまった。今さら3人だけで戻ったって、どうしようもねえよ」


 絶望の念が伝播していったかのように、男たちの顔が曇っていく。

 それを叱咤するように、アルヴァッハは強い声音で問うた。


「其方たちは哀れな被害者であると同時に、山賊に加担した加害者である。其方たちは家族の仇に立ち向かうのではなく、その命令にひれ伏す道を選んだのだ。その柔弱さを乗り越えて、己の罪を贖おうという意気は有しているのであろうか?」


「つ、罪を贖うって、どうやって……? む、鞭でもくらえばいいのかい?」


「ゲルドにも、棒叩きの刑罰は存在する。しかし現在、山賊に関しては労役の刑罰に処するものと取り決められている。未開の地を開墾し、作物を育てる労役に服するのである」


「そ、それじゃあ他の山賊どもと一緒に働くってことかい?」


「そ、そんな話は御免だよ。だったら……首を刎ねられたほうが、話は簡単だ」


 見知った若者を除く4名は、そうして悄然とうなだれてしまった。

 柔弱なことこの上ないが、それは山賊の恐ろしさが身にしみているゆえであろう。それはまた、彼らが泣く泣く山賊の命令に従っていたという証でもあるはずであった。


「……労役の刑罰は、罪の重さによって内容が分けられる。強殺の罪を犯した人間はもっとも危険かつ過酷な地で働き、それよりも軽度の罪人は生命の危険のない地に遣わされる。そして……罪人の家族であった者たちには、労役ではなく新たな家と働く場所が与えられる。こちらの指定する地を開墾し、働きに応じた銅貨を得るのだ」


 男たちは、まだ理解の及んでいなそうな目でアルヴァッハを見上げてくる。

 それを強い目で見返しながら、アルヴァッハはさらに言いつのった。


「さらに、こちらで定めた労役を終えた罪人は、新たな開拓地の領民となることを許される。それは自由開拓地ならぬ荘園の働き手という意味であるが、身分としては自由民である。こちらの指定した通りに作物を育て、それを銅貨に換えるのだ。そうして山賊に身をやつさずとも豊かな暮らしを営めるように、ゲルとドの藩主が支援する。それが、我々の計画である」


「で、でも……そこにはゲルドのお人しかいないんだろう? 俺たちは、東の言葉も喋れないし……」


「望む者には、教育を施す。また、神を乗り換える必要もない。北の民は北の民として、東の地で暮らすのだ。北や東にはあまり見られない作法であるかと思うが……西の地には、そうして東や南の民が数多く働いている。我は、それを手本としたく考えている」


 男たちは惑乱した様子で、顔を見合わせている。

 ナナクエムも何か言いたげな様子であったが、それは黙殺してアルヴァッハは最後の言葉を伝えることにした。


「其方たちの正式な審問はこれからとなるが、これまでに語られてきた弁明の言葉がすべて真実であると認められれば、もっとも軽度な労役を課せられることになろう。ともに働くのは、強殺までの罪は犯しておらず、貧しさからやむにやまれず強盗の罪を犯した者たちとなる。そして、労役の期間を終えたのちは、荘園の働き手となることが許される。そこで新たな家族を得て、東方神の子となるかどうかは、其方たちの自由である。ゲルドの処断は、以上となるが……あくまでマヒュドラへの帰参を望む者はあろうか?」


 男たちは、なおも困惑をあらわにしていたが――やがて、「いいや」と応じてきた。


「俺たちが山賊に加担していたのは、事実だし……なんの罰も受けなかったら、あいつらに殺められた家族にあわせる顔がねえよ」


「ああ。そんな卑怯な真似をしたら、あいつらと同類だ。死んだ後、神々に魂を砕かれちまうだろう」


「この世の罪は、この世で贖うしかない。母なる森は燃やされちまったが、俺は誇りを取り戻したく思う」


「俺は……俺はやっぱり、マヒュドラに帰りたい」


 と、ひとりだけそのように主張する男がいた。

 しかしその顔は、悲しみではない別の涙に濡れている。


「でもそれは、自分の罪を贖ってからだ。きっとマヒュドラでは、西の民を襲ったことも大した罪にはならないだろうから……この東の地で、俺の罪に相応しい罰を与えてもらいたく思う」


「そうか」と、アルヴァッハはひそかに息をつく。

 実のところ、彼らをこのままマヒュドラに返すという道はない。それはマヒュドラにだけ利して、セルヴァに仇なす行為であるのだ。北とも西とも友好国であるシムの民に、そのような真似は許されないのだった。


 よって、このままマヒュドラに帰参したいと願う者がいたならば、それは改心の余地がないとして、より重い刑罰を課すしかなかった。彼らはアルヴァッハの準備した狡猾な罠を、その身の清廉さでくぐりぬけてみせたのだった。


(許せよ。我の性には合わないが、統治者としては必要な行いであったのだ)


 そのように思案しながら、アルヴァッハは黙して語らぬ若者のほうに視線を転じた。


「こちらの4名は、気持ちが固まったようである。其方は、如何であろうか?」


「俺は……これ以上生き永らえたって、どうしようもない。労役なんか務まらないから……どうか首を刎ねてくれ」


 若者は暗く陰った眼差しのまま、そのように言いたてた。

 アルヴァッハはまた胸に鋭い痛みを覚えつつ、「何故?」と容赦なく問い詰める。


「其方には、罪を贖おうという気概も存在しないのであろうか?」


「生命を差し出せば、それも贖罪になるだろう……? 俺はもう……生きる意味を見いだせないんだよ。こんな腑抜けは、周りの連中に迷惑をかけるだけだろうから……そんなのは、もう嫌なんだ。人の迷惑になってまで、俺は生きていたくないんだよ……」


 すると、赤髪の男がすがるような眼差しをアルヴァッハに向けてきた。


「こいつはこの中で一番若いし、一番新参だったんだ。だから俺たちより、家族や故郷を失った痛みがまざまざと残されてるんだよ。きっとこいつは俺たちの中で一番真っ当な人間だから、どうか情けをかけてやってくれ」


「……ひとつ問いたいが、山賊どもが北の集落を襲うとき、其方たちはどのように過ごしていたのであろうか?」


「俺たちがそんな場に居合わせたら、集落の連中に手を貸すに決まってるから、別の場所で縄にくくられてたよ。それで最後に荷運びをするときだけ、呼びつけられてたんだ」


「ああ……あの時間が、一番たまらなかったな」と、別の男が頭を抱え込む。かつての自分たちと同じように滅ぼされた集落から、金目のものを運び出す役割を担わされていたのだ。想像するだに、それは悪夢のごとき所業であった。


「理解した。……それは確かに、生きる気力を失うほどの絶望であろうな」


 アルヴァッハは若者のもとまで進み出て、その鼻先で膝を折った。


「しかし我は、山賊に正しき処断を下す役目を藩主から与えられている。其方に相応しいのは死刑ではなく、労役の刑罰である」


「どうしても、俺を畑で働かせようっていうのかい……? 損を見るのは、周りの連中だぜ……?」


「其方に畑を耕す能がないのであれば、料理番としての労役を課そう。其方には、その才覚が秘められているはずである」


 若者はその身の痛苦も忘れたかのように、アルヴァッハの顔をきょとんと見返してきた。


「料理番……? あんたはいったい、なんの話をしてるんだ……?」


「其方の、贖罪についてである。そして、其方の救済についてである」


 アルヴァッハは、若者の肩に手を置いた。

 ごつごつと骨ばった、痩せさらばえた肩だ。しかしその骨は、北の民らしく頑健な作りをしている。よってアルヴァッハは、その肩を遠慮なくつかむことができた。


「我々は山賊に罰を与えると同時に、貧しさから生じた悲運に救済を与えるべきと考えている。其方たちも、その例外ではない。其方はこのゲルドの地で罪を贖い、そして悲しみを癒やしてもらいたく思う」


「で、でも……俺が料理番なんて……」


「其方にその才覚が秘められていることは、我が確認済みである。もしも其方がその才覚を発揮すれば、藩主の屋敷の料理番になることも可能であろう。それは、我が6年前に押し殺した悲願でもあったのだ」


「悲願……?」


「うむ。あの吹雪の日に素晴らしい料理を口にした我は、其方を屋敷の料理番として迎えたいと熱望していた。しかし其方にとっては自由開拓民として家族と生きることこそが一番の幸いなのであろうと、己の気持ちを押し殺すことになったのだ。それを後悔する日が来ようなどとは……我も、想像していなかった」


 アルヴァッハは、自分の頬を熱いものが伝わるのを感じた。

 感情をあらわにするのは、東の民にとって大きな恥である。しかし今のアルヴァッハは、己の恥よりも重んずるべきものがあった。


「我もまた、あの日の失敗を贖いたいと願っている。無論、我がどのような誘いをかけたところで、其方たちが肯んじる可能性は皆無であったのであろうが……我は、己の思いを口にすることすらしなかった。そしてその末に、其方たちは非業の運命に見舞われることになったのだ。我は、無念の限りである」


「でも、俺は……」


「我とナナクエムは、其方の家族たちを知っている最後の人間である。其方の父親がどれだけ勇敢であったか、其方の母親がどれだけ心優しかったか、其方の伴侶がどれだけつつましく美しい娘であったか、其方の子たちがどれだけ愛くるしかったか……我とナナクエムは、その事実を知っている。其方と家族の記憶を共有できるのは、この世で我とナナクエムのみであるはずだ。であれば、我々とともにあることで、其方もいくばくかは家族を失った悲しみを癒やすことがかなうのではないだろうか?」


「あんたは……そんな調子で、俺の作った料理を褒めちぎってくれていたのかい?」


 若者の垢じみた顔にも、涙がこぼされた。

 ただその顔には、穏やかな笑みも――6年前と変わらぬ純朴な笑みもたたえられている。


「やっぱりあんたは、おかしなお人だな……ゲルドの民ってのは、みんなあんたみたいな変わり者ばっかりなのかい……?」


「我はナナクエムから、たびたび変人と罵られている。しかし我は、我が正しいと思う道を進むのみである」


 そうしてアルヴァッハは最後に若者の肩をぎゅっとつかんでから、身を起こした。

 部隊長や兵士たちは、さりげなく目をそらしている。貴人の恥を目にしないようにという心づかいだ。アルヴァッハは彼らの気づかいに応えるべく頬を濡らす涙をぬぐい、そして最後の言葉を届けることにした。


「ともあれ、正式な審問はこれより行われる。それまでに、其方たちも自らにとってもっとも正しき道を見定めてもらいたく思う」


 若者ばかりでなく、他の男たちも滂沱たる涙を流していた。

 それらにうなずきかけてから、アルヴァッハは舎房を後にする。そうして建物を出るなり、ナナクエムが語りかけてきた。


『あの若者がどのような決断をするかは、まだ計り知れないところであるが……果たして藩主が、貴殿の素っ頓狂な願い出を承諾するのであろうかな』


『山賊の処断については、我に一任されている。藩主といえども、口出しはできまい』


『ふふん。では、貴殿は首尾よく新たな料理番を獲得できるというわけだな。これでプラティカが修行に何年ついやそうとも、藩主の厨は安泰ということだ』


 珍しくも、ナナクエムの声が冗談の響きを帯びている。

 ちらつく雪の中、屋根の下の通路を歩きながら、アルヴァッハはそんな朋友のほうを振り返った。


『ナナクエムは、我の心情を気づかっているのであろうか?』


『それはまあ、あのように感情を乱すさまを見せつけられてはな』


 そう言って、ナナクエムはアルヴァッハの胸もとを小突いてきた。


『何やら、ムフルの料理を食したくなったように思う。客分の分際でおこがましい話であるが、今宵の晩餐はそのように取り計らってもらえるであろうか?』


『うむ。……6年前のあの料理には、遠く及ばないであろうがな』


 そんな言葉を交わしながら、アルヴァッハとナナクエムは屋敷を目指した。

 屋根の外では、白い雪が花びらのように舞っている。北方神の生んだ雪が、東方神の息吹によって運ばれているのだ。アルヴァッハには、それらの光景がいつになく美しく感じられて――まるで神々に若者との再会を祝福されているような心地を授かることがかなったのだった。

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― 新着の感想 ―
[一言] プラティカの家族の話かと思っていたけど、親父さんしか居なかったし流れがなんか違うかな? と思ってたら別の料理番ゲットだぜっ! だったw
[良い点] 経緯をわきに置けば 良い料理人ゲット! ということでアルヴァッハさん一人丸儲けですな。 いい感じにしがらみも山賊が始末してくれたし、これで恩も売れる。 アルヴァッハさんがそういうことを考…
[一言] うーん、作者さんは時に人の生死を物語構造に組み込む時に、果断な進行を躊躇なく行える人だとはわかっちゃいたけど、今回の話はワシにとって悲しいだけの話になってしまったなぁ(-_-;)。
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