第一話 新たな星々(上)
2022.9/26 更新分 1/1
・今回は全9話の予定です。
ジェノスの城下町にて開催された、送別の祝宴――そちらに参席したシュミラル=リリンは、とっぷりと日が暮れてから森辺の集落に戻ることになった。
同じ荷車に揺られているのは、ルウの血族の面々だ。ラウ=レイとヤミル=レイ、ガズラン=ルティムとレイの女衆という顔ぶれで、手綱を握っているのはシン=ルウとなる。そして、それ以外にも6台もの荷車が列を為して、森辺を目指しているのだった。
「このように朝から夜まで城下町で過ごすというのは、そうそうないことです。ラウ=レイたちなどは、さぞかしお疲れなのではないでしょうか?」
ガズラン=ルティムがそのように声をかけると、ラウ=レイは「いやいや!」と陽気に応じた。
「祝宴はもちろん、朝から貴族らと語らうというのも、なかなか愉快な行いだったぞ! 誰もがヤミルの美しさと聡明さに目を見張っていたようだしな!」
「やかましいわね。無礼な家長がいつ貴族たちの怒りに触れるかと、こちらは気が気じゃなかったわよ」
「いえ。ヤミル=レイの聡明さというものに関しては、私もラウ=レイに同意いたします。オーグやロブロスといった厳格なる気性の人間こそ、ヤミル=レイの聡明さに感じ入っていたように思います」
森辺の民の一部は、朝から白鳥宮という場所で貴族たちと語らうことになったのだ。それでレイ家の両名とガズラン=ルティムは、ジザ=ルウと4名で組を作っていたのだった。
「ヤミル=レイは、レイ家でもっとも聡明な女衆でしょうからね。わたしも分家の家人として、誇らしく思っています」
レイの分家の若い女衆が、笑顔でそのように言葉を添える。彼女はかつて試食会の際、レイナ=ルウの手伝いを務めたかまど番で、その関係から礼賛の祝宴や今日の送別会に招かれることになったのだ。
そんな彼女がヤミル=レイを見る目には、心からの敬愛がたたえられている。ヤミル=レイはかつてスン家の人間として悪名を馳せていたそうだが、もうわだかまりなどはいっさい残されていないのだろう。
が、ヤミル=レイのほうはまったく甘い顔を見せることなく、つんとそっぽを向いてしまった。
「誰も彼もがそのように言いたてると、わたしは身の置き場がなくなってしまうわね。いったいどういうたくらみであるのかしら」
「たくらみだなんて、とんでもない。わたしも家長ラウ=レイと同様に、誇らしい気持ちでいっぱいなのです。ルティムの家長たるガズラン=ルティムも、きっと同じ気持ちなのではないでしょうか?」
「ええ、その通りです。ヤミル=レイやララ=ルウなどはただ貴族たちと親睦を深めるに留まらず、いわゆる社交の役割というものを担ってくださっているように思えるのです。それは本来、族長に近しい人間が担うべき役割であるとされていますが……ヤミル=レイほど聡明な御方に力を添えていただければ、これほど心強いことはありません」
「ふん。そもそも貴族を相手にする社交なんて、そこのシュミラル=リリンがもっとも手馴れているのじゃないかしら? 何せシュミラル=リリンは、何年も前から貴族相手に商売をしていた人間なのだからね」
ヤミル=レイの言葉に導かれるようにして、ガズラン=ルティムがシュミラル=リリンのほうを見つめてきた。
「もちろんシュミラル=リリンの存在も、心強くてなりませんでした。伴侶が大変な時期に参席を決断してくださり、心から感謝しています」
「いえ。ヴィナ・ルウ、そのように、願っていましたので」
シュミラル=リリンがそのように応じると、ラウ=レイが酒気でいくぶん赤らんだ顔を寄せてきた。
「ヴィナ・ルウ=リリンも、間もなく子を産み落とす時期であるのだったな! いったいどのような子が産まれるのか、俺も心待ちにしているぞ!」
「ありがとうございます。……ヴィナ・ルウ、ラウ=レイ、特別な絆、ありましたか?」
「いや! むしろルウ本家の中では、ずいぶん縁の薄い相手であったかもしれんな! しかし! 森辺の女衆が余所の生まれである人間の子を孕むのは、これが初めてであったはずだ! であれば、気にかかるのが当然であろうよ!」
「はい。私もまた、身、引き締まる思いです」
「何も案ずる必要はありません」と、ガズラン=ルティムが柔和かつ力強い笑みをたたえた。
「確かに我々は、黒き森の時代から同胞だけで血を繋いできたのでしょうが……シュミラル=リリンとて、森辺の民として生きることを許された同胞に他なりません。シュミラル=リリンとヴィナ・ルウ=リリンの間に産まれる子も、我々にとってはかけがえのない同胞であるのです」
「うむ! シュミラル=リリンはルウの血族で、もっとも猟犬の扱いが巧みであるのだからな! お前に似た子が産まれれば、お前と同じように狩人としての力を示すことができよう!」
大きな声を張り上げながら、ラウ=レイはシュミラル=リリンの背中をばんばんと叩いてきた。生粋の森辺の狩人だけが持ち得る、怪力である。
「それでもしも狩人ではなく商人としての血が濃くあらわれたなら、商人として生きればいいだけのことだ! 何にせよ、お前が父として正しき道を指し示してやるがいい!」
「私も、同じ気持ちです。……ですが、ラウ=レイの口からそのような言葉を聞かされるとは、少なからず意外でした」
ガズラン=ルティムが感心したように言うと、ラウ=レイは「そうだろうな!」と豪快に笑った。
「俺も自分の頭だけでは、そのようなことを思いついたりはしなかったように思うぞ! しかし、考えの足りない家人のために、頭を働かせることになったのだ!」
「考えの足りない家人?」
「うむ! 分家の家長である男衆が、くだらぬことを言っていたのだ! シュミラル=リリンやアスタ、それにマイムやユーミなど、余所で生まれた人間をあまり数多く招き入れてしまうと、狩人の血が薄まってしまうのではないか、とな!」
そんな風に語りながら、ラウ=レイはしなやかに引き締まった腕を胸の前で組んだ。
「特にそやつは、アスタのことを案じていた! アスタは男衆でありながら狩人の力を持たないかまど番であるので、その子も柔弱に生まれついてしまうのではないかと、そんな風に言いたてていたのだ! そんな腹立たしい言い分はあるまい!」
「そうですね。私も遺憾に思います」
「そうであろう! アスタがどれだけ柔弱であろうとも、アイ=ファはあれほどの狩人であるのだ! アイ=ファの力を半分受け継ぐだけで、そやつは勇者の力を持つ狩人であろうよ! それでもしも、柔弱な子が産まれてしまったのなら……アスタのように、かまど番として育てればいいだけのことだ! アスタはかまど番として、狩人100人分にも匹敵する働きを見せているのだから、そんなに心強い話はあるまいよ!」
中性的な作りをした細面に豪胆きわまりない笑みを浮かべつつ、ラウ=レイはそのように言い放った。
「それと同じように、マイムやユーミだってあやつらならではの力を備えているはずだ! 俺たちは外の人間を家人に迎えることで、これまでになかった力を手に入れることがかなうのだ! 心配がるより期待をかけるほうが先であろうと、俺はその男衆を怒鳴りつけてやったぞ!」
「……その男衆というのは、きっとわたしの父のことなのでしょうね。本家の家長の手をわずらわせてしまい、申し訳なく思っています」
レイの女衆が悄然とした様子で頭を下げると、ラウ=レイは「気にするな!」とぶんぶん手を振った。
「まあ、腹が立ったのは事実だが、そやつがそのようなことを言い出さなかったら、俺が頭を働かせることにもならなかったのだろうからな! そういう不安はきちんと口にした上で、ひとつひとつ潰していくべきなのであろうよ!」
「はい。きっと他の氏族でも、同じような言葉が交わされているのでしょうね」
ガズラン=ルティムは、穏やかな面持ちでそのように言っていた。
きっとガズラン=ルティムはラウ=レイの語っていたような言葉を、すでに自問自答していたのだろう。それぐらい、ガズラン=ルティムというのは聡明な人間であるのだ。
(本当に、森辺の民の清廉さと強靭さには舌を巻くばかりだ)
シュミラル=リリンは、内心でそのように考えていた。
しかしまた、森辺の民がそういう存在であったからこそ、シュミラル=リリンもその同胞になろうと決断することができたのである。ただヴィナ・ルウ=リリンが愛しいというだけでなく、シュミラル=リリンは森辺の民そのものに魅了されていたのだった。
「ともあれ、リリンの家にどのような子が産まれるのか、楽しみなところだな! しかしそれよりも、まずはダルム=ルウとシーラ=ルウの子か!」
と、ラウ=レイは御者台のほうに向きなおった。
深い闇の中、松明の火を頼りに荷車を進めながら、シン=ルウは「うむ」と応じてくる。
「俺も姉シーラの子の生誕を心待ちにしている。今日などは、今にも産声があげられているのではないかと気にかかってしかたがなかったのだが……シュミラル=リリンなどは、その比ではないのだろうな」
「はい。ですが、ヴィナ・ルウの強さ、信じています」
「うむ。ヴィナ・ルウ=リリンはルウの女衆でもとりわけ強い力を持っているからな。きっと強い子を産むことだろう」
するとラウ=レイが、また元気いっぱいに割り込んできた。
「そういえば、シュミラル=リリンはずいぶん珍しい髪色をしているが、それは親から受け継いだものであるのか?」
「はい。白銀の髪、母親、血筋です」
「そうかそうか! やはり髪や瞳の色というものは、親から受け継ぎやすいものであるのだろう! ただし、森辺においては祖父母やそれより古い人間の血が表れることも、決して珍しくはないのだ!」
それはシュミラル=リリンも、以前から感じていたことであった。森辺の民には、親とまったく異なる髪や瞳の色をした人間が数多く見受けられたのである。
「ドンダ=ルウの伴侶たるミーア・レイ=ルウはいくぶん赤みがかった髪をしているが、ララ=ルウなどは火のように赤い髪だ! あれはドンダ=ルウの父たる先代家長の血なのであろうと言われている! さらにレイナ=ルウは、ルウで珍しい黒髪をしているが……あれは、祖母たるティト・ミン=ルウの父親の血なのではないかと言われているな!」
「なるほど。興味深いです」
「うむ! だからまあ、どのような色合いで生まれつくかは母なる森しだいということだ! 場合によっては、お前やダルム=ルウの子も真っ赤な髪に生まれつくやもしれんぞ!」
「はい。心の準備、しておきます」
とはいえ、たとえどのような髪色の子が産まれたとしても、シュミラル=リリンがヴィナ・ルウ=リリンの不義を疑う理由はない。シュミラル=リリンが願うのは、健やかな出産のみであった。
そんな言葉を交わしている間に、斜めに傾いていた荷車が平常に戻る。傾斜のきつい小道を越えて、集落の道に差し掛かったという合図である。ここまで来れば、ルウの集落も目の前であった。
そして――それとほとんど同時に、シン=ルウが「む」と声をあげていた。
「うむ? おかしな声をあげて、どうしたのだ?」
「……ルウの集落に、火が灯されているのだ」
その言葉に、多くの人間が背筋をのばすことになった。今は日没から何刻も過ぎて、森辺の民であればとっくに寝入っている刻限なのである。
「であれば、ダルム=ルウらの子が産まれたのではないか? そら、さっさと荷車を進めるがいい!」
「俺たちは先頭を走っているわけではないのだから、むやみにトトスを駆けさせることはできん」
シン=ルウは沈着そのものの声音で、そのように答えた。たとえ内心でどのように昂揚していようと、それを包み隠せる強靭さを持ったシン=ルウであるのだ。
シン=ルウの運転する荷車は、常歩で森辺の道を進んでいく。
そうしてルウの集落が近づくにつれ、シュミラル=リリンも喧噪の気配を察知することになった。
「そら、手綱は俺が預かってやる! とっとと自分の目で確かめてくるがいい!」
やがて荷車の足取りが鈍ると、ラウ=レイが業を煮やした様子で御者台に押しかけた。
シン=ルウは「すまない」という言葉を残して地面に飛び降り、闇の向こうに消えていく。しかしその闇の向こう側には、いくつものかがり火が灯されていた。
「前のほうが詰まって、これ以上は進めんな。……おおい、誰かそちらで手綱を預かってくれ!」
ラウ=レイが声を張り上げると、小柄な人影が駆け寄ってきた。スドラの若き狩人、チム=スドラである。
「そちらは全員、ルウの血族だったな。俺が手綱を預かるので、様子を見てくるがいい」
「うむ! 頼んだぞ! ヤミル、お前もさっさと来い!」
ヤミル=レイは無関心を装っていたが、ラウ=レイに呼ばれてしかたなさそうに荷車を降りた。シュミラル=リリンたちも、それに続いて集落を目指す。
森辺の道には、7台の荷車が並んでいる。その脇を駆け抜けて、シュミラル=リリンたちは集落の広場に足を踏み入れた。
広場には、いくつものかがり火が焚かれている。
しかしそれは、ひとつの家の周囲に集中していた。そしてそれは、ダルム=ルウとシーラ=ルウの家に他ならなかった。
赤々と燃えるかがり火に、多くの人々の姿が照らし出されている。ルウの家人たちと、荷車から駆けつけた面々だ。
それらの顔には、いずれも喜びの表情が浮かべられており――そして、シュミラル=リリンの耳に期待していた通りの声が飛び込んできた。
赤ん坊の、弾けるような泣き声である。
「ずいぶん絶妙の頃合いに戻ってきたものだな。これも、母なる森の思し召しか」
と、長身の人影がシュミラル=リリンたちの前に立ちふさがった。顔や手足に数々の古傷を負った、ルウ分家の若き家長――ディグド=ルウである。
「しかし、ここでいったん足を止めてもらおう。ダルム=ルウ家の赤子はつい先刻、産まれたところであるのだ。今は家族のみ、家の中に招かれている」
「では、シーラ=ルウも赤子も元気であるのだな?」
こちらの先頭に立っていたラウ=レイが勢いよく問い質すと、ディグド=ルウは「うむ」と首肯した。
「しかし、子を産んだばかりの母親というのは、ひどく疲弊しているものだ。さしたる縁を持たない人間は、明日の朝にでも出直すべきではなかろうかな」
「や、やっぱり血の縁を持たない人間は、遠慮するべきでしょうか?」
と、シュミラル=リリンの横合いから馴染み深い声がする。いつの間にか、その場にはアスタとアイ=ファも駆けつけていたのだ。そちらを振り返ったディグド=ルウは、「ふふん」と古傷で歪んだ顔で笑った。
「お前たちは、ダルム=ルウともシーラ=ルウとも深い縁を持っているのだという話だったな。お前たちに挨拶を許すかどうかは、ダルム=ルウ次第だ。その返事が欲しければ、しばしその場で待っておけ」
「はい! ありがとうございます!」
最近のアスタはすっかり大人びていたが、今は黄色みがかった頬を紅潮させ、その目には早くも涙をにじませている。いっぽうのアイ=ファは厳しい面持ちで、惑乱する気持ちを懸命に抑え込んでいるようであった。
「アスタ、アイ=ファ、お疲れ様です」
シュミラル=リリンが声をかけると、アスタはびっくりまなこでこちらに向きなおってきた。
「あ、ああ、シュミラル=リリン。どうもすみません。つい取り乱して、シュミラル=リリンのことにも気づいていませんでした」
「いえ。アスタ、シーラ=ルウ、縁、深いのですから、当然です」
シュミラル=リリンがアスタと出会った頃、屋台の手伝いをしているのはヴィナ・ルウ=リリンただひとりであった。しかしそれからほんの数日で、シーラ=ルウとララ=ルウも新たな屋台で働くことになったのである。それからもう、2年以上の日が過ぎていたのだった。
あの頃と比べて、アスタは別人のように逞しくなっている。ただ背がのびたというだけでなく、その内面が大きく成長したのだ。しかし今のアスタは、シーラ=ルウが無事に子を産んだのだという喜びと、本当に無事であるのかという不安で、すっかり心を乱してしまっているようであった。
だがそれは、シーラ=ルウと深い縁を結んだ人間すべてに共通する思いであるのだろう。その場にたたずむ人々の多くは、アスタと同じように自らの気持ちを持て余している様子であった。とりわけ、若い女衆はその傾向が顕著であるようだ。
(シーラ=ルウは子を孕むまで屋台の取り仕切り役を果たしていたし、集落においては美味なる料理の作り方を手ほどきする指南役だった。それでこれだけの人望を得ることになったのだろう)
よくよく見れば、その場にはアスタたち以外にも血族ならぬ人間が大勢駆けつけていた。城下町の祝宴に参じた女衆である。トゥール=ディン、ユン=スドラ、レイ=マトゥア、マルフィラ=ナハム、ガズ、ラッツ、リッドの女衆など――やはり、屋台の商売を手伝っている人間が大半であるようであった。
「……でも、これだけの人間を家に迎えるのは、シーラ=ルウの負担になってしまうでしょうね。わたしたちは、家に戻るべきかもしれません」
そのように声をあげたのは、ラッツの女衆である。そのそばにたたずんでいたラッツの若き家長は、「そうなのか?」と首を傾げた。
「もとより俺は、さほど縁を持つ相手ではなかったので、遠慮する心づもりであったがな。しかしお前は、女衆のほうとそれなりの縁を持っていたのであろう?」
「はい。わたしはルウでも勉強会に加わっていたので、シーラ=ルウには何度もお世話になっています。ですが、血族の方々はもちろん、アスタやトゥール=ディンらと比べても、そうまで長きの時間をともに過ごしていたわけではありません。もちろん、シーラ=ルウの出産を祝いたい気持ちはあるのですが……ここは身を引いて、シーラ=ルウの負担を減らしたく思います」
「お前がそのように考えたのなら、それでかまわんぞ。では、帰る人間と居残る人間で分けることにするか」
そうしてラッツの家長の取り仕切りで、いくらかの人間は退去することに決められた。むろん、アスタとアイ=ファは居残る側だ。
そして、その有り様を横目に、ラウ=レイがシュミラル=リリンに声をかけてきた。
「お前もダルム=ルウたちとは、それほど深き縁はあるまい? 伴侶のことが心配であろうから、家に戻ってもいいように思うぞ」
「はい。ですが、ダルム=ルウ、ヴィナ・ルウの弟です。様子、どのようであったか、知りたがる、思います」
「おお、そうだったそうだった! これはうっかりしていたな! では、存分に居残るがいい。俺たちは、明日の朝にでも押しかけるとしよう」
そうしてルウの血族でも、一部の人間は家に戻ることになった。産後の母親というのは、それだけ消耗しているものであるのだ。それを気づかって挨拶を控えるというのも、れっきとした愛情であるはずであった。
かくして、祝宴に参じた23名の内、半数ていどは退去することになった。なおかつ、レイナ=ルウたちは家族としてすでに母屋に招かれているので、後に残されたのは10名足らずだ。ただし、ルウ分家の家人らが大勢たたずんでいるので、賑やかなことに変わりはなかった。
「……アスタ、大丈夫ですか?」
シュミラル=リリンが呼びかけると、アスタはそわそわと身をゆすりながら「はい」とうなずいた。
「シーラ=ルウも赤ちゃんも無事だと聞いてるのに、どうにも落ち着かなくて……性根が据わっていなくて、情けないです」
「そのようなこと、ありません。多くの人間、同じ気持ちです。シーラ=ルウ、思いやるからこそ、不安な気持ち、生じるのです」
「ありがとうございます。シュミラル=リリンと話していると、それだけでずいぶん気持ちが落ち着きます」
そう言って、アスタははにかむように微笑んだ。
「シュミラル=リリンこそ、ヴィナ・ルウ=リリンのことが心配でしょう? ここからリリンの家までは、けっこうかかりますもんね」
「はい。ですが、ヴィナ・ルウの強さ、信じています」
シュミラル=リリンは、朝から何度も同じ言葉を繰り返している。
ヴィナ・ルウ=リリンであれば、きっと無事に子を産んでくれる。そして、ヴィナ・ルウ=リリン自身が、シュミラル=リリンにそう信じてほしいと願ってくれている。だからシュミラル=リリンは暗雲のように広がる不安な気持ちをねじ伏せて、この場でこうして立っていられるのだった。
「お待たせー! シーラ=ルウも元気になってきたから、順番にご挨拶をいたします、だってー!」
しばらくして、戸板の隙間から顔を覗かせた幼子がそのように言いたてた。ダルム=ルウの妹のひとり、リミ=ルウである。そしてその後から家の外にまで出てきたのは、彼女たちの父親であるドンダ=ルウであった。
「ふん。まだこれだけの人間が居残っていたか。……ダリ=サウティ、城下町の祝宴はご苦労だったな」
「うむ。俺はお前に挨拶をしようと思って、居残っていたのだ。次兄ダルム=ルウの子が無事に産まれたことを、祝福する」
ダリ=サウティが穏やかな面持ちでそのように呼びかけると、ドンダ=ルウはいつもの重々しさで「うむ」と応じた。
しかし、いつでも火のように烈しい眼光が、ほんの少しだけやわらいでいる。本日は、ドンダ=ルウにとって3人目の孫が産まれた日であるのだ。どれだけ気持ちを引き締めようと、その胸中には喜びの激情が渦巻いているはずであった。
「では、順番に挨拶をするがいい。……シュミラル=リリン、アイ=ファ、アスタ、まずは貴様たちからだ」
「うむ? 血族ならぬ私たちは、後に控えるべきではなかろうか?」
「貴様たちは家が遠いのだから、さっさと用事を済ませるがいい。シュミラル=リリン、貴様もな」
きっとドンダ=ルウも、ヴィナ・ルウ=リリンのことを気づかってくれているのだろう。シュミラル=リリンは最大限の感謝を込めて、「ありがとうございます」と一礼してみせた。
そうしてシュミラル=リリンはファの両名とともに、戸板をくぐる。
森辺の家屋は、土間のすぐ向こうが広間である。その場には、とても大勢の人間の姿が燭台によってぼんやりと照らし出されていた。
子を産んだシーラ=ルウと、その両親であるリャダ=ルウとタリ=ルウ。弟にして家長たるシン=ルウと、さらにふたりの弟たち。そして、シン=ルウ家の家人であるミダ=ルウ。
ダルム=ルウの側は、長兄たるジザ=ルウと伴侶のサティ・レイ=ルウ。その長兄たるコタ=ルウと、草籠で眠る赤子のルディ=ルウ。最長老のジバ=ルウと、母親のミーア・レイ=ルウ。ジザ=ルウとともに城下町から帰ったばかりである、レイナ=ルウ、ララ=ルウ、リミ=ルウ――それだけの人間が、広間に集っていたのだった。
ダルム=ルウとシーラ=ルウは婚儀を挙げて、すでにそれぞれの家を出た身となる。しかし、かつての家族たちと血の縁が薄らぐことはないのだ。その場には、喜びの情念が目に見えるような濃密さでたちこめているかのようであった。
「アスタ、アイ=ファ、シュミラル=リリン……このように遅い時間に、わざわざありがとうございます」
広間の中央で寝具の上に座したシーラ=ルウが、ひそやかに微笑みかけてくる。
その手に、彼女の子が抱かれていた。
嘘のように小さな、しかし丸々と肉のついた、元気そうな赤子だ。
まだ日の光に触れていないため、肌の色はわずかに薄い。そして、小さな頭にうっすらと生えた髪は、両親と同じように黒褐色であるようであった。
「シーラ=ルウ、ダルム=ルウ、おめでとうございます。……とても元気そうな赤ちゃんですね」
そのように答えるアスタは、もう涙声になっていた。
赤子はつい先刻まで泣き声をあげていたが、今はぐっすりと寝入っているようだ。その安らかな寝顔を目にすると、シュミラル=リリンも胸が詰まってしまった。
「そちらは、男の子ですか? 女の子ですか? けっこう身体は大きいように思うのですけれど……」
「男児です。ダルムのように立派な狩人を目指せるよう、心して育てたく思います」
シーラ=ルウの顔には疲労の色が濃かったが、それを上回る幸福な気持ちがあらわにされていた。
かつては月の下にひっそりと咲く花のように見えたシーラ=ルウであるが、婚儀を挙げた後には沈着さを残したまま力強さを増し、懐妊の後にはさらにその傾向が強まった。そうしてそれらの力でもって、彼女は無事に子を産み落とすことになったのだった。
伴侶と子のそばにぴったりと寄り添ったダルム=ルウも厳しい表情を保持しつつ、その眼差しは果てしなく優しげである。彼がどれだけ幸福な気持ちであるかは、シュミラル=リリンも間もなく体感できるはずであった。
他の家人の人々も、誰もが幸福そうな表情だ。その中で、激情家であるララ=ルウや純朴なるミダ=ルウはこらえようもなく涙をこぼしてしまっている。そして、朗らかに笑うレイナ=ルウやリミ=ルウも、瞳に涙を溜めているようであった。
「……アスタ、だいじょうぶ? ないてるの?」
と、眠たげに目もとをこすっていたコタ=ルウが、心配そうに声をあげた。
アスタもまた目もとをぬぐいながら、そちらに笑いかける。
「大丈夫。これは嬉し涙だからね。……コタ=ルウも、こんな遅くにお祝いに来たんだね」
「うん」と、コタ=ルウはあどけなく笑う。すると、草籠を揺らしていたサティ・レイ=ルウがその頭をそっと撫でた。
「ルディと同じように、この子もコタが面倒を見てあげてね。まだ幼いあなたにはわからないでしょうけれど……あなたやルディやこの赤子が、ルウの行く末を担っていくのよ」
それは確かに幼子には難しすぎる話であっただろうが、コタ=ルウは茶色の瞳を聡明そうに輝かせながら「うん」とうなずいていた。
かくして――森辺で最大の規模を持つルウ家は、ここにまた新たな家人を迎えることに相成ったのだった。




