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異世界料理道  作者: EDA
第七十二章 糾える道
1252/1695

送別の祝宴⑦~幸福な記憶~

2022.9/13 更新分 1/1

・本日の更新はここまでです。更新再開まで少々お待ちください。

 南の王都の使節団の満足そうな姿を見届けたのち、俺はゲルドの使節団の面々にも料理の説明を果たすことになった。

 ゲルドの人々も、本日の宴料理に満足していただけた様子である。その中でもっとも熱意をあらわにしていたのは、もちろん付添人たるプラティカであった。


「いずれも、素晴らしい味わいです。また、メライアの食材、素晴らしさ、痛感しました。バナームの食材ともども、ゲルドにて、買いつけられること、祈っています」


「はい。プラティカの言葉、アルヴァッハ様、お伝えします」


 使節団の責任者たる人物も、そのように言ってくれていた。彼はアルヴァッハにも劣らない頑健なる体格と魁偉なる容貌の持ち主であるが、西の言葉は丁寧な言葉しか習得していないのだろう。誰に対しても礼儀正しい言葉づかいであるのが、なんとも味わい深かった。


 そんな彼らのやりとりを、シュミラル=リリンが穏やかな眼差しで見守っている。ガズラン=ルティムとレイの女衆は道中で別なる貴族に引きとめられて、行動を別にすることになったのだそうだ。シュミラル=リリンが城下町の祝宴に招かれたのはトトスの早駆け大会の祝賀会のみであったように記憶しているが、会場の熱気や絢爛さに気圧されている様子は皆無であった。


(きっとヴィナ・ルウ=リリンのことだって気がかりだろうに、シュミラル=リリンは本当に大したお人だな)


 俺がそのように考えていると、責任者の人物がまたこちらに向きなおってきた。


「森辺の料理、ジェノスの料理、バナームの料理、すべて美味です。今日の話、伝えれば、アルヴァッハ様、激しく羨望するでしょう。私、唯一、気がかりです」


「あはは。俺もアルヴァッハやナナクエムにお会いしたいです。でもやっぱり、ご藩主の第一子息ともなると、そうそう故郷は離れられませんもんね」


「はい。ですが――」と責任者たる男性が言いつのろうとしたとき、アイ=ファが「む」とおかしな声をあげた。

 そちらを振り返ると、派手派手しい一団の接近が見て取れる。ティカトラスのご一行である。


「やあやあ! ようやくここまで辿り着けたよ! バナームの料理も素晴らしかったし、ダイアの料理の絢爛さも相変わらずであったので、なかなか歩を進められなくってさ!」


 ちょっとひさびさの再会であったが、ティカトラスも存分に祝宴を楽しめているようだ。そしてそのかたわらにはデギオンとヴィケッツォ、ラウ=レイとヤミル=レイばかりでなく、アリシュナまでもが控えていた。


「ああ、アリシュナもご一緒でしたか。ようやくご挨拶できましたね」


「はい。南の民、目、障らぬよう、控えていました」


 アリシュナが招待されていたことは、俺も事前に聞かされていた。彼女は試食会や礼賛の祝宴にも招待されていたし、ティカトラスともご縁を紡いでいたのだから、まあ不思議なことはないだろう。

 ただし、南の民というものは、西の民よりも遥かに星読みの技を忌避している。それで彼女も星読みの余興を行うことなく、通常の参席者として祝宴に招かれているわけであるが、それで余計に身の置きどころがなかったのかもしれなかった。


「……あなた、衣装、これまで通りですね」


 プラティカがそのように語りかけると、アリシュナは「はい」とだけ答えた。そしてすぐさま、ティカトラスが言葉を重ねてくる。


「こちらのアリシュナにも宴衣装を贈ろうと画策していたのだけれども、肌をさらすのは気恥ずかしいという話であったのでね! ならばと、わたしも提案を引っ込めることになったのだよ!」


「そんなひと言で、お断りすることができたのね。であれば、わたしにも事前に言葉をかけてもらいたかったところだわ」


 ダークグリーンの豪奢な宴衣装を纏ったヤミル=レイがクールな面持ちでそのように口をはさむと、ティカトラスはにんまりと笑いながらそちらを振り返った。


「いやいや! わたしはアリシュナに断られたからこそ、他の面々には決して事前に伝えまいと心に誓ったのだよ! 特にアイ=ファとヤミル=レイは、それほどの美貌であるのだからさ! 美しき女人は、その資質に相応しい衣装で世界を彩るべきであるのだよ!」


「うむ! 俺もヤミル=レイの宴衣装は、心から気に入っているぞ!」


 ラウ=レイは、ご機嫌な様子で同調している。アイ=ファは懸命に溜息をこらえている様子であったが、ラウ=レイたちがこれまでティカトラスの相手をしてくれていたならば、大きな感謝を捧げたいところであった。


「……シュミラル=リリン、そちら、ご一緒だったのですね」


 と、ティカトラスらが騒いでいる間に、アリシュナが夜の湖めいた眼差しをシュミラル=リリンのほうに転じた。こちらの両名は遥かなる昔日、《銀星堂》の晩餐会をともにした間柄であったのだ。


「伴侶、懐妊したと聞き、ずっと気になっていました。そちら、問題ありませんか?」


「はい。母子ともに、健やか、過ごしています。もう間もなく、出産、迎えることでしょう」


「そうですか」と応じてから、アリシュナはティカトラスのほうに向きなおった。


「ティカトラス、これまで、ありがとうございました。私、シュミラル=リリンやゲルドの方々と、行動、ともにしたく思います」


「うん! 君は君の自由にしたまえ! それじゃあわたしは、アスタたちの心尽くしをいただこうかな! ダイアの料理の絢爛さには遠く及ばないけれど、どれもこれも素晴らしい香りじゃないか!」


 ということで、アリシュナを加えたゲルドの一団はレイナ=ルウの料理の卓へと移っていき、俺はティカトラスの一行をお迎えすることになった。

 ただし、ティカトラスは料理の説明など求めることなく、嬉々として自分の感想を並べたてていく。俺としては、その合間に言葉をさしはさむばかりであった。


「そういえば、ティカトラスが買いつけるのは白ママリアの酢と果実酒だけなのですよね。もしかしたら、西の王都にはメライアの食材も流通しているのでしょうか?」


「うん! というか、ドーラやアールなんかは王都の近在でもたくさん育てられているからね! メライアの食材も質は悪くないようだけど、わざわざ特別に買いつけるほどではないかな!」


「なるほど。黒いフワノも同様ということですか」


「そういうこと! ただ、白い酢と果実酒に関してだけは、バナームの質が秀逸であったからね! ジェノスの赤い酢や果実酒と同様に、たっぷり買いつけさせていただくつもりだよ!」


 それでバナームやトゥランの懐が潤うのであれば、俺としても喜ばしい限りである。ティカトラスはアラウトだけでなく、リフレイアにとっても上客であるようであった。


(そういえば、リフレイアの姿を見かけないな)


 ダレイム伯爵家やサトゥラス伯爵家の面々、それにムスルを引き連れたトルストなどは入れ代わり立ち代わりでやってきてくれたが、リフレイアだけはいまだ姿を見ていない。もう上級貴族たちが行動の自由を得てから一刻ぐらいは経っているはずなのに、珍しいことであった。


(もしかしたら、俺がカルスたちの料理をいただいてる間に、こっちの料理を食べ終えてたのかな。そうだとしたら、ずいぶん素早い行動だけど)


 そんな風に考えながら、俺は大広間の様相を見回してみた。

 250名もの参席者とその従者たちが集っているので、なかなか全容は把握しきれない。ただ、森辺の同胞は褐色の肌をしているし、おおよそは同じ様式の宴衣装を纏っているため、目につきやすかった。


 現在はユン=スドラたちが隣の卓に陣取ってくれているため、マルフィラ=ナハムやフェイ=ベイムたちも自由に大広間を行き来している。ガズラン=ルティムはジーダやマイムと合流して、ダイアの料理の卓でデルシェア姫たちと語らっているようだ。

 ダリ=サウティは血族たる3名を引き連れて、ダレイム伯爵家の当主および第一子息の夫妻とともに大広間を闊歩している。彼らはさきほどもこちらの卓でともに宴料理を食しており、ひさびさの再会を寿いでいた。


 ラッツはガズと組を作って、円卓でお酒を楽しんでいる。妙に騒がしいなと思ったら、ラッツの家長はデヴィアスと意気投合している様子である。デヴィアスもさきほどこちらの卓に立ち寄って、ひとしきりアイ=ファにあしらわれてから立ち去っていったのだった。


 トゥール=ディンはモルン・ルティム=ドムやリッドの女衆に説明役をお願いしたらしく、ザザの姉弟およびオディフィアたちと一緒に大広間を巡っている。トゥール=ディンのかたわらにぴったりと寄り添ったオディフィアは、まるで可愛らしい子犬のようであった。


 ひとつ向こうの卓にはまだレイナ=ルウたちが居残っており、現在はリーハイムらと語らっている。レイリスはひさびさにシン=ルウと出会えたのがとても嬉しそうだ。

 そしてララ=ルウはいまだにジザ=ルウと行動をともにしており、現在は円卓でオーグと語らっていた。フェルメスとジェムドはいっぺんこちらに姿を現したが、マロールの料理と菓子を食した後はすぐに立ち去ってしまい、今も姿が見えなかった。


「どうしたんだい? アスタは誰かを探しているのかな?」


 と、いきなりティカトラスの顔が視界に割り込んできて、俺は思わず「わっ」と声をあげてしまった。


「し、失礼しました。まだご挨拶をしていない方々の姿を探していたのですが……これだけ盛況だと、やはり難しいようですね」


「うんうん! このていどの人数は王都なら珍しくもないけれど、やはりジェノスならではの活気にあふれかえっているよね!」


 ティカトラスは無邪気に笑いながら、長羽織のような装束の袖をぱたぱたとそよがせた。


「なんといっても物珍しいのは、東と南の方々が一堂に会していることだ! これは王都じゃ、まずお目にかかれない光景であるからね!」


「はい。西の王都だと、シムなんかはなおさら遠方ですものね」


「うんうん! なおかつ、ジャガルとの間にはゼラド大公国が立ちはだかっているからさ! よほど大きな祝宴であれば、海路でジャガルの貴き方々をお招きすることもありえるけれど、そんなのはせいぜい王族にまつわる祝典ぐらいだろうね!」


 そんな風に言いながら、ティカトラスはいっそう愉快そうに白い歯をこぼした。


「それに、王都では格式というものが邪魔をしてしまう! 王族たるデルシェア姫や公爵家たるロブロス殿はまだしも、一介の武官や商人などが王都の祝宴に招かれることなど、そうそうありえないからさ! 武官の集まりであるゲルドの使節団に、料理番のプラティカ、占星師のアリシュナ、鉄具屋のディアルなど、王都ではまず賓客として迎えられることもないだろう!」


「では、森辺の民など言わずもがなだな」


 アイ=ファがさしたる感銘を受けた様子もなく口をはさむと、ティカトラスは「その通り!」と声を張り上げた。


「だからこれは、ジェノスならではの祝宴であるのだよ! 森辺の民を領民とし、シムともジャガルとも深い絆を結んだ、ジェノスならではの盛況さだ! だからわたしは、これほどまでに胸が高鳴ってしまうのだろう! 次にジェノスを訪れる日が楽しみでならないよ!」


「……あなたは再び、ジェノスを訪れようという心づもりであるのか?」


「もちろんさ! 家族とともに復活祭を過ごしたら、すぐさま舞い戻ってくるつもりだよ!」


 アイ=ファはくらりとよろめいて、俺の肩に手をあてることで身を支えた。その可憐な唇から放たれたのは、「何故?」という短い言葉のみである。


「何故って、デルシェア姫もダカルマス殿下ともども、その時期にジェノスを訪れるご予定なのだろう? なおかつ! ゲルドのアルヴァッハ殿までもが来訪するというのなら、そんなに心が躍ることは他にないじゃないか!」


「待たれよ。アルヴァッハが来訪するなどという話は、聞いておらんぞ」


「うん。今のところ、そういう話は持ち上がっていないようだねぇ」


 と、ティカトラスはにんまり微笑んだ。


「でも、ダカルマス殿下は次の来訪時に、また目新しい食材を携えてこられるご予定なのだろう? であれば、アルヴァッハ殿だって同席したいと願うはずさ! 見本の食材がひと月がかりで送られてくるのを待ち受けているなんて、そんなにもどかしい話はないからね!」


「……あなたはアルヴァッハと面識はないはずだな?」


「うん! でも、アルヴァッハ殿の逸話は浴びるほどに聞き及んでいるからね! それにアルヴァッハ殿は、今年も復活祭が終わるなりジェノスに駆けつけてきたというのだろう? そうして1年も過ぎ去ったならば、ジェノスが恋しくてならないはずさ! だってジェノスは、これほどに楽しい地であるのだからね!」


 ティカトラスは昂揚しきった様子で、また両方の袖をぱたぱたとそよがせた。


「だからわたしも、ダカルマス殿下やアルヴァッハ殿と同じ喜びを分かちたく思う! 西と南と東の美食家が一堂に会するなんて、こんなに愉快なことは他にないだろう! これもすべて、アスタという卓越した料理人が招いた運命なのだろうね!」


 アイ=ファは頭痛をこらえるように、自分のこめかみに手を当てた。もう片方の手は俺の肩にあてられたままであったので、そこからアイ=ファの温もりと苦悩の思いが等分に流れ込んでくるかのようだった。


「だからこのたびも、湿っぽい挨拶などは不要だよ! 復活祭を終えてジェノスまで駆けつけるのに、せいぜい3ヶ月! そんな時間は、過ぎてしまえばあっという間さ! ……ということで、わたしたちはレイナ=ルウの準備した料理をいただくことにしようかな!」


 いきなり話題を切り上げて、ティカトラスの一行は隣の卓に移動していった。ラウ=レイたちもそれに追従したので、俺とアイ=ファはふたりだけで取り残される。しかし、俺がアイ=ファにいたわりの言葉をかけるより早く、別なる一団がこちらに近づいてきたのだった。


「あら、ちょうどティカトラス殿が移動されたようね。アラウト殿には、幸いであったかしら?」


「いえ、決してそのようなことはありませんが……アスタ殿たちと静かに語らえることはありがたく思います」


 それは、トゥラン伯爵家とバナームの一行であった。ただし、アラウトとカルス、リフレイア、従者の腕章をつけたサイとシフォン=チェルという少数精鋭である。


「ああ、どうも。リフレイアとは、ようやくご挨拶ができましたね」


「ええ。最初に立ち寄ったのがバナーム料理の卓であったから、ついついそちらで長居をしてしまったの」


 すました顔で、リフレイアはそう言っていた。本日も、黄色を基調とした宴衣装の姿だ。


「そちらの卓には立場のある方々がひっきりなしにやってくるから、わたしとしても都合がよかったのよ。森辺の方々とも、おおよそご挨拶をできたように思うし……ただ、アスタたちとはちょうど入れ違いになってしまったようね」


「そうでしたか。森辺の料理は、もうお食べになられましたか?」


「それがまだだから、こうしてアラウト殿とご一緒にうかがったのよ。アラウト殿なんて、これが初めて口にする料理なのですって」


「はい。食事をしながらご挨拶をすることはできませんでしたので。でも、リフレイア姫もまだカルスの料理しか口にされていないのでしょう?」


「そう。だからわたしも、お腹がぺこぺこですわ。森辺の料理を楽しむには、うってつけですわね」


 アラウトとリフレイアの間には、とても和やかな空気が感じられる。これまで同じ時間を過ごすことで、またさらに交流を深められたのだろう。


(でも、義理堅いアラウトはともかくとして、リフレイアまで一刻以上も同じ場所に腰を落ち着けてたのか。こんな祝宴でずっと同じ場所に留まってるなんて、あまり普通のこととは思えないけど……)


 俺がそのように考えていると、リフレイアの肩越しにシフォン=チェルが微笑みかけてきた。が、何も語ろうとはしない。


「それじゃあ、さっそくアスタたちの心尽くしをいただきましょう。よかったら、料理の説明もお願いできるかしら?」


「ええ、喜んで」


 ということで、俺はまた説明役を担うことになった。

 アラウトは、真剣きわまりない面持ちで料理を口に運んでいく。そしてそのたびに、感じ入ったような言葉をもらしてくれた。


「どれも素晴らしい出来栄えです。初めて手にした食材で、これだけの料理を手掛けられるなんて……やはりアスタ殿の手腕は、このジェノスでも抜きんでているように感じられます」


「いえいえ。俺は故郷で、似たような食材を使っていたからに過ぎません。そういう意味では、レイナ=ルウやトゥール=ディンのほうがよほどすごいと思いますよ」


「ですがそれも、アスタ殿の指南があってこそと聞き及んでいます。メライアの食材をこうまで見事な料理に仕上げていただき、僕まで誇らしい気持ちです」


 すると、その影で料理を食していたカルスも、目を泳がせながらふにゃんと微笑んだ。


「ほ、ほ、本当に、どれも素晴らしい味わいです。そ、それに、こちらの料理ではバナームの食材も使っていただけたのですね。ぼ、僕なんかの料理よりも、よほどバナームの食材の素晴らしさを伝えてくださったように思います」


「それこそ、とんでもない話です。デルシェア姫も、カルスの料理を味わってから判断すると仰っていましたよ」


「ええ。デルシェア姫も、たいそうご満足していたようよ。すべての料理に、美味だと仰っていましたもの」


 リフレイアも、その光景をずっと横から見守っていたわけである。アラウトは、とても誇らしそうに微笑んでいた。


「ジェノスの方々のお力添えもあって、カルスは十全に役目を果たしてくれました。僕も胸を張って、故郷に戻れそうです」


「アラウト殿も近日中に、バナームに戻られてしまうのよね。もう半月以上も滞在されているのだから、それもしかたのないことだけれど……思ったほどご一緒することができなくて、残念な限りですわ」


 リフレイアはすました顔をしていたが、アラウトはいくぶん頬を染めることになった。


「で、ですが、僕はそれほど日を空けずに、またジェノスにお邪魔したく思っています。その際には、またリフレイア姫を晩餐会などにお招きしてもよろしいでしょうか?」


「ええ、もちろんですわ。というか、こちらこそ歓待しなければならない立場ですわよね。トルストとも相談しておくので、どうかこちらからもお招きさせてください」


 丁寧な言葉を使っているためか、リフレイアのほうは貴族らしい社交辞令であるように聞こえてしまう。

 ただ、淡い色合いをした彼女の瞳は、とても澄みわたった光をたたえていた。少なくとも、アラウトと交流を深めたいという気持ちに嘘はないようである。


(どうも今ひとつ、リフレイアの内心がわからないな。……まあ、俺が詮索する話でもないか)


 俺がそのように考えたとき、環境音楽と化していた楽団の演奏が華やかさを帯びた。控えめな歓声がわきおこり、大広間を行き交っていた人々が外側に退いていく。そうして空いたスペースに、あらためて若い男女が進み出ていった。


 本日は、舞踏の時間が作られていたのだ。最初に舞台へと進み出たのは、やはり未婚の貴公子や貴婦人たちであるようであった。


「あら、もうそんな刻限になってしまったのね。まあ、おおよその方々は宴料理をひとしきり楽しんだ頃合いなのでしょう」


 リフレイアは我関せずといった面持ちで、卓の料理をつまみあげた。

 すると、いっそう頬に血をのぼらせたアラウトが、決然とした表情で一礼する。


「リ、リフレイア姫。よければ……僕と1曲、踊っていただけませんか?」


 ネルッサの肉巻きを頬張ったところであったリフレイアはきょとんとした顔でそれを咀嚼してから、「わたしと?」と応じた。


「わたしなんて、名目だけの当主なのだから……主賓に等しいアラウト殿には、もっと相応しいお相手がおられるのじゃないかしら?」


「いえ。最初の1曲はリフレイア姫をお誘いしようと、心に決めていたのです」


 アラウトは真剣そのものの面持ちであり、それを見守るサイもたいそう息を詰めているようであった。

 そしてリフレイアは、しばし思案したのち「そうですわね」と首肯する。


「バナーム侯爵家とトゥラン伯爵家は、これ以上もなく悪縁を抱えた立場であったのだから……その悪縁が解きほぐされたのだと、広く知らしめる必要があるのでしょうね」


 アラウトは「はい」とうなずき、わずかに震える指先をリフレイアのほうに差し出した。

 リフレイアはどこかあどけない顔で微笑み、その手に自分の手を添える。


「でも、わたしは舞踏なんて、すっかりご無沙汰ですの。どうかわたしに足を踏まれないように、お気をつけくださいね」


「僕の足など、好きなだけお踏みください」


 アラウトはまだ血の気のさがっていない顔で、それでも彼らしい純真な微笑をたたえた。

 そうしてひときわ若い貴公子と貴婦人が、舞踏の場へと進み出ていく。その姿を見やりながら、アイ=ファがふっと息をついた。


「どうも……あのふたりを見ていると、時おり気が張ってしまうな」


「うん。俺も同じ気持ちだよ」


 俺がそのように答えると、シフォン=チェルがふわりと近づいてきた。


「リフレイア様は、トゥラン伯爵家を再興することにすべての力を捧げようと決意されているのです……そして……ご自分とさほど変わらない若年でありながら、大きな仕事を果たされているアラウト様のことを、心から尊敬なさっているようです……」


「ああ、きっとそうなんでしょうね。バナームに滞在していたときから、そんな風に感じていました」


 俺がそのように応じると、シフォン=チェルはサイたちの耳をはばかるように声をひそめた。


「ですから……さらにその奥にあるご自分のお気持ちには、いまだ気づいておられぬようであるのです……アスタ様たちも、リフレイア様のことを静かに見守っていただけますか……?」


 俺は思わず言葉を失ってしまったが、アイ=ファはすぐさま「うむ」と応じた。


「我々にとっては、リフレイアもアラウトも小さからぬ縁を持った相手となる。しかし、そうだからこそ、無用な手出しをして場をかき回すことはない。何も案ずる必要はないぞ」


「ありがとうございます……」と、ひときわやわらかい微笑を残して、シフォン=チェルは身を引いた。


 俺はあらためて、リフレイアたちのほうに視線を飛ばす。

 口ではあのように言いながら、リフレイアは他の貴婦人に負けない優雅さでアラウトの相手を務めているようであった。

 しかし、リフレイアは13歳、アラウトだって15歳かそこらの若年だ。彼らがこれからどのような運命を辿るかなど、占星師にしか見当はつけられないはずであった。


(それに、星の動きがどうだろうと、運命をつかむのは自分たちなんだからな)


 俺がそんな風に考えたとき、いきなり極彩色の存在が視界に割り込んできた。けばけばしい装束のティカトラスが、ヴィケッツォの手を取って舞踏の場に躍り出たのだ。その姿に、アイ=ファが溜息をこぼしていた。


「姿だけでも、騒がしいやつだ。……銀の月の終わりには、あやつの言う通りの事態に見舞われてしまうのであろうか?」


「それは、アルヴァッハ次第だな。まあ、ダカルマス殿下とティカトラスが来訪することは、ほぼ確定みたいだけどさ」


「それだけでも、十分な騒がしさだな。想像したけで、目が眩んでしまいそうだ」


「あはは。でもその前に、まずは復活祭だぞ。それに復活祭だって、まだひと月も先の話なんだからな」


 そう言って、俺はアイ=ファに笑いかけてみせた。


「それに、3人がそれぞれ違う時期にやってくるよりは、まだ苦労も少ないんじゃないかな。そのぶん、3倍ではきかない騒がしさになりそうなところだけどさ」


「うむ。私も、それを案じているのだ」


「アイ=ファの気持ちは、よくわかるよ。でも……それはそれで、楽しそうじゃないか」


 俺がそのように答えると、アイ=ファはびっくりしたように目を見開き――それから、やわらかい微笑をたたえた。


「お前はまた、強く成長したようだな。家長として、これほど心強いことはないぞ」


「それもみんな、アイ=ファのおかげだよ」


 俺は混じり気のない真情で、そんな風に答えることができた。

 祝宴の会場には、とほうもない熱気ときらめきが満ちている。しかし、ティカトラスとダカルマス殿下とアルヴァッハが一堂に会するようなことになれば、これをも上回る盛大な何かが繰り広げられることだろう。そしてそれは3ヶ月後の話であり、その前には太陽神の復活祭が控えている。アイ=ファの言う通り、それは想像するだけで目眩のしそうな慌ただしさであるのだろうが――しかし、俺の胸に去来するのは期待と喜びの気持ちだけであった。


 楽しいと思えることのために、力を尽くすことができる。それがどれほどの喜びをもたらすものであるか、俺はこの2年と数ヶ月の間で思い知らされているのだ。それを俺に教えてくれたのが、アイ=ファや森辺の同胞たちや、いま目の目で祝宴を楽しんでいる人々や――それに、そろそろ寝自宅を始めているであろう宿場町やダレイムの人たちなど、これまで出会ってきた人々すべてのおかげであったのだった。


(……もちろん《つるみ屋》で働いてたときだって、俺は心から満ち足りていたけどさ)


 ほんの30名ていどでいっぱいになってしまう《つるみ屋》の懐かしい様相が、俺の脳裏に蘇る。

 俺は親父とふたりで厨房にこもり、店内ではパートのおばちゃんや手伝いの玲奈がお客の注文を聞いたり、配膳をしたりしてくれている。あの場に満ちていた熱気も、カウンター越しに聞こえてくる喧噪も、楽しそうに働く玲奈たちの笑顔も、俺にとってはかけがえのないものであり――そして、貴公子や貴婦人が宴衣装をひるがえすこの世界の祝宴も、俺にとっては同じぐらい大切な存在だと思うことができるようになったのだ。


 本当に、なんて遠くまで来てしまったのだろう。

 俺が大勢の調理助手を取り仕切って、200人や300人にも及ぶ祝宴の料理を準備しただなんて、親父や玲奈が聞いたらどれほど驚くことだろう。

 だけどもう、そんな話を親父たちに伝えるすべはない。

 俺はこの世界で幸福に生きていくことができる代わりに、かつての幸福な生活から完全に切り離されることになったのだった。


「……どうしたのだ、アスタよ?」


 と、アイ=ファがふいに俺の顔を覗き込んできた。

 金褐色のきらめきに包まれた、目の眩むほどの美しさだ。

 そういえば――俺は時おり悩まされる悪夢の中で、こういったきらめきに取りすがることで何とか正気を取り戻すことができていたのだった。


「……だからやっぱり、みんなアイ=ファのおかげなんだよ」


 俺がそのように答えると、心配そうな顔をしていたアイ=ファが可愛らしく唇をとがらせた。


「何が『だから』なのか、さっぱりわからんぞ。お前は立ったまま、眠っていたのか?」


「あはは。そうかもしれないな」


 俺が心からの笑顔を返すと、アイ=ファは俺のこめかみを小突いてから微笑をこぼした。

 広間の中央では、まだリフレイアとアラウトが華麗なステップを見せている。

 宴はまだまだこれからであるし、俺はこれまでの時間だけでもさまざまな相手と語らうことができていたが――リフレイアとアラウトの纏った黄色と赤色の色彩は、今日という日の記憶の中でいつまでも鮮やかに残り続けるのではないかと、そんな風に思えてならなかったのだった。

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― 新着の感想 ―
[良い点] ヤミル=レイがアリシュナの断り文句を羨ましがってるけど、普段肌を晒しまくってる森辺の民には使えないよな まあ頑張れヤミル
[良い点] あ〜〜 アラウトがんばれ〜リフレイアがんばれ〜
[気になる点] 本日の更新はここまでです。 つまり、明日も更新あるんですね
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