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異世界料理道  作者: EDA
第七十二章 糾える道
1251/1695

送別の祝宴⑥~さらなる心尽くし~

2022.9/12 更新分 1/1

「こちらは、ドーラを使った料理となります」


 細長い料理の卓の前を横移動しながら、俺はそのように説明してみせた。

 カブに似たドーラを使った料理も、三品だ。その内容は、趣向の異なる炒め物がふた品と、煮込みの料理である。その内の煮込み料理を食したメリムが、「まあ」とはしゃいだ声をあげた。


「これは、なんというやわらかさでしょう。これまで口にしてきた如何なる料理とも、まったく異なる食べ心地であるように思えますわ」


「うんうん、本当にね! 煮込んだドーラがやわらかくなることは承知していたけれど、これはまた格別だ!」


 城下町の高名な料理人のもとにもメライアの食材は届けられているはずであるので、ポルアースたちもすでにヤンの手掛けた料理を口にしているのだろう。そんなポルアースたちにもお喜びいただけたのなら、何よりであった。


 こちらの煮込み料理は、ドーラのそぼろあんかけである。4つに割ったドーラをギバの挽肉とともに、海草および燻製魚たるアネイラの出汁、タウ油、ショウガに似たケルの根、ニャッタの蒸留酒で煮込んだだけの、簡素な料理であった。

 その中で俺がこだわったのは、やはりドーラの食感であった。おおよその野菜は煮込めばやわらかくなるものであるが、ドーラはその特性が際立っているように思えたので、そこを強調してみたのである。


 ドーラは煮崩れを起こさないぎりぎりの段階まで、じっくりと煮込んでいる。そうするとドーラはとろとろの食感となり、なおかつ他の野菜よりもふんだんに煮汁を吸う特性があったのだ。それで、おでんのダイコンにも負けない汁気たっぷりの状態に仕上げられるのだった。


 ドーラがそれだけ汁気を吸ってしまうため、煮汁の味は優しいものに仕立てている。そこでアクセントとなるのは、我らがギバ肉だ。ほとんど汁気だけで構成されているようなこの料理で、挽肉にしても確かな食感と強い味わいを持つギバ肉が、しっかり支えになってくれているはずであった。


「なるほど。ネルッサもドーラも、さして奇抜なところのない野菜であると断じていたが……それでもその食感だけで、これほど多彩な料理を生み出せるわけであるな」


 ロブロスが、真面目くさった面持ちでそのようにつぶやいていた。彼はすでに、炒め物のほうも食していたのだ。

 その片方は、ギバのロースをミソ主体のタレで炒めたのち、薄切りにした生のドーラを和えている。ドーラには何の細工も施していないが、そのシャキシャキとした生鮮の食感が、濃厚にして力強いロースのミソダレ焼きと調和しているはずであった。

 もう片方の炒め物はさらに簡単で、城下町にも流通しているギバ・ベーコンとドーラを一緒に炒めている。もともとベーコンが有している風味を損なわないていどに、セージのごときミャンツと最近は希少なニンニクのごときミャームーを加えていた。こちらはドーラも炒めているため、他なる料理とは異なる食感を味わっていただけることだろう。


「メライアの食材に関しては、ダカルマス殿下がご所望の分だけ買いつける手はずになっておりましたが……これは他にも欲したいと願う声があげられるやもしれませんな」


 ロブロスの言葉に、デルシェア姫は笑顔で「ええ」とうなずいた。


「わたくしたちは来年さらに目新しい食材をお届けする予定であるのですから、そのぶんメライアの食材を買いつけることも可能でしょう。むしろ問題は、メライアの方々がそれだけの食材を準備できるかどうかかもしれませんわね」


「左様ですな。のちほどアラウト殿にも、その旨を打診しておくことにいたしましょう」


 デルシェア姫は嬉しそうにうなずいてから、俺のほうに向きなおってきた。


「これらの料理も、すべて美味です。……なかなか気持ちがまとまらないので短い言葉ですませてしまっていますけれど、決しておざなりな評価ではないのだと信じてくださいね」


「はい。デルシェア姫にご満足いただけたのなら、心より嬉しく思います」


 ネルッサの料理でもドーラの料理でも、デルシェア姫は「すべて美味」と言ってくれたのだ。その言葉の重みは、俺もしっかり実感しているつもりであった。


「それで、こちらの卓は3種ずつの料理で埋め尽くされているようであるが……アスタの手掛けた料理は、まだ残されているのであるな?」


「はい。卓はふたつに分けられたようですね。自分の準備した料理は、残り3種となります」


 俺がそのように答えると、ポルアースが感心しきったように声をあげた。


「アスタ殿は、合計9種もの料理を準備していたのだね! そしてそれとは別に、レイナ=ルウ殿やトゥール=ディン嬢の料理や菓子も準備されているのだろう?」


「はい。自分は10人で料理を仕上げましたので、それだけの品数をご準備することができました。それもきっと、礼賛の祝宴を取り仕切った経験のおかげでしょう。……ただ、簡素な料理が多くて恐縮です」


「簡素でも、これだけの仕上がりであるからね! 僕はジェノスの人間として、誇らしい気持ちでいっぱいだよ!」


 きっとポルアースもさまざまな相手との商談を終えて、開放感にひたっているさなかであるのだろう。そのふくふくとしたお顔には、いつも以上に屈託のない表情が浮かべられているようであった。


 そうして隣の卓に向かってみると、大勢の人々がデルシェア姫たちに一礼してから身を引いていく。そして後に残されたのは、マルフィラ=ナハムとレイ=マトゥア、ベイムおよびディンの長兄という顔ぶれであった。


 4人全員が血族ならぬ関係というのはいささか物珍しいところであったが、さきほどはフェイ=ベイムのもとにモラ=ナハムの姿があったので、マルフィラ=ナハムはベイムの長兄をパートナーにすることになったのだろう。なおかつ、レイ=マトゥアがディンの長兄をパートナーとしているのは、礼賛の祝宴から引き継がれている人数調整の兼ね合いであった。


「み、み、みなさんお疲れ様です。お、お、お元気そうで何よりです」


 ふわりとした長衣の宴衣装を纏ったマルフィラ=ナハムが、あたふたと頭を下げてくる。きっとこちらでは、彼女たちが質問責めにあっていたのだろう。俺の到着が遅れたばかりに、さまざまな女衆に苦労をかけてしまったようであった。


「マルフィラ=ナハム様も、お疲れ様です。よろしければ、わたくしたちにも料理のご説明を願えるかしら?」


「ええ? で、で、でも、そちらにはアスタも控えておりますし……」


「マルフィラ=ナハム様がこれらの料理にどのような見解を抱いているのかも気になるのです」


 デルシェア姫は悪戯小僧のような笑顔で、そのように述べたてていた。どれほど豪奢な宴衣装を纏っていようとも、そういう表情がよく似合うデルシェア姫であった。


 ちなみにこちらの卓に並べられていたのは、リゾット、黒フワノのそば、生春巻きという献立である。いずれも主食にあたる内容かと思い、それらをひとつの卓にまとめてもらったのだ。


 リゾットは、栗のごときアール、アマエビのごときマロール、それにシイタケモドキなどを具材に使っている。アールもあえて甘く仕上げず、その食感と風味を活かしたつもりであった。

 また、食材費はジェノス城が受け持ってくれるので、少々割高のアリアを使わせていただいた。俺の好みとして、こちらのリゾットにはアリアのみじん切りが欠かせなかったのだ。あとはシイタケモドキの戻し汁とキミュスの骨ガラの出汁を使い、乳脂と白い果実酒で風味を加えていた。


 黒フワノのそばは、俺もジェノスやバナームの人々を見習って、汁なし担々麺風に仕上げている。麺がひっついてしまわないように南の王都産のホボイ油で和えつつ、山椒のごときココリをふんだんに効かせた肉ダレを掛けた格好だ。こちらでは、長ネギに似たユラル・パ、小松菜に似たファーナ、キュウリに似たペレ、そして魚醤にマロマロのチット漬けと、ゲルドの食材をこれでもかとばかりに盛り込んでいた。


 生春巻きは2種類で、片方は茹でたギバのバラ肉、もう片方はツナフレークのごときジョラの油煮漬けを主体にしており、それ以外の具材はドーラとネェノンとマ・ティノで統一している。カブのごときドーラはニンジンのごときネェノンと同様に生鮮のまま細切りにして、清涼なる食感を担っていただいた。

 また、祝宴の場では後掛けの調味液も使いづらいため、バラ肉のほうはゴマのごときホボイのタレ、ジョラのほうは梅しそのごとき干しキキとミャンのタレをあらかじめ封入している。そして最後のトッピングとして、炒ったアールをほぐしたものを具材に中に散りばめていた。


 ――以上のことを、マルフィラ=ナハムは微に入り細を穿つ入念さで滔々と説明してくれたわけである。マルフィラ=ナハムの説明が終わる頃には、その場に居合わせた人々もすっかり味見を終えてしまっていた。


「……さきほどの卓とあわせて、9種の料理。それをわずか10名の人手で250名分をも仕上げたというのは、驚くべき話であるな」


「は、は、はい。そ、それはもう、アスタの取り仕切り役としての力に他なりません。な、なまはるまきで使うシャスカぺーぱーや黒フワノのそばなどは前日に森辺で仕込むことができましたが、それでもこれだけの品数を準備するなんて、他のかまど番にはとうていかなわないかと思われます」


 へどもどとしつつも饒舌であるのが、マルフィラ=ナハムである。俺としては、面映ゆい限りであった。


「これらの料理も、すべて美味です。でも……黒いフワノや白い果実酒を使われていたのは、もしかしたらアラウト殿の商談を後押しするためなのでしょうか?」


「は、は、はい。ど、どうせでしたら自分もバナームの食材の素晴らしさをお伝えしたいと、アスタはそのように仰っていました。バ、バナームの食材が素晴らしいことは事実ですし、それに……ア、アラウトというのは、とても好ましいお相手ですので」


「それで料理の質を落とすことなく、アラウト様をご助力してみせたのですね。これらの料理には、アスタ様の力量とお優しさが双方備わっているということなのでしょう」


 デルシェア姫がそのように言いたてるものだから、俺はますます気恥ずかしくなってしまう。もしかしたらデルシェア姫はそういった情報を引き出すために、マルフィラ=ナハムを説明役に指名したのかもしれなかった。


「なるほど。確かに黒いフワノや白い果実酒というのは、素晴らしい食材であるかと思われます。なおかつ、それらの食材は温暖の地で育ちにくいため、現在のジャガルにはいっさい流通していないようですな」


 戦士長のフォルタが遠慮がちに声をあげると、ロブロスは「ふん」と鼻を鳴らした。


「吾輩の判断で、バナームの食材を買いつけることはすでに決定している。しかし、ダカルマス殿下のご意向によっては取り引きの量をさらに増大させる可能性が残されており……そこにはデルシェア姫のお言葉も大きく作用されることでしょうな」


「ええ。でもやっぱり、それを判ずるにはカルス様の料理を食する必要があるでしょうね。そちらの仕上がりも楽しみでなりませんわ」


 そんな風に答えてから、デルシェア姫は笑顔でララ=ルウのほうに向きなおった。


「ただその前に、レイナ=ルウ様とトゥール=ディン様の成果も味わわないといけませんわね。ご案内をお願いできますかしら?」


「はい。姉たちの料理も、きっと隣の卓に並べられているはずです」


 どうやらララ=ルウは、丁寧な言葉づかいで勝負することに決めたらしい。ただその面にはララ=ルウらしい明るさと力強さがみなぎっており、彼女本来の魅力もまったく損なわれていなかった。


 そんな一幕を経て、使節団の一行は隣の卓に移っていく。俺の役目は終了したようだが、これはちょっと身の振り方に困る場面であった。


「うーん、どうしようかな。あっちの様子も気になるところだけど……俺が居残ってないと、またマルフィラ=ナハムたちが苦労しちゃいそうだよね」


「べつだん、かまわないように思いますよ! マルフィラ=ナハムやフェイ=ベイムは、アスタの代理としてしっかり役目を果たしていましたからね!」


 にぱっと笑いながら、レイ=マトゥアのほうがそんな風に答えてくれた。


「アラウトやティカトラスやゲルドの方々がいらっしゃるまでは、アスタも自由に過ごすべきではないでしょうか? というか、そうでもしないとアスタは一歩も動けなくなってしまいます。隣の卓であればこちらの様子もうかがえるでしょうし、何も問題はないように思います! マルフィラ=ナハムも、そう思うでしょう?」


「は、は、はい。わ、わたしなんかの覚束ない説明では、アスタの代わりは務まらないかと思いますが……で、でも、少しでもアスタのお役に立てれば、嬉しく思います」


「そうですよね! でも、さっきはフェイ=ベイムがちょっと大変そうなご様子でしたので、わたしはあちらを手伝ってこようかと思います! すぐに妹さんを、マルフィラ=ナハムのほうに回しますので!」


 そんな言葉を残して、レイ=マトゥアはディンの長兄とともにフェイ=ベイムのほうへと向かっていった。そちらでは、すでに新たな包囲網が築かれつつあったのだ。


「ちょっとひさびさの祝宴のせいか、ずいぶん人が集まってきちゃうみたいだね。料理の卓に近づくまでは、そんなこともなかったのになぁ」


「そ、そ、それはきっと、料理の素晴らしさで昂揚してしまうのだと思います。わ、わたしたちに届けられるのも、質問より賞賛のお言葉がほとんどでしたから」


 と、マルフィラ=ナハムはふにゃんと微笑んだ。


「で、ですから、心配はご無用です。ア、アスタの代わりにおほめのお言葉をいただいているようなものですので、むしろ心苦しいぐらいです」


「今日の宴料理は、みんなの力があってのものなんだからね。何も心苦しく思う必要はないよ。そういう意味では、ヴァルカスたちの力を借りたカルスと一緒さ」


 そうしてナハムの末妹とラヴィッツの長兄がこちらに駆けつけてくれたので、俺は憂いなく隣の卓を目指すことができた。

 そちらでは、すでにデルシェア姫たちが舌鼓を打っている。レイナ=ルウはきりりとした面持ちで、リミ=ルウはにこにこと笑いながら、それらの料理の説明役を果たしていた。


 レイナ=ルウの班が準備したのは、クリームシチューと香味焼きと煮込み料理の3種である。こちらは5名で編成された班であるのだから、それでも立派な品数であろう。


 クリームシチューは、じっくりと熱を入れて甘く仕上げたアールを加えている。さらに具材では、ドーラも使用していた。

 香味焼きではネルッサも一緒に炒めて、その後に生鮮のドーラを加えている。

 タウ油を主体にした煮込み料理は、ネルッサとドーラとアールを具材として、甘みは花蜜で出していた。


 カルスと俺からメライアの食材の扱い方を学んだレイナ=ルウたちは、既存の料理に新たな食材をどのように活かせるかというポイントに焦点を置いて、3種の料理を作りあげたのだ。準備期間が6日間であったことを思えば、それも十分な成果であった。


 俺もアイ=ファもこれまでの卓ではなかなか料理を口にできなかったので、横からこっそりレイナ=ルウたちの成果を味わわさせていただく。

 栗のような甘さが加えられたクリームシチューは素晴らしい味わいで、ドーラのとろりとした食感もいい感じに調和していた。


 香味焼きも、半月切りのネルッサと薄切りのドーラが食感の素晴らしさを主張している。それにやっぱり濃い味付けの焼き物料理には、味が薄くて歯応えの強いネルッサと生鮮のドーラがいい意味で中和してくれるのだ。


 煮込み料理は、4種の食材が過不足なく役目を果たしている。花蜜を使うことで甘みがまろやかとなり、強い味を持たないネルッサやドーラも大地の滋養と呼ぶべき風味をしっかり出汁としてにじませているはずであった。


「いずれの料理も、美味ですね。食感は違っているのですけれど、アールという食材にはノ・ギーゴに似たものを感じてやみません」


 デルシェア姫がそのように評すると、リミ=ルウは元気いっぱいに「そーですね!」と応じた。


「アスタは前に、ノ・ギーゴをたきこみシャスカに使ってたでしょー? それでアスタの故郷では、アールに似た食材も同じように使われてたみたい! です!」


「ああ、そうなのですね。本日は、どうしてそちらをご準備なさらなかったのでしょう? やはり具材がアールのみでは、簡素に過ぎるからでしょうか?」


「ううん! 今日は城下町の人たちに盛りつけを頼んでたから! りぞっととかならいいんだけど、ほかほかに炊いたシャスカの盛りつけは慣れてないと難しいの! です!」


 リミ=ルウもまた、丁寧な言葉を懸命に使おうとしている。たしかリミ=ルウはロブロスと初めて出会ったとき、幼子が無理に言葉をあらためる必要はないと諭されていたはずだが――その際にも、貴族に失礼がないように振る舞うべしと親から言いつけられているのだと主張していたのだった。


 そんなリミ=ルウの姿を、ロブロスやフォルタは意外なほど温かい眼差しで見守っている。彼らは初対面の際にもリミ=ルウの手腕を味わわされて、一目置いているようであるのだ。そして俺の隣にたたずむアイ=ファは、そんなリミ=ルウとロブロスたちの姿を満足そうに見守っていたのだった。


(それとは別に、ララ=ルウもロブロスたちと交流を深められてるみたいだし……ジザ=ルウとしては、心強いことだろうな)


 もともとジザ=ルウとララ=ルウはロブロスたちに同伴していたので、この場にはルウの家人が結集していた。不在であるのはジーダとマイムの組のみであるが、あちらはディック=ドムやモルン・ルティム=ドムと一緒にいた姿をちらりと見かけている。今頃は、別のどこかで宴料理を楽しんだり交流を深めたりしていることだろう。


 そうして3種の料理を堪能した一行は、さらに横合いの卓へと移動していった。

 そちらで準備されていたのは、トゥール=ディンの受け持った菓子である。その場には、トゥール=ディンとゼイ=ディンとリッドの若き男女という4名の他に、ゲオル=ザザとスフィラ=ザザ、そしてジェノス侯爵家の第一子息のご一家も当然のように顔をそろえていた。


「ふむ。メルフリード殿のご一家は、やはりこちらであられたか」


 ロブロスがそのように声をかけると、メルフリードは粛然とした様子で「ええ」と一礼した。


「我々は存分に、トゥール=ディンらの力量を楽しむことがかないました。どうぞそちらも、心ゆくまでお味わいください」


「ええ。トゥール=ディン様の菓子を食すると、いつも天地が裂けるような驚きに見舞われてしまいます。わたくしが倒れそうになったら支えをお願いね、ロデ」


 貴き方々は、常に従者を引き連れているのだ。武官のお仕着せを纏ったロデは真剣きわまりない面持ちで「はい」と応じていた。


 そんな中、トゥール=ディンの心尽くしを実食である。

 トゥール=ディンもレイナ=ルウと同様に、3種の献立を準備していた。その内容は、もはや祝宴の定番となったロールケーキに、蒸し饅頭とガトーショコラというものだ。


 さすがのトゥール=ディンも、わずか6日ですべてを新作の菓子とすることはできなかった。そこで最近はガトー・ラマンパを多用していたので、ひさびさに王道のガトーショコラを準備したのだそうだ。

 ただし、ロールケーキと蒸し饅頭には、新たな食材たるアールと花蜜が使われている。トゥール=ディンとしてはまだまだ改良の余地があるとのことであったが、祝宴で出すのに不足はない完成度であるはずであった。


「おお、これは……実に素晴らしい味わいでありますな!」


 驚嘆の念をこらえかねたように、フォルタが大きな声をあげた。そのどっしりとした指先につかまれていたのは、小ぶりのロールケーキだ。

 そちらのロールケーキには、栗のごときアールのクリームが使われている。俺がモンブランのケーキというものの存在を教示したために、トゥール=ディンはまず真っ先にアールをクリームに活用する手段を模索し始めたのだった。


 これはいまだ研究の途上であるため、俺の知っているモンブランとは似て異なる味わいである。しかし、アールの甘さと風味がたっぷりと練り込まれた生クリームは格別の味わいで、すでにひとつの完成を迎えているように思えてならなかった。俺の知るモンブランと似ていようが似ていまいが、こちらの菓子は十分に美味なのである。


 なおかつこちらのクリームは、花蜜で甘さが加えられている。トゥール=ディンいわく、アールと花蜜はきわめて相性がいいようであるのだ。そもそもメライアから買いつける花蜜はアールの花から採取されたものであるので、それも道理であるのかもしれなかった。


 いっぽう蒸し饅頭のほうには、適度な大きさに割られたアールの破片が、ブレの実のあんこの中に練り込まれている。俺は栗まんじゅうや栗入りのどら焼きといったものの存在もトゥール=ディンらに伝えていたが、今回は時間がなかったために、どら焼きのほうが採用されたのだ。よってこの菓子も蒸し饅頭であったものの、生地には卵殻が使われて、どら焼きと似た感じに仕上げられていた。


 細かくすり潰したキミュスの卵殻を生地に練り込むと、独特の香ばしい風味が発生する。それがアール入りのあんこと調和すると、トゥール=ディンはそのように判じたのだ。そしてこちらのあんこにも、砂糖やマトラではなく花蜜が使われていた。


「こ、こちらの具材に砂糖を使うと、くっきりとした甘さになります。マトラを使うと甘さがまろやかになった上で、砂糖よりも甘みが増します。そして、花蜜を使うと、砂糖に負けない甘みであると同時に、どこか華やかな味わいになるように感じられました。それはきっと、アールとの相性からもたらされる効果なのでしょう」


 と、かつて森辺のかまど小屋でも語っていた言葉を、トゥール=ディンが貴き方々に解説していた。


「その中でもっとも食べ飽きない味わいであるのは、きっとマトラだと思います。ですが、祝宴の菓子というのは食べ飽きるほど口にするものではありませんし……この華やかな味わいは、祝宴に相応しいように思いました。それに、アールと花蜜の相性のよさもお伝えしたかったので、このたびはこちらを準備した次第です」


「きっとトゥール=ディン様が手掛ければ、砂糖でもマトラでもそれぞれ素晴らしい菓子に仕上げられるのでしょう。……ともあれ、花蜜を使ったこちらの菓子が素晴らしいことに変わりはありません」


 デルシェア姫は額に指先を添えてがっくりとうなだれつつ、そのように答えていた。さすがに本当に倒れたりはしないだろうが、ロデはいつでも手をのばせるように待機している。


「こちらのろーるけーきにもアールの魅力がふんだんに活かされていましたし、がとーしょこらも相変わらずの美味しさです。本当に……トゥール=ディン様はジェノスのみならず、この大陸一の菓子職人なのかもしれませんわ」


「そ、それはあまりに過分なお言葉です。わたしなんて、まだまだ修練のさなかなのですから……」


「その向上心が、トゥール=ディン様をさらなる高みへと導くのでしょう。わたくしもトゥール=ディン様やアスタ様に後れを取らないように、死力を尽くしたく思います」


 面を上げたデルシェア姫に晴れやかな笑顔を向けられると、トゥール=ディンも気恥ずかしそうな微笑みを返した。

 そしてその光景を、オディフィアが少し離れた場所から見守っている。俺はこっそりそちらに近づいて、幼き姫君のご機嫌をうかがってみた。


「おひさしぶりです、オディフィア。トゥール=ディンの新しい菓子は、如何でしたか?」


「すごくすごくおいしかった」と、オディフィアは灰色にきらめく瞳を俺のほうに向けてくる。俺はその純真なきらめきを目にしたくて、彼女に声をかけたようなものであった。


 かくして、南の王都の一行は森辺の民の準備した宴料理をすべて口にして――俺たちは、いずれにおいてもデルシェア姫から「美味です」という言葉を賜ることがかなった。これでもう、俺たちの役割は半分がた果たされたようなものであった。


 ただし、すべての使命が果たされたわけではない。それを示唆するかのように、アイ=ファが「アスタよ」と呼びかけてきた。


「プラティカたちが、こちらにやってきたようだ。ゲルドの者たちにも、料理の説明をするべきではないか?」


「ああ、そうだな。それじゃあ、あっちに戻るとしよう」


 俺はきびすを返しつつ、最後にデルシェア姫のほうへと目をやった。

 するとたまたまこちらを振り返ったデルシェア姫と、視線がぶつかることになった。


 デルシェア姫は無言のままに口もとをほころばせ、そっと目礼をしてくる。そのエメラルドグリーンの瞳には、やっぱり透明の輝きがたたえられているようであった。

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― 新着の感想 ―
[気になる点] 栗の花の蜂蜜はかなり独特な香りがするみたいですけど、アールの花の蜂蜜は大丈夫なんですかねw
[一言] 担々麺は担々麺で、陳健民風担々麺(ごまみそラーメン)は汁担々麺と表記しないかなぁ? 近くの四川料理店(陳健民門下ではない)が本格担々麺といって陳健民風担々麺を出しているのは悲しい
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