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異世界料理道  作者: EDA
第七十二章 糾える道
1249/1695

送別の祝宴④~開会~

2022.9/10 更新分 1/1

 控えの間で四半刻ほど待たされたのち、俺たちは祝宴の会場に案内されることになった。

 そうして会場の出入り口にある次の間に集結したならば、小姓の指示で整列する。このたびも氏族の格式によって入場の順番が定められていたが、ファの家は小さき氏族のトップバッターに設定されていた。


(そういえば、250名の参席者の内、43名は森辺の民ってことになるんだもんな。そう考えると、けっこうな割合だ)


 俺がそのように考えている間に、粛々と入場の儀が進められていく。まずはダリ=サウティとミル・フェイ=サウティのペアから始まり、続いてゲオル=ザザとスフィラ=ザザ、ルウの家の8名、族長筋の眷族たるヴェラ、ドム、ディン、リッド、レイ、ルティム――と、なんだかんだで、俺とアイ=ファの入場はずいぶん後半になってからであった。


 これは風の噂であるが、ドンダ=ルウは参席者の顔ぶれについて一考するべきではないかと提案していたらしい。礼賛の祝宴というのは試食会の流れをくんでいたので、どうしてもルウの血族の割合が大きくなってしまうのだ。レイナ=ルウ、リミ=ルウ、マイムと、3名ものかまど番が試食会に選出されていたがゆえである。


 しかしこのたびは新たな宴衣装を準備する時間もなかったし、試食会や礼賛の祝宴に参じていた人間であれば、南の王都の使節団の面々とも交流が深められている。公正なる人員の割り振りについては次回から考慮するということで、このたびはこの顔ぶれで決行されたわけであった。


(だからそれも、宴衣装の準備を貴族にまかせきりにしてた結果だよな。ティカトラスやデルシェア姫が宴衣装や準礼装をあらかじめ準備してくれていたってのは、ずいぶん手回しがいいように感じられたけど……森辺の民のほうこそ、その手回しのよさを見習うべきなのかもしれないな)


 しかしまあ、そういったことを思い悩むのは、森辺に帰ってからにするべきであろう。

 ガズラン=ルティムとレイの女衆が扉の向こうに消えていくのを見届けて、俺はアイ=ファとともに歩を進めることになった。


「ファの家長、アイ=ファ様。家人、アスタ様」


 小姓の澄んだ声に従って、俺とアイ=ファは大広間に足を踏み入れた。

 俺たちにとっては、肖像画のお披露目以来となる紅鳥宮の大広間だ。ただあのときは市井の人々も大勢招かれていたので、これほど格式張った雰囲気ではなかった。


 このたびも貴族ならぬ人間は若干名招待されているそうだが、やはり大半は貴族である。よって、アイ=ファがこれほど壮麗なる宴衣装の姿を見せても、ごく抑制された感嘆のざわめきがこらえかねたようにあげられるばかりであった。


 広大なる大広間は、シャンデリアの輝きによって昼間のように明るく照らし出されている。

 足もとには毛足の長い絨毯が敷き詰められ、壁を覆うのは刺繍の美しいタペストリーだ。

 壁際には料理の卓が、その付近には立食用の円卓が設置されている。

 しかしもちろん、広間の中央に巨大な火が焚かれたりはしていない。どこもかしこも透明な光に包まれた、ジェノスの宮殿の輝かしい様相だ。俺はやっぱり、バナームで味わわされた祝宴との相違に思いを馳せずにはいられなかった。


(もちろん、どっちが正しいって話じゃないんだろうけど……俺としては、森辺の祝宴が待ち遠しいところだな)


 楽団の演奏する優美な音色に導かれるようにして、俺とアイ=ファは大広間の右手奥側に寄り集まった同胞のもとを目指す。その間に、残る小さき氏族の人々の名も次々に告げられていた。

 そうして43名から成る森辺の民が大広間の一画に集結すると、やはり並々ならぬ存在感であろう。むやみに騒ぎたてない貴族の人々も、目だけはしっかりとこちらに奪われているようであった。


 そしてその次には、ジェノスの伯爵家の面々が入場する。いつだったかの祝宴と同じように、森辺の民は男爵家や子爵家といった人々の次に入場させられていたようだ。


 ダレイム伯爵家とサトゥラス伯爵家は、それぞれ6名から8名ていどの人間が招待されている。俺たちが名前を知っているような相手は、すべてその中に含まれていた。

 いっぽうこのたびも、トゥラン伯爵家はリフレイアとトルストのふたりきりだ。そちらにも傍流の血筋というものが存在するはずだが、今ではおおよそが別の家に組み込まれてしまったのかもしれなかった。


 その次は、マルスタインを当主とするジェノス侯爵家の人々である。

 バナームの遠征以来オディフィアと顔をあわせていなかったトゥール=ディンは、瞳を輝かせながら幼き姫君の入場を見守っていた。


 そしてこのたびは、主賓の方々が最後の順番に据えられていたらしい。

 なおかつ、見送る側であるバナームの面々も、そちらに割り振られていた。

 ただその人数は、3名だ。アラウトと、ふくよかな体格をした使節団のメンバーと、そしてカルスである。貴族ならぬ身のカルスも、このたびは主催者たるジェノス侯爵家よりも後に入場するという栄誉を賜ったわけであった。


 そしてその次に名前を呼ばれたのは、外交官のフェルメスとオーグである。

 どうやらこちらの両名は同じ王都の貴族ということで、主賓たるティカトラスとセットにされたらしい。体調を崩し気味であるというフェルメスも軽やかな足取りで入場していたため、俺は安堵の息をつくことになった。


「ダーム公爵家、ティカトラス様。ご子息、デギオン様。ご息女、ヴィケッツォ様」


 と、ついにその名がコールされる。

 そうしてティカトラスらが姿を現すと、俺とアイ=ファが入場したときと同じぐらいのどよめきがあげられることになった。


 ティカトラスは、普段以上にけばけばしい装束を纏っている。頭のターバンも長羽織を思わせる装束も鮮烈なる紫色を基調にしており、そこに赤や黄色の模様が炎のように渦を巻いていた。そして飾り物の数は、プラティカにも負けないボリュームだ。


 その右側に並ぶデギオンなどは普段と大差のない軍服めいた白装束で、ただ絢爛たる飾りマントを羽織っているぐらいであるのだが――左側のヴィケッツォは、ティカトラスと同じぐらい人目を集めている。彼女もまた、以前と異なる宴衣装であったのだ。


 肖像画のお披露目会において、彼女は黒く照り輝く宴衣装を纏っていた。その後の鎮魂祭においては、光沢のない漆黒のドレスで、巨大ガラスの翼のごとき長マントをひらめかせていたものである。

 しかし今宵のヴィケッツォは、純白の宴衣装を纏っていた。

 胸もとは腹のあたりまでVの字に切れ込み、ぴったりとフィットするスカートは腿の上までスリットが入っている。それはこれまでの宴衣装と変わらぬ妖艶な美しさであり――そして今回は、純白の宴衣装が彼女の黒い髪や肌をこれ以上もなく際立たせていた。


 背丈は170センチぐらいもあり、顔立ちは秀麗で、起伏にとんだ女性らしいプロポーションをしたヴィケッツォである。さらに彼女はどのような姿でも剣士としての気迫を隠そうとしないため、それが妖艶なる美貌にさらなる凄みを与えるようであった。


(本当に、アイ=ファやヤミル=レイに負けないぐらいの存在感だな)


 そのように思案する俺の耳に、新たな名前が告げられてくる。それは聞きなれない異国的な言葉の羅列であったが、最後の1名だけははっきりと聞き取ることができた。


「……ゲルのご藩主の料理番、プラティカ=ゲル=アーマァヤ様」


 俺たちといったん分かれたプラティカは、ゲルドの使節団の組に割り振られていたのだった。

 彼らもまた貴族ならぬ身であったが、送別される主賓ということで、初めてジェノスの祝宴に招待されることになったのだ。その人数は4名であり、全員が渦巻き模様の装束の上に数々の飾り物を光らせていた。


 その4名は誰もが雄々しい体格をしていたために、そういう意味ではティカトラスらに負けない存在感である。そしてその中でひとり女人たるプラティカは、シムの宴衣装によってひときわの輝かしさであった。


(うん。プラティカだって、ヴィケッツォに負けてないぞ)


 そんな風に考える俺も、アイ=ファと同じように家族の晴れ姿を見守るような眼差しになっているのかもしれなかった。


 そうして長々と続いた入場の儀の最後を飾るのは、南の王都の使節団だ。

 王族たるデルシェア姫に、団長のロブロス、戦士長のフォルタ、それに書記官という少数精鋭であったものの、彼らはその堂々たるたたずまいと重厚なる気品によって、ゲルドの面々ともティカトラスたちとも異なる存在感をかもし出していた。


 ジェノス侯爵家とバナームの面々、そして送別される3組の関係者は、大広間のもっとも奥まった場所に陣取っている。その中から、マルスタインが朗々たる声を響かせた。


「本日は、南の王族たるデルシェア姫、王都の貴族たるティカトラス殿、南の王都およびゲルドの使節団の方々をお見送りするために、送別の祝宴を開催することに相成った。ジェノスに大いなる幸いをもたらしてくださった方々とのお別れを惜しみつつ、無事なる再会の日の到来を父なる四大神に願いたく思う」


 マルスタインがそこで言葉を区切ると、その空白を埋めるようにしとやかな拍手が打ち鳴らされる。


「なおかつこのたびは、それらの方々と深いご縁を結ぶことになったバナームの方々も、我々とともにお見送りをする立場と相成った。まずはバナーム侯爵家の代表として、アラウト殿にご挨拶のお言葉を賜りたい」


 アラウトは、緊迫しきった面持ちでマルスタインのかたわらに進み出た。

 聞いたところによると、こうまで大がかりな話に発展したならば、本来の責任者であるウェルハイドが参ずるべきかという話も持ち上がっていたらしい。ジェノスとバナームは車で2日の距離であるのだから、それも当然の話であろう。

 ただ、メライアの食材を取り寄せたり送りつけたりする関係から、ウェルハイドはバナームに留まっていたほうが望ましかったし――それに、アラウトは責任者の代理人として申し分ない働きをしているので、無理にウェルハイドを招く必要はないと、ロブロスたちがそのように提言してくれたのだそうだ。


 それはそれでありがたい申し出であったのであろうが――その結果として、若年のアラウトがこれほどの責任を担うことになってしまった。異郷にて、このように盛大な祝宴の一翼を担うことなど、誰にとっても大変な苦労であるはずであった。

 そんな重責から生じる苦悩をはねのけるように頭をもたげて、アラウトは凛々しく声を張り上げた。


「このたびは皆様のご厚意によって、このように立派な祝宴の場に立つことが許されました。あまつさえ、バナームの料理をふるまいたいなどという勝手な申し出を聞き入れていただき、心から感謝しております」


 俺はひとりで胸を高鳴らせながら、心の中でアラウトにエールを送ることになった。

 アラウトは白い頬を紅潮させつつ、それでも毅然とした調子で言葉を重ねていく。


「また、僕の故郷であるバナームという地は異国の方々とのご縁が薄いため、このようにジャガルとシムの方々を双方お迎えするという祝宴は、初めてのことと相成ります。それに、西の王都の方々と知遇を得られたのも、ジェノスに足を踏み入れたがゆえでありましょう。兄ウェルハイドの代理人としてジェノスを訪れたことにより、僕は数々の得難い経験と出会いを得ることがかないました。その喜びを深く噛みしめて、父なる四大神に感謝を捧げつつ、皆様とご一緒に帰路の安全を願いたく思います」


 そうしてアラウトが一礼すると、先刻よりも力強く拍手が鳴らされた。

 おそらくは、森辺の民の多くが拍手に力を込めているのだ。そして俺もそのひとりに他ならなかったのだった。


 その後は、ジェノスを離れる3組の代表者から謝辞が告げられる。その顔ぶれは、デルシェア姫、ロブロス、ゲルドの責任者、そしてティカトラスの4名であった。

 デルシェア姫は澄みわたった笑顔で、ロブロスは厳粛なる面持ちで、それぞれ過不足のない言葉を述べていく。彼らにとっては、こういった場の挨拶など日常茶飯事であるのだろう。ゲルドの代表者はアラウトよりもこういった場に免疫がないはずであるが、そこは強靭なる精神力と実直なる人柄で乗り切ったようであった。

 そして最後の登場となったのは、ティカトラスだ。


「わたしもアラウト殿と同様に、このジェノスの地でかけがえのない経験と出会いを得ることがかないました! わたしは楽しく生きることを身上としており、異郷におもむくこともしょっちゅうですが、それでもこれほど心が浮き立ったのは実にひさかたぶりのことであります! わたしはこの地で出会ったすべての人々に、感謝の念を捧げたく思います!」


 肖像画のお披露目会では実にくだけた態度であったティカトラスも、さすがに口調だけはあらためている。しかしその表情や声音の響きに変化はなかったので、さほど印象も変わっていなかった。


「それでは、送別の祝宴を開始する。得難き出会いに感謝を」


 マルスタインの号令に従って、俺たちも小姓に配られた酒杯を掲げた。ただし、中身はチャッチの茶である。

 それに口をつけてから手近な卓に戻し、盛大な拍手を捧げて、開会の儀は終了だ。周囲の人々から好奇の視線とざわめきを届けられながら、ダリ=サウティが「さて」と森辺の同胞を見回した。


「このたびは、こちらから挨拶に出向くべきであろうな。まあそれも族長筋の代表のみで十分であろうが……ファの両名は、どうする?」


「うむ。我々はいまだロブロスらと言葉を交わしていないので、先に挨拶をしておくべきやもしれんな」


「では、族長筋の人間とファの両名で、4名ずつ動くとするか。他の者たちは、宴料理を楽しむがいい」


 ダリ=サウティの言葉に従って、他の面々は散開した。ただしそちらも、4名ずつぐらいで組となっての行動だ。こちらはダリ=サウティとミル・フェイ=サウティがザザの姉弟、俺とアイ=ファはジザ=ルウおよびララ=ルウと行動をともにすることになった。


「こういうときは、やっぱりララ=ルウなんだね。きっとジザ=ルウも、ララ=ルウを頼りにしてるんだよ」


 俺がこっそりそのように囁きかけると、ララ=ルウは「そんなことないよ」と照れくさそうに白い歯をこぼした。彼女も真っ赤な髪をほどいた宴衣装の姿であるため、非常に華やかだ。


「レイナ姉には貴族に挨拶をさせるより、宴料理を食べさせるべきって判断なんじゃないのかな。まあ、あたしはあたしなりに頑張るけどさ」


 ララ=ルウはそのように言っていたが、シン=ルウとともに会場を巡る時間を割いてまで、貴族への挨拶に出向こうとしているのだ。俺としては、その心意気に最大限の賞賛を送りたい気分であった。


 そうして行った先では、大勢の人々が挨拶のために列を為している。主賓の人々だけでも大層な人数であったため、普段以上に賑わってしまっているようだ。

 俺たちも大人しくその列に並んでいると、「おや、アスタ」という声に呼びかけられる。俺がそちらを振り返ると、宿屋の商会長たるタパスが笑顔でたたずんでいた。


「あ、タパス。今日はタパスも招待されていたのですね」


「はい。ティカトラス殿のご厚意で、本日は宿場町のさまざまな商会長も招待されることになったのです」


 ティカトラスは城下町も宿場町も分け隔てなく駆け巡っていたので、それも納得できる話である。


「デルシェア姫などは試食会に参じた宿屋の関係者も招待したいと仰っていたようですが、それでは礼賛の祝宴と変わらぬほどの規模になってしまいましょうからな。また、ゲルドと縁なき参席者を増やすのもはばかりがあったようで、今回は差し止められたようです」


「そうですか。それは残念なことですね」


 そんな言葉を交わしている間に、列は順調に短くなっていく。挨拶をする相手が多いゆえに、ひとり頭にかける時間はずいぶん短縮されているようだ。これではあまり込み入った話はできそうになかった。


(それでもまあ、ひと声かけるだけでずいぶん気分は違うからな。あとは広間を巡ってる最中に出くわすことを祈るしかないか)


 俺がそんなことを考えている間に、ついに最初の相手のもとへと辿り着いた。その長身が目印となっていた、ゲルドの人々である。


「どうもお疲れ様です。これだけ見事な祝宴ですと、挨拶を受けられるだけで大変ですね」


 同じ庶民の気安さでそのように呼びかけると、ゲルドの責任者たる大柄な男性は無表情のまま「はい」と首肯した。


「我々、貴人ならぬ、武官です。このような祝宴、慣れていませんので、動揺、禁じ得ません」


「あはは。みなさんはとても堂々とされているように見えますよ。……明日からの道中はお気をつけくださいね。またの再会を心待ちにしています」


「はい。アスタ、息災、祈っています」


 同じ調子で、他の3名の男性陣にも声をかけていく。彼らは20名から成る使節団の、班長という立場にある面々であるそうだ。ゲルドの人々はおおよそ魁偉な容貌をしているために、気後れしているようにはまったく見えなかった。

 そしてその端には、宴衣装のプラティカがたたずんでいる。彼女は付添人に過ぎないので一歩後ろに下がっていたが、もちろん俺はそちらにも声をかけておいた。


「プラティカもお疲れ様です。この後は宴料理が待っていますので、頑張ってくださいね」


「はい。心待ち、しています」


 そういえば、プラティカのジェノス滞在もこれで9ヶ月を突破したわけだが、まだまだゲルドに帰ろうという気持ちは微塵もないらしい。俺としては嬉しい話であるのだが、故郷ではアルヴァッハがじりじりしているかもしれなかった。


 そうしてアイ=ファたちも挨拶を終えたならば、すみやかに横合いへと移動する。そこで待ち受けていたのは、ティカトラスの一行である。


「やあやあ! わざわざ挨拶に出向いてくれたのかい? このような挨拶は早々に取りやめて、早くアスタたちの宴料理を堪能したいものだね!」


 ティカトラスは、相変わらずの様子である。そしてその目はすぐさま俺からアイ=ファのもとへと移動した。


「おお、アイ=ファ! やはりその色も、アイ=ファにはこよなく似合っているね! これだけさまざまな色合いの宴衣装を着こなせるのは、君が絶大なる美貌を有しているからに他ならない! 本当に、側妻に迎えられないことが残念でならないよ!」


「……最後ぐらいは、邪念なく挨拶をさせてもらいたかったのだがな」


 アイ=ファが仏頂面で答えると、純白の宴衣装を纏ったヴィケッツォがぐいっと近づいてきた。そして爛々と黒い目を燃やしながら、ひそめた声をアイ=ファに届けてくる。


「ひとつ、確認させていただきます。よもや、ティカトラス様にいただいた肖像画を、本当に焚きつけに使ったりはしていないでしょうね?」


「……余人からの贈り物を、火にくべたりはせん。お前はそれほどまでに、私が道理をわきまえていない人間であると疑っているのか?」


 アイ=ファが顔をしかめつつ答えると、ヴィケッツォは「いえ」と囁いた。


「しかしあなたがたは一種独特の価値観をお持ちのようですので、しっかりと実情を確認しておきたかったのです。あなたの気分を害してしまったのなら、お詫びを申しあげます」


「とうてい詫びている人間の眼光ではないようだな」


 豪奢きわまりない宴衣装を纏った両名が、至近距離からにらみ合う。その姿に、ティカトラスははしゃいだ声をあげていた。


「わたしの位置からだと、まるでヴィケッツォがアイ=ファに接吻をねだっているかのように見えてしまうね! 何を語らっているのかは聞こえないけれど、背徳的なまでの美しさだよ!」


「そ、そのように大きな声で、誤解を招くようなことを仰らないでください」


 ヴィケッツォは黒い頬を赤らめつつ、慌てた様子で後ずさる。それを見守るティカトラスは、まだにまにまと笑っていた。


「うーん、やっぱり君たちは、わたしの創作意欲を刺激してやまないね! 君たちが裸身で愛し合いながら殺し合う姿などを描きあげたら、最高の1枚になりそうだ!」


「そ、そのような絵をお描きになるのは、絶対におやめください!」


 ヴィケッツォがアイ=ファの分まで怒ってくれたので、こちらは爆発せずに済んだようだった。

 これ以上騒ぎが大きくならない内にと、俺たちはデギオンにもひと声かけてから退去する。その先には、外交官の一行が待ち受けていた。


「あ、どうも。フェルメスもお元気になられたようで、何よりです」


 淡い灰色の長衣を纏ったフェルメスは、「ええ」と微笑む。この祝宴に参じた誰よりも地味そうな配色とデザインの宴衣装であるが、彼は持ち前の美貌だけで大層な存在感であった。

 オーグは相変わらず厳しい表情で、ジェムドは穏やかな無表情だ。なおかつジェムドは本日も従者の腕章をしており、宴料理を口にできない立場であることを示していた。今日も参席者の数が多かったため、遠慮することになってしまったのだろう。


「バナームに出立した日から、あっという間にひと月が過ぎてしまいましたね。またアスタとゆっくり語らえる日を心待ちにしています」


「はい。機会があったら、また森辺にもいらしてくださいね」


 いちおうティカトラスには聞こえないように、俺は小声でそのように返してみせた。すると、アイ=ファまでもがこちらに顔を寄せてくる。


「ところで、そちらはまだ体調が完全ではないようだな。やはりこれだけの祝宴だと、休息することも許されなかったのであろうか?」


 フェルメスはヘーゼルアイを細めて微笑しつつ、さりげなく左右を見回した。しかしティカトラスは俺たちの後に続いたタパスと語らっており、オーグはララ=ルウたちと語らっている。それを確認してから、フェルメスはふっと息をついた。


「やはりアイ=ファの目を誤魔化すことはできないようですね。ですが、どうかオーグ殿とティカトラス殿には内密にしていただけますでしょうか?」


「内密? 何故であろうか?」


「このようにたびたび調子を崩す人間は、外交官として不適格である――と、王陛下に見なされてしまう危険があるゆえです」


 アイ=ファは虚を突かれた様子で目を見開いた。


「……相分かった。しかし、あなたが無理をする姿を見るのは、忍びない。どうか自分の身をいたわってもらいたく思う」


「ありがとうございます。自分の身については自分が一番よくわきまえていますので、どうぞご心配なく」


 そのように語るフェルメスは、月の精霊のようにはかなげで可憐に見えてしまった。

 フェルメスはそれほど体調が悪いのかと、俺も心配になってしまう。しかし、オーグへの挨拶を終えたララ=ルウとジザ=ルウが先に進んでしまったので、俺たちもそれに続くしかなかった。


「ああ、ロブロスにフォルタ。どうもおひさしぶりです」


 その先に待ち受けていたのは、南の王都の使節団だ。

 背丈は低いがどっしりとした体格のロブロスは、強く輝く青紫色の目で俺を見返してくる。オーグと挨拶をした直後に見ると、やはりその厳格な雰囲気はよく似通っているように思えてならない。その下には意外に人懐こい素顔を隠し持ったりもしているのだが、それを公共の場でうかうかとさらすような御仁ではないのだ。


「そちらも、息災なようであるな。このたびも、けっきょく最後には其方たちの手をわずらわせることになってしまった」


「いえいえ。今日までお会いできなかったのが残念なぐらいです。送別の祝宴だけでも参ずることができて、心から嬉しく思っています」


「あたしも、同じ気持ちです。あとで時間があったら、ゆっくり語らせてもらえますか?」


 ララ=ルウがそのように言いたてると、ロブロスは立派な眉をうろんげにひそめた。


「それはまったくかまわないが……其方はそのような語り口調であったかな?」


「えへへ。あたしなりに、貴族のお人たちへの接し方を考えてる最中なんです」


 ロブロスは「なるほど」と重々しくうなずいた。


「しかし其方は、飾らない口調こそが相手の警戒心を解く役割を果たしていたように思う。今後どのように振る舞うべきか、よくよく吟味するべきであろうな」


「えー? あたしもけっこう頑張って、丁寧な言葉を並べてるんだけど……むしろ逆効果ってこと?」


「それを、自らで吟味するべきであろう。もちろん正しい礼儀作法を身につけた上で社交することがかなえば、それに越したことはなかろうからな」


 ララ=ルウはしばし考え込んだ末、にっと白い歯をこぼした。


「ありがとう。じっくり考えてみます。今日なんかはあれこれ口調が入り混じっちゃうかもしれないけど、よろしくお願いします」


 ロブロスはあくまで厳格な面持ちで、「うむ」とうなずいていた。そのさまを、ジザ=ルウは糸のように細い目で見守っている。俺から見ても、今のやりとりだけでララ=ルウはロブロスと特別な関係を築けているように思えてならなかった。


「……ところで、アスタを筆頭とする森辺の料理人に、ダカルマス殿下からお言葉を預かっている。今の内に、それを伝えておきたく思う」


 と、ロブロスはあらためて俺とララ=ルウの姿を見比べてきた。


「次にダカルマス殿下がジェノスを来訪される際には、南の王都の新たな食材を携えることを約束する。それで如何なる料理が作りあげられるか、今から心待ちにしている。……ダカルマス殿下からの言伝は、以上となる」


「はい、確かに承りました。今回は、新たな食材というやつも間に合わなかったようですね」


「否。見本用の食材であれば、いくらでも持ち込むことはできた。しかし、ご自分の目の及ばない場所で目新しい料理を考案されるのは無念でならないとダカルマス殿下が仰るため、来年に持ち越されることになったのだ」


 厳粛な表情をキープしつつ、ロブロスは目もとに苦笑めいた表情をにじませた。


「おそらく我々もダカルマス殿下やデルシェア姫とともに、年が明けるなりまたすぐさまジェノスを目指すことになろう。其方たちには手間をかけるが、南と西の交友のためにも尽力を願いたく思う」


「はい、もちろんです。今回は送別の祝宴までロブロスたちにご挨拶をすることもできなかったので、またすぐにお会いできるのでしたら嬉しく思います」


 目もとの苦笑を温かい微笑に変じつつ、ロブロスは「うむ」と首肯する。これだけ間近で見ていなければ、ロブロスがこれほど和やかな眼差しになっていることを悟られることもないだろう。そうして彼は貴族としての品格を守りながら、俺たちに真情を届けてくれたのだった。


 そしてそのかたわらにたたずむフォルタもしかつめらしい表情を保持しつつ、穏やかな眼差しで俺たちのやりとりを見守ってくれている。彼はデヴィアスと懇意にしており、ロブロスの目がないところであれば気さくな一面を見せてくれたりもするのだ。


「フォルタもお疲れ様です。ここではなかなか語り尽くせないので、お時間があったらまたゆっくり語らせてください」


「承知いたしました。宴料理の出来栄えを楽しみにしております」


 その後は、さらに柔和な気性をした書記官だ。彼などは、最初の祝宴でダン=ルティムと楽しそうに語らっていた印象がいまだに強く残されていた。


「日中も、ご子息のガズラン=ルティム殿とはゆっくり語らうことがかないました。この祝宴では、アスタ殿や料理人の方々とも語らせていただきたいところですな」


「ありがとうございます。そうさせていただけたら、こちらも嬉しいです」


 南の使節団の面々は誰もが実直な気性であるため、王都の面々にいくぶん乱された気持ちを沈静化されたような心地であった。

 そして最後に待ち受けていたのは、華やかな宴衣装を纏ったデルシェア姫である。


「わたくしの気持ちは、朝方にお伝えした通りです。アスタ様たちの宴料理を、心待ちにしていますわ」


 デルシェア姫は多くを語らず、ただ明るく透き通った笑顔を向けてきた。

 俺も笑顔を返して、早々に離脱する。すると、ジザ=ルウが俺とアイ=ファに向きなおってきた。


「我々はこのままジェノスの貴族たちにも挨拶をして回ろうかと思うが、それは族長筋の役割であろう。アスタはカルスの料理を吟味したり、自らの準備した料理の説明をしたりするのも大きな役割であろうし、貴族への挨拶はここで切り上げるべきではなかろうかな?」


「そうか。では、そうさせてもらおう」


 ジザ=ルウとララ=ルウに別れを告げて、俺たちは手近な料理の卓へと足を向ける。その道中で、俺はずっと気にかかっていたことをアイ=ファに告げることにした。


「なあ、アイ=ファ。フェルメスは、そんなに体調が悪いのか?」


「うむ。おそらくは、熱を出しているのであろうな。あれが私の家人であったなら、叱りつけてでも休ませているところだ」


 アイ=ファは厳しい眼差しで、そのように答えてくれた。


「しかし我々は、いまだフェルメスと心底からわかり合えたとは言い難い関係であろう。このまま離別するのは忍びないので、あやつが外交官としてジェノスに留まれることを願っている」


「うん、そうだよな。俺ももっと、フェルメスと仲良くなりたいよ」


 アイ=ファは眼光をやわらげて、俺に微笑みかけてきた。


「ティカトラスが王都に戻れば、フェルメスも多少は身動きを取りやすくなろう。あやつの体調がよくなった折には、森辺に招待してやるがいい」


「うん。オーグに叱られないていどにな」


 そうして大切な人々への挨拶を終えた俺たちは、熱気の渦巻く祝宴の場に舞い戻ったわけであった。

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― 新着の感想 ―
[一言] ティカトラスのような人物が心の底から苦手なので早く別の人物にフィーチャーした話に移行してほしいです。 好きな作品なのに心の底から楽しんで読めないのでしんどいです
[良い点] ララ=ルウの成長が著しくておばさん涙が出そう 数年かけて登場人物を見てるせいか、親目線みたいになってしまいますね
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