送別の祝宴③~絢爛~
2022.9/9 更新分 1/1
俺たちは紅鳥宮の厨において、粛々と作業を進めていった。
ほとんど丸一日を厨で過ごすわけであるが、ここで発揮されるのが森辺のかまど番の気力と体力であろう。カルスたちも同じ刻限から調理を開始していたが、おそらく小休止を取る頻度や仕上げる料理の総量にはそれなり以上の差が出るはずであった。
調理の見物に励んでいるデルシェア姫にうかがったところ、やはり4つの厨の最後のひとつはジェノス城の料理番で埋められているらしい。ただし、ダイア本人はジェノス城の厨で仕事に励んでおり、こちらでは副料理長が取り仕切っているのだそうだ。
「まあ、ジェノス城のお人らの手際は、この数ヶ月間でじっくり検分させてもらったからさ! 今日のところは、森辺のお人らとカルス様の見学に集中しようと思うよ!」
そんな風に宣言して、デルシェア姫はせわしなく3つの厨を行き来していた。
それ以外に、厨を訪れる者はいない。立場ある人々は、みんな白鳥宮のほうで森辺の民との歓談を楽しんでいるのだろう。こちらの様子をうかがうためにひとたびだけ顔を出したダリ=サウティとジザ=ルウが、その内容を少しばかり伝えてくれた。
「こちらも数人ずつで組を作り、それぞれ別なる相手のもとを巡るという格好だな。おたがいに少人数であるため、それなりに込み入った話もできている。ギバ狩りの仕事を休んだ甲斐はあったように思うぞ」
ダリ=サウティは穏やかに微笑みながら、そんな風に言っていた。
いっぽうジザ=ルウも内心の知れない柔和な表情を保持しつつ、まったく不満はない様子である。
「俺はレイ家の両名と組を作ったので、ロブロスの不興を買ったりはしないかといくぶん気を張っていたのだが……幸い、杞憂に終わったようだ」
「そうですか。ロブロスは厳格な気性ですけれど、実直さを身上とする南の民の代表格ですもんね。案外、ラウ=レイの素直さもいい効果を生み出すということでしょうか」
「いい効果というのは言い過ぎやもしれんが、ロブロスらを初めてジェノスに迎えた際の晩餐会にはダン=ルティムも招かれていたので、森辺の民には奔放な人間もいるものだと心の準備ができていたのやもしれんな」
そう言って、ジザ=ルウは珍しく苦笑を浮かべた。
「なおかつロブロスは、ヤミル=レイの聡明さに感心している様子であったように思う。その前には、アラウトとも語らうことになったが……そちらとも、わだかまりなく絆を結べたことだろう」
「そうですか。それは何よりの話ですね」
そんな話をうかがうことで、俺はいっそう充足した気持ちで仕事に取り組むことができた。
そうして着々と時間は過ぎていき、ついに下りの五の刻である。
日没の一刻前、俺たちは予定通りにすべての宴料理を仕上げることがかなった。祝宴の開始は、これから半刻後の予定となっている。
「それでは、お召し替えのほうをお願いいたします」
厨を出て、小姓の案内で回廊を進む。すると、すぐさま後ろからレイナ=ルウたちも追いついてきた。
「アスタ、お疲れ様です。なんとかおたがい、時間通りに仕事を果たせたようですね」
「うん。味見用の分を追加したから、定刻ぎりぎりになったって感じかな。でも、ヴァルカスたちの感想が楽しみだね」
すると、こちらと合流するなりアイ=ファの腕にひっついていたリミ=ルウが「あーっ!」と元気な声をあげた。
「あれってヴァルカスたちじゃない? あっちも仕事が終わったんだね!」
見ると、回廊の先に白装束の集団が見える。俺たちが足を急がせると、それはまさしく城下町の料理人たちに他ならなかった。
「みなさん、お疲れ様です。味見用の料理はすぐに届けられるはずですので、ゆっくりお味わいください」
彼らは控えの間に案内される途上であったのだろう。まずはティマロが織布で額の汗をぬぐいつつ一礼してきた。
「これはこれは、森辺の方々もお疲れ様でございましたな。みなさんがメライアの食材をどのように扱ったのか、楽しみにしておりますぞ」
「はい。こちらもみなさんのご感想を楽しみにしています。……あ、カルスもお疲れ様でした」
カルスは目を泳がせながら、へどもどと頭を下げてくる。その周囲には、ヴァルカスたち《銀星堂》の面々の姿もあった。
「ど、ど、どうもお疲れ様です。ぼ、僕なんかは口を出すばかりで、なんの苦労もしていないのですけれど……」
「しかし、今日もあなたの采配で、見事な料理を作りあげることができました。わたしたちはあなたの理想を体現するための手足に過ぎないのですから、あれらはすべてあなたの成果であるはずです」
汗で濡れそぼった髪を額にはりつかせたまま、ヴァルカスはそのように口をはさんだ。それに反応したのは、レイナ=ルウだ。
「やはりヴァルカスも、カルスの料理を見事だと思っておられるのですね。以前の晩餐会からご感想をうかがう機会がなかったので、ずっと気になっていたのです」
「はい。カルス殿は香草の扱いに関してまったく知識が足りていないため、そういう意味では大きな不満を禁じ得ません。ですが、それ以外の食材ではあれだけの調和を為すことができるのですから……香草の扱い方さえ学べば、さらなる調和を目指すことがかなうはずです」
そう言って、ヴァルカスは茫洋とした眼差しをカルスに向けた。
「そこで、ご提案なのですが……あなたを《銀星堂》の一員に迎えることはできませんでしょうか?」
「な、何を仰っているのですか、ヴァルカス!」
シリィ=ロウが愕然とした面持ちで、師匠の腕に取りすがった。ロイは呆れ顔で、ボズルはきょとんとした面持ち、タートゥマイは無表情だ。
「カ、カルスはバナーム城の料理番なのですよ? そんな御方がジェノスに移り住むわけがありませんし……そもそも、カルスが実際に料理を手掛ける姿も見ていないのに、《銀星堂》に迎えようとするなんて……!」
「ですが、カルス殿が確かな舌をお持ちであることは、すでに立証されています。たとえカルス殿がどれほど不器用な指をお持ちであったとしても、それを補って有り余る才覚でしょう」
シリィ=ロウはわなわなと肩を震わせ、こちらではレイナ=ルウが眉を吊りあげていた。
「……ヴァルカスは、それほどまでにカルスの力量を買われているのですね」
「ええ。カルス殿は鋭敏な舌をお持ちですし、なおかつ、ご自分の理想に迷いがありません。それらは料理人として、きわめて重要な資質でありましょう。カルス殿はたとえ手足をもがれようとも、その舌と頭と心だけで一流の料理人を目指せる御方であろうと思われます」
「ヴァ、ヴァ、ヴァルカス殿ほどの御方にそのように言っていただけるのは、光栄の限りです」
と、カルスが目を泳がせつつ、ふにゃんと微笑んだ。
「で、で、でも僕は、バナームに家族を持つ身となります。そ、それに、未熟者の僕を鍛えあげてくれたのは、バナーム城の料理長に他なりません。ぼ、僕はこれからも料理長のもとで、バナームの同胞のために腕をふるいたいと考えています」
「そうですか。では、お気が変わったらいつでもご連絡をください。わたしはいつでもあなたを迎えたいと考えています」
ヴァルカスは残念がる顔を見せることもなく、そんな風に言っていたが――大変なのは、シリィ=ロウとレイナ=ルウである。ふたりの猛き料理人たちは、これまで以上の対抗意識を燃やしながら、カルスのふにゃふにゃとした笑顔を見据えることになってしまった。
「で、で、では、僕もアラウト様のお供として祝宴に参じなければならないため、これで失礼いたします。み、みなさん、今日は本当にありがとうございました。ま、また明日か明後日にでも、今日の成果のご感想を聞かせてください」
カルスはぺこぺこと頭を下げて、案内役の侍女とともに立ち去っていく。
その後ろ姿を見送ってから、ティマロはヴァルカスをじろりとねめつけた。
「ヴァルカス殿は、大層な入れ込みようですな。しかし、カルス殿の資質というものは、ヴァルカス殿よりもダイア殿やミケル殿のもとでこそ真価を発揮するように思えますぞ」
「カルス殿ほどの才覚をお持ちであれば、どのような師のもとでも真価を発揮することがかなうでしょう。ですが、わたしの技を受け継ぐには、あれぐらいの鋭い味覚というものが必要になるのです」
「わ、わたしたちでは、力が足りていないと仰るのでしょうか?」
と、シリィ=ロウが必死の面持ちでまたヴァルカスの腕に取りすがる。
そちらを見下ろしながら、ヴァルカスはぼんやりと小首を傾げた。
「シリィ=ロウたちに力が足りていなければ、弟子入りを許すことはありませんでした。……もしもシリィ=ロウたちがいなければ、わたしは首に縄をかけてでもカルス殿を連れて帰りたいという欲求にとらわれていたかもしれませんね」
シリィ=ロウは目を白黒させて、ロイは「ははん」と鼻を鳴らした。
「まったく、人の悪い師匠ですね。あんまりシリィ=ロウの繊細な心を揺さぶらないでやってくださいよ」
「何かシリィ=ロウの気分を害してしまったのなら、お詫びを申しあげます。ただ、わたしは非常に疲弊していますので、そろそろ控えの間で休みたく思うのですが、如何でしょうか?」
「は、はい。こちらこそ、申し訳ありませんでした……」
シリィ=ロウはまったく情緒の定まっていない様子で、ヴァルカスの腕から手を離した。
ヴァルカスはいくぶん眠たげにまぶたを下げつつ、俺たちのほうを見やってくる。
「では、わたしたちも失礼いたします。宴料理の出来栄えを楽しみにしています」
「あ、はい。どうぞごゆっくりおやすみください」
そうしてヴァルカスたちは、すぐ目の前に迫っていた控えの間へと入室していく。ヤンやニコラも俺たちのほうに頭を下げてからそれに続き、後に残されたのはプラティカのみだ。彼女もまた祝宴に参席するため、宴衣装に着替えなければならないのだった。
俺たちは、あらためてお召し替えの間を目指す。その道中で、レイナ=ルウが鋭くプラティカに問いかけた。
「プラティカはこれで2度、カルスの仕事を手伝うことになりました。プラティカは、カルスにどのような印象をお持ちなのでしょうか?」
「私、ヴァルカスの言葉、的確、思います。カルス、鋭敏な舌、有しており……自らの理想、迷い、ありません。その2点、カルス、際立っているのでしょう」
レイナ=ルウよりもさらに鋭い炯々とした眼光で、プラティカはそのように応じた。
「そして、その2点、ヴァルカス、似ています。よって、ヴァルカス、弟子として、迎えたい、考えたのでしょう。……なおかつ、その2点、マルフィラ=ナハム、似ている、思います」
「え? え? わ、わたしなどは、ヴァルカスなどと比べられるのもおこがましいのですけれど……」
「あくまで、資質、問題です。我々、アスタでさえ、迷いながら、進みます。カルスより、鋭敏な舌、有する、ミケルやマイム、同様です。我々、迷いながら、理想、追い求めますが……ヴァルカス、カルス、マルフィラ=ナハム、まず、理想の味、存在して、そこに至る道、探している、思います。あくまで、手順、違いです。私、そのように判じています」
「なるほど。そういう風に説明されると、納得しやすいですね。さすがはプラティカです」
レイナ=ルウの心を静めるべく、俺は笑顔で口をはさんだ。
「確かにカルスやマルフィラ=ナハムは、もともとヴァルカスと似た系統の料理人なんだろうね。いっぽうマイムなんかはそのふたりに負けないぐらい鋭い舌を持ってるけど、ヴァルカスには似ていない。だからヴァルカスは、自分に似てるカルスやマルフィラ=ナハムに心をひかれやすいってことなんじゃないのかな」
「あはは。アスタやプラティカにそんな風に言われると、誇らしいよりも気恥ずかしいという気持ちが先に立ってしまいます」
と、可愛らしいお仕着せの姿であるマイムがそう言った。彼女もずっと近い場所で、こちらのやりとりを耳にしていたのである。
「でも、わたしも納得できたように思います。わたしなんかは逆立ちしたって、ヴァルカスの技を受け継ぐことはできないでしょうからね。でも、わたしは父やアスタのような料理人を目指していますので、何も悔しいことはありません」
「うん。レイナ=ルウだって、ヴァルカスに弟子入りしたいと願ってるわけじゃないだろう? だったら、カルスのことをそんなに意識する必要はないんじゃないのかな」
「……そうですね。なんだかまた、自分の浅ましさを思い知らされた心地です」
レイナ=ルウは、しゅんとしょげてしまう。奮起するときも落ち込むときも、とにかく真っ直ぐなレイナ=ルウであるのだ。
「それは浅ましさじゃなく、向上心の表れだと思うよ。あとは、ヴァルカスに対する思い入れの強さかな。そういうところが、きっとシリィ=ロウに似ているんだろうね」
「はい。それでもシリィ=ロウは、ヴァルカスの弟子ですので……無関係のわたしがあのようにいきりたってしまって、恥ずかしく思います」
「あはは。レイナ姉も、情のこわいルウ本家の女衆だからねー!」
ララ=ルウが陽気に笑いながら、小柄な姉の背中をばしばしと叩く。そんなタイミングで、俺たちはお召し替えの間に到着した。
男女で分かれて、そちらに入室する。白鳥宮に出向いていた面々はすでにお召し替えを済ませているとのことで、この場に集った男衆は10名だ。
こちらで準備されていたのは、セルヴァ伝統の宴衣装となる。闘技会の祝賀会や礼賛の祝宴にて準備していただいた、長衣を基調にした宴衣装だ。最近ではバナームの婚儀の祝宴でも着用したのが記憶に新しいところである。
が――その場に参じた男衆の内、俺とジョウ=ランにだけ異なる宴衣装が準備されていた。袖なしの胴衣に丈の短い儀礼用のマント、それにゆったりとしたバルーンパンツめいた脚衣という、これもまたジェノスではオーソドックスな宴衣装である。
「はて? アスタはともかく、どうして俺にも別なる宴衣装が準備されているのでしょうか?」
ジョウ=ランが不思議そうに問いかけると、仕立て屋のご主人が笑顔で答えてくれた。
「こちらはダーム公爵家のティカトラス様のご注文で仕立てた宴衣装と相成ります。あなた様には、こちらの衣装の寸法が合っているようでございますね」
ご主人はジョウ=ランの背丈や足の長さなどをざっくりと採寸したのちに、壁に掛けられていた宴衣装のひとつを取り上げた。その場には、サイズの異なる宴衣装があと2着ほど準備されていたのだ。
「どうしてティカトラスが、俺に宴衣装を? 俺なんて族長筋でも何でもありませんし、ティカトラスとも特別な縁を結んだ覚えはないのですが」
「こちらはご同伴されるご婦人にあわせた宴衣装であるのだと聞き及んでおります。ですが、どなたがご同伴されるか事前に予測できなかったため、こうしていくつかの寸法の宴衣装を取りそろえることになったわけでございますね」
そのように説明をされても、こちらはやっぱりちんぷんかんぷんである。
すると、いちおうの取りまとめ役であるルド=ルウが森辺の装束を脱ぎ捨てつつ口を出した。
「なんでもいいから、さっさと着ちまえよ。俺たちにとっては、どんな宴衣装でもかまわねーだろ? 事情はあとで、ティカトラス本人に聞いてみりゃいいさ」
「はあ……でも、何だか落ち着かない心地ですね」
そうして俺とジョウ=ランも、特別仕立ての宴衣装を纏うことになった。
こういった様式の宴衣装は、俺もすでに所持している。ダレイム伯爵家の舞踏会にて、一番初めにあつらえてもらった宴衣装だ。ただ、様式は同一なれども、まったくの別物である。胴衣やマントの刺繍はいっそう豪奢であるし、色合いも鮮やかで、とにかく華やかな様相であった。
「あの、ティカトラスはこれをいつ注文なさったのですか?」
「こちらでご注文を受けたのは、ずいぶん昔となりますな。たしか……ティカトラス様が肖像画をお披露目する祝宴を開かれて、すぐ後のことであったかと思われます」
であればそれは、ふた月近くも昔の話となる。しかも、祝宴の直後にすぐさま新たな宴衣装を注文するなど、いよいよわけがわからなかった。
(そういえばそのときの祝宴でも、俺とダリ=サウティはペアになる女衆にあわせて、みんなとは違う宴衣装を準備されてたんだよな。つまり今回は、ユン=スドラのために新しい宴衣装を準備して……そのパートナーとなる男衆が誰になるかは予測できないから、色んなサイズの宴衣装を準備しておいたってわけか)
つまりティカトラスは、次に城下町で祝宴を開く際には必ずユン=スドラを招待しようと決めており、そのために新たな宴衣装を準備していたということだ。
それはデルシェア姫をも上回る用意周到さで、俺はいささか怖くなるぐらいであった。
(そりゃまあティカトラスは、ユン=スドラを従者に誘うぐらい気に入ってたけど……ユン=スドラとしては、ちょっと不安なところだろうなぁ)
そうしてお召し替えを済ませた俺たちは、控えの間へと案内される。
そこで俺は、新たな理解を得ることになった。
白鳥宮に出向いていた男衆の内、ジザ=ルウとラウ=レイだけが別なる宴衣装を纏っていたのである。
「……なるほど。そういうことですか」
「うむ。ティカトラスはアイ=ファとヤミル=レイのみならず、レイナとユン=スドラにも新たな宴衣装を準備したらしい。それで、俺とジョウ=ランにも新たな宴衣装が準備されたということだな」
そのように語るジザ=ルウは、それほどご機嫌が麗しいようには見えなかった。
「たしかユン=スドラもレイナと同様に、従者にならぬかと誘いをかけられていたのだったな。なおかつ、トゥール=ディンも誘いをかけられていたかと思うが……ディンの男衆には、新たな宴衣装も準備されていなかった。これはティカトラスが妙齢の女衆の中でとりわけ気に入った人間にだけ、新たな宴衣装を準備したということであろう」
「ええ、どうやらそうみたいですね。……あまり森辺の民の気風に合う行いではないようです」
「うむ。そのような好みだけで特別な扱いを施すというのは、決して公正な振る舞いではあるまい」
すると、ラウ=レイが愉快そうに笑い声をあげた。
「それを言うなら、アイ=ファやヤミルや俺などは、前の祝宴から特別な扱いを受けていたのだ! 自分たちにその番が回ってきたからといって腹を立てるのは、ジザ=ルウらしからぬ振る舞いではなかろうかな?」
「いや。俺は先の祝宴から、公正さを欠く行いだと思っていた。しかし、アイ=ファばかりが特別に扱われるのは気の毒であったので、許容することに決めたのだ」
「であればこのたびも、同じようなものではないか! どうあれティカトラスは、アイ=ファやヤミルを着飾らせたいと願っているようなのだからな! レイナ=ルウやユン=スドラといった女衆が道連れになってくれれば、ヤミルたちも少しは気がまぎれようさ!」
わかったようなわからぬような理屈であるが、ともあれジザ=ルウも新たな宴衣装を拒むことなく、こうして身に纏っているのだ。それは、まず相手の行いをいったん呑み込んでから正否を見定めようという気持ちの表れであるはずであった。
ジザ=ルウがそういう心持ちであったためか、控えの間には普段よりも粛然とした空気が漂っているように感じられる。ただし、ラウ=レイやゲオル=ザザやラヴィッツの長兄などはおかまいなしで普段通りに振る舞っていたし、何より族長のダリ=サウティがゆったりとくつろいでいたために、それほど気まずい雰囲気にはなっていなかった。
「そもそも俺たちは、貴族に準備された宴衣装を纏っているだけの立場であるのだからな。文句があるならば、自分で銅貨を払い、自分の望む通りの宴衣装を準備するべきであろう。それがかなうようになるまでは、貴族の流儀に従う他ないのではないかな」
「ええ。以前の試食会においてはリッティアに準礼装というものを見つくろっていただくことになりましたが、銅貨だけは自分たちで支払うことになりました。城下町の流儀に疎い我々は、そうして一歩ずつ足もとを固めていくべきなのでしょう」
と、ダリ=サウティに続いてガズラン=ルティムも穏やかな面持ちで言葉を添えると、ジザ=ルウは静かな声音で「そうだな」と応じた。
「自分たちで宴衣装を見つくろうなどというのは、森の主を相手取るぐらい困難なことであるように思えてしまうが……きっといずれは、そういう行いも身につけなければならないのだろうな」
ジザ=ルウがそのように答えたとき、控えの間の扉がノックされた。
お召し替えを完了させた女衆が、しずしずと入室してくる。そちらもプラティカを含めて22名という人数であるため、大変な華やかさだ。
そうして俺は予想通りの光景を目にして、予想以上の感銘を受けることになったわけであった。
やはりアイ=ファとヤミル=レイ、レイナ=ルウとユン=スドラだけが、別なる宴衣装を纏っている。そのデザインは、おおよそアイ=ファが肖像画を描かれたときに準備されたものと同一であるようであった。
上半身はぴったりとフィットして、スカートは大輪の花のようにふわりと広がった、城下町の祝宴でもよく目にするスタンダードな宴衣装である。
ただ、その仕立ての上等さが、段違いであるのだ。肖像画にまつわる一件でアイ=ファとヤミル=レイに準備された宴衣装と同様に、今回の宴衣装もきわめて豪奢な作りになっていた。
あちこちに施されたフリルのひだ飾りや刺繍の精緻さや瀟洒さが、そういう印象を生み出すのだろう。そして、アイ=ファたちは森辺の女衆としても際立ったプロポーションを有しているため、いっそう豪奢に見えるのだろうと思われた。
このたびも襟ぐりは大きく開けられており、そこに数々の飾り物がきらめいている。アイ=ファがさげているのは、もちろん俺の贈った青い石の飾り物と、それを彩るオプションパーツだ。
そしてやっぱり俺の息を呑ませたのは、その色彩の鮮やかさであった。
アイ=ファはこれまでにティカトラスから、燃えるような真紅と、サファイアを溶かしたような青色の、2着の宴衣装をプレゼントされていた。今回はまたそれと別物で、ほとんど金褐色に照り輝いているように見える、淡い黄色の宴衣装であったのだった。
占星師のアリシュナいわく、ティカトラスは人の本質を見抜く目でもって、各人の有する星の色を宴衣装に仕立てているらしい。それでアイ=ファには、まず真っ先に真紅の宴衣装が準備されたのである。
しかしその次に準備された青色の宴衣装も、アイ=ファにはまたとなく似合っていた。それはアイ=ファの瞳の色とこよなく調和しているように思えたのだ。
然してこのたびは、アイ=ファの髪の色に照準が定められたのであろう。その宴衣装はふわりと腰のあたりまで流れ落ちる金褐色の髪とともに、アイ=ファの姿をこれ以上もなく輝かしく飾りたてていたのである。
本当に、アイ=ファ自身が光り輝いているかのような美しさだ。
なおかつ、アイ=ファの髪も宴衣装もどこかくすんだ色合いであるため、そうまでけばけばしい印象ではない。黎明の陽光を思わせる、力強くも清らかなきらめきであるのだ。そしてその透き通った金色の輝きが、アイ=ファの褐色の肢体や青い瞳や桜色の唇を、いっそう美しく際立たせているように思えてならなかった。
いっぽうヤミル=レイは、きわめて深みのあるダークグリーンの宴衣装である。前回はほとんど黒に近いぐらいの色合いであったので、それに比べればまだしも明るい印象であっただろう。俺としては、黄昏刻の森の色合いを想起させられていた。そして、刺繍の糸は銀色で統一されていたため、それがいっそう神秘的な彩りを加えているようであった。
また、ヤミル=レイはこのたびも細かく編み込まれた髪を高々と結いあげられており、艶めかしいうなじや肩のラインが惜しげもなく人目にさらされている。切れ長の鋭い目もとと相まって、ヤミル=レイは森の魔女のように蠱惑的であった。
もっとも意外であったのは、レイナ=ルウだ。彼女が纏っているのは、目にも鮮やかなオレンジ色――それとも、朱色というべきであろうか。わずかに黄色みがかった赤色で、何かの果実を思わせる色合いの宴衣装であった。刺繍の糸は金色で、きわめてきらびやかな様相である。
しかし、そんな絢爛たる宴衣装が、レイナ=ルウにはこよなく似合っていた。もとよりレイナ=ルウも容姿は秀麗であるし、背丈は150センチていどで小柄なれども、アイ=ファやヤミル=レイに次ぐぐらいスタイルがいい。その鮮やかなる朱色の宴衣装は、彼女の持つ大人っぽさと幼さを同じぐらい強調して、一種独特の魅力を放っているように感じられた。
そして最後のユン=スドラは、くすんだ銀色に見える灰色の宴衣装である。
これは果たして、彼女の髪と生まれ月のどちらに起因しているのか――俺の記憶に間違いがなければ、彼女は灰の月の生まれであるはずであった。
ベースとなる生地は淡い灰色で、そこに銀色の刺繍が施されている。それで全体的に、淡い銀色に輝いているように見えるのだろう。それはどことなく、淡く輝く夜空の星を寄せ集めたような、少しはかなげな色合いであった。
しかしユン=スドラはとても可愛らしい女の子であるし、そのあどけない面立ちに反して、レイナ=ルウにも負けない女性らしいプロポーションをしている。そしてその内面も、年齢相応の無邪気さや明朗さとともに、気丈さや果断さをあわせ持っているのだ。よって、見ようによってははかなげでくすんだ印象であるその宴衣装も、彼女を何かの精霊のように美しく見せていたのだった。
四人四様で、まったく異なる美しさである。
驚嘆しているのは俺ばかりでなく、数多くの男衆が感嘆の息をもらしているようであった。
「……やはり、4名にだけ別なる宴衣装を準備するというのは、あまり森辺の民の気風に合う行いではないようだな」
ジザ=ルウがそのようなつぶやきをもらすと、ぴょこんと顔を出したララ=ルウが「別にいいんじゃない?」と発言した。そちらは他の女衆と同様に、セルヴァ伝統の宴衣装だ。
「これは森辺じゃなく、城下町の祝宴だしさ。レイナ姉たちはすっごく綺麗だなーと思うけど、別に羨ましいとも不公平だとも思わないもん。むしろ、色んな人間の目を集めちゃって大変だなーって気の毒に感じるよ」
「そうですね。あえて言うならば、着る側の気苦労はつのるやもしれません」
そのように言葉を添えたのは、モルン・ルティム=ドムだ。ころころとした体格の彼女も、ふわりとした長衣の宴衣装がとてもよく似合っている。
「まあ、堅苦しい話は族長らに任せておけばいい! 俺は愛する家人が見事に飾りたてられて、心から満足しているぞ!」
ラウ=レイはにこにこと笑いながら、においを嗅ぐ犬のようにヤミル=レイへと顔を寄せている。ヤミル=レイはそれを手の甲で押しのけることをこらえるように、そのしなやかな手を自分でさすっていた。
「……お前もまた、新たな宴衣装を準備されたのだな」
と、俺のもとにやってきたアイ=ファが、おごそかなる口調でそう言った。
「最近は祝宴のたびに、新たな宴衣装を贈られているような心地だ。これでは宴衣装を預かってくれているダレイム伯爵家にも、大きな迷惑なのではなかろうかな」
「うん、そうだな。……でも、今回の宴衣装も、よく似合ってるよ」
後半の言葉を囁き声で伝えると、アイ=ファはわずかに頬を赤らめながら俺の頭を小突いてきた。
そしてその陰にプラティカの姿を発見した俺は、「あれ?」と声をあげる。
「どうしたんです、プラティカ? アイ=ファに何か、ご用事でも?」
「……いえ。私より長身、アイ=ファとマルフィラ=ナハムだけですので」
そのように語るプラティカは、もともと細い身体を限界まで縮めているように思えた。俺の位置からうかがえるのは、彼女の首から上のみである。本日の彼女は、アイ=ファに似た金褐色の髪をポニーテールの形に結いあげられていた。
「プラティカもまた、ティカトラスによって新たな宴衣装を準備されたのだ」
と、アイ=ファがふわりと移動して、プラティカの姿を俺の目にさらした。
プラティカはバナームの婚儀の祝宴においてセルヴァ伝統の宴衣装を準備されていたが、このたびはまったく様式が違っている。それは俺がこれまで目にしたことのないタイプの宴衣装であった。
とても豪奢な刺繍のされた一枚布を、身体に巻きつけているような様式である。ただ、森辺の既婚の女衆のように簡単に巻きつけているわけではなく、もっと細長い一枚布をさまざまな角度から何重にも巻きつけているような格好だ。そして装束の生地がきわめて薄手であるために、決して厚着の印象にはならず、天女の羽衣みたいにふわふわと波打っているように感じられた。
そして特筆するべきは、右肩と右足が完全に露出している点であろうか。
ジェノスでお目にかかる宴衣装というのはかなり胸もとをあらわにするが、足もとはしっかりと覆い隠すタイプが多い。仮面舞踏会で姫騎士ゼリアの扮装をすることになったアイ=ファはその見事な脚線美をあらわにすることで、たいそう人目を引いていたのである。
ゆえに、こうして足もとをさらしている宴衣装が、俺にはとても目新しく思えた。それも、ももの付け根まで見えてしまいそうなほど、けっこう際どい露出であるのだ。もちろん宴衣装の下には下帯を巻いているのであろうが、それでもプラティカのしなやかな右足がまざまざとさらされているさまは、ちょっと目のやり場に困るところであった。
また、宴衣装の生地は左肩から右脇に回されているため、右肩と右腕が完全に露出している。森辺の装束であればそれも普通の話であるのだが、プラティカはもともと露出の少ない装束を着込んでいるために、大きなギャップが生じてしまうわけであった。
なおかつプラティカは細身であるが、狩人の一族たるゲルドの民であるため、ひ弱な印象はまったくない。細くてもしっかりと引き締まった首から肩にかけてのラインが美しく、アイ=ファと同様に野生の獣を思わせる優美さが感じられた。
そしてプラティカは誰よりも数多くの飾り物をさげているため、きわめて豪奢な姿である。普段とは異なるポニーテールもよく似合っていたし、これこそシムのお姫様といった風情であった。
「……おそらく、こちら、ジギかラオリム、宴衣装なのでしょう。私、ゲルドの民ですので、不相応です」
プラティカは黒い頬に血をのぼらせつつ、そのように言いたてた。
俺と一緒にその姿を検分していたアイ=ファは、「ふむ」と小首を傾げる。
「では、ゲルドの宴衣装とは、まったく流儀が異なっているというわけだな?」
「はい。ゲルド、寒冷の地ですので、このように、肌、さらすこと、ありえません。また、私、料理番に過ぎないので、宴衣装、纏う理由、ありません」
「なるほど。狩人たる私も、お前と同じ心地だぞ」
「……アイ=ファ、何故、満足そうですか?」
「いや。お前の気苦労を軽んずるわけではないのだが……やはり、西の宴衣装よりは東の宴衣装のほうが似合っているように思えたのでな」
そんな風に語るアイ=ファは、何だか家族の晴れ姿を見守るような眼差しになっていた。
そういえば、自分や俺の宴衣装には無頓着なアイ=ファであるが、リミ=ルウの可愛らしい姿には時おり満足そうな表情を垣間見せることもあったのだ。凛々しいプラティカがリミ=ルウの側に区分されているというのが、俺には何だかむやみに微笑ましく思えてしまった。
そうして俺たちは絢爛たるきらめきの中で、祝宴の開始を待つことに相成ったわけであった。




