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異世界料理道  作者: EDA
第七十二章 糾える道
1247/1698

送別の祝宴②~下準備~

2022.9/8 更新分 1/1

 合計で43名もの森辺の民を乗せた7台の荷車は、無事に城門へと到着した。

 そこから貴族の準備したトトス車に乗り換える時点で、グループ分けがされる。宴料理を準備するかまど番と護衛役は紅鳥宮に、貴族らと親睦を深めるメンバーは白鳥宮へと案内をされるのだ。


 白鳥宮に向かうメンバーは、13名。ダリ=サウティ、ジザ=ルウ、シン=ルウ、ガズラン=ルティム、ラウ=レイ、ヤミル=レイ、シュミラル=リリン、ゲオル=ザザ、ジョウ=ラン、ディン、ラヴィッツ、ベイム、ガズの長兄という顔ぶれになる。特別枠の3名を除けば、なるべく族長筋だけに偏らないように配慮された布陣であるようであった。


 いっぽう厨の護衛役に割り振られたのは、アイ=ファ、ルド=ルウ、ジーダ、ディック=ドム、ゼイ=ディン、チム=スドラ、モラ=ナハム、ヴェラの家長、ラッツの家長、リッドの長兄という顔ぶれになる。決して白鳥宮に向かう面々に見劣りする顔ぶれではないだろう。


 そして、宴料理を準備するかまど番は、20名。今回はちょっと変則的な形で3組に分かれ、俺の組はユン=スドラ、イーア・フォウ=スドラ、マルフィラ=ナハム、ナハムの末妹、ガズの女衆、レイ=マトゥア、フェイ=ベイム、ミル・フェイ=サウティ、ヴェラの家長の伴侶の10名、レイナ=ルウの組はララ=ルウ、リミ=ルウ、マイム、レイの女衆の5名、トゥール=ディンの組はスフィラ=ザザ、モルン・ルティム=ドム、リッドの女衆、ラッツの女衆の5名という割り振りになっていた。


 ちなみに今回はあくまで宴衣装の準備があることを優先したため、森辺のかまど番のベスト20という顔ぶれではない。ミル・フェイ=サウティやヴェラの家長の伴侶、イーア・フォウ=スドラやナハムの末妹、それにスフィラ=ザザなどは屋台の商売にも下ごしらえの仕事にも参加していないため、他の面々と比べると多少ながら力量は落ちてしまうことだろう。しかしまた、彼女たちは全員が礼賛の祝宴の参席者であったため、城下町におけるかまど仕事というものに対しては大きな経験を有しているわけであった。


「そういえば、このたびは二手に分かれてかまど仕事を果たすのだという話であったな。護衛役の狩人は、どのように分かれるべきであろうか?」


 紅鳥宮に到着して、トトス車から降り立った際、そのように述べていたのはディック=ドムであった。それに対して、ルド=ルウが「あー」と気安く応じる。


「片方の組は、ルウとザザの血族で固められてるって話だったなー。それならとりあえず、こっちも同じ血族で固めりゃいいんじゃねーの? 俺とジーダ、あんたとディンとリッドの男衆で、ちょうど半分の人数になるからさ」


「なるほど。ヴェラの家長も、それで異存はないだろうか?」


「うむ。俺は小さき氏族の狩人らと組むことになるわけだな。まあ、そちらでも家長かその長兄が集められているのだから、護衛の役目を果たすのに不足はなかろう。……ラッツの家長だけは血族たる女衆と分かれてしまうことになるが、問題はなかろうか?」


「うむ、かまわんぞ! ルウとザザの血族がともにあれば、何の心配もあるまいよ!」


 ディック=ドムはザザの血族、ヴェラの家長はサウティの血族の代表として、ルド=ルウとともに取り仕切り役を任されているようだ。そんな3名の協議によって、警備の配置はそのように整えられた。

 が、厨に向かう前に、まずは浴堂だ。この行いもまた礼賛の祝宴で経験済みであったため、今さら驚きにとらわれる人間はいない。ただやはり、城下町に参ずる機会の少ないラッツの家長やリッドの長兄などは、まだまだ物珍しげに浴堂の様相を見回していた。


「そういえば、ラッツの家長は家長という立場でありながら、貴族らとの交流ではなく護衛役を担うことになったのだな。ドムやヴェラの家長は親筋の人間がそちらに割り振られているので不思議もないが、小さき氏族の長兄たちよりも、お前のほうが相応しい立場なのではないだろうか?」


 リッドの長兄がそのように言いたてると、ラッツの若き家長は「知らん!」と元気いっぱいに応じた。


「役目を割り振ったのは族長たちなのだから、疑念を抱いたのならそちらに問うてみるがいい! まあどうせ、俺のようにやかましい人間は貴族の前に出すべきではないと判じたのであろうよ! やかましいのは、レイの家長ひとりで十分であろうからな!」


「そうか。お前が不満を抱いていないのなら、血族ならぬ俺が口を出すいわれはなかろうな」


「うむ! だいたい他の長兄たちも、家長の代理という覚悟でこの場に臨んでいるのであろうからな! お前だって、そのつもりであるのであろう? であれば、家長と区別をつける意味もなかろうよ!」


 ラッツの若き家長というのは、ラウ=レイぐらいやかましい人物であるのだ。ただし、意外に目端のきくところも、ラウ=レイと同様であったのだった。

 いっぽうリッドの長兄も陽気な人柄であるが、父親たるラッド=リッドほど豪放ではない。ラッツの家長の言う通り、彼も血族の代表としてこの場に送り込まれた立場であるはずであった。


「どうせ祝宴では、嫌というほど貴族どもと顔を突き合わせるのだ! 俺たちが交流を深めるのは、そちらの場だけで十分であろうよ!」


「そうだな。礼賛の祝宴というやつでも、俺はさまざまな相手と言葉を交わすことになった。このたびもどのような相手と出くわすことになるのか、楽しみなところだ」


 斯様にして、祝宴の場に臨む人々は誰もが強い意欲を有しているようであった。

 むしろ消極的であるように見えるのは、ジーダあたりであろうか。もともとマサラの民であった彼は貴族に対する興味というものが薄く、礼賛の祝宴でもマイムの護衛という意識が先に立っているように感じられた。


「……祝宴の場には、アラウトなる貴族も参ずるのであろうな」


 と、蒸気の中で身を清めながら、ジーダがぽつりとつぶやいた。隣のルド=ルウはチム=スドラと語らっていたため、俺が「そうだね」と応じてみせる。


「これはカルスの料理をお披露目する会でもあるから、アラウトも主役のひとりみたいなものさ。それで、アラウトがどうかしたのかな?」


「いや……そやつはいささか面倒な人間であるようだと、バルシャから聞かされているのでな」


「面倒な人間?」と目を丸くしかけてから、俺は「ああ」と笑うことになった。


「アラウトはトゥラン伯爵家にまつわる一件で、バルシャの行いに感服している様子だったね。バルシャはちょっと困り顔だったけど、でもそれは正当な評価だろう? ジーダも同じような言葉をかけられるかもしれないけど、そんな迷惑がらずにアラウトの好意を受け止めてほしいかな」


「……俺などは憎しみにとらわれて、無用に場をかき回しただけのことだ。何も賞賛などされる筋合いはない」


「そんなことはないよ。ジーダだってトゥラン伯爵家の悪行を暴くために、あれこれ奔走してたわけだし……俺がリフレイアにさらわれたとき、森辺のみんなに居場所を告げてくれたのもジーダじゃないか。俺だって、ジーダにはとても感謝しているよ」


「だから、そういった言葉が面倒であると言っているのだ」


 ジーダは黄色みがかった目を細めて、俺の顔をじっとりとにらみつけてくる。バルシャの奥ゆかしい性格は、こうして息子にもしっかりと受け継がれているわけであった。


 そんな楽しいひとときを過ごして、俺たちは浴堂を出る。すると、俺にだけ白い調理着の準備がされていた。

 やはり大がかりな祝宴では、こちらを纏うのが望ましいのであろうか。まあ、俺もこちらの機能的な装束は好ましく思っているので、何の文句も抱きようはなかった。


 そうして回廊でたたずんでいると、やがて女衆らも浴堂から姿を現す。アイ=ファ以外のメンバーは、みんな白い調理着か、あるいはエプロンドレスめいた侍女のお仕着せだ。礼賛の祝宴でも森辺のかまど番はこちらを着用していたので、またそれが持ち出されることになったのであろう。


「それじゃあ、いざ厨に出発だね。レイナ=ルウとトゥール=ディンも、頑張ってね」


 レイナ=ルウは凛々しい面持ちで、トゥール=ディンはいくぶん緊張した面持ちで、それぞれ「はい」と首肯する。本日は、宴料理の半分が俺で、残りの4分の1ずつをレイナ=ルウとトゥール=ディンの取り仕切りで準備する手はずになっていた。

 なおかつ、こちらの紅鳥宮には4つもの厨が存在したが、ひとつの厨につき適正の人員は10名ぐらいとなる。よって、俺がひとつの厨をまるまる預かり、もうひとつの厨でレイナ=ルウとトゥール=ディンの組が作業を行うことになるのだ。残るふたつの厨では、カルスや城下町の料理人たちが奮闘するのであろうと思われた。


 とりあえずは、小姓の案内で全員が手近なほうの厨を目指す。

 そしてそちらに到着すると、予想していた面々と予想外の面々が並んで待ち受けていたのだった。


「森辺のみなさん、お疲れ様です。カルスもこちらの小宮で仕事を果たすことになりましたので、ご挨拶にうかがいました」


 予想外の面々のひとり、アラウトが礼儀正しく頭を下げてくる。その左右には、もちろんカルスとサイが控えていたわけであるが――さらにさらに、《銀星堂》の5名やヤンやティマロまでもが立ち並んでいたのだった。


「ど、どうもお疲れ様です。もしかしたら、今日もそちらの方々がカルスの仕事を手伝われるのでしょうか?」


「はい。他なる料理はジェノス城のダイア殿がご準備くださるとのことでしたので、城下町から協力者を募ったところ、こちらの方々が名乗りをあげてくれたのです」


 アラウトのそんな言葉に、レイナ=ルウがますます凛々しいお顔になってしまっていた。何せそこには、《銀星堂》のフルメンバーたるヴァルカス、タートゥマイ、ボズル、シリィ=ロウ、ロイの5名が居揃っていたのである。

 さらに、ヤンのかたわらに控えたニコラとプラティカも調理着の姿であり、ティマロのそばには補佐役の若者がたたずんでいる。それできっかり10名という人数であり、俺にしてみればダイアを除く城下町のオールスターという趣であった。


「……ヴァルカスやティマロも、自ら名乗りをあげたということでしょうか?」


 レイナ=ルウが問い質すと、まずはティマロが「ええ」と鷹揚に応じた。


「本日も、我が《セルヴァの矛槍亭》は休業日でありましたからな。これもまた、西方神のお導きでありましょう。カルス殿はなかなか興味深い調理の手腕をお持ちのようですので、わたしも喜んで名乗りをあげた次第です」


「そうですか。……では、ヴァルカスも?」


 ヴァルカスは、「はい」としか答えなかった。

 そしてそのエメラルドグリーンをした瞳は、レイナ=ルウと俺とトゥール=ディンを等分に見回してくる。


「そこでお願いがあるのですが、我々にも森辺のみなさんが手掛けた宴料理の味見をお願いできないでしょうか? 我々は参席者ならぬ身でありますため、そうでもしなければみなさんの宴料理を口にすることがかなわないのです」


「――と、ヴァルカス殿らが仰っていたので、こちらにご同行を願ったのです。プラティカ殿は祝宴の参席者であられるため、味見用の料理が必要なのは9名分ということになりますが……如何なものでしょう?」


「はい。調理時間も食材もゆとりをもって設定しましたので、味見ていどの分量なら問題はないかと思います。……レイナ=ルウとトゥール=ディンのほうは、どうだろう?」


 そちらの両名も、異存はないとのことである。するとアラウトは、ほっとしたように微笑んだ。


「ありがとうございます。これはヴァルカス殿らのご要望であり、僕は部外者に過ぎないのですが……きっと城下町の方々も、森辺の方々の宴料理を口にされることでメライアの食材の扱い方にまた新たな光明を見いだせるのではないかと考えていました」


「はい。ヴァルカスたちにご感想をいただけたら、こちらもありがたく思います」


 そんな風に答えてから、俺はプラティカのほうを振り返った。


「それで、プラティカとニコラも今日は見学役ではなく、そちらの調理を手伝われるのですね?」


「はい。ご連絡、遅くなり、申し訳ありません。ヤンとニコラ、カルスを手伝う、聞きましたので、私もまた、名乗り、あげることになりました」


「いえいえ。見学をするよりも調理に励んだほうが、いっそう修練になるでしょうからね。俺たちは、祝宴の場でプラティカたちの手際を堪能させていただきます」


 そんな風に応じてから、俺はニコラのほうに視線を移した。

 ニコラがヤンの仕事を手伝うのはいつものことであるが、彼女はそういう際にもトゥール=ディンやリミ=ルウと同じく侍女のお仕着せを纏っていたのだ。然して、本日の彼女はヤンと同じデザインである白い調理着を着込んでいたのだった。


「ニコラはダレイム伯爵家の侍女としてではなく、わたしの弟子としてカルス殿の仕事を手伝う立場と相成ります。であれば、侍女のお仕着せではなく調理着を纏うべきではないかと……前回の晩餐会の経験から、そのように判じた次第です」


 と、俺の視線に気づいたヤンが、穏やかな面持ちでそのように説明してくれた。

 ニコラは無言のまま、怒っているかのような面持ちで頬に血をのぼらせる。言うまでもなく、ヤンの弟子として調理着を纏えたことを誇らしく思っているのだろう。それを見守るプラティカも、凛々しい面持ちのままやわらかい眼差しになっていた。


 すると、無言でこれらのやりとりを聞いていた、最後の重要人物――デルシェア姫が、笑顔で発言した。


「できればわたくしも調理に携わりたかったところですけれど、見学に励むのもひとまず今日限りということで、考えをあらためましたの。決してお邪魔はしませんので、どうぞよろしくお願いいたしますね」


「ああ、デルシェア姫は、故郷に戻られるのですよね。ずっとご連絡を差し上げたかったのですが――」


「ご挨拶は、またのちほどごゆっくりと」


 と、デルシェア姫は笑顔で俺の言葉をさえぎった。おそらくは、かしこまった口調で言葉を重ねたくはないと考えているのだろう。


「では、僕たちはこれで失礼いたします。僕はこれから白鳥宮にて森辺の方々と語らう手はずになっていますので、そちらも楽しみにしています」


 アラウトを先頭に、城下町の料理人の一行も回廊の向こうへと消えていく。後に残されたのは、デルシェア姫とそれを護衛する兵士たちのみだ。


「さあ、それじゃあ森辺のみんなも作業開始だね! つもる話は厨に入ってからってことで、ひとつよろしく!」


 つつましい口調をかなぐり捨てて、デルシェア姫は元気に言いたてた。

 こちらの厨は俺が使わせてもらうことにして、レイナ=ルウとトゥール=ディンの組は小姓の案内で回廊を進んでいく。こちらに居残る護衛役の狩人は、アイ=ファ、チム=スドラ、モラ=ナハム、ラッツの家長、ヴェラの家長の5名だ。


「では、一刻ごとに交代するということで、2名が扉の外を見張ることとしよう。まずは、ラッツの家長とナハムの長兄に外の警護を願いたい」


 ヴェラの家長の取り仕切りで、護衛役はそのように配置される。

 そうして厨に踏み入るなり、デルシェア姫が俺へと笑いかけてきた。


「まあそんなわけで、わたしはいったん故郷に戻ることになっちゃったけどさ! 復活祭を終えたらすぐに戻ってくるつもりだから、湿っぽい挨拶はなしにしておいてね! 3ヶ月ていどで再会できるなら、そんな挨拶は必要ないでしょ?」


「そうですね。でも、思っていたほど森辺にお招きすることができなかったので、とても残念に思っていました。またデルシェア姫がジェノスに来られる日を心待ちにしています」


「だから、そういう挨拶はいらないってば! わたしってこう見えて涙もろいから、そんな風にかしこまると心を乱されちゃうんだよ!」


 と、デルシェア姫はいっそう明るい顔で笑った。


「餞別は、今日の宴料理で十分だからさ! わたしとの別れを惜しんでくれるなら、最高の料理をお願いね! これまでアスタ様たちの料理をたくさん食べさせてもらったけど、やっぱり印象に残されるのは最後に食べた料理だからさ! おかしな料理で、わたしの思い出を台無しにしないでよー?」


「承知しました。デルシェア姫に楽しい思い出を抱いてもらえるように、力を尽くします」


 俺が笑顔で答えてみせると、デルシェア姫は「うん!」と大きくうなずいた。

 その明るくきらめく瞳には、うっすらと涙がたたえられている。それがこぼれてしまわない内に、俺は下準備を始めることにした。


「それじゃあ事前に決めておいた組み合わせで、下準備をお願いします。何かわからないことがあったら、すぐに声をかけてくださいね」


 俺はスムーズに作業を進められるように、10名のかまど番を2名ずつで組み分けしていた。こういう大きな仕事に慣れていないメンバーに対する配慮である。

 ユン=スドラはイーア・フォウ=スドラ、マルフィラ=ナハムはナハムの末妹、レイ=マトゥアはガズの女衆と血族同士で組んでもらい、残ったフェイ=ベイムがヴェラの家長の伴侶、俺がミル・フェイ=サウティという組み合わせだ。俺とフェイ=ベイムのペアに関してはいくぶん迷ったが、さすがに族長の伴侶が相手ではフェイ=ベイムもやりづらいかと思い、俺がミル・フェイ=サウティと組ませていただくことにしたのだった。


「礼賛の祝宴というのは、緑の月の終わり頃でしたので……アスタの手伝いをするのは、四ヶ月半ぶりということですか。まったく至らぬ点ばかりでありましょうが、どうぞよろしくお願いいたします」


「いえいえ。礼賛の祝宴でも言ったかと思いますが、ミル・フェイ=サウティの手際には何の不備もありませんよ。ミル・フェイ=サウティとはなかなかお会いする機会もないので、会うたびに上達の度合いに驚かされています」


「まあ。アスタらしからぬ世辞ですね」


「お世辞なんて言いませんよ。虚言は、罪でしょう?」


「ええ。アスタが罪人でないことを祈るばかりです」


 と、厳粛な面持ちがデフォルトであるミル・フェイ=サウティが、ふっとやわらかい微笑をこぼす。その姿に、デルシェア姫が「あー!」と大きな声をあげた。


「わたしも思い出したよ! 確かにあなたは、礼賛の祝宴でもアスタ様の仕事を手伝ってたね! あなたはすごく風格があるから、印象に残されてたみたい!」


「はい。わたしは族長ダリ=サウティの伴侶で、ミル・フェイ=サウティと申します。そちらの女衆は、あちらに控えているヴェラの家長の伴侶となります」


 ヴェラの家長と同様に、伴侶も俺と変わらないぐらいの若さである。フェイ=ベイムの指示で下準備をしていた彼女も、つつましい表情でデルシェア姫に一礼した。


「あー、そっかそっか。あなたがダリ=サウティ様の伴侶で、そっちのおふたりがその血族だったっけ! 礼賛の祝宴では森辺のお人を何十人もお招きしてたから、さすがに覚えきれてないんだよねー!」


「それは致し方のないことでしょう。わたしもこれまで数えるていどしか城下町には招かれていないため、貴族の名前などはろくに見知っておりません」


「そりゃまあそうだよねー。わたしももっと頻繁に森辺にお邪魔できてれば、もうちょっとは交流を広げられたんだろうけどなー」


「すべては、飛蝗の騒ぎゆえですね。志半ばで故郷に戻るというのは、大変無念なことでしょう。心中、お察しします」


「あはは。森辺のお人は、みーんな優しいね!」


 デルシェア姫はさりげなく目もとをぬぐってから、壁際にたたずむアイ=ファのほうを振り返った。


「そういえば、アイ=ファ様は新しい肖像画をティカトラス様にいただいたんでしょ? わたしがジェノスに戻ってくるまで、大事に保管しておいてね!」


「私としては、あのようなものをむやみに人目にさらすつもりはないのだが……デルシェアをファの家に招ける日を待っている」


「うん。ありがとう」


 そんな風に言ってから、デルシェア姫はやおら自分の頬を両手でぴしゃんと叩いた。


「うーん、森辺のみんなが優しいから、何だか湿っぽい気分になっちゃうな! 今はまだ下準備だし、先にカルス様のほうを見物することにするよ! すぐに戻ってくるから、また後でねー!」


 デルシェア姫は小走りで出口に向かい、武官のロデも慌てた様子でそれを追いかける。それらの姿が扉の外に消えてから、イーア・フォウ=スドラが微笑をこぼした。


「やはりデルシェアという御方は、きわめて純真な心をお持ちのようですね。わたしなどは、さほど口もきいていないような間柄ですが……それでも、別れが惜しくなってしまいます」


「そうですね。でも、デルシェアにとってはあっという間の3ヶ月なのではないでしょうか? その内の2ヶ月は車に揺られて、残りの1ヶ月は復活祭なのですから、わたしたちよりもよほど時間が早く過ぎ去るように思います」


 そのように応じたのは、ともに働いていたユン=スドラだ。それはいつも通りの明るい口調であったが、やっぱりどこかしみじみとした感慨が込められているように感じられた。


 新たな出会いがあれば、別れもある。俺たちはアラウトやカルスやサイといった人々と新たな交流を紡ぐことになり、そしてデルシェア姫とは別れを果たすことになるのだった。


「でもそういえば、ティカトラスたちも明日にはジェノスを出立することになるのですよね?」


 と、別の作業台からレイ=マトゥアが無邪気に声をあげる。


「デルシェアは3ヶ月ていどで戻ってくる予定ですし、東や南の使節団というのは数ヶ月置きにジェノスへとやってくるのですよね。そうすると、再会の見込みが立たないのはティカトラスの一行だけということになるわけですが……あの御方は、もうジェノスにいらっしゃることもないのでしょうか?」


「……レイ=マトゥアは、あやつとの別れを惜しんでいるのであろうか?」


 遠い位置からアイ=ファが反応すると、レイ=マトゥアは「そうかもしれません」といっそう無邪気に微笑んだ。


「あの御方はつかみどころがなくて、何度か顔をあわせてもいっこうに絆が深まったように思えないのです。このまま2度と会えないとしたら、わたしはずいぶん寂しい心持ちかもしれません」


「寂しい心持ち、か……私にとっては、思いも寄らぬ言葉だな」


「あはは。アイ=ファは色々と苦労をかけられていましたもんね! でも、鎮魂祭は楽しかったですし、あの方々をマトゥアの集落に迎えた際も悪い雰囲気ではありませんでした。わたしはもうちょっと、あの御方について知りたいように思います」


「……それでレイ=マトゥアまで側妻に迎えたいなどと願われないことを祈るばかりだな」


「大丈夫ですよー! わたしはアイ=ファに、これっぽっちも似ていませんもん!」


 レイ=マトゥアの無邪気さに根負けした様子で、アイ=ファは苦笑を浮かべた。

 無邪気さではレイ=マトゥアに負けていないナハムの末妹も、楽しそうにそちらのやりとりを聞いている。フェイ=ベイムやヴェラの家長の伴侶は真剣きわまりない面持ちで作業に取り組み、マルフィラ=ナハムはせかせかと手先を動かしており――誰もが自分のペースで仕事を果たしてくれているようであった。


 何にせよ、俺たちはたくさんの人々を見送るために、こうして宴料理の準備をしているのだ。

 デルシェア姫のようによく見知った相手にも、それほど見知ってはいない相手にも、ジェノスが楽しい場所であったという思い出を抱いてもらえるように、俺は精一杯の気持ちを込めて宴料理を作りあげる所存であった。

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