表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
異世界料理道  作者: EDA
第七十二章 糾える道
1245/1695

狭間の日々②~贈り物~

2022.9/6 更新分 1/1

 ファの家の晩餐に押しかけたその日から、ティカトラスの一行は森辺で夜を明かす生活を再開させた。

 このたび仮の宿に定められたのは、ラッツの家からほど近い場所にあるという、無人の集落である。そこはかつてラッツの眷族であったメイの集落であり、現在は全員がラッツの家人となってそちらに移り住んでいたため、リコたちもしょっちゅう劇の稽古場として活用していたのだった。


「話の種に、俺たちも今日だけはティカトラス殿におつきあいしておくよ。無人の集落で夜を明かすなんて、なかなか貴重な体験だからねぇ」


 そんな言葉を残して、カミュア=ヨシュもその夜はティカトラスの一行に同行していった。カミュア=ヨシュもカミュア=ヨシュで、ティカトラスたちとの交流をぞんぶんに満喫している様子である。


 まあその後は、俺やアイ=ファが無用の苦労を担うことにもならなかった。ティカトラスというのは際限のない好奇心と行動力をあわせもつ御仁であるが、それゆえに、ファの家にばかり固執することもなかったのだ。

 無人の集落で夜を明かしたティカトラスたちは、夜明けと同時に手近な氏族の朝の営みを見物して、中天になると俺たちの屋台を訪れ、その後は城下町や宿場町を駆け巡る。そうして夕暮れ時にはまたいずれかの氏族を訪れて、晩餐をご馳走になり、そしてまた無人の集落で夜を明かすという、そんな生活サイクルであるのだ。俺が顔をあわせるのは屋台の商売中のみであるし、アイ=ファにいたっては顔をあわせる機会もない。これならば、俺たちが苦労を担う理由も存在しないわけであった。


 いっぽうアラウトは、いまだ商談のさなかであるという。それを伝えてくれたのは、ゲルドの一団を引き連れて屋台にやってきたプラティカであった。本日のアラウトは南の使節団と軽食を取る予定になっていたので、ゲルドの人々はわざわざ城下町からこちらにまで出向いてきてくれたのだという話であった。


「大きな問題、起きていません。ただ、細かな部分、整えるため、皆、尽力しているようです」


 プラティカの言う「皆」とは、アラウトとゲルドおよび南の王都の使節団、そしてジェノスの貴族の人々を指していた。彼らの商談というのはすべてジェノスを中心に据えたものであったので、やはりポルアースや外務官などは誰よりも大きな苦労を背負っている様子であった。


「なんか今回は、あたしらもみんなの苦労を見守るばっかりだね。まあ、苦労がないのはありがたい話なんだけどさ」


 そんな風に言っていたのは、ララ=ルウである。彼女も俺と同様に、使節団がらみで城下町に呼び出されることを予想していたようであるのだ。なおかつ彼女は、それを少し楽しみにしていた部分もあったのではないかと思われた。


「なんか、オーグやロブロスってお人と語らってると、色々と新しいものが見えたりするんだよねー。このままロブロスと会えないまま終わっちゃったら、あたしは少し残念かなー」


「それならきっと大丈夫だよ。ララ=ルウだって、送別会の参席者に選ばれるんじゃないかな」


「でも、この前の晩餐会はレイナ姉だったじゃん。まあ、あれはかまど番のための会だったから、しかたないけどさ」


「そうだね。でも送別会なら、ララ=ルウが選ばれるように思うよ。もちろん人数にゆとりがあれば、レイナ=ルウやリミ=ルウも選ばれるだろうけどさ」


 俺たちは、そんな呑気な言葉を交わしながら日々を過ごしていた。

 そこに一報がもたらされたのは、ティカトラスらを晩餐に招いてから2日後、藍の月の10日である。屋台の商売を終えた俺たちがルウ家で勉強会に励んでいると、そこにジェノス城からの使者がやってきたのだった。


「明日、バナーム侯爵家のアラウト殿がファの家にお邪魔したいそうです。ご了承をいただけますでしょうか?」


 使者は、そのように言っていた。

 ようやく商談のほうもひと区切りついたので、またカルスに食材の扱い方を教示してもらいたいという話であったのだ。アイ=ファからもアラウトの要望には極力応じてかまわないというお言葉をいただいていたので、俺も二つ返事で了承することができたわけであった。


「明日はちょうど休業日だったから、下りの一の刻にアラウトたちをお招きすることになったよ」


 晩餐の場で俺がそのように報告すると、アイ=ファはしかつめらしく「そうか」と応じた。


「私もそろそろ、ブレイブたちに休みを与えようと思っていた頃合いだ。せっかくの機会であるし、家人総出でアラウトを出迎えることとしよう」


「あはは。アイ=ファは本当に、アラウトのことを気にかけてるんだな」


「うむ。あのような若年で兄の代わりに大役を果たさんとするアラウトは、尊敬に値する人間であろう。あやつの苦労が正しい形で報われることを願っている」


 そう言って、アイ=ファはやわらかく俺に微笑みかけてきた。

 決してアラウトによからぬ思いを抱いているのではないのだぞと、無言のままに示しているのだろう。だから俺も無言のままに、同じ笑顔を返すことにした。


 そして、翌日――藍の月の11日である。

 俺は中天からアラウトがやってくるまでの時間、一刻だけでも勉強会に励むことにした。もともと今日は俺個人の修練の日であったので、少数精鋭のかまど番に声をかけて、アラウトの到着を待つことにしたのだ。


 そうして集まったかまど番は、7名。レイナ=ルウ、リミ=ルウ、マイム、トゥール=ディン、ユン=スドラ、マルフィラ=ナハム、レイ=マトゥアという、鉄壁の布陣である。アラウトたちと再会するのは晩餐会に参じたメンバーでも5日ぶりであったため、誰もが心待ちにしていたようであった。


「できればわたしはメライアの食材に限らず、さまざまな食材についてカルスから学びたく思っているのですが……今はカルスも、自分が学ぶほうでお忙しいのでしょうね」


 そんな感慨をこぼしていたのは、もちろんレイナ=ルウである。しかし、ユン=スドラやトゥール=ディンなど晩餐会に参じたメンバーも、心はひとつであるようだ。そして、そちらから話を伝え聞いたリミ=ルウたちも、同じ気持ちであるようであった。


「カルスの作る料理やお菓子って、すっごく美味しかったんでしょー? リミも食べてみたいなー!」


「うん。だけどあれは、調理を手伝ったヴァルカスたちの力も大きいんだろうからね。カルスがひとりで料理を手掛けたら、ちょっと違う結果になるかもしれないよ」


「わたしも、そのように考えていました。カルスというのは……マルフィラ=ナハムから手際のよさだけをなくしたような存在なのかもしれませんね」


 レイナ=ルウにいきなり名前を持ち出されたマルフィラ=ナハムは、カルスに負けないぐらい目を泳がせることになった。


「わ、わ、わたしなんて、そんな大したアレではありません。い、今でもしょっちゅう、家長に叱られたりしていますし……」


「それは、かまど仕事ではない話においてでしょう? マルフィラ=ナハムがかまど仕事で叱られる姿なんて、わたしは想像がつきません」


「そうですよね! マルフィラ=ナハムは力持ちなのに指先も器用で、舌は鋭いし、頭の回転は速いし、狩人みたいに色々な力比べをしたら、勇者や勇士の称号をいくつも授かれるに違いありません!」


 レイ=マトゥアが我がことのように誇らしく言いたてると、マルフィラ=ナハムはいっそうへどもどしてしまった。

 するとそんなタイミングで、アイ=ファがひょこりとかまどの間を覗き込んでくる。


「アラウトらが来たようだぞ。しかし……このたびは、2台もの車を使っているようだな」


「2台の車? 今回は、護衛の兵士を引き連れているのかな?」


「それはわからん。まずは私が出迎えるので、お前たちはこちらで待っているがいい」


 アイ=ファは厳しい面持ちで、ジルベだけを連れて母屋のほうに回っていった。車はこれから到着するところで、アイ=ファは狩人の聴力でその台数を察知したのだろう。


 俺たちは、いくぶん不安な心地で待機する。

 しかし、次にアイ=ファがやってきたとき、その端麗なる面から厳しい表情は消えていた。


「アラウトたちが到着した。何も心配はないので、お前たちもこちらで出迎えるといい」


 俺はほっと息をつきつつ、先頭を切ってかまどの間を出た。

 が、アラウトたちの姿はなく、ただ4頭の犬たちがアイ=ファの足もとにまとわりついている。アラウトたちは、広場のほうに留まっているようであった。


「ああ、アスタ殿に、他のみなさんも。さんざんお世話になっておきながらご挨拶もなくこれほどの日を空けることになってしまい、まことに申し訳ありませんでした」


 顔をあわせるなり、アラウトは頭を下げてきた。5日ぶりの、実直なたたずまいである。

 そんなアラウトのかたわらには、カルスとサイ、カミュア=ヨシュとレイトの4名が立ち並んでいる。ただし、その背後には小さな荷車と大きなトトス車が1台ずつ控えており、トトス車のほうはジェノスの武官が手綱を握っていた。


「さきほどアイ=ファ殿にもご説明したのですが、あちらの車にはメライアの食材が積まれています。以前にお約束した通り、こちらを原価でお譲りしますので、森辺や宿場町の方々に扱い方を手ほどきするための準備をお願いできますでしょうか?」


「えっ! もうメライアから食材が届けられたのですか?」


「はい。我々はジェノスとの通商に備えてメライアの食材を買いためていましたので、それを取り急ぎ運ばせた次第です。行きがけに、ルウ家にも同じ量の食材をお届けしていますので」


 そう言って、アラウトはいくぶん気恥ずかしそうに微笑んだ。


「アスタ殿たちを驚かせたくて、前触れもなしに運び入れてしまいました。子供じみた真似をしてしまい、どうも申し訳ありません」


「いえいえ。食材の到着は遅れるものと思っていましたので、これは嬉しい驚きです」


 そのように応じる俺のかたわらでは、レイナ=ルウたちがきらきらと瞳を輝かせている。俺たちは、メライアの食材をぞんぶんに扱える日を心待ちにしていたのだった。


「ジェノスにおける売り値も決定しましたので、近日中には宿場町でも販売が開始されることになります。しかしその前に、まずは食材の扱い方を周知しなければなりませんので……お手数ですが、どうぞよろしくお願いいたします」


「いえいえ。形式上、それを森辺の民に依頼したのはポルアースたちですからね。それは褒賞の発生する仕事ですので、お気遣いは無用です」


「ありがとうございます。ジェノスにこれらの食材が根付くことを、心から願っています」


 そうして俺たちは、みんなで荷下ろしに励むことになった。ファの家で引き取った分は、ひとまず食料庫や解体部屋に保管するしかない。しかし、購入を希望する氏族には同じ値段で売り渡す心づもりであるので、車1台分の在庫などはあっという間に消え果てるはずであった。


 そうして荷下ろしが完了すると、2頭引きのトトス車は武官の運転によって立ち去っていく。もう1台の荷車は、アラウトたちが帰還するための準備である。本日はひさびさに晩餐の刻限まで森辺で過ごして、《キミュスの尻尾亭》で一夜を明かす予定になっていた。


「でも、メライアの食材を早々にいただけたのは、本当に意外でした。ゲルドや南の使節団を優先しなくてよろしいんですか?」


 俺がそのように問いかけると、アラウトは「ええ」とうなずいた。


「そちらの交易で中心となるのは、あくまでバナームの酢や果実酒となります。メライアの食材に関しては、ダカルマス殿下やアルヴァッハ殿の個人的な買いつけに留まるかと思われます」


「そうですか。メライアの方々だって、いきなりそんな大量の食材は準備できませんもんね」


「はい。それに……自分本位なことを語ってしまいますが、僕たちにとってもメライアの食材というのは交易の一助に過ぎないのです。メライアの食材がどれほど売れようとも、バナームの人間が得られるのはわずかな利ざやのみですので」


 それは、当然の話である。バナームはメライアの食材を買いつけて、それを転売しているだけであるのだから、買い値に上乗せした利ざやだけが収益となるのだった。


 いっぽうゲルドや南の王都およびティカトラスとは、バナーム産の食材で交易を行う手はずになっている。そちらはいずれも直接的な収益となるのだから、莫大なる富を生み出すはずであった。


「ですが、いずれの地においてもメライアの食材によって美味なる料理が生み出されるのでしたら、それは僕たちにとっても大きな喜びです。以前にお話ししました通り、僕たちは美味なる料理からもたらされる喜びというものも重んじている立場ですので」


「はい。俺もゲルドや南の王都の食材がバナームで美味なる料理を生み出したら、とても嬉しい気持ちです。それはバナームの方々と、同じ喜びを分かち合っているようなものですもんね」


「はい。そのためにも、カルスたちバナームの料理番に尽力してもらいたく思います」


 アラウトに視線を向けられると、カルスは慌てて一礼した。相変わらず目を泳がせているが、このていどの人数であればそれほど心を乱さずに済んでいるようだ。


「ちなみに、使節団との商談も一段落したのですよね? そちらも問題なく、契約を交わすことができたのですか?」


「ゲルドに関しては、交易の責任者であるアルヴァッハ殿のお返事待ちとなりますが……プラティカ殿が強く後押ししてくださったため、大きな交易が期待できそうです」


 と、アラウトは昂揚に頬を火照らせた。


「そちらの契約が無事に締結すれば、僕たちもさまざまな食材を手にすることがかなうでしょう。事と次第によれば、野菜を除くすべての食材を買いつけることができるかもしれません。南の王都に関しては、デルシェア姫の後押しのおかげもあって、すでにそういった見込みが立てられているのです」


「そうですか。そうすると、以前の検分も無駄になってしまいますけれど、すべての食材を買いつけられるなら、それに越したことはありませんもんね」


「はい。それに、アスタ殿たちがあれらの食材の素晴らしさを教示してくださったからこそ、僕たちも迷いなく買いつけることがかなうのです。アスタ殿たちのご尽力には、変わらぬ感謝を抱いています」


 アラウトは自分の胸もとに手を置いて、深く頭を垂れてきた。

 そんなアラウトの姿を、アイ=ファは横から穏やかな目で見守っている。そして4頭の犬たちもアイ=ファにつられてアラウトを見つめているのが、俺の気持ちをとても和ませてくれた。


 と――その内の1頭、ジルベが別の方向に視線を飛ばして、「わふっ」とひと声だけ吠える。同じ方向に目をやったアイ=ファは、たちまち眼光を鋭くした。


「新たな車が、こちらに近づいてきているな。これはもしや……ティカトラスらの車ではないだろうか?」


「すごいなぁ。アイ=ファは車の走る音で、持ち主まで当てることができるのかい?」


 カミュア=ヨシュが苦笑まじりに口を出すと、アイ=ファは仏頂面で前髪をかきあげた。


「あやつらの存在は気がかりであるために、否応なく車の出す音の具合まで心に刻みつけられたというだけのことだ。……しかし、あやつらの車は道中で人に預けたという話であったので、ようやくそれがジェノスに到着したということなのであろうな」


「つまりアイ=ファは、ひと月ぶりに聞く車の音を聞き分けたわけか。いやぁ、その耳の鋭さには感服してしまうなぁ」


 アイ=ファたちがそんな言葉を交わしている間に、ようやく俺の平凡な耳にも車の駆ける音色が聞こえてきた。

 アラウトはぎゅっと眉を寄せながら、俺のほうを振り返ってくる。


「ティカトラス殿がいらっしゃるのですか。何か本日、ティカトラス殿とお約束でも?」


「いえいえ。ティカトラスたちは別の氏族の集落を見物しているところですし、そもそも中天から夕暮れ時までは森辺の外で過ごしているはずなのですよね」


 俺がそのように答えたとき、広場と道を隔てる木立の向こうにトトス車の影が見えた。

 あるいは、ファの家よりも北方の集落を目指しているという可能性もなくはなかったが――そんな予想もむなしく、そのトトス車はファの家の広場に乗り込んできたのだった。


 御者台で手綱を握るのは、まぎれもなくデギオンである。

 貴族らしい装飾などは施されていないが、2頭引きの立派なトトス車だ。確かにそれは、ティカトラスらが移動の際に使っていた車であった。


「やあやあ! そこにおわすは、アラウト殿じゃないか! このような場所で出くわすとは、ずいぶんな奇遇だね!」


 トトス車の荷台から姿を現すなり、ティカトラスは甲高い声音でそのように言い放った。

 後から現れたヴィケッツォと御者台から降りたデギオンも、すかさず左右に立ち並ぶ。かくして俺たちは、再びアラウトとティカトラスの対峙を見届けることに相成ったのだった。


 今回は、同じ地面に立って正面から相対している。なおかつ、アラウトもカルスとサイを引き連れていたため、俺たちは実に対照的だと考えていたそれぞれのトリオを同時に視界に収めることになったわけであった。


 アラウトは身長170センチていどで細身の体格をしており、これといって強い特徴は持ち合わせていない。現在は世を忍ぶために平民のなりをしているのだから、なおさらだ。ただその色白の顔には若年らしい純真さと貴公子らしい果断さが同居しており、俺にはとても魅力的に見えた。


 サイもアラウトと似たタイプであるが、もう少し齢を重ねており、なおかつ武官であるために、主人よりは長身で逞しい体格をしている。また現在は、ティカトラスらが主人に無礼な真似をしたりはしないかと、実直そうな顔に警戒の色を濃くたたえていた。

 そしてカルスは、一介の料理番だ。ふくふくとした体格であるが身長は160センチていどで、このたびも気弱そうに目を泳がせている。それでもティカトラスに対して特別な気後れはしていないらしく、あくまで平常通りにおどおどとしている様子であった。


 それに対するティカトラスの一行は、個性の塊だ。長身痩躯でけばけばしい旅芸人じみた格好をしたティカトラスはもとより、東の民のごとき黒い肌で端麗な面立ちをしたヴィケッツォも、190センチはあろうかという長身で骸骨のように痩せこけて陰気な眼差しをしたデギオンも、誰もが人目をひいてやまない強烈な個性を有していた。


(本当に、ここまで対照的なトリオっていうのも珍しいよな。ちょっとでも似てると思えるのは……主人に対する忠誠心ぐらいか)


 しかし何より対照的であるのは、その主人の気質であるのだ。そして彼らはその内面が外見にまで大きく影響しているように思えるため、いっそう対照的であるように見えてならないのだった。


「……その節は、大変お世話になりました。僕たちは、森辺の方々に食材の扱い方を教示していただくべく参上したのですが……ティカトラス殿は、いったい如何なるご用事で?」


 アラウトがすべての感情を押し殺した面持ちで問いかけると、ティカトラスは元気いっぱいに「うん!」と応じた。


「実は、ジャガルの商団に預けておいたこの車が、ようやく到着したのでね! アイ=ファとアスタに、土産を持参したのだよ!」


「土産?」と、アイ=ファは眉をひそめた。


「どうして我々に、そのようなものを? 我々だけそのようなものを受け取るいわれはなかろう」


「いやいや! わたしはアイ=ファにもアスタにも、さんざん苦労をかけてしまったからね! アイ=ファに肖像画を描かせてもらった折にも褒賞などは不要と言われてしまったから、わたしはずっと心苦しく思っていたのだよ!」


「……あの派手派手しい宴衣装がせめてもの感謝の品であると、あなたはそのように言っていたはずだ。あれとて、銅貨にすれば相当な値段であるのだろう?」


「だけどアイ=ファは、ありがた迷惑みたいな顔をしていたしさ! 今回の品には費用らしい費用もかけられていないけれど、少しでも喜んでもらえたら嬉しく思うよ!」


 ティカトラスが長羽織のごとき装束の袖をばたばたなびかせると、デギオンが車の中から奇妙なものを引っ張り出してきた。縦は1メートル、横は60センチほどの板状の何かで、表面は真っ白な布に覆われている。その形状には、多くの人間がピンときたはずであった。


「おい。それは、もしや――」


「そう! お察しの通り、新たな肖像画だよ!」


 ティカトラスは喜色満面で、デギオンの掲げた品から布を取り去った。

 それと同時に、あちこちから感嘆の声がわきおこる。恥ずかしながら、俺もそれを合唱させたひとりであった。


 ティカトラスの宣言通り、そこにはアイ=ファの肖像画が描かれていたのだ。

 このたびは白いキャンバスに黒と灰色の濃淡だけで表現された、モノクロの仕上がりである。

 しかしそれでも、その絵に少しでも物足りなさを覚えることなどはありえなかった。


 小さからぬキャンバスの一面が、アイ=ファの勇姿に埋め尽くされている。

 宴衣装ではなく、森辺の装束である。さらにアイ=ファは狩人の衣をなびかせて、鋼の刀を振るっていた。

 その目は爛々と燃えさかり、端麗なる面には狩人の気迫が満ちている。そのしなやかな体躯には野生の生命力と闘志の炎がみなぎり、今にもキャンバスから飛び出してきそうな躍動感で――アイ=ファが有する凛々しさと猛々しさが、これ以上もなくまざまざと描き抜かれていたのだった。


「どうだい! 素晴らしい出来栄えだろう? わたしとしても、渾身の力作であるのだよ!」


 ティカトラスはえっへんとばかりに胸をそらしながら、そう言った。

 それで我に返った俺は、慌てて声をあげてみせる。


「た、確かに素晴らしい出来栄えだと思います。でも、いったいいつの間にこのような絵を描かれたのですか? ティカトラスたちは休む間もなく、ジェノスとコルネリアを行き来していたのですよね?」


「これはコルネリアまでへの行き道で、車の中で描いたのだよ! 車は大変な揺れ具合であったけれど、それがまたこの絵に勢いと妙趣を加えてくれたようだね!」


 そう言って、ティカトラスは無邪気に微笑んだ。


「心に焼きつけられた印象だけでアイ=ファを描くというのは、なかなかの苦労であったけどね! でも! わたしは森辺の収穫祭というものを見届けることができたからさ! あの狩人の力比べというやつで活躍するアイ=ファの姿を見届けていなかったら、これほどの絵を仕上げることは不可能であっただろう! それもこれも、君たちがわたしの我が儘を聞き入れてくれた結果だよ!」


「いやぁ、ティカトラス殿の才覚は存じあげていましたけれど、これは素晴らしい出来栄えでありますねぇ。きっとアイ=ファはこのような迫力でギバを狩っているのだろうと、何の疑いもなく信ずることができますよ」


 こちらの陣営でもっとも心を乱していない様子であったカミュア=ヨシュが、にっこりと笑いながらそのように評した。

 レイナ=ルウたちは感服しきった面持ちで、まだ言葉も出ないようだ。それにアラウトやサイもティカトラスに対する反感や警戒を忘れてしまった様子で、感嘆の面持ちになっていた。


「どうだろう? 気に入ってもらえたかな、アイ=ファ?」


 アイ=ファはいったんまぶたを閉ざし、静かに深呼吸をしてから、ティカトラスの笑顔をねめつけた。


「これがあなたの言う、土産であるのか? しかし、このようなものを受け取っても、私たちには扱いようもわからないのだが」


「大丈夫! こちらは画布も染料も上等なものを使っているから、特別な手入れなど不要だよ! ただ壁に掛けているだけで、100年や200年はこの美しさを保てるはずさ!」


「……このようなものを壁に掛けていたら、私は落ち着かなくてたまらぬのだが」


「であれば、普段は物置にでも仕舞っておけばいいさ! そうして、伝承の一助にすればいい! 森辺にはアイ=ファという素晴らしい女狩人が存在したのだという、これは確かな証になるはずだよ!」


「なるほど。言ってみれば、傀儡の劇でアスタたちの存在が語り継がれていくようなものですね」


 そのように口をはさんだのは、カミュア=ヨシュであった。

 その紫色をした瞳が、ひどく透き通った光をたたえてアイ=ファを見る。


「俺もこれは、素晴らしい絵だと思うよ。アイ=ファとしては、複雑な気持ちかもしれないけれど……きっとアスタは、喜んで頂戴したいという心情なのじゃないかな」


 アイ=ファはまぶたを半分だけ下げて内心を隠しつつ、横目で俺をにらみつけてきた。俺は曖昧に笑うことで、カミュア=ヨシュの言葉を肯定してみせる。


「何にせよ! わたしはこれをファの家に献上するために出向いてきたんだ! その後のことは、君たちの自由だよ! 気に入らなければ、焚きつけにでも使うといい! 君たちが手にしたものをどのように扱おうと、それは君たちの自由であるからね!」


 ティカトラスが合図を送ると、デギオンが音もなく進み出て、大きなキャンバスを俺のほうに差し出してきた。

 アイ=ファが溜息をつきつつも首肯してくれたので、俺は恐れ入りながらその絵を受け取る。するとティカトラスは満足そうに笑いながら、絵の上に布を掛けてくれた。


「以上! わたしの用件は、ここまでだ! 宿場町に人を待たせているので、今日のところは失礼するよ! 間もなく送別の祝宴についてジェノス城から打診があるだろうから、そちらのほうもよしなにね!」


 ティカトラスはけばけばしい装束の裾をひるがえして、トトス車に乗り込んでいった。

 ヴィケッツォは俺とアイ=ファをひとにらみしてからそれに続き、デギオンも無言のまま御者台へと移動する。そうして彼らは晩餐会の折と同じように、実に慌ただしく立ち去っていったのだった。


「……僕はまた、暴風雨にでもさらされたような心地です。あのティカトラス殿という御方と相対するだけで、生命力を吸われるような気分になってしまうのです」


 ティカトラスらを乗せたトトス車が木立の向こうに消えていくと、アラウトが溜息まじりにそう言った。


「ですが、あの御方が傑物であることに疑いはありません。絵画の才覚などは置いておくとして、商売の才覚は並々ならぬものをお持ちであるのでしょう。それは自らがティカトラス殿との商談に臨むことで、嫌というほど思い知らされました」


「……アラウトは、商売人としてのティカトラスを見習おうという所存であるのか?」


 アイ=ファがそのように問いかけると、アラウトは「いえ」と力強く応じた。


「僕は、ティカトラス殿のようにはなれません。だから僕は僕なりのやりかたで、ティカトラス殿に負けない結果を追い求めたく思っています」


「そうか。アラウトが願う通りの結果をつかめるように、私も祈っている」


 アイ=ファがやわらかい眼差しでそう告げると、アラウトは心から嬉しそうに「ありがとうございます」と口もとをほころばせた。


「それでは、カルスに食材の扱い方の教示をお願いいたします。それに、せっかくメライアの食材が届いたのですから、何かそちらの扱い方に疑問でもありましたら、ご遠慮なくカルスにご質問ください」


 そうして俺たちは、ようやく本日の主題に取りかかることになった。

 ただその前に、まずは肖像画の保管だ。いきなり物置に放り込むのは気が引けたので、そちらはティカトラスからいただいた布で大事にくるみ、母屋の広間にたてかけておくことにした。


「これでよし、と。サチ、いたずらをしたら駄目だぞ?」


 広間の隅っこで丸くなっていたサチは、非難がましく「なうう」と応じてくる。

 そちらに笑顔を返してから母屋を出ようとした俺は、玄関口に立ちはだかるアイ=ファに進路をふさがれることになった。


「……アスタよ。余人の目に、私はあのように映っているのであろうか?」


「うん。他の人はどうだかわからないけど、俺はアイ=ファそのままの姿だと思ったよ」


 俺がそのように答えると、アイ=ファは「そうか……」と眉を下げてしまった。


「どうしたんだ? アイ=ファは、あの絵が気に入らないのか?」


「いや……私は絵というものに興味がないので、気に入るも気に入らないもないのだが……あれを目にすると、どうにも奇妙な心地になってしまうのだ」


「奇妙な心地?」


「うむ……あの絵はまるで、母メイが父ギルの雄々しさで刀を振るっているような姿に見えてならんのだ」


 アイ=ファのそんな返答が、俺の心をとても優しい感情で満たしてくれた。


「だったらそれは、アイ=ファが父親と母親の両方にそっくりだっていう証拠だな。お父さんの雄々しさとお母さんの美しさを受け継ぐことができたんなら、それは素晴らしいことじゃないか」


「母メイの美しさは、そのたおやかさにあったのだ。顔だけ似ていても、美しいことにはならん」


 と、アイ=ファは顔を赤くして、俺の頭を強めに小突いてくる。

 でも俺は、アイ=ファがどれだけ優しくて情け深いかを知っている。その優しさと凛々しさこそが、アイ=ファを美しく見せているのだ。ただ容姿に恵まれているだけであったなら、アイ=ファがこれほど数多くの相手からもてはやされることはないのだろうと思えてならなかった。


 しかし、そのようなことを語っても、また頭を小突かれるだけのことであろう。

 だから俺は何も語らぬまま、すべての想いを込めてアイ=ファに笑いかけることにした。

 するとけっきょくアイ=ファはいっそう顔を赤くして、俺の頭を再び小突いてきたのだった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[一言] なんとなくだけど、ティカトラスの描いたアイファの絵が田村由美先生タッチで脳裏に浮かんだ
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ