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異世界料理道  作者: EDA
第七十二章 糾える道
1244/1695

狭間の日々①~再会に次ぐ再会~

2022.9/5 更新分 1/1

・今回は全8話ていどの予定です。

 アラウトの主催で行われた、城下町の晩餐会の翌日――藍の月の6日である。

 その日も俺たちは、まずは平穏に屋台の商売に取り組んでいた。


 昨日は思いも寄らないタイミングでティカトラスの帰還を迎えることになってしまったが、今日のところはまだ姿を見せていない。ジェノス城か、あるいは城下町の宿屋あたりでぐっすり眠りこけているのだろう。その後にアラウトと商談するつもりであるならば、本日はこちらに出向いてくることもないのかもしれなかった。


 そのアラウトたちも、今日ばかりは城下町で過ごす予定になっている。これはティカトラスとの帰還とは関係なく、もともとそういうスケジュールであったのだ。本日は、昨日の調理に参加した料理人たちから感想を聞いて回ったり、あとは交易の細かい部分を詰めるために外務官やポルアースらと会談をする予定なのだという話であった。


 なおかつ今日の内には南の王都の使節団の使者がジェノスを訪れるという話であったが、使節団そのものが到着するのは明日とされている。

 ならば今日ぐらいは、俺たちも平和に過ごせるのかなと考えていたのだが――運命神は、それほど甘い性格をしていなかった。中天のピークを過ぎて半刻ほどが経過し、本日の営業も残り一刻ていどという頃合いで、街道の北側から尋常ならぬ風体をした一団が接近してきたのである。


 それはフードつきマントで人相を隠した、シムの商団と思しき一団であった。

 ただし荷車は引いておらず、全員が徒歩である。人数は、20名ていどであろうか。シムの商団としても、それなりの規模である。

 しかも彼らは、東の民としてはずいぶん体格がよく、平均身長もさらに高いようであった。

 俺にとっては、決して見慣れない姿ではない。それはまぎれもなくシムの商団であったが、ジギではなくゲルドの人々であったのだった。


「アスタ。ゲルドの商団、到着しましたので、案内しました」


 そのように告げてきたのは、先頭を切って屋台にやってきたプラティカである。そしてそのかたわらからは、ひときわ立派な体格をした人物が重々しく一礼してきた。


「ファの家のアスタ、ひさびさです。壮健、何よりです」


 2メートルはあろうかという長身に、長いマントでも隠しきれない骨太の体格。それは、アルヴァッハから商団の責任者に任命された人物であった。


「どうも、おひさしぶりです。またゲルドの食材を届けてくださったのですね」


「はい。復活祭、近いので、そのための、食材です」


 彼らはこうして数ヶ月に1度、食材を運ぶためにジェノスを訪れているのである。彼らが最初にやってきたのは9ヶ月前となる茶の月で、これが3度目の来訪であるはずであった。


「南の王都の使節団、明日、到着する、聞き及び、驚きました。ですが、それならば、我々、南の王都の食材、十分な量、持ち帰れるでしょう。アルヴァッハ様、多大な喜び、得られます」


「ええ。アルヴァッハの喜ぶ姿を想像するだけで、俺も嬉しい気持ちです。……あ、貴人たるアルヴァッハに対してこんな気安い口を叩くのは失礼であったでしょうか?」


「いえ。アルヴァッハ様の喜び、寿いでいるのですから、失礼、ありません。私、同じ気持ちです」


 彼らもまぎれもなく東の民であるため、表情はまったく動かさない。しかしまた、その眼差しの落ち着きと温かさだけで、俺は安らかな気持ちを得ることができた。


「ところで、みなさんはすでに城下町に荷物を届けた後なのですよね? そちらで何か、特別な話は持ちかけられませんでしたか?」


「持ちかけられました。バナームの食材、交易、可能かどうか、問われたのです。また、西の王都の貴族、ティカトラス、ゲルドの食材、買いつけること、願っている、聞きました。ですが、ティカトラス、就寝中であるため、ひとたび、宿場町、戻ったのです」


 あくまで重々しい口調で、彼はそのように言いつのった。


「無論、最後の判断、アルヴァッハ様、下しますが。商談、円滑、進めるために、細部、語り合ってから、ゲルド、戻ります。よって、数日、ジェノス、滞在します」


「そうですか。急な話で、大変でしたね」


「いえ。滞在、長引けば、屋台の料理、口にする機会、増えますので、幸い、思っています」


 と、ますます温かい眼差しを向けられて、俺もますます嬉しい気持ちになってしまった。


「では、料理、いただきます。未知なる料理、増えたようですので、心、躍ります」


「はい。こちらの玉焼きは、初のお目見えのはずですよね。宿場町でも人気の品ですので、よろしければどうぞ」


 そうして他の団員たちも、おのおの屋台に並んで大量の料理を買いつけてくれた。ゲルドの民というものは、その体格に見合った健啖家であるのだ。

 それに、彼らは南の王都の使節団と同じような立場であったが、身分としては貴人ならぬ武官である。なおかつ、こうしてジェノスまでやってくる際も滞在費を節約するために、街道沿いの荒野で野営をしているのだ。それでも日中の食事だけは銅貨をはたいて、俺たちの屋台の料理を食してくれるのである。そんな彼らの清貧さと、それでも俺たちの料理を食べたいと願ってくれる在りようが、いつも俺の気持ちを和ませてくれるのだった。


 それから四半刻ほどが経つと、屋台の裏手からプラティカがやってきた。大急ぎで料理を食して、何か言葉を届けにきたようだ。


「アスタ。ゲルドの一団、帰還するまで、私、そちら、付き添います。よって、しばらく、森辺、赴けません。森辺の方々、そのようにお伝えください」


「承知しました。これからティカトラスやアラウトを相手に、商談が始められるわけですね。色々と大変でしょうけれど、プラティカもどうか頑張ってください」


「はい。なおかつ、明日、南の王都の商団、到着します。そちらにも、何らかの対応、必要でしょう。私ごとき、背負うには、重い役目ですが……ゲルドのため、アルヴァッハ様のため、尽力するつもりです」


「プラティカだったら、大丈夫ですよ。何かあったら、遠慮なく声をかけてくださいね。俺もプラティカのためでしたら、尽力は惜しみませんよ」


 プラティカはきりりと引き締まった面持ちのまま、気恥ずかしそうにもじもじとした。


「アスタ、ご厚意、感謝します。では、失礼します」


 そうしてプラティカが立ち去ると、同じ屋台で研修に励んでいたフォウの女衆が「あの」と控えめに声をあげてきた。


「わたしはそれほど外界の出来事に通じているわけではないのですが……たしか、ゲルドと南の王都は直接商売をするわけではないのですよね?」


「うん。シムとジャガルは直接商売をすることはできないから、そこをジェノスが仲介してるわけだね。ゲルドの荷物も南の王都の荷物も、まずはいったんジェノスがすべて買い取って、それで必要な分をそれぞれの相手に売り渡すっていうやりかたのはずだよ」


「そうですよね。それでもやっぱり、プラティカの取り次ぎが必要になってしまうのでしょうか?」


「うん。形式上はそういうやり取りでも、荷物を運んできた使節団同士がジェノスで出くわしちゃうんなら、やっぱり挨拶なんかは必要になるんだろうね」


 俺の脳裏に蘇るのは、ロブロスの率いる南の王都の使節団が初めてジェノスを訪れた際のことである。あのときも、ちょうどアルヴァッハたちがジェノスに滞在していたため、小さからぬ緊張が走ることになったのだ。

 あの当時から、アルヴァッハはジャガルの食材を買いつけようとしていた。南の王都の食材ではなく、砂糖やタウ油といった食材に関してだ。そういった食材に関しても、ジェノスを仲介してゲルドに売り渡すことが許されるか否か、ロブロスはきわめて厳しい目で見定めようとしていたのだった。


「ただ、南の王都の食材に関しては、むしろロブロスのほうから持ち掛けた商談だからね。それでこうして実際に交易するようになったんだから、何も悶着が起きることはないと思うよ」


「それなら、よかったです。でも……今度はそこに、西の王都やバナームの貴族まで絡んでくるのですね」


「うん。まあ、そっちも何も問題は起きないと思うけど……ちょっとでも心配なのは、ティカトラスの人柄についてかな」


「はい。わたしも、それを案じていました」


 フォウの家も、すでにティカトラスに集落の見物をされているのだ。ティカトラスの人となりに関しては、もう十二分にわきまえているはずであった。


「わたしもべつだん、ティカトラスを悪辣な人間と見なしているわけではないのですが……ただ、彼が異国の貴族たちとあれこれ言葉を交わすのかと考えると、むやみに胸が騒いでしまうのです」


「うん。きっとそれは、多くの人間が同じ気持ちだと思うよ。ジェノスの貴族の人たちは、俺たちなんかとは比べ物にならないほどの心労だろうしね」


 何せ、すべての商談はジェノスを仲介することになるのである。アラウトやティカトラスがゲルドや南の王都の使節団と商談を締結することになっても、おそらくはジェノスでいったん荷物を預かることになるはずであるのだ。であれば、ジェノスの面々も他人顔を決め込むことはできないはずであった。


(これが交易の要たるジェノスの宿命ってやつなのかな。……ポルアースたちが大変な苦労を背負うなら、そっちにも手助けしてあげたいところだよ)


 俺はそんな風に考えていたが、とりあえずその日はそれ以上の珍客を迎えることなく、平穏に時間が過ぎ去っていったのだった。


                   ◇


 明けて翌日、藍の月の7日においても、大きく事態が動くことはなかった。

 ただひとつ、常ならぬ出来事といえば――南の王都の使節団の到着を、この目で見届けたことであろう。


 これまでも、俺は何度か彼らの到着を見届けていた。南方の宿場町からジェノスまでは車で半日の距離であるため、おおよそは中天に到着するのである。であれば、屋台の休業日でなければほぼ確実にその姿を目にすることになるわけであった。


 このたびも、使節団はたいそうな規模である。トトス車の数は20台以上、兵士の数は100名以上にものぼるのだ。遠目には鱗のように見える鎖かたびらを纏い、天辺のとんがった兜をかぶり、長剣や戦斧をひっさげた南の兵士たちの姿は、ジェノスで見るいかなる兵士よりも勇壮に感じられてならなかった。


 そんな兵士たちに警護されたトトス車の行列が、宿場町の街道を闊歩していく。ひさびさにその姿を目の当たりにしたレイ=マトゥアも、感服しきったように息をついていた。


「やっぱり軍隊というものは、恐ろしげな空気を纏っているものですね。わたしたちに害を為すことはないとわかっていても、ちょっと落ち着かない心地です」


「うん。実際には、兵士さんたちのほうが無法者に備えて気を張ってるわけだからね。その緊張感が、こっちにも伝わってくるんじゃないのかな」


 しかしもちろん、日中の往来でこのような一団にちょっかいを出そうとする人間はいない。そもそも王国の正式な使節団を襲ったりしたならば、一族郎党を根絶やしにされるほどの大罪になるのだという話なのである。それで100名や200名もの護衛役を同伴させるのは、あまりに大仰である――と、かつて《黒の風切り羽》の団長ククルエルはそのように言いたてていたものであるが、このたびも南の王都の使節団は前回と変わらぬ物々しさを携えていたのだった。


(つまりこれは、デルシェア姫を連れ帰るための護衛役ってことなのかな。復活祭のために一時帰国するか、このままジェノスに留まるか、すべてはダカルマス殿下の判断しだいって話だったけど……いったいどういう結論になったんだろう)


 俺はそんな感慨を抱きながら、その一団が屋台の前を通りすぎるのを見守ることになった。

 そして、彼らが通りすぎてからすぐに、嬉しい客人を迎えることに相成ったのだった。


「アスタ、おひさしぶりです! お元気そうで、何よりです!」


 それは、傀儡使いのリコに他ならなかった。

 南の王都の使節団を追いかけるようにして、派手なペイントがされた荷車が通りかかり、その荷台からリコが飛び降りてきたのである。

 往来で停車すると通行の迷惑になってしまうため、ヴァン=デイロが手綱を引いた荷車はそのまま屋台の前を通りすぎていく。ただ、慌てて荷台から飛び降りて追いすがってきたベルトンが、リコの頭をぺしんと引っぱたいた。


「だから! ひとりでちょろちょろ動き回るなって、なんべん言えばわかるんだよ! お前の頭には、おがくずでも詰まってんのか?」


「痛いなー。この主街道で危ないことなんて、なんにもないでしょ?」


 身内にだけは子供っぽい一面を隠さないリコは、くりくりの巻き毛に包まれた頭をさすりながら、可愛らしく口をとがらせた。


「リコもベルトンも元気そうで何よりだね。ずいぶん早いお帰りだったじゃないか」


「はい。道中で、ティカトラス様やロブロス様と出くわすことになったんです。それでティカトラス様に、ジェノスでも芸を見せてほしいと願われて、使節団の方々の後をついて回る格好になってしまいました」


 それはまた、ずいぶんな偶然である。しかしまあ、全員がジャガルの主街道を中心に動いていれば、そんなこともありえるのだろうと思われた。


「ティカトラスは、一昨日ご挨拶をすることになったよ。あちらの方々は、途中で車を人に預けたそうだね」


「はい。わたしたちが最初に出くわしたのは、ロブロス様のほうでした。わたしたちが脇道から出てみたら、ちょうど使節団の方々が主街道を通りすぎるところで……それで兵士さんからご報告を受けたロブロス様が、よければこの先の宿場町で傀儡の劇を見せてほしいと言ってくださったんです」


 あの厳格なるロブロスがそのように言い出すということは、よほどリコたちの劇がお気に召したのだろう。俺としては、心が温かくなるばかりであった。


「それで宿場町までご一緒して、そちらで芸をお見せしたあと、わたしたちは街道沿いの空き地で夜を明かしたのですが……翌朝に、トトスにまたがったティカトラス様が通りかかったのです。なんでも、使節団の方々と同じ時期にジェノスに到着したかったので、車を人に預けたとのことでした。でも、あんな早くから使節団の方々に追いついてしまったため、2日も先んじることになったわけですね」


「なるほど。それじゃあリコたちは、これから城下町に向かうのかな?」


「はい。ですが、わたしたちは貴族の方々がおられる区域にまでは足を踏み入れられませんので。ティカトラス様が懇意にされている宿屋に到着した旨を伝えれば、あとは好きに過ごしてよいと言われました。ティカトラス様もしばらくは商談でお忙しいので、傀儡の劇を所望の際は使者を向かわせるとのことです」


 そう言って、リコはおひさまのように微笑んだ。


「ですからその前に、アスタたちの料理をいただきたく思います。せっかくのギバ料理を食べそこなってしまったら、あまりに残念ですので」


「ありがとう。よかったら、そっちの荷車は屋台の裏に置いておくれよ。ヴァン=デイロも一緒に、食堂で食べてほしいからさ」


「はい! ありがとうございます!」


 ということで、俺たちはひさびさにリコたちを客人として迎えることになった。

 その日の変事は、そこまでである。アラウトもティカトラスも俺たちの前に姿を現すことはなく、その日も粛々と過ぎていくことに相成った。


 俺としては、いくぶん肩透かしをくらったような心地である。何せティカトラスは南の王都の使節団の歓迎会が目当てで早々に舞い戻ってきたという話であったから、俺はてっきりそちらの料理を準備せよという依頼でも受けるのではないかと、ひそかに心の準備をしていたのだ。


 しかし、南の王都の使節団が到着した本日も、城下町からは何の音沙汰もない。平穏すぎて、いっそ不気味なほどである。まさか、ティカトラスとアラウトの間で何か悶着でもあったのか、あるいは南と東の使節団の間に不和でも生じたのか――と、そんな懸念を覚えるほどであった。


 そんな懸念が晴らされたのは、翌日のこととなる。

 一夜が明けて、藍の月の8日。屋台の商売を終えた俺たちがファの家で勉強会に励んでいると、そこにひょっこりとティカトラスがやってきたのだった。


「やあやあ、今日も頑張っているね! 麗しい女性陣も勢ぞろいで、実に華やかなことだ!」


 ティカトラスは、本日も元気いっぱいの様子であった。

 この不意打ちの来訪に仰天しながら表に出てみると、デギオンとヴィケッツォばかりでなく、カミュア=ヨシュにレイトまで同行している。俺が口を開くより早く、カミュア=ヨシュが事情を説明してくれた。


「アラウト殿もここ最近は商談で忙しく、身動きが取れない状態であるのだよね。それで俺も無聊をかこっていたのだけれども、そんな折にティカトラス殿が森辺に出向かれるという話を聞きつけて、同行を願ったというわけさ」


「うんうん! 鎮魂祭でも、カミュア=ヨシュと語らう時間はなかなか取れなかったからね! ヴィケッツォたちも彼のことは憎からず思っているから、こうしてご一緒することになったわけさ!」


「ティ、ティカトラス様。誤解を招くような発言はお控えください」


 と、ヴィケッツォが黒い頬に血をのぼらせた。彼女のこんな表情を目にするのも、ずいぶんひさびさのことである。


「わたしとデギオンは、カミュア=ヨシュの剣技に感服しているだけです。何もよこしまな気持ちは抱いておりません」


「別にどのような気持ちを抱いても、わたしはまったくかまわないよ! ヴィケッツォがカミュア=ヨシュと結ばれたなら、わたしは義理の父親ということになるのだからね! カミュア=ヨシュのように卓越した剣士を婿として迎えられるなら、光栄な限りさ!」


「で、ですから――」とヴィケッツォが赤い顔で眉を吊り上げると、カミュア=ヨシュが「まあまあ」と割り込んだ。


「ヴィケッツォのような女性に見初められたら、俺のほうこそ光栄な限りでありますけれどもね。残念ながら、そのような気配は微塵も感じておりません。ヴィケッツォのように純真な女性を惑わすのは気の毒ですので、ティカトラス殿もどうかお察しください」


「そ、その言いようも、何やら不本意であるのですが」


 と、ヴィケッツォはもじもじと身を揺する。たとえ色恋の対象ではなかろうとも、カミュア=ヨシュとはずいぶん気安い間柄であるようであった。


「ともあれ! わたしが森辺にやってきたことは、すでにルウ家にも伝えているからね! 君たちは、心置きなくわたしたちを迎えてくれたまえ!」


「すでにルウ家に立ち寄っておられるのですか」と、レイナ=ルウが驚いたように言った。本日は俺個人の修練の日であったため、レイナ=ルウとリミ=ルウもファの家に参じていたのだ。


「うん! 森辺の見物を再開する際は、ルウ家にひと声かけるようにという話であっただろう? だから、その約定に従ったまでだよ!」


「では、森辺の見物を再開されるのですね。てっきりしばらくはお忙しいのかと思っていました」


 俺がそのように告げると、ティカトラスは「いやいや!」と大仰に手を振った。


「わたしがダカルマス殿下にお願いしたのはミソの運搬だけだし、ゲルドやバナームとの商談に関しても、あとは責任者のお返事を待つだけだからね! 取り引きの値段でもめることもなかったし、2日もあれば商談はおしまいさ! あとは故郷に帰る前に、ジェノスや森辺での生活を楽しみ尽くさないとね!」


「そうですか。でも、ファの家より北方の集落は、すべて見物を終えているのでしょう? 次はガズやラッツやベイムの集落を巡る予定だったのでは?」


「うん! 明日から、そちらにお邪魔する予定だよ! でも、初日はやっぱりファの家のお世話になりたくってさ!」


「ど、どうしてです?」


「どうしてって、アスタは森辺で一番の料理人だし、アイ=ファは一番の麗人じゃないか! もっとも美味なる料理に、もっとも美しき女人! それを満喫したいと願うのは、至極当然の話だろう?」


 しばらく平穏な日々を送っていた俺は、すっかりティカトラスの奔放さに圧倒されてしまっていた。確かにティカトラスは、こういうお人柄であったのだ。

 そうして立ちすくんでいる俺の姿を、カミュア=ヨシュが意外なほど温かい眼差しで見守ってくれている。もしかしたらカミュア=ヨシュは、俺たちのことを心配してティカトラスに同行を願ったのかもしれなかった。


「さあさあ! わたしたちのことはかまわず、美味なる料理の研究に励んでくれたまえ! 腹を満たすのは晩餐の刻限のお楽しみとして、今はレイナ=ルウたちの美しさで心を満たさせてもらうからさ!」


 そうしてここ2日間の平穏な時間の代償とばかりに、俺はいきなり騒々しい時間を迎えることになったわけであった。


                  ◇


 その日の、夜である。

 アイ=ファが不本意きわまりない顔をしながらもティカトラスからの申し出を了承したため、俺たちは同じ場で晩餐を囲むことになった。


 晩餐の手伝いをしてくれたのはリミ=ルウとユン=スドラで、急遽招集されたのはルド=ルウとライエルファム=スドラだ。ティカトラス陣営の3名とカミュア=ヨシュおよびレイトを迎えて、本日もファの家の晩餐は賑々しいことこの上なかった。


「……では、そちらも藍の月の半ばには、王都に戻ることになるわけだな」


 アイ=ファが厳しい表情で問い質すと、ティカトラスは旺盛な食欲を満たしながら「うん!」と子供のようにうなずいた。


「トトスにまたがれば王都までは10日ていどだから、そんなに急ぐ必要はなかったんだけどさ! やっぱりトトスにまたがりっぱなしというのは疲れるものだし、デギオンたちも心配するから、車でのんびり帰ることにしたんだよ! となると、復活祭を家族と過ごすために、藍の月の半ばにはジェノスを出立しないといけなくなるわけだね!」


「そうか。道中の安全を願っている」


「いやいや! 別れの挨拶には、まだ早いよ! わたしはこれから数日ばかり、森辺の集落に滞在させていただくのだからね!」


「しかし明日からは、ガズやラッツなどの集落を巡るのであろう? アスタたちは屋台で顔をあわせる機会もあるのやもしれんが、私が顔をあわせる機会はなかろう」


「いやいやいや! 名のある貴族が出立する際は、送別の祝宴が開かれるものじゃないか! わたしはもちろん、アイ=ファたちを招待させていただくつもりだよ!」


 アイ=ファは凛々しい表情を保持したまま、こらえかねたように溜息をこぼした。その姿に、ティカトラスは「あはは」と無邪気な笑い声をあげる。


「それにね! せっかくだから、わたしは合同で送別の祝宴を開いていただこうと思っているんだ! それだったら、アイ=ファだって少しは気乗りするのじゃないかな?」


「うむ? 合同というと――?」


「それはもちろん、東と南の使節団の方々だよ! ……あとそれに、デルシェア姫もだね!」


「デルシェアは、故郷に戻ることになったのか?」


 アイ=ファは驚きの声をあげ、俺も思わず身を乗り出すことになった。

 ティカトラスはギバ肉を頬張り、それを呑み下してから「うん」とうなずく。


「やっぱり復活祭は家族と過ごすべし! という話に落ち着いたようだよ! ただ、デルシェア姫は調理の勉強がまったく足りていないので、復活祭を終えたらすぐさまジェノスに戻ってこられるおつもりのようだね!」


「そうか。それでもおそらくは、3ヶ月ていどもかかるのであろうな」


 南の王都までは往復で2ヶ月ばかりもかかるというのだから、そういうことになるのだろう。俺も何だか、しみじみとした寂寥感を覚えることになってしまった。


「まあそんなわけで、わたしもデルシェア姫もゲルドの方々も、みんな復活祭を目処に帰還するわけだから、出立の日取りも同じ時期でかまわないわけだよ! それなら送別の祝宴をひとまとめにしてしまったほうがジェノス側の負担も少ないし、何より楽しくてならないから、わたしがそのように提案したというわけさ! アイ=ファたちもデルシェア姫やゲルドの方々とは浅からぬご縁があるのだろうから、これならば送別の祝宴を二の次にはできないだろう?」


「……すべてを決するのは族長らで、我々はその言葉に従うまでだ」


 アイ=ファは不愛想に言い捨てて、リミ=ルウの作り上げたメレスたっぷりのクリームシチューをひとすすりした。

 すると、ユン=スドラがひかえめに「あの」と声をあげる。


「現在、南や東の使節団の方々は、アラウトと商談をしておられるのですよね? やはりそちらの祝宴には、アラウトたちも参席するのでしょうか?」


「うん? それはわたしの知るところではないけれど、商談が決裂しない限りはそういうことになるんじゃないのかな! ……ユン=スドラは、アラウト殿の去就を気にかけているのかい?」


「ええまあ、わたしは何度かお会いしただけの間柄ですが、アスタたちはバナームでもアラウトのお世話になったそうですし……」


「なるほど」と、ティカトラスが興味深げに俺とアイ=ファを見比べてくる。それに応じたのは、アイ=ファであった。


「そういえば、あなたもバナームと商売をするために、アラウトらと語らったそうだな。そちらの話は、丸く収まったのであろうか?」


「うん! わたしは白い酢と果実酒を買いつけたいと願っただけだからね! ジェノスの方々にも一時あずかりの了承をもらうことができたし、何も揉めることはなかったよ!」


 アイ=ファは「そうか」とだけ言って、食事を再開させる。しかしティカトラスは、いっそう興味深げな面持ちになっていた。


「やっぱりアイ=ファも、アラウト殿の去就を気にかけているようだね! 彼とはバナームの祝宴で初めて顔をあわせたのだと聞いているけれど、この短い期間でそれほどのご縁を紡ぐことになったのかな?」


「うむ。短い時間ではあったが、アラウトの人柄を知るには十分であったろうと思う。むろん、こちらが好ましく思っても、あちらにどう思われているかは知れぬがな」


 すると、黙然と食事を進めていたヴィケッツォがアンズ形の目を鋭く光らせた。


「……今、アラウト殿を好ましいと仰いましたか?」


「うむ? それが何か、気に障ったのか?」


「……あなたはいまだティカトラス様に対して、心を開いていないように見受けられます。それで後から面識を得た相手に対して好ましいなどと仰るのは、あまりに非礼ではないでしょうか?」


 アイ=ファは意表を突かれた様子で、目をぱちくりとさせた。

 いっぽうヴィケッツォは、すっかりご立腹の様子である。ただそれは、すねた幼子を連想させる面持ちであった。


「いまひとつ、非礼の意味がわからんな。人の絆の深さというのは、時間だけに左右されるものではあるまい?」


「……では、ティカトラス様よりもアラウト殿のほうが好ましいと、お認めになられるのですね?」


「そのような言葉で、絆の深さについて語るべきではなかろう。お前は何に固執しているのだ?」


 両者のそんな言い合いは、ティカトラスの高笑いによって断ち切られることになった。


「これはまったく、すまなかったね! ヴィケッツォは、わたしがアイ=ファへの想いを断ち切るためにどれだけ苦心していたかを知っているから、ついつい憤慨してしまったのだよ! でも、アイ=ファだってアラウト殿の伴侶になりたいなどと願っているわけではないのだろうから、ヴィケッツォもそんなに憤慨することはないんだよ!」


「そりゃそーだ」と、ルド=ルウは呆れた様子で肩をすくめた。


「あんたは本当に、そんなことで腹を立ててたのかよ? いくら父親が大事だからって、ずいぶん的外れな怒り方をするもんだなー」


「な、なんですか? 侮辱するつもりであるなら、わたしも黙ってはいませんよ!」


「侮辱してるつもりはねーよ。家族を大事にするってのは、立派な話なんだろうしよ」


「そーだよ!」と、リミ=ルウも元気に声をあげた。


「ヴィケッツォって、ティカトラスのことをすっごく大事に思ってるもんね! それに、ぷんぷん怒るヴィケッツォはかわいーと思うよ!」


「あ、あなたのような幼子に可愛い呼ばわりされる覚えはありません!」


 と、ヴィケッツォはいっそう顔を赤くして憤慨してしまう。

 俺としては溜息をつくか苦笑を浮かべるか悩みたくなるようなシチュエーションであったが――それでも何となく、ヴィケッツォのおかげで少しばかりは心が和んだように思えた。


 俺も決して、ティカトラスらのことを嫌っているわけではない。ただ、ティカトラスの奔放さやヴィケッツォらの頑なさに辟易することがないとは言い切れないのだが――しかし、強い絆で結ばれている彼らの関係性については、きわめて好ましく思っていた。


 そして俺は、アラウトたちのこともロブロスたちのこともゲルドの人たちのことも、みんな好ましく思っている。

 そのように考える俺としては、やはり好ましく思える人々がみんな正しく絆を深められるように、微力を尽くしたいなと願うばかりであったのだった。

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