城下町の晩餐会④~珍客~
2022.8/21 更新分 2/2
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「やあやあ! ぶしつけに押しかけてしまって申し訳ない! どうしても、今日の内に挨拶をしておきたかったものでね!」
しかたなしの了承を得て入室したティカトラスは、遠慮を知らない大声でそのように言いたてた。
派手派手しい刺繍が施された長羽織のごとき装束を羽織り、頭には同じく豪奢な意匠のターバンを巻いている。かつてジェノスを騒がせていた頃と同一の身なりだ。どうやら彼は、旅の道中でもそのような姿を人目にさらしていたようであった。
それに付き従ったデギオンとヴィケッツォも、相変わらずのたたずまいである。ティカトラスの影のようにひっそりと立ち尽くしつつ、どちらも個性的な容姿で独特の存在感をかもし出している。そして、この場に主人に害なす者はいないかと、鋭い視線で室内の様子をうかがっていた。
「おお、アイ=ファにレイナ=ルウ! それに、ユン=スドラとトゥール=ディンも! みんな息災のようだし、相変わらずの美しさと可愛らしさだね! 誰も彼も、ジャガルの準礼装が素晴らしく似合っているじゃないか! やはり君たちぐらい容姿に恵まれていると、どのような装束でも何の不足もなく着こなすことがかなうのだね!」
室内に満ちた不穏なる空気にかまう様子もなく、ティカトラスは周波数の高い笑い声を響かせる。もちろんアイ=ファたちは無言でやりすごしていたため、いくぶん引きつった笑いを浮かべたポルアースがそれに答えることになった。
「ティ、ティカトラス殿。ずいぶん早いお帰りでしたね。コルネリアという地までは往復でひと月ばかりもかかるので、お帰りは5日後あたりとうかがっていたように思うのですが……」
「うん! わけあって、道中で懇意になった商団の面々に車を預けることになったのだよ! それでわたしたちは新たに買いつけたトトスにまたがって駆けつけてきたから、5日ばかりも日数を短縮させることがかなったわけだね!」
「ト、トトスにまたがって? ティカトラス殿ご自身が、トトスにまたがって街道を踏み越えてこられたのですか?」
「うん! 車に乗ろうがトトスにまたがろうが、無法者に襲われる危険度に変わりはないからね! というか、普通は車を引いていたほうが、荷物狙いで襲われる危険が高まるものなのじゃないかな? まあ何にせよ、そんな無法者に出くわすことなく、帰りの道中もぞんぶんに旅を楽しむことができたよ!」
そんな風にまくしたてながら、ティカトラスはくりんとアラウトのほうに向きなおった。
「それで、君がバナーム侯爵家のアラウトなる御仁なわけだね! せっかくの晩餐会にいきなり押しかけてしまって、申し訳ない! わたしはダーム公爵家のティカトラスという者だよ!」
「……ええ。お噂はかねがねおうかがいしております」
アラウトは自制心を総動員させて、つつましい表情を保持しているようだ。ただその瞳には、どうしようもなく反感の思いが宿されてしまっていた。
「それでこのたびは、いったいどういったご用件でありましょうか? 何か、ただごとならぬご事情がおありのようですが……」
「うん? いやいや! わたしはただ、アイ=ファたちに挨拶をしたかっただけだよ! だって、わたしたちがジェノスに到着したその夜に、アイ=ファたちが城下町に招かれているなんてさ! これはもう、西方神のお導きとしか言えないじゃないか!」
アラウトはいっそう鋭い眼光となり、ポルアースは頭を抱えてしまっていた。
すると、無言をつらぬくかと思われたアイ=ファが鋭く声をあげる。
「しかし、この刻限ではすでに跳ね橋というものが上げられているはずであろう。それを下げさせてまで踏み込んできたということは、最初から城下町に用向きがあったということであろうか?」
「おお! アイ=ファは美しく勇猛である上に、明敏だね! わたしはますます心を引かれてしまうじゃないか!」
ティカトラスはにまにまと笑いながら、デルシェア姫のほうに向きなおった。
「実は、デルシェア姫にお伝えしたいことがあったのです! おそらくは明後日の中天頃、南の王都の使節団がジェノスに到着するものと思われますよ!」
「まあ」と、デルシェア姫は微笑んだ。この場でもっとも悠然とかまえているのは、ティカトラスよりも身分の高い彼女である。
「今月の半ばには到着するものとされていましたけれど、わたくしの予想より早い到着であったようですわね。ティカトラス様は、道中でそちらの方々と出くわしたということでしょうか?」
「いえいえ! わたしがコルネリアでの用事を済ませて南北の主街道まで出てみると、使節団の方々が数日前に通過したという話を聞き及ぶことになったのです! それでわたしも使節団の方々と同時にジェノスへと到着できるように車を余人に預けたわけですが、途中で追いこして2日ばかりも早く到着してしまったわけですね!」
「なるほど。でもどうして、使節団と同時に到着したかったのです?」
「それはもちろん、歓迎の祝宴が目当てと相成ります! ダカルマス殿下と通商の契約を結ぶことがかなったわたしは、使節団の方々とも懇意にさせていただきたく念じておりましたからね! ちなみに使節団の責任者は、以前にもジェノスを訪れたというロブロスなる御方でありましたよ! ダカルマス殿下ご本人とお目見えできなかったのは残念な限りでありますが、まあ王子殿下ともなるとそうたびたび王都を離れることも許されないのでしょうね!」
この場ではただひとりの目上の存在たるデルシェア姫にだけは口調をあらためるティカトラスであるが、その声音の元気さに変わりはない。それを気にする様子もなく、デルシェア姫は可愛らしく小首を傾げた。
「なるほど、そういうことだったのですね。でも、使節団が明後日に到着するのでしたら、明日には先触れの使者が到着するはずでしょう? ティカトラス様がそのように急いで使者の代わりを果たす理由があるのでしょうか?」
「使者殿は、明日の中天までには到着することでしょう! しかしわたしが宿場町で夜を明かしたならば、きっと中天を過ぎるまで眠りこけてしまうでしょうからね! わたしがすでにジェノスに到着しているということを使者殿の口から語られるのは、デルシェア姫やジェノスの貴族のお歴々に対して礼を失するかと思い、取り急ぎご挨拶に出向いてきたというわけです!」
デルシェア姫はもう一度、「まあ」と微笑んだ。俺としては、溜息をこらえるばかりである。
(だったらマルスタインあたりにひと声かけるだけで済む話だろうに、わざわざ晩餐会の場に押しかけてくるなんて……まあ、これこそがティカトラスってことなんだろうなぁ)
俺の感慨も知らぬげに、ティカトラスが笑顔で室内の人々を見回していく。そこで最終的に視線が固定されたのは、またもやアラウトのもとであった。
「そういえば、森辺の面々はバナームの婚儀の祝宴に招待されたそうだね! そこでご縁を結んだ君が、アイ=ファたちを晩餐会に招待したということなのかな?」
「……ティカトラス殿は城下町に足を踏み入れるなり、そのような風聞を耳にされることになられたのでしょうか?」
「いやいや! その風聞は、すでにふたつ隣の領地にまで伝えられていたよ! 婚儀の祝宴から半月ばかりも過ぎているなら、もっと遠くの領地にまで伝えられているのじゃないかな! 何せ、森辺の民の動向というのは、多くの人間の関心を引いているようだからね!」
そう言って、ティカトラスはにっと白い歯をこぼした。そういう笑顔が、カミュア=ヨシュとよく似ているのである。
「それはともかくとして! バナーム侯爵家の人間とお近づきになれたのは、わたしにとっても僥倖だ! 実はバナームの白い果実酒と酢に関しても、わたしは通商で扱いたいと考えていたのだよ!」
「……白いママリアの果実酒と酢を手掛けているのは、バナームばかりではありません。王都には、すでに流通しているのではないでしょうか?」
「うん、もちろん! でもね、このジェノスで口にしたバナームの果実酒と酢は、どの地のものよりも上質であるように感じたのだよ! あれならば、王都でも十分に買い手がつくはずさ! 何より、わたしの家族にはどこよりも上質なものを口にしてもらいたいからね!」
そんな風にまくしたててから、ティカトラスはやおら「ふわーあ」と大あくびをした。
「まあ、今日のところはご挨拶に留めて、明日にでも商談をさせてもらいたく思うよ! それではみなさん、ご機嫌よう! どうか最後まで晩餐会をお楽しみあれ!」
颶風のように現れたティカトラスは、同じ勢いで退室していった。
デギオンとヴィケッツォもそれに続き、小姓の手によって扉が閉められる。それと同時に、アラウトは重い重い嘆息をこぼしたのだった。
「あれが、ティカトラス殿ですか……覚悟は固めていたつもりであったのですが、僕はいきなりの暴風雨にさらされたような心地です」
「も、申し訳ありません、アラウト殿。さすがにティカトラス殿を追い返すわけにもいきませんでしたので……」
ポルアースが慌てて声をあげると、アラウトは力なく「いえ」と答えた。
「僕がポルアース殿のお立場でも、同じように振る舞うしかなかったでしょう。どうかお気になさらないでください」
「……我がベリィ男爵家とダーム公爵家に深きご縁は存在いたしませんが、同じ王都の人間としてティカトラス殿のご無礼をお詫びいたしますぞ」
眉間に深い皺を刻み込みつつ、オーグはそのように言っていた。
「ただ、ティカトラス殿は海路ばかりでなく陸路にも太い伝手をお持ちのようですからな。あの御方がバナームとの通商に取り組むつもりであられるのなら、それなり以上の成果が見込めるのではないでしょうかな」
「……はい。こうしてお声をかけられたならば、僕が兄の代理人として商談の場に臨むしかないでしょう。思わぬ成り行きとなりましたが、バナームのために力を尽くしたく思います」
そのように語るアラウトは、戦場に臨む騎士のごとき凛々しさをかもし出している。そして俺の隣では、アイ=ファがアラウトを励ますように力強い眼差しを送っていた。
「そ、そ、それであの、菓子のほうはどういたしましょうか? お、お茶が冷めぬ内にお召し上がりいただけたら、僕としてもありがたく思うのですが……」
カルスが恐縮しきった面持ちでそのように声をあげると、アラウトは気を取り直した様子で「ああ」と微笑んだ。
「そうだね。とにかく今は、僕たちの果たすべき役割を全うしよう。どうか菓子を供してもらいたい」
「は、はい。こ、こちらの菓子には、アールと花蜜を使っています。こ、婚儀の祝宴で出されたものとはまた一風異なる様式となりますので、お口に合いましたら幸いです」
そう言って、カルスはふにゃんと笑顔を見せた。
意外というか何というか、カルスはティカトラスの登場そのものにはさして心を乱していないようである。彼が緊張を強いられるのは、見知らぬ大勢の人間に取り囲まれたときだけなのであろうか。
ともあれ――ティカトラスについて頭を悩ませるのは、明日からでも遅くはないだろう。どのみちあの御仁は5日後あたりに戻ってくる予定であったのだから、それが少しばかり早まっただけのことであるのだ。
(まあ、俺たちもあのお人を持て余している面があるから、アラウトのお役に立てるかどうかはわからないけど……それでも可能な限りは、架け橋になってあげたいところだよな)
そんな風に考えながら隣を振り返ると、アイ=ファが凛然とした面持ちでうなずきかけてきた。もしかしたら、アイ=ファも俺と同じような心持ちであったのであろうか。
そうして俺たちは最後の最後に小さからぬハプニングを迎えつつ、その日の晩餐会を何とか無事に終えることがかなったわけであった。




