城下町の晩餐会①~下準備~
2022.8/19 更新分 1/1
城下町の晩餐会は、藍の月の5日に決行されることに相成った。
アラウトたちを森辺に招いた日の、4日後という日取りである。下りの二の刻に集合であれば、やはり屋台の休業日が望ましかろうということで、その日に決定されたわけであった。
そしてそれまでの3日間、アラウトたちは毎日欠かさず森辺の集落を訪れていた。城下町の料理人とは午前の内にやりとりをして、午後からは森辺の集落で食材の扱い方を学んでいたのである。
なおかつ、その内の2日間は屋台の終業時間を待たず、中天からルウ家を訪れていた。レイナ=ルウが屋台の当番でない日を選んで、手ほどきを願っていたのだ。その申し出を受けたとき、レイナ=ルウはとても驚くのと同時に、とても誇らしそうな顔をしていたものであった。
また、アラウトたちが晩餐の刻限まで居残っていたのは、その内の1日のみとなる。やはり貴族たちとの交流も二の次にすることはできず、夕暮れ時に大急ぎで城下町まで舞い戻り、貴族たちと晩餐をともにしていたのだそうだ。
つくづくアラウトというのは、誠実な人柄であるのだろう。そもそも食材の扱い方を学ぶのはカルスの役割であるのに、アラウトはすべての現場に同行していたのだ。アラウトのそういった振る舞いには、数多くの森辺の民が感銘を受けていたのだった。
「そのようにせわしなくあちこちを行き来するさまも、ティカトラスとよく似ているように思えてならないが……やはりその分、人柄の違いというものが浮き彫りになるようだな」
アイ=ファなどは、しみじみと嘆息をこぼしていたものであった。
ともあれ、アラウトは自らが負った任務を達成するために、苦労を惜しまずに駆けずり回っていた。そうしてあっという間に3日が過ぎて、俺たちは晩餐会の当日を迎えることに相成ったわけであった。
◇
藍の月の5日。俺たちは、下りの一の刻にファの家を出立することになった。
その見送りをしてくれたのは、これから下ごしらえの仕事を受け持ってくれる小さき氏族の女衆たちである。また、その中には、ファの家の大事な家人たちを引き取りに来てくれたサリス・ラン=フォウとアイム=フォウも居揃っていた。
「どうか気をつけてね、アイ=ファ。無事な帰りを待っているわ」
「うむ。ブレイブたちを、よろしく頼む」
サリス・ラン=フォウに温かい眼差しを返してから、アイ=ファはその目をブレイブたちに転じた。
ブレイブとドゥルムアはいつも通りの落ち着いたたたずまいであるが、ラムのすぐそばに陣取ったジルベはきらきらと瞳を輝かせている。ついにこの朝、ラムの発情期が過ぎ去ったようで、ブレイブ以外の犬が近づくことを嫌がらなくなったのだ。発情期ゆえの情緒不安定も解消されて、ラム自身も明るい眼差しを取り戻していた。
この日を迎えるまでの半月、ブレイブとラムは他の犬たちと寝床まで別にしていた。母屋の土間ではなく、かまど小屋の解体部屋で夜を過ごすようになっていたのだ。そしてブレイブが仕事に出向いている際も、ラムは土間に引きこもり、ジルベは表で待機するという、そんな日々が続いていた。もともと仲良しであったラムとそうまで距離を空けることになり、ジルベはずっとしょんぼりしていたのだった。
ラムが無事にブレイブの子を孕んだかどうか、その結果がわかるのはこのふた月以内となる。この世界の犬の妊娠期間はふた月ていどであるそうなので、妊娠していればその期間内に兆候が表れるはずであった。
そんな家人たちの姿を目に焼きつけてから、アイ=ファは「よし」と御者台に足をかけた。
「では、出発するぞ。アスタたちも、荷車に乗るがいい」
「うん、了解」
見送りの人々に手を振って、俺は荷車に乗り込んだ。
同乗するのは、トゥール=ディンとゲオル=ザザ、ユン=スドラとジョウ=ランという組み合わせである。これにジザ=ルウとレイナ=ルウを加えた8名が、こちらから選出された晩餐会の顔ぶれであった。
「でも本当に、わたしなどが出張ってよろしかったのでしょうか? こういう際には、サウティの方々が参席するべきであるように思うのですが……」
ユン=スドラが心配げな面持ちであったので、俺は「大丈夫だよ」と力づけてみせた。
「今日の眼目は、あくまで新しい食材の扱い方を学ぶことだからね。俺とユン=スドラは小さき氏族の代表として選ばれたんだから、胸を張って参席しようよ」
「自分とアスタを並べて考えることなど、おこがましくてできるわけもありませんが……でも、そうですね。少しでもお役に立てるように、力を尽くしたく思います」
そう言って、ユン=スドラは彼女らしい魅力的な笑みをたたえた。
実のところ、ユン=スドラを推薦したのは俺自身である。三族長からもっとも適任たるかまど番を選出するべしと申し渡されて、ユン=スドラの名を挙げることになったのだ。もちろん俺としては、バナーム遠征に参加することのできなかったユン=スドラを優先したいという気持ちが存在したが、これが適切な人選であるという思いに偽りはなかった。
(かまど番としての技量で言えば、マルフィラ=ナハムのほうが上だけど……マルフィラ=ナハムは天才的すぎて、意見や感想が一般の枠から飛び出ちゃうもんな)
言ってみれば、マルフィラ=ナハムはヴァルカス、ユン=スドラはヤンに近い立場なのであろう。目新しい食材の扱い方を学び、それを余人に伝え広めるという役目に関しては、ヴァルカスよりもヤンのほうが秀でているはずであった。
「まあ、これが貴族と絆を深めるための晩餐会であったなら、ダリ=サウティは自ら名乗りをあげたことだろう。お前は族長らの判断を信じて、自らの仕事を果たすがいいぞ」
そんな風に口をはさんできたのは、ゲオル=ザザである。今日もディンの家で一夜を明かすことになるので、なかなかご機嫌なようだ。ユン=スドラが笑顔で「承知しました」と答えると、今度はジョウ=ランが声をあげた。
「でも、ユン=スドラの付き添いに俺が選ばれたのは、少々意外でした。スドラには4人も立派な狩人がいるのに、どうして俺が選ばれたのでしょうね」
「それはやっぱり、ジョウ=ランの気さくな人柄が重んじられたのではないでしょうか? チムなども城下町に招かれる機会は少なくありませんが、椅子に座った食事の場というものには慣れていませんし……貴族と絆を深める際には、おおよそイーア・フォウがともにありましたからね。チムひとりでは、あまり気安く貴族と語らうことはできないように思います」
「なるほど。まあ俺も城下町は苦手ではないので、護衛役に選ばれたことを嬉しく思っています」
にこにこと笑うジョウ=ランに、ゲオル=ザザは「ふん」と鼻を鳴らす。
「お前は城下町よりも、まずは宿場町であろう。まだあのユーミという娘との婚儀については、話が進まんのか?」
「はい。俺はもう、いつでもユーミを嫁に迎えたい気持ちであるのですが……やはりここは、サムスとシルの気持ちを重んじたく思います。ユーミは彼らにとってただひとりの子であるのですから、嫁に出すには大きな覚悟が必要となるのでしょうしね」
「ふん。だったらお前たちがさっさと多くの子を生して、宿屋の仕事というものを手伝えるように取り計らうべきではないか?」
「ええ。俺もそのように考えていたのですが、ユーミに話したら頭を引っぱたかれてしまいました。……あ、ユーミも普段は俺の身に触れないように心がけていますので、どうか容赦をお願いします」
ジョウ=ランの呑気な言いように、ユン=スドラがこっそり嘆息をこぼしていた。
ともあれ、会話が弾んでいて何よりである。あちこちのイベントでしょっちゅう同席している顔ぶれであるのだが、ユン=スドラやジョウ=ランがゲオル=ザザと気安く語らう光景というのはなかなかに新鮮なものであった。
(少し前までは、小さき氏族の人たちはザザの血族に恐れ入ってる雰囲気が強かったもんな。それが解消したなら、何よりだ)
俺がそんな風に考えている間に、ルウの集落に到着した。
総勢8名であるために、ルウ家でも荷車が準備されている。ここから城門までは半刻足らずの道行きあったものの、ルウ家の兄妹がふたりきりというのはいささか物寂しかったので、この時間だけゲオル=ザザとトゥール=ディンがそちらに同乗することになった。
そうして城門に到着したならば、お迎えのトトス車で合流だ。ガーデルはまだ療養中だそうで、手綱を握ったのは顔馴染みである初老の武官である。
そしてそちらで合流するなり、レイナ=ルウが熱っぽく語りだしたのだった。
「バナームから届けられたメライアの食材というものは、いずれも使い勝手がいいように思います。カルスがあれらの食材でどのような料理を作りあげるのか、楽しみでなりません」
レイナ=ルウは俺たちよりも長い時間をカルスとともに過ごしており、その間にメライアの食材について色々と学ぶ機会があったらしい。俺たちもその内容はおおよそうかがっていたが、やはり直接耳にしたレイナ=ルウにはひときわ大きな期待感が生じているようであった。
「もうメライアの食材を買いつけることはほとんど確定済みで、今は値段の設定をしてるみたいだね。他の食材と差のない値段で売られるはずだって話だから、俺も楽しみだよ」
「はい。調味料と言えるのは花蜜だけですので、そこまで献立の幅が広がるわけではないのでしょうが……でも、楽しみなことに変わりはありません」
確かにバナームから持ち込まれた食材というのは、いずれも地味めのラインナップであるのかもしれない。蜂蜜に似た花蜜、栗に似たアール、カブに似たドーラ、レンコンに似たネルッサという品目であるのだから、そうまで劇的な変革というものは望めないことだろう。しかしまた、それもバナームの人たちの奥ゆかしい人柄を象徴しているかのようで、俺は楽しい気分であった。
いっぽうトゥール=ディンなどは、きっと俺たち以上の熱意を隠し持っているに違いない。花蜜にアールという食材は、料理よりも菓子に応用がききそうな品目であるのだ。すでにバナームでそれらの菓子を食しているトゥール=ディンは、内心で期待を渦巻かせているはずであった。
そんなかまど番たちの期待と熱意を背負って、トトス車は石造りの街路を駆けていく。
やがて到着したのは、かつてトゥラン伯爵邸であった貴賓館だ。俺たちがこの場を訪れたのは、ふた月ほど前に行われた勉強会以来であった。
(そういえば、ヤンやロイたちに会うのもそれ以来ってことになるのか)
本日は、カルスの調理の手伝いをするために、城下町の料理人が集められている。その中にヤンやロイやシリィ=ロウの名が含まれていることを、俺たちは事前に知らされていた。料理は多めに作られて、晩餐会とは別の場で料理人たちが試食会を行うのだそうだ。
(だったら俺たちも、そっちに加わりたいぐらいだけど……でもまあ、アラウトたちとの交流も捨てがたいしな)
俺たちは小姓の案内で浴堂に向かい、身を清めたのちに厨へと歩を進める。お召し替えは晩餐会の前であるし、俺たちが調理に臨むわけではないので、全員が自前の装束だ。厨の内に踏み入る人間だけが、その場で狩人の衣を預ける手はずになっていた。
「これから三刻ばかりは、ひたすら見張りとかまど仕事の見物か。どこに出向いても、俺たちの役目に代わり映えはせんな」
そのように語るゲオル=ザザとジョウ=ランが、まずは扉の外に居残ることになった。
残りのメンバーで、厨の内へと足を踏み入れる。ふたつの教室をつなげたぐらいの規模である、大きなほうの厨だ。その奥に、白い調理着を纏った一団とアラウトの姿があった。
「みなさん、お早いお着きでしたね。本日はご足労いただき、心より感謝しています」
アラウトは、本日も実直そのものである。そのかたわらに控えたサイも、折り目正しく一礼していた。今日はアラウトもこの場で1日を過ごす予定であるので、カミュア=ヨシュとレイトはひさびさのオフであるのだそうだ。
そしてさらに、武官のロデを引き連れたデルシェア姫がにっこりと笑いかけてくる。そちらは調理着ではなく、男の子のような身軽な平服で、髪もアップにまとめあげていた。
「森辺の皆様、おひさしぶりです。バナームへの旅以来ですので、半月ていどぶりですね。皆様息災なようで、何よりですわ」
貴族たるアラウトが控えているために、デルシェア姫もよそゆきの語り口調だ。ただ、その笑顔は元気いっぱいで屈託がなかった。
「本当はわたくしも調理を手伝いたかったのですけれど、王族が相手ではカルス様も気安く指示ができなかろうということで、皆様と一緒に見学することになりました。プラティカ様やニコラ様がお羨ましい限りですわ」
ニコラはヤンのかたわらに控えており、プラティカもそのすぐそばにたたずんでいる。彼女だけは深い藍色の調理着であったため、最初からきわめて人目を引いていた。
「実はまだ、到着していない料理人がおられるのです。約束の刻限まではまだ猶予もありますので、よろしければその間に旧知の方々とご歓談ください」
アラウトからのありがたい申し出をいただいて、俺たちはヤンのもとに向かうことにした。
「どうも、おひさしぶりです。ヤンの仕事を見学できる機会は少ないので、今日はそれも楽しみにしていました」
「森辺の方々に見学されるというのは、身の引き締まる思いです。とはいえ、本日は調理助手の身にすぎませんので、カルス殿の心労とは比較にもならないでしょうな」
ヤンはやわらかく微笑みながら、そんな風に言っていた。
本日の主役であるカルスは、厨の隅っこでせわしなく帳面をめくっている。普段は料理番の末席であるという彼が料理長の座を務めなければならないのだから、それは大変な心労であろう。しかも、異郷の料理人たちに指示を出さなければならないのだから、なおさらであった。
「この場には、数々の料理店や貴族のお屋敷の料理番などが集められているようです。まあ、料理長の身で参じたのは、わたしひとりのようですが」
「これはみなさんにとっても、メライアの食材の扱い方を学ぶ場なんですもんね。俺も同じ立場であったら、喜んで参じていましたよ」
確かにその場には、若い人間が多いようであった。ただし、俺が見知っている顔もいくつか見受けられる。それはいずれも試食会で見かけた顔であったので、高名な料理人の補佐役を務めていた人々のはずであった。
「ああ、あちらの御方は、たしかダイアの補佐をしていた御方ですよね」
「ええ。その他にもサトゥラス伯爵家や《四翼堂》や《ヴァイラスの兜亭》など、名だたる料理人の右腕たる立場の方々が集まっておられるようです。誰もがメライアの食材に大きな関心を抱いている証拠でしょう。もちろん、わたしもそのひとりです」
「カルスはヤンにも手ほどきを願っていたのでしょう? そちらに関しては、如何でしたか?」
「はい。カルス殿は確かな舌と熱情をあわせ持っておられるようですので、わたしの伝えたいことは過不足なくお伝えできたように思います」
ヤンの評価も俺たちと同様であったようで、何よりであった。
そうして俺がヤンと語らっている間に、トゥール=ディンはニコラに声をかけている。ニコラとプラティカは、2日前にも森辺の勉強会に参加していた。
「ニコラ、お疲れ様です。姉のテティアは、お元気でしょうか?」
「……はい。今もお屋敷で、仕事を果たしているかと思います」
「そうですか。今日はひさびさにテティアとお会いできるのではないかと、勝手に期待してしまっていました。お元気でしたら、何よりです」
「……テティアはルイアにかまど仕事を習っているさなかですので、このような場に呼ぶにはまだ力が足りていないかと思われます」
ぶすっとした面持ちをしながら、ニコラは手の先でせわしなく前掛けをいじっている。きっと姉のことを気にかけてもらえて、嬉しいのだろう。
「ルイアはときどき宿場町へのお使いで顔をあわせる機会がありましたけど、テティアは灰の月の勉強会以来お姿を見ていませんね。彼女は元気におすごしでしょうか?」
俺のほうでもヤンに呼びかけてみると、「ええ」という温かい微笑が返ってきた。
「テティアもひとかたならぬ熱情で仕事に取り組んでいるため、非常に覚えが早いようです。いずれはこういう場でも仕事を任せられることでしょう」
「そうですか。ルイアともども、楽しみにしています」
すると、扉のほうから新たな料理人たちの到着が告げられた。
小姓の手によって扉が開かれて、5名の料理人たちが入室してくる。その顔ぶれに、俺を含めた多くの人々が驚きの声をあげることになった。
「ヴァ、ヴァルカスにティマロじゃないですか。おふたりも、カルスの調理を手伝われるのですか?」
「はい。森辺の方々もご壮健なようで、何よりです」
ヴァルカスは、ぼんやりとした面持ちで頭を下げてくる。そのかたわらに控えていたロイが、苦笑を浮かべつつ発言した。
「師匠。アスタとの会話が成立していないようですよ。浴堂で身を清めたのに、まだ寝ぼけてるんですか?」
「……?」
「いや、そんな不思議そうな顔しないでくださいよ。師匠も今日のお手伝いをするのかって、アスタが問いかけてるでしょうよ」
「その質問に対しては、『はい』とお答えしたはずです。それ以上、何か言葉が必要なのでしょうか?」
「普通は料理長みずから、こんな場に出向いたりはしないもんなんですよ。まあ、ティマロにヤンまで居揃ってるとなると、あんまり説得力はありませんけどね」
「そうですか。目新しい食材に期待をかけていれば、みずからの足で出向くのが普通であるように思います」
相変わらず、ヴァルカスはヴァルカスであるようだった。
ヴァルカスはロイとシリィ=ロウを、ティマロはひとりの調理助手を引き連れている。その調理助手も、試食会に同伴させていた右腕的な存在であるはずであった。
「本日はちょうど《セルヴァの矛槍亭》が休業日でありましたので、わたしもみずから出向くことに相成りました。我が《セルヴァの矛槍亭》は《銀星堂》ほど休業日が多いわけではありませんので、これも西方神のお導きでしょうな」
と、ティマロのほうはすましたお顔で、そんな風に答えてくれた。
「森辺の方々は、本日は見学というお立場なのですな。森辺の方々があれらの食材でどのような料理を作りあげるのか、楽しみにしておりますぞ。……ああ、これはこれは、デルシェア姫にアラウト殿。ご挨拶が遅れてしまい、まことに申し訳ありません。本日は、何卒よろしくお願いいたします」
「いえ。料理長みずからが出向いてくれたこと、心よりありがたく思っています。こちらこそ、どうぞよろしくお願いいたします」
アラウトは一介の料理人に対しても礼儀正しいことが、ここで判明した。まあ、ニコラや森辺のかまど番に対しても同じ態度であるのだから、それも当然の話であるのだろう。
「これで本日お呼びたてした料理人の方々は、すべて到着したようです。まだ約束の刻限には至っていませんが、みなさんのほうに問題がなければ作業を始めていただきたく思います。……カルス、君も大丈夫かな?」
「は、は、はい! も、問題ありません!」
カルスは帳面を放り出して、アラウトのもとにあたふたと駆け寄った。森辺の集落で女衆に囲まれたときと同じぐらい、心を乱してしまっているようである。
彼はまだ、20歳そこそこの若年であろう。ついでに言うなら、ふくよかな体形をしているものの、身長は160センチていどであり、西の民としても小柄の部類である。自信と気概にあふれた20名近い料理人たちと相対したカルスは、気の毒なぐらい目を泳がせてしまっていた。
「ほ、ほ、本日は僕などのお手伝いをさせるために呼びつけてしまい、まことに申し訳ありません。ぼ、僕のような若輩者が料理長の座を担うなどというのは、おこがましい限りなのですが……ど、どうか最後までよろしくお願いいたします」
料理人たちは、誰もが落ち着いた態度でカルスの言葉を聞いている。
そうして挨拶の言葉を語り終えると、カルスはそのまま固まってしまったのだった。
「……どうしたのかな、カルス? 料理人の方々は、君の指示を待っておられるよ」
「は、はい! そ、それでは、あの……ま、まず下ごしらから始めたく思いますが……ど、どのように班分けをするべきでしょう?」
カルスの頼りなげな問いかけに、ティマロが「そうですな」と応じた。
「まず、その下ごしらえでは何組に分かれるべきなのでしょう? その組の受け持つ労力に応じて、人数を配分するべきかと思われますぞ」
「そ、そ、そうですね! ええと、下ごしらえは肉と野菜の切り分けと……調味液の準備とか、下茹でとか……あ、下茹では切り分けが済んでからだから、それは別で考えるとして……」
と、カルスは再び固まってしまう。
見かねた俺は、心配げにカルスを見守っているアラウトに囁きかけることにした。
「アラウト。カルスはこういう場の取り仕切りに慣れていないご様子ですので、何人か班長を指名して、そちらに指示を送るという形にしたほうがやりやすいかもしれません」
「そうですね。アスタ殿の助言に、感謝いたします」
アラウトは、引き締まった面持ちでカルスのかたわらに進み出た。
「こちらの準備が足りておらず、申し訳ありません。ヤン殿に、ヴァルカス殿に、ティマロ殿――それに、サトゥラス伯爵家からお越しの御方も、こちらに集まっていただけますでしょうか?」
アラウトに呼ばれた人々が、粛々と集合する。サトゥラス伯爵家の料理番というのは、そこそこお年を召した恰幅のいい男性であった。
「僕の独断で、あなたがたを本日の仕事の班長に任命させていただきたく思います。カルスの指示を他の方々に伝えつつ、それぞれ個別に作業を進めていただけますでしょうか?」
「もちろん、是非もございません」
如才なく答えるティマロを筆頭に、誰も異論はないようだ。
「ありがとうございます」と一礼してから、アラウトはカルスを振り返る。
「では、カルス。最初にどのような作業から取りかかるのか、説明を。何も慌てる必要はないからね」
「は、は、はい。お、お見苦しい姿を見せてしまい、まことに申し訳ありません」
カルスはぺこぺこと頭を下げてから、つっかえつっかえ作業の手順を説明し始めた。
どうやら手順そのものは、きちんと頭に入っているらしい。それでも話が前後したり、食材の名前を取り違えたり、危なっかしい面もなくはなかったが、それは聞く側である熟練の料理人たちが過不足なく補正してくれた。
「では、肉の切り分けはわたしが受け持ちましょう。こちらで5名ていどの人員を預かり、3名ていどの班が調味液の準備、残りは半数ずつに分かれて野菜の切り分けという配分で如何でしょうかな?」
「それで問題はありませんでしょう。カロンの骨を煮込むのも、そちらにお任せできますでしょうかな?」
「ええ、承ります。……調味液を受け持つ3名の班は、ヴァルカス殿にお任せいたしますぞ。あなたの指示を疑念なく遂行できるのは、お弟子の方々ぐらいでしょうからな」
「はい。そうさせていただければ、幸いです」
「では、手が空いた班から、カルス殿に新たな指示をいただくということで。人数の調整は、その都度おこなうことにいたしましょう」
4名の班長が料理人たちのもとに舞い戻り、てきぱきと班分けをしてから作業を開始する。その姿を遠目に見やりながら、カルスはまた目を泳がせた。
「ぼ、ぼ、僕はどうするべきでしょう? ど、どこかの班に加えていただき、ともに作業を進めるべきでしょうか?」
「それは僕には、なんとも判断がつかないけれど……アスタ殿、お知恵を拝借できますでしょうか?」
「はい。人手に問題がないようでしたら、カルスは監督役に徹するべきではないでしょうか? 自分の考えている通りに作業が進められているかどうか、常に作業場を見回るべきかと思います」
「承知しました。……本日は見学役としてお招きしたのに、けっきょくお手間を取らせてしまい、申し訳ありません」
アラウトがとても申し訳なさそうなお顔をしていたので、俺は「いえいえ」と笑顔を返してみせた。
「歴戦の料理人たる方々が一丸となって作業するさまを拝見するのは、とても楽しいです。……ちなみにサトゥラス伯爵家の御方を班長に任命したのは、やはり貴族の格式を重んじてのことでしょうか?」
「はい。たとえ料理長ならぬ身であっても、他なる料理人に目下として扱われれば軋轢が生じる恐れもあるかと思い、そのように取り計らいました。……サトゥラス伯爵家の方々は、とりわけ格式を重んじる気風のようであられたので」
「さすがのご判断ですね。アラウトとカルスのお力があれば、きっと素晴らしい晩餐会になることでしょう」
俺の言葉に、アラウトは気恥ずかしさと誇らしさの入り混じった微笑を浮かべてくれた。
そうして俺たちは、心置きなく調理の見学を始めることがかなったわけであった。




