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異世界料理道  作者: EDA
第七十一章 碧落の婚礼
1234/1695

婚礼の日⑥~契りの舞踏~

2022.8/3 更新分 1/1

・予定を変更して、全11話となりました。明日の更新分で終了となります。

 俺はしばらく、ウェルハイドとコーフィアが繰り広げる舞踏のさまに見入ることになった。

 楽団の演奏する曲はゆったりとした曲調であったし、ふたりの動きにもそれほど激しいところはない。しかし、巨大な炎に照らし出されるふたりの姿は、きわめて鮮烈に俺の心を揺さぶってやまなかったのだった。


 ウェルハイドは真紅の装束、コーフィアは純白の装束で、それぞれ全身に金色の刺繍が施されている。それが炎のきらめきを浴びて、またとない豪奢さであったのだ。


 ウェルハイドは太陽神のように雄々しく、コーフィアは月神のように壮麗に感じられる。まるで神話やおとぎ話の一幕のようであると、俺はこの夜に何べんもそんな感慨を抱かされていたが、この瞬間ほどその言葉に相応しい場はないようであった。


 森辺の祝宴においても、俺は同じような感慨にとらわれることが多い。しかしそれは、深い森に燃えさかる炎というシチュエーションと、森辺の民が持つ野生の生命力というものに起因するのだろう。

 この場にも、儀式の火さながらの炎が焚かれている。しかし、森辺の祝宴と共通するのは、その一点だけだ。舞踏を見守る人々も、決して森辺の民のように荒々しい生命力を発露しているわけではないし――むしろそこには、厳粛で静謐な雰囲気が満ちみちているように感じられた。


 ウェルハイドとコーフィアが披露しているのは、普段の祝宴で目にする優雅なダンスとそれほど代わり映えのするものではなかったが――きっとこれも、遥かな昔から伝わる伝統的な儀式であるのだろう。自分たちは夫婦となって、生涯をともに過ごすのだと、彼らはこの世界そのものに誓約を果たしているのだろうと思われた。


 そうして、どれだけの時間が過ぎたのか――

 楽団の演奏がふわりと溶けていくように消えていき、ふたりがそれに合わせて動きを止めると、今度は万雷の拍手が大広間を埋め尽くした。


 ウェルハイドは凛々しい面持ちで頬を火照らせており、コーフィアは静かに微笑みつつ涙をこぼしている。

 やがて両名が一礼して炎の前から引き下がると、それを合図にして楽団が新たな曲を演奏し始めた。

 大広間の外側に寄っていた貴公子や貴婦人が、その音色に招かれてしずしずと中央に進み出ていく。新郎と新婦の舞踏が終了し、参席者が舞踏を楽しむ時間となったのだ。すると、まだ俺たちのそばにいたリーハイムが「やれやれ」と肩をすくめた。


「何だかすっかり、見入っちまったな。あんな馬鹿でかい炎が焚かれてるせいか、妙に凄みを感じちまうよ」


「そうですね。森辺においても祝宴では儀式の火を焚きますので、わたしたちも心を動かされることが多いように思います」


 レイナ=ルウがそんな風に答えると、リーハイムが迷うような面持ちでそちらを振り返った。


「きっと森辺の祝宴ってのは、これとも比較にならないぐらいの迫力なんだろうな。……伯爵家の中で俺たちだけがそいつを味わえないってのは、少しばかり不公平だと思わねえか?」


「いえ。ポルアースは調停官の補佐官という立場から、リフレイアは森辺の民と絆を結びなおすという事情から、それぞれ森辺の祝宴に招かれていたのです。ことさらサトゥラス伯爵家をないがしろにしていたわけではありませんので、不公平なことはないように思います」


 レイナ=ルウがそのように答えると、リーハイムはすねたように口をとがらせた。その子供っぽい表情に、レイナ=ルウはくすりと笑う。


「でも、もしリーハイムらを森辺の祝宴に招くことができたら、心から歓迎したく思います。そのときは、どうかルウ家に取り仕切らせてください」


「ほ、本当か? 俺には社交辞令なんて通用しねえからな!」


「森辺において、虚言は罪です。でも、わたしには何を決める力もありませんので、どうかダリ=サウティやジザ兄とご相談くださいね」


「よし! その言葉を、忘れるなよ!」


 そう言って、リーハイムは彼らしい不敵な笑みをたたえた。


「それじゃあ、祝宴の続きを楽しむか。また坊ちゃんどもが舞踏の誘いをかけたくてうずうずしてるみたいだから、しばらくは俺らと一緒にいるべきだと思うぜ?」


「はい。リーハイムの親切に感謝いたします」


 すると、アイ=ファもかたわらのダリ=サウティに視線を投げかけた。


「確かに周囲の貴族ならぬ者たちが、また我々に視線を向けているようだ。ここは我々も、貴族の庇護を願うべきではないだろうか?」


「そうだな。手間をかけるが、ポルアースに助力を願えるであろうか?」


「もちろん!」と、ポルアースは丸っこい顔に無邪気な笑みをたたえた。


「ただ、いつまでも大人数で固まっているのは、あまりお行儀がよろしくないからね。適当な人数で分かれて、料理の卓でも巡るべきではないかな?」


「えーっ! またアイ=ファたちと離ればなれになっちゃうの?」


 リミ=ルウが、しょげた子犬のような面持ちでアイ=ファの腕をくいくいと引っ張る。さしものアイ=ファが困り果てたように眉を下げると、心優しきダリ=サウティが助け船を出してくれた。


「では、昨日と同じ組に戻すとするか。俺たちはジザ=ルウらと行動をともにするので、そちらの4人で組になるといい」


 リミ=ルウは「わーい!」とアイ=ファの腕にすがりつき、アイ=ファもほっとしたようにリミ=ルウの頭を撫でる。すると今度は、ルド=ルウが不平の声をあげた。


「なんでもいいから、あっちの卓に戻ろうぜー。さっきはバナームの連中を見守るばっかりで、ギバ料理を食うこともできなかったんだからさ」


「そうだな。しかしポルアースらは、すでにあちらの料理も食しているのであろう?」


「いやいや。僕たちもまだまだ食べ足りていないからね。それじゃあ、移動することにしようか」


 ということで、俺とアイ=ファはルド=ルウとリミ=ルウ、ポルアースとメリムを新たな道連れとして、その場を離れることになった。すました顔でそれについてきたのは、フェルメスとジェムドである。デルシェア姫はこっそり俺のほうに手を振ってから、自前の侍女だけを引き連れてどこへともなく立ち去っていった。


 ジザ=ルウとダリ=サウティの組はリーハイム、ディンとザザの組はジェノス侯爵家の面々と合流し、移動を開始する。ムドナの領主と娘さんは俺たちのほうに頭を下げつつ、人垣の向こうに消えていった。

 そこで俺は、ふとした疑念にとらわれる。この一団には、もうひとつの勢力が組み込まれていたはずであるのだ。


「あれ? そういえば、いつの間にかカミュアたちがいなくなってるな」


 すると、アイ=ファがそっと俺の耳もとに口を寄せてきた。


「カミュア=ヨシュらは、菓子の卓に移動する際に姿を消したようだ。どうもあやつは、フェルメスを避けているように感じられるな」


 俺は「なるほど」と答えるしかなかった。

 カミュア=ヨシュがそのように判断したのなら、それを尊重するべきであろう。また、俺がどのように考えようと、カミュア=ヨシュは自分の好きなように行動するはずであった。


(チル=リムの騒ぎのときなんて、ふたりはいっさい顔をあわせないまま、同じ結論に達していたのにな。……でも、それだけ考え方が似ているからこそ、相容れない部分が大きく感じられるってことなのかな)


 俺がそのように思案していると、ポルアースたちに追従していたシェイラがうっとりとしたお顔でアイ=ファに呼びかけてきた。


「アイ=ファ様がそちらの宴衣装をお纏いになるのは、ダカルマス殿下の送別の晩餐会以来ですね。お召し替えをお手伝いできなかったのは残念な限りですが、輝くようなお美しさです」


「よくそのような話を記憶に留めているものだな。……そういえば、ニコラは別の場で仕事を果たしているのであろうか?」


「え? ニコラはプラティカ様のご面倒を見るという名目で、そちらと合流したはずですが――」


 そんな風に言いかけてから、シェイラはにこりと微笑んだ。


「でもそれは、ニコラが余人の目を盗んで宴料理を口にするための方便であったのです。それで森辺の方々にご迷惑がかからないように、口をつぐんでいたのかもしれませんね」


「ふむ。それでプラティカも姿が見えなかったわけか。しかし、頭数に含まれていないニコラが宴料理を口にしたならば、数に不足が生じてしまうのではないか?」


「その分は、プラティカ様が量を控えるという話になっていました。……やはりこのようなお話は、森辺の方々にお伝えするべきではなかったでしょうか?」


 シェイラがいくぶん心配げな面持ちになると、アイ=ファはうろんげに首を傾げた。


「べつだん我々の機嫌をうかがうような話ではなかろう。それにそれは、ニコラの主人たるポルアースたちも了承している行いなのであろう?」


「はい。むしろ、ポルアース様がプラティカ様にご提案した格好となります。貴き方々は挨拶をお受けするだけで長きの時間を取られますし、本日はいつも以上に余人の目を集める立場となられますため、自由のきくプラティカ様にニコラをお預けした形となりますね」


「であれば、なおさら我々が口をはさむ理由はない。プラティカにとっては、自分の口にする料理を半分に減らしてでも、ニコラと意見を交わし合うほうが有用なのであろうしな」


 アイ=ファが優しい眼差しでそのように答えると、シェイラはほっとしたように息をついた。森辺の民は貴族ともまた異なる謹厳さを持っているため、ニコラたちの行いが意に沿わないかと不安になったのだろう。しかし、そのていどの話で目くじらを立てる人間はそうそういないはずであった。


 そんな一幕を経て、俺たちは隣の卓に到着する。

 するとそちらには、見慣れた面々が寄り集まっていた。リフレイアにシフォン=チェル、アラウトにその母君、そしてコーフィアの両親という顔ぶれである。族長のダリ=サウティと行動を別にするなり、ずいぶんな顔ぶれに遭遇してしまったものであった。


「これはこれは、みなさんおそろいで。ウェルハイド殿とコーフィア姫の舞踏には、すっかり心を奪われてしまいました」


 こちらにポルアースがいてくれたのは、何よりの僥倖であった。何せアイ=ファは人見知りであるし、ルド=ルウとリミ=ルウは無邪気さの権化であったため、新郎新婦の親御さんにかしこまったご挨拶をすることなど、なかなかできそうになかったのだ。


「わたくしも、ようやく肩の荷が下りた気分です。それでさっそく、森辺の方々の料理をいただきに参りましたの」


 そのように応じてくれたのは、アラウトやウェルハイドの母君である。歓迎の晩餐会で顔をあわせていたものの、俺やアイ=ファがその声を聞くのは初めてのことであった。


 コーフィアの両親は厳格にしてつつましいたたずまいであるが、こちらの貴婦人はとても柔和な雰囲気である。きっとアラウトたちは、父親似であるのだろう。痩身で、どちらかといえばひっそりとした、実際の年齢よりも老成した風情を感じさせる女性であった。


「そちらの森辺の方々は……アスタにアイ=ファ、ルド=ルウにリミ=ルウでしたわね。こちらの料理も、素晴らしい味わいでありました。このように素晴らしい宴料理で今日の祝宴を彩ってくださり、心より感謝しておりますわ」


「いえ。こちらこそ、このような祝宴にお招きくださり、感謝しています。ウェルハイドとコーフィアが末永く幸せでいられるように願っています」


 僭越ながら、俺が森辺の代表者として返礼させていただくと、母君は「ありがとう」と微笑んでくれた。本当に、あの厳格なるバナーム侯爵の妹だとは思えないような穏やかさである。だがきっと、こういう母君であったからこそ、アラウトとウェルハイドもあれほど真っ直ぐに育つことになったのだろう。俺は何だか、とても温かい気持ちを授かることができた。


 が――何故だかアラウトは、その母君のかたわらで気まずそうにもじもじとしている。このようにおめでたい場であるというのに、何らかの心労を背負っている様子だ。


「では僕たちも、ギバ料理をいただくとしようか。こちらのぎばかつさんどという料理は、やはり絶品であったねぇ」


 ポルアースは、ほくほく顔で卓の料理に手をのばす。メリムと森辺の面々もそれに続いたわけであるが、そのさなかにアラウトが俺のもとに忍び寄ってきた。


「アスタ殿、実は打ち明けておかなければならないことがあるのですが……僕の母上もルアマット男爵家の方々も、コーフィア姫のご乱心についてはいまだ聞き及んでいないようであるのです。どうかこの場は、内密のままにしていただけますか?」


「え? それはもちろん、そんな話を口にするつもりはありませんでしたが……それで何か、問題でもあるのでしょうか?」


「いえ。婚儀は無事に果たされたのですから、何も問題はないのですが……どうやら兄上ご自身も、昨日の一件については何も知らされていないようであるのです」


 そのように語るアラウトは、ちょっと幼げな面持ちで眉を下げてしまっていた。


「僕はてっきり兄上と心ゆくまで真情を語り合ってから、今日の婚儀に臨むものと思っていたのですが……コーフィア姫は誰にも真情を伝えないまま、ああして婚儀に臨まれたようであるのです」


「そうですか。でも……コーフィアがそう決めたのなら、何も心配はいらないのではないでしょうか?」


 少なくとも、俺たちはコーフィア自身から真情を聞かされている。ウェルハイド本人と何も語らっていないというのは少々意外であったものの、俺が不安をかきたてられることはなかった。


「俺はウェルハイドだけではなく、コーフィアの正しさも信じたいと思っています。アラウトも心配なさらずに、コーフィアの行いを見守ってあげればいいのではないでしょうか?」


「……森辺の方々というのは、本当に強い心をお持ちであられるのですね。自分の未熟さを恥ずかしく思います」


「とんでもありません。ご家族であれば、心配なさるのが当然だと思います。でも、俺は……きっと大丈夫だと思いますよ」


 俺の心には、まだ先刻の壮麗なる舞踏のさまがくっきりと焼きつけられていた。

 ウェルハイドもコーフィアも、決して婚姻の儀をおろそかにするような人間ではない。俺が信じているのは、その一点であった。


「アラウト殿は、どうなさったのかしら? 内緒話でしたら、わたしも――」


 と、リフレイアがこちらに近づいてこようとした。

 が――そのほっそりとした身体が、途中でかくんと力を失う。アラウトは弾かれたような勢いでそちらに手を差し伸べて、リフレイアの身を支えることになった。


「だ、大丈夫ですか、リフレイア姫? どこかお加減でも悪いのですか?」


「ええ、ごめんなさい。実は昨日の物見の塔の見物で、足に血豆ができてしまいましたの」


 アラウトの腕に抱かれたまま、リフレイアは気恥ずかしそうに微笑んだ。


「それを忘れて足を踏み出したものだから、また血豆を潰してしまったようですわ。本当に、ぶざまなことですわね。……どうぞわたしなどのことは、お捨て置きくださいな」


「そ、そのような真似ができるわけはありません。すぐに控えの間にお連れしましょう。でも、ええと……」


「よろしければ、わたくしが……」


 と、シフォン=チェルが背後からリフレイアの身をすくいあげた。

 幼子のように抱かれたリフレイアは、いっそう気恥ずかしそうに頬を赤らめる。


「またトゥラン伯爵家の名を貶めるような姿をさらしてしまったわ。トルストは頭を抱えることでしょうね」


「け、決してそのようなことはありません! さあ、こちらに! すぐに医術師を呼びますので! ……みなさん、ご挨拶の最中ですが、ひとまず失礼いたします!」


 そうしてアラウトは慌ただしく、リフレイアを抱いたシフォン=チェルを扉のほうへとエスコートしていった。

 その騒ぎをきょとんとした顔で見守っていたポルアースが、「あはは」と屈託のない笑いをこぼす。


「リフレイア姫は、メリムほど頑丈にできていなかったようだね。それにしても、貴婦人の身で物見の塔にのぼるだなんて、あまりにつつしみに欠けていると思うよ?」


「はい。バナームで過ごす時間があまりに楽しかったため、ついつい浮かれてしまったのです」


 メリムもまた、無邪気そのものの面持ちで微笑んでいる。ルアマット男爵家の夫妻は厳粛なる顔つきで黙りこくっていたが、アラウトの母君はメリムに負けないぐらい柔和な笑顔であった。


「貴婦人たる皆様をそのような場にお連れしたのは、アラウトに他なりません。息子の節度を欠いた振る舞いに、お詫びを申し上げますわ」


「いえいえ、とんでもありません。これだから、ジェノスの貴族は田舎貴族などと誹られてしまうのでしょう。僕たちも、バナームの方々のつつましさを見習わなければなりません」


 ポルアースは、こういう際にも如才がない。ただ大らかなだけではなく、貴族らしい社交術もきちんと体得できているのだ。

 俺がそれに感心していると、フェルメスがふわりと近づいてきた。


「ジェノスとバナームの方々も、順当に絆を深められているようですね。アスタたちも、何も問題はありませんでしたか?」


「はい。貴族ならぬ方々に舞踏の誘いなどをかけられたときは、少々困ってしまいましたけど。それほど深刻な事態には至っておりませんね」


「ああ、それはジェムドも耳が痛いのじゃないかな?」


 フェルメスが妖艶にも見える流し目を送ると、ジェムドは静かな無表情のままアイ=ファに一礼した。


「先日は、森辺の習わしもわきまえずに舞踏の誘いなどをかけてしまい、まことに申し訳ありませんでした。心より、謝罪の言葉を申し述べさせていただきたく思います」


「いや、そのように古い話を蒸し返す必要はなかろう」


 アイ=ファはいくぶん眉をひそめつつ、フェルメスのほうをにらみつける。フェルメスは、悪戯な精霊のようにくすくすと笑った。


「あれは礼賛の祝宴の出来事だったので、本当に古い話となってしまいましたね。でも、僕たちが森辺の方々と正しく絆を深めるには、きちんと謝罪しておくべきでしょう。きっとジェムドの行いは、アイ=ファばかりでなくアスタの気分をも著しく害してしまったでしょうからね」


「……そのような話を蒸し返されることこそ、我々は不本意であるのだが」


「それでは僕も、謝罪させていただきましょう」


 フェルメスは、芝居がかった仕草で一礼する。貴婦人を思わせる優雅な姿と相まって、本当に演劇でも見せられているような気分だ。


 そのとき、遠からぬ場所からざわめきがあげられた。

 今度は何事かと思ったら、ウェルハイドとコーフィアが大広間の内を練り歩いている。中央ではまだ舞踏が続けられていたので、大広間の外周を辿る格好で歩を進めているようであった。


 ウェルハイドのかたわらには小姓が、コーフィアのかたわらには侍女が付き添い、それぞれ大きな草籠を抱えている。そしてその草籠に積まれた花を一輪ずつ、参席者に配っているようであった。


「ああ、返礼の儀ですね。今度は花婿と花嫁から、すべての参席者に花を捧げるのですよ」


 フェルメスがそのように説明してくれると、クリームシチューをすすっていたルド=ルウが「へー」と声をあげた。


「もしかして、あいつらはまだ宴料理を口にしてねーのか? だとしたら、もう腹もぺこぺこだろうなー」


「ええ。新郎新婦はあちらの返礼の儀を終えることで、ようやく行動の自由を得られるのです。王都においては、新郎新婦が宴料理を口にできないまま祝宴を終えることも珍しくはないのですよ。身分が高ければ高いほど参席者の数が増えて、すべての儀式に長きの時間がかけられるわけですからね」


「そんな習わしだけは、真似したくねーもんだなー。貴族の婚儀では、腹を満たすより花を届けるほうが大事だってのか?」


「思いを届けるというのは、何より重要な行いでしょう? ……王国の民は念話のすべを失ったがために、行動で思いを伝えることを重んじるようになったのかもしれませんね」


 フェルメスたちがそんな言葉を交わしている間に、新郎新婦の一行がじわじわとこちらに近づいてきた。ひとりひとりに花と挨拶の言葉を届けているために、なかなかの時間がかけられているのだ。

 舞踏に参加していない人々は誰もがその場に留まってウェルハイドたちの到着を待ち受けているようであったので、俺たちもそれにならうことにした。


 そうして短からぬ時間が過ぎて、ようやくウェルハイドとコーフィアが俺たちのもとまでやってくる。

 ウェルハイドは晴れやかな笑みをたたえつつ、まずはルアマット男爵に花を捧げた。彼が着ている宴衣装に負けないほど、鮮やかな真紅の花だ。コーフィアがウェルハイドの母君に捧げる花は、紫がかった青色であった。


「本日はありがとうございました。これからは僕もおふたりの子として恥じるところのない生を歩むと、お約束いたします」


 ウェルハイドが誠実さのあふれかえった表情でそのように告げると、ルアマット男爵はいっそう厳しく面を引き締めながら、「ええ」とうなずいた。


「我々にとって……これほど栄誉なことはありません。どうか……不肖の娘を、よろしくお願いいたします」


 どれだけ厳粛な顔をしていても、やはりその内にはさまざまな思いが吹き荒れているのだろう。ルアマット男爵の声はわずかに震えていたし、夫人は目もとに涙を浮かべていた。

 いっぽうウェルハイドの母君は、慈愛に満ちた面持ちで青い花を受け取っている。


「コーフィアも、どうかウェルハイドをよろしくお願いいたします。この子は父親に似て、少し融通のきかないところがありますので……どうかあなたの広いお心で、受け止めてあげてくださいね」


「とんでもありません。でも……わたくしは何にかえてもウェルハイド様をお支えするとお約束いたします」


 コーフィアは、澄みわたった笑顔でそのように答えていた。

 きっとアラウトもこの笑顔を目にすれば、胸を撫でおろすことだろう。ただ、彼はリフレイアたちに付き添って離席したまま、まだ戻ってきていなかった。


 さすがに当人の親御さんたちがお相手とあって、ウェルハイドたちもこれまで以上の時間をかけて挨拶をしている。俺たちは飽きることなく、その光景を見守ることができた。

 そうしてポルアースやフェルメスたちにも花が捧げられたならば、ついに俺たちの順番だ。

 俺のほうを振り返ったウェルハイドは、いっそうの笑みを広げて近づいてきた。


「アスタ殿、本日は素晴らしい宴料理をありがとうございました。残念ながら、僕たちはいまだそれを口にすることができていませんが、ここまでの道行きでも多くの人々がアスタ殿らの宴料理を賞賛する声を聞くことがかないました」


「いえ。ウェルハイドとコーフィアの婚儀に参席することができて、こちらこそ喜ばしく思っています。どうか末永くお幸せに」


 俺は心よりの言葉を返しつつ、赤い花を受け取った。

 すると、ウェルハイドが表情をあらためて、ぐっと顔を近づけてくる。そしてその口が、さらなる言葉を囁きかけてきた。


「アスタ殿とアイ=ファ殿も、コーフィアが騒ぎを起こした場に立ちあわれていたのですよね? そちらに関しては、お詫びの言葉を伝えさせていただきたく思います」


「あ、ウェルハイドもコーフィアから事情を打ち明けられたのですね」


「はい。婚儀が始められる寸前に、控えの間で打ち明けられました。それが許されぬ罪であるのなら、この場で婚儀を取りやめてもらいたいと、コーフィアがそのように言い出したのです」


 そう言って、ウェルハイドは気恥ずかしそうに口もとをほころばせた。


「もちろんそれは僕の至らなさが原因であったのですから、コーフィアを責められるはずがありません。ただ……アスタ殿たちも、当時の僕の惑いを察しておられたのでしょうか?」


「ええまあ、それとなくは」


「お恥ずかしい限りです。でも僕は、すぐさま惑いを振り切りました。それを決断するのに、星読みの力を頼るような体たらくでしたが……」


「星読みの力?」


「ええ。レイナ=ルウ殿に心を奪われかけていた僕は、占星師アリシュナに救いを求めたのですよ。もちろん僕もその事実をコーフィアに打ち明けて、許しを得ることができました」


 俺が呆気に取られていると、ウェルハイドは熱情に満ちた顔で力強く笑った。


「僕はコーフィアと、正しき道を進みます。アスタ殿も、どうかその目で僕たちの行く末をお見守りください」


 最後にそれだけ言って、ウェルハイドは身を引いた。

 アイ=ファやリミ=ルウに青い花を捧げていたコーフィアは、透き通った微笑みを浮かべながら、俺のほうに頭を下げてくる。

 そうしてウェルハイドたちが遠ざかっていくと、今度はアイ=ファが囁きかけてきた。


「そちらの会話は、聞こえていたぞ。やはりウェルハイドは、我々が思っていた通りの人間であったようだな」


「うん。アリシュナに星読みを願っていたっていうのは、ちょっとびっくりさせられたけどな」


「……星とは人の運命を映す鏡のようなものなのだと、シュミラル=リリンはかつてそのように語っていた。自らの運命を見失いかけた人間には、必要な助けになることもあるのであろう」


 そのように語るアイ=ファは、とても優しげな眼差しでウェルハイドたちの背中を見送っていた。

 するとルド=ルウが、「なーなー」と遠慮のない声をあげてくる。


「もう花をもらったから、動いてもいいんだろー? ずっとこの場所にいたら、この卓の料理を食い尽くしちまいそうだよ。バナームの料理でいいから、もっと腹を満たしに行こうぜー」


「うんうん。祝宴が終わってしまう前に、すべての料理を味わっておかないとね」


 そのように応じたのは、ポルアースであった。

 リミ=ルウやメリムはにこにこと笑っており、フェルメスは優美なる微笑みをたたえ、ジェムドは穏やかな無表情だ。そうして周囲には、森辺の民とお近づきになろうと目論む人々がどっさりとひしめいていたのだった。


「それじゃあ、行こうか。舞踏のお誘いはお断りするしかないけど、バナームの人たちともまだまだ交流を深めないとな」


「うむ。とりわけバナームの貴族とは、まだ限られた相手としか言葉を交わしておらぬからな」


 アイ=ファは舞踏どころか闘技に挑むような凛々しい面持ちで、宴衣装の襟に青い花をさし込んだ。

 それにならって、俺も赤い花を自分の襟にさす。


 そうして足を踏み出そうとした俺は、何気なく大広間の中央へと視線を飛ばし――そこに、黄金色のきらめきを幻視した。

 大きな炎を中心に、契りの舞踏を披露するウェルハイドとコーフィアの姿が、いまだ俺の心にくっきりと焼きついていたのだ。


 俺はこれまでに、いくつもの婚儀を見届けてきている。ガズラン=ルティムとアマ・ミン=ルティムの婚儀に始まり、チム=スドラとイーア・フォウ=スドラ、ダルム=ルウとシーラ=ルウ、スドラの男衆とランの女衆、シュミラル=リリンとヴィナ・ルウ=リリン、ディック=ドムとモルン・ルティム=ドム、レビとテリア=マス――気づけば、それだけの数にのぼっているのだ。


 今日の婚儀もまた、それらの婚儀に負けない鮮烈さで、俺の心に焼きつけられることになった。

 きっとこの先も、俺は多くの婚儀を見届けることになるのであろうが――真紅と黄金の輝きが散りばめられた今日という日のことは、永遠に忘れることがないだろう。

 俺は炎の向こうに垣間見える女神エイラに感謝の思いを届けてから、アイ=ファとともに喧噪うずまく祝宴の場へとあらためて足を踏み出すことにした。

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