婚礼の日①~下準備~
2022.7/29 更新分 1/1
翌朝――婚儀の当日、黒の月の20日である。
その日もキミュスの羽毛布団で目覚めた俺は、「うーん」と大きくのびをしながら、ひとりで気合を入れることになった。
何やら、爽快な目覚めである。
城下町の散策と物見の塔の昇降が、ほどよい運動になったのか――それとも、昼も夜もギバ肉を食べたためなのか――それとも、物見の塔から見た世界の雄大さが、心を潤してくれたのか――とにかく俺は、正しい食事と眠りの時間が正しい形で心身の疲弊を癒やしてくれたような、そんな清々しい心地であった。
(ウェルハイドやコーフィアも、こんな気持ちで目覚められるといいな)
そんな想念を抱きながら、俺は着替えを開始した。
そうして夜着を脱ぎ捨てて、ゆったりとした胴衣に腕を通したところで、二段ベッドの形状をした寝台がわずかにきしむ。そしてすぐさま、上段で眠っていたルド=ルウの顔がさかさまの形でにゅっとこちらを覗き込んできたのだった。
「よー。今日は俺まで目が覚めちまったよ」
他の人々の耳をはばかってか、ルド=ルウは小声でそのように告げてくる。
俺が「おはよう」と小声を返すと、ルド=ルウはさかさまのまま白い歯をこぼした。髪が垂れておでこが全開になっているためか、どこか子供っぽい可愛らしい笑顔に見えててならなかった。
俺はルド=ルウが着替えを済ませるのを待って、ともに寝所を出る。
すると本日も、扉の外には愛しき家長殿が待ち受けていた。
「……ルド=ルウも、ずいぶん早く目覚めたのだな」
「んー? なんか不満そうな顔だなー。寝る前だけじゃなく、起きた後にも家人だけで語らうのがファの習わしなのかー?」
そんな風に言いながら、ルド=ルウは自分の耳を両手でふさいだ。
「だったら、好きなだけ語らえよ。こーしてたら聞こえねーからさ」
「べつだん、そのような習わしがあるわけではない。そもそも私は、不満そうな顔などしておらんぞ」
「でもさー、アスタを見て嬉しそうな顔をしかけたのに、すぐに引っ込めちまったじゃん。……あーでも、それは朝に限らずいつものことかー」
「……しっかり聞こえているではないか」
アイ=ファが顔を赤くしながらにらみつけると、ルド=ルウは耳をふさいだポージングのまま「にっひっひ」と笑った。
そうして3人で語らっている、他の面々も次々と起き出してくる。やがて四半刻も経った頃には、森辺の20名とプラティカが勢ぞろいしてしまった。
「それじゃあ、作業を開始しようか。今日だって、早く終わるに越したことはないからね」
俺たちは昨日と同じように浴堂の準備をお願いして、もう半刻と少しの後には厨に向かうことができた。
厨には鍵まで掛けられていたため、昨日とそっくり同じままの形が残されている。そこで作業を開始すると、すぐさまデルシェア姫とニコラがやってきた。
「おっはよー。今日は昨日より早起きみたいだねー。まだ日が出て一刻も経ってないって、従者の人らも驚いてたよー」
そんな風に言いながら、デルシェア姫は「ふわーあ」と大あくびをした。王族にあるまじきはしたなさであるが、何とも愛くるしい姿だ。
「こちらにつきあわせてしまって、なんだか申し訳ないですね。朝から晩まで厨の見学なんて、デルシェア姫も大変じゃないですか?」
「だけどわたしは、そのためにバナームまでひっついてきたんだからねー。プラティカ様に後れを取るわけにもいかないしさ」
デルシェア姫に無邪気な笑みを向けられたプラティカは、リアクションに困った様子で口もとをごにょごにょさせた。
「昨日は昼から、バナーム城の料理番の厨を見学していたんでしょう? そちらのほうは、いかがでしたか?」
「うん。なかなか興味深かったよ。扱える食材が少ない分、頭をひねって細工を凝らしてる感じだね。肝心のお味のほうは、食べてみないとわからないけどねー」
まだ多少の眠気が残されているためか、デルシェア姫の声量が人並みに抑えられている。それでも楽しげな面持ちであったので、昨日の見学に不満を抱いているわけではないようであった。
「アスタ様たちのほうは、どうだったの? 昼からは、城下町の見物だったんでしょ?」
「ええ、とても有意義だったと思います。印象的だったのは、物見の塔ですね」
「へー、物見の塔まで見物したんだ? わたしも小さな頃は、物見の塔にのぼるのが好きだったなー」
「やっぱりジャガルの王城にも、物見の塔は存在するのですね」
「そりゃそーさ。王城なんて、何より守らないといけない場所だからねー。特に王国が建立された当初は、外来の敵を警戒してたんだろうからさ」
「外来の敵?」と、アイ=ファが鋭く問い質した。
デルシェア姫は小さなあくびを噛み殺してから、「うん」とうなずく。
「いわゆる、渡来の民ってやつ? 今でこそ友好的な関係だけど、それは先人たちがしっかり大陸を守った結果なんだろうしね」
「そうか。南の王都も、海に面しているのだったな。……西と南の王都がともに海に面しているのは、偶然なのであろうか?」
「あー、そういえば、最初の100年ぐらいで滅んじゃった東の最初の王都なんかも、海に面してたって話だね。だったらそれは、渡来の民の襲来に備えてのことだったのかもねー」
そう言って、デルシェア姫はにぱっと笑った。
「アイ=ファ様は、ほんとにこういう話が好きなんだねー。まあ、こういう話はフェルメス様のほうがお詳しいんじゃないかなー」
「そうだな。帰りの車でも同乗する機会があったら、聞いてみようかと思う。……ちなみに現在の南の王都には、渡来の民というものが頻繁に姿を見せているのであろうか?」
「いや、忘れた頃に風聞を聞くぐらいかなー。しょっちゅう取り引きをしてるのは、セルヴァぐらいなんじゃない? ティカトラス様みたいに渡来の民に求愛するなんて、こっちではありえないもん」
「……それはおそらく、西の王都でもありえないような行いなのであろうがな」
アイ=ファが苦笑まじりに答えると、デルシェア姫も「あはは」と笑った。
「あ、ティカトラス様で思い出したけど、コーフィア様のほうは大丈夫だったの?」
「……うむ? 大丈夫とは?」
「なんか、森辺のお人らを追っかけて、ひとりで城下町に向かったって話なんでしょ? そのあと、泣きはらした目でバナーム城に戻ってきたって聞いてるけど」
デルシェア姫のあっけらかんとした物言いに、俺は思わず皿をひっくり返しそうになってしまった。
アイ=ファは慎重に口をつぐみ、その代わりにスフィラ=ザザが鋭く声をあげる。
「どうしてあなたが、そのような話をわきまえているのでしょうか? コーフィアが自ら吹聴したわけではないのでしょう?」
「うん。わたしは自分の侍女から話を聞いただけだよ。なんか、森辺の誰かがティカトラス様みたいに婚儀をぶち壊すんじゃないかって心配になっちゃったんだって?」
「……あなたの侍女は、壁の向こう側を見通す目でもお持ちなのでしょうか?」
「やだなぁ、魔術使いじゃあるまいし。わたしの侍女は、風聞を拾うのが得意なだけだよ。もちろんこんな話は誰にも伝えてないから、そんな怖い顔をしなくても大丈夫だってば」
そう言って、デルシェア姫はますます無邪気そうな顔をした。
「それにわたしは、森辺のお人らを信用してるからね。まさか、婚儀の場でウェルハイド様に求愛したりはしないでしょ?」
「と、当然です! そのような真似をするわけがありません!」
レイナ=ルウが慌てた顔で声をあげると、デルシェア姫は笑顔でそちらに向きなおった。
「森辺の誰かって、レイナ=ルウ様のことだったのかー。でも、森辺の誰かがウェルハイド様と恋に落ちたなんていう風聞はジェノスでも聞いてないから、そんなのはコーフィア様の勘違いなんだろうね」
「は、はい。その通りです」
「だったら、心配はいらないよ。……身分違いの恋なんて、悲しい結末にしかならないもんね」
それは、スフィラ=ザザとレイリスの一件についてであるのか――それとも、デルシェア姫が俺に抱いていた想いについてであるのか。デルシェア姫は屈託なく笑いながら、どこか透徹した面持ちであった。
その後はデルシェア姫の関心が調理のほうに移ったため、話題もそちらに切り替えられる。レイナ=ルウは心配げな面持ちで、スフィラ=ザザも厳しい面持ちであったが、今はコーフィアが気持ちを持ち直したと信じるしかなかった。
そうして粛々と時間は過ぎて、あっという間に中天である。
エンジンのかかってきたデルシェア姫は、「ふわー!」と大きな感嘆の声を張り上げた。
「ほとんど半日ぶっ続けの作業だったね! 森辺のお人らって、ほんとに体力がすごいんだなー!」
「はい。これならゆとりをもって、作業を終えられそうです。あと四刻もかからないぐらいでしょうね」
ということで、昼休みはしっかり一刻ばかりもいただくことにした。ランチは宴料理と同時進行で仕上げた、ギバ肉と野菜がたっぷりのミソ・スープと乾酪入りの焼き黒フワノだ。
それらの食事は、厨のすぐ隣にある控えの間へと運び込む。昨日はこの場に、アラウトとトゥラン伯爵家の面々を招待したわけである。しかしさすがに婚儀の当日は誰もが多忙であるのか、今日は来客の影もない。俺たちは森辺の同胞20名と、見物人の3名と、この時間になって合流した《守護人》の3名で卓を囲むことになった。
「いやあ、2日連続でジャガルの姫君と昼食をいただけるなんて、恐悦至極でありますねぇ」
カミュア=ヨシュはのほほんと笑いながら、そんな風に言っていた。彼は今回の旅で、初めてデルシェア姫と面識を得た立場であったのだ。しかし、カミュア=ヨシュもデルシェア姫も無邪気かつ豪胆な人柄であるものだから、まったく初対面とは思えぬ賑やかさであった。
「あ、驚かれる前に言っておくけど、わたしは貴族のお人らが同席しない限り、好きに喋らせてもらうから! 《守護人》のお人らも、どうぞお気遣いなくね!」
「それはそれは。南の王族に相応しい、闊達なる振る舞いでありますね。きっとその率直さが、森辺の民との絆を深めたのでしょう」
「あはは。率直すぎて、迷惑がられる面のほうが大きいかもねー!」
そんなふたりの笑い声が、俺たちにとってはランチタイムのBGMであった。昨日はどうしてもアラウトを中心に会話が進められていたため、デルシェア姫も今日は思うさま自分らしさを爆発させているようだった。
「それにしても、カミュア=ヨシュ様も傀儡の劇の通りのお人で、びっくりしちゃったよ! ほんとにリコ様やベルトン様ってのは、大した傀儡使いだよねー!」
「おやおや。デルシェア姫におきましては、根無し草たる旅芸人にも敬称をおつけあそばすのですねぇ」
「うん! いちいち使いわけるのは面倒だからさ! カミュア=ヨシュ様も、リコ様たちと会ったことはあるんでしょ?」
「ええ。去年の復活祭などは、ともにジェノスで過ごしましたよ。彼女たちに同行しているヴァン=デイロという御方は《守護人》にとって生ける伝説のごとき存在でありますため、光栄の限りでありました」
「復活祭かー。やっぱりカミュア=ヨシュ様も、ジェノスで復活祭を過ごす予定なの?」
「そうしたいとは思っているのですが、まだふた月ばかりも先の話でありますからね。俺もリコたちに負けない根無し草ですので、何がどうなるやら予測もつきません」
そうして昼食をたいらげたのちも、ふたりは賑やかに語らっていた。
もちろん他の面々も黙って聞いているばかりではないのだが、どうしても両名の存在感が際立ってしまうのだ。それほど面識のないラヴィッツの長兄などは、そんなふたりの会話をたいそう興味深そうに、にやにやと笑いながら聞き入っている様子だった。
そして――控えの間の扉がノックされたのは、昼休みも残り四半刻ていどかなという頃合いであった。
「失礼いたします。コーフィア姫がご挨拶に参りました」
森辺の民の何名かが、ハッとしたように背筋をのばした。
すると、カミュア=ヨシュがにんまりと笑いながら発言する。
「この人数だと、ご挨拶もひと苦労だね。ここは昨日ご挨拶をした面々だけでお迎えするべきじゃないかな?」
昨日ご挨拶をした面々というのは、もちろん城下町でコーフィア姫と密談した顔ぶれということであろう。ジザ=ルウはダリ=サウティと小声で相談をしてから、「よし」と立ち上がった。
「では、そのように取り計らうとしよう。スフィラ=ザザ、アイ=ファ、アスタ、レイナは、こちらに」
俺たちは同胞らの心配げな顔に見送られながら、扉の外を目指すことになった。
そうして扉を出てみると、デルシェア姫の護衛役たるジャガルの兵士たちが整列した回廊に、コーフィアと侍女が立ち尽くしている。初めて出会ったときと同じオリーブ色の装束を纏ったコーフィアは、目を伏せたままおしとやかに一礼した。
「お休みのところにお邪魔してしまい、申し訳ありません。ほんの少しだけ、お時間をいただけますでしょうか?」
「うむ。このような場所では、不相応であろうかな」
「はい。よろしければ、こちらのお部屋に」
コーフィアはしずしずとした足取りで、厨とは反対側の隣室を目指す。そして侍女がそちらの扉を開けると、コーフィアは静かに微笑んだ。
「では、あなたはこちらでお待ちください」
侍女は一瞬だけいぶかしそうに眉をひそめたが、主人に言葉を返すことなく脇に退いた。
6帖ほどの、ひときわ調度の少ない部屋である。椅子の数も足りていなかったため、俺たちは立ったままコーフィアと向かい合うことになった。
「レイナ=ルウ様、スフィラ=ザザ様……それに他の方々も、昨日はお見苦しい姿をお見せしてしまい、本当に申し訳ありませんでした。心より、お詫びの言葉を申し述べさせていただきたく思います」
扉がぴったりと閉じられると、コーフィアは深々と頭を垂れてきた。
こちらからは、ジザ=ルウが「いや」と応じる。
「こちらは謝罪されるほどの迷惑をかけられてはいないと考えている。ただ、貴女の気持ちが落ち着いたのなら、喜ばしく思う」
「はい……皆様のおかげをもちまして、わたくしは自らの浅ましさを顧みることがかないました」
コーフィアは初めて出会った夜のように穏やかで、なおかつ内心が読み取りにくかった。
が――その白い面にじわじわと喜びの色がたちのぼり、目もとには涙が溜められていく。
「わたくしは、いまだ自分に自信を持つことができません。わたくしなどは本当に不出来な人間でありますので、それは致し方のないことなのでしょう。でも……スフィラ=ザザ様のおかげで、わたくしは目が覚めました。わたくしは、自分ではなくウェルハイド様の公正さを信じたく思います」
「それは何よりです。でも、あなたはどうしてそのようにご自分を卑下されるのでしょう? あなたとて、心正しき人間であるように思えるのですが」
スフィラ=ザザがそのように応じると、コーフィアは少しあどけない感じに微笑んだ。
「それはおそらく、わたくしの家柄に起因するのでしょう。ルアマット男爵家は……いわゆる、没落貴族であるのです。父は長らく内務官として働いていましたが、何の功績も残せないまま補佐官に格下げとなり……また、わたくしの兄となる長子を病魔で失ってしまったため……すでに、父の代で取り潰されることが決定しているのです」
「そうなのですか。貴族の社会がどのようなものであるのか、わたしたちはまったくわきまえていないのですが……ともあれ、家の滅びが決定されているということなのですね?」
「はい。このように衰退した家に婿入りを望む御方などおられるわけもありませんし……ルアマットの名が潰える覚悟は、兄を失った時点で固めていました。ですから本来、わたくしは侯爵家の御方と婚儀を挙げられるような身分ではなかったのです」
「であればなおさら、ウェルハイドはあなたの家柄ではなく人柄に心をひかれたということなのではないでしょうか?」
「はい……ですから、わたくしはそのような幸運を信ずることが、なかなかできなかったのです」
涙目で微笑んだまま、コーフィアはそのように言いつのった。
「ウェルハイド様の父君は、騎士階級の下級貴族であられました。ですからウェルハイド様ご自身も家柄に固執することはないのだと、そのように仰っていただけたのですが……でも、ウェルハイド様の父君は家柄などと関係なく、非常な商才をお持ちであられました。それほどの傑物であられたからこそ、侯爵家ご当主の妹君との婚儀が認められたのです。でも……わたくしには、そのような才覚の持ち合わせもありません」
「……森辺の婚儀においても、家の名は大きく取り沙汰されます。また、その人間自身がどれだけの仕事を果たせるかというのも、きわめて重要であるでしょう」
そう言って、スフィラ=ザザはふっと微笑んだ。
「ですが、それ以上に重要であるのは、人柄であるのだと……わたしは、そのように信じています」
「はい……だけどわたくしは、その人柄までもが粗末であるのです。現にこうして、おのれの浅ましさから皆様にご迷惑をおかけしてしまいましたし……」
「人柄の善し悪しに、絶対の答えなどは存在しません。ある人間にとって理想的な人柄でも、別の人間にとってそうだとは限らないのです。ウェルハイドにとっては、あなたの人柄こそが理想的であったのでしょう」
「……そのような幸運を信ずることは、なかなかに難しいのです」
「そのお気持ちは、わかります。わたしもまた……レイリスに真情を打ち明けられた際は、目が眩むほどに驚かされてしまったのですから」
スフィラ=ザザはやわらかく微笑んだまま、遠い何かを見るように目を細めた。
「それでもわたしたちは、婚儀を挙げられる間柄ではありませんでした。婚儀を挙げることの許されるあなたはきわめて幸運であるのだと、そのようにお考えください、コーフィア」
「はい……スフィラ=ザザ様はそれほどの悲しみを乗り越えられたお人であられるから……そのお言葉が、これほどまでにわたくしの胸を揺さぶるのでしょう」
コーフィアの目に溜められていた涙が、つうっと白い頬に滴った。
「スフィラ=ザザ様の悲しみに比べたら、わたくしの苦悩などどれだけちっぽけで取るに足らないものであったか……本当にありがとうございます、スフィラ=ザザ様。わたくしのように縁もゆかりもない相手のために、そうまで心の内をさらしてくださるなんて……そのおかげで、わたくしは救われることになったのです」
「わたしはアスタの手伝いをするばかりでなく、祝宴の客としても招かれているのですよ。それはつまり、あなたとウェルハイドの婚儀を祝福するために出向いてきたということです。そうであれば、婚儀のために力を尽くすのも当然のことでしょう」
「ありがとうございます。スフィラ=ザザ様は、わたくしにとって女神エイラそのものです」
コーフィアはスカートをつまんで膝を折り、スフィラ=ザザの手を取って、そこにくちづけをした。
「わたくしは魂を返すその日まで、あなたに感謝を捧げます。わたくしがバナームであなたの幸福を祈り続けることをお許しください、スフィラ=ザザ様」
「……あなたのお言葉を光栄に思います、コーフィア」
スフィラ=ザザが微笑を返すと、コーフィアも涙を流しながら微笑んだ。
そして身を起こしたのち、その目がようやくレイナ=ルウに向けられる。
「レイナ=ルウ様。あなたにも、重ねてお詫びの言葉を申し述べさせていただきたく思います。わたくしは、決してあなたがよこしまな人間であると断じていたわけではなく……ただ、ウェルハイド様のように魅力的な御方であれば、誰もがわたくしのように心をひかれてしまうのではないかと……そのような妄念に憑かれていただけであるのです」
「は、はい。わたしはウェルハイドによこしまな気持ちなど抱いておりませんし、ウェルハイドもそれは同様であるのだと信じています」
「はい。……わたくしも、そのように信じて婚儀に臨みます」
コーフィアが再び頭を垂れると、涙が何滴か床に滴った。
コーフィアはようやく織布で涙をぬぐい、残りの面々を見回してくる。
「それでは、失礼いたします。また婚儀の後に、ご挨拶をさせていただきたく思っておりますので……アスタ様、宴料理については、よろしくお願いいたします」
「はい。そちらに関しては、おまかせください」
コーフィアはにこりと微笑んで、控えの間から退室していった。
レイナ=ルウは深々と息をついてから、スフィラ=ザザのほうに向きなおる。
「今日もけっきょく、スフィラ=ザザにまかせきりになってしまいました。申し訳ありません、スフィラ=ザザ」
「それこそ、あなたが詫びる筋合いではないでしょう。コーフィアの苦悩が晴れたのなら、それでいいではないですか」
スフィラ=ザザが穏やかに言葉を返すと、レイナ=ルウは子供のようにもじもじとした。
「あの……スフィラ=ザザは、本当にわたしよりも若年であるのですよね?」
「さあ? わたしはあなたの年齢を存じませんので。わたしは間もなく18となる齢ですが」
「ではやはり、わたしのほうがひとつ年長であるようです」
しょんぼりと肩を落とすレイナ=ルウは身長が150センチほどで、スフィラ=ザザはそれよりも15センチ以上も長身だ。まあ、北の集落には長身の人間が多いものであるし――レイナ=ルウが外見のことを取り沙汰しているわけではないことも確かであった。
「かまど仕事を果たすあなたは、アスタやトゥール=ディンに負けないほど頼もしく思えます。あなたとわたしでは、持っている資質が異なるということなのでしょう。何も気落ちする必要はないように思います」
スフィラ=ザザはそんな風に答えていたが、その沈着で情理に満ちた物言いこそが、レイナ=ルウをしょんぼりさせるのだろう。
すると、無言でそのさまを見守っていたジザ=ルウが、妹の肩にぽんと手を置いた。
「スフィラ=ザザには、見習うべき点も多かろう。それはそれとして、お前にはお前ならではの資質があるはずだ。それを見誤れば、コーフィアと同じ失敗を招くことになるぞ」
「うむ。レイナ=ルウこそ、森辺においては多くの羨望を集めている身であるのだからな。自分を卑下するなど、とんでもないことだ」
と、ついにはアイ=ファまで励ます側になってしまう。年を重ねるごとにめきめき頼もしさを増しているレイナ=ルウには、きわめて珍しい構図であった。
しかし俺も、アイ=ファやジザ=ルウと同じ気持ちである。そんな思いを込めながら、俺はレイナ=ルウに笑いかけることになった。
「それじゃあ、作業を再開しようか。とびきりのギバ料理を作りあげて、ウェルハイドとコーフィアの婚儀を祝福しないとね。それは俺たちにしか果たせない仕事なんだからさ」
レイナ=ルウはどこか照れくさそうな面持ちで、「はい」とうなずいた。
そうして俺たちは、残りの時間も最高の宴料理を作りあげることに力を尽くすことに相成ったのだった。




