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異世界料理道  作者: EDA
第七十一章 碧落の婚礼
1227/1700

前日③~不測の事態~

2022.7/27 更新分 1/1

 その後、店内の商品をあらかた物色してから、俺たちは街路に舞い戻ることになった。

 けっきょくその商店で買い物をしたのは、ルド=ルウのみである。こちらの商店も品ぞろえに不足はないようであったが、やはりジェノスの城下町を上回るほどではなかったのだった。


「隣のこちらは、食器の商店となりますね。陶磁の食器はバナームの自慢でありますため、森辺の方々のお眼鏡にかなえば幸いです」


 そのように語るアラウトの案内で、俺たちは隣の商店に乗り込んだ。

 すると今度は、ルウの血族とサウティの面々がひしめいている。俺たちは5組に分かれて散策しているのに、2軒目にしてもうすべての同胞と顔をあわせてしまったわけであった。

 ちなみにこちらの2組にはジザ=ルウとダリ=サウティ、ガズラン=ルティムとジィ=マァムという体格に恵まれた狩人が居揃っているので、店員や他の客たちからずいぶん注目を集めてしまっている。それでもバナームの立場ある人々が案内人を務めているためか、むやみに警戒されている様子はなかった。


「なんだ、どこに行っても見慣れた顔ばっかりだなー。今日は他の招待客ってやつも、城下町をうろついてるって話じゃなかったっけ?」


 ルド=ルウがそのように声をあげると、アラウトが「そうですね」と微笑んだ。


「きっと他の客人がたは、飾り物や織物などの商店に向かっているのでしょう。森辺の方々とは、ご興味の方向性が異なっているものと思われます」


「あー、なるほどなー。こっちの連中は、鍋だの皿だのにしか興味がねーもんなー」


 それを言うなら、森辺の男衆のほうこそ物欲と無縁であるため、こういう際にはほとんど銅貨をつかおうとしないのだ。その中では思い切りのいい部類であるルド=ルウでも、刀や料理の他に銅貨をつかう姿は見せたことがないように思われた。


(あとはせいぜい、シュミラル=リリンがヴィナ・ルウ=リリンに耳飾りを買ったぐらいかな。でもあれも、森辺じゃなくってシムの流儀だろうしなぁ)


 そんな取り止めもない想念を浮かべつつ、俺は戸棚の食器を検分した。

 アラウトがさきほど主張していたように、陶磁の食器がなかなか充実しているようだ。皿や小鉢、酒杯や壺など、さまざまな食器がさまざまな色合いで彩色されている。その品ぞろえは、ジェノスの城下町にも負けていないようであった。


(ただ、森辺の民は頑丈な木製の食器のほうが、好みに合うんだよな)


 俺が視線を巡らせると、別なる戸棚の前に見慣れた顔が集まっていた。ジザ=ルウとレイナ=ルウ、ダリ=サウティとサウティの末妹、そしてメリムを加えた組である。俺がそちらに近づいていくと、サウティの末妹が朗らかな笑顔を向けてきた。


「あ、アスタ! こちらの戸棚には、けっこうわたしたちの好みに合いそうな品が集められているようですよ!」


 その戸棚には、木製の食器が収められていた。

 だけどやっぱり城下町においては木製の食器が主流でないらしく、陶磁の食器に比べるとささやかな規模である。しかしその分、ひと品ずつの質は高いように感じられた。


「へえ。これはちょっと、ジェノスの品とは趣が違うみたいだね」


 ジェノスの城下町で売られている木製の食器というものは、おおよそ凝った彫刻が施されている。しかしそちらの棚に並べられている食器は、造形よりも彩色に重きが置かれているようであった。シンプルな形状をした木製の食器に、細やかな彩色が施されているのだ。


 俺はそれなり以上の関心をかきたてられながら、そのうちのひとつを手に取ってみた。

 俺が手にしたのは、酒杯である。それは表面に薄く彫刻が施されており、その上から彩色されていた。俺が選んだのは花と蔓草をモチーフにしたもので、ミゾラを思わせる立派な花弁の赤色と蔓草の緑色がいい具合に対比となっており、全体が嫌味でないていどに照り輝いていた。きっと防腐加工のためにニスのようなものが塗られているのだろう。また、ほどよい彫刻がすべりどめの役に立っているようであった。


「それもいい品ですね。森辺の民にはひときわ好ましく思える柄ではないでしょうか」


 レイナ=ルウも、笑顔でそんな風に言ってくれた。

 俺はそれで心を決めて、アイ=ファのほうを振り返る。


「なあ、アイ=ファ。ちょっと相談があるんだけど……」


「うむ? 気に入った品があったのなら、お前の好きにするがいい。……しかし、酒杯に不足はなかろう?」


 アイ=ファも最近はめっきり果実酒をたしなむことが少なくなったが、ファの家ではお茶を飲むために酒杯を取りそろえている。また、近年においては客人を招く機会が増えたため、予備の酒杯もどっさり準備していたのだった。


「うん。実はさ、屋台の取り仕切り役を引き受けてくれたユン=スドラに、何かお土産でも買っていこうかと考えてたんだけど……それは、森辺の習わしにそぐわない行いかなぁ?」


 アイ=ファは虚を突かれた様子で、目を丸くした。


「おみやげというのは、よくわからんが……とにかく、感謝の品を送りたいという意味だな? しかし、屋台の留守を預けた面々には、バナームの白い果実酒を贈るという話ではなかったか?」


「うん。ただ、ユン=スドラにはひときわ大きな苦労をかけてるから、それとは別に感謝の品を贈りたいと思ったんだよ。もちろんそれが森辺の習わしにそぐわない行いなら、俺もあきらめるけど……」


 アイ=ファは難しい顔をして、「ううむ」と考え込んでしまった。


「それはどのように判じたものであろうな。……ダリ=サウティにジザ=ルウよ、よければ族長筋の人間として、正しき道を示してもらいたい」


「俺はべつだん、かまわぬと思うぞ。果実酒を送るのも酒杯を送るのも、さして大きな差はあるまいよ」


 穏やかな表情で応じながら、ダリ=サウティはジザ=ルウに視線をパスした。

 それを受け止めたジザ=ルウは、糸のように細い目で俺とアイ=ファを見比べてくる。


「……土産とは、遠方の地において記念の品を買い求め、それを持ち帰るという意味であろうか?」


「はい。その解釈で、間違いはないように思います」


「であれば、我々にはこれまでジェノスの外におもむく機会がなかったのだから、土産にまつわる習わし自体が存在しない。取り立てて害のある行いとは思えぬし、まずは個人の裁量にまかせるべきであろう」


 とりあえず、反対の意見はあがらなかったようだ。

 するとアイ=ファは、「そうか」と愁眉を開いた。


「ならば、お前の好きにするがいい。ユン=スドラには、それだけの苦労をかけているのであろうしな」


「ありがとう! それじゃあ、この酒杯を贈ることにするよ!」


「うむ。しかし、ユン=スドラは酒杯を有していないのであろうか?」


「うん。スドラの家では、今でも木皿でお酒やお茶を飲んでるって話だったんだよ」


 すると、アイ=ファの眉が再びひそめられた。


「他の家人は木皿で酒や茶をすすっている中、ユン=スドラだけがそのように立派な酒杯を使うことになるわけか。それではユン=スドラが、居たたまれない心地になってしまうのではないか?」


「ああ、そうか……いい考えだと思ったんだけどなぁ」


「うむ。酒杯を買うなら、家人の分まで買い求めるべきであろうな」


 俺は思わず、「え?」とアイ=ファの顔をまじまじと見つめ返してしまった。

 が、アイ=ファのほうも不思議そうに俺の顔を見返してくる。


「なんだ? 家人の全員が酒杯を使えば、ユン=スドラが肩身のせまい思いをすることもあるまい」


「うん。でも、スドラだって今では11人も家人がいるわけだし――」


「双子の赤子たちとてもう1歳を大きく過ぎているのだから、酒杯で水を飲む機会もあろう」


「だったら、13人だな。そんなにたくさんの酒杯を贈ったら、さすがにびっくりされないかなぁ?」


 アイ=ファは眉をひそめたまま、再びダリ=サウティたちのほうを振り返る。

 ダリ=サウティは穏やかな面持ちのまま、気安く手を振った。


「どれだけの品を送ろうとも、それはファの家の自由だぞ。いちいち俺たちの了承を得る必要はない」


「だそうだ」


「いや、だそうだって言われても……うーん、これは俺のほうがズレてるのか?」


「何を惑っているのか知らんが、お前の目的はユン=スドラに感謝の気持ちを伝えることなのであろう? 家人の分まで酒杯を贈られれば、ユン=スドラはたいそう喜ぶように思うぞ。……あるいはまた、喜びのあまりに涙を流すことになるやもしれんな」


 そんな風に語るアイ=ファの瞳が、とても優しげに瞬いた。

 きっとアイ=ファもユン=スドラに対しては深く感謝しており、また、その尽力をねぎらいたいという心地であったのだろう。そんなアイ=ファの心情を察することで、俺は13名分の酒杯を買い求める気持ちを固められたわけであった。


 店員の女性に聞いたところ、在庫は十分に残されているとのことである。そして遠からぬ場所でこちらのやりとりをうかがっていたアラウトが、それらの品をのちのちバナーム城まで届けるように手配を済ませてくれた。


「酒杯を贈るというのは、いいですね。わたしはララに、こちらの木皿を贈ろうかと思います」


「それじゃあリミも、ツヴァイ=ルティムに何か贈ろうかなー! きっとレイナ姉がいないと、屋台の商売も大変だもんねー!」


 そうしてレイナ=ルウとリミ=ルウも、それぞれ木皿を購入することに相成った。さらにはダリ=サウティまでもが、「ふむ」と棚を物色し始める。


「俺はべつだん、感謝の品を贈るいわれもない立場だが……このたびの話を長く語り継いでいくには、記念の品というものも有用であるのやもしれんな」


「ああ、森の主の牙や角や骨のようなものですか?」


「うむ。バナームにて大きな仕事を果たしたという話は、子や孫にまで長く語り継ぐべきであろうからな」


 そんな話が伝播して、他の面々もこれまで以上の熱心さで商品の検分を始めたようである。森辺の民は、ここで初めて「旅のお土産」という概念を獲得できたのかもしれなかった。


(まあ、今後もそんなにジェノスの外に出る機会はないんだろうけど……だからこそ、これは貴重な機会だもんな)


 そんな思いを抱えながら、俺はまた愛する家長へと向きなおることになった。


「なあ。俺たちも、何か記念に皿でも買っていかないか?」


 アイ=ファはどこかくすぐったそうな面持ちで苦笑しつつ、「好きにしろ」と俺の頭を小突いてきた。

 すると、木皿の物色をしていたリミ=ルウが、無邪気そのものの顔でアイ=ファに笑いかけてくる。


「ねえねえ! アイ=ファも何かジバ婆に買っていってあげたらいいんじゃないかなー?」


「うむ? そういうものは、家族たるリミ=ルウらが買うべきではないだろうか?」


「でもジバ婆は、アイ=ファからもらったほうが喜ぶと思うんだよねー! あと、サリス・ラン=フォウやアイム=フォウにも、何か買っていってあげれば?」


 そうしてアイ=ファもまた、その熱気の内に取り込まれたわけであった。

 今回はさきほどよりもじっくりと時間をかけ、それぞれ必要な品を買い求めてから、商店を出る。それらもまとめてバナーム城に届けていただく手配をしたので、誰もが身軽な格好であった。


「では、次は革細工の商店ですね。それほど離れてはいませんが、はぐれないようにご注意ください」


 俺とアイ=ファ、ルド=ルウとリミ=ルウ、リフレイアとサンジュラとシフォン=チェルの7名は、アラウトのもとに集結する。他の組のメンバーもそれぞれの案内人のもとに集まって、今後の道行きを相談しているようだ。

 そんな中、こちらの組と近い場所にいたジザ=ルウがぴくりと肩を震わせた。


「ふむ……どうにも、視線が気になるな」


「んー? こればっかりは、しかたないんじゃねーの? 似たような見てくれをした東の民が少ねーと、俺たちはいっそう目立っちまうみたいだしなー」


 ルド=ルウがそのように応じると、ジザ=ルウは「いや」と小さく首を振った。


「好奇の視線のみならず、こちらを探るような視線を向けられている。この店に足を踏み入れる前にも、同じ視線を感じたのだ」


「へー?」と小首を傾げてから、ルド=ルウはやおらまぶたを閉ざした。

 それに気づいたアイ=ファも、厳しい面持ちで身動きを止める。そして、すぐにまぶたを開いたルド=ルウと、目を見交わした。


「確かになんか、おかしな気配を感じるなー。俺たち、誰かに見張られてんのか?」


「いや。さきほどまでは、このような視線も感じなかった。これは我々ではなく、ジザ=ルウらの組が見張られているのではないだろうか?」


 すると、街路に踏み出そうとしていたアラウトが「どうしました?」といぶかしそうに呼びかけてきた。


「こちらの城下町に、無法者は存在いたしません。また、森辺の方々に危害を加えようなどと考える人間も存在しないはずですが……」


「危害を加えようという気配は感じられない。ただ、並々ならぬ気持ちでもって、俺たちの挙動をうかがっているようだ」


 ジザ=ルウの口調に迷いはなかったし、アイ=ファとルド=ルウもそれを否定しようとはしなかった。


「じゃ、どーする? 俺がそのへんを探ってこようか?」


「いや。お前の役目は、リミを守ることだ。相手の思惑がわからぬ以上、迂闊に持ち場を離れるべきではなかろう」


 ジザ=ルウがそのように答えたとき、「おやおや」というすっとぼけた声が聞こえてきた。


「さっそく出くわしてしまったね。アスタたちは、調理器具でも見つくろっていたのかな?」


 それは、これまで姿の見えなかった《守護人》の一行であった。そちらに向きなおったジザ=ルウが、「ふむ」とカミュア=ヨシュたち3名の姿を見回す。


「カミュア=ヨシュか。そちらは今、手空きであろうか?」


「ええ。俺たちは、衛兵の詰め所に出向いてきたところです。これが夜なら酒場にでも出向くところなのですが、このように日の高い内から飲んだくれている人間は城下町に存在しませんからねぇ。衛兵の方々に、この近辺の最近の情勢などをうかがってきた帰りでありますよ。最近は盗賊団が近づいてくることもなく、きわめて平和であるようです」


 ぺらぺらとそのようにまくしたててから、カミュア=ヨシュはにんまりと微笑んだ。


「それで、そちらはどうしました? 何やら剣呑な雰囲気でありますねぇ」


「剣呑というほどではないのだが、よければ助力を願いたい。どうも俺たちは何者かに見張られているようなので、その正体を突き止めてもらいたいのだ」


「ああ、なるほど。でもきっと、森辺の方々に悪さをしよという気持ちではないのだと思いますよ」


「やはり貴方も、気づいていたか。……助力を願えるだろうか?」


「承知しました。きっとそうすることが、相手のためでもあるのでしょうしね」


 どうも俺にはわからない部分で、両者は意思の疎通ができているようであった。

 ジザ=ルウはひとつうなずくと、困惑気味の顔をしていたアラウトに向きなおる。


「案内人の責任者は、貴方だったな。それに貴方はウェルハイドの家族でもあるので、そちらに望ましい形で話を収めてもらいたく思う」


「い、いったいそれは、どういったお話であるのでしょう? 僕にはさっぱりわけがわからないのですが……」


「俺もまだ、確証があるわけではない。しかしきっと、貴方の裁量が必要になるはずだ」


 そんな言葉を残して、ジザ=ルウたちは他の面々とともに街路を歩き始めた。同じ組であるダリ=サウティも、微笑を残してそれに続く。レイナ=ルウやサウティの末妹は何も気づいていない様子で、メリムと楽しそうに語らっていた。


「さて。レイトはジザ=ルウの期待に応えることができるかな?」


 と、カミュア=ヨシュはチェシャ猫のように笑いながら、若き弟子たる少年のほうを振り返った。レイトは普段通りの柔和な微笑とともに、師匠の視線を受け止める。


「僕にもまったく事情がわからないのですが、とにかくルウ家の方々を見張っている人間の所在を突き止めればいいのですね?」


「うん、そういうこと。これだけの人混みだと、少々難儀かもしれないね」


 レイトは去り行くジザ=ルウたちのほうを向いたまま、目だけで周囲の雑踏を見回したようだった。

 そして、すぐさま口もとをほころばせる。


「難儀なことは、ありませんでした。僕はまだ、ずいぶんな未熟者だと思われているようですね」


「そんなことはないよ。これが難儀でないというのなら、レイトが俺の期待を大きく上回るほどの成長をしているということさ」


「それで、どうしたらいいのです? 手荒な真似はしないほうがいいのでしょう?」


「うん。レイトに先行してもらって、俺たちが追いかければいいのじゃないかな。そうして挟み撃ちにすれば、きっと逃げ出す気力も失せるだろうと思うよ」


「承知しました」と言い残して、レイトはふわりと人混みの中に消えていった。

 カミュア=ヨシュは満足そうに微笑みつつ、俺たちのほうに向きなおる。


「では、アラウト殿もご一緒にお願いいたします。あちらの壁際に寄って、前進していただけますか?」


「は、はい。でも、僕には案内人として役目があるのですが……」


「では、アスタたちも一緒に来てもらえるかな? そんなに時間を食うことはないだろうからさ」


 それだけ言って、カミュア=ヨシュはさっさと歩き始めてしまった。

 当惑顔のアラウトと、他の面々もそれに続く。そうして歩を進めながら、俺はザッシュマに疑問をぶつけることにした。


「あの、カミュアたちは何をしようとしているのでしょう? 何か荒事になるわけではないのですよね?」


「俺は知らんよ。説明不足は、お互い様だろ」


 ザッシュマは、苦笑を浮かべつつ肩をすくめる。

 それで俺がアイ=ファのほうに向きなおると、そちらには仏頂面が待ち受けていた。


「ジザ=ルウとカミュア=ヨシュのやりとりで、おおよそ察しはついた。しかし我々は口出しをせずに、ジザ=ルウらの行いを見守るべきであろう」


「俺にはさっぱりわけがわかんねーよ。でもまあ、ジザ兄のやることなら心配はいらねーだろ」


 ルド=ルウは他人顔で、幼き妹の手を引いている。そしてリフレイアに至っては、最初から思い悩むのを放棄している面持ちであった。


「森辺の方々も《守護人》の方々も、何かわたしたちには見えていないものが見えているようね。サンジュラだったら、何か察しがつくのかしら?」


「いえ。皆目、見当、つきません。ただし、森辺の方々、見張っている人間、わかりました。今、木工細工の商店、通りすぎた人物です」


 サンジュラのそんな言葉に、俺は慌てて視線を巡らせた。

 俺たちは、街路の左端に寄って歩を進めている。木工細工の商店というのは、7,8メートルほど先のようだ。今その場所を通りすぎたのは、東の民のようにフードつきマントを纏ったひょろりとした人影であった。


 ジザ=ルウたちの一行は、もう数メートル先をのんびり歩いている。そしてそちらが人垣によって進行をさまたげられると、謎の人物も意味もなく立ち止まって足並みをそろえていた。確かにその人物が、ジザ=ルウたちを追い回しているのだ。


「なるほど。あいつが犯人か。《北の旋風》よ、俺にも出番はあるのかい?」


 ザッシュマがそのように呼びかけると、カミュア=ヨシュは「そうだねぇ」と呑気に応じた。


「それじゃあザッシュマは、横合いから回り込んでもらえるかな? 前後と横合いをふさがれたら、もう逃げようもないだろうからさ。ただし、くれぐれも手荒な真似はしないようにね」


「ああ。ありゃあどう見ても素人だな。森辺の民をつけ回すなんざ、無謀に過ぎるぜ」


 ザッシュマはひとつ肩をすくめてから、横合いの雑踏にまぎれこんだ。

 カミュア=ヨシュは同じ調子で歩きつつ、のびあがって前方の様子をうかがう。


「よし、そろそろ頃合いだな。アラウト殿、あちらでお待ちしておりますね」


「え? あ、ちょっと――」


 慌てるアラウトの前から、カミュア=ヨシュがふわふわと遠ざかっていく。歩調を速めて、謎の人物に追いつこうとしているのだ。

 俺たちもまた、アラウトと一緒に小走りになりかけたが――カミュア=ヨシュのもとに追いつく前に、絹を裂くような女性の悲鳴が響きわたったのだった。


「カ、カミュア=ヨシュ殿! いったい何が――!」


 俺たちは人混みをかき分けて、ようやくその場に到着した。

 灰色の壁を背に取って、ひとりの人物が街路にへたりこんでいる。そしてその三方を、レイトとカミュア=ヨシュとザッシュマが取り囲んでいた。


「これはいかんな。アスタよ、我々も壁となり、あの者の姿を隠すのだ」


 と、アイ=ファが俺の腕を引いて、レイトとザッシュマの間に入り込んだ。ルド=ルウも小首を傾げつつ、ザッシュマとカミュア=ヨシュの間に割り込む。かくしてその人物は、《守護人》と森辺の民によって完全に包囲されたわけであった。


「どうぞお静かに。騒ぎになっては、あなたのお立場がまずくなってしまうでしょう、コーフィア姫」


 カミュア=ヨシュがひそめた声で、そのように呼びかけた。

 フードつきマントで人相を隠したその人物は、明日ウェルハイドと婚儀を挙げるコーフィアであったのだ。

 そうしてコーフィアは石の街路に突っ伏すと、身も世もなく泣き崩れてしまったのだった。


                   ◇


 その後、俺たちは最初の広場まで舞い戻ることになった。

 そこには送迎のトトス車が留まっていたので、そちらでコーフィアから事情をうかがうことになったのだ。


「申し訳ありません……決してよこしまな気持ちでもって、森辺の方々をつけ回していたわけではなかったのです……」


 目もとを赤く泣きはらしたコーフィアは、涙声でそのように語っていた。

 その言葉を聞いているのは、俺とアイ=ファ、ジザ=ルウとレイナ=ルウ、そしてアラウトの5名であり、残りの面々は別のトトス車で待機してもらっている。俺とアイ=ファは無関係のはずであったが、とりあえずウェルハイドともっとも近しい間柄であろうということで、ジザ=ルウに同席を願われたのだ。


「で、では何故、コーフィア姫がそのような真似を? 貴婦人たるコーフィア姫が供も連れずに城下町を出歩くなど、あまりに危険ではないですか」


 アラウトが困惑しきった面持ちでそのように問い詰めると、コーフィアはいっそう深くうなだれてしまった。


「わたくしは……城の外で、レイナ=ルウ様とお話をする機会をうかがっていたのです……でも、このような話は誰にも告げることができなかったため……単身でおもむく他ありませんでした……」


「ど、どうして誰にも告げることができなかったのです? それに、レイナ=ルウ殿にお話というのは……?」


 コーフィアは、悲嘆に暮れた面持ちで口をつぐんでしまう。

 すると、ジザ=ルウが落ち着いた声で発言した。


「貴女は、レイナとウェルハイドの関係を疑っていたのであろうか? であればそれは完全なる杞憂であると、この場で告げておく」


「ええ? そんなまさか! どうしてコーフィア姫が、そのようなことを疑わなければならないのです? コーフィア姫は明日、兄上と婚儀を挙げられるのですよ?」


「だって……ウェルハイド様は、かつてレイナ=ルウ様に心をひかれかけていたというのでしょう……?」


 新たな涙をぽろぽろとこぼしながら、コーフィアはそのように言いつのった。


「それでレイナ=ルウ様は、そのようにお美しい容姿をされていますし……何もかもが、わたくしと正反対であったので……わたくしは、レイナ=ルウ様にウェルハイド様を奪われてしまうのではないかと……そんな浅ましい思いにとらわれてしまったのです……」


 確かに長身痩躯で、どちらかというと大人びた容姿をしているコーフィアは、レイナ=ルウと対照的な容姿であるのかもしれなかった。ついでに言うと、彼女は西の民には珍しいぐらい色白でもあったのだ。

 しかし、それにしても杞憂は杞憂である。レイナ=ルウも、アラウトに負けないぐらい困惑の表情になってしまっていた。


「で、でも、わたしは森辺の民ですし、ウェルハイドはバナームの貴族です。そんなわたしたちが結ばれるなんて、まずありえない話でしょう?」


「わたくしも最初はそのように考えて、自分の不安を抑えていました……でも……ティカトラス様のお話をうかがってしまったので……」


「ティ、ティカトラス? あの御方が何だと仰るのですか?」


「ティカトラス様という御方は……婚儀の当日に、他者の花嫁に求愛したというのでしょう……? それで婚儀が中止されたのだという恐ろしい話を聞かされて、わたくしは……どうしようもない不安を抱えることになってしまったのです……」


 俺の隣で、アイ=ファが深々と溜息をついていた。

 ティカトラスの破天荒な振る舞いが、このような形で余波を生んでしまったのだ。俺としても、開いた口がふさがらないといった心境であった。


「ティカトラスという御方については、僕も使者から聞き及んでいます。でも……その御方は、正妻も迎えずに側妻ばかりを何名も迎えておられるというのでしょう? そのような御方を引き合いに出して、兄上の真情を疑うなどというのは……あまりに道理に反しているかと思われます」


 アラウトが、厳しい声でそのように言いたてた。

 その幼さの残る顔に浮かべられているのは、怒りと悲しみと困惑が入り混じった表情である。


「あなたは明日婚儀を挙げる立場であられるのに、兄上のことを信用なさっていないのですか? そのように覚悟のないあなたが、生涯兄上と添い遂げることがかなうのでしょうか?」


 アラウトが容赦なく言いつのると、コーフィアはますます小さくなって涙をこぼしてしまう。そこで救いの声をあげたのは、意外なことにジザ=ルウであった。


「そのように詰め寄っては、こちらのコーフィアも心を乱すばかりであろう。まずは心を落ち着けてから、当人同士で納得のいくまで語らせるべきではないだろうか?」


「でも……このような話を聞かされたら、兄上がどれだけ悲しまれるか……」


 と、アラウトのほうまでうつむいて、目もとに涙を浮かべてしまう。

 そのとき、車の扉がノックされて、コーフィアをいっそう怯えさせた。


「失礼いたします。ザザの家のスフィラ=ザザですが、わたしもお話をうかがえますでしょうか?」


 アイ=ファは視線でジザ=ルウに了承を得てから、扉を押し開いた。

 扉の外には、ザザの姉弟が立ちはだかっている。そしてゲオル=ザザを表に残したまま、スフィラ=ザザだけが車内に乗り込んできた。


「あちらでカミュア=ヨシュから事情をおうかがいいたしました。話が丸く収まっていたのでしたら、わたしなどの出る幕はなかったのですが……どうやら、話は終わっていないようですね」


 スフィラ=ザザは力強い足取りで車内を横断し、コーフィアの前で膝を折った。


「ルアマット男爵家のコーフィア。わたしはザザ本家の末妹で、スフィラ=ザザと申します。これから語る話はジェノスにおいてもごく一部の人間にしか知らされていない秘密ごとであるため、あなたも秘密を守っていただけますでしょうか?」


 コーフィアは幼子のようにしゃくりあげながら、おずおずとスフィラ=ザザの顔を見上げた。

 スフィラ=ザザはきわめて厳格な面持ちをしながら、ただその瞳にはとてもやわらかい光をたたえている。


「わたしはかつて、サトゥラス伯爵家のレイリスという御方に心をひかれてしまいました。そして、レイリスのほうもわたしなどに心をひかれていたと言ってくださり……最後には、わたしの弟とレイリスが剣の勝負をするような騒ぎになってしまったのです」


 コーフィアは、愕然とした様子で身を震わせた。

 そんなコーフィアの姿を静かに見つめながら、スフィラ=ザザは言葉を重ねる。


「森辺の民は、この2年ほどでようやく外界の民と正しく絆を深めようと思いなおすことのできた一族であるのです。そんなわたしたちには、いまだ外界の人間に嫁入りするという習わしが存在しませんし……また、貴族の側でも森辺の民を伴侶に迎えることなどそうそうかなわぬことでしょう。ですからわたしとレイリスは、おたがいの想いを捨て去るべきだと決意したのです。それはわたしにとって、身を引き裂かれるような痛みをともなう行いでしたが……長きの歳月を重ねることで、ようやくその痛みから解放されることになりました。そうしてようやく、レイリスと友としての絆を結びなおすことができたのです」


「ど……どうしてそのような話を、わたくしに……?」


「わたしであれば、多少なりともウェルハイドの心情を理解できるように思ったからです。わたしはいまだ、ウェルハイドと口すらきいていないような間柄ですが……でも、ひと目でわかりました。ウェルハイドとレイリスは、とてもよく似た人間であるように思うのです」


 そんな風に言いながら、スフィラ=ザザはそっとコーフィアの手を取った。


「もしもウェルハイドがレイナ=ルウに心をひかれていたのなら、レイリスと同じぐらい思い悩んでいたことでしょう。そして、その想いを断ち切らない限り、他の人間と婚儀を挙げようなどと思えるはずがありません。ウェルハイドがかつてレイナ=ルウにどれだけの想いを寄せていたかは、当人にしか知るすべはありませんが……何にせよ、今のウェルハイドはあなただけを見つめているはずです」


「でも……わたくしはこのように、なんの取り柄もない不出来な人間ですし……」


「あなたは不安のあまり、そのような言葉を口走ってしまっているのでしょう。あなたの不安も、わたしには理解できるように思います。でも、それなら……あなたは自分ではなく、ウェルハイドの正しさを信じるべきではないでしょうか?」


「ウェルハイド様の正しさ……?」


「ウェルハイドは、あなたを伴侶に選んだのです。あのウェルハイドが、確かな気持ちもないままに婚儀を挙げようとする人間だと思いますか? 未練の残る相手を婚儀に呼びつけるような人間だと思いますか? 明日に迫った婚儀の相手を裏切って、絶望させるような、そんな悪辣なる人間だと思いますか? もしもそのような疑念を抱いているのでしたら、あなたのほうこそそんな婚儀は断るべきでしょうね」


 それだけ厳しい言葉を口にしても、スフィラ=ザザの眼差しは優しかった。


「あなたは自分の不安にとらわれるあまり、ウェルハイドの正しさをも見失ってしまっているのです。だからウェルハイドの弟たるアラウトも、このように悲しげな顔をしているのでしょう。……どうか、ウェルハイドの正しさをお信じください。そうすれば、きっと正しき道が開けるはずです」


 コーフィアは顔をくしゃくしゃにしながら、スフィラ=ザザの身に抱きついた。

 スフィラ=ザザは凛然と背筋をのばしたまま、ただ右手で優しくコーフィアの背中を撫でさする。きっとスフィラ=ザザのほうが若年であろうに、その横顔には姉や母親を思わせる慈愛の表情が浮かべられていた。

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― 新着の感想 ―
[一言] マリッジブルーだこれ!
[一言] おもいっきりマリッジブルーを患ってるなー(苦笑 一つきななると連鎖してネガティブな方向に傾いていって自分ではどうしようもなくなるし、周囲が見えなくなるみたいだからね。 よくその雰囲気が表現さ…
[一言] 「いや、だそうだって言われても……うーん、これは俺のほうがズレてるのか?」 アスタは現代人から見ても相当ズレていると思う。懐に余裕が有り家長も族長筋も認めているのに何故躊躇うのか・・・。…
感想一覧
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