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異世界料理道  作者: EDA
第七十一章 碧落の婚礼
1226/1696

前日②~バナームの城下町~

2022.7/26 更新分 1/1

 アラウトやリフレイアたちと過ごす中天の軽食のひとときは、至極平穏に終わりを迎えた。

 そしてその後には、ディンとザザの4名だけがジェノス侯爵家の人々のもとに向かう。そちらはそちらで、トゥール=ディンが簡単な菓子を準備する約束をしていたのである。それはジェノスを出立する前から決められていた約束事であり、明後日にも同じ措置が取られるように予定されていた。


 それからゆったりと食休みを取り、バナームの城下町に向かうことを許されたのは、下りの二の刻である。

 そちらに参加するのは森辺の民の20名と、《守護人》の3名、そして飛び入りのリフレイア、メリム、オディフィアの3名となる。それらの姫君たちは貴族という身分を隠しての物見遊山であり、それぞれが腕の立つ武官を護衛役として同行させていた。リフレイアが同行させていたのはもちろんサンジュラで、さらに彼女だけは侍女のシフォン=チェルをも連れている。シフォン=チェルはいかにも北の民らしい容姿をしていたが、案内役の責任者たるアラウトが快く了承してくれたのだ。


「バナームも北方の領土争いとは無縁の地でありますため、北の民をむやみに恐れる気風はありません。もちろん彼女の髪や瞳の色から警戒心をかきたてられる人間はいるやもしれませんが、その際には南方神の子たる誓いを示せば騒ぎになることもないでしょう」


 アラウトは、そんな風に言っていた。そしてリフレイアが厚く礼を述べた際には、また純情な顔を赤らめていたものである。


 そうして俺たちは、アラウトの先導のもとに城門を出て――それでついに、バナーム城の威容を陽光のもとで拝見することがかなったのだった。


「うわあ、やっぱり立派なお城だねー!」


 一同の気持ちを代弁してくれたのは、アイ=ファの左腕を抱え込んだリミ=ルウだ。ただ俺は、立派というひと言では収まらない感慨を噛みしめていた。


 やはりジェノス城とは、ずいぶん趣が違っている。ジェノス城というのはドイツの古城にアラビア風の要素を付け足したような様式で、そちらもまた十分に威厳のあるたたずまいであったのだが――こちらのバナーム城は、さらに重々しい風格に満ちあふれていたのだった。


 たくさんの窓がついた四角い城郭に、それを左右からはさみこむ2棟の尖塔という様式は、ジェノス城と同様である。しかしこちらの城郭はジェノス城よりも背が低い分、横幅がさらにどっしりとしており、ただそこに建っているだけで得も言われぬ重圧感をかもしだしていた。

 ジェノス城と同様に、天然石を切り出して組み上げたものであるのだろう。灰色の石の質感なども、大きな差は感じない。しかしそれでいて、ジェノス城とまったく異なる雰囲気であるように感じられるのは――500年以上の歳月を風雨にさらされてきた建造物だけが持ち得る、一種独特の迫力であるのかもしれなかった。


「それでは、出発いたしましょう。まずは車で商店区に向かいますので、10名ずつに分かれてお乗りください」


 アラウトにそんな言葉をかけられて、俺はバナーム城から視線を引き離す。

 アイ=ファのほうをうかがうと、やはりそちらもどこか厳粛なる面持ちであった。


《守護人》の3名が貴族の姫君たちと同乗してくれたので、森辺の民は二手に分かれてトトス車に乗り込む。さらにアラウトたち案内人の一団も別個に車を準備していたので、4台がかりの出動だ。森辺の民だけでも20名という人数であったため、町の見物だけでもずいぶん大がかりになってしまうのだった。


「しかし、オディフィアたちの同伴が許されるとは思わなかったな。ジェノスの城下町においても、貴族というのはぞろぞろと護衛の兵士を引き連れるものであるのだろう?」


 同じ車に乗ったゲオル=ザザがそのように問うてきたので、俺が「そうですね」と答えてみせた。


「でも、ジェノスの貴族も身分を隠して、こっそり城下町をうろつくことがあるそうですよ。通行証が必要な城下町には無法者も存在しないはずなので、それほど危険はないのでしょうね」


 なおかつ、バナームの地においては、ジェノスの貴族の顔を知る人間もほとんどいないはずだ。そうだからこそ、リフレイアたちもたった1名ずつの武官を同伴させるだけで町の見物をすることが許されたのだろうと思われた。


「それに今日なんかは、余所の領地から招待された人たちも、こぞって町の見物をしているそうです。そちらはムドナの領主みたいに、貴族ならぬ人間がほとんどみたいですけれどね」


「ふむ。南の王族や王都の外交官を除けば、招待された客人でもっとも身分が高いのはメルフリードであるという話だったな。バナームの貴族は、他の領地の貴族と縁が薄いわけか?」


「これがバナームの当主やそのご子息なんかのお祝いであったら、もっと遠方から名のある貴族が駆けつけるはずだと、フェルメスはそんな風に言っていましたね。爵位継承権が第7位という身分だと、それほど大がかりな祝宴にはならないとのことです」


「大がかりでなくとも、200名という人数にのぼるわけか。そういうところは、ジェノスよりも上回っているわけだな」


 もしかしたら、それこそが格式というものであるのだろうか。俺たちも、決してまだまだ貴族の社会というものを知り尽くしているわけではなかったのだった。


 そうして四半刻ほどが経過すると、トトス車はゆるやかに停止する。

 表に出てみると、そこは石畳の広場であった。


「現在は、間もなく下りの二の刻の半といったあたりですね。下りの四の刻に、こちらの広場に集合ということにいたしましょう」


 ここからは、森辺の民が4名ずつ5組に分かれての別行動ということになる。俺とアイ=ファはルド=ルウやリミ=ルウと同じ組になり、そこにリフレイアの一行を加えて、さらに案内人としてアラウトが同行する形となった。また、特に案内を必要としていないカミュア=ヨシュたちは、基本的に自由行動であるのだそうだ。


「俺たちは適当にくっついたり離れたりするので、どうぞおかまいなく。バナームの城下町をうろつくのも、これが初めてではないのでね」


 そのように語るカミュア=ヨシュたちだけは、自前の装束にあらためている。いっぽう俺たちは、バナーム城で借り受けた装束の上から丈の短い外套を羽織った格好だ。森辺の装束ではむやみに人目を引いてしまうため、そのように取り計らうことに定められたのだった。


「まあ、刀さえあれば、我々は何でもかまわん。無法者がおらぬという話であっても、決して狩人から身を離すのではないぞ?」


「うん、わかってるよ。城下町の賑わいは、ジェノスとそれほど変わらないみたいだな」


 俺とアイ=ファのやりとりに「そうなのですか?」と割り込んできたのは、案内人のアラウトであった。


「ジェノスは交易の要所ですので、バナームよりもよほど栄えているものと思っていました。町の賑わいに差がないというのは、少々意外です」


「それはきっと、区画の規模の違いなのじゃないかしらね。わたしも聞きかじりの知識だけれど、ジェノスの商店区はバナームの倍ほどもあるそうよ」


 リフレイアがそのように発言すると、アラウトは納得した様子で「なるほど」とうなずいた。


「では、ジェノスはバナームの倍ほども商人が存在するということなのですね。それならば、納得です」


「何せジェノスには、東や南の民もひっきりなしに来訪していますからね。わたしもそれほどたびたび町に出ているわけではないけれど……10人にひとりは異国人という様相なのじゃないかしら」


「城下町では、そうかもしれませんね。宿場町の主街道などは、10人の中にひとりずつ南と東の民がいるぐらいの割合だと思いますよ」


 俺の言葉に、アラウトが目を丸くした。


「道をゆく人間の、2割が異国の民ということですか! それは驚くべき話です。バナームで南の民を見かけることは稀ですし……東の民でも、商団ではなく単独の旅人がほとんどでありますからね。なおかつ、そういった東の民に通行証が発行されることはあまりないため、城下町では異国の民を見かけることも滅多にないのです」


 確かに、この広場を行き来している人間も、ほとんどは西の民であるようであった。

 これこそが、王国の主街道に面していないという証であるのだろう。特に南の行商人などは、ジェノスで商売をしてそのまま引き返していく人間がほとんどであるという話であったのだ。また、ジェノスより遠方まで足をのばそうと考えても、ベヘットやムドナに面する主街道を北上するか、ダバッグに面する西の街道へと進路を取るため、このバナームに立ち寄る機会が生まれないわけである。


(フェルメスは古都ゆえの悲劇とか言ってたけど、それほど大げさな表現ではなかったのかな)


 ともあれ、城下町の見物である。

 俺たちは他のメンバーに別れを告げて、アラウトの先導のもとに街路へと足を踏み出すことになった。


 街路ももちろん石敷きで、道の左右には石造りの家屋が建ち並んでいる。

 いずれも3階や4階まである丈の高い建物で、バナーム城に負けないほど古びているようだ。同じ思いを抱いたらしいアイ=ファが、先頭を進むアラウトへと声をかけた。


「アラウトよ。やはりこの城下町の家屋も、城と同じ時期に築かれたものであるのだろうか?」


「ええ、もちろんです。近年になって新設された建物は赤い煉瓦の造りですので、それ以外は城とともに築かれた建物であるはずです」


「そうか。この町もまた、500年以上の歴史を持つということだな」


「はい。ですが、老朽化して崩れる家屋もなくはありません。居住区域の建物などは、すでに半分がたが煉瓦造りであるかもしれませんね」


 アラウトはそのように語っていたが、とりあえずこの周囲に煉瓦造りの家屋は見当たらないようだった。

 行商人や町の住人が行き交うこの場所に、バナーム城ほどの重圧感を覚えることはなかったが――それでもやはり、異郷であるという思いはつのっていく。建物の古びた感じばかりでなく、道をゆく人々がジェノスの民よりも厚着であるために余計そのように感じられるのだろうか。そういえば、確かにこの地はジェノスよりも日差しがやわらかく感じられてならなかったのだった。


「なんだか、胸が躍るわね。シフォン=チェルは、どうかしら?」


 大きなスカーフのようなもので頭を覆ったリフレイアが、かたわらのシフォン=チェルへと呼びかける。外套のフードで目立つ髪を隠したシフォン=チェルは「そうですね……」と穏やかに微笑んだ。


「確かにこの地は、空気や匂いからしてジェノスと異なっているように思います……でも、それ以上に……このように賑やかな場所を、リフレイア様とともに歩いているということが……常にない昂りを与えてくれるようです……」


「ええ。さすがにジェノスでは、お忍びで町を歩くことも難しいものね」


 そんな風に語るリフレイアの姿を、サンジュラがとても優しげな眼差しで見守っている。そして、俺の視線に気づいたサンジュラが、それをごまかすように微笑みかけてきた。


「ですが、多くの視線、感じます。この地、東の民、少ないため、私と森辺の方々、目立ってしまっているようです」


「うむ。こればかりは、致し方あるまいな」


 そのように答えたのは、アイ=ファである。確かに道を行き交う人々は、誰もが俺たちを物珍しげに見やっているようであった。

 ただし、警戒の目を向けられている様子はない。俺たちはバナーム城で支給された立派な装束を纏っていたし、何よりアラウトに先導されているのだ。アラウトも外着と思しき活動的な装束を纏っていたが、侯爵家の紋章が刺繍された真紅のベストのようなものを着込んで、その身分をあらわにしていたのである。


「そういえば、アラウト殿は武官もお連れせずに、貴族という身分をさらしておられるのね。よほど剣の腕にご自信があられるのかしら?」


 リフレイアがそのように呼びかけると、アラウトは「いえ」と口もとをほころばせた。


「もちろん剣術はたしなんでいますが、僕が志しているのは文官です。剣士として名高い森辺の方々の前で、腕を誇ることなどできそうにありません」


「では何故、武官をお連れしていないのかしら?」


「僕は普段から町に下りているため、城下町に危険がないことをわきまえています。それに僕は、商人を相手にすることが多いので……護衛の武官などを引き連れていると、相手を威圧しているような心地になってしまうのですよね。ですから極力、武官などは連れ歩かないように心がけています」


「そう。まだお若いのに、アラウト殿は勇敢かつ清廉であられるのね」


 リフレイアが感心したように言うと、アラウトはまた顔を赤くしてしまった。どうもアラウトは、リフレイアを相手にすると赤面する機会が増えてしまうようだ。


「あ、こ、こちらが調理器具の商店となります。どうぞご覧ください」


 と、アラウトがとある建造物の前で足を止めた。

 アイ=ファの腕にひっついていたリミ=ルウが、瞳を輝かせる。俺たちはあらかじめ、料理関連の商店を拝見したいとリクエストしていたのだ。


「わーい! こういうお店って、ジェノスの城下町を見物して以来だよね! すっごくひさしぶりー!」


「うん。あれは紫の月だったもんね。あと2ヶ月ていどで、1年ぶりになっちゃうわけだ」


 俺もリミ=ルウに負けないぐらい胸を弾ませながら、その建物に足を踏み入れることにした。

 店内は、なかなかに混み合っている。そしてそれは、つい先刻お別れしたばかりの同胞らが先にお邪魔していたがゆえであった。


「やあ。トゥール=ディンたちは、もう到着してたんだね」


「あ、アスタ。やっぱりすぐに出くわしてしまいましたね」


 トゥール=ディンが、笑顔で振り返ってくる。そしてそのかたわらには、白い頬をほのかに火照らせたオディフィアがぴったりとくっついていた。


「オディフィアもお疲れ様です。旅のお疲れは大丈夫ですか?」


 オディフィアは灰色の瞳をきらきらと輝かせながら、「うん」とうなずく。さきほどリフレイアやシフォン=チェルが噛みしめていた感慨を、さらに入念に噛みしめているのだろう。侯爵家の直系たる彼女こそ、お忍びで城下町をぶらつくことなど、ジェノスではなかなか許されないはずであった。


 そんなふたりの幼き少女のもとには、ゼイ=ディンと若い武官が付き添っている。この武官はこれまでに何度かご挨拶をさせていただいたことのある、メルフリード直属の近衛兵だ。彼もまた身分を隠すために、俺たちと似たような装束でただ刀だけをさげていた。


 あとは彼らと同じ組であるザザの姉弟に加えて、ラヴィッツとナハムとベイムの4名もあちこちに散って戸棚の商品を検分している。その中でマルフィラ=ナハムが何やら熱心そうな様子を見せていたので、俺はそちらに近づくことにした。


「やあ、マルフィラ=ナハム。何か目新しい調理器具でもあったのかな?」


「あ、ど、どうもお疲れ様です。め、目新しいわけではないのですが……た、ただ、この鉄鍋が気になって……」


 その棚には、各種の鍋が取りそろえられていた。マルフィラ=ナハムが指し示したのは、片手鍋の名で知られるフライパンのような調理器具である。


「おや、お目が高い。それはジャガルの名高い鉄具屋から買いつけた片手鍋でございますよ」


 店員と思しき壮年の女性が、恐れげもなく笑顔で呼びかけてくる。

 そしてすぐさま、「おやまあ」と驚嘆に目を見開いた。


「これは、アラウト様。どうもおひさしぶりでございますねぇ。アラウト様も、遠来のお客人のご案内を?」


「はい。いずれも大事なお客人ですので、どうぞよろしくお願いします」


 アラウトは、実直そうな笑顔を返す。すると女性のほうも、満面に笑みを広げた。


「侯爵家のご子息でありながら案内人を務められるだなんて、さすがアラウト様でございますねぇ」


「はい。こちらの方々は、兄上の婚儀に駆けつけてくださったのですからね。僕にとっては、何より大事なお客人です」


「ええ、ええ。ウェルハイド様はまことにおめでたいことで……わたしどもは、アラウト様の婚儀も楽しみにしておりますよ」


「ぼ、僕はまだ、自分の身を立てることに注力しなければならない立場です」


 と、アラウトはこちらの女性に対しても、顔を赤らめることになってしまった。とても好ましい純情っぷりである。


(でも、侯爵家の人間が、町の人たちとこんなに気安く語らえるんだな)


 俺がそのように考えていると、いつの間にか接近していたリフレイアも興味深そうにアラウトの姿を見守っていた。


「そうそう。こちらのお客人が手にされている片手鍋も、ウェルハイド様の伝手で仕入れた品でございますよ。さすがお目の高いことですねぇ」


「あ、そ、それじゃあやっぱり、こちらはディアルの鉄具屋の品なのでしょうか?」


「ディアル? 鉄具屋の名前までは存じておりませんけれど……でも、ジェノスに滞在している名高い鉄具屋の品であるそうですねぇ」


 ならばそれはまず間違いなく、ディアルの商品であろう。


「すごいね。マルフィラ=ナハムは、どうしてそれがディアルの品だってわかったんだい?」


「い、いえ、ただ持ち手の具合だとか、鍋の表面の仕上がりだとかが、よく似ているなぁと思っただけで……そ、そんな確証があったわけではないのです」


 そんな風に言われても、俺には見当がつかなかった。ただ、作りがしっかりしていて良い品だなと思えるばかりである。


「でしたらそれは、ジェノスで直接買いつけたほうがよろしいでしょうね。バナームまで持ち運んだ分、輸送の値が上乗せされているはずですので。……他に何か、バナームならではの器具というものは存在しないでしょうか?」


 アラウトがそのように問いかけると、店員の女性は「さて?」と小首を傾げた。


「ジェノスはたいそう豊かな町であると聞き及びますので、うちで扱っているような品はのきなみ取りそろえているかもしれませんねぇ」


「でも、町にはそれぞれの特色があるはずです。たとえば……バナームはカロンの牧場で名を知られていますが、ジェノスではキミュスしか育てていないはずです。そういった違いが、商品の差に表れるのではないでしょうか?」


「はあ……でも、カロンを育てていないのなら、そのための器具も不要でございましょう?」


「いえ。その代わりに、ジェノスにはギバという獣が存在します。ギバとカロンでは姿も異なるでしょうが、大きさだけはキミュスよりも近いはずです。カロンの処置に必要な器具で、ギバの処置に転用できそうな器具などは存在しないものでしょうか?」


「キミュスじゃなく、カロンの処置で必要な器具でございますか……」


 店員の女性はしばらく首をひねっていたが、やおらぽんと手を打った。


「ひとつだけ、思いついた品がございますねぇ。少々お待ちくださいな」


 そうして女性が別の棚から持ち出してきたのは、革の鞘に収められた刀である。刀身は20センチていど、柄は15センチほどで、ずいぶん幅広の刀身であるようだった。


「これは牧場に卸している品なんですが、いちおう見本として店にも置いているんですよ。カロンの皮を剥ぐための刀でございますねぇ」


「ふーん?」と身を乗り出したのは、ルド=ルウであった。


「俺たちは、ジェノスの町で売ってる短刀でギバの皮を剥がしてるけどなー。そいつは何か、違いでもあるのかい?」


「ええ。何せ、皮を剥ぐために作られた品ですからねぇ。よろしければ、お手に取ってご確認くださいな」


 にこにこと笑う女性からその刀を受け取ったルド=ルウは、期待に満ちた面持ちで鞘を取りさった。

 鞘の形状から察せられた通り、身幅が7、8センチほどもありそうで、なおかつ大きく湾曲している。さらに、刃の厚みもなかなかのものであるようだった。


「あー、刃が反り返ってるから、切っ先が後ろ向きになるのかー。確かにギバの皮を剥ぐときは、切っ先で穴を空けないように気をつけないといけねーんだよなー」


「ええ、ええ。そのために、こういう形をしているようですねぇ。それにこいつは頑丈なんで、カロンの骨を断ち切ることもできるそうですよ」


「ああ。ギバの角や牙を切り落とすのも、こいつ1本で十分そうだなー。普段の短刀より、ずっと使い勝手がよさそうだ」


 すると、離れた場所にいたゼイ=ディンやゲオル=ザザたちもこちらに寄り集まってきた。もともと参じていたアイ=ファやラヴィッツの長兄も、興味深そうにその刀を見やっている。


「なるほど……しかしこういったものは、ディアルという南の娘のほうが、上等なものを準備できるのではないのか?」


 ラヴィッツの長兄が人の悪い笑顔でそのように言いたてると、アラウトが真剣な面持ちで進み出た。


「ジャガルにおいてもカロンの牧畜は盛んですので、きっとディアル殿の店にもこういった器具は取りそろえていることでしょう。ですが、バナームはまずカロンの牧畜で栄えた領地です。そのバナームで扱われている器具でしたら、高い品質を保っているものと思われます」


「そうだなー。どっちの質がいいかなんて、使ってみないとわからねーだろうと思うよ」


 そう言って、ルド=ルウはにっと白い歯をこぼした。


「で、他の連中もこいつを欲しがったら、バナームから買いつけることはできるのか?」


「ええ。他ならぬ森辺の方々のお頼みでしたら、こちらからフワノやママリアをお届けする際に、まとめてお届けいたしましょう。そうすれば輸送費もかかりませんので、ディアル殿から買いつけるよりも安くあがるはずです」


「じゃ、とりあえず俺がこいつを買いつけるよ。それで、ディアルの準備する刀と比べてみて、あとの連中は気に入ったほうを買いつければいいだろ」


「ほう。さすがルウは、銅貨が有り余っているようだな。家長の許しもなく、新たな鋼を買うことが許されるのか」


 ラヴィッツの長兄の皮肉に、ルド=ルウは「まーな」と肩をすくめる。


「こいつは俺の銅貨で買うんだから、親父にだって文句を言われる筋合いはねーよ。ところで、こいつはいくらなんだ?」


「こちらは、白銅貨12枚でございますねぇ」


 それならば、俺の感覚では24000円ていどとなる。決して安い買い物ではないが、この世界は俺の故郷より鉄製品の相場が高いのだ。俺がシュミラルから購入した上等な菜切り刀が白銅貨18枚であったことを考えれば、まあ相応の値段であろうと思われた。


「じゃ、これが代金な。そのまま持っていくから、包みとかはいらねーよ」


「お買い上げありがとうございます」


 ルド=ルウは、革鞘に収めた皮剥ぎ刀の重みを楽しむかのように手の中でもてあそんでいる。その姿が、俺に非常なる懐かしさを抱かせた。


「ずいぶん前の話だけど、ルド=ルウは宿場町でも鉈を即決で買ってたよね。刃物の購入に関しては、思い切りがいいのかな」


「えー? いつの話をしてんだよ! ……まあ、刀ってのは、柄が手に馴染むかどうかが重要だからなー。こいつは何だか、しっくり来たんだよ」


 すると、アラウトが笑顔でルド=ルウに語りかけた。


「ルド=ルウ殿、ありがとうございます。森辺の狩人にバナームの刀を買っていただけるとは、とても誇らしい気持ちです」


「んー? なんかお前も、自信ありげな顔つきだったからさー。バナームってのは、鉄具が自慢なのかー?」


「いえ。バナームで鉄を打つ人間はほとんどいませんので、きっとそちらの刀もどこかの地から仕入れた品であるのでしょう。ですがこの店はバナームでもっとも質の高い調理器具をそろえているはずですので、胸を張っておすすめした次第です」


「ふうん。あなたは本当に城下町のことを知り尽くしておられるのね。心から感心させられてしまうわ」


 リフレイアが口をはさむと、アラウトはたちまち頬を赤くした。


「い、いえ。僕は兄上の補佐をしていますので、それに関連する商店と懇意にしているだけです。兄上がディアル殿との通商を始めていなければ、こちらの商店と縁を持つ機会もなかったことでしょう」


「わたしだってフワノとママリアを扱っているトゥランの人間なのに、通商に関してはからきしですもの。自分の無能さ加減を思い知らされた心地ですわ」


 リフレイアがそのように言葉を重ねると、アラウトは気の毒なぐらい慌てた顔をしてしまう。するとそのさまに、リフレイアが口もとをほころばせた。


「わたしの軽口なんかを、そんな真に受けないでくださいな。わたしは若年の未熟者なのだから、今後はアラウト殿を見習って、立派な人間を目指しますわ」


「リ、リフレイア姫は、ご立派な貴婦人です。僕こそ、兄上の背中を追いかけているさなかですし……」


「そう。でも、とりあえず今は世を忍んでいるさなかなので、姫よばわりはご遠慮願えるかしら?」


「あ、そ、そうでした! ま、まことに申し訳ありません!」


 アラウトがいっそう慌ててしまったものだから、リフレイアはくすくすと笑うことになった。

 きっとリフレイアは、城下町の散策で気持ちが浮き立っているのだろう。普段よりも、笑顔を見せる機会が多くなっているようだ。

 ただ――そこにはアラウトの人柄というものもひとつの要因になっているのかなと、俺にはそんな風に思えてならなかったのだった。

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― 新着の感想 ―
リフレイアすごく良いね。 ところでルドが買ったこの皮剥の刀は使われる描写とかで来るんだろうか…?
[一言] おれたちのリフレイアがとうとう…
[良い点] なんという男性を立てつつも尻に敷いてる感!!
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