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異世界料理道  作者: EDA
第七十一章 碧落の婚礼
1221/1695

往路②~大陸の歴史と考察~

2022.7/7 更新分 1/1

 バナームを目指す一団は、ひたすら街道を進み続けた。

 最初の道程は、北上である。かつて俺たちが遠征したダバッグに通ずる西の街道ではなく、ジェノスの宿場町からそのまま続く南北の主街道を北上するのだ。


 しばらく進むと、ひさびさに目にする闘技場が西の方向にうかがえた。

 その地点を通過したならば、いよいよ俺たちにとっては未知の領域となる。ガズラン=ルティムやラヴィッツの長兄たちが邪神教団を討伐するために遠征したのは南方のジャガルであったため、この辺りにまで足をのばしたことのある森辺の民というのは、かつてカミュア=ヨシュとともにバナームへと向かったルウ分家の狩人たちのみであるはずであった。


「とはいえ、10年の昔にはスン家の者たちが盗賊団さながらの悪行を為していたのだからな。そやつらであれば、すでに通った道なのであろうよ」


 根っからの皮肉屋であるラヴィッツの長兄などはそのように言いたてていたが、そんなもので俺たちの旅情が損なわれることはなかった。


「あとは、シュミラル=リリンたちもマヒュドラを目指すのに、この街道をずーっと北に進むんだって言ってたよねー! なんだか、わくわくしちゃうなー!」


 と、リミ=ルウなどはそんな言葉で、俺をいっそう昂揚させてくれた。

 シュミラル=リリンたち《銀の壺》や、あるいはアルヴァッハたちゲルドの人々などが踏みしめた街道を、俺たちは突き進んでいるのである。窓の外に広がるのは不毛の荒野や原生林ばかりであったが、俺やリミ=ルウが見飽きることはなかなかなかった。


 貴き方々の身を思いやってか、一刻半ぐらいが過ぎるごとに、小休止が入れられる。そしてそれが3度目に至ったとき、ダリ=サウティたちが車に戻ってきた。


「これでおおよそ半分の道のりだそうだ。ここまでは、家のひとつも見当たらなかったが……次の小休止では、ベヘットという宿場町に行き当たるそうだぞ」


 その名前には、俺も聞き覚えがあった。去りし日に、息子の安息を願って行方をくらまそうとしたラーズが目指そうとした地――さらに昔には、シルエルの手足となって悪行を働いていた盗賊団、《黒死の風》が身をひそめていたという地である。


「まあその宿場町も素通りして、我々はムドナという地を目指すそうだがな。ともあれ、今日の道のりはこれで半分だ。ここからは、アイ=ファたちに交代を願いたい」


「承知した」と、アイ=ファとラヴィッツの長兄が立ち上がる。

 そのとき、扉の外にたたずむダリ=サウティの背後から、ルド=ルウの「あれー?」という声が聞こえてきた。


「どーしたんだよ? アスタたちに、なんか用かー?」


「はい。ここからはそちらに同乗をお願いしたいのですが、お許しをいただけますでしょうか?」


 ルド=ルウの声に続いて、深みのあるバリトンの声音も聞こえてくる。それを耳にしたアイ=ファが、ほんの少しだけ眉をひそめた。


「今のは、ジェムドの声だな。フェルメスとジェムドが同乗を願っているのか?」


「どうやら、そういうことらしい。俺が話を聞くので、少し待っていてくれ」


 ダリ=サウティが外に向きなおり、ジェムドと語り始めたようだ。

 その背中を見守るアイ=ファが眉をひそめたままであったため、俺がフォローしておくことにした。


「まさか、貴族に同乗を願われるとは思ってなかったな。でも、今さらフェルメスを避ける理由はないだろ?」


「うむ、それはそうなのだが……わざわざ私が席を外す刻限に出向いてきたことが、気に食わんのだ」


「それは偶然なんじゃないかなぁ。でも何にせよ、ダリ=サウティたちがいてくれるんだから問題はないさ」


 俺たちがそのように密談している間も、ダリ=サウティたちはまだ語らっている。何やら、話が長引いているようだ。

 そうして俺が小首を傾げたところで、こちらのトトス車のメンバーではないガズラン=ルティムがひょこりと顔を覗かせたのだった。


「失礼します。私とジザ=ルウが居場所を交換することになったのですが、レイナ=ルウはそのままでかまわないでしょうか?」


「ええ。わたしはどちらでもかまいません」


「では、ルティムの女衆もあちらに留まってもらいます。……アイ=ファ、こちらは私が受け持ちますので、どうぞ外の警護をお願いいたします」


「うむ。……フェルメスが同乗するために、わざわざガズラン=ルティムに足を運んでもらうことになったのであろうか?」


 アイ=ファが声をひそめて問い質すと、ガズラン=ルティムは普段通りの穏やかな面持ちで微笑んだ。


「そうであるとも言えますし、そうでないとも言えます。あちらの車ではエウリフィアとオディフィアが同乗を願っているため、ジェノス侯爵家の人間にはジザ=ルウが、フェルメスには私がお相手をすることになりました」


 アイ=ファは「そうか」と応じつつ、俺のほうに力強い眼差しを向けてきた。

 俺は「大丈夫だよ」という思いを込めて、そちらに笑いかけてみせる。


 そうしてアイ=ファとラヴィッツの長兄は車の外に出ていき、こちらにはガズラン=ルティムとダリ=サウティとルド=ルウ、それにフェルメスとジェムドが乗り込んできたのだった。


「森辺の同胞だけでおくつろぎのところ、失礼いたします。こちらの車には空きがあると聞き及び、僕もオディフィア姫も黙っていられなくなってしまったのですよ」


 そのように語るフェルメスは、珍しくもジャガル風の胴衣と脚衣を着用していた。やはりこういった長旅だと、ひらひらとした長衣は不適当なのだろうか。なおかつフェルメスは、長い亜麻色の髪をひとつに束ねて肩から胸のほうに垂らしていたが――たとえどのような格好であろうとも、フェルメスが優美で瀟洒なことに変わりはなかった。男性らしい装いをすると、男装の麗人めいた姿になってしまうのがフェルメスの美貌であったのだ。


 そうして全員が乗り込んで間もなく小休止は終了し、トトス車はまたゆるゆると前進し始める。

 当たり前のように俺の隣に座したフェルメスは、至近距離から優雅に微笑みかけてきた。


「森辺の方々は招待客であるのに、自ら道中の護衛役を志願したそうですね。そのおかげで、僕はアスタやガズラン=ルティムとご一緒することができました。森辺の方々の清廉さと誠実さに、深く感謝しています」


「あ、はい。森辺の狩人はトトスに乗ることも周囲の気配を探ることも得意にしていますので、きっと適任だと思います」


 そんな風に応じつつ、俺はフェルメスの様子を検分してみたが――これといって、普段と異なる点は感じられなかった。

 フェルメスはティカトラスの登場によって調子を乱し、ここ最近は彼らしからぬ言動を見せることも少なくなかったのだ。俺自身は合同収穫祭でしかそんな姿を目にしていなかったが、ガズラン=ルティムは鎮魂祭の初日にも同じものを感じ取ったのだという話であった。


(でも、ティカトラスがジェノスを離れたから、フェルメスも自分らしさを取り戻せたのかな?)


 俺はそのように考えたが、しかしフェルメスの内心を見透かすことは難しい。

 そしてフェルメスは、そんな俺のことを見返しながらくすくすと笑い始めたのだった。


「どうしたのですか、アスタ? ずいぶん真剣な眼差しで、僕のことを見てくれているようですが」


「あ、ぶしつけな真似をしてしまって、申し訳ありません。フェルメスもお元気そうで、何よりです」


「アスタと顔をあわせるのは、そちらの収穫祭以来ですか。あれからもう、半月以上が過ぎ去っているのですね」


 そう言って、フェルメスは不可思議な色合いをしたヘーゼルアイをきらめかせた。


「アスタこそ、お元気なようで何よりでした。鎮魂祭を終えるなりこのような大仕事を受け持つことになってしまい、アスタは気を休めるいとまもなかったことでしょう」


「いえいえ。確かに気楽な仕事ではありませんが、楽しい気分のほうが上回っておりますよ」


「そうですか。でも、ティカトラス殿の耳をはばかるために、ずいぶん準備期間が削られてしまったので、いっそう苦労がつのったことでしょう。ジェノス侯に余計な提言をしてしまった僕も、責任を感じています」


「余計な提言?」


「はい。ティカトラス殿はかつて他者の婚儀の当日に、花嫁になるべき女性へと求愛したことがあったのですよ。そしてその女性がティカトラス殿の求愛に応えてしまったため、婚儀が途中で中止されるという騒ぎになってしまったのです」


 俺は、開いた口がふさがらなかった。

 フェルメスは悪戯小僧のような目つきになりながら、またくすくすと笑う。


「僕がそんな話をしてしまったものだから、ジェノス侯もバナームの使者もティカトラス殿を決して婚儀に関わらせてはならないと判じてしまったのでしょう。僕が余計なことをしていなければ、アスタたちももっとじっくり仕事の準備ができたのでしょうから……やはり、責任を感じてしまいます」


「あ、あの、それはすべて本当に起きた出来事なのですよね?」


 離れた席からこちらの様子をうかがっていたレイナ=ルウが、そんな風に口をはさんできた。

 フェルメスは横目でそちらを見やりながら、「もちろんです」と応じる。


「たとえ森辺の民でなかろうとも、そのような虚言は許されないことでしょう。ダーム公爵家の直系たるティカトラス殿が相手であれば、なおさらです」


「そ、そうですか。でも、そのように無体な真似をして……ティカトラスは、何かの罪に問われなかったのですか?」


「はい。その婚儀というのは、いわゆる政略結婚であったのですが――レイナ=ルウは、政略結婚というものをご存じでしょうか?」


「いえ、存じません」


「政略結婚というのは、本人たちの心情とは関わりなく、家と家の都合で婚儀を挙げる行いのことを指します。ですからティカトラス殿は、両方の家にとって婚儀を挙げるよりも有益な条件を出すことによって、すべてを丸く収めてみせたのです。それで求愛に応えた女性は、ティカトラス殿の第三側妻に収まることがかなったそうですよ」


「うへー」と声をあげたのは、レイナ=ルウの隣で話を聞いていたルド=ルウであった。


「やっぱあのティカトラスってのは、とんでもねーやつなんだなー。あいつの素っ頓狂さにはずいぶん慣れてきたところだけど、女衆の話がからむと理解できねーや」


「おや。僕はティカトラス殿と森辺の民の関係にも水を差してしまったでしょうか?」


「いやー、あいつが森辺の女衆にちょっかいをかけなければ、どーでもいいけどよ」


「それなら幸いです」と、フェルメスはにっこり微笑んだ。

 それが腹黒な笑顔に見えてしまうのは、俺の考えすぎなのだろうか。こういう部分が、複雑で理解し難いフェルメスであるのだった。


「でもまあ何にせよ、ティカトラスはコルネリアを目指してトトスを駆けさせているさなかでしょうからね。俺は憂いなく、自分の仕事に集中しようかと思います」


「ええ。きっとバナームの人々は、ギバ料理の味わいに深く感動することでしょう。……ギバ料理を口にしたことのない僕がそのように言いたてても、詮無きことなのかもしれませんが」


「いえいえ、とんでもない。でも今回も俺たちはギバ料理ばかりですので、フェルメスには申し訳ないです。たしかバナームも、川の魚は食用に適していないのですよね?」


 遥かなる昔日、俺やヴァルカスが魚の料理を供した際、使節団の人々はひどく感心した顔を見せていたのだ。フェルメスは残念がる様子も見せず、「そうですね」とにこやかに微笑んだ。


「バナームは大陸の中央に位置していますし、川の魚は毒をはらんでいるのですから、魚介の料理など望むべくもありません。ですがその反面、カロンの乳や乾酪と黒いフワノを組み合わせた郷土料理で知られていますので、きっと僕が食べるものに困ることはないでしょう」


「へえ。バナームにはそのような郷土料理が存在するのですか。カロンの産地だとは聞いていましたが、それは知りませんでした」


「バナームの風土や文化など、アスタの生活には何の関わりもないのでしょうしね。そのように縁のない地のことにまで興味を持つ僕のほうが、酔狂者であるということです」


「では、フェルメスもバナームに足を踏み入れるのは初めてなのですね?」


 そのように問うたのは、ずっと静かにフェルメスの言葉を聞いていたガズラン=ルティムである。

 フェルメスはそちらを振り返って、「ええ」とうなずいた。


「バナームは、東の果てに位置するジェノスからトトスでわずか2日の距離です。王都の人間にしてみれば、ジェノスと同じぐらい見果てぬ地でありましょう」


「なるほど。そのバナームが大陸の中央に位置しているというのは、他なる王国が三方に存在するためですか」


「ええ、その通りです。むろん、大陸の中央と称するには、あまりに西寄りなのでしょうけれどね。バナームから西竜海まではおよそひと月、東玄海まではふた月半と考えれば、おおよその位置が想像できますでしょうか?」


「つまり、3ヶ月半をかければ、大陸の西から東まで横断できるわけですか。しかし……トトスを使ってもそれだけの距離と考えれば、やはり途方もない広さですね」


 ガズラン=ルティムは穏やかな笑顔を保持しつつ、しみじみとした口調でそう言った。


「私は先日にも、邪神教団を討伐するためにジャガルまで出向いた身となりますが……そうして森辺を離れるたびに、この世界の広大さを痛感させられます。そしてこの世界にはどれだけの人間が暮らしているのかと想像すると……いささか空恐ろしくなるほどです」


「ガズラン=ルティムのそういう部分が、僕に学士を連想させるのでしょう。もしもガズラン=ルティムが王都に生まれついていたならば、ともに『賢者の塔』で学ぶことになっていたやもしれませんね」


 フェルメスがどこか陶然とした面持ちで微笑むと、ガズラン=ルティムも静謐な微笑みを返した。

 すると、まだひとりで窓の外に目を向けていたリミ=ルウが、にぱっとした笑顔でこちらを振り返る。


「バナームって、すっごく立派な領地なんでしょー? ダバッグとどっちが大きいのかなー?」


「ああ、リミ=ルウはアスタとともに、ダバッグまで出向いたことがあるのでしたね。ダバッグは伯爵領であり、バナームは侯爵領であるのですから、比較するまでもないでしょう」


 フェルメスはすみやかに優雅な態度を回復させながら、そのように答えた。

 リミ=ルウは「ふーん?」と可愛らしく小首を傾げる。


「こーしゃくははくしゃくより偉いから、こーしゃくりょーのほうが大きいってこと?」


「ええ。元来は、ジェノスも伯爵家でした。ですが、ジェノスの当主だけが強大な力を持たないように領土が分割されて、三伯爵家が生まれたという背景があるのですよ。セルヴァの本来の基準で言うと、三伯爵家の管理する地まで含めたジェノスの全土が、一般的な侯爵領の規模となります」


「つまり、バナームはジェノスと同じぐらいの大きさってことだねー!」


「ええ。ただし、豊かさにおいてはジェノスがまさり、格式においてはバナームがまさります。200年ていどの歴史しか持たないジェノスに対して、バナームは500年以上の歴史を持っているのですからね」


 フェルメスはリミ=ルウの無邪気さを面倒がる様子も見せず、むしろ熱意の感じられる声音でそのように説明してくれた。


「つまりバナームは、四大王国が誕生してから100年以内に建立された、古い古い都となります。王国において500年以上の歴史を持つ地は、古都と称されているのですよ。なおかつ、現存する古都は10も存在しないはずですから……セルヴァにおいても、指折りで由緒正しき家柄と言えましょう」


「ふーん! バナームって、そんなにすごい場所だったんだー!」


「はい。しかし、王都においてバナームがそれほど大きく取り立てられる機会はありません。せいぜいが、黒いフワノと白いママリアの産地として知られているぐらいでしょう。バナームはいささかならず土壌が特殊であるため、それ以外の作物を育てることが難しく……なおかつ、東西の主街道から外れてしまったために、セルヴァにとっては要所に成り得なかったのです」


 さしもの聡明なるリミ=ルウも、頭の上にたくさんのハテナマークを浮かべることになってしまった。

 すると今度は、ダリ=サウティがゆったりとした調子で声をあげる。


「バナームには、ジェノスほどの食材が存在しないのだと聞いている。しかし、東西の主街道から外れたというのは、どういう意味だろうか? 手間でなければ、教示してもらいたい」


「東西の主街道とは、すなわちセルヴァとシムを繋ぐ道筋のことを指します。現存する主街道は、2本――すなわち、ジェノスを経由する街道と、アブーフを経由する街道ですね。古き時代にはもう1本、ここから半月ほど北上した辺りにシムへと通ずる街道が存在したのですが、それは300年前の地震いによって潰えました。それからおよそ100年後にジェノスが誕生するまで、シムとセルヴァはたった1本の街道によって繋げられていたに過ぎないのです」


 フェルメスの声が、どんどん熱を帯びていく。それは熱心な研究者というよりは、楽しい遊びに夢中になっている幼子を連想させた。


「しかし何にせよ、今も昔もバナームは東西の主街道から外れた位置に存在しています。これは、古都ゆえの悲劇とも言えるでしょう」


「古都ゆえの悲劇?」


「はい。四大王国の誕生当時、隣国との行き来に関しては重要視されていませんでした。初代の王たちはまず自らの王国を平定するのにかかりきりであり、余所の王国にかまっているいとまなどなかったわけですね。そうして石の都を築くのに適した土地を求めては、次々と新たな城を打ち立てて……それで王国の基盤を整えたのちに、ようやく余所の王国との交流を求めたのです。セルヴァとマヒュドラ、ジャガルとシムの確執が生まれたのも、おそらくその時代であるのでしょう」


「ふむ。せっかくの交流が、悪い縁になってしまったわけか。どうしてそのような悪縁が生じてしまったのであろうな」


「古の歴史書によると、貧しき土地を割り振られたシムとマヒュドラが不満を抱き、ジャガルやセルヴァの領土を奪おうとしたのだとされています」


 すると、ガズラン=ルティムが思いも寄らぬ鋭さで「誰に?」と発言した。

 フェルメスがちょっぴり妖艶な感じに流し目を送ると、ガズラン=ルティムはいくぶん申し訳なさそうに口もとをほころばせる。


「申し訳ありません。つい気が逸ってしまいました。……四大王国の最初の王たちは、誰に領土を割り振られたのでしょうか?」


「それはもちろん、神にです。この世界は、大神アムスホルンから四大神に継承されたのですからね。そして四大王国の王というものは、四大神にもっとも近しい子であると見なされているのですよ」


「ですが……神というものは、人の子に言葉を伝えたりはしないでしょう?」


「ええ。なおかつ、大神アムスホルンとはこの大地そのものです。そして、四大神とは四大王国そのものです。我々は、帰属すべき地を神と称しているのですよ」


 また幼子のような熱っぽさを取り戻して、フェルメスはそのように言葉を重ねた。


「そしてもう一点、留意すべきは……四大王国が誕生する前から、民は四つに分かたれていたという事実です。我々は、西の王国に生まれたために西の民であるわけではないのです。600余年の昔に、西の民が西の王国を築いたのです。我々の祖は、王国が建立される前から……大神アムスホルンの子であった魔術の時代から、すでに西の民であったのですよ」


「そう……なのですね」


「そうなのです。つまりは、四大王国が生まれる前から、大地もまたすでに四つに分かたれていたのです。そうして我々はそれぞれの故郷に、セルヴァ、マヒュドラ、ジャガル、シムという王国の名を冠したに過ぎないのですよ。……そして、大地に名をつけるという行いそのものが、すなわち四大神の誕生であるということなのです」


 そのように語りながら、フェルメスは見果てぬ何かを見通したいかのように目をすがめた。


「そのように考えれば、さきほどの疑念も解決するでしょう? 神の声とは、すなわち大地の声――西の民にとっては、西の地こそが故郷であり、神であるのです。森辺の民がモルガの森を母としているように、西の民は西の地を父としているのです。我々は、神たる大地と自らの魂の声に従って、この地に生きているのですよ」


「なるほど……では、どうして領地の奪い合いなどが生じてしまうのでしょうか? それは、神たる大地の声に背く行いになってしまうでしょう?」


「それはおそらく、シムやマヒュドラが石の都に適していない土地だったゆえではないでしょうか? 魔術の時代には魔力によって豊かな暮らしを営めていたのでしょうが、シムやマヒュドラは領土の多くが草原や氷原や山岳などであったため、石と鋼の文明を築くには不自由であるのです。それでセルヴァやジャガルの肥沃な大地を分けてもらいたいと願い出たが、それを拒まれた――そのように考えると、整合性が取れるように思います」


 そんな風に言ってから、フェルメスはくすりと笑い声をたてた。


「ただしもちろん、それは推論のひとつに過ぎません。僕は世界中のあらゆる文献を閲覧したいと願っている身ですが、西の王国ではどうしても西の文献ばかりを数多く目にすることになってしまうのです。西の文献にはセルヴァと友好国たるジャガルに利する内容が多いので、それでは推論にも偏りが生じる恐れがあるでしょう」


「ですが、シムとて友好国でしょう? ……いや、古きの時代には、ジャガルほど友好的な存在ではなかったということですか」


「その通りです。何せシムというのは、西の王都アルグラッドからトトスでも3ヶ月はかかろうかという遠方の地でありますからね。セルヴァは西の果てに王都を築いてしまったため、どうしてもシムとは疎遠になってしまったのです。そしてジャガルと絆を深めれば深めるほど、ジャガルが敵視するシムとはいっそう心が離れてしまったのでしょう」


 どこか歌でも歌うような調子で、フェルメスはそのように言いつのった。


「なおかつ、シムとマヒュドラには言葉の壁というものが存在します。魔術の時代には念話などで容易く意思の疎通がかなったものと思われますが、魔力の枯れた現在においてはそうもいかないのです。そうすると、やはり言葉の通ずる西と南で絆が深まるのも必然であったのでしょう」


「どうして西と南だけが、同じ言葉を使うことになったのでしょうね」


「それも推論を重ねる他ありませんが、南の民は北の地から移住した一族であるという俗説をご存じでしょうか? おそらく太古の時代には、西と東と北の民しか存在せず、北の地を出奔した一族が西の地の南端に住まいを移すことになり……その際に、西の言葉を学んだのではないかと思われます」


「なるほど。それも、魔術の時代ということですか」


「もちろんです。四大王国は同時に誕生したのですから、600余年の昔にはすでに南の地に南の民が暮らしていたはずなのですよ」


 そこでフェルメスはいったん息をつき、子供のようににこりと笑った。


「ずいぶんな大回りになってしまいましたが、ここでバナームの話に戻れます。西の王国は、まず石の都を築くのに適した場所に住まいを広げ、その後にシムとの交流を考えたのです。その際に、バナームのそばから道を切り開くことは難しかったため、もっと北方に2本の街道を築くことになりました。そして、そちらの街道に直結する領地が要所と見なされることになり、バナームは要所になり損ねたというわけですね」


「なるほど。ですが現在はこの南北に連なる街道も、ジェノスとゲルドを繋げる道筋となるはずです。それならば、今後はこの街道沿いに位置する領地が栄える可能性があるということでしょうか?」


 ガズラン=ルティムの言葉に、フェルメスはどこか嬉しそうな顔をした。


「まさしく、ガズラン=ルティムの仰る通りです。ゲルドの商団がたびたび行き来していれば、いずれは街道沿いの領地と商売を交わすこともありえるでしょうからね。そうすれば、それらの領地はどんどん豊かになっていき、大事な街道も入念に整備され、大きく発展していくはずです。西の王都とシムを繋ぐ主街道が発展していった歴史が、今まさに繰り返されようとしているのですよ」


「あはは。フェルメスは、なんだかすっごく楽しそうだねー!」


 リミ=ルウがそのように口をはさむと、フェルメスは恥じらう乙女のように肩をすぼめた。


「……申し訳ありません。アスタのかたわらにありながらガズラン=ルティムと言葉を交わすという行いがあまりに心地好く、つい抑制を失ってしまいました。つまらない話をべらべらと並べたててしまい、お恥ずかしい限りです」


「いえいえ、つまらないなんてことはないですよ。俺たちは大陸の歴史について知識が浅いので、とても勉強になります」


 俺がそのように応じると、フェルメスは「本当ですか?」と上目遣いで視線を向けてくる。そんな仕草も可憐な姫君を思わせるフェルメスであった。

 やっぱりこれは、鬱屈の反動で浮かれているということなのだろうか。実のところ、俺はフェルメスの精神状態がいささか心配なところであったので、彼が抑制を失うほど浮かれているというのなら喜ばしい限りであった。


(それで熱弁の内容が大陸の歴史とその考察ってところが、いかにもフェルメスらしいよな)


 そんな風に考えながら、俺はフェルメスに笑いかけてみせる。

 そうしてバナームまでの旅の初日は、とても和やかに過ぎ去っていったのだった。

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― 新着の感想 ―
[一言] この世界の大陸の地図がみたいです! どの国とどの国がどう接しているとか大きさとか形とか凄く気になります!!!
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