往路①~出立~
2022.7/6 更新分 1/1
それからバナームに出立するまでの数日間は、実に慌ただしく過ぎていくことになった。
何せ、このたびの一件を引き受けると決めた日から出発の日まで、間に5日間しかなかったのだ。俺たちはその期間内に宴料理の内容を考案すると同時に、屋台の商売を滞りなく継続できるように手配を済ませなければならなかったのだった。
さしあたって、俺は屋台を3台から4台に増やそうという計画を延期することにした。それは何も急ぐような話ではなかったので、このような時期に無理やり敢行する理由はどこにもなかったのだ。屋台の1台ではこれまで通り『ギバの玉焼き』を売り続けて、日替わりの屋台を2台に留めれば、後に残されるユン=スドラたちの苦労も何割かは減ずるはずだった。
あとは、ディンの家の菓子の屋台も、なんとか休まずに済みそうだという話に落ち着いていた。ディンとリッドのかまど番たちも、簡単な焼き菓子や蒸し饅頭などなら自力で作れるようになっていたし、また、鎮魂祭でトゥール=ディンの留守を預かったことで自信をつけ、「どうか、まかせてもらいたい」と熱っぽく語らっていたのだそうだ。
まずは初日に屋台を出してみて、無理がありそうなら翌日は休業とする。それぐらいのゆとりをもって、とりあえず挑戦してみるとのことである。ディンの家も1年以上は独自で屋台の商売を継続し、ファやルウに劣らず商売のノウハウを身につけられたようだった。
いっぽう、バナームへの遠征チームであるが――こちらで最後の2枠に選ばれたのは、マルフィラ=ナハムとフェイ=ベイムの両名になる。
レイ=マトゥアには、ラッツの女衆とともにユン=スドラのサポートをお願いすることになったのだ。幸いなことに、そちらのふたりも瞳を輝かせながら俺の願い出を了承してくれたのだった。
「確かにジェノスの外にまで出向くというのは、ものすごく羨ましく感じられますけれど! でも、アスタの留守を7日間も預かるというのは、それと同じぐらい胸が高鳴るように思います!」
レイ=マトゥアなどは、そんな風に言っていた。
ユン=スドラと似たような反応であったものの、俺は少しばかりニュアンスの違いを感じ取っていた。どうやらレイ=マトゥアにとっては、「アスタの長期不在」というものがバナーム遠征に匹敵するほどの非日常的なイベントであると感じられているようであるのだ。未知なる試練に対する昂りとでも言おうか、とにかく彼女はユン=スドラと別の方向から大いに発奮してくれたようだった。
ともあれ、チーム編成はそれで完了した。
バナームまで出向くのは、俺、トゥール=ディン、レイナ=ルウ、リミ=ルウ、ルティムの女衆、マァムの女衆、マルフィラ=ナハム、フェイ=ベイム、スフィラ=ザザ、サウティ分家の末妹という顔ぶれになる。
祝宴におけるパートナーおよび護衛役として同行するのは、アイ=ファ、ゼイ=ディン、ジザ=ルウ、ルド=ルウ、ガズラン=ルティム、ジィ=マァム、ラヴィッツの長兄、モラ=ナハム、ゲオル=ザザ、ダリ=サウティだ。ベイムの家長とナハムの家長とデイ=ラヴィッツの協議の末、フェイ=ベイムのパートナーは血族ならぬモラ=ナハムに定められたとのことであった。
なおかつ、ジェノスの城下町からもそれなりの人数がバナームまで出向くのだということが、その期間内に通達されていた。
通常であれば、侯爵家の名代たるメルフリードとエウリフィアだけで事足りるのであるが、このたびはバナーム侯爵家と因縁のあったトゥラン伯爵家にも声をかけられており――それならば、いっそ三伯爵家のすべてを招待しようという話になったようであるのだ。
ただそこまでは、事前に取り決められていた話であるという。それからバナーム遠征の一件を正式に発表したのち、さらに追加で参席を願う人間が3名ほど現れたとのことであった。
その3名とは、オディフィア、デルシェア姫、プラティカという顔ぶれである。
オディフィアが声をあげたのは、もちろん森辺のかまど番の中にトゥール=ディンの名が連ねられていたためとなる。普通は7歳の幼き姫をこのような長旅に連れ出すことはないそうであるが、侯爵家のご家族たちもオディフィアの一途な思いを退けることはかなわなかったようであった。
いっぽうプラティカは貴族ならぬ身分であったが、しかしいずれはゲルの藩主の料理番を務めることが約束されている身だ。藩主の第一子息たるアルヴァッハとも密接な関係であることが鑑みられて、バナームの人々も丁重にもてなす方針に定めたようであった。
もっとも周囲を騒がせることになったのは、やはりデルシェア姫であったらしい。
何せ彼女は、ジャガルの王族なのである。バナームまでの道中やあちらの滞在中に何か危険でも生じたら国際問題にまで発展する恐れがあるのだから、周囲の人々もさぞかし煩悶することになったのだろう。
しかし、こうと決めたら押し通すのが、デルシェア姫の強靭さである。ジェノスの人々もバナームの人々も、デルシェア姫に手綱をつけることはかなわなかったようであった。
「ちょうど父様の使者がジェノスにいらしていたので、わたくしがバナームまで出向くつもりだということはお伝えしておきましたわ! わたくしが自分の意思でバナームに向かうのだと決めたのですから、万が一の事態が生じてもみなさんが責任に問われることはないはずです!」
デルシェア姫は、いつもの元気さでそのように語らっていたらしい。
ちなみにダカルマス殿下の使者とは、ティカトラスと商談するためにジェノスを訪れた人物のことである。デルシェア姫はティカトラスに話がもれないように細心の注意を払いつつ、その人物に自分の心情を伝えていたとのことだ。
ただここで特筆するべきは、デルシェア姫が事前にバナームの一件をわきまえていたことであろう。それはティカトラスの耳をはばかって、固く秘密が守られていたはずであったのに、デルシェア姫は独自の情報網でもってその秘密を突き止めていたのである。デルシェア姫のそばには10名ずつの侍女と兵士しか控えていないはずであるのに、その情報収集能力はそれほどに研ぎ澄まされていたのだった。
「カロンの名産地として知られるバナームでは、どのような食文化が育まれているのか! それを学ぶ機会をみすみす見逃すことはできませんわ! 父様も、わたくしの行いに笑うことはあっても、決してみなさんを咎めることはないでしょう! もしも必要でしたら、わたくしもティカトラス様のように誓約書をしたためましょうか?」
デルシェア姫はそのように主張して、見事に招待客としての座を確保したとのことである。
あとはそれぞれの伯爵家から、リフレイア、トルスト、ポルアース、メリム、リーハイムというお馴染みの顔ぶれを含む6名が選出され、さらにフェルメスも見届け人という名目で同行する旨が、俺たちのほうに伝えられていた。
そしてさらに、最後の特別枠である。
なんと、カミュア=ヨシュとレイトとザッシュマの3名も、招待客に加えられたのだという話であった。
「いやあ、鎮魂祭の翌日にジェノス城まで挨拶に出向いたら、ジェノス侯が気を回してくれてね。俺たちまで招待客の枠にねじ込んでくれたみたいなんだよ」
俺はカミュア=ヨシュ本人から、そのように告げられることになった。
カミュア=ヨシュたちは、ウェルハイドの父親の死の真相を暴くためにあれこれ働くことになった立役者なのである。それでマルスタインが使者を通じてウェルハイドに打診して、そのように取り計らったとのことであった。
「《守護人》が貴族の婚儀に招かれることなんて、そうそうありえないんだけどさ。まあ、アスタたちも招待されるというのなら、これも一興と思ってね。アイ=ファやレイナ=ルウたちがどのように美しい宴衣装を見せてくれるのか、胸が弾んでならないよ」
カミュア=ヨシュはのほほんと笑いながら、そんな風に言っていた。
行動をともにしていたザッシュマは、苦笑していたものである。
「俺はこのひと月余り、ずっとティカトラスって貴族様の動向をうかがうために、あちこち走り回る羽目になってたからな。貴族様の祝宴なんざガラでもないが、自分に褒美をくれてやることにしたんだよ。……それに引き換え《北の旋風》は、美味しいところばかり持っていきやがるよなぁ」
「あっはっは。俺だって、陰では色々と苦労しているのだよ。ともあれ、ウェルハイドの婚儀をともに寿ごうじゃないか」
そんな感じで、ジェノスからバナームにまで出向くメンバーの顔ぶれは決定された。ジェノスとバナームはトトスに荷車を引かせなければ2日で往復できる距離であったため、使者が大急ぎでウェルハイドからもろもろの了承を取りつけることになったのだ。
こちらも大層な騒ぎであったが、きっとウェルハイドたちのほうはそれ以上の慌ただしさであったことだろう。何せ婚儀の数日前に、6名ばかりも招待客が増えることになったのだ。そして俺たちも出発の3日前に、宴料理は200名分から210名分に増量していただきたいという願い出をいただくことになったわけであった。
「俺たちなんかは作れるだけの分量を準備するだけだけど、あっちの料理番の方々は頭を抱えてるかもな」
「ふん。それもティカトラスが巻き起こした騒ぎの余波と言えような」
アイ=ファなどは、仏頂面でそのように語らっていた。
しかしまあ、ティカトラスが参席を願い出ることを恐れて準備期間を犠牲にしたのは、あちらの判断であったのだ。こればかりは、誰を恨むこともできないはずであった。
「それでもけっきょく、デルシェア姫を招待する羽目になっちゃってるしな。ウェルハイドたちは、そんなにティカトラスに参席してほしくなかったのかなぁ?」
「……美しき女人に執着し、誰彼かまわず王都に連れ帰ろうとするような人間を、婚儀に招きたいと思えるか? 風聞でしかティカトラスを知っていなければ、余計に警戒心をかきたてられて然りであろう」
「ふむふむ。アイ=ファも自分が美しい女人だと自覚していたのか。……ああ、ごめんごめん。冗談だから、おしおきは勘弁してくれ。でもアイ=ファも、風聞じゃなく実物のティカトラスを知れば警戒心がやわらぐだろうっていう心境なんだな」
余計な言葉をつけ加えてしまったため、けっきょく俺はおしおきされることに相成った。
そんな感じで、準備期間の5日間はあっという間に過ぎ去って――出発の当日、黒の月の17日である。
バナームに向かう人間は上りの三の刻までにルウ家に集合という話になっていたので、俺とアイ=ファが慌ただしく出発の準備をしていると、大勢の人々が見送りに来てくれた。
「アスタ、アイ=ファ、どうかお気をつけて」
その中で真っ先に声をかけてくれたのは、ユン=スドラだ。
俺は精一杯の思いを込めて、「うん」と笑顔を返してみせた。
「ユン=スドラも、屋台のほうをどうぞよろしくね。ユン=スドラなら、絶対に大丈夫だからさ」
バナームに出立する本日は、奇しくも屋台の休業日となる。つまりユン=スドラたちは、明日から始まる5日間の営業日をまるまる受け持つことになるわけであった。
ただし、食材の買い出しや下ごしらえの仕事などは、前日の今日から始められる。なおかつ、屋台でどのような献立を提供するかは、もちろん事前に取り決めていたが――最近の宿場町は、ダレイム産の食材の供給が不安定である。もしも食材の売り切れなどが生じたら、代用の食材を見つくろうか、あるいは献立を変更するか、臨機応変に対応しなければならないのだ。
だけどユン=スドラであれば、それぐらいのハプニングは力強く乗り越えてくれることだろう。
そのように信じて、俺はユン=スドラに取り仕切り役をお願いしたのだった。
「他のみなさんも、どうかよろしくお願いします。おたがいに、元気な姿で再会しましょう」
そうして俺が数多くのかまど番たちと別れの挨拶をしている間に、アイ=ファはバードゥ=フォウを筆頭とする狩人らと相対していた。
「ではどうか、ブレイブたちとファの狩り場をよろしくお願いする」
「うむ。そちらこそ、くれぐれも気をつけてな。たとえ森辺を離れようとも、母なる森が見守っているぞ」
収穫祭から半月が経過したため、近在の6氏族は数日前から狩人の仕事を再開していた。まあまだ森の恵みは復活しきっていないため、半月ていどは仕掛けた罠を見回るぐらいであるのだが、7日間も狩り場を放置することはできないので、アイ=ファはバードゥ=フォウらに見回りをお願いしているのである。そしてその際には、ブレイブたちを同行させる手はずになっていた。
バードゥ=フォウやブレイブたちであれば、きっと滞りなく仕事を果たしてくれるだろう。
よってアイ=ファは、それとは異なる懸念の目でブレイブたちを見やっている気がした。黒の月の半ばを過ぎた現在も、雌犬のラムにはまだ発情期が訪れていなかったのである。
(まあ、そうでなくともブレイブたちと7日間も離ればなれだなんて、寂しくてしかたないけどな)
俺もまた、最後にブレイブたちの頭を撫で回しておくことにした。甘えん坊のジルベは、特に念入りにだ。その背中で丸くなっているサチは、我関せずとばかりにあくびをしていた。
「では、出発するぞ。皆、どうか息災に」
アイ=ファの号令で、2台の荷車が発進する。バナームまで出向く10名と、荷車を持ち帰る2名の狩人だ。ギルルもこの期間はスドラ家に預けられて、ユン=スドラと行動をともにするように決められていた。
昨日からディン家に滞在していたザザの姉弟も、こちらの荷車に同乗している。おおよその人間にとっては初めての体験となる7日間の遠征であるが、物怖じしている人間は皆無であるようであった。
やがてルウ家に到着すると、そちらにも見送りの人間が大勢おしかけている。そして俺もまた、ダン=ルティムやラウ=レイといった親交の深い人々に激励されることになった。
「トトスで2日もかかる場所にまで引っ張り出されるとは、難儀な話だな! まあせいぜい、バナームなる地の者たちに美味いギバ料理を食わせてやるがいい!」
「本当は俺も同行したいぐらいであったが、ガズランと俺がいっぺんに留守にしてしまっては、ゼディアスが寂しがってしまうのでな! 無事に戻った折には、また生誕の日をよろしく頼むぞ!」
そういえば、我らがダン=ルティムの生誕の日も目前に迫っていたのだ。これまでなんの相談もしていなかったが、ダン=ルティムはまた当然のように俺とアイ=ファを呼びつけるつもりであるようだった。
「無事に戻って、ダン=ルティムの生誕の日をお祝いしたく思います。そちらも、どうかお気をつけて」
「うむ! 家長のガズランが家を空ける分、俺が倍ほどもギバを狩ってくれよう!」
バナームに向かう人間だけではなく、それを見送る人々も、決して気後れは抱いていないようだ。俺たちが無事に戻ってくると、固く信じているのだろう。非力なかまど番の身なれども、俺も全力でその信頼に応える所存であった。
そうして約束の刻限が近づくと、道のほうから城下町のトトス車が現れる。
それを先導していたのは、トトスにまたがったカミュア=ヨシュとレイトであった。
「やあやあ、お待たせしたね! それでは、車にお乗りください!」
「ふむ。カミュア=ヨシュらも、道中は警護の役目を負ったそうだな」
こちらの代表者として、ダリ=サウティが進み出る。さらにその背後には、見送りであるドンダ=ルウも控えていた。
「我々も、半数の狩人はトトスに乗って警護の役目を受け持つ手はずになっているのだが、そちらにも通達されているだろうか?」
「ええ、もちろん! みなさんが乗るトトスは本隊のほうに準備されておりますので、まずは車で移動をお願いします!」
そんな風に言いながら、カミュア=ヨシュはにんまりと微笑んだ。
「森辺の面々とともにトトスを駆けさせるのは、2年以上ぶりですからね! それだけでも、この仕事を引き受けた甲斐があったというものです!」
「うむ。俺としては、偽物の商団の案内役を務めた記憶を思い出してやまんがな」
「ああ! あの際は失礼いたしました! もう森辺の方々に偽りを申したりはしませんので、どうぞ水にお流しください!」
ダリ=サウティは苦笑しながら、他の面々に乗車をうながした。
その間に、今度はドンダ=ルウが進み出る。
「ひさしいな、カミュア=ヨシュよ。全員が無事に戻ってくることを、母なる森に祈っている」
「森辺の狩人が10名も居揃っているだけで、100名の盗賊を返り討ちにすることができましょう! さらに200名の兵士が同行するのですから、ご心配には及びませんよ!」
デルシェア姫を同行させるということで、兵士もそれだけの数が準備されたのだ。俺が知る限り、それだけの兵士を相手取れるような盗賊団はこの世界に存在しないはずだった。
「さあさあ、アスタも乗りたまえ! それに、アイ=ファはどこに行ってしまったのかな?」
「私は、ここだ」と、人垣の隙間からアイ=ファが進み出る。それと一緒に現れたのはルド=ルウとリミ=ルウ、そしてララ=ルウに車椅子を押されるジバ婆さんであった。
「ああ、カミュア=ヨシュ……鎮魂祭では、お世話になったねぇ……森辺の民は外界に馴染みがないから、どうかよろしくお願いするよ……」
「おまかせください、最長老! ルド=ルウとリミ=ルウは、道中よろしくね!」
「……上機嫌なのはけっこうだが、そのように声を張り上げていると、ますますティカトラスに似通っているように思えるぞ」
アイ=ファが仏頂面でたしなめると、カミュア=ヨシュは「あはは」と頭をかいた。
「森辺の民と7日間も旅をともにするのだと考えたら、どんどん楽しい気分になってきちゃってね! アイ=ファの見事な宴衣装にも、期待がつのるばかりだしさ!」
「そのような期待は、ムントにでも喰わせるがいい」
愛想のかけらもない声で応じてから、アイ=ファはやわらかい眼差しでジバ婆さんを振り返った。
「では、行ってくる。必ずリミ=ルウたちと無事に戻ってくるので、どうか心安らかに待っていてもらいたい」
「ああ……アイ=ファやルドたちの力を信じているよ……母なる森に、毎日祈っているからね……」
ジバ婆さんが手を差し伸べたので、アイ=ファは優しくその指先をつかみ取った。その上から、リミ=ルウも笑顔で小さな手を重ねる。
「それじゃーね! ジバ婆もドンダ父さんも、みんな元気で! ララは屋台の取り仕切り役、頑張ってねー!」
「うん。そっちこそね」
ララ=ルウも笑顔で手を上げて、リミ=ルウとハイタッチをした。
俺はジバ婆さんに一礼してから、アイ=ファとともにトトス車に乗り込む。そうして扉が閉められると、見送りの人々のざわめきが遠のいた。
ついに、7日間の旅が開始されるのだ。
俺も気後れはしていなかったが、しかし胸は高鳴りっぱなしであった。
(俺は2年半近くも森辺で暮らしてるのに、ジェノスの外に出るのはこれでようやく2回目だもんな。これは年に1度あるかないかの大イベントってことだ)
そして今回はアイ=ファやルウ家の面々ばかりでなく、さまざまな氏族の人々が同行してくれる。19名もの同胞とともにあれば、俺が気後れする理由はなかった。
やがてトトス車が発進すると、リミ=ルウはこらえかねた様子で「わーい!」とアイ=ファの腕を抱きすくめた。遠征メンバーの最年少であるリミ=ルウは、昂揚もひとしおであろう。アイ=ファはとても優しい顔で、幼き友人の赤茶けた髪を撫でていた。
こちらのトトス車に同乗しているのは、俺とアイ=ファ、ルド=ルウとリミ=ルウ、ジザ=ルウとレイナ=ルウ、ダリ=サウティとサウティの末妹、ラヴィッツの長兄とマルフィラ=ナハムという顔ぶれだ。それらの姿をひと通り見回したジザ=ルウは、やがてラヴィッツの長兄のもとに視線を定めた。
「今回の顔ぶれで、これほど長く森辺を離れたことがあるのは……邪神教団を討伐する仕事に加わった、貴方とガズラン=ルティムのみであるはずだな、ラヴィッツの長兄よ」
「おや。俺の姿などを見覚えていたのか? 次代の族長に見覚えられるとは、光栄な限りだ」
ラヴィッツの長兄はいつもの調子で、すくいあげるような眼差しでジザ=ルウを見返す。この両名も、鎮魂祭や礼賛の祝宴などで顔をあわせているはずであった。
「貴方の評判は、分家のディグド=ルウからも聞いている。さすがいずれの氏族においても、このたびは勇者の力を持つ狩人を選出したようだな」
「ふふん。その代わりに、祝宴ではバナームの貴族たちを脅かしてしまうやもしれんな。まあ、俺やモラ=ナハムよりも、マァムの長兄のほうがさらに厳つい姿であるようだが」
「それもジェノス侯の了承をもらった上でのことだ。マァムの長兄は、ジェノスの城下町の祝宴にも参じた経験があるのでな」
「ああ、闘技会の祝賀会とかいうやつか。しかし、じっくりと時間をかけて交流を深めたジェノスの貴族とは異なり、バナームの連中とは初めての対面となるのだからな。とんでもない蛮族の集団を招いてしまったと、あちらはおぞ気を震うやもしれんぞ」
ラヴィッツの長兄の皮肉っぽい物言いに、ジザ=ルウは「なるほど」と首肯する。
「確かに貴方は腕が立つばかりでなく、頭のほうも回るようだ。貴方のような狩人が同行することを、心強く思う」
「ふん。頭の回転など、ルティムの家長だけで事足りよう。まあ、次代の族長におほめいただき、光栄の至りといったところだな」
つくづく、人を食った御仁である。しかしジザ=ルウを相手にここまで軽口を叩けるというのは、大した心臓であった。
しばらくして、トトス車はゆったりと停車する。
宿場町を通りすぎて、主街道に待機していたバナーム遠征の本隊と合流したのだ。扉が開いてその旨が告げられると、ダリ=サウティが「よし」と立ち上がった。
「最初の半日は、俺とルウの血族が外でトトスに乗る手はずになっている。何も危ういことはなかろうが、こちらは頼んだぞ、アイ=ファにラヴィッツの長兄よ」
厳しい表情で「うむ」とうなずくアイ=ファのかたわらでは、窓の帳を開けたリミ=ルウが「うわあ」と声をあげていた。
「トトスと兵士がいっぱいだー! こんなの、初めて見たー!」
好奇心に駆られて窓の外をうかがった俺は、リミ=ルウと同じ思いを噛みしめることになった。
街道に10台以上のトトス車がずらりと並べられ、その前後をトトスにまたがった騎兵たちがはさんでいるのである。200名の護衛部隊の何割が騎兵に割り振られているのかは知れないが、小さな窓からでは全容を把握できないほどの規模であった。
(城下町の招待客は十数人だから、従者を入れても3台ぐらいの車で収まるはずだよな。それ以外には、兵士と食材なんかが詰め込まれてるわけか)
それに後は、俺たちが祝宴で纏う宴衣装や祝いの品なども持参しているはずだ。
これだけの人数と装備で余所の領地に向かうことなど、きっとジェノスの貴族や兵士たちにとっても当たり前のことではないのだろう。街道には、騎兵たちの抱える緊迫感や昂揚などが熱気となって渦を巻いているように感じられた。
「……それにしても、家人に甘いお前がよくこのような話をすんなり受け入れたものだな、ファの家長よ?」
と、ダリ=サウティらが退出して扉がぴったりと閉められるなり、ラヴィッツの長兄がそのような言葉を飛ばしてきた。
窓にへばりついた俺やリミ=ルウの姿を温かい目で見守ってくれていたアイ=ファは、表情を引き締めてそちらを振り返る。
「我々も、ウェルハイドとは浅からぬ縁を持っていた。そのウェルハイドがアスタを招きたいと言っているのなら、それを邪険に退けることはできまい」
「ほう? しかしこの1年ていどは、そやつと顔をあわせる機会もほとんどなかったという話なのであろう? 家人の安全を引き換えにできるほどの仲であったのか?」
「家人の安全は、私が守る。それに……試食会というもので第1位の座を授かったアスタは、ジェノスのかまど番で1番の力量と見なされたようなものなのであろう。それだけの大きな栄誉には、大きな責任や苦労というものもつきまとうということだ」
そんな風に言いながら、アイ=ファはまた優しい眼差しで俺を見つめてきた。
「この7日間は、お前にいかなる災厄も近づけないと約束する。だからお前は、心置きなくウェルハイドの期待に応えてやるがいい」
「うん、わかったよ」と、俺も心からの笑顔を返してみせた。
リミ=ルウはにこにこと笑っており、ラヴィッツの長兄はにやにやと笑いながら肩をすくめる。そして、レイナ=ルウは早くもきりりと凛々しい面持ちになっており、マルフィラ=ナハムはふにゃふにゃとした笑顔、サウティの末妹は昂揚に頬を火照らせていた。
そんな中、俺たちを乗せたトトス車はゆっくりと動き始め――そうして7日間に及ぶ俺たちの旅が、ついに開始されたのだった。




