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異世界料理道  作者: EDA
第六章 背徳の家
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④肉料理~暴食の徒~

2014.11/11 更新分 1/1

 およそ2時間後、おのおのの分家でギバ・スープを完成させた俺たちは、再び本家のかまどの間に集結した。


 この後は、乾燥を終えたポイタンの焼き作業と、そして肉料理の調理である。


 太陽は、ちょうど中天と日没の中間地点に差しかかっている。

 残り時間は、およそ3時間半ばかり。

 まあ、順調なペースである。


 そして、例の祭祀堂でも、家長会議が開始された頃合いだ。


 アイ=ファたちの健闘を祈りつつ、俺たちは焼きポイタンの調理指導に取りかかる。


「天日にさらしたポイタンはこのように固まりますので、これを水に溶き、半液状に戻します。柄杓で少しずつ調整していき、水をいれすぎないように気をつけてください」


 ポイタンはもう予備がないので、今度こそ焦がしてしまわないよう、細心の注意が必要だった。


 まずはシーラ=ルウにお手本を示していただき、焼きあがったポイタンを少しずつちぎって、試食もしていただく。


「いかがですか? どろどろに煮込んだポイタンとは、まるきり別物でしょう?」


 スン家の女衆は、15名。

 そのうちの半数ぐらいがさざなみていどに表情をゆらめかせ、さらにその半分ぐらいが、はっきりと表情を動かした。


 美味しいと思ってくれているのだろうか。

 そうであることを、ひたすら祈る。


「血抜きをしたギバの肉と、焼いたポイタン。これだけでもう、今までとはまったく違う晩餐をこしらえることが可能でありましょう。では、ポイタンを美味しく焼きあげられるように、各自お願いいたします」


 本家のかまどは7つであったので、今回はもうマンツーマンで指導させていただくことにした。


 15名のスン家の女衆が、交代でポイタンを焼いていく。焦げつきそうになったら、指導役の女衆がフォローする。ここまでべったりとつきっきりで指導してやれば、失敗するほうが難しい。


 そうしておよそ130名分のポイタンを焼きあげるのに、1時間ていどの時間を要した。


 それが終われば、いよいよ肉料理だ。

 まずは、ミャームー焼きの漬け汁の作成である。


「これが、ミャームーです。このミャームーとアリアをこまかく刻んで、果実酒と混ぜ合わせます。分量は、果実酒1本に対して、ミャームーが1本、アリアが1個と半分です。量が量なので、鉄鍋に漬け汁を作って、その中に肉を浸しましょう」


 ミャームー焼きで使う肉は、ひとり頭200グラム弱。まあ、屋台で売る量とほとんど変わらないていどのボリュームである。


 これに、スペアリブを1本ずつと、やはり200グラムていどのモモ肉のステーキ、それに焼いたアリアの添え物で、献立は終了だ。


 ミャームー焼きの肉を漬けている間に、ステーキ用の肉を切りわけていく。この時点で、日没までは、2時間弱。


 順調だ。

 ゆとりをもって設定した調理時間をフルに使って、きっちり作り終えることができそうなペースである。


「料理自体は間に合いそうだね。……だけどさあ、明日からこの女衆たちが自分の意志で美味しい料理を作ろうとするかねえ?」


 と、ミーア・レイ母さんがこっそり囁きかけてくる。


「うーん……晩餐を食べ終えた後に、ほんの数人でもそういう気持ちになってくれればいいんですけど……」


 見通しは、果てしなく暗い。

 というか――この女衆たちに、「意志」や「気持ち」などというものが、どこまで存在するのだろう。


「スンの集落がこんなに遠くなけりゃあ、あたしらが毎日尻を叩きにこれるんだけどねえ」


 さしものミーア・レイ母さんも、いささか元気をなくしてしまっていた。

 ミーア・レイ母さんとしては、ヤミル=スンやツヴァイ=スンのように傲岸な女衆の尻を叩くつもりで、スンの集落に乗りこんできたのだろう。


 しかし、蓋を開けてみれば、このありさまだ。

 どんなに尻を叩いても、痛そうな素振りすら見せそうにない、泥人形のような女衆たち――たったの1日で、彼女たちの意識改革を果たすことなどは、とうてい不可能であっただろう。


「あとはまあ、本家の人間や男衆の反応にもかかってきますかね。何はどうあれ、ミダ=スンは美味しい晩餐を要求し続けるでしょうから。彼女たちには、それに応える義務が生じるはずです」


 そして、ギバの肉を美味しく食したいなら、血抜きと解体の技術を学んで、狩人の仕事をきちんと果たすべし――というのが、男衆に対する意識改革になるわけだが。そちらは、どういう顛末になるだろう。


 アイ=ファは、うまくやっているだろうか。


「アスタ、すべての肉とアリアを切り分けました」と、シーラ=ルウが告げてくる。


「ありがとうございます。……それじゃあ、漬けた肉もそろそろ頃合いなので、そちらを先に焼いてしまいましょう。みなさん、外のかまどに集まってください」


 ミャームー焼きは煙が多いので、屋外のかまどで模範を示すことにした。


「肉を鉄鍋に投入し、焦げつかないように木べらで混ぜながら焼いていきます。最初は少量ずつ焼いたほうがいいでしょうね。……シーラ=ルウ、お願いします」


「はい」と、シーラ=ルウはひと握りの肉をつかみ取って、鉄鍋の中に投じ入れた。


 ミャームーと果実酒の匂いが広がって、何人かの女衆が、ぴくりと肩を震わせる。


「美味しそうな匂いだろう?」


 すぐそばにトゥール=スンの姿があったので、俺はにこやかに呼びかけてみた。


 トゥール=スンは、ガラス玉のような目を、少し頼りなげに泳がせる。


「……とてもいい匂いです」


「うん。今のところ、森辺の民でこの匂いを嫌がる人はいないみたいだね」


 ニンニクに似た強烈な香りのミャームーであるが、男女問わず、森辺では好評なのである。


「焼きあがったら、漬け汁を少し降りかけます。こうすることによって、さらに味を強めることができるわけです」


 ちなみに肉は、宿場町での商品より若干厚めに切っている。漬ける時間も少しだけ短めにした、森辺の民用のレシピだ。


 それに、家長会議に参加するメンバーたちは、スープ用の木皿しか持参していないはずなので、ミャームー焼きもゴムノキモドキの皿で提供することになる。ゆえに、煮詰めた汁を掛けることもしない。この段階でたっぷりからめて、それで終了だ。


「はい。これで完成ですね。それじゃあまた、一口ずつ味見のほうを……」


 そう言いかけた俺の耳に、奇妙な音声がとびこんできた。


 ぉぉぉぉぉ……という、妙に周波数の高い、小鳥の断末魔みたいに奇怪な音色だった。


「何ですか、この音は?」


 ちょっと人垣から外れて、耳をすます。

 その音は、じわじわこちらに近づいてきているように感じられた。


(あ! まさか……!)と、思い至った瞬間に、当たってほしくない予感が的中してしまった。


 家屋の陰から、肉饅頭のごとき巨大な物体がまろび出てきたのである。

 距離は、およそ10メートル。

 人垣から数歩だけ外れた俺の姿が、その肉饅頭にロックオンされる。


「……おおおおぉぉぉぉん……!」と雄叫びをあげながら、肉饅頭が突進してくる。


 それと同時に誰かが「アスタ!」と叫んで、俺につかみかかってきた。

 俺はあっけなく転倒し、無茶苦茶に柔らかい物体に抱きすくめられてしまう。


 目もとにかぶさってくる黒い髪ごしに、狂乱する肉饅頭の姿が垣間見える。


 踏み潰される!――と、俺が全身をこわばらせたとき。

 新たな人影がすうっと進み出て、何か、黒くて細長い物体を振りかざした。


 鉄鍋の運搬で使う、グリギの棒だ。

 栗色の髪をしたその女衆は、とても優美なサイドスローのモーションで、そのグリギの棒を肉饅頭の足もとに投げつけた。


 ひゅんっという鋭い音色とともに、グリギの棒が、象のような足にからみつく。


「ふおおおぉぉぉぉっ!」と新たな雄叫びをあげて、肉饅頭は、転倒した。


 俺たちの鼻先をかすめる格好でごろごろと転がっていき、そこらに生えていた樹木に激突し、停止する。


「まったく……これで本当に人間なのかしらぁ……」


 俺たちの生命を救ってくれた人物が溜息混じりにつぶやきつつ、眠たげに細められた目を、ちらりと向けてくる。


「もう大丈夫よぉ……あいつより先に立ちあがったほうがいいんじゃなぁい……?」


「うん……ありがとう、ヴィナ姉」と、俺の上にかぶさっていた人物が、ゆっくりと身を起こす。


「怪我はありませんか、アスタ?」と、微笑むその人物は――予想通り、レイナ=ルウだった。


「う、うん、そっちこそ大丈夫だった?」


「はい。いきなり突き飛ばしてしまって、すみませんでした」


 俺の腹にまたがったまま、申し訳なさそうに頭を下げる。

 熱い体温と、柔らかい感触。

 この態勢は、否が応にも、ルティムの祝宴を思い起こさせる。


 レイナ=ルウは、最後にじっと俺の顔を見つめてから、ゆるゆると立ちあがった。


「馬鹿ねぇ……そんな庇い方じゃあ、一緒に踏み潰されるだけでしょぉ……?」


「うん。ごめんなさい。やっぱりヴィナ姉にはかなわないなあ」


 ふてくされたような面持ちのヴィナ=ルウと、恥ずかしそうにうつむくレイナ=ルウ。


 そんな姉妹の様子を複雑きわまりない心境で見比べつつ、俺もすみやかに立ちあがった。


「ふたりとも、ありがとうございます。おかげで生命拾いしました」


 ヴィナ=ルウは細めた目できろりと俺をにらみつけてから、肉饅頭のほうに視線を巡らせた。


 肉饅頭――ことミダ=スンが、ぽかんとした顔つきで巨体を起こす。


「あれ……ミダは何をしてたんだっけ……?」


 幼子のように、甲高い声。

 ミダ=スンだ。

 徹頭徹尾、ミダ=スンだ。

 息災そうなのは何よりだが、相変わらずのモンスターっぷりである。


「……ああっ! そうだっ! とってもいい匂い! とってもいい匂いがしたから、ミダは急いで走ってきたんだよ……?」


「晩餐は日が沈んでからだよ! それまでは大人しくしておきな!」


 びんと張った力強い声が、ミダ=スンの惑乱した声を叩き切る。

 ミーア・レイ母さんである。


 ミダ=スンは、潰れた鼻をすんすんいわせながら、樹木に取りすがるようにして立ち上がる。


「でも……ミダは、お腹が空いたんだよ……?」


「だったら、干し肉でもかじってな! 他の男衆だって我慢してるんだから、あんただけを特別扱いするわけにはいかないんだよ!」


 威勢よくまくしたてながら、ミーア・レイ母さんがミダ=スンの前に立ちはだかった。


 女衆にしては立派な体格をしたミーア・レイ母さんではあるが、むろん、ミダ=スンの前では子どものように小さく見えてしまう。


 しかし、頭ふたつ分も高いところにあるミダ=スンの不気味な顔貌を見上げながら、ミーア・レイ母さんはまったく怯んでいない。


「まったく、しつけがなってないね! 前々から思ってたけど、そのだらしない身体は何なのさ? 腹が空いたからって好きなだけ食べてたら身体を壊しちまうよ? あんたもちっとは我慢することを覚えな!」


「……ううん……」と、ミダ=スンはむずがるような声をあげた。


「でも、ミダは……」


「でも、じゃないよ! だいたい、こんな日も高いうちから、あんたはいったい何をやってるのさ!? 狩人だったら、森でギバを追ってる頃合いだろう?」


 正論である。

 しかし、ミダ=スンは、そのぶよぶよと膨れあがった頬を震わせつつ、とても不満そうな声をあげた。


「今日のお仕事は終わったんだよ……ミダは、でっかいギバを捕まえたんだよ……?」


「ふうん? そうなのかい? それじゃあそのギバはどこにやっちまったのさ?」


「ヤミルの家に吊るしてきたんだよ……ほら、嘘じゃないんだよ……?」


 と、ミダ=スンがおもむろにその腰に下げていた棍棒に手を伸ばしたので、俺は反射的に足を踏み出しそうになってしまった。


 その右腕をレイナ=ルウに、左腕をヴィナ=ルウにつかまれてしまう。


 ミダ=スンは、その手の棍棒の先端をミーア・レイ母さんの鼻先に突きつけた。


「ふん……ギバの毛と血がこびりついてるねえ」


「そうだよ……ギバが罠にかかってたから、ミダがとどめをさしたんだよ……?」


 すると、ミーア・レイ母さんはにっこり笑って、ミダ=スンの巨木みたいな腕を、ぽんと叩いた。


「狩人の仕事は立派に果たしたんだね。だったらきちんと美味しい食事を食べさせてあげるから、家で大人しく待ってな。肉は、これから焼くところなんだからさ」


 ミダ=スンは「うへへえ」と気色の悪い声をあげて、また頬肉を震わせた。

 どうやら脂肪が分厚すぎて、まともに表情を動かすことはできないらしい。


 俺の左腕をつかんだヴィナ=ルウの指先に、痛いぐらいの力が込められる。

 気色悪さに、耐えているのだろう。


 そして――ミダ=スンが、俺を見た。

 子豚のように小さな目が、濡れたように輝いている。


「……本当に来てくれたんだね……ヤミルが言ってたのは嘘じゃなかったんだね……」


「……どうも、おひさしぶりですね」


「嬉しいなあ……ミダに美味しいものを食べさせてくれるんだね……?」


「はい。そして明日からも美味しい料理が食べられるように、スン家の方々にその作り方を教えている最中だったのですよ?」


 俺の言葉が理解できたのかどうか、ミダ=スンは「嬉しいなあ……」と繰り返すばかりだった。


「さ、わかったら家でいい子にしてな。こっちは仕事が山積みなんだからね」


 ミーア・レイ母さんの言葉に、「うん……」と今度は下顎を蠢かせる。

 うなずいたつもりなのかもしれないが、脂肪が邪魔をしてそれもかなわないのだろう。


「約束だよ……? ミダにいっぱい美味しいものを食べさせてね……?」


「はい。楽しみにしていてください」


 ミダ=スンは、のろのろときびすを返そうとした。

 俺は、ほっと安堵の息をつき――

 そして、電撃のような想念にとらわれた。


「あの、ミダ=スン! もしも本家のほうでアリアが余っていたら、それを銅貨で買わせていただけませんか?」


 ミーア・レイ母さんが、いぶかしそうに振り返る。

 ミダ=スンも、身体ごとこちらに向きなおる。


「実はさっき、アリアを地面に落としてしまって、少しだけ数が足りなくなってしまったのです。もしもこちらでアリアの余分があったら、それを買わせていただきたいのですよ。……いかがでしょう?」


「……食糧庫には、かんぬきが掛けられてるんだよ……?」


 甲高い声で、ミダ=スンはそう言った。


「ミダがつまみ食いできないように、かんぬきが掛けられちゃってるんだよ……?」


「そうですか。それは残念です。……アリアって美味しいですよね?」


 ミダ=スンは、動物のように感情の読めない目を瞬かせる。


「……ミダは、野菜の名前を知らないんだよ……?」


「そうでしたか。以前に宿場町で買っていただいた料理に使われていたあの野菜が、アリアです」


「……ふうん……」と、ミダ=スンは興味なさげに小さな唇をとがらせる。


「……かんぬきを外したいなら、ヤミルを呼んでくるんだよ……?」


「あ、いえ、けっこうです。それなら残っている分でやりくりしてみます。……どうもありがとうございました」


 ミダ=スンは、「お腹が空いたなあ……」とか何とか切なそうにつぶやきながら、立ち去っていった。


「ずいぶんとまた頭の足りそうな子どもだねえ。……でも、なかなか可愛いところもあるじゃないか?」


「……冗談はやめてよぉ……」と、ヴィナ=ルウは俺の腕をつかんだまま、へたりこんでしまう。


「ううぅ、気持ち悪い……どうしていつもあの末弟が出てくるのよぉ……」


「あはは。ヴィナ姉は本当にあの末弟が苦手なんだね」と、レイナ=ルウは無邪気に笑っている。

 やはり、俺の右腕をつかんだまま。


「ところで、アスタ、そんなにアリアが足りないのかい? 肉の添え物にはあれだけあれば十分な気もするけど」


 不審顔のミーア・レイ母さんに、俺は愛想よく笑い返してみせた。


「そうですね。なければないで全然かまいません。今ある分だけで間に合わせてしまいましょう」


 もちろん、8名分のキャンセルが出てしまったのだから、アリアはまったく不足していない。


 美しい姉妹に両腕を捕らわれたまま、俺は後方に視線を飛ばす。

 かまどの間の隣り。ぴたりと閉ざされた食糧庫の戸板に。


(かんぬきが掛けられてるって……だったら、あの食糧庫はどこから出入りができるようになっているんだ?)


 俺の中に膨らんだ疑念は、そこでようやく不明瞭ながらも形を得ることができたようだった。

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