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異世界料理道  作者: EDA
第七十一章 碧落の婚礼
1219/1705

前準備②~思案~

2022.7/5 更新分 1/1

 ドンダ=ルウいわく、ウェルハイドの使者というのは先月の末あたりにジェノスを訪れていたらしい。

 ウェルハイドの婚儀における宴料理を、森辺のかまど番に準備してほしいと――そのような願いを携えて、ジェノスの領主たるマルスタインに面談を求めていたのである。


 しかしその頃のジェノスは、ティカトラスの猛威にさらされていた。ジェノス城を出たティカトラスが森辺の集落に滞在し、ジェノス全土を駆け巡っていた時期であったのだ。


 もしもティカトラスがこの一件を耳にしたならば、自分も参席したいと言い出すかもしれない。

 なおかつ、当時の森辺の民はティカトラスを合同収穫祭に招こうとしているさなかであり、それなりの気苦労というものを負っていた。

 そしてティカトラスは、いずれダカルマス殿下からの使者が到着したならば、ジャガルのコルネリアに向かうつもりであると、そんな言葉をこぼしていたため――ティカトラスがジェノスを出立するまではこの一件を秘匿するべきではないかと、マルスタインがそのように提案したのだそうだ。


 マルスタインの提案を受け入れた使者は、一日千秋の思いで待機していたことであろう。

 そうして2日前、ついにダカルマス殿下からの使者が到着し、ティカトラスの出立は本日、黒の月の11日になると定められた。

 それでマルスタインは前日の10日、鎮魂祭のさなかにこっそりとルウ家に事情を通達し、本日ウェルハイドの使者と面談してほしいと願ってきたわけであった。


「期日は、黒の月の20日。200名の客が参ずる婚儀の祝宴の宴料理を準備してほしいという願い出だ。むろん、森辺のかまど番だけですべての宴料理を準備するには相当な人数が必要になってしまおうから、10名のかまど番で可能な限りの宴料理を準備してほしいとのことだ」


 ドンダ=ルウは、厳粛な面持ちでそのように語らった。


「また、その祝宴にはジェノスの貴族らも招かれる。ジェノスからバナームまでは荷車で2日の距離となるが、森辺の民は貴族たちとともに警護されるので心配は無用――とも言いたてていたな」


「しかし、そのような遠方の地にかまど番だけを送りつけることは許されまい?」


 アイ=ファがすかさず口をはさむと、ドンダ=ルウは「わかっている」とばかりに重々しくうなずいた。


「ウェルハイドは、宴料理を準備するかまど番たちも客人として祝宴に参ずることを望んでいる。そしてその際は、かまど番と同数の狩人を同伴させてほしいそうだ。要するに、かまど番と狩人を10名ずつバナームという地に招待したいという願い出であるわけだな」


「なるほど。しかし、片道で2日もかかるとなると……ずいぶんな日数、森辺から離れてしまうことになろうな」


 ダリ=サウティの言葉に、ガズラン=ルティムが「はい」と応じる。ガズラン=ルティムも朝方からルウ家に参じて、ともに使者からの言葉を聞いていたのだそうだ。


「バナームへの往復で4日間、あちらでの滞在が3日間ということで、合計7日間となります。黒の月の17日の朝方に出立し、23日の夜に帰還するということですね」


「ふむ。あちらで3日も滞在しなければならんのか?」


「はい。祝宴の前後に1日ずつ休養の日を設けるというのが、貴族の習わしであるようです。ティカトラスなどは、今日の中天になるなりジェノスを出立したそうですが……彼は貴族の流儀から外れた存在であるのでしょう」


 そうして穏やかな微笑を振りまいてから、ガズラン=ルティムはさらに言葉を重ねた。


「また、かまど番に関してはアスタ、レイナ=ルウ、トゥール=ディンの3名のみ、ウェルハイドからじきじきに指名されています。ウェルハイドはたびたびジェノスを訪れているそうですので、そちらの3名の力量を聞き及んでいるのでしょう」


 レイナ=ルウはたちまち瞳を輝かせていたが、もちろん他なる族長たちの前で粗相をすることはなかった。


「あとは……料理の内容に関しては、こちらに一任するとのことです。バナームにはジェノスほどさまざまな食材が存在しないため、必要な食材はジェノスの貴族たちがあらかじめ準備してくださるそうです」


「料理の指定は、なしですか。バナームの方々はギバ料理にも馴染みがないはずですが……のきなみギバ料理でもかまわないのでしょうか?」


 俺が口をはさむと、ガズラン=ルティムは「ええ」とうなずいた。


「むしろウェルハイドは、ギバ料理を望んでいるそうです。そうでなければ、森辺のかまど番に宴料理の準備を願うこともないのでしょう」


 そういえば、かつてウェルハイドは使節団の面々にもギバ料理の素晴らしさを思い知らせたいと熱くなっていたことがあったのだ。それもまた、2年ぐらいは昔の話であるはずであった。


「これでおおよその話は伝えられたように思う。まずは族長の身として、グラフ=ザザとダリ=サウティの意見を聞かせてもらいたい」


 ドンダ=ルウがそのようにうながすと、ダリ=サウティは「そうだな」と変わらぬ沈着さで応じた。


「我々がスン家の悪行を見逃していたため、ウェルハイドの父親は魂を返すことになった。しかしウェルハイドは森辺の民に恨みを向けることなく、サイクレウスとシルエルを打倒するために手を携えてくれた。その後もアスタは、ウェルハイドと交流を紡いでいたはずだな?」


「はい。黒いフワノや白いママリアの酢および果実酒の使い道を考案してほしいと、ウェルハイド本人から願われることになりました」


「うむ。そのように遠方の地に同胞を出向かせるのは、いささかならず懸念を覚えるところだが……俺は今後も、ウェルハイドとは正しく絆を深めたく思う」


「では、グラフ=ザザはどうであろうか?」


「……10名もの狩人を、7日間もギバ狩りの仕事から外すことになるのだな。しかしまあ……我々は猟犬のおかげもあって格段に収獲量が上がっているのだから、そのていどでジェノスの田畑が脅かされることにはなるまい」


 そんな風に言ってから、グラフ=ザザはドンダ=ルウをにらみ返した。


「それで、ドンダ=ルウはどのように考えているのだ? そちらは事前に話を聞いた分、俺たちよりも腰を据えて思案することがかなったのであろう?」


「ルウの家は、すでにバナームへと分家の狩人を向かわせたことがある。このたびはかまど番を守るという責任も生じるが、他の氏族よりは尻込みする理由もなかろうな」


 ドンダ=ルウが言っているのは、当のウェルハイドを初めてジェノスに迎えた際の話であった。サイクレウスたちとの対決の場にウェルハイドを同席させるために、カミュア=ヨシュはひそかにバナームへと旅立ち――その際に、ルウの分家の狩人を何名か同行させていたのである。


「では、ファの家としてはどうであろうか? ウェルハイドに名指しで招かれている以上、そちらの意向も聞き届けなければなるまい」


 ドンダ=ルウに鋭い眼光を向けられると、アイ=ファはそれに負けないぐらいの眼光で見返した。


「……三族長がウェルハイドの願い出を聞き届けると判じたならば、私もファの家長としてその言葉に従おう」


「ふむ。そちらが頑なに拒むならば、アスタを外すように交渉するという道も残されているが……それは必要ないということだな?」


「それでは、我々の信義が問われよう。むろん、7日も森辺を離れるというのは、まったく意に沿わない行いであるが……私も、ウェルハイドとの絆を重んじたく思う」


 ドンダ=ルウは「そうか」とうなずき、他の面々を見回した。


「では、我々はウェルハイドからの願い出を了承する。見届け人の3名も、異論はなかろうか?」


 ガズラン=ルティムもバードゥ=フォウもベイムの家長も、異議を唱えようとはしなかった。

 ただし、バードゥ=フォウが「しかし」と声をあげる。


「ウェルハイドの願い出を了承することに異議はないが、一点だけ気にかかることがある。その7日間は、やはり宿場町における屋台の商売を休むことになるのであろうか?」


 珍しくも、三族長の全員が虚を突かれた様子である。

 そこで「そうですね」と応じたのは、聡明なるガズラン=ルティムであった。


「アスタにレイナ=ルウにトゥール=ディンというのは、全員が屋台の商売の取り仕切り役となります。さらに、残りの7名も力のあるかまど番が選出されるのでしょうから……これではやはり、屋台の商売を行うことは難しくなるのでしょうか?」


「うーん、どうでしょう。1日や2日ならともかく、7日間となると……最近では、帳簿をつけるという仕事も加えられていますし……どれだけ力のあるかまど番に留守を任せても、負担が大きすぎるかもしれません」


「では、ルウ家のほうはいかがでしょう?」


「そうですね……ララとリミに留守を預けられれば、何とかなるかと思いますけれど……その場合は、バナームに向かうかまど番をのきなみ小さき氏族の方々にお願いすることになってしまうかもしれません」


「大丈夫だよ」と力強く応じたのは、ララ=ルウであった。


「なんだったら、リミもそっちに連れていってあげれば? そのほうが、トゥール=ディンも心強いだろうしね。こっちにはマイムとツヴァイ=ルティムを残してくれれば、それで十分だよ」


 レイナ=ルウがびっくりまなこで振り返ると、ララ=ルウはそれを安心させるように白い歯をこぼした。


「あたしなんて、かまど番としてはからきしだけどさ。偉そうに口を出すのは得意だから、レイナ姉がいなくてもきっちり取り仕切ってみせるよ」


 すると、レイナ=ルウも「そうだね」と微笑んだ。


「もう取り仕切り役としては、わたしよりもララのほうが立派に果たせるもんね。それじゃあ、ララにまかせるよ」


「うん! まかせといて!」


 そのやりとりを見届けてから、ガズラン=ルティムは俺を見つめてきた。


「では、ファのほうはいかがでしょう? かつてアスタが『アムスホルンの息吹』に倒れた際は、他なる氏族の人間だけで長期にわたる屋台の商売を手掛けていたはずですが……たしかあの際には、トゥール=ディンとユン=スドラの両名が取り仕切っていたのですよね?」


「はい。あのふたりがそろっていれば、まったく問題はないかと思いますけれど……でも、トゥール=ディンはいまや独自に屋台の商売を取り仕切る立場ですし、そもそもバナーム遠征のほうに組み込まれてしまうのでしょうしね」


「では、どうあっても屋台を出すことは難しくなってしまうのでしょうか?」


「うーん、どうしてもという話でしたら……人員を上手く割り振れば、何とかなるかもしれませんけれど……」


 俺の脳裏に浮かぶのは、もちろんユン=スドラの姿である。

 きっと今のユン=スドラであれば、トゥール=ディンの力がなくとも7日間の仕事を果たすことができるだろう。

 しかしユン=スドラは、かつてダバッグへの小旅行に参加できなかったことを、非常に残念がっていたのだ。それでこのたびまで居残りをお願いされてしまったら、いったいどれだけ気落ちしてしまうかと、俺はそんな風に懸念してしまっていた。


「……ルウの家で屋台を出せるのであれば、ファとディンが屋台を休んでも問題はないのではないか? 最近は、宿屋の出す屋台も評判を呼んでいるのであろう?」


 と、俺の苦悩を見かねた様子で、バードゥ=フォウがそんな風に発言した。

 しかしガズラン=ルティムは、「いえ」と首を横に振る。


「ジャガルの王族ダカルマスの試食会というものを終えて以来、アスタの評判はいっそう高まっているように思います。ファの家の屋台が7日間も休んでしまったら、宿場町を訪れる人々を大きく失望させてしまうのではないでしょうか?」


「ふむ。ルウ家の屋台だけでは、用事が足りんというのか?」


「はい。アスタとレイナ=ルウとトゥール=ディンは、それぞれ別の立場で試食会に臨み、それぞれが結果を出しています。ゆえに、その3名の屋台にはそれぞれ別なる期待が寄せられているようなのです。アスタの料理を期待する人間とレイナ=ルウの料理を期待する人間が別々に存在すると言えば、理解しやすいでしょうか」


「しかし、レイナ=ルウとて、ジェノスを離れることになるのだぞ?」


「ですがレイナ=ルウは、現在でもララ=ルウと日替わりで町に下りています。町の人々にとっては、ルウの屋台すなわちレイナ=ルウの料理という認識であるのです。さらに言うならば、マイムもまた個別の立場で試食会に臨んでおり、昔日には個別の立場で屋台を出していたため、こちらもマイム個人の料理として認識されている節があります。ですから、ルウ家で出している屋台の2台がレイナ=ルウの料理で、1台がマイムの料理と見なされているわけですね」


 バードゥ=フォウが困惑気味に口をつぐむと、今度はダリ=サウティが声をあげた。


「さすがガズラン=ルティムは、宿場町の様相をこまかに把握しているのだな。鎮魂祭では、2日目しか宿場町に下りていないのであろう?」


「はい。ですが、昨晩だけでもさまざまなことを知ることができました。おそらくアスタ自身も把握していないかと思われますが……昨晩には、半月以上もかかる土地からアスタの料理を食しに来た、南の民というものが存在したのです」


 それは本当に初耳の話であったので、俺はバードゥ=フォウたちと一緒に目を丸くすることになった。


「それは食材の流通と料理店の経営を同時に手掛ける人物であり、ダカルマスとも懇意にしているそうです。それでダカルマス自身からアスタの評判を聞き及び、半月以上もかけてジェノスを訪れたのだそうです。日中にはギバの丸焼きしか出されていなかったため、このままアスタの料理を口にできないのではないかと不安だった――と、その人物はそのように語らっていました。ですから、ファの家が7日間も屋台を休むとなると、そういった人々を大きく失望させてしまう恐れがあるのです」


「しかし……アスタとて、多忙な身であるのだ。わけあって屋台を休んだとしても、それを咎められる筋合いはあるまい?」


「もちろんです。しかし、アスタがバナームに招かれる一件は、おそらく宿場町でも大きく取り沙汰されるでしょう。すると、アスタが屋台を休んだのはバナーム侯爵家のせいだという話になり……そちらに非難の目を向けられる恐れがあるのではないでしょうか?」


 徹頭徹尾、沈着かつ穏やかな面持ちで、ガズラン=ルティムはそのように述べたてた。


「我々はウェルハイドと正しく絆を深めるために、その願い出を了承しようとしています。であれば、ウェルハイドの立場に支障が生じないように、最大限の力を尽くすべきではないかと思います」


「ふん……まあ確かに、貴族に反感を抱く人間は少なくないのだろうからな。そういう人間であれば、いっそうの反感をかきたてられそうなところだ」


 そんな風に言いながら、グラフ=ザザがガズラン=ルティムの顔をじろりとにらみつけた。


「それで……ガズラン=ルティムの言葉を信じるならば、ディンの屋台にも同じだけの期待がかけられているはずだな?」


「もちろんです。トゥール=ディンはアスタと同じだけの栄誉を授かったのですから、同じだけの期待をかけられていることでしょう。また、森辺の屋台において菓子を出しているのは彼女だけなのですから、なおさらです」


「では、そちらに関しては俺みずからがトゥール=ディンやディンの家長と語らせてもらおう」


 厳しい表情を保持しつつ、どこか誇らしげな眼差しを覗かせながら、グラフ=ザザはたくましい腕を胸の前で組んだ。

 そんなグラフ=ザザの姿を見届けてから、ドンダ=ルウは圧力のある眼差しで俺を見据えてくる。


「ずいぶん大仰な話になってしまったが、貴様ひとりに責任を負わせるつもりはない。その上で問わせてもらうが……貴様ぬきで屋台の商売を行うことは、可能か?」


「……それは、即答しかねます。バナームに同行してもらうかまど番と留守を預けるかまど番を、入念に検討して……その上で、お答えしたく思います」


「よし。それはかまど番の領分だ。貴様たちは別の場で、もっとも正しいと思える形を整えるがいい」


 俺は「はい」とうなずいて、立ち上がろうとした。

 すると、ダリ=サウティがゆったりと笑いながら声をかけてくる。


「アスタよ。かなうことなら、バナームに向かう10名の中にサウティの女衆をひとりだけでも組み入れてもらいたい。もちろん力不足ということなら、その限りではないがな」


「いえいえ。いつもの分家の彼女でしたら、ありがたいぐらいです。彼女でしたら、バナームの祝宴に参席することにも物怖じしないでしょうしね」


「であれば、スフィラはどうであろうか?」


 すかさずグラフ=ザザが声をあげてきたので、俺は同じ笑顔を返すことになった。


「スフィラ=ザザも、同様です。やはりザザからは、ゲオル=ザザとスフィラ=ザザを参席させるのですか?」


「これほどの話を見届けさせるには、あのふたりが適任であろう。……ダリ=サウティは、自らが出向くつもりであろうか?」


「うむ。ひとりぐらいは族長本人が参じたほうが、ウェルハイドに礼を尽くすことになろうよ」


 ダリ=サウティたちも、それだけの覚悟でこの一件を了承したのだ。

 俺はいっそう気持ちを引き締めて、レイナ=ルウやララ=ルウとともに退室することになった。

 母屋を出た俺たちは、木陰に陣取って緊急ミーティングである。その際には、ララ=ルウが熱っぽく語らってくれた。


「こっちはレイナ姉にあらかじめ献立を決めてもらえれば、問題なく回せると思うよ。それで、1日に必要な当番は8人だからさ。レイナ姉とリミが抜けるとしても、もう2人ぐらいはそっちに回せるんじゃないかな」


「でもそれだと、他の人たちの休みが取れなくなっちゃうんじゃないかな?」


「別に、7日間ぶっ続けで屋台を出すわけじゃないでしょ? これまで通り、6日にいっぺんを休みにしとけば、どうってことないさ。どの女衆だって、本当は毎日でも屋台の商売に加わりたいって思ってくれてるからね」


「そっか。ルウの血族で4人、サウティとザザからひとりずつ、あとは俺とトゥール=ディンで……残りは、ふたりか。それだったら、こっちでも屋台のほうに十分な人員を残せるだろうけど……」


「問題は、ファの屋台の取り仕切り役だよね。やっぱりユン=スドラにお願いするつもりなの?」


 さすがララ=ルウは、こちらの情勢までしっかり把握しているようであった。

 俺は再び、「うーん」と思い悩んでしまう。


「そうなんだよね。調理の腕だけならマルフィラ=ナハムやレイ=マトゥアも負けてないんだけど、場を取り仕切る力っていうと……どうしても、ユン=スドラの力が必要かなぁ」


 マルフィラ=ナハムも血族が相手であれば立派に取り仕切れるのだが、よその氏族の人間には若干の遠慮が生じてしまう。そしてレイ=マトゥアは、いまだ14歳の若年であるのだ。場を取り仕切る能力で言えば、年長者でキャリアも長いラッツの女衆のほうがまさっているぐらいかもしれなかった。


「アスタは、ユン=スドラに留守をまかせることに気が進まないのですか?」


 レイナ=ルウが不思議そうに問いかけてきたので、俺は「いや」と曖昧に首を振る。


「そういうわけじゃないんだけど……ただ、迷ってるんだよ。バナームで宴料理を作りあげる機会なんて、今後もそうそうありえないだろうから……そういう経験を積んだほうが、ユン=スドラのためになるかもしれないし……」


「であれば、ユン=スドラ本人に心情を問うてみてはいかがでしょうか? スドラはファの血族ではなく友であるのですから、そのように取り計らうのがもっとも正しいように思います」


 と、レイナ=ルウがふいにあどけない笑顔となって、そんな風に言いだした。

 その表情の真意は、いまひとつ汲み取れなかったのだが――俺は「そうだね」とうなずいてみせた。


「俺はあくまで仕事をお願いする立場なんだから、ひとりで思い悩んでてもしかたがないね。ここは本人と、腹を割って話してみるよ」


「うんうん。それじゃあ、ドンダ父さんたちのところに戻ろうか」


 そうして俺たちが本家の広間に舞い戻ると、「ずいぶん早かったな」というぶっきらぼうな声に出迎えられることになった。


「はい。屋台の取り仕切り役をお願いできそうな女衆と、まずは直接話してみようかと思います。今日中には、答えをもらえるはずですので」


「そうか。こちらはチル=リムの一件を取り沙汰しているところだ。もう半刻もかからずに話は終わるだろうから、用事が済んだのならかまどの仕事でも果たすがいい」


「あ、それなら俺もそちらのお話に――」


「それぞれの氏族にどういった言葉を回すべきか取り沙汰しているのだから、貴様の意見は必要ない」


 ということで、レイナ=ルウとララ=ルウは勉強会に戻り、俺は寝所でコタ=ルウとおしゃべりをしながら会議の終わりを待つことになった。

 愛くるしいコタ=ルウやサティ・レイ=ルウとぞんぶんにおしゃべりを楽しみつつ、俺の頭からはユン=スドラの存在が離れない。ガズラン=ルティムの言葉に強い説得力を感じつつ、俺はやっぱりユン=スドラ本人の心情を重んじたかったのだった。


 それから半刻ほどが過ぎ、族長会議は無事に終了する。

 コタ=ルウたちに別れを告げた俺はブレイブたちと一緒に荷車に乗り込みながら、御者台のアイ=ファに声を投げかけた。


「アイ=ファ、まずスドラの家に向かってもらえるか? ユン=スドラと相談して、今後の方針を定めようと思うんだ」


「承知した」と、アイ=ファは荷車を発進させる。

 あれこれ頭を悩ませながら、俺はチル=リムの一件がどのように決着したのかを聞いておくことにした。


「話がどのように転ぼうとも、マルスタインに秘密を打ち明けるべしという話にはなるまい。グラフ=ザザは、最後まで厳しい態度であったが……あちらはチル=リムともディアとも顔をあわせていないのだから、致し方のないことだ。復活祭にてチル=リムらと対面すれば、グラフ=ザザも覚悟を固めてくれよう」


「そっか。族長っていう立場だったら、それぐらい慎重になるのが当然だよな。ダリ=サウティがすんなりカミュアの提案を受け入れてくれてたから、俺もちょっと甘く見てたよ」


「うむ。族長らは、森辺の同胞の行く末を担っているのだからな。ダリ=サウティの寛容さも、グラフ=ザザの慎重さも、どちらも正しい姿勢であるのだ」


 ギルルを軽快に走らせながら、アイ=ファはそのように言いたてた。


「また、それぞれの氏族にどういった言葉を回すかについてだが……やはりそれは、それぞれの家長にゆだねられることになった。氏族によっては、家長だけが胸に留めて家人にはいっさい語らないということもありえよう。よって、真実を知らぬ可能性のある人間の前では、チル=リムについて語ることを禁じられた。お前もうかうかと語らぬよう、固く心を引き締めるのだぞ」


「うん、わかったよ。この半年間だって、俺たちはずっと口をつぐんでいたんだからな。それでチル=リムが平和に過ごせるなら、どうってことないさ」


 そんな言葉を交わしている内に、スドラの家に到着した。

 時刻は、下りの三の刻の半ていどであろうか。普段であれば、勉強会に励んでいる頃合いだ。しかし今日は鎮魂祭の翌日ということで、明日の下ごしらえをお願いした数名のかまど番以外は完全にオフの日としていたのだった。


 表の広場には、誰の姿も見られない。スドラの家も休息の期間であったが、ルウ家のように表を走り回るような幼子も存在しないのだ。フォウとランから嫁を迎えて11名となった家人に、2名の赤子たち。それがスドラのすべての家人であった。


 まずは本家におもむいて、母屋の戸板をノックする。

 すると――ユン=スドラ本人が顔を出したものだから、俺は思わずドキリとしてしまった。


「ああ、アスタにアイ=ファ。荷車の音がしたので、誰かと思っていました。もしかして、リィと赤子たちに会いに来てくれたのですか?」


 そう言って、ユン=スドラはとびきり無邪気に微笑んだ。


「わたしも今、リィに鎮魂祭のさまを伝えていたのです。それに、鎮魂祭の間はリィと語らう時間も取れなかったので、魂を返した家人たちについても語らっていました」


「ああ、そっか。お邪魔しちゃってごめんね。実は、ユン=スドラに用事があって来たんだけど……」


「わたしにですか? 明日からの商売に、何か変更でも?」


 ユン=スドラは小首を傾げつつ、表に出てきて戸板を閉めた。

 俺は意を決し、ここまでの道行きで思案しまくった言葉を口にする。


「実は今まで、ルウ家の族長会議で話を聞かせてもらっていたんだ。今日の朝方、バナームからの使者が来ていたそうで――」


 俺の言葉を聞く内に、ユン=スドラは見る見る驚嘆の表情になっていった。


「バナームで、婚儀の宴料理を作りあげるのですか! それは、とてつもない大役ですね!」


「うん。それでね、バナームには10名のかまど番が出向くことになるから、その期間の屋台はどうするべきかって話になって……ファもルウもディンも、それぞれ可能な範囲で通常通りに屋台を出すべきだってことになったんだ」


「え? ですが、アスタはバナームに向かわれるのでしょう?」


「そう。だから、ファの屋台に関しては、誰かに留守を預けなくっちゃいけないんだ。それで、ユン=スドラは……バナームまで出向くのと、こっちで留守を預かるのと、どっちが望ましいだろう?」


 ユン=スドラは、きょとんと目を丸くした。


「それはもちろん、わたしは自分に割り振られた仕事に力を尽くしたく思いますが……でも、留守を預かるというのは……?」


「俺の代わりに、屋台を取り仕切る人間が必要なんだ。もしユン=スドラが引き受けてくれるなら、何も問題が生じないように――」


「わたしに、7日間の留守を預けてくれるのですか!?」


 ユン=スドラは、ほとんどつかみかからんばかりの勢いで詰め寄ってきた。

 その勢いに圧倒されながら、俺は「う、うん」とうなずいてみせる。


「ユン=スドラだったら、安心してまかせられるからね。でも、ユン=スドラがバナームまで出向きたいなら――ユ、ユン=スドラ?」


 慌てて声をあげる俺の目の前で、ユン=スドラはぽろぽろと涙を流してしまっていた。


「も、申し訳ありません。アスタがわたしに、7日間も屋台をまかせてくださるなんて……あまりに光栄だったので……」


「そ、そっか。でもユン=スドラは、ダバッグ遠征に参加できなかったことを、すごく残念がっていただろう? だから、バナームまで出向くことを希望するかなって思ってたんだけど……」


「そうですね。バナームがどのような地であるのか、とても興味を引かれます。ジェノスの外に出る機会なんて、今後もそうそうないのでしょうしね」


 そうしてユン=スドラは頬を濡らす涙をぬぐおうともしないまま、心から幸福そうに微笑んだのだった。


「でも……それ以上に、アスタから屋台の商売をまかされることを嬉しく思います。必ずアスタの信頼に応えてみせますので……どうか、わたしにおまかせください」


 俺はようやく、レイナ=ルウのあどけない笑顔の意味を理解できたような気がした。

 きっとレイナ=ルウは、ユン=スドラがこのように反応することを予測していたのだ。確かにユン=スドラは、大きな仕事をまかされることを誰よりも誇りに思う人間であったのだった。


(でも、バナームまで出向くことより、居残りを受け持つことを、こんなに喜んでくれるなんて……俺は本当に、ユン=スドラの気持ちを理解できてなかったんだな)


 俺はそれを心から申し訳なく思いながら、ようやく涙をぬぐい始めたユン=スドラに笑いかけてみせた。


「引き受けてくれて、ありがとう。それじゃあ、俺の留守はユン=スドラにお願いするね」


 ユン=スドラは輝くような笑顔で、「はい!」と元気に答えてくれた。

 そうして俺は、来たるべきバナーム遠征に向けて最初の一歩を踏み出すことになったのだった。

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[気になる点] いつかマルスタインにバレたら 叛逆の意思ありと見做され、王国の敵になるやつですねえこれ
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