前準備①~依頼~
2022.7/4 更新分 1/1 ・12/15 誤字を修正
・今回は全7話の予定です。
王都の貴族ティカトラスの発案によって開催された、冥神の鎮魂祭を無事に終え――その翌日である黒の月の11日、俺とアイ=ファはファの家でのんびりとくつろいでいた。
屋台の商売は休業日であったし、狩人の仕事は休息の期間であったため、俺たちは誰の目をはばかることなく、2日にわたってジェノスを騒がせた鎮魂祭の疲れを癒やすことがかなったのである。
ちなみにその前夜は、宿場町から戻ったのちもずいぶん夜ふかしをすることになった。俺とアイ=ファは鎮魂祭の作法を正しく実践するべく、心ゆくまで故人について語らうことになったのだ。
俺は母親について語り、アイ=ファは両親について語った。さらには、テイ=スンやザッツ=スン、サイクレウスやシルエルについても語らった。最後の最後で娘のリフレイアを思いやる人間らしさを垣間見せたサイクレウスと異なり、シルエルに対しては悪い思い出しか抱えていなかったのだが――そこで区別をつけないというのが、鎮魂祭の作法であったのだ。
いったいどれだけの時間を語らったのか、夜間では日時計も役立たずであるため、まったく見当もつかない。しかし何にせよ、こうまで夜ふかしをするのは復活祭の最終日たる『滅落の日』以来であったことだろう。正直に言って、俺はいつ寝入ってしまったのかも記憶になく――翌朝には、その腕にアイ=ファの身体をしっかりと抱きすくめながら、同じ寝具の上で目覚めることに相成ったのだった。
ここ最近は、アイ=ファの抱きつき癖が発露されることもずいぶんなくなっていた。しかし昨晩は亡くした両親のことをさんざん語らったため、アイ=ファも子供に返ってしまったのだろうか。
あるいは、俺のほうからアイ=ファの温もりを求めたのかもしれない。俺だってアイ=ファとまったく同じ立場であったのだから、アイ=ファばかりを一方的に甘えん坊あつかいすることはできないはずだった。
ともあれ、俺たちはそうしておたがいの温もりに包まれながら目覚めることになった。
おそらく、普段より三刻ばかりは遅い起床であったのだろう。表に出てみると、太陽はそれなりの高さにまでのぼっていた。土間でくつろいでいた人間ならぬ家人たちも、戸板を開くと喜び勇んで飛び出していったものである。
朝の仕事をのんびりと片付けながら、俺は外界の人々に思いを馳せた。
本日、ティカトラスとその従者たちは、ミソ売りの行商人たるデルスのもとを目指してジャガルのコルネリアに出立し――そして、チル=リムとディアを含む《ギャムレイの一座》もまた、いずことも知れずに旅立ってしまうという話であったのだ。
(だけどまあ、ティカトラスたちはひと月ていどで戻ってくるっていう話だったし……《ギャムレイの一座》も、あと2ヶ月ていどで復活祭だからな)
だから俺は、離別の寂しさよりも次の再会に対する喜びの気持ちを胸に抱くことができた。
「このひと月あまりは、ティカトラスのおかげで気が休まるいとまもなかったのだからな。あやつらがジェノスに戻ってくる前に、我々も英気を養うべきであろう」
アイ=ファなどは、そんな風に言っていた。
が――そうは問屋がおろさなかった。
俺たちは鎮魂祭を終えるなり、それにも引けを取らないほどの大きなイベントに巻き込まれることになってしまったのである。
◇
その先触れとして、俺とアイ=ファののどかな休日は半日ていどで終わりを告げることになった。
下りの一の刻の半を過ぎた頃、ルウ家からルド=ルウがやってきたのである。
「よー、昨日はお疲れさん。のんびりしてるところを悪いけど、ちょっとルウ家まで来てもらえるかー?」
「うむ? いったい何用であろうか?」
「これから、三族長の会議なんだよ。で、今日はフォウとベイムの家長だけじゃなく、アスタとアイ=ファにも用があるんだってよー」
族長からのお達しであれば、俺たちは従うばかりである。
しかし、鎮魂祭を終えたばかりのこのタイミングで緊急招集とは、いささかならず不安をそそられてならなかった。
「いったい何の話なんだろう? もしかして……チル=リムの一件が、ドンダ=ルウの逆鱗に触れちゃったのかな?」
「あー、アスタたちもダリ=サウティと一緒になって、秘密を抱え込んでたんだってなー。ま、それぐらいのことでぶん殴られたりはしねーんじゃねーの?」
「……ドンダ=ルウらが怒っているのなら、私が家長としてすべての責を負う」
アイ=ファが凛然たる面持ちでそのように言いたてると、ルド=ルウはにっと白い歯をこぼした。
「だから、ぶん殴られたりはしねーだろうよ。俺もジザ兄から話を聞いたけど、けっきょく話は丸く収まったんだろ? そんな話で、親父やグラフ=ザザが怒り狂うことはねーだろうさ」
星見の力を持つチル=リムはシムに追放されたはずであったが、カミュア=ヨシュの取り計らいによって《ギャムレイの一座》に預けられることになった。それを事前に知らされていたのは、最後の晩餐をともにした俺とアイ=ファとサウティの血族のみであったのだ。そうしてチル=リムが《ギャムレイの一座》の一員として西の王国に舞い戻ってきたため、ダリ=サウティも取り急ぎジザ=ルウに事情を通達することになったのだった。
「とりあえず、ルウ家に来てくれよ。グラフ=ザザも、そろそろ到着するはずだからなー」
「うむ? 北の集落には、朝から使者を出していたのか?」
「いや。昨日の内に、ゲオル=ザザに伝えられてたんだってよ。下りの二の刻までに、ルウの家に集合ってよ。どうせ今日は、ほとんどの家が狩人の仕事を休んでるだろうからなー」
ファと近在の氏族は休息の期間であったが、他の氏族も鎮魂祭にあわせて休息の日取りを調整しているのだろう。
それはともかくとして――前日の内から決定されていた会議であるなら、おそらくチル=リムの一件とは別に議題が存在するということであった。
とりあえず、俺とアイ=ファは出立の準備を整えることにする。
そうしてアイ=ファが4頭の犬たちを口笛で呼びつけると、ルド=ルウが興味深そうに瞳を輝かせた。
「そーいえば、ファの家の猟犬はもうつがいになったのか?」
「いや。まったく様子に変化は見られないので、いまだ発情期というものは訪れていないように思う」
「そっかー。ルウ家のほうでは、もうつがいになったみたいなんだよなー」
今度は、アイ=ファが目を光らせる番であった。
「ルウ家においても、複数の雄に対して1頭の雌であったはずだな。そちらでは、いったいどのようにして伴侶となる猟犬が定められたのだ?」
「そんなのは知らねーけど、つがいになったのは確かみてーだよ。行商人から聞いてた通りの様子になってるからなー」
アイ=ファはいっそう真剣な面持ちになりながら、4頭の犬たちを荷台に乗せた。
俺は屋根の上で昼寝をしていたサチを呼び、ともに荷台へと上がり込む。ブレイブ、ドゥルムア、ジルベ、ラム――4頭の犬たちは、いつも通りの無邪気な面持ちで俺とサチを迎えてくれた。
「じゃ、俺はフォウとベイムの家に声をかけてくるからよ。アイ=ファたちは、先に行っててくれ」
トトスにまたがったルド=ルウに別れを告げて、ギルルの荷車はルウの集落を目指すことになった。
御者台で手綱を操るアイ=ファは、後ろ姿からも張り詰めた気配が伝わってくる。しかしおそらく、アイ=ファはいきなりドンダ=ルウに呼び出されたことよりも、犬たちの行く末に思いを馳せているのだろうと思われた。
「なあ。黒の月になっても、いっせいに発情期がやってくるわけじゃないって話だったろ? 犬によっては、次の月に持ち越すかもしれないって話だったし……そんなに気を張らなくてもいいんじゃないか?」
「うむ、わかっている。しかし、いずれブレイブたちの誰かがラムと結ばれるのかと思うと……どうにも、気持ちが落ち着かんのだ」
それはきっと、アイ=ファの情の深さゆえなのであろう。アイ=ファは人と獣の区別なく、家人に膨大なる情愛を注ぐ気質であるのだ。
やがてルウの集落に到着すると、そちらにものんびりとした空気が漂っていた。
ルウ家は昨日も休息の日としていたため、今日は仕掛けた罠の確認にだけおもむくという話であったが、すでにそちらの仕事も終えているらしい。広場では、たくさんの男衆が薪割りの仕事に励んだり、子供の遊び相手になったりしていた。
そして広場の片隅では、幼子たちが猟犬とたわむれている。
その中で、2頭の犬だけが輪から外れていた。体格の違いから、その片方は雌であると知れる。あれがきっと、つがいとなった2頭なのだろう。
猟犬や雌犬を売ってくれた行商人いわく――発情期を迎えた雌犬は、1頭の雄犬を伴侶と定める。そうしてめでたく両名が結ばれると、発情期を終えるまでは他の雄犬を寄せつけなくなるのだそうだ。
(で、発情期ってのは10日や半月ぐらいの期間だって話だったよな。ジルベはラムと仲良しだから、半月も近づけないと寂しがっちゃいそうだ)
俺としては、そんな想念を抱くばかりである。
アイ=ファはひときわ真剣な眼差しを2頭の犬たちに向けてから、ルウの本家へと歩を進めた。
「おや、アイ=ファにアスタ。ルウの家にようこそ。ずいぶんと早いおつきだったね」
本家の母屋から出てきたミーア・レイ母さんは、いつも通りの和やかな笑顔で俺たちを出迎えてくれた。
「レイナたちは、手の空いた女衆を集めて勉強会をしてるよ。よかったら、覗いていったらどうだい?」
「うむ。しかし、他の者たちも到着したようだな」
アイ=ファが後方を振り返ると、ちょうど別なる荷車が広場に姿を現したところであった。
さらにその後からは、背中に人間を乗せたトトスが2頭、続いてくる。その片方はルド=ルウであり、もう片方はグラフ=ザザとお供の男衆だ。最初の荷車から姿を現したのはバードゥ=フォウとベイムの家長と、それぞれのお供である。
「よー。ダリ=サウティはもう来てるから、これで全員そろっちまったな。俺の仕事は、おしまいだ」
ルド=ルウは俺たちに手を振って、どこへともなく立ち去っていった。
ひさびさの対面となるグラフ=ザザは、ギバの毛皮の陰から黒い目で俺とアイ=ファを見下ろしてくる。
「ひさしいな、アイ=ファにアスタよ。お前たちには、言っておかねばならんことがあるが……まずは、ドンダ=ルウに挨拶をするべきか」
そんな言葉を残して、グラフ=ザザは本家の母屋に踏み入っていく。それを見送るバードゥ=フォウは、うろんげに眉をひそめていた。
「どうもグラフ=ザザは、アイ=ファたちに含むところがありそうな様子だな。何か問題でも生じたのであろうか?」
「うむ。それもおそらく、この場で語られることであろう」
アイ=ファは厳粛なる面持ちで、そのように応じていた。
俺とアイ=ファはライエルファム=スドラとユン=スドラにだけチル=リムの一件を伝えていたが、まだバードゥ=フォウらの耳には入っていないらしい。いっぽうグラフ=ザザは、ダリ=サウティからゲオル=ザザというルートで、すでに伝えられているのだろう。俺としては、なかなかに背筋がのびる思いであった。
ともあれ、俺たちも母屋にお邪魔する。
広場で待ち受けていたのは、ドンダ=ルウとガズラン=ルティム、ダリ=サウティとヴェラの家長という、族長の会議ではお馴染みの顔ぶれだ。ただし、まだ約束の刻限には早かったため、そこにはジザ=ルウの一家も勢ぞろいしていた。赤子のルディ=ルウを抱いたサティ・レイ=ルウと、一緒に遊んでいたコタ=ルウである。コタ=ルウは俺の姿に気づくと、瞳を輝かせながらとてとてと近づいてきた。
「アスタ、ルウのいえにようこそ」
「お邪魔します。コタ=ルウも元気そうだね」
俺が笑顔を届けると、コタ=ルウは嬉しそうな顔で「うん」とうなずいた。
「それでは、会議が始められるのですね。コタ、わたしたちは寝所に戻りましょう。それとも、あなたは外で遊びたいかしら?」
サティ・レイ=ルウがそのように声をかけると、コタ=ルウはもじもじとした。
「コタは、アスタとおはなししたいけど……アスタもおしごと?」
「ええ、そうね。ファのおふたりも、家長ドンダと大事なお話があるのよ」
コタ=ルウがしゅんとしてしまったので、俺は身を屈めてもういっぺん笑いかけてみせた。
「あとで時間があったら、おしゃべりしようね。それまで、待っててくれるかな?」
コタ=ルウは嬉しそうな顔を復活させて、再び「うん」とうなずいた。
そうしてコタ=ルウたちは寝所に戻っていき、その場には会議の参加メンバーだけが残される。そしてその中には、ジザ=ルウとミーア・レイ母さんも含まれていた。
「家長。どうせだったら、レイナやララも呼んでこようか? そのほうが、手っ取り早いだろう?」
ミーア・レイ母さんがそのように進言すると、ドンダ=ルウはしばし思案してから「そうだな」と重々しくうなずいた。
「それじゃあ、あたしが呼んでくるよ。客人がたは、どうぞくつろいでいてくださいな」
ミーア・レイ母さんは柔和な笑みを振りまきつつ、母屋を出ていった。
すると、ベイムの家長がむっつりとした面持ちで声をあげる。
「族長ドンダ=ルウよ。今日はいったい、どういった用件であるのだ? よもや、鎮魂祭というものの翌日に呼びつけられるとは思っていなかったぞ」
「事情があってのことなので、了承してもらいたい。それを説明するのは、こちらの家人がそろうのを待つとして……まずは、ダリ=サウティに語ってもらうか」
ドンダ=ルウに鋭い眼光を向けられると、ダリ=サウティは落ち着いた面持ちで首肯した。
「ちょうどいい機会であるので、語らせていただこう。この話は、速やかにすべての氏族に回してもらいたい」
そうしてダリ=サウティは、チル=リムの一件について語り始めた。
それを聞く内に、ベイムとフォウの人々はどんどん驚愕の面持ちになっていく。
「あの赤の月に森辺を騒がせたチル=リムなる娘を、シムではなく《ギャムレイの一座》のもとに届けた、と? それはいったい、いかなる話であるのだ? そやつは西の王国で暮らすこともまかりならんと判じられた立場であるのだろう?」
「うむ。それが、ジェノスの領主たるマルスタインの判断だ。自由開拓民という身分である娘をジェノスで保護することはかなわぬため、異国たるシムに追いやる他なかったのであろう。現在のセルヴァの王は魔術の類いを忌み嫌っているため、そのような娘を西の王国に留めおけば、処刑されかねないという話であったのだ」
ダリ=サウティは決して心を乱すことなく、そのように言葉を重ねていった。
「しかし、言葉も通じぬシムの地では、その娘も心安らかに過ごすことは難しかろう。そうしてその娘がこの世に絶望したならば、自ら邪神教団に与する恐れもある。そのように考えたカミュア=ヨシュが、その娘を《ギャムレイの一座》に預けることを発案したのだ」
「またあの男か……あのカミュア=ヨシュというやつは、毎度のように騒動を巻き起こすな」
ベイムの家長がげんなりした様子でそう言うと、バードゥ=フォウが「しかし」と声をあげた。
「スン家を巡る騒動の際にも、あやつはあやつなりに正しい道を目指そうと尽力しており、最終的には俺たちの進むべき道と重ねられることになった。この際も、そのように判ずる他ないのではないだろうか?」
「しかしそれは、ジェノスの領主の命令に背いた行いであるのだぞ? ジェノスの領主とは、俺たちの君主筋であろうが?」
「では、チル=リムなる娘をシムに追放するべきであったのであろうか? それとも、魔術に手を染めた大罪人として処刑するべきであったのであろうか? ……俺はどちらも、まったく意に沿わないのだが」
そう言って、バードゥ=フォウはダリ=サウティのほうに視線を転じた。
「族長ダリ=サウティもそのように判じたからこそ、カミュア=ヨシュの行いを見過ごしたのであろう? そして、チル=リムなる娘がジェノスに戻ってくるまで、俺たちにすら口をつぐんでいたというわけだ」
「うむ。森辺の同胞にこれほどの秘密を抱えていたことを、心から申し訳なく思っている」
「……そして、アイ=ファとアスタもまた、同じ場でその話を聞いていたわけだな」
「うむ。《ギャムレイの一座》がチル=リムの存在を拒むという可能性もあったので、無事な姿を見届けるまでは口外するべきではないと判じたのだ。バードゥ=フォウらが気分を害したのなら、私も詫びさせてもらいたい」
「何も、詫びてもらおうとは思わない。アイ=ファやダリ=サウティたちのほうこそが、大きな秘密を抱えるという心苦しさを負っていたのであろうからな」
バードゥ=フォウはわずかに表情をやわらげたが、すぐさまそれを引き締めなおしてガズラン=ルティムのほうに向きなおった。
「しかし、我々が君主筋たるマルスタインに秘密を持ったということに変わりはない。これは、許される行いであるのだろうか?」
「私は、許されると判じています。むしろこれは、マルスタインの心を救う行いでもあるのではないでしょうか?」
ガズラン=ルティムのそんな言葉には、ベイムの家長が眉をひそめた。
「マルスタインの心を救うとは? 虚言による救いなど、偽りの救いなのではないだろうか?」
「我々であれば、そのように感じられてしまうでしょう。だからこそ、これはカミュア=ヨシュにしか成し得ない救いなのだろうと思います」
普段通りの穏やかな面持ちで、ガズラン=ルティムはそのように言いつのった。
「マルスタインと出会ってから2年以上の歳月が過ぎて、私もずいぶん彼の人となりというものが理解できたように思います。まず、マルスタインがチル=リムをシムに追放するべしと定めたのは……彼女を大罪人として処刑したくなかったがゆえであるのでしょう。彼女は自らの意思で星見の力というものを授かったわけでもないのに、魔術を忌み嫌う国王にとっては許されざるべき大罪人と見なされてしまうのです。そのような理由でチル=リムが処刑されることをよしとしなかったマルスタインは、彼女をシムに追放することでその生命を救おうとしたのだと思われます」
「しかしカミュア=ヨシュは、その命令に背いたのであろう?」
「はい。カミュア=ヨシュは、チル=リムにとってもっとも望ましい解決策を考案しました。しかしそれは、決して国王に認められるような行いではないのです。もしもマルスタインがカミュア=ヨシュから事情を打ち明けられていたならば、ジェノスの領主として否と答えるしかなかったでしょう。ジェノスはただでさえ叛逆の意思があるのではないかと疑われていた立場であったため、国王の意に沿わない行いに手を染めることは許されないのです」
ガズラン=ルティムはそこで言葉を区切って、その場にいる面々を順番に見回していった。
「ゆえに、カミュア=ヨシュはマルスタインにすら真実を告げず、自分ひとりの責任においてチル=リムを《ギャムレイの一座》のもとに届けました。それはまさしく、虚言でもってチル=リムの行く末とマルスタインの心を救ったと言えるのではないでしょうか? 虚言を罪とする我々には、とうてい成し得ない所業であるかと思われます」
「……そして我々は、領主に大きな秘密を抱えることになってしまったわけだな」
「はい。カミュア=ヨシュは一身に泥をかぶりましたが、我々はその飛沫を浴びたようなものです。私はカミュア=ヨシュの献身に敬意を表し、領主に秘密を抱えるという心苦しさを一生背負っていきたいと願っています」
ベイムの家長は、深々と溜息をついた。
「ひとつ確認しておきたいのだが……ガズラン=ルティムも、この秘密を事前に打ち明けられていたのか?」
「いえ。私はつい先刻、ジザ=ルウの口から伝えられました。ジザ=ルウは昨晩、ダリ=サウティから打ち明けられていたそうです」
「それでそのように、すぐさま自らの進むべき道を定められたということか。賢すぎる人間というものは、時に恐ろしささえ感じられるものだな」
「ともあれ、我々に残された道はふたつしかない。この秘密を守るか、マルスタインにすべてを打ち明けるかだ」
ドンダ=ルウが、重々しい声でそのように宣言した。
「マルスタインにすべてを打ち明けたならば、命令に背いたカミュア=ヨシュとディア、および《ギャムレイの一座》とチル=リムなる娘は大罪人として追われることになろう。国王というものの目を恐れるマルスタインには、そのように振る舞うしか道がないということだ」
「ええ。平時であればともかく、現在のジェノスには外交官というものが控えていますからね。そもそもカミュア=ヨシュは、外交官たるフェルメスやオーグの目をくらますことは難しいと考えて、マルスタインに真実を告げなかったのでしょう。フェルメス個人はカミュア=ヨシュと同じように、チル=リムの安息こそを一番に考えているはずですが……彼もまた、外交官という立場から道を踏み外すことは許されませんし、オーグの目を警戒しなければならない身であるのです」
と、ガズラン=ルティムが静かな声音でそのようにつけ加えた。
「しかしカミュア=ヨシュは、ダリ=サウティやアスタたちに真実を告げました。森辺の民であれば、きっと正しき道を選んでくれると信じたのでしょう。……それに、もう一点。我々も同じような手法で同胞を守られているのだという事実を、決して忘れてはならないかと思います」
「うむ? 今度は、何の話だ? 我々が、何をどのように守られていると?」
「スン本家の末妹、クルア=スンという女衆についてです。彼女もまたチル=リムと同じように、自らの意思とは関わりなく星見の力というものを授かってしまいましたが……現在はその力を制御するべく、東の民アリシュナのもとに通っています。しかしその事実は、マルスタインとフェルメスの計らいによって、王都には報告されていないのです」
バードゥ=フォウやベイムの家長は、虚を突かれた様子で身をのけぞらせていた。
「そうか……魔術を嫌う国王にとっては、そのクルア=スンもチル=リムなる娘と同様の大罪人であると見なされてしまう恐れがあるのだな?」
「はい。ですがマルスタインとフェルメスは、その一件に目をつぶってくれています。もしも国王にクルア=スンの処刑や追放を命じられてしまったならば、森辺の民がジェノスの民として健やかに生きていくことも難しくなってしまうため、そのように取り計らってくれたのでしょう」
ガズラン=ルティムの眼差しは穏やかなままであったが、そこには三族長にも負けないほどの力強さが宿されていた。
「我々もまた、マルスタインとフェルメスが秘密を守ることによって救われているのです。そんな我々がカミュア=ヨシュらの秘密を告発するというのは、あまりに傲慢な行いなのではないでしょうか? 森辺の民は、王国の民として正しく生きていく道を模索しているさなかであるのですから……この際は、カミュア=ヨシュやマルスタインやフェルメスらの行いに学ぶべきではないかと思われます」
「……お前はあくまで見届け人であり、道を定めるべき立場ではないぞ、ガズラン=ルティムよ」
グラフ=ザザが、初めて重々しく声をあげた。
「ベイムの家長の言う通り、虚言による救いなどというものは、これまで森辺に存在しなかった。これが本当に正しき道であるのかと、惑う人間も多かろう。しかし……俺たちは、外界の人間とも正しく絆を結ぶべしと定めた身だ。カミュア=ヨシュらの行動の是非は、長い目で見定める他あるまい」
「長い目とは?」と、バードゥ=フォウが反問する。
グラフ=ザザは黒い双眸を炯々と光らせながら、言葉を重ねた。
「そもそも俺たちの多くは、チル=リムなる娘と顔をあわせたことすらないのだ。カミュア=ヨシュの虚言に加担してまで、その娘に救う価値があるのかどうか……まずは、それを見定めねばなるまい」
「そやつらは、復活祭までジェノスに戻ってくることもないのであろう? これからふた月以上も、結論を先延ばしにしようというのか?」
ベイムの家長がそのように言いたてると、グラフ=ザザは「不服か?」とそちらに向きなおった。
「俺たちの行動如何で、多くの人間の行く末が定められるのだ。チル=リムなる娘やカミュア=ヨシュらが処刑されてから悔いても、天に返された魂は戻ってこないのだからな」
ベイムの家長はグラフ=ザザの気迫に気圧された様子もなく、「そうだな」と厳しい表情をこしらえた。
「では、俺たちはどのように取り計らうべきであろうか? これほどの大きな秘密を、道理もわからぬ幼子たちにまで聞かせるわけにはいくまい? 今後は幼子たちも、宿場町の聖堂に預けられる機会が増えるのであろうからな」
「うむ。それはよくよく吟味せねばなるまい。家長ひとりの胸に収めるか、ディアやチル=リムなる娘たちを見知っている人間にだけ打ち明けるか、あるいは道理のわかる齢に達している人間すべてに打ち明けるか……それぞれの氏族に話を回す前に、まずはそちらを取り決めるべきであろうな」
グラフ=ザザたちの真剣なやりとりを聞きながら、俺は冷や汗を禁じ得なかったが――それでも心中で、(大丈夫だ)と念じた。
(チル=リムと実際に顔をあわせれば、グラフ=ザザたちだってわかってくれるはずだ。チル=リムを処刑するべきだなんて、そんな風に考える人間が森辺にいるわけがない)
そのとき、玄関の戸板が開かれた。
ミーア・レイ母さんが、レイナ=ルウとララ=ルウを連れてきたのだ。
「おやまあ、ずいぶんな熱気だね。レイナたちを待ちきれなかったのかい?」
「そちらの話は、これからだ。貴様たちも、ミーア・レイのかたわらで話を聞くがいい」
レイナ=ルウたちは並み居る面々に一礼をしてから、広間の片隅に膝を折った。
ドンダ=ルウは仕切り直しとばかりに、俺たちの姿を見回してくる。
「では、先の一件はまたのちほど語らうとして、本題に入らせてもらう。その前に……貴様たちは、ウェルハイドの名を記憶に留めていようか?」
ドンダ=ルウの目が最終的に俺のもとで止められたため、俺は「もちろんです」と応じてみせた。
「バナーム侯爵家のウェルハイドですよね? 彼は今でもジェノスとの通商の責任者として、時おり城下町を訪れているそうですが……俺はここ最近、すっかりお顔をあわせておりません」
「うむ。かつてはウェルハイドの父親が、ジェノスとの通商というものを手掛けようとしていたが……それは、サイクレウスやシルエルの思惑によって妨害された。サイクレウスらにそそのかされたスン家の人間が、ウェルハイドの父親をその手で殺めたのだ。そうしてウェルハイドはサイクレウスらの罪を暴く場に招かれていたので、おおよその人間は顔をあわせているはずだな」
その会談の場には、三族長と3名の見届け役、そして俺とアイ=ファも招かれている。あとはレイナ=ルウやララ=ルウもかまど番として城下町に参じた際にウェルハイドと顔をあわせているはずであるから、この場で彼の顔を知らないのはミーア・レイ母さんとお供の男衆のみであるはずだった。
「ルウ家は朝方、ウェルハイドからの使者を客人として迎えることになった。そして、ひとつの仕事を依頼されることになったのだ」
「ふむ。鎮魂祭が終わるなり、ずいぶんせわしない話だな」
バードゥ=フォウがうろんげに口をはさむと、ドンダ=ルウは「ふん」と鼻息で応じた。
「あちらにはあちらの事情があってのことだ。それで、その依頼というのは……婚儀の祝宴の宴料理を、森辺のかまど番に作りあげてもらいたいという内容だった」
「なるほど。それで、アスタやルウの女衆もこの場に招かれたわけか。しかし、バナームという地の人間が、ジェノスで婚儀をあげようというのか?」
ドンダ=ルウは仏頂面になるのをこらえているような面持ちで、「否」と答えた。
「ウェルハイドは、故郷たるバナームで婚儀をあげる。その祝宴の宴料理を準備してもらいたいという依頼であるのだ」
「うむ? それでは、まさか……」
「バナームは、ジェノスから荷車で2日の距離となる。その地まで、森辺のかまど番を招きたいという話であるわけだな」
ドンダ=ルウの言葉に、その場の人々がのきなみ驚愕することになった。
もちろん俺も、そのひとりである。
そうして俺たちは、鎮魂祭に勝るとも劣らない壮大なイベントの全容を聞かされることになったのだった。




