黒の月の鎮魂祭⑨~死者への思い~
2022.6/21 更新分 1/1
果実酒の後には、屋台の料理や菓子が続々と届けられてきた。
ティカトラスは屋台に並んでいた人々に銅貨をばらまいて、料理の運搬を頼むと同時に、一緒に食事を楽しもうと持ち掛けていたようだ。それで食堂には大量の料理や菓子を抱えた人々が殺到し、祝宴のような騒ぎになってしまったわけであった。
きっとティカトラスは平時の宿屋の食堂などでも、このように振る舞っていたのだろう。レビやユーミたちから伝え聞いていた騒ぎを、ついに俺たちも体感することになったのだ。そしてこの夜は半数以上の人々が奇怪な扮装をしているものだから、いかなる祝宴とも趣の異なる狂騒と成り果てていた。
しかし俺たちはそんな騒乱の中で、ようやく鎮魂祭らしい様相を見て取ることができた。
人々の多くは、故人について語らっていたのだ。自分の亡くした家族や友人たちがどれだけ素晴らしい人間であったかを、競うように語り合っていたのだった。
あるいは、故人をけなす者もいた。あれはロクでもない家族だったと悪しざまに罵り、唾を吐き――そして、次はもっとまともな人間に生まれ変わりやがれと、天に向かって叫ぶのだ。森辺ではなかなかありえないような有り様であったが、しかしそれもまた鎮魂祭のひとつの正しい姿であるようであった。
俺は昨晩も自分たちの青空食堂でお客たちの様子をうかがっていたが、ついぞこのような騒ぎを見かけることはなかった。これはジェノスにおいても初めての試みであったため、最初の晩にはなかなか人々も思うように語らうことができなかったのだろうか。
その実情は不明なれども、とにかくこの場には死者に対する思いというものが奔流のように渦を巻いていた。いい思いも悪い思いも区別なく、とにかくさまざまな感情が吐露されていたのだ。中にはおいおいと泣き暮れている者もいたし、怒りをあらわにしている者もいた。そうして普段は表に出せない思いをぶちまけるというのが、鎮魂祭の醍醐味であるのだろう。夜の闇と常ならぬ扮装と酒の効能があわさって、人々はこれ以上もなく正直に振る舞っているようだった。
そんな中――俺とともにある人々は、格段に沈着である。ダン=ルティムやラウ=レイであれば難なくその激流に飛び込めるのやもしれないが、何せこちらはアイ=ファにライエルファム=スドラにユン=スドラという顔ぶれであるのだ。ユン=スドラはわずかに心を乱しているようであったが、それもあくまで鋼の精神力を持つ2名の狩人と比べての話であった。
「わたしも多くの家人をなくした身でありますが……でも、アスタたちの前で泣き叫ぼうという気持ちにはなれません。これでは、鎮魂祭に参じているとは言えないのでしょうか?」
ユン=スドラがもじもじとしながらそう言うと、ティカトラスが「いやいや!」と元気いっぱいに答えてくれた。
「何も無理に騒ぐ必要はないのだよ! 彼らは泣きたいから泣き、怒りたいから怒っているのだ! わたしだって涙をこぼしたりはしていないけれど、それをもって薄情な人間だなど言われたら心外のきわみであるからね! もちろん、こうして素直に涙をこぼすことのできるヴィケッツォの清廉さは、美しく思えてならないけどさ!」
「わ、わたしのことは、捨て置きください」
ヴィケッツォはティカトラスが彼女の母親のことを語るたびに、涙をこぼしていたのだ。見るも妖艶ないでたちであるのに、今日の彼女はこれまででもっとも幼げに見えてならなかった。
「重要なのは、故人を身近に感じることだよ! それには、他者に語るのが一番だ! どうしてだかわかるかね、ユン=スドラよ?」
「い、いえ。まったくわかりません」
「君はさっき、アスタたちの話に涙していただろう? そうして他者が介入することにより、故人の思い出はいっそうの血肉を授かるのだ! ……たとえば、アスタが母親のことを誰にも語らず、魂を返してしまったとする。そうしたら、アスタの母親の思い出というものは、この世界から消滅してしまうのだ! もちろんそれでもアスタの母親が存在したという事実に変わりはないし、その崇高さがこれっぽっちでも損なわれるわけではないけれどね!」
ティカトラスは木皿の果実酒をがぶりと飲んで、さらに言いつのった。
「誰の記憶に残らずとも、人の生の崇高さに変わりはない! 神々や大地は、すべてを見届けているのだからね! しかし! すべての思い出を神々にばかりゆだねようというのは、あまりに物寂しいだろう? だから我々は、故人を偲び、語り合い、その思い出を語り継いでいくべきであるのだ! 人の思いは人のもとに留められることで、いっそうの輝きを放つものであるのだからね!」
俺はティカトラスの言葉をどれだけきちんと理解できているのか、まったく判然としない。ただ、それらの言葉に異を唱える気持ちにはなれなかった。
俺はアイ=ファの両親についてもっと知りたかったし、ライエルファム=スドラやユン=スドラについてもそれは同様であったし――また、自分の母親についてもみんなに知ってもらいたいと、そのように思うことができたのだ。
俺だけが知っている母親の優しさや温もりを、みんなにも知ってもらいたい。そして、みんなにとっての大切な人々のことを、もっとよく知りたい。興味本位や好奇心ではなく、俺は今を生きている人々とさらに絆を深めるために、そうしたいと願っているのかもしれなかった。
「ディアは語るべき立場ではないし、べつだん語りたいとも思わんが……お前が何か語りたいのなら、いくらでも聞いてやるぞ」
ティカトラスの耳をはばかって静かにしていたディアが、チル=リムにこっそりそんな言葉を伝えていた。
しかしチル=リムはやわらかい笑顔で、「いえ」と応じる。
「あまりこういう騒がしい場で、家族のことを語ろうという気にはなれません。でも……もしも道中で語らう機会があったら、いつか話を聞いてもらえますか?」
「うむ。お前の好きにするがいいぞ」
ディアは白い歯をこぼして、フードに包まれたチル=リムの頭をぽんぽんと叩いた。
「私もこのような場では、多くを語る気にはなれんな。そして、森辺の民の多くはそのように考えるのではないだろうか?」
アイ=ファは俺に向かってそう言ったのだが、それに反応したのはティカトラスであった。
「森辺の民というのは、なかなか奥ゆかしい気性をしている人間が多いようだからね! それならば、今後は順番に町へ下りるべきではないだろうか?」
「順番に?」
「うん! どちらか1日は家でしんみりと語らい、もう1日は宿場町で騒ぐのだよ! 氏族の半分ずつで日取りをずらせば、不公平もないだろう?」
「ふむ。そうすれば、屋台の商売にも支障はないというわけか」
「いやいや! 商売の話だけじゃなくってさ! 町に下りないと、町の人々の話が聞けないだろう? 森辺の民は、王国の民として正しく生きていく道を模索しているさなかという話じゃなかったかな? であれば、町の人々の言葉にも耳を傾けるべきだろうと思うよ!」
これはティカトラスのほうが正論であったため、アイ=ファはぐっと言葉を詰まらせることになった。
「……そうだな。ミラノ=マスやドーラなどがどのような思いを抱いているのかは、私も耳にしたく思う。やはり私は、まだこの鎮魂祭というものを正しく見定められていないようだ」
「あっはっは! そうしてすぐさま自省できるのは、まぎれもなくアイ=ファの美徳だと思うよ! では、わたしももう少し語らせてもらおうかな!」
「いや。あなたの話は、もう十分だ。ヴィケッツォも、いい加減に涙を止めたいところであろうからな」
「あ、あなたにそのような言葉をかけられるいわれはありません」
目もとを赤くしたヴィケッツォが、頬まで赤くしてしまう。頑なな態度に変わりはなかったが、俺はこの数十分だけですいぶん彼女に親しみを覚えることができていた。
それに、ティカトラスもだ。
なんというか、やっぱり彼の場を取り仕切る能力というものには、感心させられてしまう。彼は声が大きいだけでなく、その言葉を相手に聞かせる吸引力みたいなものが秀でているのだ。そういう部分は、やっぱりカミュア=ヨシュとよく似ているように思えてならなかった。
それに彼は、ヴィケッツォの母親に対してまじりけのない情愛を抱いている。ヴィケッツォの母親について語るとき、彼は森辺の民にも負けない情の深さを垣間見せるのだ。そしておそらく、彼はすべての側妻とその子供たちにも同じだけの情愛を注いでいるのだろう。その情愛の許容量というものに、俺は感心させられてしまっていた。
(このお人は、とにかくこの世界と人間が大好きなんだろう。ちょっとはた迷惑なところはあるけど……そういう部分は、共感できるよな)
俺もまた、この世界をかけがえのないものだと思っている。もとの故郷では、そんな大仰な思いを抱くこともなかったのだが――それを失ってしまったがゆえに、俺は2番目の故郷となったこの世界の素晴らしさを痛感させられていたのだった。
アイ=ファの存在を通して、俺はこの世界の素晴らしさを知ることができた。だから俺は、絶望せずに生き延びることができたのだ。失ってしまった故郷と家族と幼馴染の存在が、大きければ大きいほど――それを失った悲しみが、大きければ大きいほど――今の自分がどれだけ恵まれた環境にあるか、思い知らずにはいられなかったのだった。
(だから、もしかして……フェルメスとティカトラスは、そういう部分もベクトルが反対なのかもしれない)
ティカトラスは果てしなくポジティブで、心置きなくこの世界を愛し、慈しみ、楽しんでいる。
いっぽうフェルメスは、この世界を愛したいと願っているがゆえに、何もかもを知り尽くそうとしているような――ティカトラスが無条件で体得している喜びを、理詰めで追い求めているような――そんな気配を感じてしまうのだった。
(この世界は生きるに値する楽しい場所だと実感したいから、あれこれ探究してるんじゃないかって……俺にはそんな風に思えるんだけど、それは考えすぎなのかな)
もしかして、ティカトラスの登場でフェルメスが調子を乱してしまっているがゆえに、俺はそんな思いを抱くようになってしまったのだろうか。
収穫祭で見せていた態度や、ガズラン=ルティムから伝え聞いた話だけでも、俺はいささかならずフェルメスのことが心配になってしまっている。フェルメスにはもっと気楽に人生を楽しんでほしいなどと、そんな不遜な考えまでわいてきてしまうぐらいであるのだ。俺のような若造があれほど博識で年長者でもあるフェルメスにそんな思いを抱くのは、あまりに筋違いであるはずだった。
「さて! そろそろ腹も満たされてきた頃合いかな? であれば、『ギリ・グゥの広場』に移動してみてはどうであろうか?」
と、俺の想念はティカトラスの甲高い声によって打ち砕かれた。
アイ=ファが仏頂面のまま無言であったため、またライエルファム=スドラがティカトラスの言葉に答える。
「その広場では、死者に手向けた花を燃やして天に返しているそうだな。しかし、俺やユンは花を家に置いてきているぞ」
「うんうん! 花を燃やすのは、どこでもかまわないよ! だけどきっとあちらでは、数多くの人間が死者を思いやりながら花を燃やしているだろうからね! 森辺の民が鎮魂祭の何たるかを見定めたいと願っているのなら、是非とも見物するべきではないかな?」
「……しかしべつだん、あなたと同行する理由はないように思えるが」
アイ=ファが感情を殺した声で言いたてると、ティカトラスはすがるような表情をこしらえた。
「きっとここで行動を別にしたのなら、もうこの夜の内に巡りあうこともないだろう! ジェノスを離れる前にアイ=ファの美しさを目に焼きつけておきたいので、もうしばしともにあることを許してもらえないだろうか?」
「なに? あなたはようやく、王都に戻るのか?」
「いやいや! 実はつい昨日、ダカルマス殿下からの使者が到着してね! わたしの買いつけるミソを南の王都まで運んでいただくという契約を取りつけることがかなったのだよ! そうと決まったからには、そちらの使者殿の立ちあいのもとで、コルネリアのデルスと正式な契約を結ばなければならないからね! 明日には、ジャガルのコルネリアに出立しなければならないのだ!」
「なるほど。そしてそのまま、王都に帰還を――」
「いや! そちらで契約を済ませたならば、いったんジェノスまで戻る予定だよ! 森辺の集落だって、まだ半分ていどしか見物していないからさ!」
アイ=ファは全身全霊で、がっくりと肩が落ちるのをこらえているようだった。
そんなアイ=ファを見つめながら、ティカトラスはおねだりをする幼子のような目つきになっている。
「しかし! コルネリアまでは、片道で半月ばかりもかかってしまうからね! わたしがジェノスに戻ってくるのは、ひと月も先の話になってしまおう! だから、その前にアイ=ファの美しさを目に焼きつけておきたいのだ!」
「……あなたはそのような真似をせずとも済むように、肖像画というものを描きあげたのではなかったか?」
「あれは、王都に帰ったのちの無聊を慰めるための存在だよ! その前に、わたしはもっとアイ=ファの輝きを心に残しておきたいのだ!」
アイ=ファは大いに苦悩していたが、最後にはティカトラスの提案を受け入れることに相成った。何せ彼はその気になれば、俺の存在を脅迫のネタに使えるような立場であるのだ。しかし彼はそのように卑劣な真似に及ぶことなく、すがるような目でアイ=ファにおねだりをしている。それでアイ=ファも、ティカトラスの願いを無下にはできない心持ちになったのかもしれなかった。
そんなわけで、俺たちは騒がしい食堂から騒がしい街道へと舞い戻ることになった。
こちらは6名、ティカトラスたちは3名の、大所帯だ。俺たちは広場の場所をわきまえていなかったので、ティカトラスたちの後に追従する格好であった。
「窮屈な思いをさせちゃってごめんね、チル。広場の見物までつきあえば、ティカトラスもきっと満足してくれるだろうからさ」
俺がこっそりそのように告げると、襟巻きで口もとを隠したチル=リムはヴェールの向こうで「いえ」と目を細めた。
「わたしはアスタとともにあれるだけで、満足です。何もお気になさらないでください」
「ふむ? チルはまだ、星を持たないアスタのそばにあることを安楽だと思っているのか?」
すかさずディアが口をはさむと、チル=リムは落ち着いた様子で「いえ」と言った。
「今はこのような人混みでも、恐ろしいとは思いません。星の有無とは関係なく、ただアスタの存在を間近に感じられることが嬉しいのです」
「ふん」と鼻を鳴らしながら、ディアは腕をのばしてチル=リムの頭を小突いた。
そんな何気ないやりとりでも、俺は心が温かくなってしまう。本当に、彼女たちには家族のごとき絆が芽生えているようであった。
しばらく主街道を南側に下っていたティカトラスらは、やがて西側の街路に足を踏み入れる。きちんと石で舗装されているため、街路としては大通りだ。そしてそこにも冥界の住人に扮した人々が満ちあふれて、あちこちに輪を作っては果実酒の土瓶を傾けていた。
それからさらに、5分ほど街路を進んだ頃――アイ=ファが「うむ?」と眉をひそめた。
「……聞こえたか、ライエルファム=スドラよ?」
「うむ。獣の遠吠えかと思ったぞ。何者かが、派手に泣きわめいているようだな」
あたりは大変な騒ぎであったため、俺にはまったく判別がつかない。
しかしさらに街路を突き進んでいくと、俺にも奇怪な音色が聞こえてきた。人間の泣き声というよりは、何かの機械の作動音のような――重低音と超音波が複雑に混ざり合ったような、一種独特の騒音であった。
「お、おい、アイ=ファ。これって、もしかして――」
「うむ。あそこに、姿が見えてきたな」
アイ=ファはわずかに眉をひそめつつ、街路の右端を指し示した。
街路は人であふれているが、そこだけぽっかりと丸くスペースが空けられている。その中心に騒音の発生源が鎮座ましましていたため、人々も遠巻きに見守っているのだ。そしてその空いたスペースには、俺たちがよく見知った面々が居揃っていたのだった。
「おやおや、あれに見えるはヤミル=レイとラウ=レイのようだね。これはいったい、どういった騒ぎであるのかな?」
足を止めたティカトラスが、きょとんとした顔でそう言った。
アイ=ファは厳しく引き締めた顔で、そちらに呼びかける。
「ティカトラスよ。あれらは我々が懇意にしている者たちであるため、しばし時間をいただきたい」
「うん。もちろん、かまわないよ。何も悪さはしていないようだけれども、あれでは衛兵に咎められてしまうかもしれないからねぇ」
アイ=ファはひとつうなずくと、ライエルファム=スドラのほうに視線を移した。
「では、ライエルファム=スドラらも、ここで――」
「いや。俺もあちらに向かうべきであろう」
ライエルファム=スドラは、アイ=ファよりもさらに真剣な眼差しになっていた。
アイ=ファはいくぶん迷うような顔を見せたが、やがて「そうか」と首肯する。
「ライエルファム=スドラがそう考えたのなら、止めはすまい。ディアたちは、ここで待っているがいい」
「うむ。事情はわからんが、早々に何とかしてやるがいい。あれでは、あまりに気の毒だ」
ディアのかたわらでは、チル=リムもひそかに眉を下げてしまっている。
あたりに響く騒音には、そうして人の心を震わせるような悲哀の念があふれかえっていたのだ。
俺たちは、人混みをかきわけてそちらのスペースを目指すことになった。
そのスペースの真ん中で、おんおんと泣き声をあげているのは――ミダ=ルウである。
そしてそのかたわらには、ラウ=レイとヤミル=レイばかりでなく、ツヴァイ=ルティムにオウラ=ルティム、ディガにドッドという、かつての家族が勢ぞろいしていたのだった。
「おお、アスタにアイ=ファ! こやつを、なんとかしてくれ! 何をどのようになだめても、いっこうに収まる気配がないのだ!」
両耳を手でふさいだラウ=レイが、そのように言いたててきた。
しかしそれ以外の人々は、無言でミダ=ルウの姿を見つめている。そして、母親の腕に取りすがったツヴァイ=ルティムやディガやドッドなどは、それぞれ涙をこぼしてしまっていたのだった。
ミダ=ルウがこのように泣き叫ぶ姿を、俺はこれまでに何度か目にしている。直近では、昨年の紫の月――リコたちの作りあげた『森辺のかまど番アスタ』が初お披露目された際、ミダ=ルウはこうして身も世もなく泣き崩れてしまっていたのだった。
ミダ=ルウはもう2年以上もルウの集落で暮らし、ついにルウの氏を授かることができた。これまでの罪を悔い改め、かつての家族たちとの離別も乗り越えて、立派な森辺の民に成長したのだと、そのように認められたのだ。
そのミダ=ルウが、幼子のように泣いてしまっていた。
肉にうもれた顔を滂沱たる涙に濡らし、衝撃波のような圧力をともなう泣き声をあげている。そのさまが、俺には痛ましく思えてならなかった。
「……かつての家族の死を嘆き悲しんでいるのか、ミダ=ルウよ」
と――アイ=ファよりも早く、ライエルファム=スドラがそのように声をあげた。
こちらを振り返ったツヴァイ=ルティムが、ミダ=ルウに負けない勢いで涙をこぼしながら眉を吊り上げる。
「なんだヨ! どうしてこんな場に、アンタがしゃしゃり出てくるのさ!」
「ミダ=ルウをたしなめるのは、俺の役割であるかと考えたためだ」
静かな声音で語るライエルファム=スドラのかたわらで、ユン=スドラは不安そうに口もとを引き結んでいる。森辺の民であれば、誰しもがテイ=スンの死に関する実情をわきまえているのだ。
テイ=スンを死に至らしめたのは、ライエルファム=スドラなのである。
そしてそれは、俺をテイ=スンから守るための所業であった。
だから、俺たちは――この場を素通りすることなど、決して許されなかったのだった。
「俺がわかるか、ミダ=ルウよ? お前とは、何度か顔をあわせているはずだな。俺はスドラの家長、ライエルファム=スドラだ」
ミダ=ルウは恐竜の咆哮じみた泣き声を呑み込んで、ひっくひっくとしゃくりあげながらライエルファム=スドラの姿を見返した。
ディガやドッドは涙をぬぐいながら、唇を噛んでライエルファム=スドラの姿を見つめている。彼らはほんの半月足らずの前に、こちらの収穫祭でライエルファム=スドラの活躍を見届けていた。
「お前はスンの氏を奪われた立場だが、かつての家族を失った悲しみまで捨て去ることは難しかろう。族長らも、それを咎めることはないかと思うが……このような往来で、町の人間に迷惑をかけることは許されまい。泣きたいなら、自分の家に戻って泣き伏すがいい」
「だから! どうしてアンタに、そんな口を叩かれないといけないのさ!」
ツヴァイ=ルティムは涙をぬぐおうともしないまま、険悪な声でがなりたてる。
ミダ=ルウやディガやドッドにとって、テイ=スンは同じ家で暮らす家人であったが――さらに、オウラ=ルティムはテイ=スンの娘であり、ツヴァイ=ルティムは孫であったのだった。
「その問いかけには、さきほども答えたな。お前たちにその悲しみをもたらしたのは俺なのだから、俺がたしなめるべきではないだろうか?」
ライエルファム=スドラは微塵も心を乱していない様子で、そのように言いつのった。
「俺はテイ=スンを、この手で殺めた。しかし俺は、森辺の民として正しい行いに手を染めたのだと考えている。俺が刀を振るわなければ、アスタが魂を返すことになっていたのであろうから……俺には、あのように振る舞うしかなかったのだ」
「なんだヨ! アタシらがいっぺんでも、アンタを責めるような真似をしたってのかい? テイ爺は……テイ爺は、大罪人だったから処断された! そんなことは、アタシたちだってわかってるヨ!」
「うむ。テイ=スンは、過去にも数々の大罪を犯してきたのであろう。ザッツ=スンが病魔に倒れるまでは、ともに盗賊まがいの真似に手を染めていたはずであるのだからな。おそらくは、自らの生命で贖う他ないほどの大罪を犯していたのであろうと思う」
そのように語りながら、ライエルファム=スドラはその場にいる面々の姿をゆっくりと見回していった。
「しかし、俺は……あやつが魂を返す寸前、最後の最後で人間らしい表情を取り戻すさまを見届けている。あやつは森辺の民として許すまじき大罪を犯していたが、心のどこかには正しい心が残されていたはずであるのだ」
「でも……テイ=スンは、アスタを殺そうとしたんだろう?」
涙声でディガが問うと、ライエルファム=スドラは変わらぬ静けさで「うむ」とうなずいた。
「あやつは本気で、アスタを殺めようとしていた。しかしそれは……森辺の民の力を信じての行いだったのではないだろうか?」
「森辺の民の力……?」
「うむ。自分がどのように暴虐な真似をしても、森辺の民であればそれを止めることができるはずだ、と……テイ=スンはそのように信じて、スン家の罪をすべて背負い、ザッツ=スンの遺志に殉じた。俺には、そのように思えてならんのだ。そうでなければ……最後にあのような笑みをこぼすことなど、かなわないように思えるからな」
そう言って、ライエルファム=スドラは苦しそうに自分の心臓のあたりをつかんだ。
「ザッツ=スンもテイ=スンも、森辺の民が真なる誇りを取り戻せるように、あのような悪行に手を染めたのだと言い張っていた。ジェノスの貴族を討ち倒し、自由に生きていくための力を得るのだ、とな。しかし、ザッツ=スンは最後まで自分が正しいのだと信じていたのかもしれんが……テイ=スンは、おそらく疑念を抱いていた。だからあやつは、あのように屍めいた眼差しになっていたのであろう。だからあやつは、ザッツ=スンの間違った信念を押し抱きながら、正しき道を進もうとする森辺の同胞に滅ぼされることを願った……きっと、そういうことなのではないだろうか?」
「あなたは……どうしてそんなに悲しそうな目をしているのかな……?」
石敷きの街路にへたりこんでいたミダ=ルウが、ぼんやりとした声でそのように問いかける。
ライエルファム=スドラはわずかに肩を震わせながら、ミダ=ルウの涙に濡れた顔を見返した。
「俺は、後悔しているからだ。……むろん、あやつを殺めたことではないぞ。あやつは本気でアスタを殺めようとしていたのだから、俺も刀を振るう他なかった。あの行いを、俺が悔いることはない」
「それじゃあ、どうして……?」
「俺は死にゆくあやつに向かって、恥知らずなどと罵ってしまったのだ。そのときには、あやつがただの大罪人だと信じていたからな。しかし、あやつは……魂を返す寸前に、人間らしい温かみを取り戻した顔で、満足そうに微笑んだ。それで俺は、あやつの抱えていた無念と悲しみを悟り……自らの言葉を、悔いることになったのだ。あやつは大罪人だったが、決して恥や誇りを知らない人間ではなかったのだ、とな」
ライエルファム=スドラは表情だけは乱さないまま、自分の胸もとをぎゅっと握りしめた。
「死んでしまった人間には、詫びることもできん。そして、かつて家族であったお前たちには、俺などとは比べるべくもないほどに、伝えそびれた思いがあるのであろう。しかしあやつは、後に残されるお前たちに希望を託していたのであろうから……あやつを失った悲しみを乗り越えて、あやつの期待に応えてもらいたく思う」
「うん……ミダはこれからも、ルウの人間として正しく生きていくんだよ……? みんなみんな、同じ気持ちなんだよ……?」
そんな風に言いながら、ミダ=ルウは頬肉をぷるぷると震わせた。
たぶんミダ=ルウは、微笑んでいるのだ。
「テイ=スンが、それで喜んでくれるなら……ミダは、とっても嬉しいんだよ……?」
「……うむ。テイ=スンも母なる森の腕に抱かれながら、お前たちを見守っていようからな」
そう言って、ライエルファム=スドラは目もとに笑い皺を寄せた。
ツヴァイ=ルティムはいつしか母親の胸もとに顔をうずめて、声もなく泣いている。その頭を撫でるオウラ=ルティムも、目もとを白く光らせていた。
ディガやドッドは新たな涙がこぼれることをこらえるように、ぎゅっと眉をひそめており――そしてヤミル=レイは、長い前髪に目もとを隠していた。
そんな中、俺はライエルファム=スドラを真似て、自分の装束の胸もとをひっつかむ。
やっぱり聡明なるライエルファム=スドラは、俺と同じ思いにとらわれていたのだ。あの騒動の中で、俺とアイ=ファとライエルファム=スドラだけはテイ=スンの最後の笑顔を見届けることがかなったのだから、それも当然の話であるのかもしれなかった。
しかし俺は、これまでミダ=ルウたちに自分の思いを伝えることができていなかった。
テイ=スンにも、正しい心が残されていたのかもしれない――そのような言葉を伝えても、ミダ=ルウたちをいっそう悲しませるだけなのではないかと思えてならなかったからだ。
テイ=スンは、いったいどのような心持ちでこのさまを見守っているだろうか。
死者を偲ぶ、鎮魂祭の夜――俺はそうして、母親に対するのと同じぐらいの強い気持ちで、テイ=スンの存在に思いを馳せることになったのだった。




