黒の月の鎮魂祭⑧~語らいの場~
2022.6/20 更新分 1/1
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それから四半刻ほどが経過して、ようやく青空食堂のお客もすべての料理を食べ終えることになった。
空いた食器を洗浄して荷車に積み込み、トトスと荷車を宿屋にお預けしたならば、ようやく待望の自由時間である。この段階で、もうとっくに普段の就寝時間を過ぎているのであろうが、祝祭の昂揚が眠気を追いやってくれていた。
「それじゃあまずは、俺たちの腹ごしらえにつきあってもらえるかな?」
「アスタたちは、まだ晩餐を口にしていなかったのか? あのように立派な料理を売りながら空腹をこらえるなど、とんでもない苦行だな」
ディアは呆れた様子でそのように言っていたが、俺やユン=スドラにとっては宿屋の屋台村の料理を賞味するのも、大きな楽しみなのである。2日連続で俺の料理を口にできないアイ=ファはちょっぴり不満げな面持ちであったが、それは明日の晩餐でせいいっぱい挽回するしかなかった。
ということで、荷車をお預けした《キミュスの尻尾亭》から、俺たちは露店区域に舞い戻る。俺とユン=スドラとチル=リムを真ん中に置いて、ライエルファム=スドラが先頭を進み、アイ=ファとディアが左右を固めてくれる布陣であった。この人混みでサチを連れ歩くのは難しかろうという判断で、彼女はギルルたちとともに倉庫で居残りだ。
往来は相変わらずわきかえっており、むしろ宴もたけなわといった様子である。夜通し騒ぐと言っても、復活祭の『滅落の日』のように日の出を待つほどではないはずであるが、それでもまだまだ祝祭が終わる気配は微塵もなかった。
さすがに幼子の数はずいぶん減っていたが、そのぶん酔漢の姿が目立つ。さらに人々の半数はあやしげな扮装をしているために、アイ=ファは普段以上に気を張っている様子だ。ただし、往来のあちこちには森辺の同胞の姿もうかがえるので、俺としては心強い限りであった。
「そういえば、チルの故郷では鎮魂祭を開いていたのかな?」
俺がそのように問いかけると、チル=リムは「ええと」と言葉を探した。
「この時期に鎮魂の儀を開く習わしはあったのですが……祝祭という扱いではありませんでしたね。家の前に白い花を飾り、目の周りを炭で黒くして、魂を返した家人について夜通し語らうという習わしでした」
「なるほど。でも、ジェノスよりは七神祭の習わしが正しく伝えられていたんだね」
「はい。ピノが言うには、そういう古い習わしは自由開拓地のほうが根強く残されているようです」
そんな風に語るチル=リムの声に、ふっとさびしげな響きがにじんだ。自由開拓地であった彼女の故郷は、邪神教団によって滅ぼされてしまったのだ。
「ディアの故郷にも、鎮魂の儀というものは存在したぞ。黒い布だの白い花だのという習わしはなかったが、その日は死者を偲びつつ、夜通し騒いだものだ」
ディアがそのように言いたてたので、俺は「え?」と小首を傾げることになった。
「でもこれは、七小神の祝祭だよ? 聖域では崇められていない神々のはずだよね?」
「うむ。しかし、聖域には――」
と、ディアはそこで口をつぐみ、マントに包まれた肩をすくめた。
「やっぱりやめた。聖域の話を外界で語るべきではないのだ」
「ああ、うん。そうだったね。ディアにつられて、俺もつい口をはさんじゃったよ」
もともと大神アムスホルンには十四小神の供があり、その内の半数は大神とともに眠りに落ちたとされているのだ。それで眠りに落ちたほうの七小神こそが、聖域の民の崇めるべき神々であるという話であったのだが――そんな話をわきまえているのは聖域の族長たちと、そしてフェルメスのように博識な人間のみであるのだった。
「ディアもあちこちの地で七神祭というものを味わったが、この鎮魂祭というやつは初めてだ。ピノたちに話は聞いていたが、ずいぶん素っ頓狂な祝祭であるようだな」
「うん。これが森辺の民の気風に合うかどうか、俺たちはそれを見定めないといけないんだよね」
「祝祭を楽しむのに、気風もへったくれもあるまい。しかしまあ、森辺の民らしい言い草なのであろうな」
ディアは襟巻きの下で、愉快げに笑ったようであった。
ディアもチル=リムもすっぽりと素顔を隠してしまっているものの、その声を聞いているだけで俺は満ち足りた心地である。鋭い面持ちで街道を進みつつ、アイ=ファもきっと同じ気持ちであるはずであった。
しばらくして、ようやく宿屋の屋台村に到着する。
祝祭の開始から二刻以上が経過しても、まだ8割ていどの屋台が営業を続けているようだ。こちらも共同で青空食堂を開いているため、そちらもたいそうな盛り上がりようであった。
「いやぁ、すごい人手だね。まずはナウディスの料理をいただこうか」
あんまりのんびりと屋台を見て回れるような状態ではないため、俺たちはご縁のある宿屋の屋台を巡ることにした。そういった屋台では期待を裏切られる恐れもほぼ存在しないのだった。
効率を考えれば手分けをして料理を調達するべきであるのだろうが、それはアイ=ファが許してくれないため、俺たちは6名が一丸となって同じ屋台の行列に並ぶ。試食会で勲章を授かった《南の大樹亭》の屋台は、本日も大盛況であった。
「お疲れ様です、ナウディス。今日もこちらの料理をいただきに参りました」
「おやおや、いらっしゃいませ。2日連続でアスタをお迎えできるとは、光栄の限りですな」
もしゃもしゃの髭をたくわえたナウディスが、柔和な笑顔で出迎えてくれる。ナウディスもまた頭から黒い布をかぶりつつ、屋台の商売に励んでいた。
「本日は、かれーの料理でありますぞ。何人前をご所望でしょうかな?」
「ディアとチル=リムは、もう十分なんだよね? それじゃあ、4人前でお願いします」
俺がそのように答えると、ディアは背伸びをして屋台の鉄鍋を覗き込んだ。
「美味そうな匂いを嗅いでいたら、また腹が減ってきた。ディアも買うことにしよう」
「それじゃあ、5人前で。俺がまとめて支払うので、清算はあとでかまわないよ」
「5人前ですな。少々お待ちください」
ナウディスはずんぐりとした指先を器用に動かして、てきぱきと料理を作りあげていく。フワノの生地で具材を包んできゅっと丸める、簡単な饅頭の料理だ。
「ナウディスは、鎮魂祭についてどのようにお考えですか?」
「そうですな。昨日の昼から働き通しですが、厨では家族とじっくり語らうことができました。これは実に趣の深い祝祭だと思いますぞ」
見た目に寄らずやり手の商売人であるナウディスであるが、収入の向上以外の面でも鎮魂祭の意義を見いだせた様子である。俺はお礼を言って、カレーの香りが芳しい饅頭を受け取った。
いちいち食堂まで出向くのは手間であったため、俺たちは人混みを避けて立ち食いに興じることにする。
襟巻きをずらして饅頭をかじったディアは、「ほう」と感心したような声をあげた。
「これは美味いな。森辺の民の料理とも遜色ないようだぞ」
「うん。何せナウディスは、ジェノス全体の料理人の中から第三位の座を勝ち取ったお人だからね」
「ふふん。それを言ったら、アスタなどは第一位の座であったのだろう? ディアたちは、ジェノスに到着する前からアスタの名を聞き及ぶことになったのだぞ」
そんな風に言いながら、ディアはかじりかけの饅頭をチル=リムのほうに差し出した。
「腹が苦しくなければ、チルも味見をしてみるがいい。辛さもほどほどで、とても美味だぞ」
「ありがとうございます」と、チル=リムも襟巻きをずらして饅頭を口にした。
「わあ、本当に美味しいですね。辛いだけじゃなく、さまざまな味が詰まっているようです」
「うむ。アスタたちの料理も、それは同様だったがな。……さきほどアスタたちの料理を口にしたときは、もう大変だったのだぞ。チルがぽろぽろと涙をこぼしながら、ピノの倍ほども料理を食べてしまったのだ」
「あ、あれはひさしぶりにアスタたちの料理を口にして、つい心を乱してしまったのです。恥ずかしいので、そんな話をアスタの前でしないでください」
チル=リムはまだ襟巻きをずらしていたので、その小さな顔が恥ずかしそうに赤らむさまがあらわにされていた。
そして俺たちの視線に気づくと、ディアが「うむ?」と小首を傾げる。
「何をそのように、興味深げな目つきをしているのだ? チルの恥ずかしがる姿が楽しいのか?」
「いや。チルばかりでなく、お前もだな。姿はまるで似ていないのに、まるで姉妹のようではないか」
ライエルファム=スドラは目もとに笑い皺を寄せながら、そう言った。
「もとよりお前は、チルのためにさんざん力を尽くしていた身であったが……この半年ほどで、正しく絆を深めることがかなったのだな。それも喜ばしく思うぞ」
「ふん。父親じみたことを抜かすな。お前はただでさえ聖域の民と似た風貌をしているから、そんな目つきをされると落ち着かんのだ」
可愛らしく顔をしかめながら、ディアはそんな風に応じた。いっぽうチル=リムは、喜びと気恥ずかしさの入り混じった面持ちで微笑んでいる。
「それよりも、鎮魂祭というのは死者について語らう場であるのだろう? ディアたちにかまわず、好きに語らうがいいぞ」
「ふむ。そういえば、故郷を捨てたお前には、そのように振る舞うことも許されんのか?」
「うむ。ディアはすべての同胞と血の縁を絶った身であるからな。許されるのは、外界に出てから得た縁者についてであるのだろうが……今のところ、親しい人間と死に別れたことはない」
「では、チルは?」
「はい。わたしも過去の身分を捨てて、《ギャムレイの一座》の座員だけを同胞とすると誓った身ですので……この夜に、語る言葉はありません」
そんな風に言ってから、チル=リムは澄みわたった微笑をたたえた。
「ただ、たとえ身分を捨てようとも、かつての家族たちへの思いを捨てる必要はないと、ピノはそんな風に言ってくれました。ですから、何も語ることなく、ただ心の中で偲ぼうかと思います」
「そうか。お前の新たな同胞が正しき考えを持っていることを、得難く思う」
厳粛なる口調でそう言ってから、ライエルファム=スドラは俺たちのほうを見回してきた。
「となると、あとは俺たちだが……このように騒がしい場所では、なかなか死者を偲ぼうという気持ちにもなれん。アイ=ファたちは、どうであろうか?」
「まったく、同じ気持ちだな。そのような話は、家で家人と語らうべきではなかろうか?」
「やはりそうか。町の者たちは、いったいどのようにして鎮魂祭に臨んでいるのであろうかな」
ライエルファム=スドラがそんな疑念を呈したとき、「おお!」という甲高い声が響きわたり、アイ=ファに溜息をつかせた。
「なんと! そこにいるのは、アイ=ファじゃないか! このような人混みで出くわすなどとは、まさしく神のお導きだね! まあ、君の輝ける姿はどのような人混みでも際立っているけれどさ!」
そんな言葉の内容だけで、誰が接近してきたかは明白である。かくして俺たちは、誰よりも入念な扮装をした3名の冥界の住人たちと遭遇してしまったのだった。
「そうかそうか! アスタも屋台の商売を終えたのだね! わたしたちも、こちらの屋台で小腹を満たしに来たのだよ! ユン=スドラにライエルファム=スドラも、鎮魂祭を楽しんでいるかな? それに、そちらの両名は――」
と、ディアたちのほうを見たティカトラスが、きょとんと目を丸くする。
俺としては、緊張の一瞬であった。
「おやおや? これは何だか……聖域の民にでも出くわしたような気分なのだけれども……でもまさか、モルガの山の住人が祝祭の見物に出向いてきたわけではないよねぇ?」
「ディアは、故郷を捨てた身だ。西方神の宣誓が必要か?」
ディアがぶっきらぼうに応じると、白塗りのデギオンがぴくりと肩を動かした。
「ディア……その名には、聞き覚えがあります……もしやあなたは、《金の目》の異名で知られる《守護人》では……?」
「ああ、そんな風にディアを呼ぶ人間もいるそうだな。しかし、ディアが自分で名乗ったわけではないぞ」
デギオンは陰気な眼差しでディアの姿を検分してから、ティカトラスのほうに向きなおった。
「こちらの《金の目》は、ここ最近で評判を呼んでいる凄腕の《守護人》となります……王都の認可を受けていない《守護人》としては、随一の力量ではないかと……わたしはそのように聞き及びました」
「ほうほう! ではもしや、君は聖域を捨てた人間であるのかな?」
ティカトラスが興味津々の顔で身を乗り出すと、ディアは面倒くさそうに「そうだ」と言い捨てた。
「素晴らしい! 聖域を捨てた人間が存在するらしいとは聞いていたけれど、実物にお目にかかったのは初めてだよ! やはり聖域を捨てたところで、そう簡単に魂の輝きが変ずるわけではないのだね! 君の荒ぶる魂は、かつて目にした聖域の民と同じぐらい美しいよ!」
すると、アイ=ファが「ティカトラスよ」と声をあげた。
「では、あなた自身はディアの名を知らなかったのだな?」
「うん? わたしはそうまで、武の世界に関心が高いわけではないからね! デギオンほど熱心に耳をそばだててはいないのさ!」
アイ=ファは神妙な面持ちで、「そうか」とうなずいた。
実は商売を終える前、ティカトラスとの酒盛りを終えたカミュア=ヨシュが屋台の裏に舞い戻ってきて、「王都への報告書に俺やディアの名は記されていなかったようだよ」と告げてくれたのだ。
王都への報告書とは、もちろんフェルメスがセルヴァの王へと宛てたものである。ジェノスで何か騒動が起きた際には、外交官たるフェルメスによって逐一報告されているはずであるのだ。
しかしフェルメスはフェルメスなりの観点でチル=リムの行く末を思いやってくれていたので、きっとチル=リムにまつわる騒動に関しては必要最低限の内容しか記していなかったのだろう。アイ=ファはそれを再確認するために、さきほどのような質問をしたのだろうと思われた。
ただ、さすがにチル=リム本人の名は報告書に記載されているだろうから、ティカトラスの前では決して名前を呼ばないようにと、カミュア=ヨシュから忠告されている。
そうして俺たちがひそかに気を張っていると、ティカトラスはディアに向けていた視線をチル=リムのほうに移動させた。
「では、君は? 見たところ、自由開拓民であるようだね!」
「あ、いえ……わたしは故郷を捨てて、旅芸人として生きる身となります」
「ほう! 旅芸人! いったいどのような芸を見せてくれるのかな?」
「いえ、その……まだ見習いの身でありますため、なんの芸も習得できていないのですが……」
「そうかそうか! まあ、今日はすでに見事な芸をさんざん目にすることができたからね! 君も立派な旅芸人を目指してくれたまえ!」
ティカトラスはからからと笑い、俺はほっと安堵の息をつくことになった。
「では! この出会いを祝して、わたしから酒と料理を振る舞わせていただこう! 森辺のみんなも、あちらで一緒に鎮魂祭を楽しもうじゃないか!」
「いや、我々は――」
「今、料理を注文してくるからね! 先に食堂で待っていてくれたまえ! さあ行くよ、デギオン、ヴィケッツォ!」
アイ=ファの言葉など耳に入った様子もなく、ティカトラスは人垣のほうに突撃していく。アイ=ファは頭痛をこらえるようにこめかみを押さえつつ、ライエルファム=スドラを振り返った。
「我々が、このまま姿を消してしまったら……やはり、礼を失することになるのであろうか?」
「うむ。王都の貴族を相手に、粗雑な真似をするわけにもいくまい。あちらの誘いを断るならば、しっかりとその旨を告げるべきであろうな」
ライエルファム=スドラは苦笑を浮かべながら、そう言った。
「それに、あやつとは正しき絆を深めるべきであろう? 苦手な相手から遠ざかろうというのは、アイ=ファらしからぬ行いであるように思えるな」
「……私はライエルファム=スドラが思っているほど、立派な人間ではないということであろう」
アイ=ファがこらえかねたように口をへの字にすると、ディアが肩をすくめながら発言した。
「ディアは、何がどうでもかまわんぞ。カミュア=ヨシュが言っていた通り、あのおかしな貴族はチルに関心がないようだしな」
「では、あちらでティカトラスたちを待つことにするか」
俺たちは、酔漢で賑わう青空食堂を目指すことになった。
扮装をした西の民や、黒い布をかぶった南の民などが、土瓶を振り上げて騒いでいる。鎮魂祭には数多くの東の民が集まっているはずであるのに、何故だかその場には姿が見えなかった。
「手ぶらで席を占領するのは、あまりお行儀がよくないかな。ここでティカトラスたちが戻ってくるのを――」
俺の言葉は、「やあやあ!」という甲高い声にさえぎられた。
「お待たせしたね! それじゃあ、腰を落ち着けようか!」
「あ、あれ? 料理はどうされたのですか?」
「いちいち並ぶのは面倒だったから、手近なお人らにお願いしてきたのだよ! 果実酒もすぐに届けられるはずなので、のんびり待とうじゃないか!」
そんな風に語らいながら、ティカトラスは食堂の面々に向きなおった。
「諸君! 間もなく、樽で果実酒が届けられるはずだからね! 銅貨などは不要だから、ぞんぶんに味わってくれたまえ!」
人々の多くは、ティカトラスのことを見知っているのだろう。そうして俺たちは、大歓声で食堂の真ん中に迎えられることに相成ったのだった。
「いやあ、今日も宿場町は盛り上がっているね! この調子なら、きっとジェノスでも鎮魂祭が根付くことだろう! あれこれ奔走した甲斐があったというものだよ!」
席に着くなり、ティカトラスはそのようにのたまわった。
すると、仏頂面のアイ=ファに代わって、ライエルファム=スドラが発言する。
「しかし、ティカトラスよ。俺たちは、いまだに鎮魂祭の何たるかを見定められずにいる。ここは誰よりも鎮魂祭についてわきまえているであろうティカトラスに、教示を願えないだろうか?」
「ふむ? 教示とは? 鎮魂祭でどのように振る舞うべきかは、森辺にも通達されているだろう?」
「うむ。だが、このように騒がしい場でどのように死者を偲べばいいのか、俺たちにはその道筋がわからんのだ」
「何も難しく考える必要はないさ! ただ語らえばいいのだよ!」
ティカトラスは楽しげに笑い、それからふっと語調をやわらげた。
「たとえば……君はわたしと同じていどの齢であろう、ライエルファム=スドラよ? わたしはすでに父親を亡くしているのだが、君はどうであろうかな?」
「両親は、すでに魂を返している。あとは兄と妹がいたが……妹は幼い頃に病魔で魂を返し、兄は狩りの仕事のさなかに魂を返した」
「ふむ。ご両親は、いつ頃に身罷られたのかな?」
「兄と父は、同じ日だ。母は、それより数年前となる。俺が17の齢を数える頃には、すべての家族が魂を返していた」
17歳――それは、俺とアイ=ファが出会った頃の年齢であった。
ライエルファム=スドラは、その頃にすべての家族を失ってしまったのだ。
「わたしはもうひとり、伴侶にしたいほど愛した相手を亡くしている。このヴィケッツォの、母親たる女性だね。君にもそういったお相手は存在するのかな?」
「俺が愛したのは、伴侶のリィただひとりだ。リィは今でも、強く生きてくれている。ただ、リィとの間に生した赤子が、これまでにふたり魂を返している」
「ああ、わたしは人よりも数多くの子を生しているけれども、誰もが健やかに育ってくれた。それがどれだけ幸福なことか、感謝を忘れたことはないよ。どうか君の子供や家族たちのために、安息を願わせてくれたまえ」
誰よりも奇矯な姿をしたティカトラスは、そんな風に言いながら自分の心臓のあたりに手を置いた。
「では、ユン=スドラはどうだろう? 君のご両親は、健在であるのかな?」
「いえ。両親は、わたしが幼い頃に魂を返しました。わたしの上には、兄もいたようですが……残念ながら、わたしはいずれの家族の顔も覚えてはいません」
とても静かな面持ちで、ユン=スドラはそのように答えた。
「わたしはもともとミーマという氏族の家人であったのですが、わたしが11歳の頃には分家をあわせても6名の家人しかなかったため、全員でスドラの家人になることになりました。その後も数多くの家人が魂を返して……今のわたしは、スドラの12名だけが家族と呼べる存在となります」
「そうか。12名もの家族を持てるというのは、幸福なことだけれども……かつての家族をすべて失ってしまったというのは、悲しい限りだね」
「はい。ですがわたしは、悲しみよりも大きな喜びを抱くことができています。スドラもまた滅びに瀕していましたが、アスタやアイ=ファのおかげで希望を取り戻すことがかなったのです」
ユン=スドラはわずかに目もとを潤ませながら、俺とアイ=ファのほうを見やってきた。
ティカトラスもまた、俺たちのほうを見つめてくる。
「では、アイ=ファとアスタはどうだろう? 差し支えがなければ、聞かせてくれたまえ」
「……私は12歳の年に母を失い、15歳の年に父親を失った」
「俺は7歳の頃に、病魔で母親を失いました」
「そうか。ヴィケッツォは3歳の頃に母親を失い、デギオンは――家族は失っていないけれど、ともに剣を学んだ盟友を16歳の頃に失っている。まずは、すべての死者たちの冥福を祈ろうじゃないか」
ティカトラスは、ディアとチル=リムに声をかけようとはしなかった。聖域を捨てたディアと旅芸人のチル=リムにこの習わしを押しつけることはできないと、わきまえているのだろう。
「わたしの父は、とても厳格な気性であったよ。その反動で、わたしはこのように浮ついた人間になってしまったのかもしれないね。アイ=ファやライエルファム=スドラの父君は、どのようなお人柄であられたのかな?」
「……父は、素晴らしい狩人だった。そして、何より家族を大事にする、優しくて誠実な人柄だった」
「俺の父は……すでに滅びの兆しが見えていたスドラの家を立て直すことに、すべての力を注いでいた。そのために、大きく道を誤ってしまった」
「ほう」と、ティカトラスはライエルファム=スドラに視線を定めた。
「それは、どのような過ちであったのかな? 差し支えがなければ、聞かせていただきたい」
「べつだん、隠すような話ではない。父は兄にすべての希望を託し、眷族たるミーマにも同じように振る舞うように命じた。スドラの長兄とミーマの長姉を大事に育てて、そのふたりに血族の希望を託したのだ。しかし……婚儀をあげても子を生すことのできなかった両名は、絶望しながら魂を返すことになった。そして両名が魂を返したことによって、すべての血族が大きな絶望を抱えることになったのだ」
「だから家長ライエルファムは、長子ばかりでなくすべての家人を等しく慈しむべしという新たな命令を下したのですよね。それでスドラとミーマの家人は、新たな希望を抱くことができたのだと聞いています」
ユン=スドラが言葉を添えると、ティカトラスは「なるほど」とうなずいた。
「では、ライエルファム=スドラは父君のことを恨んでいるのかな?」
「恨んではいない。むろん幼い頃は、どうして兄ばかりが好きなだけ腹を満たすことができるのだろうと、妬む気持ちを抱えてしまっていたが……父とて、家を守りたいという一心であったのだ。俺がスドラの家を滅ぼさずに済んだのは、ただアスタたちに出会えたという幸運のためなのだから……俺に父の愚かさを恨む資格など、あろうはずがない」
「いえ。家長が新たな希望を示してくれたからこそ、わたしたちはアスタたちと巡りあえるまで生き永らえることができたのです。……でも、家長が自身の父を恨んでいないと聞き、とても安心しました」
ユン=スドラが透き通った微笑を送ると、ライエルファム=スドラは穏やかな眼差しでそれを受け止めた。
そのさまを見届けてから、ティカトラスは俺とアイ=ファに目を向けてくる。
「わたしの愛したヴィケッツォの母親は、とても精悍で情の深い女性であったよ。両親は海賊で、彼女がまだ幼い頃に吊るし首にされてしまったのだけれども……彼女は決して悪徳の世界に堕ちることなく、商船の船乗りとして大成した。そんな彼女の強靭さと清廉さに、わたしは心を奪われたのだ。……アイ=ファとアスタの母親は、どのようなお人柄であったのかな?」
「……私の母は、とてもつつましい気性だった。身体が弱く、気も弱かったが、しかし決して自分を曲げるような真似はしなかった。私が偏屈な人間であったため、母には苦労ばかりかけてしまったが……魂を返すその瞬間まで、母は残される私と父の行く末を気にかけてくれていた」
「俺の母親も、優しくて穏やかな人でした。あまり自己主張はしない人でしたけど……でも、自分の意に沿わないことには手を染めない強さを持っていたと思います」
「ふむふむ。アスタは母君から調理を習ったのかな?」
「いえ。父のほうが、食堂の料理人だったんです。だからもちろん、父のほうが料理は得意だったんですが、休日の食事は母が作る取り決めになっていて……その料理を食べられなくなってしまったことが、とても悲しかったです」
ひくっとおかしな声がしたので振り返ってみると、ユン=スドラが慌てて涙をぬぐっていた。
「も、申し訳ありません。アスタやアイ=ファの親の話を聞く機会は、これまであまりなかったので……」
「うんうん。そうやって、大事な相手の家族について知ることができるのも、鎮魂祭の妙趣であるからね」
そんな風に言いながら、ティカトラスは隣に座していたヴィケッツォの肩を抱いた。いつしか彼女は、怒った幼子のような面持ちで透明の涙をこぼしていたのだ。
そこでいきなり大歓声があげられたため、俺は思わずびくりとしてしまった。
どこかから、果実酒の樽が運ばれてきたのだ。一緒に運ばれてきた木皿に真っ赤な果実酒が注がれて、こちらの卓にも回されてきた。
「さあ、待望の果実酒だ! ……ちなみに、わたしの父は酒をたしなまない人間だったのだよね。皆の家族はどうであったのかな?」
「俺の母親も、酒は飲まなかったようです」
「私の父は果実酒を好み、母は時おり口にするていどであったな」
「スドラの家には、果実酒を買うゆとりもなかった。ただ、兄は絶望をまぎらわせるために、家の富で勝手に果実酒を買ってしまっていたな」
「では、わたしの父やアスタの母は、さっさと美味い料理を持ってこいと不満に思っているかもしれないね! ライエルファム=スドラのご家族は、どうか飽きるまで果実酒を飲み干していただきたい!」
もともとの賑やかさを取り戻して、ティカトラスはそのように言い放った。
「それに、ヴィケッツォの母は呆れるほどの酒豪であったため、こんな樽では足りるものかと肩をすくめていることだろう! ……どうだね? 亡くした家族を身近に感じられているかね?」
「いや、べつだん」と、ライエルファム=スドラは素っ気なく応じる。
するとティカトラスは、ペイントされた顔で陽気に笑った。
「では、まだまだ語り足りていないということだ! 亡くした者たちの面影がくっきり浮かびあがるまで、ぞんぶんに語らうがいいよ! この夜に生者だけで楽しもうなどと目論んだら、冥神の怒りを買ってしまうからね!」




