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異世界料理道  作者: EDA
第七十章 灰と黒の祝祭
1214/1695

黒の月の鎮魂祭⑦~秘密の共有~

2022.6/19 更新分 1/1

《ギャムレイの一座》の面々が料理を買いつけていったのちも、屋台の商売は盛況をきわめた。

 森辺の同胞やドーラ家の面々、それにベンやカーゴたちなどもやってきて、町はどんどん賑わっていく。ジバ婆さんは4名の護衛役に守られながら、青空食堂のお客たちと交流を深めているとのことであった。


「アスタよ、今日もご苦労だな」


 と、ダリ=サウティが単身で屋台の裏手に回り込んでくる。そして、俺とアイ=ファにだけ聞こえるように声をひそめながら、言いつのった。


「こちらの向かいに、あの岩蜥蜴という獣の姿が見えたので、もしやと思ってな。俺もピノたちに挨拶をしてきたぞ。……チルは無事に受け入れられたとのことで、何よりであったな」


「うむ。これもディアやカミュア=ヨシュらが力を尽くしてくれたおかげだな。アスタが商売を終えた後は、チルたちと宿場町を巡ろうかと考えている。こちらで勝手に了承してしまったが、何も問題はなかったであろうか?」


「うむ。これはチルが誰の目をはばかることなく生きるための措置であったのだからな。ぞんぶんに絆を深めてやるといい」


 チル=リムを巡る騒動では同じ場で刀を振るうことになったダリ=サウティは、優しい声音でそのように言ってくれた。


「ただ……無事に話がまとまったのなら、俺もいよいよ他の族長らに秘密を打ち明けねばならんな。どれだけ厳しい目を向けられるか、今から身のすくむような思いだ」


「うむ? ダリ=サウティは同胞に余計な気苦労を負わせないために、これまでチルの一件を包み隠していたのであろう? それを責めるようなドンダ=ルウとグラフ=ザザではあるまい」


「それでも、秘密を持っていたのは事実だ。俺が同じ立場であったなら、なんと水臭い真似をするのだと腹を立てていただろうしな。……アイ=ファのほうでも、チルやディアを見知っている森辺の同胞に関しては、秘密を打ち明けてかまわんぞ。ともに宿場町を巡るのであれば、他の狩人の力も必要であろうしな」


「承知した。ドンダ=ルウらの怒りを買うようなことがあれば、私もダリ=サウティとともに責を負おう。他に何か、警戒するべき点はあろうか?」


「うむ。ティカトラスに用心をする必要はないと、カミュア=ヨシュがそのように言っていたが……この夜、デヴィアスが宿場町にやってくる恐れはなかろうかな?」


「ああ、あやつもチルの姿を見知っているのだったな。こうまで衛兵が駆り出されているのなら、あやつも長としての務めを果たしているさなかであろうが……何かのはずみで宿場町にやってくる恐れはあるのやもしれん。くれぐれも用心しておこう」


「うむ。単身であればまだしも、ディアとともにある姿を見られては、察しがついてしまうやもしれんからな」


 そんな風に言ってから、ダリ=サウティは微笑をこぼした。


「まあ、こちらが情理を尽くして説き伏せれば、デヴィアスも秘密を守ってくれるやもしれんが……あやつに無用の気苦労を負わせるのは、忍びない。あやつのためにも、こちらが気を張っておくべきであろう」


 アイ=ファは重々しい調子で、「うむ」と応じた。

 俺たちは当たり前のようにカミュア=ヨシュの妙案を受け入れていたが、実のところ、これは王や貴族たちをあざむくという大きな罪であるのだ。実行犯はカミュア=ヨシュとディアであったものの、その秘密を知ったまま口をつぐんでいる森辺の民にも、大きな責任が生じるはずであった。


(でも俺たちは、そうすることが正しいと思ったんだ)


 魔術嫌いの王を納得させるために、チル=リムをシムに追放することなど、俺たちにはとうてい納得がいかなかったのである。

 それにフェルメスは、チル=リムを決して絶望させてはならないのだと言っていた。もしもチル=リムがこの世に絶望してしまったなら、自ら邪神教団に身を寄せて、星見の力を悪用されることにもなりかねないのだ。だから俺たちは、より大局に立ってもっとも正しい手段を選び取ったつもりでいた。


(まあ、セルヴァの王様にそんな事情を報告しても、だったらそんな娘は処刑してしまえって話になりかねないんだろうしな。だからこそ、カミュアも絶対の秘密だって言い張ってたんだろうし……そんな理不尽な真似、絶対にさせるもんか)


 そんな思いを胸に溜めながら、俺は商売に励み続けた。

 しばらくすると、往来からまた歓声が響きわたる。食事を終えた《ギャムレイの一座》が、再び芸を見せ始めたのだ。それと時を同じくして、カミュア=ヨシュが「やあやあ」と屋台の裏にやってきた。


「俺もこちらにお邪魔させてもらっていいかな? 何せアイ=ファたちとは、半年ぶりの再会だからねぇ」


「べつだん、それはかまわんが……お前はまだ《キミュスの尻尾亭》にも顔を出していないのであろう? それに、我々よりもよほど古くから懇意にしている相手も多いのではないか?」


「俺はこのままジェノスに留まるつもりだから、何も急ぐ必要はないさ。この夜だって、まだまだ先が長いのだしね」


 俺は焼きあがった料理を皿に取り分けているさなかであったため、会話に加わることができない。その代わりに、アイ=ファが俺と同じ疑念を呈してくれた。


「《ギャムレイの一座》とは、ここで別れるのだな。もうチルの身に心配はないという判断であろうか?」


「うん。チルは座員のみんなに可愛がられているから、心配なんていらないよ。ディアだって、ただチルと別れるのが物寂しくて同行しているだけだろうさ」


「そうか。あのニーヤも、チルと正しき絆を結べたのであろうか?」


「ニーヤはね、新入りのチルに面倒な仕事を押しつけようとしては、ピノに頭を引っぱたかれているよ。アルンやアミンを迎え入れた際にも、彼はそんな有り様だったねぇ」


「まったく、度し難いやつだ」と、アイ=ファが苦笑をこぼす気配がした。

 そしてその声に、いくぶん緊迫したものが入り混じる。


「カミュア=ヨシュよ、ティカトラスらが来たようだぞ」


「おお、どれどれ? ……ああ、こういうとき、デギオンの長身はいい目印になるね」


 すべての料理を皿に盛りつけた俺は、新たな具材を鉄板に広げながら往来のほうをうかがった。

 確かに人垣の向こう側に、白く染められたデギオンの頭がにゅっと覗いている。往来には東の民も多かったが、彼ほどの長身はなかなか見受けられないのだ。


「やあやあ! 今日も盛況なようだね! 素晴らしい芸を持つ旅芸人も到着したようで、ますます盛り上がってきたじゃないか!」


 やがて俺の屋台にまでやってきたティカトラスは、浮かれきった調子でそのように言いたてた。本日も、左右で白黒が反転したピエロか悪魔のような扮装である。全身白ずくめのデギオンと、宴衣装さながらのヴィケッツォもまた然りだ。


「しかしあれらの旅芸人には、ずいぶん奇妙な生まれ素性の人間が入り混じっているようだね! わたしが見たところ、あれは――」


「ティカトラス殿。故郷を捨てた旅芸人の生まれ素性などを詮索するのは、あまりに無粋ではないでしょうか?」


 カミュア=ヨシュが屋台の裏から呼びかけると、ティカトラスは染料に隈どられた目をきょとんと見開き、それから「おお!」と快哉の声をほとばしらせた。


「君は、《北の旋風》じゃないか! いやいや、ひさしいねぇ! こんなところで、何をやっているのさ?」


「ジェノスは、俺の古巣なのですよ。そのジェノスで鎮魂祭が開かれると聞きつけて、大急ぎで舞い戻ってきた次第です」


 飄然と微笑みながら、カミュア=ヨシュはそんな風に答えた。

 ティカトラスは、「そうかそうか!」と大笑いする。そのかたわらで、ヴィケッツォは目をぱちくりとさせていた。


「ほ、本当にひさかたぶりですね、カミュア=ヨシュ。このジェノスが、あなたの古巣であったのですか?」


「うん。まあ俺は故郷を持たない身であるので、活動拠点のひとつといったところかな。……いやいや、ヴィケッツォは想像以上の美しさだねぇ。これはいささかならず、目の毒だ」


「か、からかうのはおやめください」


 と、ヴィケッツォは珍しくも羞恥に頬を染めた。表情は凛々しいままであるが、それがまたアイ=ファやプラティカにも通ずるところのある愛らしさだ。


「デギオンも、元気そうで何よりだ。ダームのお屋敷では、お世話になったね。君たちは森辺の収穫祭を見学したそうだけど、さぞかし刺激になったのではないのかな?」


「ええ……それでもあなたに匹敵するほどの剣士は、数えるほどしかいなかったようですが」


 デギオンは無表情であるし、現在は白塗りのメイクであるため、いっそう内心がうかがえない。そんなデギオンの骸骨めいた面相を見返しながら、カミュア=ヨシュは愉快そうに笑った。


「彼らは剣士ではなく、狩人であるからね。彼らが剣の修行をしたら、きっと俺など足もとにも及ばないさ」


「それは、軽口が過ぎましょう……あなたやヴァン=デイロ殿は、西の王国でも指折りの力量であるはずです」


 会話がそこまで進んだところで、料理が焼きあがってしまった。

 デギオンに銅貨を払わせつつ、ティカトラスはカミュア=ヨシュににんまりと笑いかける。


「ひさびさの再会であるのだから、あちらで祝杯を傾けようじゃないか! 君がここ最近でどのような地を巡っていたのか、じっくり聞かせておくれよ!」


「はいはい、ご随意に。それじゃあ、アイ=ファとアスタはまたのちほど」


 というわけで、カミュア=ヨシュも屋台の裏から青空食堂のほうに立ち去ってしまった。

 その背中を見送りながら、アイ=ファは「ふむ」とつぶやきをもらす。


「どうやら、カミュア=ヨシュはティカトラスを待つために、この場に留まっていたようだな」


「そうなのか? ティカトラスに何の用事だったんだろう?」


「用事というよりは……《ギャムレイの一座》の者たちの素性を語らせたくなかったのやもしれんな」


 アイ=ファの言葉で、俺も納得した。カミュア=ヨシュいわく、《ギャムレイの一座》というのはチル=リムのように、はみだしものの集まりであるというのだ。とりわけ占星師のライラノスなどは、チル=リムとまったく同じような境遇であるために旅芸人に身をやつしているという話なのである。


(でも、ティカトラスがチル=リムの正体を見抜けないなら、ライラノスだって同様だよな。そもそもライラノスは、往来に姿を現してないんだろうし……それ以外の座員に、知られちゃまずい正体があるわけか)


 そこまで考えて、俺は余計な思考を打ち捨てた。カミュア=ヨシュの言う通り、《ギャムレイの一座》の面々は過去や故郷を捨てて旅芸人として生きる道を選んだのだから、それを詮索するのは無粋のきわみであるはずであった。それがチル=リムにも匹敵するほどの重い秘密であるというのなら、なおさらである。


(きっとピノたちは同じ痛みを持つ相手として、チル=リムの存在を受け入れてくれたんだ。だったら俺は、感謝するだけだよ)


 そうして俺は心置きなく、商売に励むことになった。

 本日は昨晩以上に、森辺の民が大勢やってきている。日中にも顔をあわせたラウ=レイにヤミル=レイ、ガズラン=ルティムにダン=ルティム、ミダ=ルウにシン=ルウの弟たち、ラウ=レイと同じぐらい賑やかなラッツの家長や、厳格な気性をしたナハムの家長――それにザザの血族からも、ゲオル=ザザやスフィラ=ザザ、ディック=ドムやモルン・ルティム=ドム、ディガやドッド、ハヴィラやダナの家長など、見慣れた顔はのきなみ集結しているようであった。


 そしてもちろんそれ以上に、休息の期間にある6氏族の人々は大挙してやってきている。また、本日は《西風亭》も屋台の人員を補強したそうで、ユーミやジョウ=ランも俺たちの屋台で食事をしてくれた。


 そういった森辺の人々に、冥界の住人の扮装をした人々、普段より倍ほどの数にふくれあがった東の人々、少人数でも元気で騒がしい南の人々など、さまざまな人間が寄り集まって、往来に凄まじいばかりの熱気を渦巻かせている。冥界とはこれほどに騒がしい場所であるのかと、つい疑念を呈したくなるほどであった。


 そんな狂乱の中、じわじわと料理の残りも少なくなっていき――本日は、二刻ぐらいが過ぎたと思われる頃合いで、次々に料理が売り切れていくことになった。

 料理を売り切った屋台の人間は、器材を片付けたのちに青空食堂の手伝いに回る。しかしまた、そちらにも最初から十分な人員を準備していたし、屋台の担当だけでも16名という人数であったため、すぐに手が空くことになってしまった。


 ジバ婆さんはいったん中休みを入れたとのことで、現在は姿が見えない。それに、ピノたちも途中で河岸を変えたようで、向かいのスペースには7台の荷車と占星師ライラノスのための小さな天幕が張られているばかりであった。


「食堂は、まだしばらく人が引かなそうですね。半分ていどの人間は、もう祭の見物に移ってもいいのではないでしょうか?」


 俺と同じく手持ち無沙汰であったレイナ=ルウが、そんな風に告げてきた。本日は、取り仕切り役たるレイナ=ルウとララ=ルウに、ベテランのリミ=ルウとツヴァイ=ルティムなどを総動員しているのだ。


「そうだね。それじゃあこっちも、そういう風に手配させていただくよ」


 俺は常勤の3名とトゥール=ディンを招集して、その組み分けを考えることになった。


「半分ていどの人間は、今から屋台の撤収に取りかかってもらって、あとは自由行動ということにさせてもらうよ。もう半分は食堂のお客が引けるのを待って、そちらの片付けをしてから、荷車を宿屋に運ぶ役割だ。ディンの屋台と荷車に関してはトゥール=ディンに考えてもらうとして、こっちはこの4人が2人ずつ分かれて仕切り役を務めてもらいたいんだけど、どうだろう?」


「食堂のほうも、あと四半刻もあれば食べ終えるでしょうね。わたしはどちらの役割でもかまいません」


「そうだね。俺は責任者として、居残りの担当になろうと思うよ。だから、3人の中からひとりだけつきあってもらえるかな?」


 俺がそのように提案すると、レイ=マトゥアがマルフィラ=ナハムに笑いかけた。


「それなら、わたしはマルフィラ=ナハムと同じ組がいいです! このあとは、一緒に宿場町を巡る約束をしていますので!」


「そっか。じゃあ、ユン=スドラに居残ってもらえるかな?」


「はい。アスタをお手伝いできるなら、光栄です」と、ユン=スドラは屈託のない笑顔を見せる。アイ=ファの前でもそのように振る舞えるのは、ユン=スドラの内に邪心や雑念が存在しない証なのだろう。アイ=ファもまた、落ち着いた面持ちでこのやりとりを聞いていた。


 トゥール=ディンも今日は3名のかまど番を同行させていたため、2名ずつに分かれることにしたようだ。それで、リッドの2名が屋台を撤収させる組に任命されたとのことであった。


 レイ=マトゥアとマルフィラ=ナハムは半数ていどのかまど番と護衛役の狩人を引き連れて、4台の屋台を撤収させていく。その姿が人波に呑み込まれる姿を見送ってから、俺はユン=スドラに向きなおった。


「なんとか今日も、無事に仕事を果たせたね。ユン=スドラのほうは、どうだった?」


「はい。ひっきりなしにお客が来るというぐらいで、特に問題はありませんでした。……復活祭が、待ち遠しいですね」


「あはは。でもその前に、まずは鎮魂祭の何たるかを見定めないとね」


 俺たちがそんな言葉を交わしていると、ふたつの小さな人影がちょこちょこと近づいてきた。フードつきマントと襟巻きで人相を隠した、幼子のように小柄な少女たちである。


「やあ、ディア。そっちから来てくれたんだね」


「うむ。そろそろ屋台の終わる頃合いかと思ってな。ピノたちは、街道を練り歩きながら芸を見せているぞ」


 そのように語るディアばかりでなく、今回はチル=リムのほうも襟巻きで口もとを覆っている。それでフードをかぶって玉虫色のヴェールを垂らしているものだから、チル=リムは完全に素顔を隠している格好であった。


「そちらの方々は、商売の前にもご挨拶をされていましたね。アスタのご友人なのでしょうか?」


 ユン=スドラの何気ない問いかけに、俺は「えーと」と言いよどむ。

 するとアイ=ファが、凛然とした面持ちで進み出た。


「ユン=スドラにも、こちらの両名を紹介しておこう。ただその前に、ライエルファム=スドラを呼んできてもらえるであろうか?」


「家長ですか? 承知しました。家長は食堂の警護をしているはずですので、少々お待ちください」


 ユン=スドラは不思議そうな表情をしていたが、そのまま青空食堂のほうに駆けていった。

 その間に、アイ=ファはディアたちに向きなおる。


「森辺においても、チルの処遇については最後の晩餐をともにした顔ぶれしかわきまえていなかったのだ。これからともに宿場町を巡る者たちに事情を打ち明けるので、そのつもりでいるがいい」


「ふむ? ずいぶん大仰な物言いだな。チルを《ギャムレイの一座》のもとまで届けたのはディアとカミュア=ヨシュなのだから、森辺の民に責任はあるまい?」


「王や貴族らに秘密を持ったのだから、責任がないとは言えまい。まあ、お前たちの行いに文句をつけるような人間はいないので、何も案ずることはない」


 アイ=ファはそのように語らったが、チル=リムは悄然と肩を落としてしまった。


「やはり……わたしはジェノスに戻ってくるべきではなかったのですね。森辺の方々に、またご迷惑をかけてしまって……」


「だから、案ずることはないと言うておろうが?」


 アイ=ファはその場に膝を折って、ヴェールに覆われたチル=リムの目もとを真剣な眼差しで見つめた。


「お前は自由に生きるために、《ギャムレイの一座》に身を寄せたのであろうが? その思いが報われたことを、我々も心から喜ばしく思っている。だから、お前が気に病む必要はない」


「そうだよ。しつこいようだけど、チルは何にも悪くないんだからね」


 俺も身を屈めてアイ=ファに加勢すると、チル=リムはまたヴェールの向こう側で目もとを潤ませてしまった。

 そこに、ユン=スドラとライエルファム=スドラが近づいてくる。そしてチル=リムたちの姿を見るなり、ライエルファム=スドラは「うむ?」と眉をひそめた。


「お前は、ディアだな。カミュア=ヨシュが戻ってきたということは、お前も役目を果たしたのであろうが……しかしそれなら、どうしてその娘と連れだっているのであろうか?」


「ふん。ディアもチルもこうして暑苦しい格好をしているというのに、よくもひと目で看破できるものだな」


「お前は、気配からして異なっているからな。そちらの娘は背格好で見当をつけただけのことだ」


 ライエルファム=スドラは、チル=リムを追ってファの家に忍び込もうとしたディアを捕獲した張本人であるのだ。そしてその前から、ファの家でチル=リムの姿を見届けていたのだった。


「今から、事情を説明する。おそらく近日中にはすべての家長に通達されることになろうが、ライエルファム=スドラには先んじて聞いてもらいたい」


 アイ=ファが落ち着いた口調で事情を説明すると、ライエルファム=スドラは「なるほどな」と首肯した。


「カミュア=ヨシュはそちらの娘をシムに送り届けるように命令されたが、それに背いて《ギャムレイの一座》に身柄を預けたということか」


「ふん。《ギャムレイの一座》はシムにいたのだから、カミュア=ヨシュも命令に背いたことにはならんはずだぞ」


「しかしそれは、セルヴァの王や貴族たちに聞かせてはならない、秘密ごとであるのだろう? ……それでさきほどダリ=サウティは、ルウの者たちと深刻げな顔で語らっていたということだな」


「うむ。ジザ=ルウたちも、チルやディアの姿を見知っているからな。その目に触れる前に、事情を打ち明けたのであろう」


 アイ=ファは凛然とした面持ちで、身体ごとライエルファム=スドラのほうに向きなおった。


「私もダリ=サウティも同胞に余計な気苦労をかけたくなかったため、今日まで口をつぐんでいた。もしもそれがライエルファム=スドラの意に沿わなかったのなら、心から詫びさせてもらいたい」


「何も詫びる必要はない。俺がアイ=ファの立場でも、きっと同じように振る舞ったであろうからな」


 そんな風に応じてから、ライエルファム=スドラはユン=スドラのほうを見た。


「しかし、ユンなどは俺以上の驚きにとらわれていることであろうな」


「は、はい。わたしもチル=リムの――あ、いえ、チルの姿は見知っていましたが、まさかこちらの娘がチルだとは思ってもいませんでした」


 そう言って、ユン=スドラは彼女らしい微笑みをたたえた。


「でも何か、胸のつかえが取れたような心地です。チルは異国のシムで心すこやかに暮らしていけるのかと、ずっと気にかかっていたので……たとえ氏を隠すことになろうとも、旅芸人としてあちこちを巡るほうが、よほど楽しく過ごせるはずですよね」


 チル=リムは不安げに身をよじりながら、ユン=スドラの微笑みをおずおずと見上げた。


「わ、わたしはあなたとお会いしているのでしょうか? まことに申し訳ないのですが……覚えがありません」


「わたしがお会いしたのは、最初の日です。あなたは熱にうかされていたので、きっと覚えていないのでしょう。あなたは熱に苦しむばかりでなく、とても悲しそうなご様子でしたので……元気になられたことを、心から喜ばしく思います」


「うむ。俺はその後、お前が毅然と邪神教団の連中に立ち向かっている姿も見届けているがな。しかし、そのときよりもさらに力が増したようだ。《ギャムレイの一座》のもとですこやかに過ごしているなら、何よりのことだな」


 ライエルファム=スドラは決して表情をゆるめていないが、その小さな目には慈愛の光が灯されている。チル=リムは、それでまたぽろぽろと涙をこぼすことになってしまった。


「それで、どうしてアイ=ファは俺たちに事情を打ち明けたのだ? 近日中には、三族長から事情を通達されるのであろう?」


「うむ。ライエルファム=スドラたちにも、同行を願いたいのだ。これだけの人混みであれば、護衛役も3名は必要であろう?」


「ああ、そういうことか。アイ=ファたちとこの夜をともに過ごせるなら、ありがたい限りだな」


 そう言って、ライエルファム=スドラは初めて笑顔を見せた。子猿のような、くしゃくしゃの笑顔だ。

 そうして俺たちは秘密を共有し、この6名で鎮魂祭の最後の夜を過ごすことになったのだった。

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