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異世界料理道  作者: EDA
第七十章 灰と黒の祝祭
1211/1695

黒の月の鎮魂祭④~最初の夜~

2022.6/16 更新分 1/1

 日没まで残り半刻を切ったぐらいのタイミングで、俺たちは屋台の商売を開始することになった。

 ファの家が4台、ルウ家が3台、ディンと《キミュスの尻尾亭》が1台ずつで、屋台の総数は9台となる。料理の販売の開始が告げられると、それらの屋台にまんべんなく人波が押し寄せることに相成った。


 これは本当に、復活祭を思わせる勢いである。

 なおかつ、お客の半数は奇怪な扮装を施しているのだ。だいぶん薄暗くなってきた宵闇の様相と相まって、俺たちはぞんぶんに非日常的な昂揚を味わうことができた。


 青空食堂も席が足りなくなることを見越して、拡張したスペースに敷物を広げている。しかしそちらも、営業を開始してすぐに満席になってしまったと告げられた。


「レビー! やっぱり座る場所が足りなくなっちゃったから、もうふたつぶん敷物を広げるねー!」


 と、そのような報告をしてくれたのは、青空食堂の担当であったリミ=ルウだ。露店のスペースを広げるには、屋台を貸し出している宿屋の了承と場所代が必要になるのである。


「了解。場所代の支払いは明日でいいって、ミラノ=マスに言われてるからな。……それにしても、こいつは予想以上の賑わいだ」


 レビは苦笑をこぼしつつ、気合の入った面持ちで新たな麺を鉄鍋に投じた。

 往来では、冥界の住人の姿をした人々が大騒ぎをしながら果実酒をあおっている。厳密に言うと、祝祭の開始は日没からであるのだが、人々は浮かれに浮かれている様子であった。


「……どうも町の者たちは、復活祭の際よりも節度を失っているように感じられる。お前たちが気を張る必要はないが、それらの熱気に呑まれるのではないぞ」


 護衛役たるアイ=ファは、そのように語らっていた。

 俺はべつだん、そうまで物騒な気配は感じなかったのだが――しかし確かに、昨日までとの熱気の落差には驚かされていた。復活祭の場合は祝日の前に猶予期間があるため、町の人々もじわじわと段階を踏んで盛り上がっていくような印象であったのだが、鎮魂祭というのは2日間で終わってしまうためか、あっという間にテンションがピークを迎えたように感じられるのだった。


「やあ、アスタ。なんだかこいつは、想像以上の賑やかさだね」


 と、そのように声をかけてくれたのは、ドーラの親父さんであった。

 親父さんもターラも黒い布をかぶっていたものの、目の周りを黒くしたりはしていない。なおかつ、親父さんは警戒心をあらわにした面持ちで、ターラの小さな手をぎゅっと握りしめていた。


「ターラを連れて歩くのが、ちっとばっかりおっかないぐらいだよ。まあ、普段よりは衛兵のお人らも多いみたいだけど……森辺のお人らが目を光らせてくれてるこの辺りが、一番安心できるね」


「そうですね。もしよかったら、料理を食べ終わった後も裏のほうでくつろいでいてください。もう少ししたら、森辺からも見物の人たちがたくさん下りてくるはずですしね」


「ああ、それじゃあそうさせてもらおうかな。お気遣いありがとうよ」


 そうして親父さんは、5名分の料理を買いつけていった。長男夫婦と次男も一緒にやってきて、別の屋台に並んでいるのだそうだ。親父さんと一緒に料理を抱え込んだターラはいくぶん不安げな表情を浮かべつつ、それでも常ならぬ町の熱気に頬を火照らせているようであった。


 その後も、客足はいっこうに収まらない。多少の緩急はあるにせよ、延々とラッシュが続いているような心地だ。5割増しで準備した料理でさえ、二刻足らずで売り切ってしまいそうな勢いであった。


 そんな中、往来のほうから突如として歓声が響きわたり、狩人たちの目を光らせる。

 屋台に殺到していた人々は、のきなみ街道の南側に目を向けていた。いったい何が起きたのかと、俺もそちらを見やってみると――何か黒くて巨大なものが、街道を練り歩いているのがうかがえた。


「……祝祭の開始を告げる、神輿というやつだな」


 油断のない声で、アイ=ファがそのようにつぶやいた。

 日没に至ったならば、そういったものが街道を練り歩くと予告されていたのだ。もういい加減に太陽は沈んでいるはずなので、スタート地点である『ギリ・グゥの広場』からここまでやってくるのにそれだけの時間がかかったということなのだろう。


 神輿であれば、俺にとっても馴染みの深い存在である。

 が、それは俺の知る神輿といささかならず異なる様相を呈していた。10名ばかりの人々が担いでいるそれは、巨大な鴉のはりぼてであったのだ。


 全長3メートルはあろうかという巨大なはりぼてで、大きな翼には支えの棒が取りつけられており、担ぎ手とは別の人員がそれを操作している。遠目には、巨大な鴉が悠然と翼をはためかせているような様相であるのだ。

 はりぼての本体は木造りの台座に設置されており、担ぎ手たちは黒いフードつきマントを纏っている上に、顔や手足を黒く染めあげている。何もかもが真っ黒で、ただ鴉の双眸だけが冷たい金色に輝いていた。


 きっと日中に見たならば、粗い造りのはりぼてであるのだろう。

 しかし今は、街道に等間隔に置かれた火壺の明かりだけが目の頼りとなる。そこからあがる煙をかきわけるようにして街道に羽ばたく大鴉の姿は、得も言われぬほどに幻想的であった。


 冥神ギリ・グゥを模した大鴉の神輿は、人々の歓声をあびながらゆったりと屋台の前を通りすぎていく。

 その際に、俺と同じ屋台で働いていたガズの女衆が「あっ」と小さく声をあげた。


「アスタ、あの鴉は……人の顔を持っているのですね」


「え? そうだった? 俺には鴉の顔しか見えなかったけど」


「はい。大きく開いたくちばしの中に、人間の顔が……たぶん、見間違いではないと思います」


 ガズの女衆は、懸命に気丈な顔をこしらえているように思えた。

 やがて青空食堂の辺りにまで達した神輿は、反対側に存在する無人のスペースを使ってUターンをする。俺たちの屋台は露店区域の最北端であるため、今度はここから宿場町の最南端を目指すのだろう。


 そうして神輿が舞い戻ってきたため、俺は先刻よりも目を凝らしてくちばしの内部をうかがうことにした。

 大鴉は、くわっとくちばしを開いている。その内側には影が落ちて、なかなか判然としなかったが――しかし確かに、人間の顔と思しきものが隠されているように思えた。


 死人のように青白い、無機的な顔である。

 鴉そのものが巨大であるため、その人面も人間よりひと回り大きいぐらいだろう。東の民のように切れ長の目で、男とも女ともつかない美麗な面立ちで――その表情は、氷のように冷たく凍てついているように感じられた。


「……そういえば、かつての仮面舞踏会において、フェルメスはあの冥神ギリ・グゥというものを模した扮装をしていたのだったな」


 アイ=ファが低い声で、そのようにつぶやいた。


「鴉の身に人の顔というのは、何やら怪物のように感じられてしまうのだが……神にそのような思いを抱くのは、不遜なことか」


「うん、まあ、太陽神だって、獅子の顔をしていたりするからな」


 そんな風に答えながら、俺も畏敬の念めいたものを抱かされてしまっていた。

 人々は歓声をあげながら、冥神ギリ・グゥの神輿を見送っている。その半数ていどは、冥界の住人を模した扮装であるのだ。現世を冥界に見立てようというのが鎮魂祭の醍醐味であるのなら、この段階でずいぶんと達成されているように感じられてならなかった。


「やあやあ! アスタたちの屋台も、ずいぶん賑わっているようだね!」


 と――壮年の男性にしては周波数の高い声音が、俺の内に生まれた厳粛なる思いを木っ端微塵にしてくれた。


「わたしたちにも、そちらの料理をお願いするよ! もちろん、3人前でね!」


「は、はい。少々お待ちくだ――」


 と、俺はそこで絶句することになった。

 忽然と現れたティカトラスたちもまた、きわめて珍妙な扮装に身を包んでいたのである。


「ど、どうもお疲れ様です。さすがティカトラスたちは、本格的な扮装ですね」


「うん! 時期的に、こちらで鎮魂祭を迎えることは知れていたからね! あらかじめ荷車に積んでいたのさ!」


 そのように語るティカトラスは、右半身が黒くて左半身が白い扮装であった。

 ただし、同じような格好をした町の人々とは、まったく出来栄えが違っている。顔や手足を染めている染料も、きっと専用のものであるのだろう。なおかつ、黒い側には白色で、白い側には黒色で、それぞれピエロのようなペイントが為されていたのだ。最初に声を聞いていなければ正体も知れないほど、ティカトラスの顔は厚塗りの化粧に覆い隠されてしまっていた。


 また、装束のほうも渦巻き模様に染めあげられており、それが左右で白黒反転しているのだ。さらにその上から銀で統一された飾り物をじゃらじゃらとさげており、頭には宝冠のようなものまでかぶっている。そして、黒と白に染めあげられた髪はハリセンボンのように逆立っており、ちょっとユーモラスな悪魔そのものの姿であった。


 いっぽうデギオンは、普段通りの白装束であったのだが――ただし、フードつきマントは目の覚めるような純白で、もともと骸骨のように痩せ細った顔や手足や髪までもが真っ白に染めあげられてしまっている。白くないのは茶色い瞳だけという徹底ぶりであった。


 そして、ヴィケッツォである。

 彼女はなんと、宴衣装のごときドレス姿であった。

 真っ黒なワンピースタイプの装束で、胸もとにVの字のラインで切れ込みが入っているのは、かつての宴衣装と同じ様式だ。ただ今回の生地は光を吸い込むような漆黒で、地面の影が立体化したようなたたずまいであった。

 そしてその妖艶なる装束の上に羽織っているのは、黒い羽根だけで織りあげられた長マントだ。長い髪は自然に垂らしており、アンズ形をした目の上と肉感的な唇だけ白く染めあげているのが、ひどく神秘的であった。


「うんうん! ヴィケッツォは、これほどの美しさであるからね! アスタが見とれてしまうのも、致し方のないことだ! ヴィケッツォの美しさを堪能し尽くしたら、料理のほうをお願いするよ!」


「あ、いえ、すぐにご準備しますので、少々お待ちくださいね」


 もちろん俺はヴィケッツォだけではなく3名全員の扮装に驚かされていたのであるが、首筋にちくちくと刺さるアイ=ファの視線が痛くてならなかった。

 それに、驚かされているのは俺だけではない。一緒に働くガズの女衆も、屋台の前に押し寄せた他のお客たちも、ティカトラスらの扮装にずっと目を奪われていたのだった。


「さすが王都の貴族様は、本格的だね! 小さな子供が見たら、本当に冥界の住人が押し寄せてきたんじゃないかって泣き出しちまいそうだ!」


 お客のひとりが、気安い調子でそのように言いたてた。


「だけど、その飾り物はみんな本物の銀細工なのかい? だとしたら、ずいぶん不用心なことだねぇ」


「いやいや! その分は、デギオンとヴィケッツォが用心してくれるからね! 無法者の諸君は、どうか生命を大事にしてもらいたく思うよ! 鎮魂祭のさなかに冥界に落ちるなど、悪い冗談にもならないからね!」


 きっとヴィケッツォの纏った長マントの裏側には、毒の武具がしこたま隠されているのだろう。それに、マントの陰には長剣の鞘も覗いているし、ドレスのような装束には深いスリットが入っているため身動きにも不自由はなさそうであった。


 とりあえず、俺は本日の日替わり献立である焼きうどんの作製に取りかかる。それが完成するまでの間も、ティカトラスはずっとはしゃいだ声をあげていた。


「さきほどの神輿も急ごしらえの割には、それなりの出来栄えであっただろう? ジェノスにはなかなか腕のいい細工職人がそろっているようなので、安心したよ! 今頃は、城下町の街路でも同じものが練り歩いているだろうね!」


「そうですか。ティカトラスは予定通り、ずっと宿場町で過ごされるのですか?」


「うん! わたしひとりのために跳ね橋を下ろさせるのは、忍びないからね! こういう祝祭は、雑多な人々の集まる宿場町のほうが盛り上がるものだしさ!」


 待ちに待った鎮魂祭ということで、ティカトラスの浮かれようもかなりのものである。ただし、デギオンとヴィケッツォは周囲の人々を威嚇するように、普段以上に眼光を鋭くしていた。


「アスタたちも仕事を終えたら、ぞんぶんに祝祭を楽しむがいいよ! ただし! 故人を偲ぶことも忘れずにね!」


 やがて料理が完成すると、ティカトラスはそんな言葉を残して青空食堂のほうに立ち去っていった。

 それでも息をつく間もなく、俺は次々に料理を仕上げていく。神輿が通過した後は、また屋台にお客が押し寄せていたのだ。営業開始から一刻ていどが過ぎ去っても、客足の勢いに変わるところはなかった。


 そしてそうこうする内に、森辺の見物人たちも続々と到着したようである。

 まず真っ先に挨拶に来てくれたのは、フェイ=ベイムとモラ=ナハムとナハムの末妹のトリオであった。


「アスタ、お疲れ様です。これは、聞きしにまさる忙しさであるようですね」


 フェイ=ベイムが厳しい面持ちでそのように呼びかけてきたので、俺は「そうですね」と笑顔を返してみせた。


「この分だと、5割増しの料理でも二刻足らずで売り切れてしまいそうです。明日はさらに料理の量を増やすかもしれませんので、フェイ=ベイムもよろしくお願いします」


 フェイ=ベイムは、明日の夜の当番であったのだ。フェイ=ベイムが厳しい面持ちのまま「はい」とうなずくと、その横からナハムの末妹が笑顔を覗かせた。


「フェイ=ベイムが明日の当番だということで、わたしたちも今日の内に見物を済ませることになったんです! 明日には家長たちが下りてくるはずなので、きっとこちらにも顔を出すかと思います!」


「そっか。デイ=ラヴィッツたちは、どうしてるのかな?」


「ラヴィッツの家長とその伴侶は同じ荷車で下りてきましたが、宿屋が出している屋台のほうに行ってしまいました! でもきっと、こちらの様子もこっそりうかがうのでしょうね!」


 相変わらず、無邪気で可愛らしい少女である。そして彼女は好奇心が旺盛であるために、宿場町の常ならぬ様子にすっかり昂揚しているようであった。

 いっぽう兄たるモラ=ナハムは、いつも通りの石像めいたたたずまいである。そんな彼には、アイ=ファが屋台ごしに声をかけていた。


「モラ=ナハムよ、町の様子はどうであろうか? 復活祭の際よりも、節度が失われるのではないかと危惧しているのだが」


「そうだな……この賑わいには、俺も驚かされた。人の数そのものは、復活祭のほうがまさっていたように思えるが……町の人間の浮かれ具合は、今日のほうがまさっているやもしれんな」


「やはりそうか。未知なる祝祭というものを迎えて、浮足立っているということなのであろう。そちらもどうか、危険のないように過ごしてもらいたい」


 モラ=ナハムが重々しい所作で「うむ……」と応じると、元気な妹がその腕に跳びついた。


「モラ兄だったら、大丈夫です! フェイ=ベイムがおそばにある限り、気を抜くことなどありませんので!」


「あ、あなたは何を仰っているのですか。軽はずみな発言は控えていただきたく思います」


 フェイ=ベイムが四角い顔を赤らめると、ナハムの末妹は「えへへ」と可愛らしく微笑んだ。フェイ=ベイムがナハムの家に預けられてから、間もなく2ヶ月が経とうとしているのだ。順当に絆が深められている様子で、喜ばしい限りであった。


 次に登場したのは、ダリ=サウティを筆頭とするサウティの血族の一団である。彼らも自前の荷車を駆使して、今も輸送を続けているさなかであるとのことであった。


「こちらも大層な賑わいだな。ティカトラスらは、姿を見せていないのか?」


「いえ。ついさきほどまで、食堂のほうで騒いでおりましたよ。なかなか度肝を抜かれるようなお姿でした」


「そうか。アスタたちの存在に固執することなく、宿場町の賑わいを楽しんでいるということだな。……俺は何となく、ティカトラスの有する騒々しさに宿場町そのものが呑み込まれたような心地だぞ」


 ダリ=サウティが苦笑まじりにそう言うと、アイ=ファが「ああ」と反応した。


「言われてみれば、その通りだ。だから私は、妙に気が立ってしまうのやもしれんな」


「うむ。しかし決して、悪い意味ではない。ただ、ティカトラスの持つ影響力というものに驚かされるばかりだ」


 そこで料理ができあがってしまったので、ダリ=サウティたちは早々に青空食堂に向かうことになった。こういう際には、森辺の同胞もきちんと銅貨を支払って料理を買いつけてくれるのだ。

 新たな料理を焼きあげる前に、鉄板を簡単に清めつつ、俺はアイ=ファを振り返った。


「アイ=ファは、気が立ってのか? 護衛の任務中はいつも真剣な様子だったから、俺には違いがわからなかったよ」


「うむ。私自身、大きな違いは感じていなかった。ダリ=サウティの言葉で、腑に落ちたということだ。べつだん、ティカトラスに非があるわけではないのだが……町の者たちの浮かれようが、ティカトラスを想起させるのであろうな」


 唇がとがらないように口もとを引き締めつつ、アイ=ファはそんな風に言っていた。

 往来では相変わらず、冥界の住人たちがはしゃいでいる。これだけの時間が過ぎ去っても、なかなか見慣れることのできない狂騒だ。


 ただ俺は、ごく純然と祝祭を楽しめるようになっていた。

 ひっきりなしにやってくるお客たちに、遠くから聞こえる笛や太鼓の音色、それに時おり訪れる森辺の同胞という、復活祭そのままのシチュエーションが、俺を楽しい心地にさせてくれるのだ。それにやっぱり夜間の営業というものは、何よりもお祭り気分をかきたててくれるのだった。


「アスタ! こちらの料理は、終了しました!」


 レイ=マトゥアからそのような報告がされたのは、営業開始から一刻半ていどが経過した頃合いであった。彼女が担当していたのは、ギバと海鮮のカレーである。


「え、もう終了しちゃったのかい? 5割増しの分量にしたのに、昼とほとんど変わらないぐらいだったね」


「はい! きっと東のお客が多かったためなのでしょう! 東のお客は、そのほとんどがかれーを買ってくれますから!」


「ああ、なるほど。それじゃあ明日は、カレーを多めに準備しようかな。器材を片付けたら、食堂のほうをよろしくね」


「はいっ!」と元気な返事を残して、レイ=マトゥアはぴゅーっと駆け去っていった。

 これで残るは、俺の担当である焼きうどんと、ユン=スドラの担当であるギバの玉焼き、マルフィラ=ナハムの担当である回鍋肉となる。そして、レイ=マトゥアの報告から10分後ぐらいには、マルフィラ=ナハムからも販売の終了が告げられてきたのだった。


「ほ、ほ、ほいこーろーは皿に盛りつけるだけの料理ですので、アスタやユン=スドラより早く売り切ることになったのだと思います。ル、ルウ家のほうでも、マイムの煮込み料理が真っ先に売り切れたようですね」


 それと時を同じくして、レビたちのラーメンも売り切れることになった。そちらは俺たちほど下ごしらえの人手を確保できないため、3割増していどの分量でこの夜の商売に挑んでいたのだ。それでもこれだけの時間がかかったのは、調理に若干以上の手間がかかるためであった。


「食堂のほうは人手にゆとりがあるはずだから、レビたちは宿に戻っておくれよ」


「いつも悪いな。この恩は、何かの形で返すからよ」


 復活祭でも同じシチュエーションはあったので、レビたちは素直に《キミュスの尻尾亭》へと引き返していった。あちらの食堂も大盛況のはずだから、レビたちの帰りを心待ちにしているはずなのである。


 そうしていくつかの屋台が終了すると、その分まで残された屋台にお客が集中する。ただし、焼きうどんや玉焼きは調理のペースを速めることもできないため、こちらの作業量に変わるところはなかった。


「私は商売のことなど、何もわきまえてはおらぬが……手間のかからぬ料理をそろえれば、短い時間で多くの料理を売ることがかなうということだな?」


 アイ=ファがふいにそんな言葉を囁きかけてきたので、俺は新たな焼きうどんを仕上げながら「うん」と応じてみせた。


「でも、作り置きできる料理ばっかりだと、どうしても献立が似通っちゃうからさ。効率よりも、色んな料理を出すことを優先してるんだけど――」


「それでよい」というアイ=ファの囁き声は、とても満足そうな響きを帯びていた。

 それでいっそうの活力を授かりつつ、俺は焼きうどんを焼きあげる。ずっと鉄板に向き合っているため、衣服の下は汗だくだ。しかし夜間は気温も下がるので、日中よりも過ごしやすいぐらいであった。


 そうして二刻ていどが経過したであろうという頃合いで、焼きうどんもついに終了する。ほとんど同時に、玉焼きのほうもタネが尽きたようであった。

 その前に、ルウ家のほうでは香味焼きの販売が終了したとのことで、残るはモツ鍋とディン家の焼き菓子のみと相成った。こういう日には汁物料理を大量に準備するのが定例となっていたため、こうして最後まで粘ることがかなうのだ。


 が、ここまで他の料理が尽きてしまうと、もう時間の問題である。お客のすべてがモツ鍋と焼き菓子の屋台に集中して、あっという間にすべての献立が売り切れることになった。


 あとは青空食堂のお客が引くのを待つばかりである。

 けっきょく最後まで屋台の屋根で眠るばかりであったサチを手もとに確保して、俺がひと息ついていると、「あーっ!」というけたたましい声が響きわたった。


「料理も菓子も、みーんな売り切れちゃったの? なんだよ、もー! けっきょく食いっぱぐれちゃったじゃん!」


 誰かと思えば、ユーミである。そのかたわらでは、ジョウ=ランがにこにこと笑っている。そういえば、彼らはこれまで姿を見せていなかったのだった。


「ずいぶん遅い到着だったね。今まで何をしてたんだい?」


「あっちの屋台もものすごい客足だったから、ビアたちを手伝ってあげてたんだよ!」


 そんな風に言ってから、ユーミは憤然とジョウ=ランを振り返った。


「だから、あんたにアスタたちの料理を調達してきてって頼んだのにさ! 宿場町はあたしの庭なんだから、つきっきりになる必要なんてないんだよ!」


「いえ。今のユーミはラン家に預けられているのですから、そういうわけにはいきません。……まあ、そうでなくてもユーミのそばを離れるつもりはありませんでしたけれど」


「なんでだよ! 復活祭の時期だって、あたしは護衛役なんてつけちゃいなかったよ!」


「これは復活祭ならぬ鎮魂祭ですからね。復活祭のときよりも町が浮き立っているように感じられるので、いっそうの警戒が必要だと思われます」


 するとアイ=ファが、厳粛なる面持ちでジョウ=ランに加勢した。


「その判断は、正しいように思うぞ。ユーミはランの客分という立場であるのだから、この際は森辺の流儀に従うべきであろう」


「はい。それに、町の様子がどうであろうとも、俺はユーミのそばにいたかったのです」


 ジョウ=ランが余計なことを言うものだから、アイ=ファの加勢も台無しである。結果、ユーミは赤い顔で「もー!」と地団駄を踏むことになった。


「でも、宿屋の屋台はまだ営業中なんだろう? 俺たちも帰りがけにそっちの料理をいただく予定だったから、よければ一緒に食べに行こうよ」


「え? アスタたちは、そのまま森辺に帰っちゃうの?」


「うん。明日も色々と立て込んでるからね。町の見物は、明日の夜にする手はずなんだ」


「あー、そっかそっか! 復活祭で言うと、2日連続で祝日みたいなもんだもんね! アスタたちは大変だなぁ」


「でも、その次の日は休みだから、どうってことないさ。祝祭の熱気やら何やらが2日間に凝縮してるみたいで、楽しいよ」


「うん、それはそうかもね! ……でも、この騒がしさの中で、どうやって死んじゃった人らを偲べばいいのか、いまひとつピンと来ないんだよねー」


 それは、俺も同感である。屋台の商売に参加したメンバーは、ひたすら大仕事をやりとげたという達成感にひたっているばかりであった。


 食堂や往来で騒いでいる人々は、いったいどうなのだろう。誰もが楽しげで、これ以上もなく浮き立っている様子であるが――いったいどれだけの人間が、鎮魂祭に相応しい心持ちであるのか。外面から推し量ることは、なかなかできないようであった。

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