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異世界料理道  作者: EDA
第七十章 灰と黒の祝祭
1210/1695

黒の月の鎮魂祭③~冥界の饗宴~

2022.6/15 更新分 1/1

 呆れたことに、その日の屋台の料理は定刻の半刻前に売り切ることになってしまった。

 普段よりも2割増しの数量を準備してきたのに、この有り様である。それだけこの日のジェノスには、数多くの人々が来訪していたわけであった。


「これはちょっと、夜の営業でも料理の数を見直したほうがいいかもしれないね」


「うん。この調子だと、5割増しでも売れ残ることはなさそうだね。集落に戻ったら、レイナ姉と相談してみるよ」


 ルウ家の昼の部の取り仕切り役であるララ=ルウは、ちょっぴり悔しそうな面持ちでそう言っていた。しかし昨日の昼下がりの段階では予測のつけられなかった事態なのだから、こればかりはしかたがないだろう。俺たちが帰路につく際にも宿屋の屋台村は大賑わいであったため、往来に集まった人々が食事を食いっぱぐれる心配はないはずであった。


 そうしてレビたちとしばしのお別れを告げて、俺たちは森辺に帰還する。

 ファの家に舞い戻ると、かまどの間ではすでに午後の部の当番たちが料理の下ごしらえを始めてくれていた。


「みなさん、お疲れ様です。何も問題はありませんでしたか?」


「ああ、そっちもお疲れさん。アスタがきっちり段取りを整えてくれたから、何も問題なんてありゃしないよ。これならゆとりをもって仕上げられるんじゃないのかね」


 俺のいない時間の取り仕切り役をお願いしていたバードゥ=フォウの伴侶が、明るい笑顔を返してくる。


「それなら、何よりです。それではあらためて、みなさんにご相談があるのですが……そのゆとりを埋める範囲内で追加の料理を準備したいのですが、ご協力をお願いできますか?」


「ええ? これだけの数でも、まだ足りないってのかい? ……ああ、そういえばアスタたちは、ずいぶん早く戻ってきたもんね。それだけ早々に料理が売り切れちまったわけかい」


「はい。実はそうなんです。5割増しの量でも売れ残ることはなさそうだという見込みでした」


「5割増しかい! そいつは本当に、復活祭に負けないぐらいの勢いだねぇ。……こいつはますます、町に下りるのが楽しみになってきたよ」


 と、バードゥ=フォウの伴侶は朗らかな笑みをこぼす。彼女たちの多くは、この仕事の後に祝祭の見物におもむく予定になっていたのだ。


「それなら、アスタたちが出かけてすぐに仕事を始めちまえばよかったね。今から人手を増やしても、かまどの数が足りないだろうからさ」


「そうですね。無理はせずに、増やせる範囲で準備できればと思います」


 すると、すぐそばで話を聞いていたユン=スドラがおずおずと声をあげてきた。


「あの……不遜な申し出かもしれませんが、わたしがフォウの家で仕事を受け持つというのはいかがでしょう? 町に下りる人間が多いのでしたら、今日はかまどの間も空いているでしょうし……そうしたら、望むだけの料理を準備できるように思うのですが……」


「ああ、なるほど。でも、そんなに人手は余っているのでしょうか?」


 俺の問いかけに、バードゥ=フォウの伴侶は「もちろん」と笑顔で答えてくれた。


「この時間は、ガズやラッツの血族を中心に人手を集めていたからね。フォウの血族の女衆は、あらかた手が空いてるはずだよ」


「でも、そちらのみなさんには朝方の下ごしらえをお願いしていましたよね」


「それぐらいでくたびれ果ててる人間はいないはずさ。今は休息の期間だから、薪割りなんかも男衆が受け持ってくれていたからね」


 そう言って、バードゥ=フォウの伴侶はユン=スドラへと笑いかけた。


「ユン=スドラに取り仕切り役をお願いすれば、何も間違いはないだろうさ。でも、ユン=スドラは昼も夜も屋台の当番なんだろう? そっちこそ、身体のほうは大丈夫なのかい?」


「は、はい。わたしはもともとこの時間も、下ごしらえの仕事を受け持っていましたし……もしもアスタが、取り仕切り役の仕事をお任せくださるのであれば……」


「ユン=スドラだったら、俺も心配せずに済むよ。もしよかったら、頼まれてくれるかな?」


「はい!」と答えるユン=スドラは、輝くような笑顔になっていた。

 本当に、頼もしい限りである。きっとユン=スドラであれば、自力で屋台の商売を切り盛りすることも容易いのだろう。しかし俺がそのようなことを口にすると彼女はたちまち眉を曇らせてしまうため、俺は大人しく口をつぐんでおいた。


 というわけで、ユン=スドラには別動隊の取り仕切り役として、フォウの家で仕事を果たしてもらう。これならば、5割増しの数量でもゆとりをもって準備できるはずであった。


「やはりユン=スドラの頼もしさというのは、頭ひとつ抜けていますね。わたしも彼女を手本として励みたく思います」


 そのように言っていたのは、夜の当番を務める予定であるラッツの女衆であった。常勤3名の次に頼りになる、俺よりも年長である数少ない女衆だ。


 この時間、残る常勤であるマルフィラ=ナハムとレイ=マトゥアの両名は自分たちの家で休んでもらっている。彼女たちも昼と夜の両方を屋台で働きたいと希望していたため、この時間だけでも休んでもらうことになったのだ。そんな中、ユン=スドラだけはこの時間の下ごしらえにも参加することを強く望んでいたのだった。


(本当に、ユン=スドラの熱意には感心させられるな。もちろん、他の人たちだって大したもんなんだけどさ)


 俺はマルフィラ=ナハムとレイ=マトゥアに休息を与えたつもりであったのだが、彼女たちが身を休めてなどいないということを、事前に知らされていた。ふたりそろって、「それでしたら、家の仕事を果たします」と申告していたのだ。マルフィラ=ナハムは血族に調理の手ほどき、レイ=マトゥアは血族の多くが下ごしらえの仕事に出向くため、幼子の面倒を見るつもりだと語らっていたのだった。


「でもそれは、みんなアスタの背中を見ているためなのでしょう。それに、家の仕事をおろそかにしないというのは、森辺の女衆にとって当然のことです」


 ラッツの女衆は、そんな風に言っていた。

 何にせよ、頼もしいことに変わりはない。誰もが未知なる祝祭の到来に昂揚しながら、決して足もとはおろそかにしていないのだろうと思われた。


 そんな充足した気持ちを胸に、俺も粛々と作業を進める。

 普段は勉強会に費やしている時間を、まるまる下ごしらえに当てているのだ。なおかつ俺は同時進行で、明日の下ごしらえのスケジュールをどのように組み立てなおすかを思案しなければならなかった。


 これは本当に、復活祭と見まごう慌ただしさだ。

 そうして普段とは異なる慌ただしさこそが、俺たちをいっそう昂揚させるのだろう。俺たちは黒い布を頭からかぶったりすることもないまま、すでに鎮魂祭の楽しさを満喫しているようなものであった。


 それから三刻ほどの時間が過ぎ――下りの五の刻である。

 日没まで残り一刻というその刻限が、下ごしらえの終了時間であった。


 荷物を積むためにかまどの間を出ると、太陽はずいぶん西の側に傾き、早くも夕暮れ時の気配を漂わせている。

 そして俺は、長らく姿を見ていなかったアイ=ファが母屋の前にたたずんでいるのを発見した。


「やあ、アイ=ファ。どこかに出かけてたのか?」


「私がお前に何も告げぬまま、家を離れるわけがなかろうが。ただ、そちらの茂みからそれらを摘んできただけのことだ」


 母屋の玄関である戸板に、三輪の白い花が飾られていた。

 俺が名前を知らない、サザンカのような花だ。俺と言葉を交わす間も、アイ=ファはじっとその花を見つめていた。


「間もなく、出発するのだな? では、お前もその前に祈っておくがいい」


「うん。わかったよ」


 俺もまた、アイ=ファと一緒にそれらの花を見つめることになった。

 遠い昔に失った母の面影が、白い花に重ねられる。とても優しくて、いつでもにこにこと笑っていた俺の母親は、俺が7歳の頃に病気で身罷ったのだった。


 そして俺は、アイ=ファの両親にも思いを馳せる。

 父親のギル=ファに、母親のメイ=ファ――ギル=ファは力のある狩人で、メイ=ファはシーラ=ルウのようにひそやかな女性であったのだと聞いている。あとは、ギル=ファが俺のような黒髪で、メイ=ファはアイ=ファによく似た容姿をしていたというぐらいしか、俺は彼らのことを知らなかった。


「……お前の母親は、どのような女衆であったのだ?」


 と、アイ=ファが静かな声音で問うてくる。

 俺は沈静なる心持ちで、「そうだなぁ」と微笑をこぼした。


「とにかく穏やかで、大きな声を出したりはしない人だったよ。こっちが何か悪さをしでかしても、優しくたしなめてくれるような……親父ががさつな人間だったから、おたがいにない部分にひかれあったのかもな」


「……お前は、母親似であるのであろう?」


「ああ、あくまで見た目だけな。中身は、がさつな親父に似ちゃったからさ」


「お前ががさつという印象はないが……まあ確かに、出会った時分はあれこれ礼を失していたような気もするな」


 アイ=ファがくすりと笑い声をこぼした。


「アイ=ファのほうは、どうなんだ? どちらも優しい人だったんだろう?」


「うむ。父ギルも決して甘い気性ではなかったが、やはり声を荒らげることはなかった。どちらかというと、飄然としていて……どのように苦しくとも、微笑みを絶やさぬ強さを持っていた」


「それじゃあ、お母さんのほうは?」


「母メイはたおやかな人柄であったが、私はむしろ母にこそ叱られることが多かったな。まあ、私は幼少の頃より狩人になりたいと言いたてていたため、それだけの気苦労を負わせてしまっていたのであろう」


 さきほどまでの慌ただしさが嘘のように、静かな空気が満ちていた。

 そこに、荷車の近づいてくる気配がする。仕事を終えたユン=スドラが、フォウの家から駆けつけてくれたのだ。


「お待たせしました、アスタ。こちらに割り振られた料理は、残らず準備することができました」


「ありがとう。こっちも準備は万端だよ。いよいよ鎮魂祭の始まりだね」


 ユン=スドラは頬を火照らせながら、「はい」とうなずいた。

 裏手からは、積み込みの作業を終えた女衆らが出てくる。それで静謐な空気は消え去って、森辺の集落に相応しい熱気がわきたった。


「それじゃああたしらも、いったん家に戻るとするよ。日没の頃には宿場町に下りるつもりだから、また後でね」


「はい。みなさん、お疲れ様でした。町では、どうかお気をつけて」


 そんな言葉を交わしている間にも、新たな荷車が到着する。護衛役をお願いしていた、男衆らだ。夜間にはルウの血族も護衛役を出してくれる手はずになっていたが、やっぱり夜間は人員を補強するべきであろうという話になり、日中と変わらぬ大人数であった。


「あ、アスタ。実はご相談があるのですが、荷車に空きがあったら、俺たちも乗せてもらえないでしょうか?」


 と、笑顔のジョウ=ランが近づいてくる。それに追従するのは、ラン家に滞在中のユーミだ。


「やあ。ジョウ=ランとユーミは、こんな早い時間から町に出向くんだね」


「はい。なるべく長い時間、ユーミとともに過ごしたかったので」


「だ、だから、そういう言葉をほいほい口にするんじゃないっての!」


 ユーミが顔を赤くして、ジョウ=ランの頭を叩くふりをする。

 それを横目に、俺は「えーと」と計算した。


「かまど番と狩人が10名ずつで、4台の荷車を出すんだけど……それとは別枠で、4名の狩人に同乗してもらうんだよね。そうすると、きっちり定員になっちゃうかな」


「そうなのですか。その4名の狩人というのは……ああ、他の同胞が荷車を使えるように、集落まで持ち帰る役目ですね」


「うん。せっかくの荷車を宿場町に置きっぱなしっていうのは、もったいないからさ。だから、家で待ってればそのうち迎えに来てもらえるはずだよ」


「いえ。それでしたら、歩いて向かおうかと思います。そのほうが、ユーミとふたりでいられる時間も長くなりますし――」


「だーかーらー!」と、ユーミがいっそう顔を赤くした。

 それを見かねたアイ=ファが、足もとから拾いあげた小枝をユーミに託す。その意味を悟ったユーミは、その小枝でジョウ=ランの肩をぴしぴしと叩いた。


「ああ、枝ごしでもユーミの力が伝えられてきて、なんとも幸福な心地です」


 ユーミは「もー!」と声を張り上げて、罪のない小枝を遠く放り捨てることになった。


「それじゃあ、出発しようか。ディンの荷車は、先にルウの集落に向かってるはずだからさ。ジョウ=ランとユーミは、道中お気をつけて」


 そうして俺たちは、いざ出発することになった。

 昼の部ではお留守番であった黒猫のサチも、今回は俺の足もとで丸くなっている。ジルベたちはフォウの家に預けられたが、彼女だけは家長に俺の護衛役を任命されたのだ。復活祭では掏摸すりの接近をいち早く察知していたため、サチはアイ=ファからそれなり以上の信頼を勝ち得ているのであった。


 ルウの集落に到着すると、そちらにはディンの荷車が待ちかまえている。そして広場の中央には、数多くの人々がたたずんでいた。


「お待たせ。そちらも問題はなかったかな?」


 俺の呼びかけに、レイナ=ルウが「はい」と凛々しい面持ちで応じる。


「ララから話を聞いて、5割増しの料理を準備しました。アスタのほうはいかがでしたか?」


「うん。こっちもユン=スドラたちのおかげで、ばっちりだよ。ひさびさの夜間営業だから、頑張ろうね」


「はい」と、レイナ=ルウはいっそう面を引き締める。それでも年齢より幼い面立ちのレイナ=ルウであるため、頼もしさと可愛らしさがいい具合に同居していた。

 さらに、別の人影もこちらに近づいてくる。それは、ララ=ルウとシン=ルウのペアであった。


「アスタ、お疲れ様。こっちはレイナ姉とツヴァイ=ルティムがいるから大丈夫だと思うけど、どうぞよろしくね」


「うん。ララ=ルウのほうも、頑張ってね」


 ララ=ルウたちは、宿場町ではなく城下町に向かうのだ。ジェノスの貴き方々が、どうせならば城下町における鎮魂祭のさまも見届けてみてはどうかとお誘いをかけてくれたのである。

 そちらのメンバーに選ばれたのは、ララ=ルウとシン=ルウ、ガズラン=ルティムとルティムの女衆、トゥール=ディンとゼイ=ディン、ディック=ドムとモルン・ルティム=ドム、チム=スドラとイーア・フォウ=スドラ、ヴィンの若き家長とその伴侶という顔ぶれであった。やはり森辺の民にとっては宿場町のほうが肝要であろうということで、ジザ=ルウやダリ=サウティといったいつもの重鎮メンバーはあえて外すことになったのだそうだ。


 また、ディンの家ももちろん夜間に屋台を出すが、そちらは現場における調理が必要ない献立にして、ふだん屋台を手伝っている面々に託すのだという。トゥール=ディンに鍛えあげられた3名の女衆も、これぐらいの仕事なら問題なく任せられるだけの成長を果たしていたのだった。


「私はなるべくフェルメスのもとに身を寄せようかと考えています。そちらの収穫祭でも、あまりお相手をすることができませんでしたので」


 と、ガズラン=ルティムが俺に微笑みかけてくる。ガズラン=ルティムは外交官たるフェルメスと正しき関係を保てるようにと、この任務に志願したのだそうだ。俺としては、ガズラン=ルティムの気づかいがありがたい限りであった。


「どうぞよろしくお願いいたします。ガズラン=ルティムさえいてくれれば、きっとフェルメスもお喜びでしょう」


「はい。それでもアスタの不在を埋めることは難しいでしょうが、私なりに力を尽くしたく思います」


 そうして俺たちはおたがいの健闘を祈りつつ、あらためて出立することになった。

 ファの4台に加えて、ルウで3台、ディンで1台、城下町に向かうグループが2台で、荷車の総数は10台である。これほどの台数で町に下りるのは、おそらくダカルマス殿下の開催した礼賛の祝宴以来のことであろう。しかも辺りにはどんどん夕闇が迫っていたため、俺を含む多くの人間がいっそうの非日常感を抱いたようであった。


 そして、宿場町に下りた俺たちは――そこに、さらなる非日常の光景を見出すことに相成った。

 往来が、さまざまな扮装をした人々によって埋め尽くされていたのだ。

 御者台を降りたアイ=ファは、厳しい眼差しでそのさまを見回した。


「これは……いささか想像を超えていたな。まるで、見知らぬ地に迷い込んだような心地だ」


 アイ=ファがそのような感慨をこぼすのも、まったく無理からぬことであった。鎮魂祭というのは町をあげての仮面舞踏会のようなものだと、俺たちは事前に聞かされていたのだが――それがこれほど念の入ったものだとは想像できていなかったのだ。


 人々の多くは、黒い布をフードつきマントのようにかぶっている。日中も幼子たちが同じ姿ではしゃいでいたものだが、このたびは大人も同じ行いに及んでいるのだ。

 しかも、そういった人々のほとんどは、目の周りを炭で黒く塗りたてていた。死者たる骸骨を見立てての扮装だ。さらにその内の何割かは、顔に白粉のようなものを塗って、いっそう骸骨らしい粉飾を施していたのだった。


 そして――驚くべきことに、そういった扮装がもっとも手軽な処置であったのだ。

 中には、顔を真っ黒に塗りたくっている者もいた。

 黒く染めあげた鳥の羽根でマントをこしらえて、それを颯爽とひるがえしている者もいた。

 顔をペイントするのではなく、髑髏の仮面をかぶってギャマのような角を生やしている者もいた。

 右半分が真っ白で、左半分が真っ黒な者もいた。そういった者たちは、髪や顔や手の先まで染め上げるほどの徹底ぶりであった。


「……これが、冥界の住人とやらの扮装というわけか?」


「うん。俺たちにはよくわからないけど、おとぎ話や神話なんかでは冥界の住人ってのが色々と登場するみたいだからな」


 そんな風に答えながら、俺はようやく自分の気持ちの落としどころを見つけることができた。

 冥神ギリ・グゥの鎮魂祭とは、お盆ではなく、ハロウィンパーティーのようなものであったのだ。

 あとは――メキシコかどこかにも、死者のお祭りというやつがあったように記憶している。そちらがどのようなお祭りであるのかは知識になかったが、メキシカンハットをかぶった骸骨がギターを構えている民芸品を目にした覚えはあった。


「……黒き装束は、闇にまぎれやすい。我々も、いっそう目を凝らして護衛の役目を果たさねばならんな」


 きわめて実務的なつぶやきをこぼしながら、アイ=ファは冥界の住人が蠢く街道へと足を踏み出した。


 あらためて往来の様子を確認してみると、そういった扮装をしている人間は半数ていどで、あとは普通の格好をしている。が、これだけの人混みで半数の人間が扮装をしていれば、十分なインパクトだ。また、扮装を楽しんでいるのは西の民ばかりで、東や南の民は通常の装いか、せいぜい黒い布をかぶっているぐらいのようであった。


 また、宿場町の住民や行商人などが年にいっぺんのお祭りでそうそう仮装に銅貨を費やすことはないだろう。間近で見ると、黒塗りや白塗りの扮装も実に簡単な仕上がりであり、城下町で開かれた仮面舞踏会とは比べるべくもないクオリティであった。

 しかし、稚拙な扮装というものには、どこか独特の雰囲気というか迫力のようなものが生まれるものであるらしい。ものすごく率直に言ってしまうと、大の大人が粗い仕上がりの扮装に身をやつすというのは――ある種の狂気を感じさせるのだ。


 ただし、そういう扮装をしている人々は、誰もが楽しそうだった。夕暮れ時の薄暗がりで、日常では決して許されないような格好をしていることに、ひどく昂揚しているようなのである。そこから生じる活力や熱気が、よく見知った宿場町をまったく違う空間に塗り替えてしまったような心地であった。


「なんだか、すごい有り様だね! じゃ、あたしたちは城下町に向かうから!」


 ララ=ルウたちを乗せた2台の荷車が、真っ直ぐ街道を北上していく。こちらは半数の人間が荷車を露店区域に運び、残りの半数が《キミュスの尻尾亭》と《南の大樹亭》で屋台を借り受けることになった。

 俺は後者の組となったため、ギルルの手綱を別の狩人に託したアイ=ファも同伴する。こちらの組となったユン=スドラは、さすがに困惑の面持ちで視線をさまよわせていた。


「本当に、すごい有り様ですね。この状況で、死者の存在を間近に感じようと試みるのは……少し怖いような気がしてしまいます」


「うん。俺もまずは、仕事に集中しようかと思うよ。冥界の住人だろうと何だろうと、銅貨さえいただけばお客様だからね」


 俺がそのように応じると、ユン=スドラは持ち前の元気さを取り戻して微笑んだ。


「そうですね。わたしもアスタを見習いたく思います。どのような状況でも、仕事を二の次にはできませんものね」


 俺たちはアイ=ファを筆頭とする狩人らに周囲を守られながら、《キミュスの尻尾亭》を目指した。

 そうして《キミュスの尻尾亭》に到着してみると、復活祭のときと同じように表にまで卓や椅子が出されている。そちらでも、半数ぐらいのお客は冥界の住人たる扮装をしていた。


「森辺のみなさん、お疲れ様です。レビたちが、倉庫の前でお待ちしていますので」


 表の卓に酒杯を届けていたテリア=マスが、穏やかな笑顔で出迎えてくれる。そちらに向かって、ユン=スドラが笑顔を返した。


「テリア=マスは、いつも通りの姿であるのですね。なんだか、ほっとしました」


「はい。父がおかしな格好をする必要はないと言ってくれましたので」


 そのように語るテリア=マスは、客人たちの扮装に恐れをなしている様子もない。彼女もさまざまな経験や婚儀などを経て、ずいぶん強くなったのだろう。

 そうして裏手に回ってみると、レビとラーズが待ち受けている。もちろん彼らも、日中に見た通りの姿であった。


「よう。何だか、とんでもない騒ぎになっちまったな。正直に言って、森辺のお人らと一緒に商売をできるのは心強い限りだよ」


「うむ。無法者ばかりでなく、酔漢などにも用心するべきであろう。きっと夜が深まるにつれ、抑制を失う人間が増えようからな」


 油断のかけらもない面持ちで、アイ=ファがそのように応じていた。

 そうして日中と同じように、屋台を押して街道を進む。それが露店区域に差し掛かったあたりで、荷下ろしを終えた8台の荷車と行きあうことになった。


「では、これらの荷車を借り受けるぞ。そちらが商売を終える前に、すべて返しに行くのでな」


「うむ。十分に注意をな」


 アイ=ファの言葉にうなずいて、8名の狩人が荷車を引いていく。これからピストン輸送が開始され、森辺のあちこちから何十何百という森辺の民が押し寄せてくるのだ。そうすれば、この異様な熱気に包まれた宿場町がいっそう騒がしくなるはずであった。

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― 新着の感想 ―
[一言] 小枝「ワイがなにしたって言うんやー!」
[気になる点] 「きっとユン=スドラであれば、自力で屋台の商売を切り盛りすることも容易いのだろう。」→そろそろ任せられる力量であるならばファの家の負担も減るし任せてみるのもありなのでは?と思うけど、眉…
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