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異世界料理道  作者: EDA
第七十章 灰と黒の祝祭
1209/1695

黒の月の鎮魂祭②~前兆~

2022.6/14 更新分 1/1

 それから鎮魂祭がやってくるまでの数日間、ティカトラスはまた自由気ままにジェノス中を駆け巡っていた。

 ファの家を見物した日を皮切りに、再び森辺の無人の集落を拠点として、あれこれ活動し始めたのだ。


 初日にファの家の検分を終えたティカトラスは、そののち3日間をかけて残る5氏族を見て回った。それから今度は北上して、後回しにしていたスンとラヴィッツの血族の家を巡るのだそうだ。多少はペースが早まったものの、それでもすべての氏族の集落を見て回ろうという方針に変更はないようであった。


 そうして日中には、また城下町や宿場町で商談である。ダレイムやトゥランにはそれほど見るべきものもないと判断し、ファの家にやってくる前の検分で満足したようだ。それでも俺などはダレイムの南方の区域や最近のトゥランの様相など目にしたこともなかったのだから、ティカトラスの行動力や好奇心を侮る気持ちにはなれなかった。


 そしてその裏で、ティカトラスは鎮魂祭の準備を着々と進めていたのだ。

 鎮魂祭とはどのような手順で進めるものであるのかをジェノスの領主マルスタインに懇々と説明して、それをジェノス中に布告して回らせたのだった。


 その流れとして、ついに森辺の集落にも正式な協力の要請が伝えられることになった。

 宿場町にて夜間に屋台を出し、2日目の日中にはギバの丸焼きも準備してほしいと、そのように願われることになったのだ。


「……まあ幸いなことに、我々は休息の期間であったからな。十分な数の護衛役をつけて、何も危険がないように取り計らうしかあるまい」


 三族長がマルスタインからの要請を了承したと告げられた際、アイ=ファは仏頂面でそのように言いたてていたものであった。


 そんな中、俺たちは長らく延期していたひとつの案件を実行することに相成った。

 ダレイム領のドーラ家にお邪魔することになったのだ。

 ティカトラスの来訪によって延期に延期を重ねていたイベントであるが、こうまで日取りがずれこんでしまったのなら、いっそのこと休息の期間にお邪魔することにしようと、そのように計画が進められていたのである。


 日取りとしては、屋台の休業日の前日となる黒の月の5日である。

 ルウ家は先月すでにこのイベントを達成させていたため、今回は休息の期間にある6氏族の主導だ。その顔ぶれは、俺とアイ=ファ、ライエルファム=スドラとユン=スドラ、トゥール=ディンとゼイ=ディン、ラッド=リッドとリッドの若い女衆、フォウの若い男女――そして、ジョウ=ランにユーミというものであった。


「いやあ、こういう話にユーミが加わるのはいつものことだけど、まさか森辺の民の許嫁として迎えることになるなんて、なんだか感慨深いねぇ」


 晩餐の場において、ドーラの親父さんが笑顔でそのように言いたてると、ユーミはやっぱり「う、うるさいよ!」と顔を赤くしていた。この時期、ユーミはまたランの家に逗留していたため、ジョウ=ランたちと一緒に荷車で参じたのだ。


 おおよその人間は復活祭で面識を得ていたので、晩餐の場は至極なごやかである。ちょっと気難しい親父さんの母君や叔父君にはライエルファム=スドラとゼイ=ディンの沈着なコンビが相手取り、それなりに交流を深められている様子であった。


「それにしても、ティカトラスってお人は豪気だねぇ。まさか、俺たちまでその騒ぎに巻き込まれることになるとは思わなかったよ」


 親父さんの発言に、果実酒をあおっていたラッド=リッドが「ふむ!」と反応した。


「そういえば、あやつはダレイムの様子まで検分していたそうだな! ドーラも顔をあわせることになったのか?」


「ああ。俺はその前からアスタたちの食堂で出くわしてたんだけどさ。それがこっちの畑にまで出向いてきたもんだから、びっくりさせられちまったよ」


「ふむふむ! それで騒ぎというのは、やはり鎮魂祭というものの一件であろうかな?」


「うん。こっちにまで、祝祭のしきたりってやつがお触れで回されてきたからね。まあ、たいていの人間は宿場町まで出向くことになるんだろうけどさ。……だから俺たちも、アスタたちの料理を楽しみにしてるよ」


 ドーラの親父さんに陽気な笑顔を向けられて、俺も「はい」と笑顔を返してみせた。


「要するに、復活祭の祝日みたいなものですよね。そのために、ジェノスの貴族の方々がアリアとかの足りない食材をどっさり買い込んでくれたそうなので、俺たちも腕をふるおうかと思います」


「楽しみだねぇ。そういえば、俺が懇意にしてる布屋の親父も黒い布をめいっぱい準備しろってお触れを出されて、目の回るような忙しさなんだってよ」


 そう言って、親父さんはいっそう愉快そうに笑った。


「でも、それが残らず売り尽くせるっていうんなら、たいそうな稼ぎになるんだろうからさ。誰にとっても損のない話なんだろうと思うよ」


「うんうん。それに、死んじまった人間に思いを馳せるってのも、大切なことだろうしねぇ」


 親父さんの伴侶がしんみりとした調子で声をあげると、隣の卓の叔父君が「ふん」と鼻を鳴らした。


「どんな馬鹿騒ぎをしたって、死んじまった人間が戻ってくるわけではない。そんな騒ぎにどんな意味があるというのか、さっぱりわからんな」


 叔父君は、伴侶や子供をすべて病魔で失ってしまったがゆえに、ドーラ家に身を寄せているのである。

 そんな叔父君のかたわらでは、母君のほうも厳しい面持ちになっている。そちらもまた、すでに伴侶を亡くした身であった。


「でもさ、年にいっぺんでも死んだ人間を偲ぶ特別な日があるっていうのは、いいもんなんじゃないのかね。普段は仕事の忙しさにかまけて、ゆっくり思いを馳せることもできないんだからさ」


 親父さんの伴侶は、同じ調子で言葉を重ねる。そういえば、親族が集まる収穫祭でもそちらのご両親を紹介してもらった覚えはないので、すでにどちらも故人なのかもしれなかった。


「俺たちは、鎮魂祭というものが自分たちに相応しい行いであるかどうか、正しく見定めようと心がけている。ダレイムの者たちも、そうするべきではなかろうかな」


 ライエルファム=スドラがそのように声をあげると、ドーラ家のまだ若い次男坊が「そうだよ」と追従した。


「俺やターラなんかはまだ近しい相手を亡くしたことがないから、ピンとこないけどさ。これが別の土地ではしっかり根付いてる祝祭だっていうんなら、きっとそんなに悪いものではないんだろう。それが俺たちの気風に合うかどうか、じっくり見定めてやればいいさ」


「そうだな。気に食わなければ、今回だけで取りやめるだけのことだ。何も難しく考えることはないよ」


 そう言って、親父さんは酒杯を掲げた。

 斯様にして、ティカトラスの巻き起こした騒動はジェノス中に小さからぬ波紋をもたらしていたのだった。


                 ◇


 そうして粛々と日は過ぎていき――ついに鎮魂祭の当日、黒の月の9日である。

 その日の朝、下ごしらえのために集結したかまど番たちは、誰もが強い意欲をみなぎらせていた。鎮魂祭の是非はともかくとして、俺たちが大きな仕事を受け持ったという事実に変わりはないのだ。そうして自らに割り振られた仕事に対しては、誰よりも真摯な姿勢で取り組む森辺の民であるのだった。


「みなさん、お疲れ様です。今日の昼までは通常営業ですが、その後は明日の夜まで変則的な形態になりますので、どうぞ最後までよろしくお願いします」


 そんな挨拶を述べてから、俺は作業を開始した。

 他のかまど番たちも、班長の指示に従っててきぱきと動き始める。そんな中、昂揚した面持ちで声をかけてきたのはレイ=マトゥアであった。


「でもこの数日で、宿場町は明らかに賑わいが増していますものね! どれぐらいのお客が来るのか、とても楽しみです!」


 そう、ジェノス領主マルスタインの名で鎮魂祭の開催が布告されたのは8日前となるが、ここ数日で宿場町を訪れる人間がずいぶん増えたようであるのだ。きっとこの近隣ではのきなみ鎮魂祭の習わしが廃れていたのであろうから、それがどういった祝祭であるのかと興味を引かれた人間がジェノスに集まってきたようであった。


 そうして客足が増えたことにより、俺はかねてより計画していた腹案を決行することに相成った。

 ファの家で管理する屋台を、3つから4つに増やすことにしたのだ。


 俺がそのように決断した原因は、3ヶ月ほど前から販売を開始した『ギバの玉焼き』が、あまりに好評であったためである。たこ焼きを模したこの料理が好評すぎて、屋台の料理のラインナップから外すことが忍びなく――その結果として、他の献立の提供を日替わりで休止することになってしまったがゆえであった。


 俺の提案で玉焼き器と名付けられた調理器具は、すでに城下町にも宿場町にも普及している。ディアルがあちこちから注文を取りつけて、それだけの成果をあげたのだ。よって、今では玉焼きという料理も珍しくはなく、あちこちの屋台や食堂で扱われているわけだが。そうすると、今度は玉焼きのブームというものが生まれてしまい、いっそうの人気を博してしまったわけである。


 俺が玉焼き器を手にした当時はジェノスもまだ深刻な食材不足に悩まされていたため、たいそうありがたく思っていた。余所から買いつける食材だけではどうしても献立の幅が狭まってしまうので、新商品たる『ギバの玉焼き』にずいぶん助けられることになったのだ。


 しかし、一般家庭の人々も外来の食材を扱うようになった現在、ダレイムの野菜もおおよそ入手できるようになっている。いまだに品薄であるのは、ポイタン、アリア、タラパ、ペペの4種のみであるのだ。だから俺もさまざまな献立を復活させようと試みたのであるが、どうしても『ギバの玉焼き』をラインナップから外すタイミングがつかめなかったのだった。


 そんなわけで、俺は屋台を増やそうという決断を下したのだ。

 鎮魂祭が終わって客足が落ち着いたのちは、ひと品ごとの数量を抑えて対応する心づもりである。そうすると、たとえ売り上げそのものは変わらなくとも屋台の貸し出し料と場所代の分だけ損をすることになってしまうわけであるが――ファの家は家長会議を契機として、商売にまつわる人件費が半額に減じている。それで以前よりは格段に収入が増えているのだから、多少の損をしてでも色々な料理をお披露目したいと願ったわけであった。


(俺たちの目的は、ギバ料理の美味しさを広く伝えることだからな。それなら、これが正しい判断であるはずだ)


 そうして俺が本日の献立に選んだのは、『ギバの玉焼き』『蜜漬け肉の揚げ焼き』『和風出汁のギバ・カレー』『ギバまん』および『ケル焼き』となる。準備に手間のかかる『ギバまん』は数量を抑えて、売り切れたら『ケル焼き』に切り替えるというのは、昔日からの手順通りであった。


 献立がひとつ増えた上に、本日は従来の2割増しの数量を準備するため、下ごしらえの作業もそれだけ上乗せされる。しかし、かまど小屋の収容人数いっぱいまで集められたかまど番たちは、実にスムーズな手際で仕事を果たしてくれていた。


「よし。玉焼きのタネと具材の切り分けは完了だね。次の作業の邪魔になっちゃうから、これは先に荷台に積んじゃおうか」


 俺は数名の女衆とともに、木箱を抱えてかまどの間を出た。

 すると、薪割りの仕事を終えたアイ=ファが、壁にもたれて厳しい顔をしている。その鋭い眼差しが向けられているのは――楽しそうにじゃれあっている4頭の犬たちの姿であった。


「アイ=ファも、お疲れ様。まだラムの様子が気になるのか?」


「うむ。私が気にかけても詮無いことは、わきまえているのだがな」


 もっとも新参の家人である雌犬のラムは、これまで通りの無邪気な姿を見せている。それでアイ=ファがこのように厳しい面持ちをしているのは、この黒の月に発情期がやってくると伝えられていたためであった。


 発情期がやってきたならば、ラムは誰を伴侶に選ぶのか。アイ=ファはそれを気にかけてしまっているのである。まあきっと、それも親心のようなものであるのだろう。俺としては、誰が伴侶でもかまわないので、ただ無事に出産を迎えられることを願うばかりであった。


 それからさらに一刻ほどが経過すると、下ごしらえの仕事は完了した。

 そしてその頃には、ファの家に近在の男衆が集結している。祝祭の本番は夜からとなるが、それでもこの時間から多くの護衛役をつけることが決定されていたのだった。


「それでは、出発だな! 町がどれだけ賑わっているのか、楽しみなところだ!」


 ラッド=リッドの号令で、5台もの荷車がファの家を出立する。今日はルウでも自前の荷車を出すことになっていたが、ファとディンの関係者だけでこの台数となってしまったのだ。


 それでもいちおう一緒に宿場町に下りる予定であったため、まずはルウの集落を目指す。そちらでは、2台の荷車と荷車に繋がれていない1頭のトトスが待ち受けていた。トトスの手綱を握っているのは、ルド=ルウだ。


「あれ? この時間の護衛役は、みんなこっちで受け持つ手はずになってたよね?」


「あー。俺は様子見の仕事だよ。町の様子を見届けてこいって、親父に言いつけられたからさ」


 宿場町での活動をこよなく好んでいるルド=ルウは、楽しげな面持ちでそのように語らっていた。


「明日を休息の日にする分、今日は中天までに戻らないといけねーからよ。護衛の役目は頼んだぜ、アイ=ファ?」


「うむ。すべての同胞を守り抜いてみせよう」


 そうしてトトスにまたがったルド=ルウを先頭にして、7台の荷車は宿場町へと出発した。

 ギルルの手綱はアイ=ファが預かってくれたので、俺は他の人々とともに荷台で揺られている。相乗りになった女衆らは、やっぱり平時よりも昂揚している様子であった。


「なんだか本当に、復活祭を迎えたような心地ですね。むやみに胸が高鳴ってしまいます」


 年を重ねるごとに落ち着きが増してきたユン=スドラも、今日ばかりは子供のように無邪気な笑みをこぼしている。俺も同じ気持ちであったため、「そうだね」と笑顔を返してみせた。


(でも実際のところ、どういう騒ぎになるんだろうな。故人を偲ぶっていうとお盆なんかを連想させられるけど、それとも趣が違うみたいだし……)


 もちろん俺たちも宿場町に布告された鎮魂祭の概要を確認しているのであるが、この段階でもまだイメージを固められずにいた。それでけっきょくもっとも身近な町の祝祭である復活祭を連想して、胸が高鳴ってしまうのだろう。また、普段よりも質量の増した下ごしらえに、多数の狩人の同伴というシチュエーションが、さらに拍車をかけるのだろうと思われた。


 そうして7台の荷車は、滞りなく宿場町に到着し――トトスから降り立ったルド=ルウは、「へー」と感嘆の声をこぼしていた。


「確かにこいつは、ただ人が多いってだけじゃなさそうだなー。ずいぶんわきかえってるじゃねーか」


 好奇心に駆られた俺は、御者台の脇から宿場町の様相を見届けることに相成った。

 街道は、確かにわきかえっている。そしてそこには、すでに黒い布をかぶった人影がいくつも見受けられたのだった。


 ただし、その大半は幼子である。宿場町の幼子たちがフードつきマントのように黒い布をかぶって、きゃあきゃあと駆け回っているのだ。

 そして街道のあちこちには、黒や白の旗が掲げられていた。復活祭では赤い旗が掲げられていたので、それに比べれば地味な配色であるが、それでもこれが平時ではないと示すには十分な演出であろう。また、立ち並んだ建物の多くは、玄関口に白い花を飾っていた。


 往来を行く人の数は、3割増しで混み合っている。そしてそれらの人々も、この夜から開始される鎮魂祭へと期待をつのらせ、その熱気が町に充満しているようであった。


「……どうもこれは、昨日までよりもさらに人間の数が増えたようだな」


 ギルルの手綱を引くアイ=ファがそのように声をあげたので、俺は御者台の脇から「うん」と答えてみせた。


「昨日の段階では2割増しだったのが、もう1割ぐらい増えたみたいだ。きっと俺たちが屋台の商売を終えた後も、来訪する人が増え続けたんだろう。あとは、宿場町の住民なんかも、普段以上に出てきてるのかな」


「うむ。少なくとも、幼子の数は格段に増えているようだな」


 そうして《キミュスの尻尾亭》に到着すると、そちらの玄関にも白い花が飾られていた。

 この習わしも、俺たちは事前に聞かされている。家の玄関には、近年に亡くした家族の数だけ白い花を飾るのだそうだ。その近年の定義は曖昧であったが、とりあえず《キミュスの尻尾亭》の玄関には三輪の花が飾られていた。


「失礼します。屋台を借り受けに参りました」


 俺がアイ=ファと一緒に玄関の内に足を踏み入れると、受付台には仏頂面のミラノ=マスが待ち受けていた。


「レビたちが、倉庫の前で待っているはずだ。そうまで無法者が増えたという話は聞かんが、気を抜かんようにな」


「ありがとうございます。ミラノ=マスも、どうかお気をつけください」


 すると、何やら迷うような表情をしていたアイ=ファも口を開いた。


「ミラノ=マスよ、ひとつうかがいたいのだが……扉に飾られたあの花は、誰に手向けられたものであるのだ?」


「……俺の両親と、伴侶だ。ラーズの親は生きているのか死んでいるのかもわからんという話であったのでな」


「そうか。ミラノ=マスが伴侶を亡くしたのは、10年ほどの昔であるはずだな?」


「親がくたばったのは、もっと昔だぞ。近年などと言われても加減がわからなかったので、俺がこの宿でともに暮らしていた家族の分を準備しただけのことだ」


「そうか。ミラノ=マスの家族らの、魂の安息を願う」


 アイ=ファは厳粛な面持ちで一礼し、宿屋の玄関を出た。

 そうしてララ=ルウたちと一緒に裏手の倉庫を目指しながら、俺はアイ=ファへと語りかける。


「それじゃあファの家でも、ふたつの花を飾ろうか? アイ=ファがご両親を亡くしたのは、10年以内の話だもんな」


「……お前とて、母を亡くした身であろうが?」


「え? でも、俺の母親はファの家で暮らしていたわけじゃないし……亡くなったのは、10年以上も前のことだしなぁ」


 俺がそのように答えると、アイ=ファはおっかない目でにらみつけてきた。


「それでもお前にとって、大切な家族であったことに変わりはあるまい。それとも……私には、お前の母親の死を悼むことは許されんのか?」


「そんなつもりで言ったんじゃないよ。気を悪くさせたんなら、ごめん」


 アイ=ファは唇がとがるのをこらえながら、俺の頭を小突いてきた。

 倉庫の前では、レビとラーズが語らっている。俺たちの接近に気づいたレビは、いつもの調子で「よう」と声をあげてきた。


「表は、けっこうな人通りだったろ? うちの宿も満室で、いくつも客を断ることになっちまったんだよ。思った以上に、物好きが集まってるみたいだな」


「うん。告知から8日しか経ってないのに、ここまで影響が出るもんなんだね」


「まあ、町が賑わうのはけっこうなこった。ただ、俺たちは身近な人間を亡くしたことがないから、ちっとばっかり身の置きどころがないんだよな」


 レビの言葉に、ラーズは「へへ」と気恥ずかしそうに笑う。


「俺にはもともと親がいませんし、女房にも逃げられた甲斐性無しですからね。いい年をして、情けないもんでさぁ」


「親がいないとは、どういう意味であろうか? この世に生まれ落ちたからには、誰しも親を持っているものであろう?」


「俺は赤子の時分に、聖堂に捨てられてたんですよ。おおかた下手を打った娼婦か何かが、育てきれない赤子を捨てていったんでしょう。貧民窟では、珍しくもない話でさぁ」


 アイ=ファは真剣きわまりない面持ちで、「そうか」とうなずいた。


「ならばそれは、ラーズが恥じ入るような話ではない。それでもこうして立派に子供を育てあげたのだから、なおさらにな」


「おいおい、そういう話は俺のいないところでお願いするよ」


 と、今度はレビが気恥ずかしそうに笑う。容姿はあまり似ていないが、やはり内面は似たところのある父子であるのだ。


「とにかく、出陣だな。俺たちもたっぷり料理を準備したんで、どれぐらいで売り切れるのか楽しみなところさ」


 倉庫から屋台を引っ張り出して、俺たちは街道に舞い戻った。

《キミュスの尻尾亭》にはもう余分の屋台が存在しないため、今日から増設する屋台は《南の大樹亭》で借り受ける手はずになっている。もともとルウ家では1台の屋台を《南の大樹亭》から借り受けていたので、俺もそれにならうことになったのだ。

 そうして露店区域を目指しながら、俺は再びアイ=ファへと呼びかけた。


「アイ=ファがこんなに自分から町の人たちに声をかけるのは、ちょっと珍しいよな。やっぱり鎮魂祭の影響なのか?」


「うむ。町の者たちがどのような心持ちでこの行いに取り組もうとしているのか、正しく知っておくべきであろうからな」


 凛々しく引き締まった面持ちで、アイ=ファはそのように言っていた。

 そうして街道を進んでいくと、ますます人通りが増えていく。宿屋の屋台村はすでに大盛況で、人混みの向こうには懸命に働くビアとランの末妹の姿が垣間見えた。


「んー、なんとなく、東の民の数が多いように感じられるなー」


 まだ俺たちと行動をともにしていたルド=ルウが、そんな風につぶやいた。


「そうかなぁ? 黒い布をかぶった幼子が多いから、そんな風に感じられるのかもしれないよ」


「あんなちびどもを東の民と見間違えるかよ。アスタはそう思わねーのか?」


「いやぁ、どうだろう。ただ、シムは遠いからね。たった8日の猶予じゃあ、東の民だけが増える道理はないかと思ってさ」


 俺はそのように答えたが、正しかったのはルド=ルウのほうであった。それを教えてくれたのは、露店区域の所定のスペースで待ちかまえていた《黒き風切り羽》の団長ククルエルである。


「ああ、ククルエル。今日は宿場町においででしたか」


「ええ。商売の手が空いたもので。宿場町も、なかなかの賑わいのようですね」


 東の民としてはきわめて流暢な口調で、ククルエルはそのように語らった。目つきは鋭いが物腰のやわらかい、壮年の東の民である。


「我々の滞在期間も残り数日となりましたが、その前にジェノスで鎮魂祭を迎えられるとは思ってもいませんでした。ティカトラスのはからいに、心から感謝したく思います」


「ああ、ククルエルの故郷では、鎮魂祭を行っていたのですか?」


「無論です。シムにおいて、鎮魂祭を二の次にする地はそうそうないことでしょう。冥神ギリ・グゥは運命神ミザとともに、シムとゆかりの深い神であるのですから」


「あー、それじゃあそのせいで東の民が多いのかー?」


 ルド=ルウの問いかけに、ククルエルは「ええ」とうなずく。


「おそらくは、この近隣で行商を行っていた東の民が集まっているのでしょう。なおかつ、祝祭の始まりは今日の夜なのですから、これからも続々と駆けつけるのではないかと思われます。この近隣で、他に鎮魂祭を行っている地はないのでしょうからね」


「ほーら、俺の言った通りじゃねーか」


 ルド=ルウは得意げに胸をそらしながら、俺の頭を小突いてきた。どうも今日は、小突かれ日和であるようだ。

 そんな風に語らっている間にも、屋台の前には多くの人が集まってきている。これはどうも、普段の2割増しの料理ではとうてい追いつかないような客足になりそうなところであった。

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― 新着の感想 ―
[一言]  太陽神とかは四大の火に縁がありそうですが……  冥神は四大の風に縁ある小神だったと言う所なのでしょうか?  でも、この鎮魂祭が定期的に開かれるなら、東の民が立ち寄る確率が高まる可能性があ…
[一言] ディアデムエルトスをどうしても連想してしまうw さぁ、どんな感じになるのだ!
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