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異世界料理道  作者: EDA
第七十章 灰と黒の祝祭
1206/1695

六氏族の合同収穫祭⑤~かまど巡り~

2022.5/29 更新分 1/1

「アスタ、単独行動、珍しいです」


 ユーミたちと別れを告げて、俺が再び広場の巡回に繰り出すと、そんな言葉を投げかけられた。

 数多くの人間が集められたこの場においても、こういった口調で語らう人物は2名しかいない。それはどちらも、俺にとって大事な相手であったが――それはとりわけ古くからおつきあいをさせていただいているほうの人物であった。


「ああ、シュミラル=リリン。そちらこそ、おひとりだったのですか?」


「はい。さきほどまで、貴族の敷物、同席していました」


 そんな風に言いながら、シュミラル=リリンは優しく微笑みかけてきた。


「アスタ、単独行動、さまたげる、迷惑ですか?」


「あはは。俺がシュミラル=リリンを迷惑がると思いますか?」


「いちおう、確認です。アスタ、大きな役目、負っている可能性、ありますので」


「俺が負っているのは、客人への応対です。つまり、シュミラル=リリンもその対象内であるわけですね」


 そうして俺は熱気に満ちみちた人混みの中で、シュミラル=リリンと微笑み合うことになった。シュミラル=リリンと顔をあわせるだけで、俺はいつも和やかな気持ちになってしまうのだ。これはもう、シュミラル=リリンの人柄に起因するのだとしか思えなかった。


「貴き方々への応対は、族長筋の方々が担ってくれていましたからね。シュミラル=リリンも、お疲れ様でした。日中なんかは、けっこうティカトラスのお相手をすることになったのでしょう?」


「はい。ですが、問題ありませんでした。私、商人ですので、ああいう御仁、手馴れています」


「なるほど。でも、ティカトラスと商売はしていなかったのですよね?」


「はい。ですが、おそらく次回から、商売、始まります。マヒュドラの品、良質であれば、いくらでも買いつける、約束してくれました。ラダジッドも、異論、ないでしょう」


 ティカトラスは、こんな場でも商談に励んでいたのだ。まったくもって、ディアルやデルスも顔負けの商魂であった。


「では、ご一緒にかまどを巡りませんか? 俺もまだ挨拶をしていない客人がたくさんいるので、かまどを巡りながらそういった方々を探そうとしていたところであったのです」


「はい。喜んで」


 ということで、俺はシュミラル=リリンと一緒に広場を巡るという、とても嬉しい事態を迎えることに相成った。

 祝宴をともにする機会は数あれど、ふたりきりで広場を巡るというのはきっと初体験であろう。俺は何だか、大切な旧友と親睦を深めなおしているような心地であった。


「こちらの収穫祭は、いかがでしたか? やっぱりルウの収穫祭とは、毛色が違う面もあったでしょう?」


「はい。ですが、6氏族、結束の固さ、驚かされました。もちろん、血族ごと、対抗心、あるのでしょうが……ルウの眷族、同じことです。そして、最後には、血の縁、関係なく、祝福するところも、同一です」


「そうですね。こんなにたくさんの方々と血族同然のおつきあいをさせていただくことができて、心から嬉しく思っています」


「はい。他の5氏族、同じ気持ちでしょう。私、ルウの血族、迎えられて、幸福の限りですが……その一点、羨ましい、思います」


 シュミラル=リリンがそんな温かい言葉をかけてくれたところで、新たな人垣に到着した。

 こちらの簡易かまどにも、たくさんの人間が集まっている。その中に、俺はポルアースとメリムの夫妻に、案内役を務めていたらしいディック=ドムとモルン・ルティム=ドム、それに2度目の遭遇となるイーア・フォウ=スドラの姿を見出した。


「ポルアースにメリム、どうもお疲れ様です。祝宴を楽しまれていますか?」


「うん、もちろん! ティカトラス殿やデルシェア姫のお世話を森辺の方々にまかせっぱなしで、申し訳ないぐらいだよ」


「城下町では大変な苦労をされていたのですから、森辺に来られたときぐらいはどうぞ羽をのばしてください」


 そちらで配られていたのは、ギバ骨ラーメンだ。俺もまだ口にしていなかったため、シュミラル=リリンと一緒にいただくことになった。

 メリムはにこにこと笑いながら、モルン・ルティム=ドムやイーア・フォウ=スドラと語らっている。彼女たちは城下町まで出向く機会もそれほど多くはなかったが、その柔和かつ明朗な気性でメリムやエウリフィアといった数々の貴婦人がたと交流を深められたようなのである。今はメリムとモルン・ルティム=ドムがふたりががりで、イーア・フォウ=スドラの伴侶たるチム=スドラが力比べで活躍していたことを褒めちぎっているようであった。


 俺はギバ骨ラーメンをすすりつつ、ひと通りの相手に挨拶の言葉を送る。それが一段落したところで、ポルアースがディック=ドムへと語りかけた。


「ディック=ドム殿も、お疲れ様だね。以前にお招きされたザザの収穫祭にも負けない盛況さだと思うのだけれども、いかがかな?」


「うむ。血族たるディンやリッドも確かな力を育んでいるようなので、喜ばしく思っている。それもきっと、ファを始めとする近在の氏族と絆を深められたゆえなのであろう」


 ディック=ドムにポルアース、俺にシュミラル=リリンという、なかなか異色の取り合わせである。しかしポルアースもずいぶん森辺の祝宴に慣れてきた様子であったので、こちらも女性陣に負けない和やかさを保持することができた。


「ドムやザザの集落には、もうティカトラス殿がお邪魔しているという話であったよね。何かご迷惑をかけるようなことにはならなかったかな?」


「うむ。あの貴族はずいぶん奔放な気性をしているようだが、諍いが起きることはなかった。言葉に嘘がないというのは、南の王族と同様であるようだしな」


 そんな風に応じながら、ディック=ドムは何か考え込むように目を伏せた。


「そういえば……俺たちはひとつだけ、ティカトラスからの願い出を断る事態に至った。本来は族長たるグラフ=ザザから伝えるべきであろうが、いい機会であるからこの場で伝えておこう」


「え? い、いったいどんな無茶な願い出をされたのかな?」


 ポルアースが慌てた顔で身を乗り出すと、ディック=ドムはそれをなだめるようにゆったりとした口調で語らった。


「ティカトラスは俺たちの狩人の衣を目にして、ギバの頭骨や頭つきの毛皮を譲ってほしいと願い出たのだ。それはべつだん、森辺の習わしに背くような話ではないのだが……ただ北の一族にとって、ギバの頭骨と頭つきの毛皮は一人前の狩人に贈る品であるため、狩人ならぬ人間に銅貨で売りつける気持ちにはなれなかった。よって、他の氏族であればその願い出を聞き届けることもできるだろうと伝えたのだ。あちらもそれで納得していたので、何も諍いになることはなかろう」


「な、なるほどね。でも、ティカトラス殿はそのようなものを買いつけて、いったいどうしようというつもりなのだろう?」


「家を飾る品に仕立てあげたいのだと言っていた。それで俺たちも、いっそう売り渡す気持ちになれなかったのだ」


 北の一族が狩人の誇りとして扱っている品を、飾り物として扱いたいという願い出であったのだ。ディック=ドムも気分を害している様子はないので、それは幸いなことであったが――それにしても、そのような願い出を平気で口にできるというのは、やはり大した心臓であった。


「ティカトラス殿は、森辺においても商談に励んでいたのだねぇ。まったくもって、その執念には感服させられてしまうよ」


「うむ。これはいずれ三族長の協議にかけられるかと思うが、あやつはギバの腸詰肉を買いつけようと目論んでいるようだ。……ギバの腸詰肉は、腐らせずに王都まで持ち帰ることがかなうのであろう?


 と、ディック=ドムが俺とシュミラル=リリンの姿を見比べてくる。それに対して、シュミラル=リリンが俺より早く「はい」と応じた。


「我々、《銀の壺》、ギバの腸詰肉、アブーフやマヒュドラまで、運んでいます。腸詰肉、限界まで、水抜きすれば、ひと月以上、腐らないため、西の王都、通商、可能です」


「そうか。あやつがどれだけの量を買いつけようとしているのかは知れぬが……それはいずれ正式な願い出として、族長らに伝えられることであろう」


 ディック=ドムがそんな言葉で締めくくると、ポルアースはこらえかねたように嘆息をこぼした。


「大きな問題は起きていないようだけれども、やっぱりひやひやしてしまうなぁ。これだったら、ずっとジェノス城に滞在していただきたいぐらいだよ」


「我々も、最後には領主たるジェノス侯に了承を取りつけることになる。そちらの知らぬ内に大きな話が進むことはなかろうから、心配には及ぶまい」


「でもやっぱり、森辺の方々に大きな苦労をかけてしまっているようだしねぇ」


 ポルアースのそんな言葉に、ディック=ドムが貴重な笑顔を見せてくれた。


「俺たちは同じジェノスの民であるのだから、苦労も喜びも分かち合うべきであろう。ともに飛蝗の脅威を乗り越えたように、このたびの苦難も乗り越えたく思う」


「あはは。飛蝗と同列に扱われたら、さしものティカトラス殿も気分を害してしまわれるかもね」


 そうしてようやくポルアースが彼らしい笑みをこぼしたところで、伴侶のメリムが「あなた」と呼びかけてきた。


「もうじき菓子が出されるそうですわ。よければイーア・フォウ=スドラとご一緒に、そちらを目指しませんか?」


「ああ、いいね。アスタ殿たちも、ご一緒にいかがかな?」


「俺はもうちょっと他の料理を味わってからにしようかと思います。あとでまたご挨拶をさせてください」


 俺はまだほんの数種類しか宴料理を口にしていなかったので、個性的な2組の夫妻とそこでお別れを告げることになった。


「シュミラル=リリンは、よかったのですか? 俺のために無理はなさらないでくださいね」


「無理、していません。菓子よりも、アスタ、魅力、感じています」


 シュミラル=リリンは茶目っ気をにじませた微笑とともに、そんな言葉で俺の心を温めてくれた。


「ただ、菓子の披露、いささか早い、感じられます」


「そうですね。オディフィアのために、予定を早めたのかもしれません。家で休んでいる幼子たちも、あまり待たせると眠たくなってしまいますしね」


 広場の中央を振り返ると、勇者と勇士の狩人たちはまだその場で多くの人々からお祝いの言葉を授かっている様子である。アイ=ファが行動の自由を得るには、もういくばくかの時間がかかりそうなところであった。


「おお、アスタ! シュミラル=リリンと一緒であったのか!」


 と、通りすがりに大きな声をかけられる。声の主はラウ=レイであり、そのそばにはヤミル=レイとベンにカーゴなどの姿があった。


「どうもどうも。ベンとカーゴは、ユーミに追い払われてしまったそうですね」


「なんだ、耳が早いなぁ。別に俺たちは、何か悪さをしたわけじゃないんだぜ?」


「そうそう! あの背の高い侍女さんがあんまり別嬪だから、見とれただけなのにさ!」


 かつては北の民であったシフォン=チェルがそのように評されるのは、きっと喜ばしい話であるのだろう。また、ベンとカーゴにしてみても、まったく気落ちしている様子はなかった。


「ユーミがあれこれ気を回さなくても、城下町のお人にちょっかいなんてかけるわけないのによ。どうもあいつは、こういう話にだけ頭が固いんだよなぁ」


「本当だよ。それでいて、自分はちゃっかりジョウ=ランといい仲になってるくせによ」


「うわははは! お前たちがユーミやジョウ=ランほど真剣な恋情を抱いているならば、何も文句は言われまいよ!」


 ラウ=レイが大笑いしながら背中を引っぱたいたため、ベンは「いてーよ!」と大騒ぎすることになった。


「ラウ=レイはご機嫌だね。祝宴を楽しめてるなら、何よりだよ」


「うむ! ようやくアスタたちの収穫祭に参ずることができたのだからな! ヤミルも一緒だし、これでは不満の言いようもあるまい!」


 ヤミル=レイもまた美しい宴衣装であるために、ラウ=レイはいっそうご機嫌であるようだ。いっぽうヤミル=レイは、クールな面持ちで美味しそうなスペアリブをかじっていた。


「あ、それは俺たちの班が仕上げた料理なのですよ。お味はいかがですか?」


「ファの家が関わる収穫祭で、粗末な料理を出されるわけがないわよね。きっとルティムの家長も大喜びしていることでしょうよ」


「ええ。ダン=ルティムの参席が決まったから、俺もそちらの料理を候補につけ加えたのですよ」


 するとそこに、「おおい」と近づいてくる人影があった。誰かと思えば、ディガとドッドである。それらの手には、何本もの果実酒の土瓶が抱えられていた。


「あっちの卓には、まだまだたんまり残されてたよ。これだけありゃあ、ひとまず十分だろ」


「うむ、ご苦労だったな! アスタたちも、よければ咽喉を潤すといい!」


「いや、俺は気持ちだけいただいておくよ」


 俺は個人的な取り決めとして、酒は20歳まで飲まないつもりでいた。俺はそういうルールの世界で生まれ育ったのだから、何か身体に害があってはならじという思いであったのだ。

 そんな中、ドッドは運んできた土瓶をすべてラウ=レイたちに受け渡してしまう。そうして俺の視線に気づいたドッドは、狛犬のような顔で気恥ずかしそうに笑った。


「なんだよ? 俺が酒をやめたことは知ってるだろ?」


「ええ。もちろん忘れていませんよ」


 ドッドはスン家の次兄であった時代、酒乱であったのだ。そうして森辺の集落のみならず、宿場町でも数々の狼藉を働いていたため、ドムの家人となってからは一滴の果実酒も口にしていないという話であったのだった。


「ディガもお疲れ様です。あれ以降、ティカトラスからお呼びはかけられていないのですか?」


「ああ。最初に挨拶をさせられたっきりだな。ま、俺みたいにつまらねえ人間に用事はないんだろうよ」


 そんな風に言ってから、ディガは子供のように笑った。


「でも、そのおかげでこの収穫祭に招いてもらえたんだからな。俺たちにしてみりゃ、ありがたい限りだよ」


「うん。ヤミル=レイにも会えたし……それに、本気のアイ=ファを見られたからなぁ。やっぱり、余興の力比べとは大違いだったよ」


 と、ドッドも身を乗り出してくる。


「アイ=ファがずっと闘技の勇者だったってことは聞いてたけどさ。闘技の他でも3つの勇士になれるなんて、もう驚きだよ」


「本当にな! 他の狩人たちもすげえから、いっそうアイ=ファはすげえと思ったよ!」


 ディガとドッドがそのように騒ぎたてると、ベンとカーゴもそれに加わった。


「今日の力比べは、ルウの収穫祭にも負けない迫力だったもんな! それであんなに勝ちまくれるアイ=ファは、本当にすげえよ!」


「まったくだ。強いのは、盤上遊戯だけじゃなかったんだな」


「うむ! 俺もアイ=ファには感服させられたぞ! またすぐにでも手合わせを願いたいぐらいだ!」


 と、しまいにはラウ=レイもエキサイトしてしまう。やはりアイ=ファの勇姿というのは、多くの人々を魅了したようであった。


「この夜も、余興の力比べは許されるのであろう? 闘技の勇者であるアイ=ファは加われないのやもしれんが、そちらも楽しみなことだ! ジョウ=ランやスドラの家長はもちろん、他にも手応えのありそうな狩人が大勢ひしめいているしな!」


「余興の力比べか。こっちの収穫祭では、そんなに取り沙汰されることがなかったんだよね。本番の力比べで、みんな満足してるってことなのかな」


「なに? それはいかんぞ! そちらは満足していても、俺たちは血がたぎってしかたがないのだからな! それは誰に掛け合えばいいのだ?」


「それはやっぱり、取り仕切り役であるディンの家長かな。今ならまだ、勇士の席にいると思うよ」


「そうか! では、すぐさま掛け合ってこよう!」


 ラウ=レイはヤミル=レイの腕をひっつかみ、人混みの中に突撃していった。あまりに唐突の出来事であったため、他の顔ぶれは置いてけぼりだ。


「えーと……ディガたちは、追わなくていいんですか?」


「ああ。ヤミル=レイと会えたのは嬉しいけど、いつまでもひっついてるのは森辺の習わしにそぐわないだろうからな」


「アスタも、好きに祝宴を楽しんでくれよ。こんなむさ苦しい連中を相手にすることはないだろう?」


 ドッドがそのように言い出したので、俺は「いえいえ」と笑ってみせた。


「俺だって、ディガやドッドにご挨拶できる機会は限られていますからね。よかったら、しばらく語らせてください」


 そんなわけで、俺たちは一緒にスペアリブをかじることになった。

 ディガにドッド、ベンにカーゴというのもなかなか奇妙な取り合わせのように思えるが、彼らはルウの収穫祭でもご一緒した間柄であった。ディガやドッドはすっかり丸くなっているし、ベンやカーゴは物怖じしない気性であったため、至極順当に絆を深められている様子である。


「でもさ、アイ=ファはもちろん、ジョウ=ランもすごかったな! アイ=ファと一緒で、荷運びってやつ以外ではのきなみ活躍してたもんよ!」


「本当だよな。ユーミのおかげで、気合が入ってたのかねぇ」


「あはは。ジョウ=ランはユーミと知り合う前から、棒引きの勇者でしたよ。的当てや木登りでも、たいそうな力を発揮していたはずですしね」


「そっかぁ。ジョウ=ランがあんなに立派だと、ユーミのやつはますます大変だよな。……なあ、アスタ。実際のところ、ユーミのやつは大丈夫なのかよ? ランって家に泊まり込んでたときも、うまくやってたのか?」


 ベンが声をひそめてそのように問うてきたので、俺は笑顔を返してみせた。


「ええ。問題なく絆を深められているようですよ。……やっぱりベンも、ユーミのことを心配してたんですね」


「そりゃあまあ、あいつとは餓鬼の頃からのつきあいだからな。……でも、あいつに余計なことは言うなよ? あいつが調子に乗ると、面倒くせえからさ」


 そんな風に言いながら、ベンは白い歯をこぼした。

 ベンやカーゴとは毎日のように宿場町で顔をあわせているが、やはり森辺の祝宴では趣が違ってくるものだ。俺は何だか、悪友とこっそりお祭りを楽しんでいるような心地であった。


 そういえば、俺の周囲がこんなに同性ばかりで固められるというのは、ちょっと珍しいかもしれない。俺のかたわらにはいつもアイ=ファがいてくれたし、そうでなくとも俺はかまど仕事の関係から懇意にしている女衆が多かったため、どうしてもそちらが中心になることが多かったのだ。


(たまには、こういうのもいいもんだよな)


 俺がそんな風に考えていると、またもや男性の一団がこちらに近づいてきた。ダリ=サウティに案内される、フェルメスとジェムドである。


「ああ、アスタ。ようやくご挨拶をできましたね」


 口もとには優雅な微笑をたたえつつ、フェルメスが何か言いたげに俺の顔をじっと見つめてくる。なんとなく、おねだりをする幼子を連想させる眼差しであった。


「ご挨拶が遅れてしまって、申し訳ありません。ダリ=サウティがフェルメスたちの案内をしてくれていたのですね」


「うむ。貴き身分にある客人は、族長筋の人間が面倒を見るという取り決めであったからな。よって、不満があればアスタではなく俺に申しつけてもらいたく思うぞ」


「不満などとは、とんでもない。族長たるダリ=サウティ自らに案内をされて、文句の言いようはありません」


 そんな風に語らいながら、フェルメスのヘーゼルアイは俺を見つめたままである。

 ダリ=サウティは苦笑を噛み殺しているような面持ちで、俺の耳もとに口を寄せてきた。


「アスタもガズラン=ルティムもそばに寄ってこないものだから、フェルメスはいささかへそを曲げてしまったようだ。悪いが、少しだけこちらにつきあってもらえないだろうか?」


 そういえば、ガズラン=ルティムもフェルメスのお気に入りであったのだ。そのガズラン=ルティムがティカトラスにつきっきりであるため、フェルメスはいっそう機嫌を損ねてしまったのかもしれなかった。


「了解しました。……それじゃあみなさん、またのちほど」


 ベンやカーゴはフェルメスに、ディガやドッドは族長たるダリ=サウティにそれぞれ気を使っている様子であったため、俺はその場から離脱することにした。

 ただし、シュミラル=リリンは当然のようについてきてくれる。それは何だか、アイ=ファの代わりに俺を見守ってくれているような風情であった。


「さきほど菓子が出されたそうですが、フェルメスはもう口にされましたか? まだでしたら、ご一緒にいかがです?」


「ああ、菓子はまだ口にしていませんね。ギバ料理を食する喜びを分かち合えない僕のような不調法者には、ありがたい限りです」


 そんな言葉にも、どこかすねているような響きが感じられる。フェルメスが内心を隠さずにいてくれるのはありがたい話であるのだが、しかしやっぱりなかなか反応に困るところであった。


 フェルメスは普段通りの飾り気のない長衣の姿であるが、行き交う人々が思わず振り返るほどの美貌と神秘的な雰囲気を持ち合わせている。それがまた男性の身であるものだから、人々はいっそう驚かされてしまうのだろう。また、かがり火と儀式の火だけが目の頼りである薄明りでは、フェルメスの端麗な容姿がいっそう幻想的に見えるようであった。


「……ティカトラス殿は、森辺においてもすっかり受け入れられたご様子ですね」


 と、菓子の出されている場所を探し求める道中で、フェルメスがそのようにつぶやいた。


「そうでしょうか? ここだけの話、まだまだ警戒心を解けない方々はたくさんいるように思います」


「それは、王都の貴族という身分に対してでしょう? もしもティカトラス殿が平民の商人に過ぎなかったなら、《銀の壺》や南の建築屋の方々と同じぐらいの信頼を勝ち得ていたのではないでしょうか?」


「うーん、それはどうでしょうね。ティカトラスは相変わらず女性の容姿を褒めそやしておりますので、森辺の習わしを重んじてくれている方々とは一線を引かれているのではないかと思います」


「そうですか」と、フェルメスはちょっぴり満足そうに微笑んだ。

 どことなく、俺の口からそういった言葉を引き出せたことに満足しているように感じられてしまう。そういう部分が、ちょっと複雑なフェルメスであるのだった。


 そんなこんなで、ようやく目当ての場所まで辿りつけた。

 それなりの時間が過ぎていたためか、思ったほど人は密集していない。ただ、菓子が置かれた台のかたわらには敷物が敷かれており、そこにトゥール=ディンやオディフィアたちの姿があった。


「おお、ダリ=サウティか。そちらもご苦労だったな」


 そんな声を投げかけてきたのは、トゥール=ディンたちと一緒にくつろいでいたゲオル=ザザだ。さらにその場には、スフィラ=ザザとレム=ドムの姿も見受けられた。宴衣装であるトゥール=ディンやスフィラ=ザザに対して、レム=ドムは長袖の胴衣と長い脚衣の姿である。


「やあ、レム=ドム。すっかり準備は万端みたいだね」


「そりゃあもう。ルウほどではないにせよ、こちらにも並々ならぬ力を持った狩人がひしめいているもの」


 レム=ドムは、ふてぶてしい顔で笑っている。その黒い瞳が、突如として喜悦の光をひらめかせた。


「ああ、アイ=ファ! ようやく自由になれたのね! もういっぺん、アイ=ファに祝福の言葉を捧げさせてちょうだい!」


「そのようなものは、ひとたびで十分であろう」


 俺がびっくりして振り返ると、草冠と首飾りに彩られたアイ=ファが凛然と立ちはだかっていた。


「アイ=ファもやっと動けるようになったんだな。どうもお疲れ様」


「うむ」と優しい眼差しで応じてから、アイ=ファはフェルメスのほうに視線を転じた。


「フェルメスは、ジョラやマロールといったものの料理しか口にしておらぬのであろう? 私にかまわず、菓子で滋養を得るがいい」


「ええ、そのつもりです」


 フェルメスは横目でアイ=ファを見つめ返してから、台に置かれた菓子に手をのばす。アイ=ファはうろんげに眉をひそめつつ、俺に囁きかけてきた。


「どうもフェルメスは、いくぶん私を疎んじているように感じられるな。私のいない間に、何かあったのか?」


「いや。ダリ=サウティいわく、俺やガズラン=ルティムがなかなか近づいてこないから、ご機嫌ななめだったそうだよ」


 俺が声をひそめてそのように答えると、アイ=ファは「ああ」と苦笑した。


「それでようやくアスタと巡りあえたところで私がやってきたものだから、余計に機嫌を損ねてしまったということだな」


「いやあ、それはどうだろう。フェルメスは以前に、アイ=ファとだって絆を深めたいって言ってただろう?」


「しかし、お前と私では思いの深さが異なろう。私もべつだん遠慮をする気はないので、どれだけ疎まれようともかまわんぞ」


 そんな風に言ってから、アイ=ファは悪戯な微笑みをたたえた。


「とはいえ、フェルメスには恩のある身であるからな。正しく絆を深められるように、力を尽くすとしよう」


「うん。もちろん俺も、そのつもりだよ」


 アイ=ファに笑顔を返してから、俺もフェルメスと同じ菓子をつまみあげた。


「こちらは城下町の下ごしらえの作法を取り入れた、ロールケーキとなりますね。以前とはずいぶん味わいが変わっているはずですよ」


「そうですか。トゥール=ディンの菓子には、まだ向上の余地があったのですね」


 どこか取りすました口調で言いながら、フェルメスは少女のように可憐な唇にロールケーキを運んだ。


「……確かに、美味です。これは驚くほどの向上であるのでしょうね」


「はい。生地にも具材にもさまざまな工夫が凝らされていますからね」


 フェルメスは小さなロールケーキを食べ終えると、これまでよりも無邪気な感じでにこりと微笑んだ。


「甘い菓子というのは、心を和ませてくれるものですね。オディフィア姫がトゥール=ディンに魅了される気持ちもわかるように思います」


「ええ。トゥール=ディンの菓子には、彼女の優しい気性も反映しているように感じられますしね」


 そんな風に答えながら、俺は気難しい女の子を懸命になだめているような心地であった。すぐ近くにいるアイ=ファやダリ=サウティやシュミラル=リリンが視線を外して口をつぐんでいるものだから、余計そのように感じられるのだろうか。


(でも本当に、フェルメスには色々とお世話になってるからな。最近の晩餐会や祝宴ではそんなにお相手もできなかったし、今日はその分まで楽しんでいただきたいところだ)


 俺がそんな風に考えていると、広場の中央のほうから歓声がわきたった。

 見ると、儀式の火の前に設えられていた勇者の席や敷物が片付けられて、大きくスペースが空けられている。そして、そこに進み出たディンの家長が毅然と声を張り上げたのだった。


「客人らから要望があったため、余興の力比べを行いたく思う! 闘技の勇者たるアイ=ファ、および勇士たるバードゥ=フォウとライエルファム=スドラを除く狩人たちは、好きなように力を比べてもらいたい!」


「ほうほう! また狩人らの躍動を拝見できるのだね! これはありがたい限りだ!」


 と、遠からぬ場所からティカトラスの声が聞こえてくる。それはすぐさま実体をともなって、俺たちのほうに近づいてきた。


「おや、フェルメス殿! ずいぶんひさびさのお目見えであるように感じられるね! アイ=ファやアスタも、それは同様であるけどさ!」


 果実酒の土瓶を振り上げながら、ティカトラスはそのように言いたてた。

 そしてそれに同伴していたガズラン=ルティムが、フェルメスに穏やかな笑みを届けてくる。


「祝宴が始まってからは、これが初めてのご挨拶となりますね。私も客人の身となりますが、祝宴を楽しまれていますか、フェルメス?」


 フェルメスは、ガズラン=ルティムと巡りあえた喜びとティカトラスに遭遇した不満のどちらを重んずるか迷うような面持ちで、「ええ」と応じた。晩餐会や祝宴の様子を見る限り、フェルメスは決してティカトラスの存在を好ましくは思っていないようであるのだ。


 ティカトラスのかたわらには2名の従者ばかりでなく、ダン=ルティムとララ=ルウも控えている。どうやらララ=ルウも、祝宴の始まりからずっとティカトラスに同伴していたようである。宴衣装で真っ赤な髪をほどいたララ=ルウは、力強い面持ちで「やあ」と俺に笑いかけてきた。


「これだけの人数だと、なかなか出くわさないもんだね。……あれ? リミのやつは、アイ=ファと一緒じゃなかったの?」


「うむ。勇者の席では長らくともにあったので、リミ=ルウとターラも他なる相手のもとを巡っているさなかだ」


 アイ=ファがそのように答えたとき、別なる人影が近づいてきた。ヤミル=レイの腕をつかんだ、ラウ=レイである。


「おお、ここにいたのか! デギオンにヴィケッツォよ、お前たちとも力を比べたく思うぞ!」


「……その件に関しては、日中にお断りしたはずですが」


 ヴィケッツォが愛想の欠片もない声と顔つきで応じると、ティカトラスが愉快そうに笑い声をあげた。


「今日ぐらいは護衛の役目を忘れてもいいと、なんべんも言っているだろう? わたしもひさしぶりに、ヴィケッツォたちの美しき躍動を拝見したいところだね!」


「……ですが、こちらの方々は徒手の格闘を望んでおられます。それではわたしやデギオンに、勝ち目はありませんでしょう」


「うんうん! 確かにね! 森辺の狩人に、剣技を比べあう習慣はないのかな? たしか君たちは、闘技会でも優秀な結果を残しているのだろう?」


「棒と棒を打ち合わせる修練ならば積んでいるが、おたがいの身を打つような真似はしていないな! そのように危険な真似をしていては、生命が危うかろう!」


 ラウ=レイの返答に、ティカトラスは「はて?」と首を傾げた。


「君たちは、徒手でも生命に関わるような戦いを繰り広げていたじゃないか。それに、ギバ狩りの仕事では刀だって使うのだろう? それなのに、剣技の修練は積んでいないのかね?」


 すると、ラウ=レイよりも早くダリ=サウティがそれに答えた。


「我々は、人間ではなくギバを倒すために修練を積んでいる。人間とギバでは身体の作りも挙動も異なるので、人間同士で刀を打ち合っても望む力は得られまい。また、刀を棒に持ち替えたところで、あまりに危険が大きかろう。森辺には甲冑というものも存在しないため、おたがいに身を打つような修練はかなわぬということだ」


「なるほど! そういうことか!」と、ティカトラスはにんまり微笑んだ。


「では、わたしからひとつ提案させていただこうかな! デギオン、ちょっとおつかいを頼まれておくれよ!」


 ティカトラスが、また何かおかしな話を思いついた様子である。

 俺は眉をひそめたアイ=ファや儀礼的な微笑みをたたえたフェルメスたちとともに、その姿を黙然と見守るばかりであった。

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