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異世界料理道  作者: EDA
第七十章 灰と黒の祝祭
1204/1686

六氏族の合同収穫祭③~狩人の誇り~

2022.5/27 更新分 1/1

・5/28 一部文章を修正。

 力比べの3種目目は、木登りである。

 高さが10メートルほどもある樹木の天辺付近に白い布の目印を巻いて、それにタッチしてから地上に舞い戻る。荷運びと同じぐらいシンプルで、なおかつ森辺の狩人の人間離れした身体能力が発揮される競技であった。


 過去3回の力比べにおいて、この種目で勇者となったのはライエルファム=スドラだ。

 そして今回も、その牙城が揺るがされることはなかった。

 スドラの残る3名の狩人たちも、アイ=ファもジョウ=ランもゼイ=ディンも健闘していたのだが、やはり誰よりも小柄なライエルファム=スドラは誰よりもこの競技を得意にしているようであった。


 そうしてそれに次ぐ勇士となったのは、チム=スドラと我が愛しき家長殿である。

 3種の競技を終えて中休みが告げられると、こちらに飛んできたリミ=ルウがライエルファム=スドラ顔負けの身軽さでアイ=ファに跳びかかることになった。


「他の狩人もみーんな強そうなのに、ふたつの力比べで勇士になれるなんて、アイ=ファはすごいねー! ジバ婆にも見せてあげたかったなー!」


 アイ=ファは「うむ」と応じながら、優しい笑顔でリミ=ルウの赤茶けた髪を撫でる。その際も、決してティカトラスたちに笑顔をさらさないように用心をしていた。


 ティカトラスも賞賛の言葉を浴びせたくてうずうずしている様子であったが、そちらはルティムの父子におまかせして、俺はかまど小屋に舞い戻る。リミ=ルウを片腕にぶらさげたアイ=ファも、それにくっついてきた。


「でも、アイ=ファは本当にすごいな。前回の力比べでも、他の狩人たちがこれまで以上の力をつけていることが実感できたんだろう?」


「うむ。美味なる食事と豊かな生活で、誰もが力をつけていようからな。……しかしそれを言うならば、森辺でもっとも美味なる料理を毎日食することのできている私が遅れを取ることはないと、前回の収穫祭でもそのように告げたであろう?」


 アイ=ファのそんな何気ない言葉に心臓を射抜かれながら、俺は宴料理の準備を進めることになった。


 そうして一刻ていどの小休止を終えたならば、力比べを再開だ。

 4種目目の競技は、棒引きである。

 小さな板の上に乗って棒を引き合い、棒を奪うか板から引きずりおろすかすれば、勝利となる。幼子でも楽しめそうなゲーム的なルールであるが、筋力や反射神経や気配の読み合いなどさまざまな力量が試される、闘技に次ぐシビアな種目であった。


 こちらの競技では、誰もが対等な条件でくじを引き、対戦相手が決定される。順番によっては決勝戦までの試合数までもが変動するため、そういう意味では運の力までもが試されるのだった。


 そしてアイ=ファは、そういう運があまり強くないらしい。前回の収穫祭でも、アイ=ファは立て続けに6氏族の強者と対戦することになってしまい――今回は、初戦でライエルファム=スドラとぶつかることになってしまったのだった。


 言うまでもなく、ライエルファム=スドラは強者中の強者である。こちらの競技は闘技と同じような資質が求められており、そしてライエルファム=スドラは闘技でアイ=ファに次ぐ実力と見なされていたのだった。


 そんなわけで、アイ=ファは一回戦目から大激戦だ。

 見物人の人々も、怒号のような歓声を両名に送っていた。


 アイ=ファとライエルファム=スドラはどちらも俊敏さに秀でており、なおかつ気配の読み合いや精神力といった面でも図抜けている。そんな両名が勝負をすれば、他の狩人たちとは別次元の激戦が展開されるのだった。


 そうしてその激戦は、四半刻にも及び――勝利したのは、アイ=ファである。

 棒を奪い取られたライエルファム=スドラは、汗だくの姿で板の上にへたりこんでいた。


「やはり五分の条件では、アイ=ファにはかなわぬな。闘技でも勝負できるように祈っている」


 ライエルファム=スドラと同じぐらい消耗しているアイ=ファもまた、滝のように汗をしたたらせながら「うむ」と応じる。そんなふたりの姿に、俺のかたわらではティカトラスが「美しい!」とはしゃいでいた。


 そうして勝負は進められていき――1回戦目で強者同士の対戦となったのは、ゼイ=ディンとラッド=リッドだ。

 いずれの面においてもバランスのよい力を有しているように思えるゼイ=ディンと、パワーに特化したラッド=リッドである。こちらの勝負も四半刻近くに及んでいたが、勝利したのはゼイ=ディンであった。


 他の名のある狩人たちは、順当に勝ち進んでいく。的当てにおいてのみ屈指の力を持つマサ・フォウ=ランは、ここで父親たるバードゥ=フォウに敗北していた。


 2回戦目のアイ=ファの相手は、ディンの家長である。

 いずれの氏族においても言えることであるが、本家の家長というのは際立った力を持っているものである。これまで勇者の座を授かったことはなかったものの、ディンの家長もその例にもれることはなかった。

 ただし、アイ=ファの力量は6氏族の中で図抜けている。ディンの家長の馬力にそれなりの苦戦を強いられながらも、なんとかさきほどよりは早い時間で退けることがかなった。


 これで残る家長は、アイ=ファ、バードゥ=フォウ、ランの家長のみとなる。

 そのランの家長は、2回戦目でゼイ=ディンに敗れることに相成った。

 これもまた、勝利したゼイ=ディンを賞賛するべきであろう。ゼイ=ディンは前々回の収穫祭で棒引きの勇者となった実力者であるのだ。


 ちなみに、前回の勇者はバードゥ=フォウであり、第1回目の勇者はジョウ=ランとなる。そちらの両名は、危なげなくここまで駒を進めていた。


 3回戦目では、狩人の数も9名まで絞られている。

 アイ=ファ、ゼイ=ディン、バードゥ=フォウ、ジョウ=ラン、チム=スドラ、リッドの長兄、ディンの長兄、スドラの若き狩人、フォウ分家の家長という顔ぶれだ。

 アイ=ファはフォウ分家の家長に勝ち、ゼイ=ディンはディンの長兄に勝ち、バードゥ=フォウはスドラの若き狩人に勝ち、ジョウ=ランはリッドに長兄に勝利する。そうして手余りのチム=スドラを含む5名が、4回戦目に勝ち進んだ。


 奇しくも、勝ち進んだのはいずれも異なる氏族の狩人たちである。

 唯一ここまで残れなかったのはリッドであったため、血族たるゼイ=ディンにはまた大きな期待が歓声として届けられているようであった。


 4回戦目の対戦カードは、アイ=ファとチム=スドラ、ゼイ=ディンとジョウ=ランとなる。手余りのバードゥ=フォウはアイ=ファとチム=スドラの勝者と対戦し、ゼイ=ディンとジョウ=ランはこれが準決勝戦であった。こうして対戦数に差が出てしまうのが、くじ引きの妙なのである。


(しかもチム=スドラは手余りだったぶん余力があるし、次にぶつかるバードゥ=フォウも同様だ。やっぱりアイ=ファは、あんまりくじ運がないんだよな)


 しかしアイ=ファはそのていどの不運に屈することなく、見事にチム=スドラを退けてみせた。アイ=ファは自分より小柄な相手を苦手としており、前回の力比べでもチム=スドラに大苦戦していたはずであったが、それでも勝利してみせたのだ。

 次に行われたゼイ=ディンとジョウ=ランの一戦も、それに負けない激戦であり――サウスポーという有利を持つジョウ=ランが優勢に勝負を進めたが、最後にはゼイ=ディンが沈着に切り返して勝利をものにした。


 ここで初めて小休止となり、敗退した狩人たちが勝負を見せる。次には闘技の力比べを控えていたが、ここで力を出し惜しむ人間はいなかった。


「アイ=ファたちは、俺たちよりも多くの勝負を果たしているのだからな! 俺たちも同じぐらいの勝負をしなければ、不公平であろうよ!」


 ラッド=リッドはそのように言いたてながら、3名の狩人を次々に打ち倒していた。やはりパワー特化のラッド=リッドも、並々ならぬ力を持つ狩人であるのだ。


 そうして行われた、準決勝戦。

 決勝戦で待つゼイ=ディンとの対戦相手を決める、アイ=ファとバードゥ=フォウの対戦だ。つまりこの段階で、この3名が勇者と勇士であることが決せられていたのだった。

 アイ=ファはいまだ勇者の座を授かっていないが、すでに的当てと木登りでも勇士となっている。アイ=ファの勝利を祈りつつ、俺はもう誇らしさで胸がいっぱいであった。


 ただし、バードゥ=フォウは難敵だ。アイ=ファは前回の収穫祭における決勝戦で、バードゥ=フォウに敗北していたのである。

 180センチはあろうかという長身で、細身の骨格にしっかりと筋肉のつき始めたバードゥ=フォウは、パワーとスピードのバランスや身体の動かし方がいくぶん独特であるように感じられた。


(なんとなく……アルヴァッハやナナクエムをひと回り小さくしたような体格なんだよな)


 それはつまり、格闘家などではなく本場のバスケットプレーヤーを思わせる体格である、ということであった。

 骨格が細めといったところで、それはジザ=ルウやガズラン=ルティムのように均整の取れた逞しい体格と比較しての話であるのだ。決してひ弱な感じではなく、しっかりと筋肉がついた上で細長く感じられるという、ただそれだけのことであった。


 よってアイ=ファも、ライエルファム=スドラのときと同じぐらい苦戦を強いられることになってしまったが――それでも最後は、竜巻のような荒々しさで身体をひねり、バードゥ=フォウの手から棒を奪っていた。


 フォウやランやスドラの人々も、邪心のない歓声と拍手を爆発させる。誰もが親筋の家長たるバードゥ=フォウの勝利を願っていたであろうが、それでも友たるアイ=ファの勝利を祝福しない人間など存在しないはずだった。


 再び小休止の勝負が始められて、そしてアイ=ファとゼイ=ディンの決勝戦だ。

 たしか――この組み合わせは、前々回の決勝戦と同じであるはずだった。

 前回はバードゥ=フォウが、前々回はゼイ=ディンが、それぞれ決勝戦でアイ=ファを下して、勇者の座を獲得したのである。それを思えば、アイ=ファは昔日から勇士の名に相応しい力量であったということであった。


 それに、アイ=ファがそれらの勝負で敗北したのは、いずれもスタミナ切れが原因であったのだ。前回は強者との勝負が立て続いたためであり、前々回はそれに加えて、たしか手の平の皮が破けそうであったために勝負をあきらめざるを得ない状況に陥ってしまったのだ。


 今回は、そうまでスタミナの残量に差があるわけではない。ラッド=リッドやランの家長やジョウ=ランを打ち倒したゼイ=ディンもまた、相応の疲労を負っているはずだ。

 よって、両者に差があるとしたら、それは一戦分の疲労であろう。ゼイ=ディンがジョウ=ランを退けている間に、アイ=ファはチム=スドラとバードゥ=フォウを相手取ることになったのだ。


 そして――その差が、勝負を分けたようであった。

 こちらも四半刻に及ぶ激戦となり、最後にバランスを崩したアイ=ファが片方の膝を地面についてしまったのだ。


「それまで! 棒引きの勇者はゼイ=ディン、勇士はアイ=ファとバードゥ=フォウとする!」


 ディンの家長の宣言に、人々はこれまで以上の歓声を振り絞った。

 俺も万感の思いを込めて、拍手を打ち鳴らす。万が一、アイ=ファが次の闘技で結果を残すことができなかろうとも、これで3種目の勇士となったのだ。この時点で、アイ=ファが有数の狩人であることは証明されていたのだった。


「うーむ! やはりアイ=ファは、大したものだな! 他の狩人たちもたいそうな力量であるようだから、いっそうアイ=ファに感心したくなるぞ!」


「ええ。考えようによっては、ひとつの種目で勇者になることより、3つの種目で勇士になることのほうが、狩人として卓越していると見なせるでしょうからね」


 ルティムの父子は、そのような言葉でアイ=ファの健闘を祝福してくれていた。

 いっぽうティカトラスは「美しい美しい!」と大はしゃぎしており、デギオンやヴィケッツォはそれぞれ双眸を光らせている。森辺の狩人の尋常ならぬ力を見せつけられれば見せつけられるほど、彼らは警戒心をかきたてられてしまうようであった。


 そして力比べの締めくくりは、闘技だ。

 闘技を重要視するザザの血族の狩人たちなどは、いっそうの期待を煽られている様子であった。


「棒引きというのは、闘技に通ずる力比べであるからな! アイ=ファはこちらでも、またとない力を見せてくれるはずだ!」


「うむ! 余興ならぬ場ではアイ=ファがどれほどの力を発揮するものか、楽しみでならん!」


 そのように語らっていたのは、ジーンやハヴィラの家長たちである。彼らはザザの収穫祭においてアイ=ファと余興の力比べを行い、その力量に感服していたのだった。


 ここでまた多少の小休止が入れられたため、アイ=ファはその間に闘技用の装束を着込む。ジャガル風の様式である、長袖の胴衣と長い丈の脚衣だ。その凛々しい姿に、ティカトラスは「うむ?」と細長い首を傾げた。


「アスタよ! どうしてアイ=ファばかりが、あのように装束をあらためているのかな?」


「あ、はい。森辺では家族ならぬ異性と触れ合うことが禁じられているため、アイ=ファも闘技の場ではああいいった格好をするようになったのです」


「なるほど! アイ=ファの美しい肢体が隠されてしまうのは残念な限りだが、そのぶん美しい所作を見せてほしいものだね!」


 ティカトラスが心配しなくとも、アイ=ファの所作が美しいことは保証できる。スドラの狩人たちに次ぐぐらい俊敏で、柔よく剛を制すスタイルであるアイ=ファは、闘技において誰よりも美しい動きを見せられるはずであった。


 そうしてくじ引きが開始され、アイ=ファと最初に対戦することになったのは――6氏族の中でもっとも大柄な、ラッド=リッドである。


「おお! いきなりアイ=ファとの手合わせか! 母なる森よ、感謝の言葉を送らせてもらうぞ!」


 ラッド=リッドはいつもの豪放さで、そのようにのたまわっていた。森辺において、強敵と対戦するのは何よりの栄誉であるのだ。

 他には強者同士で対戦になった様子はなく、粛々と勝負が進められていく。中には強者と見習い狩人の対戦も見受けられたが、それもまた母なる森の思し召しだ。


 そうして1回戦目の中盤で、アイ=ファとラッド=リッドの対戦が開始される。

 力自慢だが猪突猛進なだけではないラッド=リッドは、不敵な面持ちで間合いを測った。

 アイ=ファがこちらの収穫祭で装束をあらためたのは初めてであるが、近在の氏族は修練と称してちょくちょくアイ=ファに勝負を挑んでいるため、その装束のメリットとデメリットを十分にわきまえている。厚着になってつかまれる場所が増える分、アイ=ファはそれに対するカウンター技も入念に練り抜いていたのだった。


 ラッド=リッドは腰を落として、じりじりと間合いを詰め始める。

 それと向かい合うアイ=ファは、軽く膝にクッションをきかせつつ両手を胸のあたりにまで上げているが、ほとんど自然体だ。


 そうして両者の指先が、あと一歩で触れ合おうかという距離にまで達したとき――ラッド=リッドが、大きく踏み込んだ。

 これまで溜めに溜めていた力を解き放ったかのような、鋭い踏み込みだ。

 そしてその右手は、アイ=ファの顔面に真っ直ぐのばされている。俺はアイ=ファがおもいきり顔を叩かれてしまうのではないかと、思わず首をすくめることになった。


 しかし、闘技の力比べにおいて殴打の技は禁じられていないものの、相手に負傷をさせたならば、失格負けである。一滴の血で失格負けとなるのだから、顔面を殴ろうとするような人間はいないのだ。

 よって、ラッド=リッドの狙いは、アイ=ファの左肩であった。ラッド=リッドのグローブのごとき指先が、その部分の装束の生地をわしづかみにしたのだ。


 ラッド=リッドは十分に腰を落としながら、そのままアイ=ファを押し倒そうとした。

 しかし一瞬でそれよりも深く腰を落としたアイ=ファは、相手の懐にもぐりこみつつ、肩をつかまれた右腕に両手をかけた。


 棒引きの力比べでも見せていたように、アイ=ファが竜巻のように横回転する。

 その旋回に巻き込まれて、ラッド=リッドの巨体がふわりと浮きあがった。

 ラッド=リッドの右腕をとらえて身をひねりつつ、アイ=ファはさらに足まで掛けていたのだ。完全に重心を崩されたラッド=リッドは、自分の突進の勢いのままに宙を舞ったのだった。


 しかしラッド=リッドは巨体に似合わぬ俊敏さで太い胴体をひねり、なんとか足から着地しようとする。

 その分厚い胸板に頭突きをくらわせて、アイ=ファはラッド=リッドの巨体を地面に叩きつけてみせた。

 何か鋭い擦過音のようなものに、地響きのごとき音色が続く。

 アイ=ファは見事に勝利を収めたが、ラッド=リッドが手を離さなかったため、装束の生地が左肩から腹のあたりまで裂けてしまっていた。かつてルウの収穫祭にて繰り広げられた、ドンダ=ルウとジザ=ルウの熱戦を思い出させる結末である。


 しかしまあ、アイ=ファは大きな胸をつぶすために二重の胸あてを巻いているため、大事ない。よって人々は、ひたすら感嘆の思いで歓声を振り絞っていた。


「うーむ、やはりまだアイ=ファにはかなわなかったか! 最初の勝負で装束を台無しにしてしまい、申し訳なかったな!」


「いや。念のために予備の装束を準備していたので、問題はない」


 ラッド=リッドは満面の笑み、アイ=ファは沈着な面持ちであるが、どちらも肩を上下させている。決して長い勝負ではなかったものの、1度の接触に甚大なる体力と精神力を注いでいたのだろう。それを見守るティカトラスは、やっぱり「素晴らしい!」と騒ぎまくっていた。


「アイ=ファの身のこなしもさることながら、あれだけの勢いで地面に叩きつけられて、けろりとしているとはね! 森辺の狩人とは、なんと頑強であるのだろう!」


「……はい。しかもあの御方は、投げられながら身をひねっておりました。それもまた、常人にはなかなかかなわぬ所業でありましょう」


 デギオンは陰気な声でつぶやき、ヴィケッツォは射るような眼差しになっている。

 そうして闘技の力比べは、そこからさに拍車が掛けられていったのだった。


 1回戦目が終了すると残りの人数は17名で、このあたりからはぽつぽつ強者同士の対戦が実現する。ゼイ=ディンとジョウ=ランは、それぞれの家長に打ち勝つことになった。

 そしてアイ=ファの対戦相手は、またもやチム=スドラだ。

 ライエルファム=スドラに次ぐ俊敏さを持つチム=スドラは、この場においてもアイ=ファを苦しめた。前回の収穫祭では、これが準決勝戦のカードであったのだ。そしてその激闘のさまに、デギオンがこらえかねたようにうめき声をあげたのだった。


「なんと軽やかな身のこなしでしょう……両名ともに、獣のようです」


 スドラの狩人というのは、大した助走もなく相手の頭を跳び越えられるぐらい身軽であるのだ。そして、そんなチム=スドラを相手取るアイ=ファもまた、同様の俊敏さが求められるのだった。

 ただしアイ=ファは、チム=スドラのようにぴょんぴょんと跳びはねたりはしない。自分よりも小柄な相手と身軽さを競う気にはなれないのだろう。ただアイ=ファは力強くもしなやかなステップワークで、チム=スドラの猛攻を回避するばかりであった。


 チム=スドラは素早い動きでアイ=ファを攪乱しながら、隙あらば腕をのばそうとする。それに装束をつかまれたならば、さすがのアイ=ファもバランスを崩すことになるだろう。スドラの狩人を相手取る際には、厚着の装束が不利に働く面が強そうだった。

 そちらの勝負は棒引きと同じぐらいの長丁場に及んだが――最後には、左袖をつかまれたアイ=ファがバランスを崩しながらも相手の胸ぐらをつかみ返し、豪快な投げ技で勝利をもぎ取ってみせたのだった。


 2回戦目が終了したならば、残る人数は9名。

 アイ=ファ、ライエルファム=スドラ、バードゥ=フォウ、ゼイ=ディン、ジョウ=ラン、リッドの長兄、スドラの若き狩人、ラン分家の家長、ディン分家の家長という顔ぶれだ。

 リッドの長兄やスドラの若き狩人は、棒引きでもここまで勝ち残っていた。リッドの長兄とはすなわちラッド=リッドの子であり、スドラの若き狩人は昔日にユーミやテリア=マスを招待した祝宴でランの女衆と婚儀をあげた人物である。俺が懇意にしているチム=スドラやジョウ=ランばかりでなく、さまざまな若い狩人が成長を果たしているのだった。


 ただし、2回戦目まではまだ見習い狩人がからむことも多かったため、真の強者と呼べるのはここから勝ち進める人間であろう。

 その結果、リッドの長兄はライエルファム=スドラに、スドラの若き狩人はゼイ=ディンに敗れることになった。

 なおかつ、ラン分家の家長はアイ=ファに、ディン分家の家長はバードゥ=フォウに敗れることになり――手余りとなったジョウ=ランを含めて、それが今回のベスト5と定められたのだった。


 4回戦目はアイ=ファとジョウ=ラン、バードゥ=フォウとゼイ=ディンという組み合わせで、手余りとなるのはライエルファム=スドラだ。この時点でライエルファム=スドラはベスト3で、最低でも勇士の座を授かることが確定したわけであるが――準決勝戦でそれを相手取るのは、またもやアイ=ファの組となってしまった。


(手余りで余力のある相手がライエルファム=スドラだなんて、大変な組み合わせだな。……でもその前に、まずはジョウ=ランだ)


 ジョウ=ランは相手の力を受け流すことに長けており、なおかついざというときには強引な力技を見せることもある。前回も今回も、彼はそうしてランの家長を打ち負かしてみせたのだ。

 何にせよ、ここまで勝ち進んできた者に楽な相手はいない。最初の収穫祭ではアイ=ファに瞬殺されていたジョウ=ランであったが、前回の収穫祭では決勝戦まで進んでいたし――この場においても、ジョウ=ランは驚異的な粘りを見せていた。


 だが、勝利したのはアイ=ファである。

 四半刻を越える接戦の末、アイ=ファは自分から力技を仕掛け、それを受け流そうとしたジョウ=ランにカウンターの投げ技を仕掛けてみせたのだった。


「美しいね……きっと勇者という称号を得るのは、アイ=ファだろう」


 大歓声の中、ティカトラスがそんな風にしみじみとつぶやいたため、俺は思わずそちらを振り返ってしまった。


「あの、ティカトラスはどうしてそのように思うのですか?」


「うん? わたしの独り言が、聞こえてしまったかな? 勝負はこれからだというのに、無粋な発言をしてしまって申し訳なかったね」


 そう言って、ティカトラスは無邪気に微笑んだ。


「この闘技の力比べというやつは、戦士としての総合力が試されるのだろう。そしてアイ=ファには、単純な腕力を除くすべてが備わっている。だからアイ=ファは数々の競技で最後まで勝ち進むことがかない――この競技では、優勝を果たせるのだ。間違いなく、アイ=ファは競技の参加者の中で最強の人間であるのだよ」


 それは俺にも納得しやすい論法であったが、ただそれで無条件に安心できるわけはなかった。前回の収穫祭ぐらいから、アイ=ファは闘技においても苦戦を強いられる場面が増えていたのだ。


 それは、近在の氏族の狩人たちが力をつけてきたという証である。ジョウ=ランもラッド=リッドも、バードゥ=フォウもゼイ=ディンも、かつてはアイ=ファにあっさりと敗北していたのに、今では互角に近い勝負ができるようになるまで力をつけることになったのだ。それはファの家のもたらした豊かな生活こそが、彼らの本来の力を引き出したとも言えるはずであった。


 そんな感慨を抱く俺の眼前では、バードゥ=フォウとゼイ=ディンの勝負が始められている。

 彼らはともに過去の収穫祭で、アイ=ファに棒引きで勝利しつつ闘技で敗北していた立場であった。なおかつ前回の収穫祭では、ともにアイ=ファに敗れた後、小休止の時間に勝負をしていたはずだが――その際に勝利していたのは、ゼイ=ディンのほうであった。


 それから9ヶ月以上の時が過ぎ、両名はさらに力を上げている。

 それで勝利したのは、長いリーチを活かしたバードゥ=フォウであった。

 ゼイ=ディンの敗北を残念がる声と、バードゥ=フォウの勝利を祝福する歓声が入り混じる。そしてそれはすみやかに、両者の健闘をたたえる歓声に統合された。


 しばしの小休止をはさんだのち、アイ=ファとライエルファム=スドラによる準決勝戦が開始される。

 ライエルファム=スドラは最初から、アイ=ファにとって強敵であった。ただアイ=ファが小柄な相手を苦手にしているというだけでなく、ライエルファム=スドラはそれだけの力を持った狩人であったのだ。


 アイ=ファはこれまでの収穫祭で、闘技においては毎回ライエルファム=スドラと対戦している。そのたびに、ふたりは白熱した名勝負を繰り広げ、今回もその例にもれなかった。

 チム=スドラよりも身軽なライエルファム=スドラは、まさしく猿そのものの敏捷さでアイ=ファを翻弄する。俺はそちらから目を離すことができなかったが、デギオンばかりでなくヴィケッツォまでもが驚嘆の声をもらしているのが聞き取れた。


 ライエルファム=スドラは毎回アイ=ファと対戦しており、そしてアイ=ファは3回連続で闘技の勇者となっている。つまりライエルファム=スドラは、いまだアイ=ファ以外の相手に闘技で敗北したことがないのだ。


 ライエルファム=スドラは凄まじい勢いで地を駆け、宙に舞い、あらゆる角度からアイ=ファを脅かそうとする。

 アイ=ファは透明の汗を散らし、金褐色の髪を振り乱しながら、ライエルファム=スドラの猛攻に耐えた。


 曲芸師のようにとんぼを切ったライエルファム=スドラが、頭上からアイ=ファの襟首に手をのばす。

 それをかわそうとしたアイ=ファの髪に、ライエルファム=スドラの指先がかかった。

 髪を結っていた革紐が引き千切れて、金褐色の輝きがふわりと広がる。それをかきわけるようにして、ライエルファム=スドラは地に降り立った。


 そちらに向き直ったアイ=ファは、ぜいぜいと荒い息をついている。

 長い髪がほどかれてしまったため、汗に濡れた顔にそれがべったりとへばりついて、いっそう凄愴な様相である。

 ライエルファム=スドラも同じように肩を上下させていたが、それでも不屈の闘志でアイ=ファのもとに突進した。


 ライエルファム=スドラは左右に大きくステップを踏みながら、アイ=ファのもとに迫り寄る。そして、俺にとっては思わぬタイミングで、跳躍した。

 それを迎え撃つアイ=ファは――その場で、ぎゅりんと横回転する。

 金褐色の長い髪が、翼のようにひるがえった。

 そして――そのきらめきを突き破るようにして、アイ=ファの腕がのばされた。

 宙に浮いたライエルファム=スドラの右足を、アイ=ファの指先がひっつかむ。ライエルファム=スドラはそれを蹴り放そうと左足を振り上げたが、それよりも早くアイ=ファは身を屈めて相手の背中を地面に叩きつけた。


 一瞬の静寂の後、歓声が爆発する。

 そうしてディンの家長がアイ=ファの勝利を宣言しようとすると、アイ=ファは息も絶え絶えにそれを制止した。


「待たれよ……私はつい、自分の髪を目くらましに利用してしまったが……これは許される行いであったであろうか?」


「髪とて肉体の一部であるのだから、それを利用することを禁ずるいわれはあるまい。……他の家長らに、異論はあろうか?」


 異論を申し述べる者はなかった。

 ラッド=リッドなどは、子供のようにはしゃいでしまっている。


「長い髪など勝負の邪魔にしかならなかろうに、すぐさまそれを利用する手立てを思いつくなど、むしろ機転の鋭さを示していようよ! それもまた、狩人としての力であるはずだ!」


「うむ。勝者は、アイ=ファである。しばしの休息をはさむので、アイ=ファは身を休めるがいい」


 アイ=ファがふらつく足取りで人垣のほうに向かうと、新しい革紐を握りしめたリミ=ルウが待ちかまえていた。

 アイ=ファは人垣の最前列で腰を下ろし、リミ=ルウは小さな指先でアイ=ファの髪をくるくると結いあげていく。俺が遠目にその様子をうかがっていると、ティカトラスがにんまりと笑いながら顔を寄せてきた。


「アスタは激励に向かわないのかな? たったふたりの家族だろう?」


「あ、はい。俺は余計な口を叩かずに、黙ってアイ=ファの勝利を祈ろうかと思います。……こんな心配げな顔を見せても、アイ=ファの邪魔にしかなりませんので」


「そうかそうか! さすが君たちは、強い絆で結ばれているね!」


 俺は単に、前回の収穫祭の反省を踏まえただけの話である。

 ただ信じて待つ――森辺の狩人にとっては、家族のそういった思いこそが何よりの力になるのだ。


 そうして小休止の後、アイ=ファとバードゥ=フォウによる闘技の決勝戦が行われ――これまででもっとも長い時間をかけた激闘の末、闘技の勇者はアイ=ファと定められたのだった。

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